古今西行寺恋奇譚〜恋愛と闘いの幻想物語〜 作:黒い小説家
時は遡り数時間前のこと。
時間帯的に兄である大和は学校で授業を受けている最中、それに対して弟の和生は街中をうろついていた。
やはり、和生の顔や名は世間ではかなり知れ渡っているのだろう。年が近い奴等が和生の近くを通りすぎると、まるで恐れているような表情を浮かべながら、和生から目を逸らして横通る。
「はぁ……」
午前中は真面目に学校へ行っていたが、昼を過ぎた頃に授業の内容があまりにもつまらなすぎて早退したのだ。
まぁ、兄貴が学校から帰ってくるまで暇潰しに街中に来てみたが、どうにもやることが無さすぎて退屈しのぎにすらならない。
「ったく、なんか面白いことねぇのかな?」
部屋にある本はある程度読み尽くしたし、外で身体を動かすやる気もない、だから自宅に帰ってもやることがない。
だが、そんな何もやる気が無い中で和生には唯一やりたいことがあった。
(そういえば最近、喧嘩とかしてねぇよな)
それは喧嘩だった。
最初は誰かを守るために闘い、虐めていた奴等を片っ端から暴力を振るって黙らせていた。
別に罪悪感を抱きながらも暴力を振るっていたわけではなく、寧ろ人に暴力を振るうことに生き甲斐を感じてしまうほどに楽しかった。
しかし最近になってから、虐めてくる奴がほとんどいなくなったことで、暴力を振るえる奴がいなくなった。
それに顔や名前が悪い意味で世間に知れ渡っているのだろう、俺に対して喧嘩を挑んでくる奴は余程の馬鹿でなければほとんどいない。
(……いねぇのかな、俺に喧嘩を売ってくる
そんなことを考えながらも和生はどこかに喧嘩する相手がいないかと、周りを見渡しながら街中をゆっくりと歩いていく。
「……んっ?」
そして街中を見渡していると、まだ日が出ている時間だというのにも関わらず、人気のないビルとビルの間で複数いる男達が一人の女性を取り囲んでいた。
その光景を遠くから見て、和生は嬉しさのあまりに思わず笑みが溢れてしまう。
「……へぇ~ ちょうど良いや」
人助けには何の興味もないが、一方的に暴力を振るうことには興味がある。
しかも、今から出来るのは無意味な暴力ではなく、人助けと見せ掛けた意味のある暴力が出来るのだから喜ばずにはいられない。
このままチンピラに絡まれて困っている女性を放って置いても別に良いのだが、今は無性に人と喧嘩がしたくて仕方がない。
「……ちょっと人助けでもしてやろうか」
しかし和生の本音は女性を助けることではなく、ただ単純に人を思う存分殴りたいだけだった。
人を滅茶苦茶に痛めつけたいと言う殺傷本能を内に秘めながらも、和生はチンピラと女性がいる人気のない場所に歩いて向かう。
《~一方、人気のない場所では~》
始まりは些細な出来事ことだった。
街中を歩いている途中、今いる人達にちょっとぶつかったことにより、何か適当ないちゃもんを付けられた挙げ句、しつこく絡まれてしまった。
チンピラは五人おり、全員の見た目は二十代前半だと思われる。
それに対して女性の方は腰まで伸ばした金髪、頭には赤いリボンが巻かれた白いドアノブカバーのようなナイトキャップを被っている。
普段着というよりも、どこかコスプレのような衣服を着ており、紫と白色を基準とした八卦の萃と太極図を描いたような中華風の服を着ている。
「だから何度も謝ってるじゃない」
「おいおい姉ちゃん、謝るだけで済むと思うのかよ?」
「おう、誠意を込めてなんかしてくれねぇと、こっちも気がすまねぇんだよ」
こうやって何度も謝っても、チンピラ達は許してくれるどころか、見逃してくれる気配も一切ない。
だからと言って、チンピラ達が許してくれる条件を呑もうなんて考えは毛ほどにもない。
このチンピラ達が考えている条件なんて、どうせロクな事ではないことは目に見えているのだから。
(……困ったわね、どうすれば良いのかしら?)
道を横通る人達はみんな女性を助けようとはせず、それどころか誰一人として見ない振りをしてその場から去ってしまう。
もう誰も自分を助けてくれないだろうと思っていたのだろう、女性は冴えない表情を浮かべながら、ついため息を漏らしてしまう。
……スタ…スタ…スタ……
すると突然、見知らぬ少年が近くまでやってくると、不意を突いて一人のチンピラに飛び膝蹴りを喰らわせた。
「……あがっ!」
突然の飛び膝蹴りをまともに喰らうと、言うまでもなくチンピラは意識を失い、そのまま地面に倒れてしまう。
そしてチンピラが地面に倒れた瞬間、平然とした表情で少年は馬乗りになってチンピラを何度も殴り付けた。
恐ろしいほどにあっという間だった、何せ一人のチンピラを血だるまにするのに数秒程度しか掛からなかったのだから。
「よし、まずは一人目と」
誰かに仲間がやられたことに気が付くと、他にいた仲間達はぶちギレた表情を浮かべながら後ろを振り向いて怒鳴り散らそうとする。
しかし和生の顔を見るとチンピラ達は全員血相を変えて、怒鳴るどころか誰一人として声が出せなかった。
「………おい嘘だろ!?」
「何で草薙和生がこんなところにいるんだよ!?」
人一人を血だるまにして何の罪悪感を感じていないのか、和生は平然とした表情で立ち上がると、チンピラ達に話しかけてくる。
「……あっ? ……何でって? てめぇらと喧嘩しに来ただけだけど」
だが、和生の強さや凶暴性の噂を耳にしているのだろう。誰一人として和生と喧嘩をしようなんて考えている者はいなかった。
そんな最中、和生にボコボコにされる前にここから逃げようと思ったのだろう、一人のチンピラは恐怖に満ちた表情を浮かべながらも咄嗟に走って逃げようとした。
「……ちくしょう喧嘩するなんて冗談じゃねぇ! 俺は逃げるぞ!」
だが、闘う意思がないうえに、恐怖のあまりに逃走するチンピラを和生は逃がすことはなかった。
逃げるチンピラを和生は走って追い掛けると、全力で逃走したのにも関わらずチンピラはわずか数秒足らずで呆気なく捕まってしまう。
「……おいおい? 女に迷惑かけていたくせに逃げんじゃねぇよ」
「……ひっ! 頼むから見逃してくれ!」
だが、相手が怯えて謝ろうとも、和生は無慈悲にチンピラをぶん殴った。
まるで容赦がなかった。例え相手に闘う意思がなくても、怖じ気付いていようとも関係なく、和生は必要以上に暴力を振るう。
「おい……謝っているのに……何でだよ!? 何で……許してくれないんだよ!?」
「うるせぇな、黙って歯食い縛ってろ」
だが相手が恐れた表情を浮かべながら謝ろうとも、和生は聞く耳も貸さずにチンピラの胸ぐらを掴んで、顔面を何度も殴り続ける。
そして、歯を何本も折られて、顔面が変形してしまうほどに殴られ続けた挙げ句、チンピラは痛みのあまりに気絶してしまう。
「あらら……気失いやがった」
胸ぐらを掴んで殴っていたチンピラが気を失って半殺しの状態にすると、まるでゴミのようにチンピラを地面に投げ捨てる。
そして次に和生は恐怖のあまりに腰を抜かしていたチンピラに向かって襲い掛かった。
「さて……次はお前だな」
もはや相手に戦意がなくても関係なく、和生は無抵抗のチンピラを掴み上げて何度も殴った。
それから和生は一人ずつ、そしてまた一人ずつ順調にチンピラ達を半殺しにしていった。
結局、五人いたチンピラ達は誰一人としてその場から逃げることはできず、和生に半殺しにされてしまった。
そして和生の一方的な暴力が終わった頃には、周りの地面はチンピラ達の血で染まり、まるで殺人現場のような光景になる有り様だった。
辺りには気を失って身動きが取れないチンピラが何人も無造作に転がっており、当分の間は起き上がる気配はなかった。
「まぁ、こんくらいで良いだろ」
和生は軽々しくそう言っているが、チンピラ達の怪我は目も当てられない程に酷く、今すぐに病院へ搬送しなければいけないほど、十分危険な状態だった。
だが、こいつらのために救急車を呼ぶなんて面倒な事だし、況してや呼ぶ気なんて更々なかった。 俺にとってはこいつらが生きようが死のうが別にどうでも良かったからだ。
「あっ、あの……」
近くにいた金髪の女性に声を掛けられると、和生は無愛想な表情を浮かべながら、女性に対して無関心な態度を取った。
「あぁ……何だあんた、まだいたのか……別に礼とかいらんから、俺が勝手にやったことだし、気にすんな」
今になって考えてみればこの女を助けるために来たんだっけ? 喧嘩に夢中になりすぎて今まで女の存在に気付かなかった。
それに一刻も早く俺はこの場から離れなきゃいけない。 他の誰かにこの光景を見られたら警察を呼ばれるのは目に見えているのだから。
「というわけで、サツに見つかる前に俺は退散させて貰うぜ」
「あっ、ちょっと……」
しかし女性の言葉に一切聞く耳を持たずに、和生は女性を置いてその場から逃げるように去っていた。
見知らぬ少年の行動があまりにも迅速的なものだったので、その場に残された女性は思わず唖然としてしまった。
「名前も言わずに行ってしまったわね……一体何だったのかしらあの子?」
突然現れて助けてくれたと思いきや、チンピラ達をボコボコにし終えたら、すぐにどこかに走り去ってしまった。
あの子は人助けをしてくれる良い人だったのか、それともただ人に暴力を振りたいだけの悪い人だったのか、それは正直わからない。
だが、少し対面しただけであの子に関して一つだけわかったことがある。
「ほんの僅かにだけど、
《~家に帰宅後~》
家に到着した後、和生は少し満足そうな表情を浮かべながら扉を開けて家の中に入る。
今日はとても良い日だった。久しぶりに喧嘩で数人半殺しに出来たのだから。
「結構楽しいことあったし、今日は良いことありそうだな」
玄関で靴を脱いで家に上がった後、自分の部屋に行く前に、まず居間へと足を運んでみた。
時間帯的にいるのはありえないが、一応兄貴に顔を出して帰ってきた報告をしようと思い、真っ先に居間に向かった。
まぁ、この時間帯だと兄貴は学校で授業を受けてるだろうし、最近ここに住み始めた幽々子さんも兄貴と一緒に学校にいるだろう。だからこの屋敷には俺以外は誰もいないと思う。
しかし屋敷には誰もいないはずなのに、廊下を歩いている途中、和生は居間の方向から不思議な気配を感じた。
「………誰かいるな」
おかしいな、この時間帯は屋敷に誰もいないはずなのに、なんで人の気配がするのか。
それに俺の知っている限りでは、今感じた気配は少なくとも兄貴や幽々子さんのものではない。
微かに見に覚えのある気配なのだが、誰のものなのかはさっぱりわからない。 少なくとも身近にいるのだが、あまり関わりがない人物だと推測する。
そんなことを一人考えている間に、和生は居間の前にやってきた。
「泥棒じゃねぇだろうな?」
恐る恐るドアを開けて居間に入ってみると、そこには大和の師匠である御巫紅虎がちゃぶ台の前にゆったりと座りながらお茶を飲んでいた。
この時に和生は、最初は居間にいる人物が誰なのか全くわからなかった。 実のところ、この御巫紅虎とは面と向かって話したことが一度もなかったからだ。
「あら、早く帰ってきたと思えば、弟さんの方でしたか」
居間にやってきた和生に気がつくと、紅虎は手に持っていた湯飲みをちゃぶ台に置いてから和生に対して話しかけてくる。
話したことも、顔を会わせたこともなかったが、少なくともこいつが兄貴の師匠だと言うことはわかっていた。 数回程度だが身近で見かけることがあったからだ。
それに今の発言から察するに、この人は玄関を開けたときから俺の気配に気づいていたのか?
「確かあんたは兄貴の師匠の?」
「えぇ、私は大和の師匠の御巫紅虎ですよ」
初めて面を合わせて話してみたが、容姿はもちろん、声や口調が本当に女みたいでビックリした。こいつ本当に男なのか?
それに正直なところ、こんな女みたいに弱そうな奴がなんで兄貴の師匠をやっているのかと内心で疑問にも思っていた。
「それよりも、なんであんたが無断で俺の家に上がってんだよ?」
「……あら、聞いていませんか? 私はこの屋敷に出入りする許可を貴方のお兄さんから貰っているのですよ」
「……えっ!? それマジかよ」
それは初耳だった。そんなことは兄貴の口からは聞かさせれていない。
いや、もしかしたら俺が聞き流して覚えていないだけの可能性もある。結構前に兄貴はその事に関して俺に言っていたのか?
和生が困惑した表情を浮かべながら一人考え込んでいると、何の前触れもなく紅虎の方から話し掛けてきた。
「名前はたしか和生君でしたか? なんか退屈そうにしていますね」
「まぁ……そうだな」
紅虎の言う通り、最近のところ退屈な毎日を送っていた。
学校の勉強も簡単過ぎてすぐに飽きるし、運動競技も人並み以上に出来てしまうのでつまらない。そんな毎日の中で唯一の退屈凌ぎと言えば読書ぐらいだろう。
それに喧嘩も、少し前までは俺に喧嘩を売ってくる奴が大勢いたが、今では周りから恐れられて、俺と真っ向から喧嘩を吹っ掛けてくるやつなんて滅多にいない。
「……あんた、俺の気持ちがわかるのか?」
「えぇ…わかりますとも、自分と対等に戦える喧嘩相手がいなくて退屈だと、しっかりと顔に書いていますから」
正直、驚きを隠さずにはいられなかった。この紅虎は完全に今の俺の心情を読み取ってやがる。
それに、俺は何事でも一人で抱え込んで解決しようとする事があって、今まで本音や気持ちを理解してくれる人が誰もいなかったから尚更だ。
(……そういえば、今まで誰も俺のことを理解してくれなかったな)
兄弟である兄貴はもちろんのこと、両親でさえも俺の心情を察してはくれなかった。
和生が改めて自分の心情と向き合っている最中、紅虎の方から突然ひとつの提案を出してくる。
「和生君、もし宜しければ私と組み手をしてみませんか?」
「……えっ?」
突然、紅虎が何を言い出すと思えば、俺と組手をしようだと? 俺は喧嘩による実戦経験は多々あるが、組手なんて一度もしたことがない。
それに、俺の基本としている戦闘スタイルは明らかに試合や組手向きではない。 相手を殺傷することに特化した戦闘スタイルなのだから。
「俺と組手なんて、やっても良いのかよ? 正直どうなるかわからないぜ」
「えぇ構いませんよ、この後に大和と闘う予定なので、肩慣らしには良いでしょう」
つまり俺は兄貴と闘う前のウォーミングアップ相手と言うところか。 例え兄貴の師匠とはいえ、正直嘗められた気分で不愉快だ。
以前、俺は兄貴に闘いを挑んで敗北した。そして、この紅虎がどれだけの実力者なのかは全くもって知らない。
だが、もし紅虎が本当に俺の実力を格下と思い込んだ上で、闘いを挑んで来れば、間違いなく無事では済まされない。
「おもしれぇ、それじゃあ遠慮なく殺らせて貰おうか組手」
「それでは流石にここで組手をするのはいけませんので、道場に行きましょう」
そう言うと紅虎は一足先に居間から出て行き、道場に向かって歩いていった。
その際に和生は不敵な笑み浮かべながら、紅虎に続いて道場へと足を運んだ。
《~それから道場に移動後~》
まさか一週間も経たないうちに、道場へ足を運ぶとは思ってもいなかった。
数日前に、道場に訪れたのが兄貴と喧嘩をしたとき以来か。 あのときは良い線までいったと思ったが、やはり兄貴は敵わなかったな。
道場に到着した後、紅虎は和生を置いて、道場の中心部までゆっくりと歩いて行く。
そして、中心部まである程度やって来ると紅虎はその場で足を止めると同時に、和生に背を向けながら話しかけてくる。
「この場所なら存分に力を発揮できるでしょう」
組手の準備を整えるどころか、無防備にも和生に背を向けてる紅虎、まだ組手が始まるとは微塵も思っていないのだろう。
そんな無防備な状態になっている紅虎に対して、和生は気配を殺しながら近づくと同時に、突然の如く紅虎に向かって蹴りを放った。
そう、何の躊躇いも無く和生は奇襲を仕掛けたのだ。
(……よし! 紅虎の野郎は気付いてない、完璧に貰ったな!)
しかも、俺が狙っている部位は首の頸椎、まともに喰らえば首から下は全身麻痺に陥り、確実に戦闘不能になるだろう。
奇襲を仕掛けたとはいえ、このとき和生は勝利を確信していた。
………が、しかし。
そう思っていたのも束の間、和生の確信は意図も簡単に崩れ落ちてしまう。
予想外のことに、紅虎は後ろを振り向かずに屈み込んで、自分に向かって飛んでくる和生の蹴りを見事に避けた。
「……なっ!? 避けやがった」
「おやおや……いきなり奇襲ですか、私は嫌いじゃありませんよ」
まるで最初から和生に奇襲を掛けられることを予測していたと言わんばかりに、紅虎は平然とした表情を浮かべながらも和生の蹴りを難なく避けられた。
このとき、紅虎の笑みを浮かべている余裕っぷりが許せなかった。奇襲を仕掛けて失敗したうえに、まるで俺を嘲笑っているように感じたからだ。
「……ちっ! 何処までも俺を嘗めやがって」
奇襲は失敗に終わったが、そんなことは関係ない。そのまま何の合図もなく組手が開始された。
今の奇襲を除いて、まず最初に攻撃を仕掛けたのは和生の方だった。
その場で和生は戦闘体勢に入った瞬間、拳による打撃はもちろんのこと、手刀や肘打ち、蹴りや膝蹴りなどの多彩な戦法を自在に扱って、攻撃を仕掛けた。
その際、和生が集中的に狙ったのは、こめかみや鳩尾、喉仏や人中、目や顎など、主に人体の急所と呼ばれる部分。
まともに喰らえば地獄のような苦痛に襲われるのはもちろんのこと、当たり所が悪ければ最悪の場合は死に至ることだってある。
(……これならどうだ!)
これだけ連打を放てば流石に一発くらいは当たるだろう。そう和生は内心で思っていた。
だが、相手が極めて悪かった。
恐ろしいことに縦横無尽に放たれる和生の急所突きを、まるで見切ってると言わんばかりに紅虎は全て避け続ける。
(……おいおい嘘だろ? 何で一発も当たらないんだよ?)
相手は防御体勢に入るどころか構えすら取っていない。にも関わらず俺の攻撃は当たりもしなければ掠りともしない。
我流とはいえ、俺の身体能力や戦闘技術は一般人はもちろんのこと、ある程度の武術家や格闘家なら難なく通用する。
しかし、この紅虎には微塵足りとも通用しない。例え、俺の全てをぶつけても、勝利のイメージが全くもって浮かびあがらない。一体、戦力の差がどれだけ開いているのか?
「ほう…人体の弱い部分を中心に狙ってくる急所突きですか、中々えげつないことをしますね」
全て避けているうえに、況してや完全ノーガードの状態でそんな評価をされても、和生からしてみれば嫌みにしか聞こえない。
「……ふざけやがって」
それに対して紅虎の余裕に満ちた態度と発言が許せなかったのだろう。和生は怒りに満ちた表情を浮かべると、攻撃の手数が増えて荒々しくなると同時に、繰り出すスピードが徐々に加速していく。
(……どこまでも俺のことを嘗めやがって。 こいつだけは絶対に叩き潰さねぇと気が収まらねぇ)
一見、ぶちギレて頭に血が昇っているように見えるが、こう見えて和生は頭の中で色々な戦法や相手に対抗するための策を考えている。
単純に考えてみれば、紅虎が俺の攻撃を華麗に避け続けているのは確かなことだが。その反面、戦闘の構えを一切取っていない。
俺のことを嘗めて構えを取らないのか、それともこれが紅虎の戦闘の構えなのか、その真相は俺にはわからない。
まぁ、どちらにしても、今の状態では避け続けることはできても、反撃することはできないだろう。そう和生は思っていた。
…………しかし。
回避し続ける紅虎に対して追い打ちを掛けるかのように、和生が拳を振りかぶって打撃を放とうとした瞬間だった。
予想外のことに、紅虎は一切の構えを取らないまま、ノーモーションの状態で和生の顔面に向かって打撃を繰り出してきた。
「……あっ?」
ノーモーションで紅虎が打撃を繰り出してきた時には、拳はすでに目の前まで迫ってきており、避ける隙はもちろん、受け止める時間も一切残されていなかった。
故に、避けるどころか、防御体勢に入ることも許されず、和生は繰り出された紅虎の打撃をモロに喰らってしまった。
「あがっ!!」
紅虎の打撃が顔面にヒットした瞬間、和生の鼻から鮮血がゆっくりと流れ出した。
このまま接近戦を続けたらまずいと直感が察知したのだろう。紅虎との距離を離すために、和生は後ろへと下がって体勢を整えた。
(なんだ今のパンチ? 準備動作もなく、いきなり飛んで来やがった!)
打撃を喰らった際、和生は今なにが起こったのかわからなかった。突然だった、何の準備動作もなく打撃が飛んできたのだから。
これは避ける避けれないの問題ではない。気が付いたら顔面に打撃を喰らっていたのだから。
しかし幸いのことに、打撃そのものの威力は大したことはなく、その証拠に鼻血を出すだけで済んだ。
「なるほど、拳を交えてようやくわかりました。兄と違って優しさと躊躇いが一切ありませんね」
寧ろ、それこそが大和にはない、和生だけの強みであり武器でもあるだろう。
相手を殺傷するうえで、邪魔になる感情の大部分とは『慈悲』や『優しさ』、『躊躇い』や『情け』なのだから。
しかし生憎、戦闘をするうえで和生はそう言った感情を持ち合わせていない。 故に心置き無く人を殺傷することができる。
「……ちっ! 兄貴と一緒にはされたくねぇな」
あんな生ぬるい性格の兄貴と比べられるのが無性に腹立たしい。 正直、人体の急所を優先的に突くことが出来ない奴と比べては欲しくない。
それに身体能力では劣っているが、頭脳と精神面だけなら兄貴に負ける気はしない。
紅虎との距離を空けてから、少しだけ体力が回復すると同時に気持ちが落ち着くと、和生は再び身を構えを取って戦闘の準備をする。
(こいつには小細工は通用しない。それなら速さで勝負するしかねぇな)
持ち前の脚力で地面を思いきり蹴った瞬間、和生は紅虎との距離を一気に詰めて懐に潜り込んだ。
そして和生は人指し指と中指を立てて目潰しの構えを取ると、そのまま紅虎の目に向かって指を繰り出してきた。
和生の繰り出した目潰しのスピードはボクシングのジャブと差ほど変わらず。常人ならまず避けることはできないだろう。
(……よし、取った!)
相手は無防備、避けることは不可能、これなら目潰しは決まると和生はそう思っていたが、しかし。
恐ろしいことに、和生が繰り出した目潰しを紅虎は無防備の状態から意図も簡単に素手で捕らえてしまう。
「……なっ!?」
「目潰しですか、随分と幼稚で……そして単純な攻撃なんでしょう。 正直幻滅してしまいました」
この時の紅虎からは余裕をもった態度や雰囲気は完全に消え去り、代わりに慈悲や優しさを一切感じさせない冷酷で無情な態度を見せた。
(……なんだこいつ!? 雰囲気がいきなり変わりやがったぞ)
同時に和生は紅虎に対して恐怖を感じた。 そう、紅虎の態度や雰囲気が変わった瞬間、自分に向かって放たれた背筋が凍りつくような殺気に恐れたのだ。
そして紅虎は掴んでいる和生の右手首を離さないようにしっかりと握りしめたあと、足の親指で和生の足の甲を刺すように踏みつけた。
「………ぐっ! あがぁっ……!」
紅虎に足の甲を踏まれた瞬間、和生の足にまるで釘や杭を打ち込まれたような激痛が走った。
余程の痛みなのだろう。あまりの痛みに和生は苦痛で顔を歪ませ、反撃どころか闘うことすら儘ならない状態だった。
痛みに気を取られている和生に対して、紅虎は容赦なく強烈な打撃を繰り出してくる。
そして何の抵抗もする暇もなく、紅虎の放たれた打撃が和生の顔面にクリーンヒットしてしまった。
……ドガッッ!!
紅虎の打撃を喰らった瞬間、口の中が深く切れてしまったのだろう。和生の口から鮮血が垂れ流れてくる。
「………ちっ! こんなもんで」
紅虎の打撃をモロに受けても尚、和生は気合いと根性でその場に踏み止まり、決して身体が倒れることはなかった。
しかし、和生は倒れはしなかったが、当たり所が悪かったのだろう。目に写る景色はどろどろに歪み、意識が徐々に薄れていくような感じがする。
「……やはりタフですね。常人ならまず、意識を断てるはずなのに」
もはや立っているのが精一杯なのにも関わらず、和生は最後の気力を振り絞って拳を固めると、腕を振りかぶって紅虎に殴り掛かった。
消耗した体力、蓄積されたダメージ、精神的による疲労から考えて、これが最後の攻撃となることは目に見えている。
だが、今から放とうとする和生の渾身の一撃も、紅虎からしてみれば欠伸が出る程に遅く、そして虫も殺せない程に弱い打撃としか見えないだろう。
「それなら、これはどうでしょう?」
それは和生が紅虎に向かって拳を振り下ろそうとした瞬間だった。
一体何が起こったのか、紅虎に向かって打撃を放つ直前、和生は何の前触れもなく地面に倒れ込んでしまう。
この時にはすでに意識が完全に失っているのだろう。和生は地面に倒れ込んでから、ピクりとも動く気配はなかった。
だが、和生が動かないのも無理はない。和生の脳は頭骨内で振動激突を何度も繰り返して、典型的な脳震盪の症状が起こっているのだから。当分目覚めることはないだろう。
「神速とでも名付けましょうか。 三ヶ所の急所に打撃を放ちました………とは言っても、もう聞こえていませんかね」
あまりにも速すぎて何が起こったのか全然わからなかったが、紅虎は和生の顎、喉、鳩尾の三ヶ所をほぼ同時に突いたのだ。
しかし、人間の反応速度では追い付かないスピードで打撃を放ったので、恐らく和生は一撃目で意識を失ったあとは、ダメージはともかく喉と腹部の痛みは全く無いのだろう。
こうして紅虎と和生、二人の組手に終止符が打たれた。
《~それから数十分後~》
組手が終わってから数十分が経った後、気を失っていた和生はようやく目を覚ました。
まだ組手でのダメージが残っていたのだろう。身体を動かそうとすると頭痛や目眩、疲労感などと言った症状に襲われる。
しかし、そんな症状に悩ませられながらも、和生はゆっくりと身体を起き上がらせて周りを見渡した。
どうやら意識を失って倒れた後、俺は紅虎な道場から連れ出されることもなく、その場でずっと眠っていたらしい。
「……ぐっ」
だが、和生の身体にダメージが残っていたのは、脳震盪による症状だけではなかった。
身体を少しだけ動かすと、喉と腹部に覚えの無い鈍い痛みが走り出した。
「なんだこの痛みは?」
不思議に思うのも無理はない。組手中に喉や腹部に攻撃を受けた覚えはないのだから。
何の抵抗もできずに気を失う直前、顎先に何かが掠ったような感覚は辛うじて覚えているが、それ以外は何をされたのか全くわからない。
それにしても紅虎の野郎、一体どんな技を使ってきたのか? 正直検討もつかない。
「ようやく目が覚めましたね」
それから和生が目を覚まして身体を起き上がらせると、近くで座っていた紅虎が声を掛けてきた。
「……何だ、いたのかよ」
もしかして俺が気を失っている間、紅虎はずっと道場にいたのか。 そうだとしたら、お人好しとしか言いようがない。
まぁ正直、今はそんなことはどうでもいい、それよりも紅虎に対して一つだけ聞きたいことがある。
「それで、俺の実力はどうだった? 正直、弱すぎて呆れてたんだろ?」
「いえ、そんなことはありませんよ。 強いて言うなら勿体無いと思いましたね。
もしも、もっと早く私と出会って、師弟関係になっていたら、今の数倍以上の実力になっていたでしょう」
「それはどうも、お世辞でも嬉しいよ」
だが、それが本人の本音なのか、それともお世辞なのかは正直なところわからない。
しかし、もしも俺が紅虎を師匠にしてたら、間違いなく兄貴と同等かそれ以上の実力を手に入れていたと確信ができる。
「ところで、少しだけご相談があるのですが、宜しいですか?」
「なんだよ?」
「実はこれからの事で、あなたに協力して貰いたいことがあるのですよ………」
そのあと紅虎は、自分が大和と本気で戦うために考えたある程度の計画を和生に対して説明をした。
こうして紅虎と和生の話し合いにより、大和の力量を図るための試練的な計画が組み立てられた。