古今西行寺恋奇譚〜恋愛と闘いの幻想物語〜 作:黒い小説家
夢――夢を、見ていた。
心地よいゆりかごに揺られて、意識が船を漕ぐ。
淡紅藤にいろどられた揺籃の匣。
まるで赤子をあやすような穏やかな揺れが、
ひどく――――心地良い。
ガタンゴトン。
――――と。
音が、する。その音が何なのか、目を開けた。
うすらぼやけた輪郭が、徐々に形をなしていく。
視界に入った少女の横顔。視線の先籠の外に向かっている。
ならうように向けた視線の先は、流れる景色。
揺藍の匣からみた風景は、何かを想起せずにいられない。
(ああ、気持ちいいなぁ。ゆらゆらして)
ん? あれ? なんで揺れてるんだろう。
徐々に意識がはっきりしてくる。
「………あ、れ?」
声をあげた。午睡からの目覚め。
そして、
「あら? 起きた?」
優しい響きを含んだ音色が聴こえた。
何かを包みこむような、淡い温もりを感じる陽光に。
どうやら俺は、うたた寝していたらしい。
しかも立ったまま。我ながら器用だと思う。
「……ここ、どこだ?」
「んー、わかんないけど、
『えー、次は、七条、七条です』って聞こえたわ」
「悪い、寝ちまってた。ってか、声真似うめぇなおい」
「えっへん」
何そのドヤ顔。しかも微妙に胸を反らして。
揺れたのは車内か胸か。どっちでもいいけど。
進行方向を見ると、間もなく地下に入るようだ。
「あら、外の景色が」
「ああ、こっからは地下になるからな」
「残念……。でも、すっごく楽しかったわ!
自分の力で移動せず、乗り物に乗るって初めてよ!!
流れる景色も、どこか風情がある感じで気にいっちゃった」
「そっか、それは良かったな」
どうやら電車がお気に召したようだった。
やがて吸い込まれるように、電車が駅のホームに到着した。
――祇園四条駅
「んー……、とりあえず、まずは軽く腹ごしらえか。
これから色々歩くし。のども渇いたし」
「ええ♪」
言って、幽々子は歩き出した。
「おい、幽々子さん」
「あら、なぁに?」
幽々子は振り向いて、
「悪いが逆方向だ。そっちじゃねぇ」
「――っ!? し、知ってるわよっ!」
びくり、と全身が硬直したように固まった。
いや、絶対適当に歩きだしたから知ってるはずはない。
「……まぁ、いいけどな。ほれ、ついてこい」
「……しってるもん。いじいじ」
聞こえないフリをしておこう。妙に可愛いし。
(って、何を考えてるんだか……)
祇園四条駅を出て、目の前の四条通りを東大路通り方面へ。
東大路通りにぶつかる交差点には朱色の大鳥居。
八坂神社がそこにある。
東大路通りをそのまま北上すれば知恩院。
南下すれば清水寺へ。八坂神社を抜けた奥には、
円山公園から知恩院にもつながっている。
さて、悩むところ。
祇園の夜桜で有名な、円山公園の枝垂桜は絶対見ておきたい。
それに、知恩院や高台寺も桜がいっぱいだ。
どうせなら―――
「ねぇねぇ、休憩しないのー?」
うん、こっちはどういうルートで巡ろうか考えてるんだから、もう少し待てと言いたい。
言いたい。小一時間問いつめたい。
「ああ、じゃあ先に休憩出来そうで店の多い清水方面から行くか」
「わーい。早くっ! 早くっ!」
「だから、人多いんだからゆっくり歩けっての!」
「うふふ、な〜にた〜べよ〜♪」
聞いちゃいない……。
「やれやれ……」
人ごみは好きじゃないけど、しかたない。
前を歩く幽々子の表情が、楽しそうだったから。
だから、まぁいい。多分。嫌な予感はするけど。
茶碗坂―――
清水寺までつづく清水新道―――
多くの観光客が訪れ、清水寺を目指す道。
年がら年中人ごみにあふれ、両脇には所狭しと店が立ち並ぶ。
桜の季節。京都の観光名所の代表格。
まぁ、ようするに。
「人がゴミのようだ……」
幽々子は呆然と呟いていた。
はい、そのネタアウトー!
「そりゃ京都の代表的な観光地だからな清水寺は。
外国人観光客とか、
季節によっちゃ学生どもの修学旅行スポットだし」
だから、わりととんでもない状況になることもしばしば。
さらに言えば桜の季節は、
特に県内、県外からも多くの花見客で賑わう名所の一つ。
「そーなのかー」
なんだその妙な言い方。訳分からんぞそのノリ。
「ま、とりあえずそこの茶店入ろうぜ」
茶店に入り、一息ついてこの後の観光場所を調べつつ、
その間、幽々子には軽くお茶と団子とかでマッタリしてもらおう。
「うん♪」
そして、
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
店員が手馴れた営業スマイルで注文を取りに来た。
「これ全部ください」
「はい、かしこまりました。団体一名様ご案内〜♪」
お辞儀をし、去っていく店員。
無駄がな無く、自然で手馴れた対応。
多数のお客が訪れる観光地で営業しているため、
慣れたものだ。
「いや、俺もいますからね?」
と、突っ込んだ時には店員はいなかった。
って待て。今なんて言ってた?
「―――幽々子さん?
今店員になんて言った?」
「うん? ここの奴を全部頼んだだけよ?」
ああ、全部ね。オーケーオーケー。
びっくりした。全部美味しそうだもんな。
「ってまった。何を頼んだって?」
「……?」
そういうと幽々子は惚けたような表情を浮かべる。まーたこの表情かよ。
「『……?』じゃなくて、何頼んだって訊いてるんだが」
「だから全部って言ったじゃない。
私何かおかしいこと言ったかしら?」
……あれ? 俺なにか間違ったっけ?
いや、まぁ食えるなら良いけど、全部っておい。
「いや、まぁ好きにしてくれ……」
「お茶菓子〜、お団子〜♪」
食べ物ぱぁうわーは偉大。食の神様万歳。
「お抹茶〜♪ あんみつ〜♪」
「………」
いや、もはや何も言うまい。
幽々子がこれ以上ないほど、満面の笑みだったから。
そんな笑顔を見ていると何も言えなくなる。
自分自身、美味しい物を食べていると頬も緩むし
幸せな気分にもなる。それは分かる。
だけど、並んだ注文の山を見たら流石に……
「いっただっきまーす♪」
「お、おう、いただき、ます……」
ひょいぱく、ひょいぱくと。
早い訳じゃない。けれど、
「美味しい〜♪」
と、笑顔を浮かべながら悦に浸かる。
幽々子の辞書に限度という単語は存在しないみたいだ。
「〜〜〜♪」
ま、いいか。美味しそうだし。
最初に立ち寄った茶店だけで、諭吉が飛んだけど。
だ、大丈夫。まだ大丈夫!
念のため諭吉軍団は召集済みだし!
「ねぇねぇ、次は何を食べるのー?」
「お、おう……」
これが悪夢の始まりだった。
「まぁ適当にな」
としか言えなかった
人波の嬌声に負けず劣らず聞こえる店員の声。
四方八方から聞こえるたびに、吸い寄せられる幽々子。
その度に、野口英世がインザスカイ。
「あ、これ、食べたい〜♪」
「それは喰えねぇよ!無機物まで喰うなよ!」
と、ソフトクリーム・コーン・ディスプレイを
食べようとした幽々子を制した。
「あら、残念ね」
「ほれ、とりあえずこっちにしとけ」
またも飛んだ野口君。
幽々子が喜ぶたびに、財布にボディブロー。
胃が痛い。
両手には緑と白。手にはコーン。
いわゆるソフトクリーム。
緑はまぁ、京都の名物抹茶。白は無難なバニラ。
……いや、それはいい。
いいんだけどさ。そろそろ洒落にならない気がする。
茶店で全部のメニューをほぼ一人で平らげて。
さらに今は、ソフトクリームを両手に、
幸せそうな表情をしている。
うん、いい笑顔なんだけど。微笑みの爆弾が財布に直撃する。
あれ、これ、死ぬかも。
「ん? どうしたの?」
「いや……美味いか?」
「うん♪」
「そりゃ何よりだ。
とりあえず食べながら歩くのはやめて、両方食べてしまえ。こう人が多いと危ないしな」
「はい」
そう言いながら、白のソフトクリームをこちらに差し出してきた。
「私ばっかり食べてるから欲しいのかと思って。
ほら、少しだけね」
……いや、そうじゃなくて。
「ほら、遠慮しなくていいわよ」
「いや、そういう問題じゃねぇよ」
「どういう問題?」
「いいから両方食べろって。俺はいいから」
「あらそう? 美味しいのに」
「気持ちだけもらっとくよ。お、八つ橋か……」
「八つ橋!? 八つ橋!?」
二回も言ったよこの子!
大事なことなんだろう。
「……食うか?」
「ええ♪」
底なし沼なのか、甘いものは別腹なのか。
……なんか餌付けしてる気分になるなこれ。
てか、諭吉逃げて!超逃げて!
「ほら。とりあえず両手のソフトクリーム食べてしまえよ」
「八つ橋食べたい〜♪」
「ソフトクリームは……?」
「あ・げ・る♪」
ウインクする幽々子。
……確信犯?
「イヤなのー?」
「あ、いや、別にイヤじゃないけど……」
「ならいいじゃない。ほら」
なんだかなぁこの状況。
幽子の食べかけのソフトクリームは結構残ってる。
これは俗に言う間接キスではないかと大和は赤面していた。
「どうしたのー?」
「ん? あ、いや、なんでもねぇよ」
「そう。八つ橋美味しいわ〜♪ 食べる?」
「ん? ああ、せっかくだしもらうか」
観光しにきたはずが、もはや食べ歩き行脚になっていた。
美味しいから、まぁいいんだけど。
「しっかし、良く食うな幽々子さん。俺よりも食うんじゃねぇか?」
「甘いものは別腹よ。それに……」
「それに?」
「女の子に対してそんな事言うとモテないわよ?」
おもっきり睨まれた。
お嬢様のご機嫌は、若干斜めになっている。
確かに幽々子の言うとおりだ。
ここは素直に謝ろう。
「……正直、すまんかった」
「分かれば宜しい」
なにこの構図。
幽々子さんはドヤ顔してるし。
「はいはい。
とりあえず休憩はこのくらいにしてそろそろ行こうぜ」
「あん、待ってよぉ〜」
清水寺――
入場チケットを買い、順路を歩く。
清水の舞台からの眺めは壮観そのもの。
「わぁ……」
人も多いが、見せたかった景色と幽々子の感嘆。
心の中でこっそりガッツポーズ。
「綺麗ね」
「そうだろ?」
「ええ。いい眺めね」
桜色と様々な緑の景観は、観る者の心を癒やす。
来て良かったかなと素直に思えた。
「あ、ほら、あそこあそこ!」
「ん?」
幽々子が指差した方向に見えた三筋の白い糸。
眼下には、列をなした人の群れ。
白い糸は音羽の滝。
年中行列の出来る霊水は、
かわるがわる銀の杓子で汲みとられていた。
「あれは?」
「自然の湧き水だよ。音羽の滝ってんだ」
「冷たくて美味しいかしら?」
「下に降りたら飲む?」
「ええ♪」
色々とずるい。
その笑顔はずるいと思います先生。
「はいよ。ただ、並ぶぞこれ……」
「大丈夫よ。ほら、すぐ人が入れ替わるし、ね?」
「わかった、わかったよ。後でな」
「〜♪」
地主神社――
地主神社は清水寺本殿のすぐ北側にある。
縁結びの神として有名な神社だ。
清水寺に参拝したらすぐ傍にあるため、
訪れる観光客で混雑していた。
学生達の修学旅行などで、
訪れたことがある人も少なからずいるだろう。
「へぇ……”縁結び”で有名なのね此処は」
「みたいだな」
食欲が満たされたからか、終始ご機嫌なお嬢様。
ようやく観光らしい反応で、物珍しそうにしていた。
縁結びといえば、恋人同士や片思いの相手がいればこそ。
独り身でそんな相手は既に居ない。
「ま、俺には縁がないな」
昔から、恋だの愛だのに興味はなかった。
紅虎さんと出会ったときから、俺は自らの肉体を鍛え上げて、闘うことに生き抜くと決められていたのだから、それに男の闘いに恋や愛は必要ないと思っていた。
「あら?
せっかく来たんだし、そんな寂しいこと言うのは無粋よ」
少し怒った表情をしている幽々子。
意外な一面を見た気がする。
(こんな表情もするんだな……)
「それとも――私のことも、キライ?」
上目遣いで語りかけられて。
意外な仕草に思わずドキッとさせられた。
予期せぬ口撃。そして――
「ちょっ!? は、離れ……」
無邪気な幽々子に抱きつかれて固まってしまった。
「うふふ。ドキッとした?」
小悪魔のように悪戯っぽい笑顔を浮かべて。
その表情に、心臓が早鐘を打った。
――ドクン、と。
枯れた泉が潤うことは、無い。
けれど脈々と打つ鼓動に、色付けられることはあるのだろう。
「か、からかうのはよせって」
慌てて出た言葉は、何の意味もなかった。
確かに感じた痛みと、動揺に、
「うふふ。ねぇ、今ドキドキしてるでしょ?」
俺は言葉を失った。
幽々子さんのペースに巻き込まれるのに。
けれど世界に、また一つ彩がついていく。
風が運ぶ桜花の香りと、腕に感じる柔らかな感触。
(む……結構ボリュームが、って!)
「離せってばよ。歩きにくいだろ」
このままだと、ナニが何やらナニしそうだ。
「ほーら、ねぇってばー、うりうりー」
「――――っ!?」
組んだ腕に感じる感触が、平静を装うことを許さない。
……結構、いやかなりボリュームあるなこれ。
陥落してなるものか。
絶対防衛線は死守しなければならない。
危険だ。とにかく危険だ。
「もう……やっぱり童t」
「違げえよ! またかよ! そのネタもういいよ!
違げえよ! 二回も言っちゃったよこんちくしょう!」
つい反射的に反応してしまった。
だめだ、なんか動揺してるし俺。
「うふふふふ」
………本当に、このお嬢様は無視もさせてくれないらしい。
桜の香りが男の本能を強制的に刺激する。
腕に当たっている感触と、確信犯なまでに卑怯な上目遣い。
「これ 何て エロゲ?」
「お前が言うな! エロゲじゃねえよ!
ああもう、このままだと俺の理性がインザスカイするっての!」
まじで陥落五秒前
「ほら、やっぱりドキドキしてるんじゃない!」
こちら前線。負傷者多数。
至急応援を! 至急応援を!
「ほらほら、正直に言いなさいってばー」
ダメです。前線が持ちこたえられません!
衛生兵はまだか! 和生、兄貴、紅虎さん、衛生兵ーーーっ!!!
「んな、んにゃ」
「噛んだ? 噛んだよね? 絶対噛んだわよね?」
幽々子はおもいきりニヤニヤしていた。
ダメです神様。もう限界です―――
否定したところで、幽々子見抜いてそうだ。
そもそも、噛んでるあたり動揺を隠しきれてないし。
「うふふふふ」
幽々子は微笑を浮かべ、お構いなしに腕を組む。
時折こちらの表情を上目遣いで見上げ、
こちらの動揺に付け込むように攻勢を強める。
「やけに機嫌がいいな」
「そうかしら? ――いえ、そうかも、ね」
遠くを眺めるような視線。
そう呟く幽々子にはまた違う色がついていた。
例えるなら、寂しさをたたえる寒色の蒼。
暖色の桜とは違う――けれど、美しく映える群青色。
―青は藍よりいでで藍より青―
そんな言葉もあるくらい、三原色の青は美しく映える。
「こうして、桜を魅せてくれてるからかしら」
悪戯っぽい表情に魅惑の色が浮かんだ。
言の葉は鼓膜を震わせ、心臓を刺激する。
ドクン、と――
「そっか。まぁ楽しんでくれてるなら何よりだ」
「ええ、とっても楽しいわ」
組みつかれた腕を振りほどくことも忘れていた。
幽々子もまた、離れることなく歩いている。
「って、さすがに階段は危ないぞ」
地主神社から音羽の滝に降りる長い階段。
「あら、いいじゃない。ゆっくり降りましょ」
意に介さず、幽々子はさらっと言う。
その声色にも様々な色が浮かび、感情を彩っていく。
「まぁ、いいけどな………」
「うふふふふ」
ご機嫌麗しい幽々子と階段を下りていく。
一歩一歩踏みしめるように。
清水の舞台から見た音羽の滝へ。
自然の列は途切れることはなく、多くの人の喉を潤す。
――数十分後
「ん〜! 冷たくて美味しいっ!」
「だな」
「飛び込んだら気持ちいいかしら?」
「……絶対にやめてくれ」
いや、本当にダメよ?絶対に。
「あらそう? きっと気持ちよさそうなのに」
「目立つからやめろ。
ってか、並んでるんだからさっさと行くぞ」
「待って、もう一杯だけ」
「へいへい」
「うんっ♪ やっぱり美味しいわ!」
純真無垢な笑顔で。
それは生まれたてのはなの息吹にも似た何か。
「ほれ、行くぞ。まだ巡るところあるんだから」
「はぁ〜い。待ってよ〜」
だからきっと―――
今、この瞬間が楽しいと感じているんだろう。
幽々子も、そして、俺自身も。
幻想郷の手掛かりはまだ見つからない。
そもそも本当にあるのかわからない。
でも―――だからこそ、わからないままにしておけない。
幽々子に寂しい色は似合わないから。
天真爛漫な笑顔を咲かせ、
俺をお構いなしに振りまわす自由奔放な性格。
けれど、不快に感じることは無く、
一緒に歩くと世界が色をつけていく。
根拠はないけれど、きっと―――