鶏が先か、卵が先か   作:楊枝

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第零章
おやとひな


 一面真っ白な地獄の中で、私は“私”を自覚した。私の中の“私”の存在に気づいて、結果的にすべて悟ってしまったわけである。

 過去は過ぎたこと。現在は今ある状況。未来は───決まっている道筋。

 

 今日のカリキュラムを終えて、真っ白の部屋の中で子どもたちが自由に過ごしている。人数は少ない。みんなリタイアしていったのだ。

 今いるのは、まだ優秀な子どもたち。まだもう少しだけ優秀でいられる子どもたち。

 

 生気の抜け落ちたドールのような顔が並んでいる。心などない。私が異常なだけだ。……違う。異常なのはこの白い空間だ。私は、だから、私一人だけが正常なのだ。

 私は平凡な女だ。女の『子』だ。平凡でありながらこの空間で生き残っていられたのは、“私”が存在していたからであり、私だけでは今ここに立ってすらいなかった。“私”という正常が異常な私を生かし、私は“私”を活かしていた。皮肉だと思う。

 どちらが欠けても今さら私は私になり得ない。

 

 なら私は、私を尊重しよう。“私”のおかげで、……いや。“私”は私だ。私がしたいと思ったから行動するのだ。

 研究室の奴らが毛嫌いするような理由で動く。したいと思ったからなんて、まるで獣のようだと思う。そこに計算はないし、打算もない。

 もとより人間は獣なのだ。この異常な空間に飼い慣らされて、獣の本能は忘れちゃいけないだろう。いわば、そう、私は本能を取り戻したのだ。それだけなのである。

 ……調子が戻ってきた。良い調子だ。

 固い表情筋を動かせば、少し痛かった。もう随分と動かしていなかったから致し方あるまい。でもこれからは調子が戻って表情も絶好調になるから、今から先の私は顔の筋肉痛を覚悟していてほしい。顔の筋肉痛ってなんだよ。

 

 一人内心ノリツッコミもこの辺にして、茶髪の子どもの前に立つ。影がかかって、しゃがんでいる男の子が顔を上げる。見えた顔を知っている。その無機質な表情を識っている。

 視線を合わせるために私もしゃがんだ。呑み込まれそうな無の前で、笑った。

 

「あなた、お名前は?」

 

 返事はない。当然か。今の今まで関わろうとしてこなかったのだ、お互い様に。私は私のことで精一杯だった。彼は知らないが。

 同じ無機質だった子どもの一人が突然自我を出してきて、真っ先に声をかけてくる。そりゃ表情には出てないけど内心戸惑っていることだろう。本当に戸惑っていない説もあるが、今は別に気に留めない。他の子を置いて真っ先にこの子に声をかけているのは本当だから、まあ、言い逃れはできない。言い訳はできるが。

 大事なのは行動だ。内心は後でいくらでもついてくる。おかしな言い回しだが、言い得て妙だと自画自賛する。

 もう一度、ゆっくりと言う。

 

「あなたの名前が知りたいの。教えてくれる?」

 

 こく、と目の前で喉が動いた。小さな口が開く。瑞々しい赤い口内がよく見えた。

 無機質な瞳が交差する。不思議な色合いをしているが、“この世界”じゃ普通のことだと識っている。私もきっと同じだから。

 

 告げられた名前に笑みを深めた。口端が痛い。急に笑うのは良くない。でも笑みは本心からのもので、自然なものだから引っ込められない。

 瞳が瞬いた。小首を傾げる動作が年相応だ。いや、成長した彼にもままあることだったか。もしかしたら昔から、気付かぬうちにあった癖だったのかもしれない。今さら確認しようはないが、私がそうだと思ったならそれが正解だ。

 だって私は、今からきっと、ずっと長い間目の前の彼と時間を共にすることになる。そんな予感がしているから。

 

「そっか。教えてくれてありがとう」

 

 両手でそっと彼の紅葉のような手を握った。ぷくぷくと柔らかい。私もおんなじ手をしている。彼が不思議そうに握り返す。おんなじようにぷくぷく触っている。

 

 名前を口にする。それは存在の証明に等しい行為だと思いはしないか。

 或いは。

 

 

「───よろしくね、清隆くん」

 

 

 ……否。私には関係のない話だったか。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

「清隆くん。一緒にいよう」

 

 今日のカリキュラムを終え、自由時間になる。子どもたちはまた減って、減って、減った。この調子だと二人だけになるのも時間の問題かもしれない。もしかしたら“この記憶”にある通りなら、彼一人きりになってしまう未来も起こり得るかもしれない。それは嫌だから、もう少しだけ頑張ろうと思う。

 この体は、頭脳はハイスペックだ。記憶と合わさって異常値を叩き出している、そういう認識が正しい気がする。勘でしかないが、間違っていない。この場合でも気がする、という言葉で締め括ることにする。

 まあもちろん、本物には敵わないわけだが……。

 

 その本物たる彼のそばに寄って行って、肩を合わせる。合わさった肩から伸びるお互いの手を重ね、ぎゅうと握った。触れる面積が大きくなるように指と指の隙間を埋める繋ぎ方をする。されるがままの清隆くんとするがままの自由気ままな私。案外相性が良いかもしれない。

 

「問9、異常に難しくなかったくない? あれ解くのだけで大分時間使っちゃった」

 

 ……コク、と一つ頷かれる。お返しのようにうんうん頷いた。

 こうやって彼が私の一方的になっている会話のドッジボールに反応してくれるようになって、どれくらいの月日が経っただろうか。碌な月日でないことは指折りで数えなくても確かにわかる。

 此処での異常は私であり、彼が普通だ。この空間での何よりの異質が私であり、此処に残っている彼らの無機質が真だ。

 さっきから何度も言葉にしているが、私も私命名:白い地獄の中では真面目にしている。真面目にしすぎて無機質になっている。真面目なほど無機質になるという地獄。私が未だ此処に残り続けているのは、自由時間と白い地獄とのギャップ、所謂異質を買われてというのもあるかもしれない。憶測でしか言えないわけだが、あながち外してもいないはずだ。憶測だけが妙に上手くなっていく。これが白い地獄処世術だろうか。身につけたくない術である。

 

「筋力テストはどうだった? 私そろそろ20突破できそう。前よりムキムキになれた気がする」

 

 齢6歳の子どものセリフとは思えない。己はゴリラか。はいゴリラです。

 清隆くんが私をジーッと見て、一度ぎゅっと繋いだ手を握った。不思議に思って清隆くんを見る。

 

「……25」

「……6歳の平均って知ってる?」

「……知らない」

「私もわからないから今すごく困ってる……」

 

 どうしよう。すごいことはわかるんだけど、比較対象が私しかいない。他の子に聞けば平均が取れるだろうか。私と清隆くんぶっちでヤバいのわかっているから、どうにも正確な平均を取れる気がしない。

 最初に己はあくまで平凡と銘打っておいてこんな快挙を遂げているのは、リミッターが外れたからじゃないかと推測している。これも記憶のせいなのね。そうなのね。都合の良い言い訳にできて困る。否、言い訳でもないか。真実か。真相は闇の中でもあり、私としてもどうにも首を傾げざるを得ない。だがまあその謎の力のおかげで此処に残れているのだから、あまり思い詰める必要はないだろう。

 なんにせよ、この年でこの数値を叩き出したのが凄いことはわかる。自分も含めて無邪気に喜ぶし、清隆くんを褒める。

 

「すごいなぁ。ここにいる大人は褒めてくれないけど、これはすごいことなんだよ。もっと喜んでいいんだよ。だって私はすごく嬉しい。すごいから」

 

 馬鹿みたいなすごい連呼だ。私が褒める節に入ると途端に語彙力が低下するから困る。自由時間は頭が死んでいるから語彙力は言ってもいつもこの程度な気もする。南無三。

 清隆くんが私をジーッと見て、また一つコク、と頷いた。お返しのようにうんうん頷く。

 表情を観察して見ればちょっぴり口角が上がっていることがわかった。私のあほ発言に笑ったのかそれとも素直にすごいことに喜んだのか判断が微妙なところだが、笑ってくれたならどちらでもいい。これがすごいことなのだとわかってくれたならいい。毎度すごいことを自覚させようとして躍起になっているのだ。報われたいよ。すごいんだよこれ。記憶があるからわかるんだ。

 

 そのあとは特に会話のドッジボールをすることもなく二人で静かに寄り添ったままでいると、いつもの無機質な機械の声が放送を流す。

 夕食の時間が来た。子どもの栄養が考えられた最適で最善の色の殺されたご飯だ。知っているか、清隆くん。ジャンクなフードほど美味しいんだよ。君にもいつかそれがわかる日がくる。そうだな……具体的に言えば9年後かな。本当に具体的すぎて笑えない。

 夕食を摂る部屋はこの自由時間の部屋とはまた別だ。清隆くんの手を離して一人で立ち上がる。

 いつもと違って、離した手を握られる。

 

 振り向く。清隆くんが私を見ている。眉を下げて、優しくその手を解いた。

 

「大人が見てるから」

 

 感情が見えない。まだそこに明確な感情が無いからか。それとも本人ですら何の感情なのかわかっていないからか。

 初めて彼から行動を起こしてきたのだが、その初めてが私を引き留めるための動きとは。なんだか少し照れくさいものがある。

 初めて彼が起こした能動的な動きを否定したくない。だから受け入れて受け流す。

 

「大人が見ていないならいいよ」

 

 ……コク。いつもより遅い気がしたけれど、ちゃんと反応してくれた。うんうん頷いて、彼を置いて部屋を出る。

 

『大人が見ていないならいいよ』

 

 この言葉には語弊がある。大人が見ていない箇所なんてない。自由時間でさえ監視されているだろう。四六時中というわけではなく、録画して、後で確認作業を行う程度か。

 私は記憶を得てそれを受け入れたことでリミッターが外れ、もともと備わっていた頭脳・身体能力の数値等を異常に底上げすることとなり、結果清隆くんに次ぐ実力を発揮するようになった。だが、あくまで『次ぐ』だ。いつかは切り捨てられる側であることに変わりはない。そうならないよう尽くすが、わからない。記憶では私がいることはあり得ないから、最後はやっぱり此処を出ていくことになるかもしれない。情けない話だがすべて『かもしれない』であり、明確な根拠とはなり得ない。記憶を引き合いに出せば根拠になるだろうか。目視できないなら証拠とはならないか。

 何をもって切り捨てるか。何をもって此処に残すか。すべてを総合的に見て判断するなら、一人一人の自由時間の行動でさえ重要な指針となるはずだ。そのとき私の異常が判断材料となる。簡単に捨てさせる気は毛頭ない。

 

 後をついてくる足音が聞こえる。存外近くからする。私によって鍛えられてパーソナルスペースが狭くなっている子は一人しかいないから、清隆くんだろう。後ろ髪が引かれる思いとはこのことかと有名なことわざを身をもって実感する。実感するだけで振り向きはしない。

 席に着く。隣の椅子がすぐに埋まる。完璧なテーブルマナーで機械的に口に物を運ぶ。

 食事を終えたら次はお風呂。次は歯磨き。次は就寝だ。そりゃこんな機械的な毎日、機械的な生活をずっと続けていたらサイコパスにもなるだろうと思う。私じゃなきゃなっちゃってるね。実際白い地獄……ホワイトルーム出身者ってみんなサイコパスだったくないか? ここでいっちょ私がならないことでホワイトルーム出身者=サイコパスという式を崩してみせよう。これでみんな胸を張って常識人だ。私がその第一人者となる。

 

 夕食時間以降はマニュアル通り過ごすだけとなっている。これには時間制限はなく、子どもそれぞれのペースで行って良い。だから私は今日も他の子を置いて一人さっさとマニュアルをこなす。

 お風呂へと向かう私の背後にまた気配がある。どうやら今日の彼は雛鳥の気分らしい。振り向かないし待たないし、彼も何も言ってこない。ただついてくるだけ。自由時間でのべったり具合はなんだったんだと問いただしたくなるような徹底振りをしていると自分でも思う。

 一人じゃないこと。それがどんなに尊いことか記憶が語る。

 私はまだ何もできない。まだ何もしない。でも今此処に在ること、それが彼の一片の救いになっていればいいなと希望的観測をする。

 歩くスピードを落とす。せめてもの大人への抵抗であり、せめてもの彼への意思表現だった。彼は今後ろでどんな顔をしているのだろう。無表情は変わらずとも、内心で少しでも喜んでくれていたらいいなと思った。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 雛鳥清隆くんは健在だ。だんだん距離が近づいて、もはや並んでいると言った方が正しいくらいになっている。けれどチラと見て居場所を確認すればそれで終わりだ。そろそろ歩幅とか身長的な問題で追う追われる立場が逆転するだろうと思いながらも幾数年、未だに律儀についてきてくれている。これが刷り込みだろうか。

 子どもはもういなくなった。ついに二人だけになってしまった。私たちは二人ぼっちでこの白い地獄の中を未だ逞しく生きている。逞しいかどうかは謎だが、身体能力的には言い得て妙であろう。頭脳も逞しくなった気がする。血管ビキビキだぜ。ここでは脳筋の意を示しているわけではなく脳の皺が増えたという意味で言っている。私は何を詳しく説明しているんだ。ボケを自分で説明することほど恥ずかしいことはないと個人的に思っている。誰に聞かせると言うわけでもないからボケるのはやめないが。

 

 今日のカリキュラムを終えて、束の間の自由時間の中で壁にもたれてぼーっとする。私の肩に清隆くんは頭を預けて、触れた肩から伸びる手はお互いに繋がっている。私もこてんと彼の頭に側頭部を預けた。同じシャンプーの匂いに混じって彼自身の匂いもする。不快感はない。なんなら、安心する匂いだと思う。

 

 

 ───機械的な日々を無為に繰り返して早10年。私たちは10歳になっていた。

 

 

 一般的に女子の方が第二次性徴が早く訪れる。膨らんだ胸を見下ろし、隣にいる彼と比べたら随分と細い肩、腕、手。違いを数え出したらキリがないことに間違いはない。そもそも身長からして違う。それだけで一つ一つの部位の長さも変わっていく。

 同じだった体格に変化が訪れ、体の厚みも変わった。彼と並んだら私は随分とひ弱に見えることだろう。同じカリキュラムをこなしているはずなのに、こんなに変わってしまった。まあそれも今ではカリキュラムまで変わってしまって、ああ、本当に私たちは変わってしまったんだなぁと痛感する。痛感したのだ。だから私たちがこうして会えて触れ合うのは自由時間の一時間だけになってしまった。まあ同じカリキュラムだったとして、試験中はずっと虚無虚無しながら課題をこなしているので、どちみち顔を合わすことも触れることも会話することもなかったが。

 それでも確かに、お互いが生存していることを確認できた。今日もお互いに生き残れたことを実感できた。今じゃこの自由時間だけが彼の存在を確かめられる唯一の術となっている。

 彼が脱落することはないと知っているから私は特に不安を感じないのだが、彼の場合はどうだろうか。カリキュラムまで変わって、そろそろ私が脱落するんじゃないかと不安になってやいないだろうか。……不安になってくれていたらいいな、と人としてどうなのかという気持ちを抱く。

 初めは打算だったかもしれない。同情もあったか。私は記憶を持っているから知っている。温かい気持ちも嬉しい気持ちも、悲しみも怒りも知っている。だけど彼はわかってない。知らないからわからない。感じ方からわかっていないんじゃないか。それは寂しいことだろう。だから少しでも私が何か彼に与えてやれたらと思った。与えたいと思った。

 懐柔というには言葉が悪すぎる。

 

 ……私は、たぶん、私がいたという証を残したかったんじゃないだろうか。彼の中に一片。私という欠片があればいいと思った。彼の中に何かを残したくて……いや。残りたかった、のだろう。

 

 無機質な放送が流れる。私だけが呼ばれている。確か今日は複数人を相手にした戦い方の実戦講義だったか。……少し嫌な予感がしている。

 前回の講義終わりに嫌な声の掛けられ方をした。確かあれは、あの目は……言葉にするならば───。

 

「葵」

「……なぁに、清隆くん」

 

 ぎゅ、と手を握られる。知っている声よりも少し高い声を聞くと、なんとなく優越感に浸れる気がする。彼が紡ぐ自身の名が宝物にでもなったみたいだ。彼は私の名を呼ぶたび、ひどく大事そうに紡ぐから。自惚れてしまう。

 名前が知りたいと、私の服の袖を掴んでジッと見つめてきた幼い彼を思い出す。どうして今さらそんな昔のことを思い出したんだろう。……いよいよ虫の知らせみたいだ、と思って、うすらと笑った。

 彼の髪が首に当たる。くすぐったくて肩をすくめた。離れていく頭に合わせるように私も隣に顔を向ける。間近で視線が交わり、幼い丸い瞳が私を見つめ返す。以前より丸みは失ってしまったけれど、童顔な彼の瞳は依然愛らしくくりくりとしていた。

 不思議な色合いの瞳が瞬く。

 

「……いってらっしゃい」

「……うん。いってきます」

 

 お互いに何も言わない。暗黙の了解染みたそれは、だけど今このときだけはありがたかった。

 

 

 私は生き残る。この子を独りにはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは実験なのだ、と血を垂れ流し床に蹲る私の前で白衣を纏った男が言った。

 私を囲う筋肉隆々な男たちに血の痕はない。いや、強いて言うならば握られたナイフには血が滴っている。もちろん彼らの物ではないが。

 明らかな戦闘のプロ。おそらく戦場を経験した者、或いはそれに近しい体験をした男複数人。

 行われたのは、そんな彼らを相手にした集団戦だった。

 彼らはナイフ以外にもさまざまな武器を手にしていて、動きからして熟練。それぞれ得意な得物を持っているのだろう。

 対する私は素手でのステゴロだ。今回は武器の保有を認められず、強制的に素手での戦闘と相成った。

 別にそれだけだったなら問題はなかったのだが、今朝から妙に体の動きが鈍く感じるというか……一人だけの別カリキュラムで、ある程度耐性はできているはずなのだが、その耐性を超えてくるのだから今回の出来事に相当力を入れていることはわかった。

 なんにしろ、今回は降参だ。完膚なきまでの敗北。状況がどうとか体調がどうだとかは関係ない。だが、動きの鈍い体で致命傷だけはすべて避けたのだから、せめての慈悲で及第点くらいにしてほしいと思う。過程で体中にできた夥しいあざはまあ……ご愛嬌にならないだろうか。ならない?

 

 そんな感じであえなく白い床を赤く染めながら倒れ伏している私に、白衣の男の行先を邪魔しないよう私を散々痛めつけてくれた男たちが下がる。

 両手を背中に回してまるで偉い教授みたいな態度で、白衣の男が私のそばに立つ。しゃがむわけがない。見下ろすわけでもない。どこを見ているのかわからない目で“何か”を見据えながら淡々と言う。

 

「講義は段階を経てプログラム通り終えた。後は教えた内容が身についているか、目標地点にまで到達しているかの確認。WR4-35とWR4-01は親しい様子を見せていた。実験をするにあたってこれほど相応しい者はいない」

 

 機械の声だ。ぼやけた視界で捉えた白いロボットに笑う元気もない。幻覚とはとても思えない。

 連れて行け、という平坦な声がする。雑に持ち上げられて、微弱な振動の中で千切れそうな意識を保つ。気を失ってしまいたいが、身の安全を確認してから意識を手放したい。治療はちゃんとされるのか、その点だけでも確認しておきたかった。

 私の体を持ち上げていた男がある地点で止まる。歩数的に考えて、…意図が読めない。私をここに運んでどうするつもりだ。

 扉の開く音が聞こえる。感じていた浮遊感がなくなり、後に体に伝わる冷たい床の温度。

 出口付近にいる離れた複数の人の気配。対する部屋の奥にいる一人の気配。

 講義。プログラム。目標地点。……実験。ああなるほど、そういうことかと遅ればせながら理解する。こういう理解が遅く鈍いところが彼と私が分たれた要因なのだろう。

 

「WR4-01。今からテストを行う。直ちに此方に来るように」

 

 致命傷はない。傷はあるが、どれも浅いものだ。量が多いため少し大袈裟に見えるかもしれない。自分の今の姿を鏡で見ていないため大分予測が入ってしまうことが残念だ。

 足音が近づいてくる。一定の歩幅と速度。すぐ隣まで迫り、止まる。

 視線を感じて体力消費のため閉じていた瞼を開けた。せっかく開けたのに逆光で顔がはっきりしない。

 

「テストとは?」

 

 しばらくの無音。私を挟んで両者とも動く気配がない。間に挟まれた私が気まずいのだが……あと一応我、怪我人。怪我人ぞ?

 ふざける元気はもとよりないわけだが、息がうまくできない重圧を人知れず感じて口籠ってしまう。別に何か言ったところで状況は変わらないのだろうが、呼吸さえ躊躇するような空気にはさすがに戸惑ってしまう。息が満足にできないのに、当然喋れるわけもない。

 ただならぬ雰囲気に戦々恐々としている私なのに、なぜか複数人いる側の気配が落胆したものに変わった。代表して聞き覚えのある白衣の男の声が言った。

 

「……計測不能。時期を急ぎすぎたか? それともやはり習得は難しい、か」

 

 ボードにさらさらと何かを書き込む音と、続けて速やかに指示を出しまた私の体が雑に持ち上げられた。掴まれた箇所は大きいあざができている場所だ。一瞬息を詰め、努めて深く息を吐く。痛みを逃す。

 目を開ける元気も今ので根こそぎ奪われた。固く目を閉じ、浅く変わろうとする呼吸をどうにか抑える。私に勝てるのは私だけだ。間違えた、私を落ち着かせるのは私だけだ。ダメだ危機感が一周回って頭おかしくなってる。

 今度こそ医務室に向かってくれるだろうか。まさか清隆くんのテストのためだけに私の体をダメにして脱落させるわけあるまい。というか、それで脱落になったら無念すぎて泣く。

 淡々と運び出されながら、胸の中で嘆息に似たため息をこぼした。内心複雑すぎてなんとも言い表せない。そもそも彼の瞳を覗けなかった。それでは僅かに瞳の中に現れる彼の感情の変遷も確認する術はない。

 テストで判定された『計測不能』はいいとして、気になったのはあの全身にかかった息もうまくできないような酷い重圧だが……それも目を開けることさえ満足にできないポンコツ化した私からしたら気のせいだった可能性も否めない。

 早く回復したい。回復していつも通り無為な日々を過ごしたい。

 忌避してた無為さを愛するようになったら人間終わりだと思っていたのに、体をボロボロにされたら愛するようになるなんて随分都合が良いことだ。いっそ人間らしいと言えるだろうか。……やっぱり皮肉なもんだと内心で笑う。

 早く体を治して、清隆くんに会いたい。今はあの無表情がひどく恋しかった。

 

 いつもと変わらない日々の証明が欲しかった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 悲報。清隆くんと心の距離が空いた。あんなに懐いてくれていたのに。あんなに自由時間二人でくっついていたのに!

 久々に! って使った気がするな。私思ったよりこの白い地獄に精神やられていたのかもしれない。大丈夫、私がホワイトルーム出身者=サイコパスの式を崩すっていう目標は諦めてないから。その前段階で心折れそうになってるけど。

 

 顔を上げずに彼の様子を確認する。私と対面する形で壁にもたれており、一切視線は寄越してこない。その無言の拒絶っぷりに心が折れた。気合いで折り返して修復した。

 なるほど、なるほど。物知り顔でふんふん頷く。

 なんとなく読めてきたぞ。私がズタボロになった姿をテストと称して見せられた日から数十日。回復して一人で歩けるようになってまたこの部屋に無事戻って来れたが、どうやら清隆くんはその数十日の間で独り立ちをしたらしい。あんなに私の後をついて歩いていたのに、食事のときだって後ろをついて来ていたのに、今はさっさと先に行かれる。二人しかいないから今度は私が追いかけてるみたいになってる。

 長年染み付いていた刷り込みから解き放たれて、一人で自由に行動できるようになったんだね……あれ……嬉しいことのはずなのに涙が……。

 下を向いていじいじと指先を弄った。本当は今すぐにでも清隆くんに縋りつきたい欲はある。そもそも最初から私の体当たりアタックで関係が始まったのだ、もう一回繰り返してもおかしなことではないと思う。でも、……彼の選択を尊重したいとも思うから、行動に起こせない。

 このまま薄れて、途切れるのだろうか、とぼんやり考える。

 ……いや……“これ”こそ、記憶通り、か。

 

 胸がじくりと痛む。寂しいと思う感情を抑え込む。体育座りで膝の間に頭を埋めた。情けない話だけど、少しだけ涙がこぼれてしまった。

 

 どうやら私もこの異常な空間で、気付かぬうちに随分と心が弱くなっていたらしい。彼を支えてあげるなんて驕った考えだ。私がずっと彼に縋っていたのだ。私が彼にしがみついていたくせに。

 

 

 どうにもこうにも、救えないなぁ。瞼を閉じて、薄暗い世界に一人閉じこもった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 白い地獄の一年の停止。私と清隆くんは停止中に別荘に連れてこられ、そこで執事の松雄さんと共に待機を命じられた。

 ついにこの時が来たと思った。そしてようやく私が温めてきた策が日の目を見る時が来たのだ。

 

「清隆くん」

 

 私の呼びかけにピク、と彼の肩が反応する。こうして声をかけるのも随分久しぶりのことだった。話さないまま何年経っただろう。もう覚えていないや。

 与えられたそれぞれの個室。清隆くんの部屋の扉を無遠慮に開け、中に入ることなく言いたいことを伝える。

 

「私はこれからいろいろ行動する。不審に思うこともあるかもしれない。でも、邪魔だけはしないでほしい」

 

 それだけだから、と言いたいことだけ言って部屋から去る。自分勝手が天元突破していることはわかっている。でも今の間じゃないとできない。

 することは決まっている。成功材料もコツコツと集めていき、準備は既に整っていた。後は緻密に、精密に事を行なっていくだけだ。

 人事を尽くして天命を待つ。なのだよ!

 

 

 まずは執事の松雄さんを変えることから。これは簡単だ、適当に文句をつけてダメ出しして、新しい人がいいと要望を出せばいいだけ。かなり面倒くさい文句を言っている私を静かに見ている目はあったが、最初にお願いした通り清隆くんは邪魔をしないでくれている。今はそれだけでありがたい。

 松雄さんからあっさりと変わり後任となった執事……も文句をつけ変更。これは周囲が松雄さんにだけ注意を向けないようにするためだ。私の目的が松雄さんを私たちのそばから遠ざけることにあったということに気づかれないようにするため。念には念を入れていきたい。

 何かと文句をつけ執事変更を繰り返すこと2桁に迫る頃、ついにちょうどいい人物がやってきた。最後の執事は小悪党気質の男だった。私たちに充てられた資金をちょろまかして私腹を肥やしたりするタイプの小悪党である。採用です、おめでとうございます。

 この執事は望んだ通りご立派に役目を果たしてくれたので、そのおかげで私たちの食事など含む生活は少し質素になってしまった。が、ピンチはチャンスだ。再度清隆くんの部屋に突撃し改めてそのことについて謝りつつ、少しの間だけ我慢するようにお願いして部屋を後にした。言いたいことだけ言って去るスタイルが身に付いている。

 

 私のやりたいことの一つに松雄さんを救いたいというのがあった。松雄さんは報われるべき善人だ。彼を生かさずして私が此処にいる意味は万が一にでもあるのか。エゴだとわかっている。でもどうしても救ってあげたかったのだ。松雄さんは清隆くんの恩人だから。今の彼には身に覚えがないだろうけど、それでもいいから感謝を示したかった。

 傲慢さは反省して萎むどころかむしろ余計に膨らんでばかりいる。私らしくていいじゃないか。私はエゴと傲慢を愛する人間だ。なれば、エゴと傲慢も私を愛しているはずである。つまり相思相愛だ。誰にも私たちの間に入り込めないんだからぁ!

 という冗談はさておき、着々と準備を進めていく。幼い頃一度訪れた人物の携帯番号を思い出しながら電話をかけた。もちろん足跡がつかないよう受話器には細工済みだ。電話が繋がり単刀直入に要件を告げる。

 

 

「ホワイトルーム生を秘密裏に貴校に迎え入れていただけませんか」

 

 

 坂柳理事長。

 

 

 電話の向こうで息を呑んだ気配がする。私はうっそりと口元に笑みを刻んだ。

 

 

 

 

 よぉしこのままスピーディーに高度育成高等学校まで直進するよぉ! みんな遅れるなよ! みんなっていうかまあ私含めて二人しかいないんだけど!

 

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