古今西行寺恋奇譚〜恋愛と闘いの幻想物語〜 作:黒い小説家
「うっ………うぅ……はっ!!」
まるで悪い夢から開放されたかのように大和は目を覚まして起き上がった。
「はぁ……はぁ……はぁ……そうか、俺は………」
隣を見てみると、そこには幽々子がすぅすぅと眠っていた。
そうだ思い出した。俺は昨日幽々子と一緒に眠りについたんだ。八雲紫に恐怖した俺を慰めてくれるために。
「こうしちゃいられねぇ。」
あんな惨めな姿はもう見せれない。ならばやることは一つだけ、ひたすら鍛えることだ。
寝ている幽々子を起こさないようにそっと大和はベッドから起き上がる。
そして、自分の私物から五十キロはある潜水用の重りを取り出して手に持った。
多少の無理は承知。いや、この程度で悲鳴をあげるとしたら俺はまた惨めな姿を晒すことになるだろう。
潜水用の重りを片手に大和は部屋を出ていく。誰にも気づかれないようにそっと。
玄関を出て外に出ていくと、およそ五十キロはある重りを身体に付けて走り出した。
《~少年走行中~》
「はぁ……はぁ……はぁ……」
出発から三十分経つかどうかの時間で約10キロの距離を走り続けると、流石の大和も常に全力で疾走するのは辛いのだろう、全身から汗が絶え間無く流れ出し、表情も苦痛で歪んでいる。
やはり常に全力疾走で走り続けるのは厳しい。
「やっぱり……この痛みには慣れねぇな……」
常人離れした運動能力を持っている大和でも呼吸は乱れ、走る度に両足の脹らはぎ辺りがズキズキと痛み出す。
しかし、呼吸が乱れて苦しかったり足腰に痛みが走り出しても、大和は決して走るペースを落とさず、むしろもっと速く走ろうとしている。
マラソンなどの運動中、常人なら普通苦しくなった途端に、苦痛から逃れるために運動を放棄して身体を休めると思うのだが、大和はそのまったくの真逆だった。
足腰や身体に来る痛みを我慢して大和は苦痛に立ち向かい、何度も絶え間無く襲ってくる苦痛を常に味わい続ける。
だが、大和のように身に襲ってくる苦痛をひたすら我慢しながら走り続けるのは、そう誰にでも簡単に出来ることではなく、常人離れした根性や余程の精神力が無ければ出来はしないだろう。
「へへっ、昔のことを思い出すな」
身体中が苦痛で蝕まれているのにも関わらず、大和は昔のことを思い出して思わず笑みを浮かべてしまう。
いつもそうだ。苦しい時や辛い時ことがあると、よく昔のことを思い出してしまう。
そう、大和が毎日のように苦しい痛みを我慢して、ここまで必死に鍛練を頑張るのには、過去に理由があった。
《~今から七年前に遡る~》
それは大和がまだ九歳だった頃、後の師匠である御巫紅虎に弟子入りした時の話である。
その時の俺はまだ未熟な上にか弱く、ただ同い年の子達よりも身体が大きくて力が強い子供だった。
ある日、近所に武道を教えてくれる強い人がいると言う噂を聞いて、俺と兄の武尊はすぐにその人の元に行って弟子入りを申し込んた。
しかし、あのときは弟子を取る気は無かったのだろう、紅虎は弟子入りに来た俺と武尊をあっさりと断ってしまう。
だが、断られても諦めずに、俺は毎日のように紅虎の元にやって来ては何度も弟子入りを申し込んだ。その結果、紅虎に呆れ果てられながらも、何とか俺だけ弟子にしてくれた。
そして、弟子入りしてからその後の事だ。
「良いですか大和、もう一度言いますけど、私の稽古や教えは厳しいことばかりですよ」
「だいじょうぶ、どんな厳しいことでも乗り越えてみせます」
まだ幼かったとはいえ、この時の俺はまだ知らなかった。御巫紅虎の教えと稽古がどれだけ厳しくて辛いものだったのかを。
今になって考えてみれば、幼かった時の俺は良くあの厳しい稽古から逃げ出さなかったなと、今でも思うことがある。
「それなら構いません、では稽古の前にちょっとお話をしましょう、ちゃんと覚えてくださいね」
「はいっ!」
「ではまず心得ですが、いくつかあります。ひとつはどんな苦痛にも耐えることです。これが出来なければ私の弟子には到底なれません、いや……話にもなりませんと言った方が正しいでしょう」
当時まだ幼かったとはいえ、その時の御巫紅虎の厳しくも重々しい言葉の中で、俺ははっきりとわかったことがある。
もし、この心得が出来なかったら時には間違いなく破門、つまり俺は紅虎の弟子ではなくなることがはっきりとわかったのだ。
「それと私の最初の稽古は体力と肉体の強化です。身体作りは大切ですからね」
「……えっ? 技は教えてくれないんですか?」
「そんなのは二の次です。ある程度の身体作りと
体力、肉体の強化と武術に何の関係があるのか全然わからず、そのときの俺は紅虎に対して不安を抱いていた。
本音を言うと、稽古の内容でも普段のことでも紅虎の考えているとは今も昔もまったくわからなった。正直あの人の心境か考えてることがわかるのは悟り妖怪とかじゃなければ無理だろう。
弟子入りの初日、紅虎からある程度の心得を教えてもらい、さっそく稽古が始まると思いきや、その前に紅虎が一つだけ興味深いこと口にしてくれる。
「それじゃあ最後に、一つだけ面白いことを教えてあげましょう」
「何ですか? その面白い事って?」
「良いですか大和、運動と言うのは長く続けると、これ以上は出来ないという限界が必ず来ます」
当然の事と言えば当然のことである。四六時中ずっと運動を続けることができる人なんてこの世にいるはずはないのだから。
だが、その時の俺は頭があまり発達していなかったので、紅虎にそんなことを言われても、どこが面白い話のか全然わからなかった。
「それはつまり、脳がこれ以上の運動を続けることは危険ですよと、サインを出してくれることです」
脳だとかサインだとか色々と医学的な話になって、もはや大和には紅虎が何を言っているのかさっぱりわからなかった。
「そのサインは苦痛となって現れます。通常の競技者ならそこで休憩を取るわけですが、人体というものには更にその先があるのです」
「人体の……その先?」
人体のその先に何があるのか気になったのだろう、ようやく大和が紅虎の話に食い付いてきた。
「
「すいません紅虎さん、わかりません」
考えるまでもなく率直に大和はそう答えた。
まぁ普通に考れば当然の返答だろうよ、今までの話も生まれて初めて聞いたことなのだから、知らないのは当たり前のことだろう。
それに大和がわかっていないことを最初からわかっていたのだろう。紅虎はそれは当然だよなと言わんばかりの表情を浮かべている。なら何でそんなことを聞いたんだよと内心思っていたが、あえて口にはしなかった。
「そうすると脳と言うものは、とても面白いことを始めるのです」
「…………」
脳が一体どんな面白い働きを始めるのか、かなり興味があったのだろう。大和は紅虎の話を真剣に聞いているような素振りを見せる。
苦痛を無視して運動をし続けると一体どうなるのか、苦痛のその先に一体何があるのか。大和の頭はそんなことでいっぱいの状態だった。
「苦痛を取り去ってしまうのです」
「それってつまり…くるしくなくなるの……?」
まぁ、単純に考えればそういうことになるのだろう。しかし、それに対して紅虎の返答は大和の考えていることとは若干違った。
「無くなるなんてものではありません、むしろ気持ち良くなってしまうのです」
「きもちよく…なるの……?」
「はい、それはエンドルフィンと言う脳内分泌物によって持たされます」
「エンド…ル…フィン……?」
流石に初めて聞く単語や知識に戸惑いの色を隠せなかったのだろう。話を聞いている大和は内容はしっかりと覚えているものの、その理屈や意味をまったく理解していなかった。まぁ、このときの俺ならそうなっても当然のことか、況してや小学生ぐらいの年だったし。
「まぁ簡単に言えば麻薬です。最強の麻薬と言われているモルヒネの数千倍の麻薬効果を持つエンドルフィンが脳に分泌されます」
「それって凄いんですか?」
「えぇ…それはもちろん、エンドルフィンが登場した時の競技者はとても強いですよ。死ぬまで動き続けられますから」
苦痛を取り去った挙げ句に気持ち良くなり、死ぬまで動き続けられる感覚とは一体どうゆうものなのか、そんな体験をしたことがない大和にとって想像もつかなければ未知の領域だった。
「一流の
「紅虎さんも体験したことあるの?」
「それはもちろんありますよ。その程度のことも出来なければ一流には到底なれませんから」
つまり、エンドルフィンを体験しなければ一流の武術家や
それから、紅虎の話をちゃんと覚えているのか確かめるために、今まで聞いた話を改めて振り返ってみると大和はあることに気が付いた。
「……もしかして!」
紅虎の言っていた心得の一つである、どんな苦痛にも耐える。それはつまり、苦痛のその先にあるエンドルフィンを体験しろと言う意味なのか。
大和が何かに気が付いたような表情を浮かべると、それを見て紅虎は嬉しそうに微笑んでくれる。
「どうやら私が言った心得の意味を理解したそうですね」
「はい、あらゆる苦痛を堪えて、その先にあるエンドルフィンを体験しろと言うことですよね」
「それがわかっただけでも十分です。それでは早速稽古を始めましょう」
それから七年間、修行僧や