今日は須藤の運命が決まる日だ。
佐倉さんに向ける3バカたちの視線は明らかに、櫛田さん、堀北さん、清隆くんの視線は微妙に変化している。
結局昨日は清隆くんの部屋に帰ろうとして、玄関に複数人の靴があったためサムズアップしつつ自分の部屋に帰ったのだが、その後清隆くんから電話で事のあらましは聞いていた。佐倉さんはアイドルの雫だった、と。
朝も軽くその話をされて、「余計なことはするなよ」と釘を刺されたのだが、そもそも余計と言ったら私の存在自体余計なものなので今さらの話である。
おい笑うところだぞ、笑えよ。
……と、つまりまあ、それなりに佐倉さんを心配しつつ教室にやって来たのだが。
大丈夫だよ、と声に出さず唇だけでそう言って気丈に微笑んでみせた佐倉さんに、強い子だなぁと思う。
それから、自然な動作で目線を外した。
§
私にできることなど元来何もない。
放課後になって清隆くん、堀北さん、須藤、佐倉さん、そして佐倉さんの付き添いとして櫛田さんが教室から出て行くのをただ見送っただけで。
そして長い審議を終えて、堀北さんが、須藤が生徒会室から帰っていくのを曲がり角の陰から見て、その後新たな二人分の足音と、誰かが嗚咽をこぼしながら泣いているのを聞くだけ。
───誰か、なんてわかりきったことを。
口元にうすらと笑みを浮かべた。
最後尾で生徒会室から出てきたのは、堀北兄と、書記の橘先輩だろうか。また新たな声が聞こえてくる。
「佐倉と言ったな」
嗚咽は止まない。懸命に声を押し殺しているとはいえ、ぼろぼろ泣いていて、すべてを隠し通せるなんて到底不可能だ。
「目撃証言と写真の証拠は、審議に出すだけの証拠能力は確かにあった」
淡々と真実を述べる声だった。そこに感情は一切含まれていない。
「しかし覚えておくことだ。その証拠をどう評価しどこまで信用するかは証明力で決まる。それはお前がDクラスの生徒であることでどうしても下がってしまうものだ」
告げているのが偽りのない真実だからこそ、何よりもその言葉は刺さるものだろう。
「どれだけ事件当時のことを克明に語っても、100%を受け入れることは出来ない。今回、お前の証言が『真実』として認識されることは無いだろう」
「わ、私は……ただ、本当のことを……」
「証明しきれなければ、ただの戯言だ」
「オレは信じますよ。佐倉の証言を」
清隆くんが間に割って入る。染み込むような強さを感じさせる声だった。
堀北兄は清隆くんのその言葉を聞いた上で、変わらず淡々と言い放つ。
「Dクラスの生徒ならば、信じたいと思うのは当然のことだ」
「信じたいと思う、じゃない。佐倉を信じてるって言ったんだ。意味が違う」
「ならば証明できるのか? 佐倉が嘘をついていないと」
「それはオレじゃなくて、あんたの妹がやってくれるだろうさ。佐倉が嘘つきなんかじゃないと、誰もが納得してしまう方法を見つけ出してな」
……堀北兄と橘先輩が立ち去る足音が聞こえる。耐え切れなくなって本格的に涙を流し始め、悲しみに濡れる声も。
役に立てなかったと、そう言ってぼろぼろ泣いている佐倉さんにゆっくりと語りかける声。
静かに、愚直なほど真っ直ぐに聞こえる声は、そしておそらく私が抱いたこの印象は間違っていない。私だってそうだった。
きっと、私もそうだっただろうから。
「オレはお前を信じる。それが……友達というものだ」
……友達、か。
「だから、もし困ったことがあったらその時には力になる。覚えておけ」
それが一体“誰に”向けたセリフか、なんて。
───お互いに難儀なものだ。清隆くんも、私も。
「オレたちも、そうだった。だから、きっと……佐倉も」
……………もうなんか。頭痛が痛いって感じだな。
明後日の方向を向いて、腕を組みながらむっつりと目を瞑った。
§
ぼーっとしていたら安全に逃げられるタイミングを逃して清隆くんに取っ捕まり、清隆くん、佐倉さんと共に揃って歩き出す。
すっかり泣き止んだ佐倉さんが恥ずかしそうに笑いかけてきた。
「二人には恥ずかしいところ、見せちゃったね……」
「こちらこそ隠れててごめんなさい」
「葵は事あるごとに隠れようとするのやめろ」
「ふふ、別にもういいよ。それに、ちょっとすっきりしたから……」
人前で泣くなんて随分久しぶりだったから、とちょっぴり頰を赤くして佐倉さんが言う。
「そりゃ良かった。オレも子供のころは人前でよく泣いたもんだけどな」
「あ〜泣いてたねぇ〜清隆くん」
「葵も人のこと言えないだろ」
泣き方はどちらも人に言えるようなものじゃなかったが。
佐倉さんが私たちの発言を聞いて目を丸めていた。
「二人とも、泣いたりするイメージを持ちにくいな……そうなの?」
「泣いたぞ。10回も20回も、人前でな」
「私はそれ以上かな」
人は泣くことで成長できる。悔しくて恥ずかしくて泣く子どもが顕著だと言えるだろう。苦しくて逃げ出したくて、でも逃げられなくて泣く子どもも中にはいるが。というか、そっちの方が普通だ普通。
佐倉さんは辛いことを溜め込むタイプみたいだし、今回のことは彼女にとっても大切な出来事……過程だったのかもしれない。
「……嬉しかった。信じるって言ってくれたこと」
「オレだけじゃないぞ。葵も、堀北も櫛田も、須藤も。クラスメイトの皆は信じてるはずだ」
「うん……。だけど、綾小路くんは真っ直ぐに伝えてくれたから。伝わってきたよ。水元さんは、ずっと私のことを支えてくれたから……」
残っていた涙で視界が滲んだのか、佐倉さんがもう一度目元を指先で拭った。
「勇気出して良かった。水元さん、綾小路くん、本当にありがとう」
小さな笑顔が今までで一番輝いて見えた。それだけで安堵してしまうのだから、単純なものだ。
私は間違っていなかった。ようやく、正しかったのだと思えた。
玄関までもうそろそろといったところで、三人の間で流れていた落ち着いた沈黙の中、ふっと佐倉さんが口を開いた。
思わず、といったようにも、何か決意をしてのようにも見える。
「あ、あのね……こんなこと、今言うべきじゃないと思うんだけど……」
静かに続きを促した。佐倉さんが私たちを見る。
「実は……私、今……」
「やっほ。随分遅かったね」
振り返った。一之瀬さんだ。隣には神崎くんもいる。
どうやら玄関で誰かを……いや、清隆くんたちを待っていたのか。
「待っててくれたのか」
「どうなったかなって思って」
清隆くんが一之瀬さんたちにちょっと待ってくれと制して、改めて佐倉さんの方に顔を向けた。
「悪いな佐倉。続き聞かせてくれ」
「う、ううん。何でもないの。ただ、私、頑張ってみるね。勇気を出して」
ジッと見ていた下駄箱から顔を上げて一度私たちの方を見ると、佐倉さんは早口でそう答えた。そしてすぐに私たちを振り切るように駆け足で去っていく。
一之瀬さんたちの横を通り過ぎる際は軽く頭を下げて、すぐにその背中は遠ざかって見えなくなってしまった。
「あ……」
気まずそうな顔をして、一之瀬さんがぽりぽりと頰を掻いている。
「ごめん。なんか悪いタイミングだったかな?」
「いや……」
良いも悪いもわからない。
───実際は、どうだったんだろう。初めてそう思った。
……今さら佐倉さんを追いかけて、先の言いかけた話を聞こうとするのもおかしな話だ。
切り替えたらしい清隆くんが、生徒会室であった一連の出来事を一之瀬さんたちに話して聞かせている。
「そっか。その提案蹴っちゃったか。Dクラスはあくまでも無罪を主張するんだね」
「向こうにとっては、1日でも須藤を停学にすれば勝ちみたいなものだからな」
一之瀬さんと神崎くんは難しい顔をしていた。特に神崎くんは納得していないようで、清隆くんに堀北さんの決断を……暴走を止めるべきなんじゃなかったかと言う。
対する清隆くんの返答は淡々としたものだ。そこに清隆くんの感情が入り込む余地はない。
「うちの大将がその判断を下した。どこまでも徹底抗戦するってな」
それは戦う意思の表れであり、これからもDクラスは困難に立ち向かっていくんだという覚悟の証だ。
清隆くんの誘導があったとはいえ、やはり、さすが堀北さんだと思う。
一之瀬さんが眉を下げて、切り替えるように一度息をついた。そして笑って協力継続を申し出てくれる。
「今から有力な手掛かりが手に入るとも思えないけど、もう一度ネットで情報を集め直してみるね」
「俺も可能な限り証拠か目撃者が見つからないか当たってみよう」
妥協するべきだったと話していた神崎くんも、一之瀬さんに続いて協力は惜しまないといった態度を見せてくれる。
「まだ協力してくれるのか?」
「乗りかかった船だしね。それに言ったでしょ。嘘は許せないって」
いや……Bクラスの子、良い子多すぎない? 大丈夫?
清隆くんと揃って良い子な彼らに感動しつつ、反対に戦慄した眼差しをも向けていた。こちらはバレないようにだが。
「申し出はありがたいけれど、それは必要ないわ」
凛とした声が空気を裂くように響く。冷たく聞こえる足音と共に、堀北さんが姿を現した。
きっと清隆くんが帰ってくるのを待っていたんだろう。
突然の登場にみんな堀北さんに視線を向けていたが、彼女に動じる様子は欠片もない。真っ直ぐ私たちの方に向かってくる。
一之瀬さんが困惑げに堀北さんを見た。
「必要ないって……どういうこと? 堀北さん」
「話し合いの場では無罪は勝ち取れない。仮にCクラスやAクラスから新たな目撃者が現れたとしても、やっぱり無理ね」
淡々と言い放つ。
「けどその代わりと言っちゃなんだけれど……あなたたちに用意してもらいたいあるものがあるの。唯一の解決策のために」
堀北さんの言葉を聞いて、一之瀬さんと神崎くんが目を合わせた。
「あるものって?」
「それは───」
計画のために必要だという、堀北さんの欲しいものの名前を聞いて、朗らかだった一之瀬さんの顔が初めて強張ったのを見た気がする。
「え……参ったな。それは中々ハードなお願いだね」
堀北さんが唯一の解決策だと言った詳細を、一之瀬さんと神崎くん、そして私たちに静かに話して聞かせる。
どうしてそれが必要なのか。何に使うのか。どんな目的があるのか。
改めて話を聞くと、とんでもない内容だ。こんなの普通だったら思いつくわけがない。だから堀北さんは、優秀なのだ。
堀北さんから説明を聞き終えると、一之瀬さんたちは暫くの間言葉なく黙り込んで、何か考えているようだった。
「それ……いつから考えてたの?」
「話し合いが終わる寸前よ。偶然の思い付き」
「や……凄い手だよ。現場に足を運んだ私自身そのことは全く意識してなかった。というよりも蚊帳の外っていうか……想像の範疇になかったから」
一之瀬さんたちはまだ表情が硬いままだ。
「想定外の発想。効果も、多分見込めると思う。だけど、そんなのってあり?」
ドン引きした様子で隣にいる神崎くんに意見を求めている。ドン引きする気持ちもわかる。
なんたってコレは、盤上をひっくり返すようなものだ。そしてひっくり返した盤上で別のゲームを始めているようなもの。なおこちらにすでに有利な状況であるとする。
「お前のルール、モラル的には反するかも知れないな、一之瀬」
「あはは、だよねぇ……。反則だよね。だけど……確かにたった一つの方法かも」
「そうだな、それは俺も彼女の話を聞いて思った。無かったはずの活路だ」
堀北さんがまた言い放つ。
「嘘から始まったこの事件に終止符を打てるのはやはり嘘だけ。私はそう思う」
───きっとその言葉で一之瀬さんたちの心も決まったのだろう。
それでもまだまだ不確定要素が多いことに変わりはない。
堀北さんを見る一之瀬さんと神崎くんの目は、まだ変わらず訝しんでいるようだった。
「にゃるほど、ね。目には目を、嘘には嘘を、か。でもさ、それって実現可能なのかな? そんなものが簡単に手に入ると思えないんだけど」
「その点は心配ないわ。さっき確認してきたもの」
清隆くんの援護もすぐに続いた。
「博士に協力をお願いすれば、細かい部分も上手くいくはずだ。オレから頼んでみる」
スムーズに為される会話に、今度こそ一之瀬さんたちの表情が引き攣った。
「ねえ神崎くん……。私たち、Cクラスを引き離すために協力を始めたはずだよね?」
「ああ。そうだな」
「でもさ、ひょっとして今私たちがしようとしてることは、後々自分たちを追い込むことになるんじゃない? って、今考えてたんだけど」
「かも知れないな」
難しい顔で小さく唸る。
でも、すぐに晴れやかな顔をして一之瀬さんらしく笑った。
「参ったなぁ。Dクラスに君みたいな子がいるなんて、完璧計算外だよ」
堀北さんに敬意を示してから、一之瀬さんは少し呆れつつも携帯を取り出した。これは堀北さんの要請を承諾したというサインだ。
すぐ近くにいたから、堀北さんが小さくほっと肩を下ろしたのがわかった。やっぱり多少は心配だったのだろう。
「これは貸しだからね。いつか返してもらうよ」
「ええ、約束するわ」
堀北さんが今度は清隆くんに体を向けた。顔だけじゃなく体ごとである。ん? と内心で違和感に首を傾げた。
「それから綾小路くん、あなたにも手伝ってもらいたいことがあるの」
「面倒なことでなければ手伝うぞ」
「基本的に手伝いは面倒で手間のかかるものよ」
あ。
「じゃあ行ぐっ!?」
清隆くんがものすごい勢いで廊下を吹き飛んだ。吹き飛んだ後は転げるというお約束まできっちり見せてくれる。
わー……綺麗なフォームだったなー……。
「あなたが私の脇を触った件、これで許してあげる。だけど次は倍返しよ」
「ちょ、え、あ……!」
本当に痛かったのだろう。清隆くんの声が出ていない。実際避けられたんだろうが、構えないで潔く受け入れたことはよくわかった。
まあ清隆くんが堀北さんにしたことは、緊張を解かすためだったとはいえ、セクハラと訴えられてもおかしくはなかったからな……。
一之瀬さんは唖然とその光景を見守り、次に去って行く堀北さんをどこか恐ろしいものを見る目で見ていた。
沈没している清隆くんを抱き起こしつつ、私は急に全部おかしくなって、気づけば声を上げて笑っていた。そして若干の涙目で睨まれた。ごめんて。