and 7【PERSONA M@STER】 作:ストレンジ.
発券機の取り出し口から出てきた2枚のチケットを手に取ってロビー隅の待機スペースに行くと、
「お、ほいひゃ、いきましゅか」
こっちに気づいても伊吹は特に取り繕う様子もなくポップコーンを頬張った口で言った。
「なんでもう食べてるんすか」
「いや~、朝ごはんのチョイスミスったわ。シリアルとバナナ2本じゃ足りない足りない」
「そりゃ踊ってたらすぐお腹も空くでしょ」
「映画行く日の朝っぱらからガチで踊らないって。ラジオ体操にちょっとおまけが付いた程度のエクササイズですっすよ」
伊吹は半笑いでアタシの口調をわざとらしく真似た。あまり身体を動かさない人なら朝から力尽きかねない運動量も、伊吹だとおまけ扱いになってしまう。
「じゃあなんで鑑賞前からポップコーンの
人差し指でポップコーンを指し示す。テーブルの上にふたつあるポップコーンとコーラの載ったトレーの内、片方は本来カップから盛り上がっているはずの部分が削り取られて、
「まあまあ、アタシの分だから関係ない関係ない。はやく行こっ! 座席までアンタの分も持っててあげるから」
言うが早いが伊吹はバッと立ち上がりふたつのトレーを左右それぞれの手で持って受付へ向かった。
「ほらほら早く! チケット持ってるのはそっちなんだから」
「はいはい」
急かさなくともまだ予告が流れてるあたりだろう。本編までには間に合う。
受付のお姉さんにチケットを見せてシアターエリア内へと進む。入ってすぐに今から観る映画のポスターが見えた。『私たち、タイが曲がっていてもヨシ!』というコピーが、笑いを誘うほどではない程度におかしい。
「6番シアター、いちばん奥っすね」
「席はどう? 混んでた?」
「最前以外はだいたい」
「あー、まぁそっか、連休中だもんね。公開終了近いしそんなでもないかなって思ったんだけど」
「『ゴールデンウィーク』って、映画会社の人か誰かが発案して定着した言葉らしいっすね」
「それなんとなく知ってる。映画会社の戦略的なやつっての?」
「つまりアタシたちは今、映画会社に踊らされてるわけっすね」
「ハロウィンもクリスマスもバレンタインもみんなそうよ。人間は踊るのが好きなの!」
変に力を込めて勢いだけで伊吹が言った。
「その『踊る』は伊吹の好きな『踊る』とは違うけど……」
「観たくて来たのは事実だし、今は踊らされてあげようじゃない。はいドア開けて~」
「はいはい……はい、お先どうぞ」
「ん、苦しゅうない」
伊吹に続いてアタシも6番シアターに入る。
「ようこそ……」
「へっ? わっ」
中に入るとすぐ目の前にお姉さんがいて挨拶してくれた。ということは映画館の人なんだろうけど、他の従業員の人とは格好がぜんぜん違っていて、ワイシャツの上に青いスパンコールがキラキラ光る、ノースリーブのブレザーにスカート姿のとてもきれいなお姉さんだった。
「お待ちしておりました」
落ち着いた低いウィスパーボイスでそう言って正面を向いたお姉さんの瞳は青く、『宝石のような瞳』という例えがしっくりくる、というか例えとかじゃなくまさにそれそのものだと思うほどにきれいだ。スパンコールの制服、頭の、これもまた青いリストバンドや薄紫色の薔薇、銀色の木の葉のブローチといった装飾たちも相まって、場違いなほどに美しい人だった。
2、3秒か5秒、お姉さんを見ている内に疑問が浮かぶ。なんでこんな仰々しい格好をしているんだろう。コンパニオンとかショウガールみたいな格好。全国規模で展開してるとはいってもごくごく普通のシネコンだ。試写会とかキャストの舞台挨拶があるならわかるけど、このシネコンでそんなものはない。従業員の平時の制服としては明らかに派手すぎるし、そもそも今までここでこんな服を着ている従業員を見たことがない。
「あの、なにか?」
「え……あっ」
制服をじっと見ていたらいつの間にかお姉さんが怪訝そうにアタシを見ていた。
「いや、こんな服着てる従業員さん見たことなかったなーって思って。あはは……」
「この姿は、
「いやいや、そんことないっすよ。お姉さんも美人っすよ。お世辞じゃなくて!」
「美人……私が……ですか? ……そ、それはありがとうございます……」
アタシの言葉にお姉さんはとても恐縮そうに両手を小さくパタパタさせながら消え入りそうな声で言った。格好とは裏腹に恥ずかしがり屋というか、奥ゆかしい人なのかもしれない。
いやそれより……さっき言った『主の意向』ってどういうことなんだろう? 主……ここの責任者のことだろうか。その人の……個人的な趣味でこの服をお姉さんに着させているってこと? だとすれば、それってパワハラ……、
「奥へどうぞ。主がお待ちです」
「えっ、主……えっ?」
頭から湧き出す疑念が当のお姉さんの言葉によっていったんせき止められた。が、なぜだ? なんでここの責任者が、ただ映画を観に来ただけのアタシを待っている? わけがわからない。
「いぶ──」
答えを知るわけはないだろうけどなんらかの反応が欲しくて伊吹に尋ねようとしたら、隣にいると思っていた伊吹はいなかった。え、なに? お姉さんスルーしてもう座席行っちゃった……?
「さあ、こちらへ……」
頭がクエスチョンマークでいっぱいのアタシをお姉さんがシアター内へと促す。とりあえず伊吹に会おうと思って、半ば混乱したまま自分の座席を目指して奥へと歩いていった。
ゆるやかな上りの短い通路を通ってシアター内に入り、見るでもなしに周囲を見やりながら座席に向かおうとしたアタシの足はそこで止まった。思わず声が漏れる。
「誰も、いない……」
座席はすべて空っぽで、どこにも人がいないのだ。通路を隔ててスクリーン手前側の座席にも、階段を上った後方の座席にも、どの列の席にも座っている人は誰もいない。
「お好きな席へどうぞ」
そんな光景を気にする様子もなさげにお姉さんが言った。
「なんで……なんで誰もいないの? 誰も……、伊吹っ……! 伊吹はどこ!?」
「……お尋ねになってることの意図が、私にはわかりかねます」
アタシの剣幕にたじろいでお姉さんは困惑した顔を見せたが、今この状況に困り果てているのはこっちだ。
「伊吹……アタシのすぐ前にいた女の子っすよ!」
「あなたの、前に……? それは、あり得ないことかと」
追い打ちをかけるような一言。アタシの前に伊吹がいたのがあり得ない? そんなことの方が、あり得ないっ!
「ここに来ることができるのは主に招かれた者だけ。招かれたのは貴方…………失礼、お名前は、なんとおっしゃるのでしょうか?」
「は?
「私は一介の従者……主も、お客様のお名前を口にすることはなかったもので……。とにかくお好きな場所にご着席頂けますか。あとは主が説明してくださるはずです」
当然そう言われて「そうですか、じゃあそうします」という気にはならない。ならない……が、このままお姉さんと問答していても埒が明かなさそうな感じだし、この人も悪気があるわけではなさそうだし……。
腑に落ちない気持をこらえ、ひとまず一応自分の取ったチケットの示す座席へ向かい、腰を下ろす。シートの座り心地に少しゆとりを取り戻して辺りを見回すと、青い……。シアター内をほのかに照らす照明、座席のシート、手すり、階段……辺り一面すべてが青かった。ここへ入ったときから違和感はあったが突然の出来事でその正体に今まで気づけなかった。こんなにも普段と違う光景なのに……。
真っ青なシアターを呆然と眺めていると現実感が希薄になって、幻想の中に入り込んでしまったような、地に足のつかない、漠然とした不安が胸にわだかまりだす。夢を見ているような……しかし意識がすぐにそれを拒む。座っているシートの感触、目に入ってくる青い光の
「では、始めましょうか」
お姉さんがそう言うと照明が徐々に光を失っていき、辺りは青い闇に包まれる。口ぶりからしてスクリーンになにかが映し出されるのは明白だ。今はそれがなにかを見届けるしかない。
いくつかの間を置いても未だわずかな光も差し出さないスクリーンの暗黒を、アタシはじっと見つめ続けた。
……………………………
………………
……。
「あのー……なにも始まらないんすけど」
「……そのよう、ですね……」
少し震えたお姉さんの声が聞こえた。どうやらいくら待ってもなにも起こらないのはお姉さんにとっても想定外の事態のようだ。
「えっ!」
そして突然短い叫び声を上げた。すると照明の青い光がじんわりと戻って、美しいままではあるものの、もはや今のアタシとそう変わらないような不安げな面持ちのお姉さんが見えた。
「……すみません」
「はい……?」
出口へ向かう通路手前で待機していたお姉さんはアタシの座る席の正面の通路まで、明らかに弱りきっている空気を出しながら早歩きでやって来た。
「
うつむきながら握った両手を祈るように胸に当て、小さな小さな声を絞り出してお姉さんが呟いた。
「はあ……?」
「誠に申し訳ありません……」
頭を下げて陳謝するお姉さん。顔を上げるとその頬は、薄暗い青い照明の下でも紅潮しきっているのがわかる。必死に謝っているところを申し訳ないけどすごい可愛いと思った。
「……で、どうすればいいんすかね? この場合……」
「はい……あの、今夜……改めて」
「はい? 夜?」
「はい、申し訳ありませんでした……。では……またのお越しをお待ちしております………………ぅぅ」
「ん? ……えっ?」
弱々しく愛らしい、憎めない呻きを最後に漏らすとお姉さんはいきなり目の前から消え、とたんにシアター内の照明の青い光も消えて辺りは真っ暗になった。
「ノゥ、キッキィ~ン!」
そして情感過多な芝居がかった英語音声が唐突に聞こえたかと思ったら、視界に映ったスクリーンの中で燕尾服姿にシルクハットを被った、顔一面が口になっているキャラクターが映画を鑑賞する上での注意を説いていた。
気配を感じて右を向くと、伊吹がいた。静かに首を動かしてゆっくりと回りを見る、当たり前のように他の観客たちもいた。スクリーンの光に照らされた座席のシートは、青くない。このシネコンでいつも無意識に見ている落ち着いたダークブラウンの色が薄闇の中で黒く覗いていた。
「どしたん?」
アタシの様子を怪訝に感じたのか伊吹が小声で尋ねてきた。ああ、間違いなく伊吹の声だ。なんでもないはずの友人の声を耳にしてひどく安心している自分がいる。
「…………」
『どしたん?』……アタシが尋ねたかった。
どう話せばいいんだろう? というか話すべきことなのかもわからない。ただ、話したところで伊吹は困惑するしかないだろう。仮になんらかの反応をしたとしてもアタシだってなにもわからないんだから、伊吹の困惑をアタシも困惑で返すしかないからどうしようもない。とか考えていると、
「あっ」
伊吹が姿勢を整えてスクリーンを見つめた。つられて頭を戻して前を見る。
文字が目に飛び込んできた。いつのまにか幕間が終わって映画本編が始まろうとしていた。今の気分で楽しめるとは思えないけど、別に今すぐここを出たいわけでもない。口惜しいけどこの上映時間が、さっきのわけのわからない出来事について、整理できる気がしない頭を整理してみようとする時間になってしまったのを確信した。
*
……はずだったんすよね。
「いや~、さすがにマシンガン万能過ぎたでしょ、後半もう他の武器使わないでずっとマシンガン無双だったし。あとスカートの中からロケットランチャー出したときは笑いこらえるの大変だったわ」
「カオスだったっすよね……。暗黒弓道部の使う武器が普通に拳銃だったのもなかなかツッコミどころだったし」
「ねー。『弓矢じゃないんかい』って後ろの方で誰かボソッと言ってたよね」
「挙げ句の果てにはヨーヨーでビーム竹刀と渡り合うし……なんだかんだ面白かったっすね」
「ダンスシーンもよかったしね。歌だけかなと思ってたら踊るのもイケるんだね、
「詳しくないけど、そうみたいっすね。ドレス系の衣装でちょっと振り付けやって、メインは歌、ってイメージだったけど」
あれほど忘れ難かったはずの不可思議な出来事への不安感はどこへやら。映画が始まって10分もするとスクリーンに集中、そして観賞後には伊吹と昼食をとりながら感想を語り合っている自分がここにいる。あのときの感じが残ってないわけではないけど、まさかの心はすっかり日常に戻っているという奇跡。我ながらいい加減なのか器が大きいのか。ここは後者ということにしておこう。
「あの子『
「すれ違ってたからって、なにって話でもないすけどね」
「それはそうだけどさ、ロマンよロマン。『星のかけら』がアタシらの近くにあるなんてロマンチックじゃない?」
「それはそうすけど、その呼び名を最初に発言した人が相当なロマンチストだと思う」
「ハハッ、かもね♪ まっ、アタシら『ガラスの破片』にはロマンもへったくれもありゃしねーぜっ!」
どことなく芝居がかった動きでポテトをつまみながら伊吹が言う。
実際そのとおりなところはあって、近くに芸能系のお嬢様学校『星祈女学園』があることは、アタシたち『シンデレラ女子高等学校』に通う生徒としてはちょっとしたときめきを感じないこともない。
星祈に通う芸能人の卵たちは、誰が言い出したか『星のかけら』と呼ばれ、その星祈の近くというあおりを受けてなのか私たちデレ高の生徒はシンデレラのガラスの靴にちなんで、これまた誰が言い出したのか『ガラスの破片』という呼び名が生み出され、それなりに広まっているものの、こちらはロマンを感じるには今ひとつの響きだ。そもそも華のある星祈に対して芸術系の分野にやや力を入れていること以外はごくごく普通のデレ高、という学校間の対比のためにつけられた呼び名だろうからアタシたちは
「でもポジション的には『星のかけら』ではないよね。普通に売れてるっぽいし」
アタシの脳内の『ガラスの破片』考案者についての軽い愚痴など当然聞こえていない伊吹が言った。
「うん。芸能人の卵って感じではないっすよね」
主に昭和から平成初期にかけてのアイドルや歌手のような楽曲に立ち振舞い、そして心情を掲げて登場した令和のアイドル長富蓮実は、往時を知る人からすれば少なからず馴染みのある、アタシたちからすればどことなく滑稽な感じがありつつも他にはない異質な雰囲気で目を惹かれる存在だ。特別ファンというわけではないけど、電子媒体主流のこの時代にCDはともかく、ファングッズとしてとはいえカセットテープやレコードといった物理媒体でも発表した楽曲を販売していることや、ネットではなくAM/FMラジオに自身の番組を持っていたりと、周囲の世代の近いユニットやアーティストとは少し違う流れを汲んだ活動スタンスが話題となって今やちょっとしたムーブメントの渦中にいる現役女子高生アイドルなことはアタシも知っている。少し前から女優業も始め、親日家で、とりわけ昭和文化びいきのアメリカ人監督によって製作された、さっきまで伊吹と観ていた映画『傷だらけのセーラー服』で初主演を務めたことがここ最近での彼女に関する大きなニュースだ。
「今のこの人気ぶりでも学校って通ってるんすかね?」
「うーん、どうだろ。だったらもうちょっとアタシらの回りでなんか騒がれたりしてそうなもんだけど」
「特別そういうのは聞かないっすね」
「まあメチャクチャ夢中ってわけでもないからアタシらが知らないだけかもだけど。この後どうしよっか?」
最後のフライドチキンを手にしながら伊吹が言った。映画は12時前から2時間半。いつもどおりに朝食を食べてから映画が終わるまでにお腹に入れたものはポップコーンとコーラのみ。それら抑止力にもならない間食を挟んでからシネコンを後にして、向かいに建つジュネスのフードコートへと訪れた空腹のアタシたちのテーブルに広がっていたはずの大量のフライドチキンと中量のポテト、それと極少量のサラダは実にあっさりとなくなってしまっていた。
「ふうぅ~、我ながら女子が外で食べるのにあるまじき量、食べた食べた♪」
満足げに紙ナプキンで指の油を拭き取りながら伊吹が言った。テーブルの上には確かに女子ふたりの食事痕にしてはおびただしい数の鶏の骨が真ん中の1枚の大皿に、こんもりとまとめられている。
「どっか行きたいとこある?」
「う~ん、そうっすねぇ……あ、アヤさん」
午後のプランを、見るともなしに辺りを見回しながら考えようと視線を周囲に巡らせたら、大きなお椀の載った食器トレーを両手で持っているアヤさんが見えた。どうやら屋外のイートスペースから来たようだ。
「ちょっと呼んでくる」
伊吹もアヤさんを見つけると、席を立ってそっちに向かっていった。少し会話を交わしたような動きの後、アヤさんがこっちを見た。いったんアヤさんがその場を離れて食器を戻す、それから伊吹を伴ってアタシの前にやって来た。
「オマエらもここで昼メシか……って、うわ、すっげえ骨の量」
テーブルの上の大皿を見てそう言い、それから席に着いた伊吹を見て、促されるともなしにアヤさんも座った。
「女子ひとりで堂々と屋外スペースで大盛りチャーシュー麺食べてたやつに言われたくないよっ」
「ハハッ、にしてもこれはスゲーよ」
からかうように伊吹が言ってもアヤさんは特に気にする様子はない。
「遅い昼食だったんじゃない? アタシらは映画観てたからあれだけど。なにしてたん?」
「ジョギングしてたらなんとなく
確かにアヤさんの言うように、下は黒地に白い縦ラインの入ったスウェットパンツ、上はところどころ『Beast』とか『Survive』といった英単語が血文字風のフォントで入っている黒のパーカーに若干灰がかった白のランニングシューズという、明らかにトレーニングウェアといったような出で立ちだ。
「見てわかるけど一応ね。もう、そんな華のないカッコで大盛りチャーシュー麺すするJKがどこにいますか!」
「オマエだって、こないだ放課後いっしょに牛丼屋行ったろ。それとどう違うんだよ」
「ぜんぜん、ちがーうっ! あのときは制服だったでしょ。女子高生の制服はどこでも華があるから許される、いわば免罪符! 免罪符コーデなのよ!」
「どんなコーデだよ……」
半目でアヤさんがぼやく。からかいたい一心から伊吹は色々言ってるけどアヤさんの格好は、華はないにしても脚が長いこともあってなかなかクールに決まっていると思う。
「アヤさんはこれからなんか予定あったんすか?」
「いや、特にはないけど、どっかで遊ぶならいったん帰らせてくれよ。シャワー浴びてぇ」
「そういうことならとりあえず戻りますか。道中の警護は女子力ナッシング用心棒のアヤくんに任せた!」
相も変わらず、からかいモードの伊吹の口がよく回る。
「……こん中じゃ、アタシがいちばん背低いんだけどな」
アヤさんがポツリと言った。それは意識したことがなかったからちょっと意外な事実だった。
*
門扉を開け寮の入口まで3人で少し歩いたところで、
「おかえりなさい。早かったですね」
「や、アヤさんと合流したんでとりあえずいったん戻ってきたんすよ」
「用心棒から休日の乙女にクラスチェンジさせにね」
「まだ言ってやがる。ちゃちゃっと着替えてくっから、それまでにどこ行くか考えとけ」
そう言ってアヤさんは玄関の自動ドアを通ってひとり寮の中へと戻った。
「また出かけるの? お昼は食べた?」
「食べた食べた! 映画観賞で空っぽになった胃袋に鶏肉をもう、詰めた詰めた!」
満ち足りた顔の伊吹のその発言に、海ちゃんと響子ちゃんの目がわずかに鋭くなった……!
「鶏肉ねぇ」
「鶏肉……フライドチキン、ですね?」
「え? いや、うん、そうだけどね? でもポテトとサラダも食べてるし?」
しまった、とでも言いたげな視線を一瞬こっちに送ってから伊吹は取り繕った。嘘ではない。サラダも食べた。極少量だけど……。
「もっとバランスを心がけましょうって、私も海さんも日頃から言ってますよね?」
「だからサラダも食べたって!」
「どうせチキンの1/10くらいの量だろ」
海ちゃんがズバリ言い当てた。このふたりには、どこかに不摂生を検出するセンサーでも付いているのだろうか。
「今晩は唐揚げにしようと思ってたのに……」
「いいよいいよ! 問題ナシ! 唐揚は別腹だし! カラアゲ・イズ・ゴッド!」
「問題あります! 幸い買い出しはまだしてませんから、お肉以外にメニューを変えましょう」
「えぇ~……キョウコチャンノカラアゲ……」
伊吹が名残惜しそうな鳴き声を上げた。
「なににしましょうか海さん」
「あー、そういやひじきがいっぱいあるんだよ。サラダにでもしようか」
「はあ~!? 唐揚げの代わりが、ひじきのサラダぁ!? おかしくない!? 等価交換の法則から逸脱してんじゃん!」
「一品だけじゃないっての。それに……文句あるなら自分で買い出しして作ったらどうだ? ん?」
「……サーセン」
さすがに作ってもらう側としてはそれ以上強く言えず、伊吹はしおらしくなった。アタシとしては唐揚げは惜しいものの問題はない。このふたりならなにを作っても美味しいし。
「……じゃあ、買い出し手伝うよ。別にいいよね、沙紀?」
「かまわないっすよ」
「なんだ伊吹、珍しいね」
その言葉のとおり、物珍しそうな顔で海ちゃんが伊吹を見ている。
「別に。予定があったわけでもないし、少しは手伝わなきゃね。あっ、アヤ待たなきゃ」
それから1分ほどでアヤさんが戻ってきた。いつも着ている赤いパーカーにジーンズ姿で、伊吹の言っていた『休日の乙女』にクラスチェンジしたとは言い難い。
「結局いつものカッコかいっ。ま、いいけどね。予定、買い出しの手伝いになったから。いいでしょ」
「ん、そうか、いいぜ。海にも響子にも世話になりっぱなしだからな」
大きく伸びをしてアヤさんが言った。それからふたりが掃除用具を片付けるのを待ってから5人で連れ立って最寄りのスーパーへ向かった。
*
夕食を終え、後片付けの手伝いも終えて食堂から出ていく頃、アタシに急な変化が訪れた。
「沙紀……なんかフラフラしてない?」
目ざとく……いや、はっきりと動きに出ているのだろう。伊吹がそれに気づいた。
「いや……なんか、すごい急に眠くなってきて……」
急な睡魔の到来。片付けのときに来ていたら食器を落としていたかもしれないほどの眠気に襲われている。寝るにはまだ早い時間だ。でも……眠い。
「そんな映画疲れた?」
「そうなんすかね……」
確かに映画で疲れた可能性は高い。正確に言えば、映画を観る前に起きた出来事で、だけど。そういえばあのときお姉さんは「今夜改めて」と言っていた。ということは今もシアターにいるのだろうか? 営業時間内だからいてもおかしくはない。おかしくはないけど……あの出来事自体は、おかしかった……。
「まあゴールデンウィークは明日までだし、今日はさっさと寝て最終日を満喫したまえよ」
「そうする……」
空返事で伊吹と別れ、部屋へとやや不安定な足取りで向かいながら今日何度も考えたことをまた考える。
あの出来事は、なんだったのか。夢ではなかった、と思う。でも現実でもなかったとも思う……。
伊吹と別れ自室に戻ってひとりになると、お姉さんとのやり取りが思い出されてきて気になってしょうがない。もしアタシのことを待っていたら……? 時計を見ると20時12分。門限の22時にはギリギリ間に合いそうではある。そんなことを考えてしまう。でもこの眠気で出かけるのは無理なように思える。それに、もし万が一にも待っていたとしてもお姉さんに義理はない。申し訳なさがないわけではないにしても行く理由にはならない。
……いや、本当のところ、この不思議な出来事の解明のために行きたいと思う気持ちはある。でもそれが理解できたとして……いったいなんなんだ? いやだからそもそもあれは現実だったのか夢だったのか。なにがアタシに起きたのか……知りたくは、ある……。けど……それも今は……眠いから……無理……じゃん……。
もし……あれが夢だったなら、夢でまた会える……かも………………。
好奇心が湧きつつも、アタシのなけなしの気力はシネコンに向かうのではなく、ベッドに倒れ込むために振り絞られた。