and 7【PERSONA M@STER】 作:ストレンジ.
遠くでかすかに耳障りな金属音が聞こえる。工事現場のような、建設機械の稼働音や鉄骨などの部品が軋むような、重たくてぎこちなく響く不快な音が頭に響く。辺りでは草木が揺れて枝葉のこすれ合う音が絶えず聞こえてくる。
身体が動かない。目を開けて頭を動かして回りを見ることさえも。自分が目を開けているのかどうか、それさえわからない。感覚がないわけではなさそうだ。ほんのりひんやりした風を肌で感じる。
そういうような音が聞こえた。音だった。それは声というよりは、木々のざわめきや風の音、正体不明の金属の遠鳴りに溶け込んだ、いや、それらの環境音の組み合わせの妙のような、そんな不思議なバランスによってあたかも声のように、意味のある音の響きとして耳に入ってきた。
音は深い、湿っぽい残響をしだいに増していって、いっそう言語として不明瞭な調子で響いているにも関わらず不思議にも言葉としてはっきりと伝わってくる。
意味として理解できる音は、しかしわからないことを言う。力とはなんなのか、それをアタシに与えてなんになるのか。
宣告めいた言葉と同時に光が弾けた。目は閉じていて、アタシの視界を覆っているのはこの状況を意識したときからずっと暗闇だ。なにも見えない中で、無数の大小さまざまな光の粒が次から次へと浮かんでは弾けて、一帯がどんどん明るくなっていく。見えないのに明るいというのはおかしいけど、明るさも、光の粒の位置や弾けるさいの動きまでもが確かに見える。そんな見えるはずのない光景に気を取られていると、風の感触やさっきまで聞こえていた金属の軋みや林のざわめきが止んでいることに気づいた。弾けた光は消え去らず、か細い線状の光となって空間内をどこまでも伸びていく。一本一本の線となった光はそれぞれ伸びていくなかで別の光の線と合流し混ざり合い、大きな塊になって空間内が膨れ上がっていく。まるで光によって空間が膨張して物理的に広がっていっているような光景が、閉じたままの目に映し出されていく。眩しくて目を開けていられない。それほどの光が閉じた目の中でどこまでもとめどなく広がっていく。どこまでもどこまでも、どこまでもどこまでもどこまでもどこまでもどこまでも…………──
*
鮭フレークのふりかけられたご飯を箸ですくおうとしたところで、しばらく手を止めてボーッとしてたような気がした。顔を上げてみると、やっぱりそうだったのか回りのみんなが怪訝そうな視線をアタシに送っていた。
「ぅおっ、起きた」
「いや寝てないっす」
伊吹の言葉に反射的に反応した。眠っていた覚えはない。
「目開いてたし寝てないのはわかってたけどさ、す~っごい無反応力だったね今のは。3分近かったんじゃない?」
隣でぎこちない顔が少しずつ和らぎはじめたような微笑で、こっちの様子を観察するように海ちゃんが見ていた。
「ボーッとしてる気がするなぁって思ったら、そうだったみたい……すね」
「気づくの遅ッ! なんだったの……なんか悩み?」
珍しそうなものを見る目つきのまま
「いやもう自分でもなにがなんだか……ホントにボーッとしてたとしか」
「晩ご飯中に無我の境地たどり着いたやつ初めて見たわ。アタシが「焼き鮭定食選んだのに鮭フレークかけるの?」って言ったらそこからもう微動だにしなくなって草だったんだけど、あんまり延々と動かないから怖くなってきてたよ」
「そりゃご心配をおかけしました」
「今日は鮭づくしだね」
それはまったくもって伊吹の言うとおりだ。それにしても鮭定食なのになんで鮭フレークをかけたのかは自分でもまったく説明がつかない。うっかりだとすれば数年に1回級のやらかしだ。
「これも謎の力の仕業っすかね?」
「え、うーん、どうだろ。あたしも夕飯カレーってわかってたのにお昼にカレー食べに行っちゃったことあったなぁ……」
判断の基準はわからないけど、朋ちゃん的にはこれが例の“介入者”の仕業かは微妙なところらしい。
「謎の力ってなに?」
知らない身からすれば当然な疑問を渚ちゃんが口にした。
「いやぁー沙紀ちゃんに事件があってね……」
朋ちゃんは昼間現場にいなかった海ちゃんと渚ちゃんに、ことのあらましを説明した。
「起きたことはともかくとして……それが何者かの力のせいってなにさ? ずいぶんなオカルト話だね」
「いや、なーんていうか、ちょっと違うの……。あたしの言ってるのは、あくまで現代科学では解明できないってだけで、ゆくゆくは証明できるもの……科学的な根拠がいつかは発見されるようなものなのよ。いや別にチュパカブラだってモスマンだってまるっきりの胡散臭い都市伝説とは限らないかもしれないけど」
朋ちゃんは昼間アタシたちにも言ったようなことを海ちゃんに必死に話してみせた。そこに出し抜けに、
「モスマンってなに?」
渚ちゃんが朋ちゃんに尋ねたけど、
「あれ、なんだっけ?」
自分で言っておきながらド忘れしたのかわからないようだった。モスマンっていうのは……
「たしか蛾人間みたいなやつっすよ」
「合ってるけどイメージ画像とかだと蛾っていうよりはコウモリ人間みたいな、獣人系の絵なんだよね~」
伊吹が箸を置いてスマホを見ながら言ってきた。
「あっ、ほんと。まあリアルに蛾をモチーフにした人型の生き物だと……ね。キツそう……」
促されるように朋ちゃんもスマホを取り出して、『モスマン』で画像検索して確認したようだ。
「アタシ小学生のとき林間学校でマンホールくらいの蛾見たことある。あれはヤバい、ビビったね」
「こわ~……嘘だよね?」
「ホントホント! マンホールの蓋が完全に見えなくなるレベルではなかったけど、蓋の8割くらいは覆ってたくらい大きかったよ。男子も軽く悲鳴上げた子がいたくらいだったし……」
「食事中に話すことではなくない?」
牽制するように海ちゃんが話を遮った。
「……ビミョーなラインじゃない?」
「好ましくはないけど……ビミョーかな?」
「却下! モスマンの話は終了っ!」
お伺いを立てた伊吹と、やんわりとそれに同調した朋ちゃんを海ちゃんはバッサリと切った。
「まあアレに感じたんなら謝るよ」
「いや、もともとモスマンのワードを出したのはあたしなので……」
伊吹と朋ちゃんが揃って謝った。アタシは特に気にはならなかったけど、それより朋ちゃんの言った『もともとモスマン』のリズム感が面白いと思った。
「じゃあ話変えてさ~……今日なんかけっこうメンツ揃ってないね?」
懲りた様子もなく、あるいは気を遣ったのか伊吹が率先して話題の転換を図った。必ずしも時間を合わせて食堂に来てるわけでもないからいつものメンバーが揃うとは限らない。そもそも今の状態だって三々五々に集まって出来上がった感じで、いちばん早く来てた伊吹なんかはもうすっかり夕飯を食べ終えている。
「響子はドラッグストア。買い忘れがあったみたいでここ来る前に言ってたよ」
箸で挟んだごぼうサラダを口に運ぶ前に海ちゃんが言った。
「アヤさんと
「あー、そうなん。ちょっと目通してなかった。みんな思い思いの連休最終日を過ごしてるんですなぁ」
「伊吹も夕方前に軽く踊ってたね」
「あ、見てたの?」
「見てたというか、見えた、だね。ウチの部屋から“踊り場”はよく見えるからね」
海ちゃんはそう言ってから箸を置いて両手を合わせた。ここで言われた“踊り場”は階段の踊り場のことではない。寮の外にある、三方を壁で囲まれたちょっとしたフリースペースのことだ。軽音楽部が練習やリハーサルがてらミニライブをたまにやったり、奥の壁の手前には簡易的なバスケゴールも設置されていて、渚ちゃんに限らずたまに誰かが遊んでいたり、アタシなんかも壁に絵を描いてよく利用しているはずなのに、みんな伊吹がダンスの練習に使っている印象が強いのか、誰が言い出したか寮生の間ではいつの間にか“踊り場”はあの場所を指すワードになっていた。
「そうなの? 音楽は聞こえなかったと思うんすけどねぇ」
「イヤホンで流してたから。夕飯前に軽くやってただけだし、音流すってなると許可取んなきゃじゃん?」
「そのあたりはきちんとやってかないと、いざこざの元になりかねないからね」
パンッ! と勢いよく手を合わせながら渚ちゃんが言った。敷地内とはいえ、もちろんなんでもありとはいかず、ある程度大きい規模での使用、特に音を出す系での利用なんかは寮の管理を務める先生からの事前の許可が必要だ。アタシも塗料を使う関係上で許可が要るからよく知っている。
「こないだの朋ちゃんのあれはなんだったんすか? みんなであんなところで
「ああ、あはは。あれはねぇ……最初は普通に軽音の子たちを占ってたのよ。なんとなくリハ見学して、終わったあとに。で、いっしょに見てた他の子とか、なにやってるのか気になって寄ってきた子たちも見てたら、最終的に花札大会になってね」
「いやなんでさ!?」
海ちゃんが半笑いで空中にゆるいツッコミ代わりのチョップを放った。
「みんなの希望を訊いていろんなやり方で占ってたの。手相とかタロットとか星座とか……で、その一環で花札占いもやったんだけど」
「へー、花札の占いなんてあるんだ」
と、ここで渚ちゃんの横槍というほどでもない割り込みに、なんてことのない、平静なときの呼吸のリズムのような『なんでもなさ』というか、朋ちゃんの喋りの流れの一部であるかのような自然さに妙に感心した。
「あるのよ。で、最初は占ってたんだけど、気づいたらみんなでスマホ片手にルール見ながら代わりばんこで普通に『こいこい』して遊んでた……ってわけ」
数日前の“踊り場”で漠然と目撃した熱狂の現場の詳細が朋ちゃんによって解明されると同時に、食堂に響子ちゃんが入ってきたのが見えたので手を大きくピンと伸ばして自分たちがここにいることを伝えた。アタシのその動きと目線でみんなもそれに気づいて、渚ちゃんも軽く手を上げたり、伊吹はおいでおいでするような手振りをして響子ちゃんを呼んでいた。
「おかえり」
「まだ残ってたんですね。てっきりもう皆さん食べ終わっちゃったかと、と思ったら食べ終えてはいましたね……」
「そそ。今は食後のダベり中~。気にせずお食事してくださいな」
「伊吹なんて最初に食べ終わったからもう20分くらいはダラダラここに居座ってるからねぇ」
スマホを見てみると、なんだかんだもう19時半を回っていた。伊吹よりあとに来たアタシですらもう50分近く食堂にいることになる。
「ゆうてみんなももう食べ終わってるし、時間にしたって5分10分の差でしょうよ。アタシがここ来てから特に混んだりしてもないし。てか満員でもキャパ足りるし。足りるよね?」
「んー……そうだっけ?」
「足りるんじゃないかな。
わからずに答えかねていると代わりに渚ちゃんが教えてくれた。
「いいとこなのにあんまり入寮してこないよね。3年ばっかり多いし、来年になったら1/3くらいになっちゃうんじゃない? うちらのグループだってアタシに朋に渚、櫂、アヤ、5人よ。誰も入ってこなかったら来年はアンタら4人だけになっちゃう」
「そしたら他の少なくなった班と合併するもんなんじゃない? ま、なんにせよ料理に関しての心配はないけどね」
ちょっぴり自慢げに海ちゃんがコロッケを食べながら話を聞いていた響子ちゃんに視線を送った。
「その点はホント大当たりだね、我がグループは。あと半年ちょっとお世話になりまーす」
「えへへ……任せてください。お料理、得意なんです!」
「知ってる~!」
はにかみながらも誇らしげに響子ちゃんが言ったそのとおりで、口には出さなくても居合わせたみんなが伊吹に同調しているのがよくわかる。無論アタシもそのひとりだ。
「腕を振るうのは大歓迎だけど甘やかしちゃダメだよ? 伊吹と朋はすぐ人に頼りがちだから……ねぇ?」
「ぐぬぬ……」
「飛び火した……」
半目がちに海ちゃんがふたりを見ると、その言葉と視線でふたりとも言葉に詰まったようだった。
「海といい沙紀といい、活きのいい後輩連中が多くてアタシらのポケットには入りきらんよ」
遠い目になって、昔を懐かしんでいるような顔をして伊吹が言い出した。
「なんすかいきなり」
「当然のように上級生呼び捨てだよねアンタたち。雪菜も呼び捨てではなくとも“ちゃん”付けだし。気づけばアタシを“さん”付けで呼んでくれる後輩はグループの中では響子ちゃんだけっていう」
「もう一年ちょっといっしょに生活してたらそんなの関係なくない? 見くびってるとかじゃないし。嫌すか?」
「別に嫌じゃないけどさ」
「なら問題はないわけだ。沙紀の言うとおり、アタシらは単にしっくりくる接し方で接してるだけだよ」
「それはわかってるんだけどね。てか沙紀に至ってはフリーダム過ぎ。櫂なんか“くん”付けで呼んじゃってさ」
苦言を呈するようでいて、そうでなく面白そうなものを見る目で伊吹が言ってきた。
「いや、だってしっくり来るから……来ない? なにより本人も嫌がってないし、いいじゃないっすか」
「確かに似合ってんだけどね。群抜いて背高いのもあるし。構わないけど、フツーそこまで先輩相手に距離詰められる? って思いはする。かと思えばアヤは“さん”付けだし」
「その辺はやっぱフィーリングだよ。直感でなにか自分でもわからない判断がなされてるんす……たぶん」
「はあ……才能だよ、アンタのそのコミュ力というか、自由さは」
「それ言ったら伊吹ちゃんだって。ダンス部作ろうとして人集まらなかったら、ひとりでゲリラ的に活動しちゃうんだからさッ!」
たたえるようなニュアンスのある明るい声で渚ちゃんが伊吹に目線を送った。
確かに、本当にゲリラではないものの、伊吹はひとり、場合によっては他の子を誘ったりして文化祭や体育祭の昼休憩中なんかの、各種イベントの余白というか余興に使えそうなタイミングに自分たちの時間をねじ込んでダンスを披露しているのは学園の人間なら周知のことで、部でも、なんなら同好会すら発足させたわけでもなく一個人として活動の場を学園側に直談判して取りつけてる行動力の魔人だ。もっともアタシにも同じようなところはあるけど。
「こっちだって似たような流れで活動してんじゃん。流浪のペインターがさ」
こっちの考えを察したように伊吹がアタシを指した。まあお互い様、である。
「アタシは最初から完全個人活動すよ? 部も同好会も無理そうだなーって思ったし」
「なおさらフリーダムでしょ」
「って言ったって、伊吹と同じで学園に話通してるし。勝手にやってるわけではないし」
「そうだったのッ!?」
渚ちゃんがずいぶん大げさに驚いた。今までほんとに勝手にやってると思われてたみたいだ。
「それはちょっと誤解っすよ。ほら、グラフィティっていうか、ストリートアートをいかがわしく思われるのも
「お金もらってんの?」
「ちょっとっすよ? 道具代だけ負担してもらってる感じで」
「部でもないのに?」
「それはアタシも予想外で、試しに言ったら通ったんすよ。活動のたびってわけにはいかないにしても」
「うぇ~、そんなのアリなんか~……」
残念そうに伊吹が呻いた。同じような形で活動していた身として見落としを指摘された気分なんだろう。
「ま、いいや。スタジオ代くらいもらえたかもなぁって思ったけど、スタジオ練習とかほとんどしたことないし。踊れる場所ってか機会がもらえればオールオッケーって感じでやってるわけだし」
かと思ったら直後あっという間に気を取り直した。
「お金稼ぎでやってるわけではないすからね」
「いつかはやるかもとは思わない?」
つぶらな瞳で、シリアスな空気を醸し出したりはしないにしても、伊吹は真剣に尋ねていた。
「それは……思うよ。好きなことで生活っていうのは、できるに越したことないし」
「よね~。ただ、なんか“プロ”って言われてもピンと来ないんだけどさ。好きでやってることが社会で認められる必要とかさ、考えてみてもよくわかんないや」
「考えてるじゃん」
「え? いや、考えてもわかんないんだって」
「考えてはいるでしょ、ってこと。わかる・わからないじゃない……うーん、『“わかってない”がわかってる』みたいな? 考えてるんなら問題ないと思う」
「アンタはほんと空気をかき乱すようなことをたまに……いや、よく言うか……」
妙な顔をしながらも最終的には腑に落ちたように伊吹がそう言ってから、続けた。
「てかね。そりゃアタシも考えますよ、高3だもん。他の子に比べたら子どもっぽい自覚がないわけじゃないけど、それでも並の高3くらいには悩むよ」
「『子どもっぽい』は……あたしも身につまされる言葉だわ。よく言われる。主に海ちゃんに」
落ち込むでもなく、ごくごく自然なことであるように朋ちゃんが呟いた。
「ハハハ! 身につまされてるなら結構! 沙紀の言った『“わからない”がわかってる』を朋もわかってるってことだ」
気っ風よく海ちゃんが笑って言った。海ちゃんの笑い声、いい。威勢がよくて、でも下品さはない。それどころか淑やかさがある。やかましさと繊細さが同居してるような、そんな響き。人は不意をつかれて、つまりは取り繕えるレベルを越えて感情を揺さぶられたりしなければ会話や所作だけでなく笑い声も“作って”発する場合もあるわけだけど、海ちゃんのこれはどうなんだろう。作ってないならこれはある種の才能なんじゃないかと思うし、作ってるならとんでもない技術だ。いずれにしてもこれだけ耳にして心地いい笑い声を出せるなんて素敵だ。
「『プロになる』って言葉で言ってみるだけじゃ、なんていうか空疎だよね」
一瞬机に肘をついてからすぐに姿勢を直しながら渚ちゃんが言った。
「渚ちゃんがそんなこと言うとは思わなかったわ。海ちゃんくらい堅実に将来のイメージがあって、目標とか立ててそうなのに」
物珍しそうに朋ちゃんが言うと、渚ちゃんはちょっとだけ困った顔をした。
「いやー、なんていうかね、私はバスケで生計を立てたいと思ってるのか正直よくわかってない。別にさ、プロになろうがなるまいがバスケは私の意識の根幹にあり続けると思うんだ。まったく関係ないことをやったり考えるときにもバスケがついて回ってるような感覚があるし。物事をバスケで例えるような意味じゃなくてね。『生活』と『バスケ』がイコールで結ばれてるような、一体化してるようなさ。あるんだよ、感じが」
ジェスチャーとしてはよくわからない身振り手振りを交えながら渚ちゃんが矢継ぎ早に喋る。
「それは幸せなことだけど、そうなってくとさ、プロの選手になってチームでプレーして勝ったり負けたりしながらそれでお金をもらうっていう生活を送る自分っていうのがさ……ぜんぜんわからないというか、想像できないんだよね。“近すぎる”のかな? 私にとってバスケットボールってものが」
「いいことではあるんじゃない? “近すぎる”なんて言えるってことは自分の力に対する自信はあるってことじゃん」
伊吹の一言に渚ちゃんは柔らかく笑い、それから強い眼差しで、
「それはあるよ。“上には上がいる”ことを踏まえたうえでね。キャプテンとして至らないところだってたくさんあるだろうけど、努力がある程度形になったのは事実だし。それに『自分の力』は『チームの力』なんだから、謙遜したり自信がないのは失礼だからね。信頼関係があるんだから、胸を張って自信を持つのはある意味義務だってちょっと思ってる……かなッ!」
途中から気恥ずかしくなったのか、後半は少し語気を強めて熱っぽく一気に言った。
実際ここ2年ほどでうちの学園のバスケ部はかなり強くなったらしく、対外試合で他校に遠征したり相手チームから個別に対策を組まれたりと、渚ちゃんが入部、そしてキャプテンになってから、又聞きの知識ではあるけど、いわゆる強豪校として認知されるようになったそうだ。それが自分ひとりの力によるものではないということを日々の活動を通して感じてるなら、その自信は『傲慢』ではなく『誇り』として湧いて当然のものなのかもしれない。
「な~んかいいね。チームで戦う人特有の思考って感じ。アタシはチーム組んで踊ることはあっても、そこまで回りのこととか考えたこと……ないかなぁ。なんだかんだ踊ったら一体感生まれるっしょ! としか思ってないかも」
「そういう『見る前に跳べ』もいいと思うけどな。事前にいろいろ考えてばかりじゃうんざりしちゃうよッ」
「へぇ~、みんないろいろ考えて……ん? 考えてるし、考えなかったりしてんのねぇ~」
「アンタはそれまったくなにも考えないで言ったでしょ……」
お気楽な朋ちゃんの反応に海ちゃんは呆れてくすっと笑う。
『──中には浮気・不倫にも懲役を科すことへの議論もすべきだという意見も上がっているそうです。
……次のニュースです。一昨日、家族に『うまいもの食べてくる』とメッセージを残して行方がわからなくなっていたT区に住む49歳の男性が今朝、Y県M市M町にある魚市場で、店頭で売られていたタラバガニを盗んだとして地元警察に逮捕されていたことがわかりました。
男は今日午前6時頃、Y県M市M町のQ魚市場にある鮮魚直売店の店頭の生け簀に入れられ販売されていた生きたタラバガニを生け簀内に侵入して手に取ると……えー、そのまま素手で脚をもぎ取り、殻を剥いて身を食べているところを店員に通報され窃盗の現行犯として地元警察に逮捕されたということだそうです。
男は取り調べで、『生き物は冷凍したり加熱したりせず、捕まえたらすぐにそのまま食べるのがいちばん美味しい食べ方なんだよ』などとわけのわからない供述をしており、警察は詳しい取り調べの前に男を精神鑑定にかける手続きを進めると共に、連日の不特定多数の市民による散発的な発狂事件との関連性についての調査にも取りかかるそうです……先月から都内では市民が唐突に奇行に及ぶ事件が散見されています。一昨日もJ区の公民館入り口前で突如として半裸になって踊りだした女性の事件を当番組で取り上げ、先週はP大学院の生徒2名が図書館内で水に溶かした小麦粉を撒くという愉快犯と思われる事件があり、双方の容疑者たちからはいずれも薬物反応もアルコール反応も検出されず、また取り調べでは意味不明の供述が多々見受けられ、拘留されてから数日すると突然平静を取り戻したかのように振る舞い、犯行について『まったく記憶にない』と弁明をする点が共通しており、謎の発狂事件、あるいは一種の集団ヒステリーなのではないかとして波紋、そして様々な議論を呼んでいます。……果たして今回の件も、一連の謎の奇行とも呼ぶべき事件となんらかの関係性があるのでしょうか? スタジオには犯罪心理学者、そして心霊現象研究家でもあるホラッチョ池田さんをゲストにお招きしております。池田さん、まず池田さんは今回の件は今までの珍事となんらかの関係があるとお考えで──』
「ま~たやってるよ、変な事件が増えたもんだね。タラバガニ生きたまま食べるとか……こわっ。キャスターの人も困惑してたし」
「意味がわからないとヘタな犯罪より怖く感じるよね……」
テレビのニュース番組の音声が耳に入ってきたのはみんなも同じらしく、めいめいに端的な感想を言い合っている。アタシはあまり気にしてはいないけど、確かに最近は奇妙な事件、というか変な行動をする人が多くてよくニュースになっている。
「なんなんだろうねぇ実際。本人の言い分を信じるなら覚えてないんでしょ? そんなことないでしょ普通」
「……普通じゃないことが起きたんじゃないすか?」
反射的に海ちゃんに言葉を返していた。言ってから自分でハッとなる。本当に普通ではないことが起きたんじゃないか? 自分の身に起きたことを思えばそういう考えを持つことができるようになっていた。アタシに起きたことと関係があるかどうかも気になる。
「普通じゃないことってなにさ?」
もっともなことを海ちゃんに言われた。
「それはわかんないすけど」
「“魔が差した”の究極版みたいなやつなんじゃない? だからなにも覚えてないんだよ」
「なにが『だから』なんだか……」
「まあ言ってみただけだよっ。警察だってわかってないことアタシが知ってるわけないし。響子ちゃんも食べ終わったし、不毛な議論は終わりにして出よう出よう」
伊吹に促されてみんな一斉に立ち上がり、少し後に響子ちゃんも立ち上がるとアタシたちは食堂を後にした。
次あたりからようやくいろいろ動きそうです(希望)