古今西行寺恋奇譚〜恋愛と闘いの幻想物語〜 作:黒い小説家
夕日はほぼ沈みかけており、薄暗くなった空には星々が昇っている。
実戦稽古を終えて、さっきまで白帯を腰に巻いていた少年が更衣室で普段着に着替え終えると、武道場の出入り口から薄暗い外へと歩いて出てきた。
少年は黒髪のナチュラルショートウルフ、瞳は黒色、少し幼顔だが整った顔立ちをしている。
身長は180㎝以上あり。服装は黒いスポーツウェアに動きやすそうなジャージを履いている。
建物の前で屈伸運動などの準備運動をすると、これから何かに取り組もうとしている。
実戦稽古を終えた直後だと言うのにも関わらず、まだまだ体力や気力が有り余っていると言わんばかりの様子だ。
「ちょっとロードワークしてから帰ろっか」
と、言ってはいるが、少年の言うちょっとの距離は数十キロ以上の事であり、並みの人間からしてみれば長距離マラソンをするようなものである。
しっかりと準備運動を終えると、少年は大地を蹴り上げて走り出した。 途方も無いロードワークの始まりである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
もうすぐ十キロほどの距離を走ったところか、少年は呼吸を乱さなければ、走るペースも落としておらず、まだまだ余裕だと言わんばかりだ。
それも無理はない、かれこれ十年近くは続けているのではないだろうか、馬や牛のよう毎日毎日走っていたので、十キロ程度の距離を走ることなんて苦痛でもなければ造作もない。
その気になればフルマラソン(42.195km)の距離を全力疾走して完走することができるのだから。
「はっ……はっ……はっ……」
呼吸を整えながら順調にロードワークをしている最中、公園前を横切ろうとしたところ、薄暗い公園の真ん中で妙な光景を目にする。
遠くからだったので詳しい事情は知らないが、スーツを着た中年の男性が四人の不良達に殴る蹴るなどの暴力を振るわれていたのだ。
「………」
一見、少年の態度は無愛想にも見えるが、内心では不良達の所業を許すことができず、感情は怒りで満ちており、このまま黙って見過ごす訳にはいかなかった。
「……しゃあねぇ」
見ず知らずとはいえ、明らかに困っているおじさんを助けに行こうと言わんばかりに、少年はその足で自ら不良達のいる公園へと向かった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
場所は変わり公園の中心。
周りには草木や街灯などしか見当たらず、人は不良とおじさん以外はいなかった。
殴る蹴るの殴打を繰り返し、暴言を吐き散らしながらおじさんを恐喝をしていた。
「おいジジイ、さっさと財布出せよ」
「そうそう、痛い目に会わないうちにな」
自分よりも力の劣るおじさんを脅し痛め付け、不適な笑みを浮かべて歓喜する不良達、自分達を強者と思い上がっているようだ。
しかし、不良達の傲慢な態度と思い上がりはそう長く続くことはなかった。
突然現れた少年が一人の不良の肩を掴むと同時にこう言った。
「そこら辺で止めとけよ」
突然声を掛けられ、更に肩を掴まれたことに不快感を感じたのだろう。
不良は振り向くや否や、怒ったような口調で少年に話し掛ける。
「なんだてめぇ? 何の用だよ?」
「お前らの愚行を止めに来たんだよ」
「頭沸いてんのかお前? この人数を相手に一人で挑むとかバカかよ」
相手は四人でこちらは一人、素人目で見れば少年が不利に見える。
だが相手が多数であっても少年は平然と落ち着いており、まるで勝機があると言わんばかりに余裕な態度をしている。
「おいおっさん、ここは俺に任せて、さっさとこの場から逃げなよ」
「あっ、ありがとう、恩に着るよ!」
そう少年に言われると、腰を抜かしながらもおじさんはその場から必死に逃げ出した。
少年の言動によって、獲物であるおじさんを逃げたことによほど気に食わなかったのだろう。主犯格だと思われる不良は怒り顔を露にしながら少年の胸ぐらを掴み上げる。
しかし、どんなに威嚇されようとも少年は微動だにしない。まるで相手は自分よりも格下だと見下していると言わんばかりに、冷めた眼差しを向けるだけだった。
「てめぇこの野郎、俺たちの獲物逃がしやがって、何のつもりだ!?」
「みっともねぇからに決まってんだろ、こんな事やって恥ずかしくないのか?」
「このヤロウ、嘗めやがって」
短気だと言うこともあるが、少年の態度や発言に余程腹を立てたのだろう。不良はぶちギレれると拳を力強く握り締め、少年の顔面を力一杯殴った。
そして強烈な打撃音が響くと同時に、ミシッと骨が軋んだような音がした。
普通ならば、顔面を殴られた少年の骨から響いた音だと思うはずだろう。
「………ッッ!?」
しかし事実はその真逆、殴り掛かったはずの不良が右手を抱えて踞り、悲痛に満ちた表情をする。
恐らく拳が壊れたのだろう。この様子だと拳の痛みで喧嘩をするどころではなく、完全に戦意喪失してしまっている。
「意外と良いパンチ持ってんじゃん」
それに対し、殴られた側の少年は何事もなかったかのように平然としており、微塵のダメージも負っていない様子だった。
「この野郎、なにしやがった今?」
「教えてもわかんねぇことだよ」
仲間の仇を取ろうと言わんばかりに、別の不良が怒りに任せて少年に殴り掛かった。
しかし不良の単調で大振りな打撃を少年は軽やかに難なく避け続ける。
「はぁぁ………はぁぁ………はぁぁ……」
数分も経過せずに不良の体力が尽き、呼吸が乱れ打撃にキレや威力が無くなると、その隙を突いて少年は反撃をする形で攻撃に出た。
「……シュッ……シュッ!」
左ジャブからの右ストレートと、スムーズに流れるように、そして肉眼では捉えれないほどの速さで、ボクシングで言うところの『ワンツー』を不良の顔面にお見舞いした。
攻撃をまとも喰らった不良は意識を完全に断たれ、何が起きたのかわからないまま、その場に倒れ込んでしまう。
周囲にいた男達も同じだった。あまりにも速すぎた出来事に、仲間が何故倒れたのかさっぱりわからない状態だった。
「何だ今の動き!?」
「まさかボクシングか!?」
理由があるとはいえ、凶器とも呼べる拳をボクサーが素人相手に使うのは決してやってはいけない行為であろう。
しかし少年からしてみれば何の問題もなかった。それは何故か、理由は明白、そもそもボクサーではないからだ。
「ほら、やる気あるなら来いよ」
「クソが、舐めんじゃねぇ!!」
不良は少年の胸ぐらを両手で掴み上げ、取っ組み合いで勝負に挑む。 しかし。
まるで巨大な大岩を相手にしているのではないかと思ってしまう程に少年の体は非常に重く、本気で力を振り絞って動かそうとしても微動だにしない。
(何だこいつ? 重すぎて全然動かねぇ!!)
「だらしねぇな、もっと腰に力を入れろよ」
そう言って少年は不良の両手を強引に振り払う。
そして右手で胸ぐらを、左手で左腕を掴み挙げると、少年は素早く後ろに振り向いて不良を背負い、そのまま地面に向かって叩きつけるように放り投げた。 柔道の投技の手技16本の一つ『背負い投げ』である。
地面に叩きつけられたことで周囲に鈍い音が響き渡り、それと同時に不良の脳は運が悪くも脳震盪を引き起こしてしまい、そのまま意識を失って気絶してしまった。
「悪いな、俺はボクサーでも柔道家でもないんだよ」
独り言のようにそう呟いた後、最後の一人となった不良の方に目線を向けて、鋭く睨み付けながらこう言った。
「次はお前だ、かかってきな」
「ひぃっ! うわぁぁぁぁっ!!」
恐怖のあまりに身動きが取れなくなった仲間を置いて一人逃げていく男。どうやら少年の圧倒的な強さを理解してしまい、自分がやられる前に逃走を図ったのだろう。
だが、少年は逃げる男を追いかけようとする気配はない。
「ったく、やる気がねぇなら最初から逃げろよ」
愚痴を言いながら周りを見渡してみると、そこにはさっき逃がしたはずのおじさんが木陰に隠れながらこちらの様子を見ていた。
「何だよおっさん、まだそこにいたのか」
喧嘩していた時は冷酷で威圧感のある人物に見えていただろう。しかし今の少年を見てどうだろうか、穏やかでとても親しみそうな人物に見える。
悪い奴ではないとわかった途端、おじさんは笑顔を浮かべながら木陰から出てくると同時に、少年に向かって話しかけてくる。
「いやぁ~ 君の事が心配でつい」
「カツアゲされてた奴が言えることかよ」
まぁ無事でほっとした。 逃がしたおじさんが別の場所で、また不良とかに絡まれてカツアゲされていたら、俺の助けが無意味になっちまうからな。
その後、何を思ったのか、おじさんは懐から財布を取り出して数枚ほどお札を引き抜くと、少年の前にお金を差し出してきた。
「これ、少ないけど受け取って」
「んなのいらねぇよ、そんなことのために助けたわけじゃねぇからな」
差し出されたお金を受け取らずに押し戻すと、少年はこの場から離れようと、おじさんに背を向けて走り出そうとした。
「じゃあな、おっさんもこいつらが目を覚まさない内に、さっさとこの場から離れた方がいいぜ」
「待って、せめて名前を教えてくれないかい?」
少年が走り出そうとする寸前、おじさんは少年を呼び止めて名前を聞こうとする。
「名乗る程の大した者じゃねぇよ、偶然通りすがった普通のガキだ。」
そう言うと少年は即座に転身すると、数秒も経たずにその場からいなくなってしまった。
「あんな強くて優しい若者がいるとは、世の中捨てたもんじゃないな」
弱者を痛みつけて悪行を働く悪人もいれば、弱者を助けるために身を投じて闘う善人もいる。おじさんは今日それを肌身で感じた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
喧嘩を終えてから何を思ったのか、さっきと比べて少年の走るペースがかなり速くなっていた。
相手が強気だった割には、あまりにも脆弱で相手にならず、満足できるような戦闘をする前に不完全燃焼で終わってしまったからだ。
武道場で闘った黒帯のあいつと比べれば、あの不良四人なんてまったく話にならなかった。 いや、比べることすら
「……はぁ……はぁ……はぁ……」
人を助けたのは、別に正義の味方とかヒーローとかに憧れてもいなければ、金品や品物などの礼を貰うために人助けをしている訳ではない。
ただ自分よりも弱い者を何の意味もなく痛め付けたり、金を巻き上げたりする奴のことが純粋に許せないだけだ。
そんな奴等を見ていると、怒りがマグマのように沸々と自分の中で沸き上がってきて、ただ見過ごす訳にはいかなくなる。
特に今回のような威勢だけ良くて喧嘩が滅法弱い奴は見ているだけで怒りが込み上げてくるのは勿論、更にそんな奴等を真面目に相手にする自分が情けないと思ってしまう。
(……ちっ、半端な喧嘩したからな、これじゃあ不完全燃焼だ。 もうちょっと走ってから帰るか)
軽く呼吸を整えると、少年は走るペースを一気に上げて、夜道を駆け抜ける。
完全燃焼する前に終わってしまった喧嘩の穴埋めのため、少年は燃え滾る闘志が収まるまで、これから何十キロと果てもなく走り続ける。
この少年の名は