古今西行寺恋奇譚〜恋愛と闘いの幻想物語〜 作:黒い小説家
四日目
過酷な修行も今日で終盤の四日目
四日間の修行によって心身の疲労とダメージは限界を越え、異常なまでの空腹感にも襲われていた。
疲れた。身体が重い。身体に力が入らない。感覚がまったくない。腹が減った。そんな色んな負の思考や感情が混ざり合いごちゃごちゃになっていた。
数時間片膝立ちで居合の構えを取っていた大和も、気がつけば地面にばったりと倒れており、動く気配がまったくなかった。
近くで見ていた幽々子や紅虎は見ているだけで助けようとはせず、これからどうなるか観察するように眺めていた。
本来ならば倒れている大和を助けるのが当たり前だが、それでは大和の邪魔をするのも同然であり、それでは大和のためにはならない。だから見てるだけしかできなかった。
「紅虎さん……」
「我慢してください。これも大和のためです」
心配していた幽々子は今すぐにでも大和を助けに行きたかったが、紅虎がそれを止める。
心苦しかったがこれも大和のためと、己の感情や思考を欺き、心を鬼にして見守ることに専念する幽々子。ただ見守るたけのことがこれほど苦痛で心苦しいことがあったことか、いや、今までなかった。
「ちょっと休みに行きましょう。ずっと見ているのは心苦しいでしょうに」
「えぇ、そうね。」
二人は大和を置いて休みに行った。
《それから》
数十分が経過した頃、屋敷を出てきた武尊がようやく大和達がいる山奥へと到着した。
倒れている大和を見るやいなや、やはりかと言わんばかりに呆れたような表情で見つめてくる武尊、まるでそれがわかっていたかのように。
「もう立ってられないほど、感覚が麻痺してやがるな」
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「だがそれで良い。完成に近づいている。」
「あに……き……」
「なんだ?」
「あにきも……こんなつらい……しゅぎょうを……したのか……?」
大和の質問に対して何を戸惑ったのか、武尊は人差し指で頭を掻きながら、すぐには答えずに少し間を開けてから答える。
「まぁな、したよ。」
倒れ込んでいる大和の隣にひっそりとあぐらをかいて座り、武尊は静かに語りだした。
「お前にはこんなこと言いたくないが、俺も苦労したよ。三日三晩飲まず食わずで修行したからな」
昔は何とも思わなかったが、今思い出せばとてつもない修行だったと言える。
あえて五感を封じるために、三日三晩飲まず食わずで修行する地獄のような日々、しかしあの日々があったからこそ今の自分がいることが実感できる。
「ほら立てよ、これから稽古つけてやる」
しかし。大和は立ち上がろうとしても身体に力が入らない。それどころか腕や指先すら動かない状態だった。
「からだが………うごかない……」
「んなこと知るかよ。動けないから相手にできないなんて、そんな生易しいことが通じるわけ無いだろうが」
力尽きて倒れている大和に対して、まるで死体蹴りでするかのように武尊は大和の身体を思い切り蹴り上げる。
ゴロゴロと数メートルほど転がる大和の身体、蹴り具合はと言うとまるで生きの無い屍を蹴っているような感覚だった。
慈悲は無い。闘えないというのならば蹴りでも暴力でも何でも振るう。例えそれで力尽きて生涯を閉じようともそれはそれで本望であろう。
すると何が起こったのか、大和の身体に異変が起こる。
なんと全身の神経が脳に運ばれるような感覚に襲われる。
その瞬間、これから起こるであろう行動や言動、全てが視えた。
そして目を見開く。
「視えたっ!」
「ほう………」
するとどうしたことか、全身の疲労が、耐え難い空腹感が消え去っていく。そして身体が自由に、まるで絹のように軽くなっていった。
錯覚でも幻覚でもない。今まであった疲労感や空腹感が無くなったのだ。偶然か必然が、恐らく脳内に分泌されたであろうエンドルフィンが作用しているのだ。
大和は堂々と軽やかに立ち上がり、片膝立ちで居合の構えを取った。
それに対して武尊は大和の身体に良い意味での異変が起きたことに気づいたのだろう。急に動きが変わった大和を見て笑顔を零した。
「やる気出たか、そうこなくちゃな」
不意打ちをするかのように突然何の前触れもなく大和の身体に向かって横蹴りを入れる。
それに対して大和は咄嗟に後ろに下がって武尊の横蹴りを回避する。
そして避けると、次に起こるであろう出来事が大和の脳内に映像として送り込まれてくる。
「ほう、ならこれならどうだ」
オーソドックスなボクシングの構えを取り、そのまま大和に向かって攻撃が当たる範囲にまで接近してくる。
そして肉眼では到底避けようのない閃光のようなジャブを三発ほど大和の顔面に向かって放ってきた。
しかし、大和には視えていた。いや、既に知っていたと言った方が正しいのか、未来予知にも類似した能力的なものによって未来視していたのだ。
武尊が放ってきた閃光のようなジャブを大和は難なく回避する。それはまるで神業だった。
自分が放った反応速度を凌駕する渾身のジャブを避けられたことを自覚すると、武尊は自分の拳を見つめ直した。
今放ったのは人間の反応速度では到底のことながら避けることも追いつくことができない最速のジャブ、先制攻撃ならば必ず当たる必中の攻撃。
それが避けられるのは、未来視にも類似した直感力を持つ、もしくは本当に未来を見通す以外に方法はない。
「どうやら身につけたようだな。心眼を、視えないものが視える仏の境地を」
「そうだな。本当に未来が視えて俺自身もびっくりしている。これが心眼ってやつなのか……」
これが紅虎さんが兄貴、風間獣蔵が見ていた世界。心眼を習得した者だけが見ることができる未来を見通す能力。
ようやくだ。ようやく風間獣蔵、紅虎さん、武尊の兄貴がいる頂きへと辿り着いた。さらなる高みへと登ったのだ俺は、これで幽々子を守ることができる。
「もう止めだ。」
「えっ?」
「お前の力量はわかった。あとはこれからも怠けないで精進することだな。」
珍しく後を引き、これからのアドバイスをしてくれる武尊、こんなこと言ってくれたのは何時ぶりだろうか。
大和が心眼を習得した記念に、武尊はあっさりと考え深いアドバイス、助言をしてくれる。
「だがこれだけは覚えとけ、心眼は万能じゃない。対策や打倒することなんて容易なことだ。」
「そんなことができるのかよ?」
「まぁな、少なくとも俺や紅虎さんはできるぜ」
まさか未来を見通すことができる心眼に弱点があったのか、せっかく心眼を習得した大和は信じきれなかった。
だが気になった。心眼対策がどんなものか、どんなことをすれば心眼を容易く封じることができるのか。
それがわかれば武尊や紅虎さんを打倒することが可能になる。更なる高みへと登ることができる。
「今ここで軽くやってやろうか?その心眼対策ってやつをな」
「あぁ、やってくれ」
再び構えを取る武尊、殺気はないものの雰囲気やオーラから感じ取ってどうやら本気のようだ。
大和に向かって突っ込んで来る武尊、見た感じだと今までのようにただ単純に飛び込んできてるようにしか見えない。
心眼を使って未来を見通した瞬間、大和は驚くものを視てしまった。
なんと繰り出してくるであろう武尊のジャブが上下左右に複数散らばっている。
右に避けようとも左に避けようとも、上に避けようと下に避けようとも、どちらにしても当たってしまう。これでは攻撃をまとも喰らってしまう未来しか視えない。
これは一体どうゆうことなのか、どうしたらこんな未来を視てしまうのか、今の大和には見当もつかなかった。
その刹那、武尊は軽くジャブを放つと未来を見通していたはずの大和は動くことすらできずにまともに攻撃を顔面に喰らってしまう。
軽いジャブだったので鼻血程度で済んだが、もし真剣などの日本刀や武器を使われていたら確実に死んでいた。
顔面に伝う痛みよりも驚きが勝ったのだろう。すぐさま大和は武尊に対して質問を問いかけてくる。
「なんだ今のはっ!?」
「簡単なことだよ。お前の動きを見てから動きを変えて攻撃をしかける。簡単に言っちまえば後出しジャンケンだよ」
後々聞いた話だが、今の技は途中までまったく同じ動作で動き、相手の動きを見てから行動を変える古武術。いわゆる未来視対策。
口で言うのは簡単だが、やるのは非常に難しく高度な技術である。これをできるのは一流の武術家やセンスのある者にしかできない。
「今の技は『くずし』って言うんだ、良く覚えときな」
恐らく呼吸・心拍・汗・重心の位置・筋肉の収縮などの相手の全てを見抜くことであらゆる動きを正確に先読みする能力でない限り『くずし』を出し抜くことはできないであろう。
完全な未来視対策、恐らくこれがある限り、存在する限りは心眼を持ってしても無敵とは言えないだろう。
痛感した。自分が必死になって習得したものに弱点があったとは、これで新たに自分のやるべきこと、課題が増えた。
「じゃあな、俺のやることは全てやった。」
「まてよ。兄貴」
「なんだ?なんか用か?」
「ありがとうな。色々教えてくれて」
「なに気持ちの悪こと言ってんだよ。俺は当たり前のことをしたまでだ。」
そういうと大和に背を向けてその場から退散する武尊。本当に修行の成果を見に来たのと、ついでに助言をしてくれただけだ。
だが、それが大和に取ってとてつもなく重要なことだと知るのは風間獣蔵と闘うその日にとは知るよしもなかった。
「よし。これで紅虎さんに顔向けできる。」
休憩しに行った紅虎さんと幽々子が来るまで、少しでも心眼を練度を上げようと大和は独自の修行をする。
心眼に達し、更に心眼破りを覚えた大和、果たしてそれが吉と出るか凶と出るか、それは誰にもわからない。
しかし、少なくとも大和は今まで以上に格段と強くなった。風間獣蔵と闘っても五分五分、もしくは凌駕することもできることであろう。