古今西行寺恋奇譚〜恋愛と闘いの幻想物語〜   作:黒い小説家

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十四話 師弟対決 大和VS紅虎

 二時限に渡って行われた体力テストが終わり、教室でホームルームを済ませた後のこと。

 

 大和と幽々子の二人はカバンなどの荷物を持って、いつも通り逸早く教室を出ると、階段を降りてから昇降口に向かって歩いて行く。

 

 校舎の出入口である昇降口にたどり着くと、二人はその場で履物を履き替えてから下校をした。

 

 昨日と同様、特に寄り道もせず、そのまま真っ直ぐ家に帰宅する大和と幽々子。

 

 そんな帰宅途中、大和は幽々子に対して一つだけ気になることがあり、それをずっと一人で考え込んでいた。

 

(そう言えば幽々子さん、下校中どこかに寄りたいとか言ったことなかったよな?)

 

 普段なら好奇心旺盛で、現代の文化に興味を持っている幽々子だが、良く考えてみれば帰宅途中にどこかに寄りたいと言ったことがない。

 

 しかし隣で幽々子の様子を伺っても、どこかに行きたいと思わせる素振りは一切見せず。それどころか寄り道せずに帰宅することに何の不満も感じていないようにも見える。

 

(何でだろうな? 別に行きたい場所があるなら連れていってやるのに)

 

 もしかして学校で勉学に励んでいる俺のことを気遣ってくれてるのか? それとも単に興味を示すものがないだけなのか? その真相は本人でなければわからない。

 

 だが、どんな理由でも幽々子さんが俺のこと気遣う必要がなければ、我慢することはない。 この時代の文化に触れて、逸早くこの世界に慣れて欲しいということもあるからだ。

 

 それに、興味があるものや行きたい場所があるのにも関わらず、俺のことを気遣って幽々子さんが我慢していると考えると心苦しくて胸が痛む。

 

(……どうしようかな? やっぱりここは俺が寄り道に誘った方が良いのか? でも、それじゃあ幽々子さん遠慮しちゃうだろうし。やっぱ幽々子さん自らが寄り道したいって言うまで待った方が良いのかな?)

 

 そんなことを大和は内心で一人考え込んでいるだけで、幽々子に対して言葉にすることはなく。ただ時間が流れていくだけで進展することはなかった。

 

 その際、さっきから浮かない表情を浮かべながら一人で何かを考え込んでいる大和が気になったのだろう。 

 傍にいた幽々子はそんな大和の横顔を見ると、不思議そうな表情を浮かべながら大和に対して質問を問いかけてくる。

 

「ねぇ大和、さっきから浮かない顔してるけど、どうしたのかしら?」

 

「……えっ? あっ、いや……別になんでもないよ」

 

 不意にも幽々子に声を掛けられたことで大和は若干動揺を見せたが、すぐに落ち着きを取り戻して幽々子の質問に答える。

 

 しかし本人は何でもないと言うものの、幽々子は大和が嘘をついていることを即座に見破った。

 

 確かに今、大和は一人で何かを悩んでいた。その原因はわからないが、取り敢えず大和が何かの悩みを抱え込んでいることはすぐにわかった。

 

「本当かしら? 私には大和が悩んでいるように見えたんだけど」

 

「ホントだって、別に何も悩んでいないからさ、あはははぁ……」

 

 愛想笑いを浮かべながらも大和はそう答える。

 

 これでは、どれだけ問い詰めても大和が口を割ることはないと悟ったのだろう。

 幽々子は問い詰めることをやめると、その代わりに呆れた表情を浮かべて深くため息をついた。

 

「……はぁ~、わかったわ。今回はそういうことにしてあげる」

 

「そんな顔をするなよ幽々子さん、そんなことよりもさ、早く家に帰って飯にしようぜ」

 

「それもそうね、お腹空いたわ」

 

 一か八かで話題を変えてみたが、どうやら幽々子さんの機嫌が多少良くなったように見える。

 

 下校途中にそんなことを話しながらも、大和と幽々子の二人は歩いて草薙家に帰宅をした。

 

 

 

 

 《屋敷に帰宅後》

 

 

 

「ただいま~……って、誰もいるはずねぇか」

 

 玄関のドアを開けて家の中に入ってみると、そこには誰かの靴が綺麗に整えて置かれていた。

 

「大和、これって?」

 

「……あれ? なんで俺達以外の靴があるんだ?」

 

 もしかして泥棒が入ったのか? いや、それは決してないだろう。まず泥棒なら靴を脱がずに土足で家に入るだろうし、何よりも学校に行く前には屋敷中の戸締まりをしっかりと確認した。

 

 この靴が泥棒の物でないのなら、この屋敷を自由に出入りすることが出来る人は限られている。まず草薙家である俺と和生と兄の武尊、そして俺の師匠であり保護者のような存在である御巫紅虎ぐらいだろう。

 

 二人は履き物を脱いでから家に上がり、廊下を歩いて居間に来てみると。

 

「やっぱり、紅虎さんだったか」

 

「あら二人共、お帰りなさい」

 

 案の定、そこには大和の師匠である御巫紅虎がちゃぶ台を前に、座布団の上で正座をしながらお茶を楽しんでいた。

 

「この時間に紅虎さんがいるなんて珍しいですね、何か俺に用があるんですか?」

 

「いえ、特にこれと言った用はありません。強いて言うなら、お夕飯を作ってあげようと思って来ただけです。」

 

 まぁ、この人はかなりの気分屋で神出鬼没だし、どんな理由で家に来ようともあまり驚きはしない。

 

 それに気まぐれとはいえ、紅虎さん自らが料理を作ってくれるのはとても好都合なことだ。

 

 紅虎さんの料理はバリエーションが豊富なうえに味も最高に美味しい。恐らく幽々子さんも心から満足してくれるだろう。

 

 そんな時、何か用件でもあったのか、手に持っていた湯飲みをちゃぶ台に置いたあと、紅虎は一度態度を改めてから大和に話しかけてくる。

 

「ところで大和、一つお願いがあるのですが」

 

「俺に頼み事なんて珍しいですね、何ですか?」

 

 紅虎が自分に頼み事をしてきたことが余程珍しかったのだろう。 大和は若干驚いたような表情を浮かべてしまう。

 

「たいしたことではありません、ちょっと夕飯の買い出しを頼みたいだけです」

 

「それならお安いご用ですよ」

 

 すると、あらかじめ用意していたのか、紅虎はズボンのポケットから買い出しのメモを取り出すと、すぐに大和の前に差し出した。

 

「では、これが買い出しのメモです。 頼みましたよ」

 

「はい、わかりました。 それじゃあ今すぐ買いに行ってきますね」

 

 メモの内容を軽く拝見してみたが、走ればすぐにでも終わりそうな買い出しだった。 これなら幽々子さんを屋敷で待たせ、一人で買い出しに行った方が効率が良いだろう。

 

 早速、大和は夕飯の買い出しに向かうために、一人で居間から出ていくと、そのまま玄関に向かって走って行った。

 

「それじゃあ私も大和と……」

 

 恐らく大和と一緒に買い出しに行きたかったのだろう。 幽々子は自分も連れていって欲しいと言わんばかりに、大和を追いかけようとする。

 

「幽々子さんにはちょっと手伝ってほしいことがあるので、申し訳ありませんが残ってくれますか?」

 

 しかし、大和に続くように幽々子も居間を出ていこうとすると、側にいた紅虎に呼び止められてしまう。

 

「……えっ? えぇ、わかりました。でも、大和を見送らせてください」

 

「それは構いませんよ」

 

 紅虎から許可が降りた瞬間、すぐさま幽々子も居間を出ていき、先に玄関に向かっていった大和を走って追いかけた。

 

 そして玄関に来てみると、そこには靴紐を縛って出掛ける準備をしている大和がいた。どうやら見送りに間に合ったようだ。

 

 それに対して大和は、急いで玄関にやってきた幽々子に気が付くと、なぜ来たのかと言わんばかりに呆然とした表情を浮かべる。

 

「あのさ幽々子さん、俺すぐに帰ってくるんだし、玄関まで付き添ってくることはないだろ?」

 

「もう大和ったら、そんな冷たいこと言わないでよ。 あっ、もしかして私がいなくて寂しいのかしら?」

 

「頼むから変なことを言わないでくれ」

 

 そんなことを幽々子と話しながらも、大和は靴紐を縛り、履き終えると、その場から立ち上がって玄関のドア開ける。

 

「それじゃあ行ってくるから、大人しく待ってろよ」

 

「いってらっしゃーい」

 

 玄関で幽々子に見送られながらも、大和は夕飯の買い出しに出掛けていった。

 

 それから、大和が買い出しに出掛けて玄関からいなくなると、幽々子は少し寂しそうな表情を浮かべながら、ため息をついて居間に戻っていった。

 

「……はぁ~」

 

 からかって大和にはあんなことを言ったが、本当に寂しかったのは自分の方だった。

 

 正直なことを言うと、大和と一緒に夕飯の買い出しに行きたかった。 だけど、紅虎さんが手伝ってほしいことがあると言ってたから、仕方がなく屋敷に残ることにした。

 

 大和と一緒に買い物に行けなかったことが残念だと言わんばかりに、幽々子は寂しげに歩いて居間に戻っていった。

 

「それで紅虎さん、私に手伝ってほしいことは何かしら?」

 

 しかし居間に戻ってみても、さっきまでいた紅虎の姿はどこにも見当たらず、部屋はもぬけの殻になっていた。

 

「……あら、いない? どこに行ったのかしら?」

 

 幽々子が紅虎を探している最中、廊下から気配を殺して誰かが幽々子の背後に近づいてくる。

 

 それから、気配を消して気付かれずに誰かが幽々子の真後ろにやって来ると、そいつは幽々子の肩にゆっくりと手を乗せた。

 

 それに対して、背後から肩を掴まれた瞬間、幽々子は驚いた表情を浮かべていると、自分の背後にいる人物を確認するために、すぐさま後ろを振り向いた。

 

「……あなたは!?」

 

 

 

 

 

 

 《買い出しに行ってから数十分後》

 

 

 

 

 

「紅虎さん、買い出し行ってきましたよ」

 

 居間に来てみると、そこには紅虎どころか幽々子の姿すら見当たらなかった。

 

「……あれ? 誰もいない」

 

 恐らく紅虎さんは夕飯の支度をしてるからいないのだろう。それに日頃の行いから考えれば紅虎さんは出没自在な人だし、突然現れてはいなくなるのはいつものことだったから違和感はまったくなかった。

 

 しかし幽々子さんが居間にいなかったことに関しては妙な違和感を覚えていた。 

 

 多少好奇心旺盛とはいえ、幽々子さんが一人で屋敷の中を徘徊するとは到底ながら考えられない。 やはり俺がいない間に何か屋敷であったのか。

 

 居間に誰もいない代わりに、ちゃぶ台の上をふと見てみると、そこには一通の手紙のような物が置かれていた。

 

「なんだこれ? 手紙か」

 

 誰宛かは知らないが、とりあえず大和はちゃぶ台の上に置いてある手紙を手に取り、読み上げる。

 

 手紙の内容はこういうものだった。

 

『----我が弟子、大和へ。

 

 この手紙を読みましたら、道場へ来なさい。

 

               御巫紅虎より』

 

 どうやらこの手紙は紅虎さんが書いたものらしい。しかも宛先は俺だった。

 

 あの人は一体、何を考えてるんだ? これだと読まなかったら行かなくていいって事になるだろ。

 

 まぁ、だけど気になることが色々とあるし、とりあえず道場に行くか。

 

 

 

 

 《道場に移動後》

 

 

 

 

 

 道場の扉を開けて足を踏み入れた後、大和を待っていたのは目を疑うような光景だった。

 

 道場で待っていたのか、ここに来るように手紙で差し向けた紅虎、そしてその隣には幽々子を捕らえている和生がいた。

 

「……えっ?」

 

 紅虎さんがいるのは最初からわかっていたが、なぜ和生と幽々子さんがいるのか? それに何で和生は幽々子さんを取り押さえているのか。 わからないことが沢山あった。

 

「紅虎さん……それに和生も、一体何をしてんだよ?」

 

「あらあら、鈍い子ですね大和、この状況を見てわかりませんか?」

 

「悪いな兄貴、この女、幽々子は俺達が頂くぜ」

 

 あまりにも突然な出来事に、これがどうゆう状況なのか。そして、今の和生の発言がどうゆうことなのか、大和にはさっぱり理解ができなかった。

 

 それに不可思議に思ったことは、お互い関わりがあまりなかったはずなのに、なぜ和生と紅虎さんは幽々子さんを誘拐しようとしているのかだ。

 

 それから、到底のことながら飲み込めない状況に苦しみながらも、無い知恵を振り絞って大和が出した結論は。

 

「はっ、あははぁ…… わかった、これは俺を困られるための冗談だ。三人でグルになって大掛かりな冗談をしてるだけなんだ、そうだろ?」

 

「いいえ大和、これは冗談じゃないわ。 その証拠に、さっき紅虎さんが私に乱暴を……」

 

 さっき紅虎にやられたことを思い出したのだろう。幽々子は恥じらいのあまりに、顔を赤らめて目を背けてしまう。

 

 これは紅虎さんのいつもの冗談だと思った。冗談だと信じたかった。 だけど幽々子さんの恥じらいを含んだ表情を見て、そうもいかなくなった。

 

「それ本当なのか? ……紅虎さん、和生?」

 

「あぁ本当だよ兄貴、俺は側で見てたからな」

 

 どうやらこれは冗談でも大掛かりな悪ふざけでもなく、本当にこの二人は幽々子さんを連れ去ろうとしているらしい。

 

 だとすれば俺がやることはただ一つ。奪われる前にあいつらをぶっ潰して奪い返す。

 

「なぁ和生、俺達は長年苦楽を共にしてきた兄弟だよな? それなら……俺を怒らしたらどうなるか、わからねぇ訳ないよな?」

 

 まるで実の兄弟でも殺すと言わんばかりに、大和は気迫と眼で和生を威圧する。

 

 その際に、和生は大和に対して恐怖を感じたのだろう、重圧感と恐怖により和生の顔色は青ざめ、全身から冷や汗が出てくる。

 

 そして和生が闘う気力をほとんど削られ、精神的に追い込まれている最中、近くにいた紅虎が静かに口を開いてこう言った。

 

「それでは大和、私と差しで闘いなさい。 勝てば彼女を解放しましょう。ただし、負けたらわかりますよね?」

 

「望むところだ紅虎。てめぇだけは絶対に許さねぇ」

 

「そうです。その勢いで掛かってきなさい」

 

 幽々子に恥辱を与えたのにも関わらず、紅虎はまだ余裕を持った態度で師匠面をしている。

 

 込み上がる怒りを抑えながらも、大和は冷静に攻防が一体となった戦闘態勢(ファイトスタイル)を身構えて、御巫紅虎を迎え撃った。

 

(……いくぜ!)

 

 そして、大和は瞬きする暇すら許されない速さで距離を縮めると、紅虎の顔面に向かって左ジャブを繰り出してきた。先に攻撃を仕掛けてきたのは大和だった。

 

 しかし、先制攻撃とも呼べる大和の閃光のようなジャブを紅虎は紙一重で避けてしまう。

 

「ほう、なかなか速いですね、それに威力もある。まともに喰らえば、ひとたまりもありませんね」

 

 そう大和を評価をするように喋りながらも、紅虎はどこか余裕を持ってるような態度を取っている。

 

 これは単なるお世辞なのか、それとも本音で評価してくれているのか。正直なところ、どちらが紅虎の本音なのか全然わからない。

 

 だが今の紅虎で唯一わかっていることは、俺の攻撃をまったく危険と思っていないことだ。

 

「それが危険だと思っている態度かよ!?」

 

 次に大和は左ジャブからの右ストレート、ボクシングで言うワンツーを繰り出した後、相手の脇腹を目掛けて回し蹴りを入れた。

 

 だが、大和が繰り出したすべての攻撃をまるで見切っていると言わんばかりに、紅虎は華麗に難なく避けてしまう。

 

(……ちっ、一発も当たらねぇか)

 

 打撃も蹴りもすべて、手加減は一切せずに全力で繰り出した。しかし、まるで優雅に宙を舞う蝶のように攻撃を避けられてしまう。

 

 ここまでは大和が常に攻め込み続けているが、紅虎も回避や防御だけが能ではない。

 

「さて、今度は私の番ですよ」

 

 自分に向かって繰り出された攻撃をすべて避け終えた後、次はこちらが攻める番だと言わんばかりに紅虎は大和の喉元に向かって手刀を繰り出してくる。

 

 その瞬間、何か危険を感じ取ったのだろう。繰り出された紅虎の手刀を大和は本能的に避けた。

 

「……あぶねぇ!」

 

 辛うじて直撃は免れたものの手刀は頬を掠り、まるでカミソリで切られたような切り傷を負ってしまう。

 

(……刃物!?)

 

 刃物のような切れ味を帯びている程の紅虎の手刀、あれを喉に喰らったら間違いなく致命傷は免れなかっただろう。

 

 しかし紅虎の攻撃はたった一撃では終わらない。相手に反撃の隙を与えることなく、紅虎は正拳突きをがら空きになった大和の腹部に向かって繰り出してきた。

 

「なっ、正拳突き!?」

 

 これをまともに受けたら悶絶することは間違いないと思ったのだろう。大和は瞬発的に両腕で身体を守り、ガードをしっかりと固めた。

 

 そして、紅虎の正拳突きを喰らった瞬間、余程の威力があったのだろう、完全防御態勢に入っていた大和の身体が後ろへ少し下がってしまう。

 

「………ぐっ!」

 

 ガード越しでもはっきりと伝わるこの威力、恐らく紅虎は俺と同等がそれ以上の腕力を持っているのだろう。

 

「なるほど、防御も良好ですね、これを崩すのは至難の技でしょう」

 

 冗談じゃない。たった一発の正拳突きでガードがほとんど半壊してしまったのだ。 次にさっきのような一撃を喰らったら、ガードが確実に崩れるのは目に見えている。

 

「……ちっ!」

 

 そんな最悪な状況になる前にも、大和は苦し紛れに渾身の正拳突きを繰り出した。

 

 無論、苦し紛れに放った大和の正拳突きは、紅虎に当たるどころか、掠り傷一つ負わせることができなかった。

 

 だけど、避けられたからどうと言うのだ? そんなことは端からわかっていたことだ。別に当たるなんて微塵にも思っていない。

 

(……これならどうだ!)

 

 相手に反撃する隙を与えないと言わんばかりに、尽かさず大和は無呼吸連打を繰り出してきた。

 

 無呼吸連打、それは鍛え抜かれたアスリートの無酸素運動を凌駕する猛攻撃。 

 

 そして大和の無呼吸運動は三分間続き、その間だけは一瞬の間が空かない。故に相手は反撃する隙もタイミングも与えない。

 

 この猛連撃なら、いくら紅虎でも数発は当たるだろうと大和はそう思っていた。しかし。

 

 呼吸どころか瞬きする暇すら与えられない大和の無呼吸連打を、紅虎は素早く身体を動かして避け続けた。

 

(……ちくしょう! 一発も当たらないのかよ?)

 

 下手な鉄砲も数撃ち当たるだろうと考えていたが、どうやらそれは大きな間違いだったようだ。

 

 一発も当たらない。どれだけ無呼吸連打を叩き込んでも紅虎には掠りもしない。 これが実力の差と言うやつなのか?

 

 そして、右へ左へと縦横無尽に身体を反らして避けながらも、紅虎は涼しい表情を浮かべながら口を開いた。

 

「大和、あなたは強い……確かに強いです……ですが、その程度の攻防では私には勝てません」

 

 攻撃を素手で華麗に受け流した後、紅虎は親指と人差し指の付け根を使って大和の顔面、細かくは鼻と眉毛の間を強打する。

 

 虎口拳(ここうけん)、親指と人差し指の付け根を使って、縁道と呼ばれる鼻と眉毛の間を強打させる技。その効果は数瞬だが、視力と思考力が失われ、次の攻撃をまともに受けることになる。

 

「……っ!?」

 

 紅虎の虎口拳をまともに喰らった後。大和を待ち構えていたのは、これ以上にない最悪な状況だった。

 

 大和は視力と思考力を奪われると同時に、命綱であるガードすら下げてしまって、完全に無防備な状態になってしまう。

 

 そして一瞬の隙を見逃すことなく、紅虎はがら空きになった大和の腹部に向かって手のひらを添えた。

 

 大和が失われていた視力と思考力を取り戻した時には既に遅く、気付いた時には防御も回避も不可能な現状だった。

 

「……えっ?」

 

「破ッ!」

 

 念と言うのか気と言うのか、紅虎が手のひらを添えていた大和の腹部に力を込めた瞬間、大和の体内にとてつもない衝撃(インパクト)が送り込まれた。

 

 バットや木刀などの鈍器で殴られた痛みとは違い。まるで人体の急所の一つである鳩尾を抉られたような痛みが腹部全体に広がった。

 

「………ッ、ガハッ!」

 

 内蔵が損傷したのだろう。大和は少量ながら吐血すると同時に肺の空気を全部吐き出してしまい。さらに最悪なことに呼吸困難に陥って息ができなくなってしまう。

 

「……ぐっ! あぁ……あがっ……」

 

 腹部の痛みと呼吸ができない苦しみに大和は苦痛に満ちた表情を浮かべながら両手で腹部を押さえると、両膝を付いて踞ってしまう。

 

(……何だ今のは? 一体何が起きたんだ?)

 

 紅虎が繰り出した今の技は一体なんだ? あんな技があるなんて、師である紅虎から教えられたことがなければ、今まで見たことがない。

 

 敵を前に身動が取れない状態に陥る大和、紅虎からしてみれば相手を仕止めるにはこれ以上にないチャンス。

 

 だが、紅虎はあえて攻撃を仕掛けることはなく、ただ踞っている大和を見下すだけだった。

 

「流石ですね大和、普通の人間なら苦痛のあまりに失神する程の発勁(はっけい)に耐えるとは、やはり日々の鍛練を怠っていない証拠ですね」

 

 発勁とは中国武術に伝わる技術の一つである。発勁には寸勁や浸透勁、鎧通しなど様々な種類があり、流派によって、その威力や効果は異なる。

 

 今さっき紅虎が使った発勁は、人間の肉体を水と言う考えを中心とした中国武術北派の技。

 

 本来ならこの水分は外からの衝撃を吸収してくれるのだが、北派はその水分を逆利用して、体内に強いショックを伝えることにより、内臓等に深いダメージを与える、えげつない技だ。

 

「しかし……いくら気を失わなかったとはいえ、闘いの最中に跪くとは……到底のことながら感心できませんね」

 

 すると何を思ったのか、闘いの最中に紅虎は大和に背を向けると同時に、幽々子と和生がいる場所へと近づいていく。

 

「それに、まだ貴方は本気を出すことを躊躇っている。 ならどうすれば本気で私と闘ってくれるでしょうか? それはとても簡単な事です」

 

 その言葉を聞いた瞬間、大和はとてつもない悪寒を身体中で感じると同時に、何か不穏な予感を覚えた。

 

 何故かわからないが、今から実行させるであろう紅虎の次の行動がまるで手に取るようにわかる。 それも俺が決して望まない最悪な出来事だ。

 

「……まさか? ……嘘だろ?」

 

 不幸にも大和の嫌な予感は当たり、紅虎は幽々子を前にゆっくりと平手を振りかざした。

 

「やっ、止めろッッ!」 

 

 しかし大和の悲痛の声は紅虎の耳に届くことはなく、そのまま振りかざした手を幽々子に向かって。

 

………パシィーン!!

 

「………キャッ!」

 

 理不尽にも紅虎は何の罪もない幽々子の頬を思い切り平手で引っぱたいた。

 

 幸いにも顔が痛々しく腫れ上がることはなかったが、叩かれた幽々子の頬は少し赤くなってしまう。

 

「どうですか大和? これで本気を出す気になれましたか?」

 

 幽々子を引っ張たいた事に対して、罪悪感どころか、まるで何も感じていないと言わんばかりに、紅虎は冷酷な表情を浮かべながら大和を睨みつけた。

 

………プツンッ!

 

 幽々子が平手を受けた瞬間、大和の中で何がぷつりと切れてしまった。 

 

 自分の何が切れたのかはさっぱりわからない。しかし、唯一わかることは絶対に切れてはいけない、何か枷のような物が切れてしまったと言うこと。

 

「こっ…紅虎てめぇ!!」

 

 絶対に許さない。殺してやる。必ず息の根を止めてぶっ殺してやる。 そんな言葉で大和の頭の中はいっぱいになっており、腸煮えくり返って理性の枷がほぼ外れている状態に陥っていた。

 

 その最中、怒りや殺意によるものなのか、理性が半分吹き飛んだ変わりに、腹部の苦痛は完全に取り払われ、肉体には今までに感じたことがない力が溢れてくる。

 

 そして殺意と怒りに満ちた雰囲気を漂わせて、大和はその場から立ち上がると、狂気に満ちた表情を浮かべながら紅虎を睨み付ける。

 

「紅虎っ! てめぇだけは絶対に許さねぇ! 生きて帰れると思うなよ!」

 

 それに対して紅虎はどこか余裕を持った態度をみせると同時に、冷静に涼しげな表情を浮かべている。

 

「そうです大和、それで良いのです。 さぁ、私を殺す気で掛かってきなさい」

 

 そう言い終えた瞬間、一体どのタイミングで間合いを詰めてきたのか、気付いたときには既に、大和は紅虎の懐の潜り込んでいた。

 

「……いつの間に!?」

 

 不覚にも自分の懐に潜り込まれたことが予想外の出来事だったのだろう。流石の紅虎も驚いた表情を浮かべてしまう。

 

 気配を殺して、況してや音風を立てずに高速に近いスピードで移動する脚力。 常人ならまず、大和の存在に気付くこともなく、そのまま攻撃を食らってしまうだろう。

 

 だが、その時の紅虎のガードは極めて緩みきっており、その隙を突いて大和はガラ空きになっていた紅虎の脇腹を目掛けて横蹴りを繰り出した。

 

「オラァ!!」

 

 この至近距離では避けるのは不可能、しかし、まともに喰らったら無事ではすまないと思ったのだろう。紅虎は腕を盾にして蹴りを受け止め、身体を守ろうとするが。

 

 蹴りを間一髪でガードしたのにも関わらず、紅虎の身体は横へ『く』の字のように曲がってしまう。

 

「………うっ! これは!?」

 

 蹴りの威力を受け止めきれず、身体にダメージを負ってしまったのだろう。流石の紅虎も辛そうな表情を浮かべてしまう。

 

 これが本気を出した大和本来の力なのか、先程とは比べ物にならないほどの瞬間力と破壊力だ。 常人がまともに喰らったら絶命は免れないだろう。

 

 それから、紅虎の防御と態勢が崩れると、その隙を一瞬足りとも見逃さずに大和は怒濤の猛連撃(ラッシュ)を繰り出してくる。

 

(……これは無呼吸連打? いや、違う。この連打は?)

 

 さっきの闇雲に殴り続ける無呼吸連打とは違い、今放つ大和の打撃は小さく、そして鋭く、確実に急所のみを連打で突いてくる。

 

 なんと素晴らしい、そして、なんと恐ろしい技術を大和は身に付けたのだ。実に理に適った打撃だった。人間を撲殺するための。

 

 完全に殺しに掛かってきてる大和の打撃、並みの人間どころか一流の武術家でも死に至るだろう。しかし、紅虎はこんなことで終わる器ではない。

 

 ガードが崩れている状態から瞬時に態勢を整えると、間一髪のところで大和の打撃を避けたり、受け流し続けた。

 

 しかし、紅虎は焦りと驚きが混ざりあったような表情を浮かべながらも、どこか嬉しそうにしているようにも見えた。

 

「素晴らしい! パワー、スピード、反応速度、技術、耐久力、どれを取っても近代格闘技の最高水準を容易に超えています」

 

 この時の大和は、身体能力、反射神経、技術、どれを取っても一流の運動家(アスリート)や達人レベルの武術家を容易に越えている。

 

 だが、その中でも驚異的だったのが、怒り狂って理性が半分吹き飛んでいるのにも関わらず、精密な機械のように急所を確実に狙ってくる正確さだ。

 

「……喰らえっ! 喰らえっ! 喰らえぇっ!」 

 

 まるで狂ったように、紅虎に向かって一心不乱に急所を殴りに掛かってくる大和。

 

 この有り様だと、どれだけ怒り狂っているのか、大和の表情や姿を見れば一目瞭然だろう。

 

 だが紅虎は自分の弟子に殺されそうになっているのにも関わらず、冷静に平然とした表情を浮かべながら口を開いた。

 

「ですが、もうそこまでにしましょう」

 

 反撃の隙が皆無同然なのにも関わらず、紅虎は攻撃を避けてから大和の懐に潜り込むと同時に、目では追えない程のスピードで顎先に打撃を打ち込んだ。

 

「……あっ?」

 

「これで勝負ありです」

 

 顎先に打撃が当たった瞬間、自分の意思とは別に大和は膝から崩れ落ちると、そのまま地面に倒れ込んでしまう。

 

「なに……が……起きた?」

 

 地面に身体を叩きつけられた事によって理性を取り戻すと、大和は自分自身が地面に倒れていることにようやく気がついた。

 

 そして理性を取り戻した時にはもう、大和の目に写る景色はどろどろに歪んでおり、到底の事ながら立ち上がれる状態ではなかった。

 

 だが、立つことすら儘ならない状態に陥っても、目の前を見てみると、そこには憎い紅虎が俺を見下ろしている。 

 

「てめぇ紅虎……このやろう……」

 

 足がガタガタと震えて自分の思い通りに動かないのにも関わらず、大和は根性と意地で立ち上がると、身体をふらつかせながらも紅虎に立ち向かっていく。

 

「くらい……やがれ……」

 

 それから大和はふらふらになりながら、ゆっくりと拳を振りかぶると、紅虎に向かって殴り掛かる。

 

 しかし、大和の身体は立っていることが奇跡そのもの、もはや閃光のように速く、そして殺人的威力を誇る打撃を打てる体力も力もない。

 

 今放った大和の打撃はスローモーションのようにゆっくりで、人間どころか虫一匹すら殺せない非力な打撃だ。

 

 そして、避けるまでもないと思ったのだろう、紅虎は自分に向かってゆっくりと飛んでくる大和の拳をしっかりと受け止めた。

 

「………へへっ」

 

 最後の力を振り絞って打撃を繰り出した後、大和は完全に力尽きてしまったのだろう、そのまま膝から崩れ落ちてしまう。

 

 しかし何を思ったのか、力尽きて倒れそうになった大和の身体を、目の前にいた紅虎が優しく受け止めた。

 

「大和、あなたは十分に頑張りました。だからもう闘わなくていいんです」

 

 紅虎の言葉があまりにも予想外のことだったのだろう。一瞬驚いた表情を浮かべた後、大和はどこか満足そうな顔を浮かべながら意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

《~それから数時間後~》

 

 

 

 

 一体、気絶してからどのくらい時間が経ったのだろう。

 

 あまりにも速すぎて紅虎に何をされたのかもわからないまま、大和が深い眠りに就いてからかれこれ数時間の時が経った。

 

 そして、ようやく意識を取り戻して目を開けてみると、最初に大和が目にしたものは幽々子の心配そうな顔だった。

 

 俺の仰向けになってる体勢や後頭部に触れている優しく柔らかい感触から考えて、どうやら幽々子さんが膝枕をしてくれていたようだ。

 

「……あれ? 幽々子…さん?」

 

 何で紅虎と和生に捕らわれていた幽々子さんが俺に膝枕をしてくれているのか? 

 俺は紅虎に負けたはずなのに、なぜ幽々子をそのまま拐っていかなかったのかなど、大和の中では不自然に思うことが色々あった。

 

 それから、まさかと思って大和は上半身を起き上がらせた後に、周りを見渡してみると、目の前には和生と紅虎が座って寛いでいる姿が見えた。

 

「紅虎、それに和生! まだいやがったのか!?」

 

 さっきまで闘争心の欠片も無く安らかに眠っていたのに、二人の顔を見た瞬間には牙を向ける獣のように大和は威嚇をしてくる。

 

 それに対して紅虎と和生の二人はお互いの顔を見ながら呆れたような表情で溜め息をついた。

 

「あらら……兄貴はまだ俺達を恨んでるらしいですよ紅虎さん、どうしますか?」

 

「どうやら私の話を聞いてくれなさそうですね、では幽々子さんから説明をお願いします」

 

 紅虎がそう言うと、幽々子は二人に襲い掛からないように大和を背後から優しく抱き締めながら今までのことを説明した。

 

「ごめんなさい大和、これは貴方の試練みたいなものだったのよ」

 

「……はぁ? 試練?」

 

「えぇ、紅虎さんが本気になった大和の力量を知りたいから、私に『演技をして欲しい』と頼まれたのよ」

 

 最初は試練とか何とか言われても、どうゆうことなのかさっぱりわからなかったが、話しを聞いていく度に今まであった出来事の意味がようやくわかってきた。

 

「ってことは……今までにあったこと全部」

 

「そうです大和、闘い以外は全て演技のようなものですよ」

 

 何かを悟った表情を浮かべながら大和がそう言うと、今度は紅虎が喋りだした。

 

 つまり最初から三人はグルで、これまでの和生や紅虎の度が過ぎた発言や行動は全て俺を怒らせるためのものだったのか。

 

「でもよ幽々子さん、紅虎さんに思いきり叩かれてたよな?」

 

「大丈夫よ、あれは音だけで別に痛くなかったわ」

 

 つまりビンタの音が大きかっただけで、幽々子さんはほぼ無傷だったのか。まさか紅虎さんがそこまで考えてくれているとは思っていなかった。

 

 すると幽々子が無事で安心でもしたのか、大和は身体の緊張と力みが一気に抜けて、思わずほっとしてしまった。

 

 それから大和が安心していると、その際に紅虎は穏やかな表情を浮かべながら和生と幽々子に対してこう言った。

 

「悪いですが二人とも、少し大和と話があるので席を外して頂けませんか?」

 

「別に構いませんよ」

 

「えっ? えぇ……」

 

 多少疑問を抱きながらも幽々子と和生の二人は大和と紅虎を置いて道場から退出していった。

 

「さて大和……」

 

 すると一体何を思ったのか、紅虎は険しい表情を浮かべた瞬間、何の前触れもなく大和の頬を思い切り引っ張いた。

 

 いくら師匠とはいえ、理由も無く頬を叩くのはあまりにも理不尽、普段の大和なら完全にぶちギレていただろう。

 

 しかし、今回の大和は怒る気配は一切見せず、それどころか寧ろ暗い表情を浮かべていた。

 

「私があなたを叩いた理由、それがわからないとは言いませんよね?」

 

「……はい、わかっています」

 

 紅虎さんが俺を叩いた理由、わからない訳がなかった。何を隠そう、それは自分自身が一番知っていることなのだから。

 

「では聞きますが大和……あなた何故、初めから殺す気で闘わなかったのですか? まさかと思いますが、知人だからと躊躇いましたか?」

 

「……………はい、その通りです」

 

 闘う意思はあっても、自分を強く育ててくれた師匠を殺すのには躊躇いがあった。だが、幽々子さんが傷付いた時は別だ。あのときは本気で紅虎さんを殺しに掛かろうとしていた。

 

「良いですか大和、惚れた女性を人質にする相手が例え肉親や親友でも、殺す気で…いえ……躊躇い無く殺しなさい」

 

 その時の紅虎の態度は強い言葉を使って冷酷非情に振る舞っていたが、それ同時にどこか悲しそうにも見えた。

 

「では、今から私は夕飯の支度をするので、先に失礼します」

 

 そう言うと紅虎は歩いて道場を出ていき、道場にいるのは大和一人となった。

 

 紅虎がいなくなったあと、大和は深い溜め息をついてからこう言った。

 

「躊躇い無く殺せか……… 俺はそんな事ができるほど強くねぇよ」

 

 そう一人で呟いた後、暗い表情を浮かべながら大和は数十分の間、道場で一人考え込んだ。

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