ここ最近は清隆くんの部屋が須藤救済組の溜まり場的な感じになっており、私は夕飯を食べに清隆くんの部屋に行ったり、お泊まりしたりすることなく自分の寮に帰る生活を送っている。
とは言っても、朝はどちらも何を言わずとも待ち合わせして一緒に学校に向かっているので、情報伝達は完璧だといえよう。
「佐倉さんが目撃者の可能性がある?」
「ああ。堀北によると、だがな」
なるほど。今はその段階、と。
思案げに視線を下げながら、会話を続ける。
「そっか。Dクラスの生徒か〜」
「もし他クラスか他学年で、かつ学校側からも信頼の厚い目撃者だったなら、また話は違ったんだがな」
「ま、ないものねだりだよね」
私の言葉に清隆くんが頷く。私もふんふん頷いた。
「今日櫛田が佐倉に話しかけてみると言っていたから、それまでは様子見するしかないな」
「何か進展あるといいね」
私たちの歩く速度はそう速いものではない。なんなら人より遅いくらいだ。何から何まですべてを計測されていた以前と違い、今は急ぐ必要も事柄もないため、二人揃ってゆっくりしまくるという悪癖が出来上がっている。
人に合わせろということなら別に何も問題はないのだが、私たち二人が揃い、なおかつ二人だけで他に気を遣う人がいないという状況であるならば、この悪癖が満を持して登場する。歩くスピードはまさしくその悪癖の代表といえた。
私たちの他にも学校に向かっている生徒は多くいる。というよりどんどん増えていき、どんどん追い抜かれていったというのが正しい。みんな歩くの速い。
照りつける太陽を見上げた。朝も早いことで、頭上には雲一つない爽快な青空が広がっている。
パタパタと襟を扇いで、辟易しながら言った。
「暑いね……」
「そうだな。これが夏か……」
お互いにしみじみと夏を実感する。
「ポイント手に入ったら、アイス食べない?」
「いいな。かき氷も食べてみたい」
「夏祭り行きたい夏祭り」
「ここって夏祭りとかあるのか?」
……なさそうだな……。
なんにせよ、これからが楽しみなことに変わりはない。7月に入ってからずっとワクワクしている気がする。
暑さでじんわり汗をかいている感覚ですら楽しかった。清隆くんは嫌そうに眉をひそめているが、その顔を見ているのも面白い。
夏はまだ始まったばかりだ。もっとたくさんの未知に出会い、既知に変えていきたいと思う。なおダジャレを言ったつもりはない。
「綾小路くん、水元さん。おはよう」
教室に着いて早々、平田くんが声をかけてきた。今日も相変わらず爽やかなフェイスをしている。暑さの方から逃げていきそうな爽やかイケメンフェイスだ。
さらに微かに匂ってきたフローラル系の甘い香りに、女の子はみんな思わず『抱きしめて!』と懇願してしまうことだろう。そして優しい平田くんは困惑しつつも快く受け入れてくれる流れまで読めた。……あれ……つまり……?
ふら〜っと光に集う蛾のように平田くんのもとに行こうとして、襟首を捕まえられた。まさか先に清隆くんにやられるとは思いもしなかった。
仕方がないので期待に応えるべくコホンと一度咳をしたのち、『にゃー!』と叫ぼうとして後ろから口を押さえられる。
「それは今度聞いてやるから、今はやめろ」
直前まで言おうとはしていたが、実際は目の前に平田くんがいたためさすがに恥ずかしくなって言う気がなかったなんて言えない。
しかし好都合なので、口を押さえられたままモゴモゴと訳:そのときは清隆くんも『にゃー』って言ってね、と話していると、平田くんが私たちを見ながら苦笑していることに気づく。
「二人はいつも仲が良さそうでいいね」
もし平田くんにキュンキュンポイントというものを与えられるなら、おそらく今目の前でされている苦笑にさえ私は30ポイントは与えている。なお上限は100だ。100になったら……始まる。
「そうだ、櫛田さんから聞いたよ。目撃者が見つかったんだってね、佐倉さんだとか」
平田くんがさっそく本題に入った。もともと何か目的があって話しかけにきていたのだろうし、納得のことだ。
あまり関わりがないから、わざわざ朝から話しかけにくるなんておかしいとは思っていた。
「佐倉とは話したりするのか?」
「僕? いや……挨拶をする程度だよ。彼女はいつもクラスで一人だからどうにかしたいと思ってるんだけど、異性だと強引に誘うってわけにもいかないからね。かといって軽井沢さんにお願いするのも、ちょっと問題が起きそうだし」
軽井沢さんと佐倉さんの会話。確かに二人が話しているところはあまりイメージできない。
「ひとまず僕らは櫛田さんからの報告を待とうと思う」
「それはいいけど何故オレたちに? 池や山内に言った方がいいぞ」
「特に理由は無いけど……強いて言うなら堀北さんとも繋がりがあるから、かな? 堀北さんは君たち以外とは話もしないようだからね」
「なるほど」
特に話してるのは清隆くんだと思うが……まあ私は清隆くんとよく一緒にいるからな。結果的に堀北さんと話している機会は3バカよりは多いか。ならば平田くんにそういう認識を持たれても仕方ない。
……そろそろ口を押さえている手が邪魔に感じてきた。会話も一旦の終わりを見せたことだし、ここで適当に剥がす。
「そうだ。もしよかったら近いうち一緒に遊びに行こうよ。どうかな?」
「えっ!? いいんですか!?」
「葵」
「はい」
いかん。つい食いついてしまった。清隆くんに言っていることと理解しているのに、つい欲望が先に出て……! くそ、なんて悪い口なんだ。
清隆くんの脇腹を肘で軽くつつく。よかったね、という意味だ。平田くんからのせっかくのお誘いだ、断る理由はあるまい。
口に出さずとも行動で私の意思は伝わったのだろう。清隆くんが少しした後、ゆっくり口を開く。
「……まあ、別にいいけど」
ぶっきらぼうな返事に唖然とした。この子は何を言っているの……!?
平田くんは清隆くんのその返事を聞いて、申し訳なさそうな顔をする。
「ごめん、ノリ気じゃないかな?」
嬉しいくせに! 嬉しいくせにこの子強がっちゃってるんです! 本当は嬉しいんです!
「行く、行く。全然行くから!」
清隆くんに代わって慌てて返事をした。ちょっと気持ち悪いと思われそうな返事だが、やむを得ない。というか普通に私も行きたい。でも平田くん単体と行くのは違うから、叶うなら大人数で行きたい。そして清隆くんと二人でそこに紛れ込みたい。
欲望が際限なく出てくる。全部表に出していないだけマシだと思ってほしい。
平田くん、清隆くんと別れ、自分の席に向かう。その途中で、いつのまにか佐倉さんが席についていたことに気づいた。
話しかけることはしない。佐倉さんは人見知りで、周囲の目がある中で話しかけられることが得意ではない。
何をするわけでもなく、席に座って時間が過ぎるのを待っているように見える。そろそろ朝のホームルームが始まる頃だ。
一体いつから一人で待っていたんだろう。
そんな疑問が頭に思い浮かぶが、だからといって私がすることは何もない。
今日も新しい一日が始まる。
§
放課後になると、櫛田さんはさっそく行動に出た。
ホームルームが終わると同時に席を立ち、静かに帰る準備をしている佐倉さんのもとに向かう。あの櫛田さんが緊張しているように見えるのは珍しいことだ。
櫛田さんが佐倉さんに接触することを知っていた私たちに加え、池、山内、須藤の意識も彼女たちに向いている。
「佐倉さんっ」
「……な、なに……?」
佐倉さんは声をかけられると思っていなかったのか、体を強張らせる。
「ちょっと佐倉さんに聞きたいことがあるんだけどいいかな? 須藤くんの件で……」
「ご、ごめんなさい、私……この後予定あるから……」
最初こそバツの悪そうな顔をして話を切り上げようとしていた佐倉さんだったが、話が長引くごとに徐々にその表情に怯えが混じっていく。
佐倉さんと櫛田さんという珍しい組み合わせが教室で話しているのもあって、必然と周囲の視線が集まってきているのだ。
佐倉さんは櫛田さんから距離を取るように荷物をまとめ、立ち上がる。
櫛田さんによる説得が失敗に終わったのは明白だった。
「さ、さよなら」
言うが早いか逃げるように佐倉さんが踵を返す。机に置いてあった彼女の私物と思われるデジカメを握り締めて歩き出す。
そしてその直後、携帯で友達と喋りながら前を見ず歩いていた本堂と肩がぶつかった。
「あっ!」
短い悲鳴の後、無惨にもデジカメが床に叩きつけられる音が教室内で小さく響く。
慌ててデジカメを拾い上げる佐倉さんに対し、本堂は悪い悪いと軽く謝りながらも携帯に意識を集中させたまま教室を出て行った。なんだアイツ。
「嘘……映らない……」
佐倉さんがショックを受けた様子で、それでも諦めきれず何度も電源ボタンを押したり、バッテリーを入れ直したりしている。しかし主電源が入る気配はない。
櫛田さんは佐倉さんに負けず劣らず顔を青くさせて、その様子を近くで見守っている。
「ご、ごめんね。私が急に話しかけたから……」
「違います……不注意だったのは、私ですから……さようなら」
泣きそうな顔をしている佐倉さんを呼び止めることが出来ず、櫛田さんは去っていくその背を見送るしかできないようだった。
「何であんな根暗女が俺の目撃者なんだよ。ついてねえな。つか俺を救う気あんのかよ」
誰か須藤の頭を救ってあげてください。
「須藤くん、かえって良かったかも知れないわよ。彼女が目撃者で」
堀北さんがさっそく全力で煽りにかかっている。煽り耐性ゼロの須藤に、初手堀北さんの煽りぶっぱはキツいと思う。
しかし堀北さん相手だからこそまだ我慢していると思ったら、少しずつではあるものの綺麗な須藤に変わりつつあるのか。うーん、これが成長……。
───教室内の空気は最悪になっていた。堀北さんに続いて、高円寺くんも須藤煽りメンバーに仲間入りしたからだ。堀北さんに勝るとも劣らない清々しい煽りっぷりだったと言っておこう。
平田くんが間に入らなければ、きっとこの場で高円寺vs.須藤の喧嘩が始まっていたと思う。Dクラスのヒーローは今日も大活躍だ。
仲裁されて一旦矛を収めた須藤だったが、その後盛大な舌打ちを一つ残し、すぐに乱暴に教室を出て行った。
教室に残っていた生徒たちもそれに続き、ぱらぱらと出て行く。
さて、私はこれからどうするか……今日は部活が休みなのだ。大会が近いとはいえ、毎日練習だと逆に効率が落ちるからという理由だ。
後ろで清隆くんたちが会話しているのは聞こえていたが、中に入る気にはなれない。ので、荷物を片付けバッグを持ち上げる。
肩に手が乗った。
「葵。今日は部活休みだって言ってたよな? 一緒に帰ろう」
一足遅かったか……。
振り向けば清隆くんは当然として、堀北さんもいた。
どうやら今日はまだ少し長く続くらしい。
§
「あっついな……」
「さすがに私もこの場所はキツい」
「もう少しだけ我慢してくれ……」
「清隆くんの方が先にダウンしそうなんだよな……」
朝よりも放課後の方が蒸し暑さが増すのは当然のことだ。加えて、今私たちがいる此処は特別棟。特別な授業が無い限り生徒の出入りはなく、そのため本校舎と違い四六時中冷房が効いているということがない。
清隆くんが暑さによりいつもより生気を失った声で、先を行く堀北さんに言う。
「悪いな、こんなところに付き合ってもらって」
「私にも謝って……」
「すまん……」
「いいよ……」
涼しい顔をしている堀北さんが羨ましい。こんなに暑いのに、新陳代謝どうなってるんだ。
堀北さんは私たちの様子を一ミリも気にかけることなく、静かに特別棟の廊下を見渡していた。
「あなたも変わってるわね。自分からこの件に首を突っ込むなんて。目撃者は見つかったし、もう打つ手がないことも判明した。これ以上何をしようというの?」
「須藤は最初に出来た友達だからな。多少の協力はするさ」
「ならあなたには、彼を無罪にする方法があると思ってる?」
「それはどうかな。まだ何とも言えないな。それにオレが一人で動くのは、平田や櫛田たちと大勢で行動するのはちょっと苦手というか、得意じゃないからだ。今日も皆で校舎や教室を色々回るかもと思ったから、逃げただけとも言う。事なかれ主義らしいだろう?」
「本当にね。それで友達だから協力するって、相変わらずの矛盾ね」
「人間なんてお互い、大なり小なり都合が良い生き物だからな」
会話するごとに暑さでやられていっているらしい清隆くんを見ているのはちょっと面白い。
なお人のことを面白がっている場合ではない。あっつい。
「まあ綾小路くんの個人的な考えなんて私には関係ないし何をしても自由よ。それと、あの二人を苦手意識する姿勢は嫌いじゃないわ」
「それ、単純におまえが嫌いだからだろ」
「共通の敵を持つということはそれだけ協力し合えることでもあるもの」
「いや、苦手であって嫌いじゃないぞ。そこは一緒にしないでもらいたい」
「私はあの二人好きだよ!」
一応勘違いされないよう主張しておく。堀北さんが私を見て、呆れたように息をついた。
清隆くんが廊下の端まで歩いて、そして天井から壁の隅まで隈なく見て回っている。
清隆くんのその挙動を見て、堀北さんは何かに気が付いたように真剣に辺りを見渡し始めた。そして考え込む。
「ここには無かったのね。残念だわ」
「え? なにが」
白々しすぎて逆に疑いづらい……。
清隆くんが暑さで順調にポンコツ化していっているようだ。もしかしたら早く終わらせたいのもあるのかもしれない。
「教室にあるような監視カメラよ。もしカメラがあれば確実な証拠が手に入ったのに。この特別棟の廊下には見当たらない」
「ああそうか。監視カメラか。確かにそんなのがあれば一発解決だったな」
しばらくの間、特別棟を三人でうろうろする。私と清隆くんに至っては夢遊病者みたいな出で立ちとなっていた。あっつい。
いくら歩いても得るものは何もないため、時間だけが無駄に過ぎていく。
須藤を救済するためにポツポツ会話してみたりもするのだが、やはり名案は思い浮かばない。というかあっつい。無理だ。頭が回らない。
いくら夏が好きだとしても、さすがに暑すぎるのは無理だ。これでまだ7月なんだから恐ろしい。真夏の特別棟には絶対行きたくない。
「堀北さんはここ暑くないの?」
「私、暑さや寒さには比較的強いから。水元さんと綾小路くんは大丈夫……じゃなさそうね。…………大丈夫?」
ようやくこちらをちゃんと見たらしい。私たちの顔色は、堀北さんが思わず声をかけて心配するレベルであったようだ。ありがとう、そのデレのおかげで少し生き返れた気がする。
清隆くんが夢遊病者が如く窓に近づく。あっと声を上げる元気もなければ、当然止める元気もなかった。
清隆くんが窓を開き、そして尋常じゃない素早さで開けたばかりの窓を閉じる。ホワイトルームで培った能力を惜しげもなく出している。
「……危なかった」
「ごめん……清隆くんの自殺行為を見逃して……」
「気づいていたなら言ってくれ葵……」
「あなたたち本当にどうしたの?」
ついに堀北さんが気味悪がるレベルにまで達していたようだ。さすがにもう限界だろう。
清隆くんと目を合わせて頷く。
「用事も済んだし、帰るか」
「帰ろう帰ろう」
「急に生き生きしだして気味悪いわよ……」
三人で来た道を引き返す。
そのとき廊下を曲がろうとして、丁度同じように曲がってきた生徒とぶつかってしまった。それほど強い衝撃じゃなかったため、お互いに転ぶことがなかったのは幸いか。女子生徒同士というのもあったのかもしれない。
「ごめんなさい、気づかなくて」
「いえ。私の方こそすみません、不注意でした」
お互いに頭を下げて謝り合ったところで気づく。佐倉さんだ。
佐倉さんも私に気づき、目を丸めた。
「あ……水元さん……」
「こ、こんにちは。佐倉さん」
「こ、こんにちは……」
コミュ症二人が揃えばこんなものである。うーん、挨拶できてえらい。
ふと佐倉さんが握っている携帯に気づく。つい視線をやれば、少し慌てた様子で画面を見せてくれた。
「あ、えと。私は写真撮るのが趣味で、それで……」
深く聞くつもりはなかったので、少し申し訳ない。
頬を掻きながら、何とはなしに話を掘り下げてみる。
「趣味って、何撮ってるの?」
「廊下とか……窓から見える景色とか、そういうの、かな」
ここで私の隣にいた清隆くんと堀北さんの存在に気づいたらしい。
あっと小さく声を上げ、すぐに俯き加減になる。
「あ、えと……」
「少し聞いてもいいかしら佐倉さん」
声をかけられて怯えてしまったのか、佐倉さんがじりじりと後退する。清隆くんを見れば目が合う。……うう、と内心で呻いた。
今のところ佐倉さんがはっきり認知しているのは私だとわかっている。なのに未知数な清隆くんがここでいきなり話しかけても、佐倉さんはさらに怯えてしまう結果になるかもしれない。ならば、私から話を始める必要がある、か。
堀北さんに佐倉さんを追及しないようジェスチャーを送る。
その上で、「さ、さよならっ」と言い残し真っ先に遠ざかろうとするその背中に、努めて優しく声をかけた。
「佐倉さん。無理しなくていいからね」
私の声かけに立ち止まった佐倉さんだが、振り返る気配はない。
言葉を続ける。
「佐倉さんが目撃者だったとしても、名乗り出る義務はないよ。それに無理に強いて証言してもらうことに、きっと意味は無いはずだから。もし可愛くて怖い誰かに強要されそうになったらいつでも相談して。どこまで力になれるかは分からないけど、力になるよ」
「可愛いと怖いって両立するものなの? あとそれ誰のこと言ってるのかしら?」
両立します。
あと本気で誰のことかわかっていない様子にはちょっと笑う。
……と、今は佐倉さんをこの場から逃すのが先だ。
「私、何も見てないから。人違いだよ……」
「うん。それならいいんだ。ただ、もしも他の誰かに詰め寄られたら、そのときは教えてね」
少しの沈黙の後。佐倉さんは小さく返事をして、またパタパタと階段を降りていく。
堀北さんは無言で私たちの様子を見守っていたが、佐倉さんの気配が完全に消え去ったのを頃合いに、少し不満そうに声を上げた。
「千載一遇のチャンスだったかも知れないわよ? 彼女、事件のことが気になって足を向けたんだろうし」
「本人が認めないんだから、そこは無理強いしても仕方ないんじゃない? それに堀北さんも分かってるでしょ、Dクラスの目撃者は証人として弱いって」
「まあ、そうね」
堀北さんが少し目を見開いて私を見た。今何か失言しただろうか?
それにしても暑い。早くこんなところ出て行きた───
「ねえ君たち、そこで何してるの?」
…………うそ………アッ………。
もはや振り向くこともできない。
固まったままでいると、先に振り向いて後ろから声をかけてきた人物を確認したらしい清隆くんがさらっと私の前に出た。慌てて私も動き出す。
「ちょ、ちょっとまアッ」
振り向いた瞬間沈没した。結局自ら清隆くんの背中に縋り付くという情けないことになる。
あまりの心臓の暴れっぷりに直視できない。こうやって隠れながらチラチラ見るので精一杯だ。
三人のうち一人だけ異常行動を取っているのもあり、振り向いた先にいたストロベリーブロンドの美少女───一之瀬さんの視線が私に吸い寄せられる。み、見ないで……! こんな情けない私の姿を見ないでください!
「あの……彼女、大丈夫なの?」
「大丈夫だ。気にしないでくれ」
彼女って呼ばれた……ありがとう……。
謎の感謝を捧げながら清隆くんの背中により一層縋りついた。この背中がないと生きていけない。
私の狂気しかない様子をただひたすら善意から心配してくれていた一之瀬さんだったが、清隆くんから「大丈夫だ」の一点張りをされ、心配しつつも一応この場ではこれ以上追及するのはやめたらしい。
一之瀬さんが切り替えるように一度こほんっと咳をする。咳の仕方可愛いすぎない?
「えっと……ごめんね急に呼び止めて。ちょっと時間いいかな?」
「私たちに何か用かしら?」
堀北さんはいきなり現れた一之瀬さんに警戒心を剥き出しにしている。こんな場所で声をかけられるなんて、堀北さんからしたら偶然だとは思えないからであろう。
「用って言うか……。ここで何してるのかなーって」
「別に。何となくうろうろしてただけだぞ」
清隆くんの援護も続く。おそらく堀北さんが視線でプレッシャーをかけているのだろう。清隆くんなら別に素直に答えてもいいと思ったはずだ。
「何となく、かあ。君たちってDクラスの生徒だよね?」
「……知ってるのか?」
「君とは前に2回くらい会ったよね。直接話はしなかったけど。そっちの子も、図書館で一度見た覚えがあるんだよね」
さすが一之瀬さん……これがコミュ力の王者の貫禄だよ。清隆くんは見習って。いや覚えることはできるんだけど話しかけられないのか……世知辛い世の中である。
「君の後ろにいる子も───」
「気にしないでくれ。大丈夫だから」
「あ、うん」
ナイスアシストである、清隆くん。たぶん話しかけられたら私はダメになる。
戸惑った様子ではあるものの、また気を取り直し一之瀬さんが話を続ける。
「てっきり喧嘩騒動絡みでここにいるんだと思ったんだけどな。私がいなかったタイミングで、昨日Bクラスに目撃者の情報探しに来てたみたいだしね。Dクラスの生徒が無実を証明しようとしてる、って後で聞いたんだよ」
「もし、私たちがその件に関わる調査をしていたとして、あなたに関係が?」
「んー、関係は……あんまりないね。でも、概要を聞いてちょっと疑問に思ったから。それで一度様子を見ようと思ってここに来たの。よかったら事情聞かせてくれないかな?」
少しの間沈黙が続く。清隆くんたちも図りかねているのだろう。
一之瀬さんは少しバツが悪そうに言った。
「ダメかな? 他のクラスのことに興味持ったら」
「いや、そんなことはないが……」
「裏があるようにしか思えないわね」
穏便に運ぼうとした清隆くんの思惑が、堀北さんの容赦のない一言により無惨に切り捨てられる。哀れ、清隆くん。
そして一之瀬さんは堀北さんの言葉の意味を解釈し、首を傾げながら微笑えんで───可愛すぎない?
「裏って? 暗躍してCクラスやDクラスを妨害する、みたいな感じの?」
一之瀬さんが心外だなあ、と言いたげな表情を作る。
「そこまで警戒しないでもいいんじゃないか? 本当に興味本位って感じだし」
「私は他人の興味本位に付き合うつもりはないから。勝手にして」
少し迷っていた様子だったが、どうやら清隆くんは話すことに決めたらしい。まあどうせ黙っていてもどこかではバレることだ。なら、こっちから先に説明してしまう方が得策だったりもする。
一之瀬さんは終始真面目な様子で話を聞いていた。
そして最後まで話を聞き終えると、提案をする。
「んー。あのさ、もしよかったら私も協力しようか? 目撃者捜しとか。人手が多いほど効率的でしょ?」
堀北さんの訝しげな態度は崩れない。提案をされたこと、加えてその内容を聞いて、より一層形のいい眉根を寄せた。
「どうしてBクラスの生徒に手伝ってもらう流れになるのかしら」
「BクラスもDクラスも関係ないんじゃないかな? こういう事件はいつ誰に起こるか分からないよね。この学校はクラス同士で競わせてるからこそ、トラブルの危険性をいつも孕んでいる」
一之瀬さんは落ち着いた様子で言葉を続ける。
「今回はその最初の事件のようだしさ。嘘をついた方が勝っちゃったら大問題だよ。それと話を聞いちゃった以上、個人的に見過ごせないってのもあるかな」
今言ってることが本気なんだから、一之瀬さんのすごいところだ。
「どうかな? 私は悪い提案じゃないと思ってるけど」
……堀北さんは窓の外を見つめて動く様子がない。清隆くんは判断を待っている。私は後ろでチラチラと様子を伺っている。
三者三様、自由でとても良いと思います。この三人組、自由が取り柄なところある。
沈黙はしばらくの間続いていたが、それも唐突に破られた。もちろん破ったのは───
「手伝ってもらいましょう、綾小路くん」
───堀北さんだ。
堀北さんから了承の返事をもらい、一之瀬さんが白い歯を見せて笑っ………可愛すぎない?
「決まりね。えーっと」
「堀北よ」
「よろしく堀北さん。それから綾小路くんだっけ。君もよろしくね」
挨拶が交わされていく。この感じは順番だから、次は……。
一之瀬さんが最後に私を見た。
「えっと、君の名前は何て言うの?」
「はわ……」
やっぱりダメだ。わたしにはハードルが高い。
清隆くんが私の方に少し振り向いた。目が合って、コクリと頷いてみせる。清隆くんもコクリと頷く。
「気にしないでくれ」
ナイスアシストである、清隆くん。
「でも、私は名前が知りたいよ。せっかく友達になれるかもしれないんだからさ」
一之瀬さんと、友達……? え、なる。
見事な手のひら返しの瞬間であった。
なんにせよ、いつまで経っても清隆くんの背中に隠れていては男が廃る。間違えた、女が廃る。
潔く覚悟を決めて姿を現す。一之瀬さんの真っ向からの視線につい顔が赤くなる。ぎこちなく前に歩み出る私の手が清隆くんによって捕まえられ、それ以上前に進めなくなる。
「……水元葵、です。……よろしくお願いします!!」
勢いよく清隆くんが掴んでいる手とは別の手を一之瀬さんに差し出した。もちろん頭は下げている。なんか告白現場みたいになっている気がするな。
私の勢いに一之瀬さんはきょとんとしていた。でもすぐにおかしそうに笑う。
「あははは、面白いね君! うん! こちらこそよろしくね、水元さん!」
「はわ……」
一之瀬さんが両手で私の手を包んでくれた。女の子らしく柔らかい手。近くに来たことで清潔そうな、女の子特有の甘い匂いもする。え……好きだ……。
覚悟を決めたはずなのにさっそくあっさりと使い物にならなくなった私は、清隆くんに握られていた手を引っ張られたことで後ろに戻った。その結果一之瀬さんに包まれていた手は、あっけなく離れてしまう。
いやしかしこれ以上包まれていたらいろいろ危なかったので、やはりナイスアシストである、清隆くん。
その後の話からうちの担任、つまり茶柱先生のダメダメ加減を確認したところで、特別棟探索は終わった。最後に連絡先の交換をして、名残惜しくも一之瀬さんとお別れをする。
私たちの代表として連絡先の交換をしたのはもちろん清隆くんだ。私は泣く泣く辞退した。ダメなのである。私にはまだその覚悟も資格もない……。
清隆くんは女の子の連絡先を順調に増やしていって、存分に青春を謳歌してほしいと思う。……一之瀬さん……。
やっぱり連絡先……交換しておけばよかったなぁ……。
§
堀北さんが清隆くんの部屋から自分の寮に帰った後、久しぶりに部屋で二人っきりになる。
いつもなら腕を広げて私を待つはずが、それより先に抱き寄せられた。私もすぐに清隆くんの背中に腕を回す。
「なんで最近来てくれなかったんだ?」
「まあ、邪魔したくなかったからかな……」
「邪魔って何が」
朝、部屋に来ないことに関して多少文句は言われていたが、私は私で何か進展はあったのかと逐一聞きまくっていたので、実際清隆くんが不満を言う機会はあまりなかったというのが正直なところだ。
だからなのか、部屋の中となると追及の手がすごい。
「邪魔っていうかなんていうか」
「何だ。邪魔って」
「いや、だって、清隆くん……」
「何だ」
説明しにくい。理由ならあるが、それを説明したところで清隆くんからすれば意味不明もいいところだろう。なにより私も説明する気があまりない。というか、ない。
清隆くんの手が私の後頭部を包み込み、さらりと髪を梳いてくれる。私も腕を伸ばして清隆くんの頭を撫でた。
「オレたちの邪魔になる、か? それなら葵も含まれているという認識をされていると思うが」
「……いや。違うよ。邪魔っていうのは、あれだよ。部活で遅れて途中で参加して、話の腰を折るのが申し訳ないっていう意味だから」
咄嗟の言い訳としてはうまいこと言えたんじゃないだろうか。
なお私の渾身の言い訳を聞いていた清隆くんはといえば未だ不審気に眉をひそめていたのだが、気にしたら駄目だ。
ちょっと強引ではあるが、話を変える。
パッと体を離して、正面から顔を合わせた。
「まあまあ、今日はゆっくりできるんだから。そうだ、ご飯作ろうご飯。今から買い物行く?」
「……ご飯……」
「旬のお魚とか塩焼きにしたら美味しいよ、きっと」
「今の旬は……アジ、とかか」
「そうそう。どう? 想像したら食べたくなってきたでしょ」
目を細めて清隆くんに笑いかける。私の方が先に想像してしまって今から楽しみになってしまっている。そういえば最近あまり魚を食べていなかった気がするな。
さっそく立ち上がり、清隆くんの手を引いて移動し始めた。同意を得る前に行動しているが、清隆くんも同じ考えのはずだ。きっとそうだ。
なんたって私たちは以心伝心なのだ。私はちゃんと清隆くんのことわかっているからな、安心して身を任せてくれ。
……意識すればするほどお腹が空いてくる。
もう少しくっついていてもよかったのだが、こうもお腹が空いている感覚が強くなってくると、どうしても気分が落ち着かない。
それに、どうせなら満腹になって、幸せな気分でくっつく方が幸せマシマシでお互いにもっと気持ち良くなれると思うのだ。
自論を内心でぐだぐだ垂れ流しつつ、お互いまだ制服姿なのもあって見かけを気にする必要がないので、そのまま外に出る。
繋いだ手にそっと力を込められて、私からも握り返した。
ただそれだけの行為が幸せでたまらないと思うのだから、つまるところ、私は清隆くんと何をしていても幸せだと感じるんだろう。