今日はお母さんのおじいちゃんおばあちゃんのお墓参りだった。大きな蝋燭に火がついて、息を吹きかける度にゆらゆら揺れる。そんな火を見て俺は──
自分が誰であるかを知った。
頭の中に駆け巡る知識、言葉にするなら鍵のかかっていた倉庫が開かれた様な開放感。思い出せなくてもどかしかった記憶が手に取る様に拾えるこの感覚。
興奮に軽く呼吸を乱しながら、俺は漠然と転生したのだということを理解した。
***
茶色いくせっ毛に茶色い瞳、冴え渡る直感と、実質的なシングルマザー家庭。代々徳川家の名前を付けられるこの家は、漫画の主人公沢田綱吉の家に他ならない。
つまり俺はその沢田綱吉に成り代わり転生してしまったということである。
青少年の憧れ、強くてニューゲームなことに気付いた俺は、保育園が終わったあと早速遊びに出かけることに決めた。
目指す先は我らが最強、雲雀恭弥の家である。
何故かといえば、結局作中では明かされなかった彼の出身を知りたいからだ。地主なのかヤクザなのか、1度疑問に思ってしまえば解決したいと思うのが人間の性。逃れられないカルマ。仕方ないね。
俺が覚えている限り、和風建築の豪邸に住んでいるはずで、そして並盛町内である。それを考えれば、並盛商店街から並盛神社方面に広がるD地区と呼ばれる高級住宅街が怪しい。
軽い台地となったあの場所は、俺たちが住む平地と比べて明らかに分けられた各土地面積が広い。従って家も広々としたものが多く、庭も車が3台以上止まれるような広さがあった。
そして家の殆どが和風建築で丁寧に手入れがされているのか古ぼけた雰囲気はしない場所だ。
あまりにも怪しい。というかもはや怖さすら覚える程だ。
ごくり、と唾を飲み込んでこの一帯を散策する。人っけはあまりないが、時々聞こえてくるTVの音が居住空間であることを指していて、それが唯一の癒しかもしれない。
更に進んだその先に、広い駐車スペースの取られた、明らかに移植を放つ敷地を持った豪邸が現れた。……なんでもないような様子を装って表札を見ればビンゴ、雲雀さんのお宅である。
……確かに、公式では明言されていなかった。いなかったが。幼稚園から縁のあるリーゼント草壁との仲も疑問でしか無かったけれど。流石にこれは。間違いなく。
──ヤのつく自由業の家だコレ!!!!!
聖地巡礼もどきは出来た、と踵を返して帰ろうとした時、不意に不安が襲って再び雲雀家の門を見上げた。
「ねぇキミ……そこで何してるの。」
ああ、
「僕に咬み殺されに来たのかい?」
そんな物騒な子供の声が聞こえて来たのは門の更に上、瓦屋根だった。片足を立てて座りこちらを見下してくる姿は紛いもなく雲雀恭弥本人である。
本物だ……。俺はいつの間にか口内に溜まっていた唾をゴクリと飲み込んだ。
このオーラ、ピリピリとした緊張感、冷たい視線、1歩動けば捕食されそうな恐怖。
風に揺れる黒髪、切れ長の瞳、未だまろい頬肉、小さな手足、半袖短パン長めのソックス。
ハッキリ言おう、ドタイプである。
ボンヤリ見つめていれば、返答が無いことに痺れを切らしたのか雲雀恭弥はどこからか取り出したトンファーを俺に投げつけた。間一髪で避ければ、雲雀恭弥は僅かに目を見開いて「ワオ。」と感嘆の声を上げる。
「その見た目で動けるんだ。」
ほのかに口角を上げて好戦的な表情を浮かべた彼は門の上、おおよそ2.3Mはある場所から飛び降りて華麗に着地を決めた。園児がこなせる技ではないことに今更ながら漫画であることを実感する。
「俺、戦いに来た訳じゃないんですけど。」
「それは僕が決めることだ。」
トンファーを拾った彼は俺から目を離すことなく、常にターゲットとして捉えている。生まれながらのブラッド・オブ・ボンゴレで何とか攻撃されそうなポイントは分かるものの、体力面で全て避けきれる保証はない。
冷や汗を滲ませながらも、俺は雲雀恭弥に体を向けて注意を集中させていた。
「君はどうやら無謀なガキとは違うみたいだ……珍しく咬み殺しがいがありそうだね。」
「俺としてはご遠慮したいのです、がっ!」
話している最中に繰り出されるトンファーをギリギリで避ける。相手が幼児な分リーチが短いのが不幸中の幸いだった。しかし、同じく俺も全てにおいてリーチが短い。距離を詰められ過ぎてしまえば最後、サンドバッグになるのは確実である。
……前世の知識としては、俺には柔道の心得があった。ある程度の相手であれば翻せる程度の力量だったが、それは繰り返し鍛錬を積んできたからであって、それが無いまっさらな状態の今、正しく型が決まるかと言われれば違う。
だがしかし、今の俺はなんの鍛錬も行って来ていない、体の出来上がっていない弱い肉体だ。トンファーを相手取るにはいささか部が悪すぎる。ではトンファーを奪うのは? ……NOだ。筋力の違いで俺の手が物理的に折れるのが関の山。
「何を考えてるのか知らないけど、逃げてばかりじゃつまらないよ。」
「知らないですって。」
幸いな事に雲雀恭弥の動きは疎い。今ボコボコにされるよりは──
「肉を切らせて、骨を断つ!」
トンファーを俺の肩にぶつけ、彼の意識が上体に向いている間に足を刈り取って地面に倒し、すかさず寝技をかける。
くるりと天を向いた雲雀恭弥は目を見開いてぽかんと惚けた顔をしていた。
「なっ……。」
「そこまで!」
パンパン、と2つ手を鳴らす音が響いた先を見上げれば、顎が2つに割れている角刈り剃りこみ頭の男が立っていた。
呼吸の荒くなっている俺をひょいと拾い上げて雲雀恭弥から離し、彼も男に体を起こされて砂をはたき落とされていた。
「まだ、」
「勝負は終わりです。坊ちゃんの負け。」
「負けてない。」
「負けです。」
「……負けてない!」
表情を歪めた彼は荒々しく男から離れると、その勢いのままに家の中に入ってしまった。雲雀家の中からは小さく「坊ちゃん!?」「恭さん!」などという声が聞こえてくる。改めて思うがヤクザだ。間違いない。
「全く、坊ちゃんにも困ったものだ。」と呆れたような声で呟いた男は、俺と目線が合うようにしゃがみ込むと柔らかい笑顔を向けた。
「怪我の様子を見たいから、少し家に来て貰えるか?」
ヤクザの家なんか怖くて入れるか! とは思うものの、どうせ自分の家も似た様なものである。口封じでもなんでも、するならこちとらのバックがやってくるぞ。虎の威を借る狐とはこの事である。
恐々としながらも俺は男に抱えられて雲雀家へと踏み込んでしまったのだった。
服を脱いでトンファーが当たった患部を男に見せる。青いような痣が浮かび上がって、日に焼けて無い肌には毒々しい色を覗かせていた。男に任せながら軽く動かして折れていない事を確認する。……感覚でいえば恐らく打撲ですんでいるはずだ。
「骨折はしていないようだが……打撲で軽い内出血はしているな。念のため精密検査受けておくか?」
「いえ……お気遣いなく。それ程重い打撃では無かったので大丈夫だと思います。」
「……くく、ははは! そうか、そうだな、あまりにも痛みが続く様だったらちゃんと病院で見てもらえよ。金はウチが出す。請求書だけ持って来てくれても構わねぇからな。」
「ありがとうございます。」
男は盛大に笑い出すと、座っている俺の頭を撫でた。衝撃でよろけて床に手を着くと痛みが広がって息を飲み込む。暫くは痛そうだなぁ……なんて、不用意だった自分を恨んだ。
男は「悪い悪い。」と、いまだ笑いながら手を離して、自分の顎を摩っている。
「君のあの動き……柔道だろう? 習い事か?」
「いえ、その……。」
「じゃあ、見様見真似でやったのか?」
「……えっと、はい。」
「……そうか。喧嘩とか良くするのか?」
「いいえ、全然!」
真剣な表情で男は俺に聞いてくる。俺は不安になりながらも一つ一つ答えていった。
「今日は、相手があの坊ちゃんだから何事もなく終わる事が出来た。正当防衛だ。……でもな、だからといって、これから先友達と喧嘩をしても使っちゃいけないぞ。運が悪ければ死んでしまうし、君も怪我をしてしまうかもしれない。武道を遊びのノリで真似するのはやめておくんだ。しっかり、習い事として練習をしてから、必要になった時、お互いの身を守るために使うんだ。……分かったか?」
「……分かりました。」
「おう、良い子だ。将来大物になるぞ、キミは。」
真剣な表情から一変して、朗らかな笑顔を向けてきたこの人は、きっと性根の優しい人なんだろう。俺のことを心配して注意をしてくれた。どう考えたってこの人達はヤクザで犯罪を行っている人達なのに、善良に見えてしまう。この世界で、俺が関わっていく人達はきっと、こんな優しい人ばかりになるのだろう。
そう思うと、この先の将来も、更に楽しくなってくるというものだ。
軽い手当も終わって会話も切りよく終わった丁度その時、雲雀恭弥とは違った少年の声が男に呼びかけた。
「父さん。」
「哲矢。……坊ちゃんの様子は?」
「それが……。」
リーゼント頭の少年の後ろから、スッと出てきて俺の前に仁王立ちしたのは、少し目元の赤くなった雲雀恭弥だった。
「……君、名前は?」
「……沢田綱吉です。」
「僕は雲雀恭弥。……次は絶対に負けないから、沢田綱吉、明日また僕と勝負しろ。」
「坊ちゃん!? 明日は流石に無理です、怪我が……。」
「黙れ!」
今にもトンファーが飛び出して来そうな形相で宣戦布告する雲雀恭弥。男が割って入ってこようとして、顔のすぐそこにトンファーを突き付けられていた。
怒りに血の昇った彼に、今すぐに答えなければ第2回戦が始まってしまうだろう。
意を決して俺は口を開いた。
「明日ですね、良いですよ。……ただし、審判はこの人、ルールはどちらかが倒れるか膝を着いた時点で負けです。良いですね?」
「それでいいよ、僕が負けるなんてありえないから。それじゃ──」
「それともう1つ、俺が勝ったら俺とキスして下さい。」
「……は?」
素っ頓狂な声を上げたのは誰だったのか。皆が皆揃えて疑問に首を傾げた。この中で最も頭の回転の早い雲雀恭弥がすぐさま現実に戻ってくると俺に詰め寄る。
「何で僕がそんな事しなくちゃいけないんだ。」
「負けるのが怖いのでしたらどうぞご辞退頂いて構いませんよ。」
「っ誰が! いいよ、その条件を飲もう。その代わり僕が勝ったら君は一生僕の奴隷だ。覚えておきなよ。」
「ええ、了解しました。」
危なかった、簡単に煽られてくれる幼い彼で良かった。論点をすり替えたこの方法は、これから入る業界では常套手段だが、世間的に見て良いとはいえない行動だ。何ならこのゴリ押しが通じない場合も殆どだ。……突っ込まれなくてよかった!
「それじゃあ明日、昼の3時から、並盛東公園で。」
予定をつけて満足したらしい彼は無言で翻し、家の奥へと引っ込んでしまった。
慌てた様子で哲矢と呼ばれた少年──恐らく幼少期の草壁哲矢が雲雀恭弥の後を追う。2人の姿が見えなくなった時、ようやく現実に戻ってきた男が俺の方へ顔を向けた。
「……正気か?」
「逆に聞きますけど正気だと思いますか?」
「そうだな……すまない。では質問を変えよう、勝算はあるのか?」
「正直なところ、無いです。」
「無いのか! あれだけタンカを切っておいて……。」
「だって嘗められたら終わりだったじゃないですか……。」
ほとほと呆れた様子で男は頭を手で押えた。俺もやりたいくらいには策が無い。明日昼までには対策を練らなければ死んでしまうだろう。早い人生だった。
いやいや諦めるにはまだ早い。早いはずだ。
男が親指で眉間をさすりながら口を開いた。
「それと……条件は、本当にアレで良かったのか?」
アレが何を指しているかなんて明白だった。
これだけは自信を持って答えられる。
「もちろんです!」
だって美少年とのキスなんてレアだぜ!
ペナルティが奴隷なのは恐ろしいけれど、なんてったって俺には前世の記憶がある。
ただの天才小学生には負けていられない。
男は再び項垂れていた。