鶏が先か、卵が先か   作:楊枝

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先に言っておくと主人公の身長は158cmです



光在る場所

 

 

 

 櫛田さんとの約束を果たすため、私たちはお昼前に寮を出て、ショッピングモールへとやって来ていた。

 二つ連なったベンチの片方には、一人先客が座っており、空いているもう片方のベンチに清隆くんと二人で揃って腰を下ろす。

 

 ………って、ん? 少し空いた位置にあるベンチに座っている先客を、よく観察する。

 

 深く帽子を被って大きなマスクをしているその人は、見惚れるほど綺麗な長い髪をしているし、なによりスタイルが一線を画している。それにかけている眼鏡も見覚えがあるものだ。

 あー、と迷ったような声を上げる。ぽりぽりと頬を掻いた。

 

「えーっと……佐倉さん……だよね?」

「あ……おはよう、ございます……」

 

 ぺこ、と会釈をされる。私も会釈を返す。

 清隆くんもようやく気づいたようで、驚いたように佐倉さんを見た。

 

「悪い、気づかなかった。おはよう、えっと、佐倉」

「う、うん……おはよう……」

「………」

「………」

「………」

 

 急募。コミュ症三人が揃ったときの会話方法。

 

「……そ、そうだ。佐倉さん、ごめんね、大人数になっちゃって。気まずくない?」

 

 絶賛気まずい空気の中私は何を言っているのか。

 

 佐倉さんは私の言葉を聞き、遠慮がちに首を振った。それから小さな声で言う。

 

「あの……じ、実は、私からお願いしていたんです。その……水元さんと、綾小路くん……二人がいてくれたらなって」

「えっそうだったんだ?」

「はい。だから、ごめんなさい。貴重なお休みを私なんかのために使わせて……」

「いや、それは全然気にしなくていいよ! むしろショッピングモールに久しぶりに来れたから、嬉しいくらい」

「それなら……いいん、ですが」

「うん、大丈夫」

「………」

「………」

 

 万策尽きた……か。

 目を閉じて空を見上げる。きっと頭上では快晴が広がっていることだろう。私の心の天気模様とは真逆である。今は木枯らしが吹いている頃だろうか。

 

 清隆くんが喋るわけもないので、再度気まずい沈黙が辺りを包む中、この何とも言えない空気を裂く底抜けに明るい声が向こうから聞こえてきた。

 

 もちろんその声の正体は、みんなの大天使櫛田さんであった。

 

「おはよー!」

 

 櫛田さんが少し駆け足になって私たちのもとに近寄って来ている。

 バッチリ全身コーディネートされた姿は可愛い以外の言葉で形容しようがなかった。天使の本領を発揮してきている。可愛い。可愛いぞ櫛田さん。初めてこの目で見る櫛田さんの私服姿に感動を抑えきれない。

 

「ごめんね、待たせちゃったかな?」

 

 そうだ。その言葉を待っていた!

 

「いや、今来たところだよ!」

 

 こちらもデートのテンプレセリフを返す。決まった……!

 でも清隆くんに言われる前にとちょっと勢い込んで言ってしまったので、ココは減点ポイントだろうか。うーん、なかなか奥が深い。

 

 清隆くんが軽く手をあげて、櫛田さんに挨拶をした。

 

「おはよう、櫛田」

「うん! 綾小路くんもおはようっ」

 

 時折目の前を通り過ぎていく生徒たちが、櫛田さんの私服姿に目を奪われている。そうだろうそうだろう。カップルの場合だと、彼女が彼氏の頬を引っ張って不機嫌そうに拗ねる様子も見られた。わかる。わかるぞ。彼女持ちでも見惚れてしまうほど櫛田さんは可愛いということだ。

 

 こうやっていくら櫛田さんを持ち上げても、可愛さを表現し切れない。櫛田さんは魅惑の女の子です。

 

「どうしたの?」

 

 櫛田さんは私より身長が低い。そのため、ちょっぴり覗き込むような体勢になって私を見つめている。所謂上目遣いというやつだ。

 動作でさえいちいち可愛いから困る。あと覗き込む体勢をされるとこう、妙に胸が強調されて……視線に困るな……。

 

「いや……いい天気だなぁって……」

 

 そういえば今のこの僅かな間だけで、可愛いを連呼しまくっている気がする。いまだ櫛田さんの私服姿に興奮が抑え切れていないのだろう。もはや可愛い可愛い言い過ぎて可愛いのゲシュタルト崩壊が起きそうだ。

 きっと清隆くんも内心で、私と同じように櫛田さん可愛い大感謝祭を開いているはずだ。

 

 

 ───耳に指が当てられ、髪をかけられた。清隆くん側の視界がクリアになる。

 

 

 思わずパッと横を向いた。結果、二人で見つめ合うことになる。

 不思議そうな顔をした清隆くんが、私に向かってどうしたんだと首を傾げる。勢いよく顔を横に向けたせいで、再度乱れてしまったらしい私の横髪を手のひらで撫で付けて、手櫛で軽く整えながら。

 

 ………? いや、どちらかといえば私が首を傾げる方なのでは……?

 

 

「あ。佐倉さん? おはようっ」

 

 首を傾げて見つめ合っている私たちをよそに、櫛田さんはさっそく佐倉さんの存在に気づいて明るく声をかけた。

 誰も何も言わずともさらっと気づく。さすが櫛田さんである。

 

「じゃあ、みんな揃っていることだし。さっそく行こっか!」

 

 櫛田さんが笑うだけで周囲が浄化されていっている気がするな……。そしてコレはきっと見間違いじゃない。なにより櫛田さんからは後光が見えている。間違いない。

 

「デジカメの修理って、ショッピングモールの電気屋さんでいいんだよね?」

「確か修理の受け付けもやってたはずだ」

 

 佐倉さんがその会話を聞きながら、申し訳なさそうに肩を縮めて頭を下げた。

 

「すみません……こんなことに付き合わせてしまって」

 

 帽子もマスクも装着したままだから、不審者感が半端ない。でも、逆に目立ってでも、私は彼女がそれを望んでいるならこれから対面する人物の視線から逃してあげたいと思う。

 

 だから、指摘はしなかった。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 もともとショッピングモール内にいたということもあって、少し歩けば迷うこともなく家電量販店に着いた。

 パッと見た感じ、敷地面積はそう広くないものの、日常で必要そうなもの、学生たちが利用する可能性のある電化製品は十分に取り扱われているように思う。

 

「えっと、確か修理の受け付けは向こうのカウンターでやってたよね」

 

 櫛田さんがキョロキョロと周囲に目をやりながら、カウンターを探して奥に入っていく。私たちはその後に続いた。

 

「すぐ直るかな……」

 

 佐倉さんが手元のデジカメを見下ろして、不安そうにしている。

 

「よっぽど好きなんだな、カメラが」

「う、うん。……変、かな?」

「いや全然。むしろ良い趣味じゃないか? まあ、オレがカメラの何を知ってるんだって話ではあるんだが。早く直るといいな」

「うんっ」

 

 清隆くんと佐倉さんの会話を聞きつつ、私はさりげなく前方に注意を向けている。

 ……アレが、例の。だろうか。

 

「あったよ、修理受け付けてくれるところ」

 

 櫛田さんの言葉に佐倉さんが顔を上げた。何かに気づいた様子で、不自然にピタ、と動きを止める。

 耳を澄ませば、掠れた「あ……」という声が聞こえた。チラと顔を伺う。……目を細める。

 

「どうしたの? 佐倉さん」

 

 立ち止まった佐倉さんを変に思ったのか、櫛田さんが不思議そうに首を傾げて声をかける。その声に佐倉さんが肩を揺らして、視線を落とした。

 

「あ、えっと……その……」

 

 口を開閉する。言葉は紡がれない。

 

 何かを呑み込んだ仕草をして、佐倉さんは青白い顔に懸命に笑顔を作りながら私たちを見た。

 

「何でもないから……」

 

 佐倉さんはそれ以上何か言うことなく、修理受付の場所に向かった。櫛田さんがすぐに後を追って、隣に並び立つ。

 元々知り合いだったみたいに親しげな様子で受付の店員と話し込みながら、櫛田さんは佐倉さんに代わってデジカメの修理を依頼する。修理に出す持ち主の佐倉さんは、承諾や疑問点にのみ答えていた。櫛田さんの話術には、素直に感心するばかりだ。

 

 後方で清隆くんと並んで彼女たちの様子をぼーっと見ながら、「あ、そうだ」と声を上げた。

 

「清隆くん、今から目的の物確認しに行って来たら? 私たち此処で待ってるからさ。そしたら時間もちょうどいいんじゃない?」

「? いや、いい。葵も後で一緒に行こう」

 

 第一段階から難しいんだが?

 二回以上粘ったら不審扱いされるから、実質一回で決めなければならないというのに、清隆くんの難易度おかしいって。おかしくない?

 

 ……でもまあ、現状は冷静に受け止めなければならない。挑戦する前から諦めるのは私のポリシーに反する。

 ひとまず、いつもと変わらない様子で首肯を返した。

 

 

 店員は終始ハイテンションで、まくしたてる勢いで櫛田さんに積極的に話しかけていた。微かに聞こえて来たやり取りでは、どうやら櫛田さんをデートに誘っているらしく、シアタールームで上映されている女性アイドルのコンサートを観に行こうと言っていた。もう完全に黒だった。

 さらに相当なオタクのようで、選挙がどうのという会話から、雑誌のアイドルまで幅広いトークで言葉巧みにアプローチをかけている。

 櫛田さんが嫌そうな態度を見せないからって、調子に乗りすぎているだろう。あと櫛田さん普通に引いてると思う。彼女は天使なだけじゃないのだ。一番忘れがちな私が断言しておこう。

 絶対心の中ではドン引きしてるよ、櫛田さん。ブラック櫛田さんは確かに存在するのだ。……いや、もしかしてココはブラック櫛田さんが存在しない世界線の可能性微レ存……?

 

 思考が逸れた。軌道修正。

 

 

 ……と、まあ。店員がこんなだから、やり取りは非常に遅々としている。というか、ぶっちゃけて言うと事態は全く進行していないといえる。

 さすがにこのままだとまずいと感じたらしい櫛田さんが話を進めるべく、佐倉さんにデジカメを出すよう促し、ようやく次のステップに移った。

 

 店員に確認してもらったところ、デジカメは落ちた衝撃でパーツの一部が破損してしまったため、上手く電源が入らないとのことだった。

 幸いデジカメなどの個人的所有物はこの学校に入学してから買ったものであり、佐倉さんは保証書をしっかりと保管していたので、無償で修理を受けられるようだ。

 

 そして、あとは必要事項を記入して終わり。

 

 

「代わるよ。下がってて」

 

 佐倉さんがペンを持つ前にさらっと代わる。「あっ」と上がった小さな声に、「大丈夫だよ」と囁いて微笑んでみせた。

 

 佐倉さんと代わる形で前に出たことで、近くで店員と顔を合わせることになる。……こんな距離からこんな視線を受けていたなんて、可哀想なことをさせてしまった。

 やっぱり最初から……いや、それはさすがに強引すぎるし、不自然すぎるだろう。だからこのタイミングがベストだった。

 

「ちょ、ちょっと君……!」

「どうかしたんですか? メーカー保証は販売店も購入日も問題なく証明されているし……法的な問題はありませんよね? それに購入者と使用者が異なっても、問題はないと思いますが」

 

 ペラペラ口を回しつつ、ペンの上部をノックして先を出す。

 すべきことは、あともう一押し。

 

「そうだ。店員さん」

 

 前屈みになる。口元に笑みを刻んだ。

 

 

「もしよかったら───」

 

 

 

 …………あれ。なんか清隆くんの背中が見えているんだが。

 

 

 

「オレが書きます」

 

 えっ。………ええ………。

 

 ひくり、と顔を引き攣らせた。入れ替わる際に握られた手首が熱を持っている。

 握られた右手だけが小刻みに震えていた。背筋が凍えるお話である。あの一瞬でどれだけ強く握り込まれたのだろう。

 

 左手で右手首を労るように摩っていると、佐倉さんが青い顔でパタパタと走り寄ってくる。

 

「あ、あの、水元さん……!」

「いやぁ、ごめんね佐倉さん。せっかくカッコつけるチャンスだったのに、清隆くんに奪われちゃった」

「そんな……! なんで……」

 

 何を聞いているかはわかっている。ここで私は微笑んで、『佐倉さん、君を救いたかったからだよ……フッ』とか言っておいたら決まっただろうに。

 

 口から出てきたのは、あーあというため息だった。

 

 

「失敗したな……」

 

 

 眉根を寄せ、目を閉じる。佐倉さんが私の様子を見て首を傾げまくっている。

 

 計画がすべておじゃんだ。全部ポシャった。

 先に清隆くんに何もしないよう言っていたら───それはそれで普通に阻止されていただろう。懇々と説教されている姿が目に浮かぶようだ。つい直近でもあったことで、だから黙っていたのに。

 

 どちみちもうこの計画が表出することはない。この段階から唾をつけておかないと、最終局面で活かすことができないのだ。清隆くんには見事にしてやられてしまったと言えよう。

 言わない方がうまくいくと思ったのだが、うーん……現実とはなんともまあ難しいものである。

 

 

 気持ちを切り替えて、佐倉さんに笑いかける。

 

「とにかく、佐倉さんは何も気にしなくていいよ。あの店員、なんか気持ち悪かったでしょ? あんまり見られてなかった私が対応したら、うまくいくかなって思ったんだよ」

「ごめんなさい……ありがとう、水元さん……」

「いいよ。結局私何もできてないし」

 

 必要事項を記入し終えた清隆くんが戻ってくる。

 

 交わる視線。その瞳の奥で、ぐつぐつと煮え滾っているらしい碌でもない感情に気づいて、キュッと唇を結んだ。

 

 

 

 

「ちょっと店内を見てきていいか? すぐに終わるから、二人はここで待っていてくれるといいんだが」

 

 清隆くんのお願いに、櫛田さんと佐倉さんが快く応じる。二人が頷いたのを見て、掴んでいた私の手首を引っ張って清隆くんが先を行く。

 

 

 ここで怒りという感情について言説を垂れ流そう。

 

 心理学者のアドラーによると、怒りとは二次感情である。そう、二次だ。あくまで二次、それにしか過ぎない。前段階である一次感情を経て二次感情、怒りへと繋がる。

 つまり何が言いたいかというと、二次感情とはあくまで最終産物にしか過ぎないものであり、ここで最も重要なのは一次感情がどういったものであるか、という点である。

 怒りという感情は苛烈であり強烈なものだ。ゆえに二次感情たる怒りによって、一次感情がうやむやになってしまうことは多々ある。

 

 

 ───そういうわけで、今。

 

 先を歩く彼が内に包含しているであろうとんでもない怒りの出所を察知し、私は罪悪感でキリキリと心臓を痛めていた。

 

 

「どういうつもりだった」

 

 冷水を浴びせられた気分になる声だ。

 

 清隆くんは振り返らない。罪悪感はあれど、でも私だって怒りという感情を少しは抱いていたりする。

 考えていた言い訳に感情がこもった。

 

「清隆くんだって心配だよ。ああいうのは男だって手に負えないタイプだ。理性を失くしたら何をしでかすかわからない」

「なら、女の方が。なおさら女の子の方が危ないに決まっている。お前は前提条件から間違えている」

「前提は危ない人間を回避することだよ」

「回避していなかったくせによく言う」

 

 鼻で笑われた気配がする。顔を歪めて視線を落とした。

 

「……でも、清隆くんを回避させることは、できた……」

 

 清隆くんが足を止めた。必然、私もその場に留まる。

 

 

 ───振り向いた清隆くんの顔を見て、それ以上何も言えなくなった。

 

 

「お前だってわかってたはずだ。最善はオレが佐倉と代わることだった」

「……うん」

「そうだろう。なのに、わかっていたくせに、お前は自分が前に出るということに拘った。オレはその理由を聞きたい」

「……あの店員が清隆くんを害する可能性があったから……っていう理由じゃダメ?」

「それも嘘じゃないんだろう。だが、それだけとは思えない。リスクヘッジをすればお前がそこまで拘る理由はないはずだ。何か別の目的があるだろう」

「清隆くん、私のことなんだと思ってるの?」

「奇遇だな。オレも、お前がオレをどう思っているのか知りたかったところだ」

 

 無言で見つめ合う。怒りは隠れ、本来の怜悧さを取り戻した瞳が私を静かに見ている。

 

 圧倒的不利な立ち位置で、これ以上粘る気にはなれなかった。

 

 

「んー……あくまで可能性の話だよ。その……なんていうの……?」

 

 

 まごまごと言い訳する。清隆くんが片眉を持ち上げた。

 

「こう、どうせならド派手に花火を上げたいというか……あっ汚い方の花火なんだけど。完膚なきまでにというか、徹底的にやり込めたかったというか。そのためには体を張るのも吝かではないというか」

「つまり一言でいえば?」

「………」

 

 途端押し黙った私に、とんでもなく冷めた視線が向けられた。

 

「そういうことだな?」

「……………はい……」

 

 長い沈黙の後、潔く負けを認めて粛々と頷く。清隆くんがそんな私をしばらく無言で見やった後に、深く長いため息を吐いた。

 

 半目で私を見下ろして、圧の効いた低い声で告げる。

 

「帰ったらわかってるな」

「弓道部で鍛えられた足腰が唸るぜ」

「沈黙するまで続けてやる」

 

 手首が解放されると、いつものように手を繋がれた。並んで清隆くんの目的の場所へと向かう。

 

 電化製品のあるコーナーの前で立ち止まり、清隆くんが外村くん……通称博士に電話をかけていろいろ相談している。

 その会話を隣で聞きながら、私は私で静かに思考を巡らせていた。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 佐倉さんから須藤の件で協力するという言葉を貰い、事態の確かな進展を見届けたその後。

 一緒に寮に帰る櫛田さんと佐倉さんを手を振って見送ると、私たちは私たちで久しぶりのショッピングモールを回って楽しんだ。気になる雑貨を見つけたので、ポイントが貯まったらまた来ようねーと話もした。

 

 

 そして夜。二人でご飯を作って食べた後、ベッドの縁に座る清隆くんの前で床に正座をしている私のもとに、これまた一本の電話が入った。

 

「………」

「電話出ないの?」

「オレは正座を崩していいと言っていないぞ」

「ウィッス」

 

 軽く息を吐いた後、清隆くんが携帯を取る。スピーカーにしてベッドに置く。

 元気いっぱいの可愛い声が聞こえてくる。

 

『さっきぶりだね、綾小路くん』

「ああ。さっきぶりだな、櫛田。どうしたんだ?」

『えっと、いろいろ意見交換? とかしてみたくて。あ、水元さんもいるかな?』

「いるぞ」

「こんばんは、櫛田さん」

『こんばんはっ!』

 

 もはや私がいることを暴露するのが普通だと思ってる気がするな。

 正座から動いたらキツいお灸を据えられそうなので、この場は大人しく返事をしておく。

 

「佐倉との距離は縮まった……って言っていいんだよな?」

『昨日までよりは、ね。はー、まだまだだな、私。自分にげんなりしちゃう』

「いやいや、すごいよ櫛田さんは。私たちだったら絶対そこまでいかないもん」

「おい……まあ否定はできないが」

『あはは……だったらいいんだけど。でも、まだまだだよ』

 

 櫛田さんは目標が高すぎる気がするな。本当にすごいと思っているのに、櫛田さんからするとまだまだとは。えっじゃあ私たちは一体……?

 

「そう言えば、なんで佐倉のメガネを外させようとしたんだ?」

 

 清隆くんが不思議そうに疑問を呈した。櫛田さんたちと別れる直前のことを思い出しているのだろう。

 ショッピングモールで最初に合流した地点に全員で戻りながら、櫛田さんは唐突に佐倉さんにメガネを外してみてくれないかとお願いしたのだ。確かにあれは不自然な流れだったと思う。

 

『うーん。何でって言われると困るけど。何となく似合わない感じがしたんだよね。佐倉さんとメガネが結びつかないっていうか』

 

 櫛田さんは困ったような声音で続ける。

 

『自分でもよくわかんない。会ったことがあるって思ったのも、ただの勘違いだろうし』

「いや……もしかしたら、櫛田の気のせいじゃないかも知れないぞ。佐倉ってオシャレとは程遠い格好してるだろ? オレもそうだけど、極力目立たないような地味な色合いの服を選んだり」

『そう、だね。意識してオシャレしてるとは思えないかな。でもそれがどうかしたの?』

「そんな子が伊達メガネなんてかけるのは、ちょっと不自然だと感じたんだ」

 

 電話口でえっという櫛田さんの声が上がった。

 

『佐倉さん、伊達メガネなの? だって目が悪いって……』

「メガネと伊達メガネは一見同じに見えるけど、決定的に違うところが一か所あるんだよ」

 

 清隆くんが私を見た。言葉を引き継ぐ。

 

「レンズの向こうの歪みが違うんだよ、櫛田さん。佐倉さんのレンズに歪みは無かった」

「ああ。だからオレはてっきりオシャレの一環として身に着けてると思ったけど、今日の佐倉の発言を聞いて不思議になってさ」

『そっか……。メガネだけオシャレしてるとか? うーん、普通しないよね』

「あるいはコンプレックスを隠すためか。例えばメガネをかけると知的に見えるだろ?」

『それはあるね。メガネかけてると頭良さそうだもん』

 

 また私を見た。今度は首を振る。

 

「……佐倉の場合は、素の自分を見せたくないって思いからかけてるのかもな。いつも前かがみな姿勢だったり、人と目を合わせないところ。ただの人嫌いって風にも思えない」

 

 清隆くんの見解を聞いて、櫛田さんが感心したような声をあげる。

 

『やっぱり綾小路くんを連れて来て正解だったね。よく相手を観察してる気がする』

 

 そうだろうそうだろう。清隆くんはすごいんだぞ。

 

 私が鼻高になっていると、櫛田さんがそのまま言葉を続ける。

 

『それから、水元さんも───』

 

 

 新たに着信音が鳴った。会話が止む。

 今度は私の携帯に一本の電話が入ったようだ。

 

 さっきの会話の流れから櫛田さんが言いかけたことは、おそらく私を賞賛する類のものだったのだろうと当たりをつける。

 櫛田さんから褒められたら舞い上がってそのまま立ち上がってしまいそうだったので、今電話が入ったのはちょっとありがたかったりする。

 

 手を伸ばして自分の携帯を取り、着信欄を見て動きを止めた。

 

「あ、私電話出てくるから。二人はそのまま話してて! じゃ!」

 

 さっと立ち上がる。長時間正座によるふらつきはない。

 

 部屋から出て、ドアを開けて外にも出た。ここなら大丈夫だろう。

 それから慌てて電話に応対する。

 

「もしもし。佐倉さん?」

 

 沈黙が続く。あれっと携帯の画面を見たが、普通に繋がっていた。もしかして拒否ボタンを間違えて押したのかと思ったが、そんなことはなかった。

 

 根気よく待つこと数秒。ようやく佐倉さんの声が聞けた。

 

『あ……水元さん……? はい、佐倉です……』

「うん。水元だよ」

 

 お互いに連絡先を交換し合っておきながら、名前を言い合うし確認し合うとは、妙な感じだと思った。

 ショッピングモールの帰りしな、全員で儀式的に連絡先を交換したと言っても、清隆くんは理解できるが私には絶対電話はかかってこないだろうと思っていた。なぜなら知っているから。

 

 だから今、この状況が不可解でならない。

 

 目の前がぐにゃ、とまた不定形に歪んだ。

 

 

『きょ、今日は付き合ってくれてありがとう』

「いいよ、全然大したことじゃないし。それに、何度もお礼を言われるとこっちまで気を遣っちゃうから、佐倉さんも気にしないでもらえると助かるな」

『うん……』

 

 再び沈黙の時間が訪れる。

 その間に逡巡する。思考を巡らせる。果たして、どう言葉を選択すればいいのか。……考えても仕方がない、か。

 

 彼女が私に電話を入れた。今はそれこそを考慮すべきだ。

 

「どうかしたの?」

『えっと……』

 

 努めて優しく声をかける。言い淀む気配を感じる。急かすことはしない。

 

『何か、思ったこと……なかった?』

 

 恐る恐る伺うような声でそんなことを聞かれ、携帯を持っている手とは別に、体を抱えるようにして腕を握っていた手に力を込めた。

 

「何かあったの?」

 

 

 ───白々しい。

 

 口元を歪めてわらった。

 

 

『……ごめんね、何でもないの……おやすみなさい』

 

 言葉を返す間もなく、佐倉さんによって電話は終了した。

 

 耳に当てていた携帯を離し、腕を下ろす。夜空を見上げてぼーっとする。

 雲がかかった空は、光がなければ出歩くことを躊躇するものだ。幸い此処では人工光が大いに活躍している。だから問題はない。

 

 

 背後で密かにドアの開く音を聞く。

 

 

 

「……葵?」

 

 

 漏れ出る部屋の光を背負う清隆くんが、私を覗いている。

 

 

 

 顔を見て、眉が下がる。気づけばふにゃりと情けない笑みが口元に浮かんでいた。

 

 導かれるまま、光が射す先へと足を動かした。

 

 

 

 

 

 

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