鶏が先か、卵が先か   作:楊枝

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これで二章はおしまいになりますが、この後幕間が一話あります。最後まで楽しんでいただければ嬉しいです。
それにしても二巻って、原作の中でも群を抜いてシリアス回でしたよね……(※個人の感想です)



適応するということ

 

 

 

 学校までの並木道を清隆くんと二人歩く。木々の間から差し込む真夏の太陽が容赦なく照り付けてきて、眩しい上に暑いったらない。

 のろのろ歩いている私たちの横を元気な学生が駆け抜けていった。頭おかしいんじゃないだろうか。

 

 私は今、背後から世界の終わりが近づいていても走らないかもしれない。もはや自分から出迎えに行くまである。

 

「清隆くん、今から世界が終わるとしたら絶対生き延びてね……」

「言ってること一瞬で矛盾してるぞ、葵……」

 

 私の屍を越えていってほしい。大丈夫、清隆くんならできる。清隆くんは強い子だ、私にはできないことを主人公然としてやってのけるッ!

 

「どうせ終わるなら、世界中を回ってもいいんじゃないか? ヨーロッパとか行ってみたくないか」

「めちゃくちゃ行きたい」

 

 脳直で返事をする。そこに余計な思考は介在しない。暑さがちょうど良い感じに私から思考をする力を奪っている。

 

 夢を語るのはいつだって楽しいものだ。

 

 清隆くんが私を見下ろして柔らかく頬を緩めている。私もきっとおんなじ顔をして清隆くんを見上げている。

 

 

 

 木漏れ日の先で、一人の女子生徒が手すりに腰を預けながらこちらを見ていた。美少女っていうのは風景と同化するのが得意だ。もし今手元にカメラがあったなら、私は連写して写真を撮っていたかもしれない。いや、携帯ならあったな……。

 

 鞄から携帯を取り出そうと思ったが、暑すぎて余計な動きをする元気がなかった。校内なら動けたというのに、これを狙っていたとはさすがやり手である。

 

「おはよう綾小路くん、水元さん」

「相変わらず涼しそうな顔をしてまあ……」

「見てると余計暑くなってくるぞ……こんなところで誰かと待ち合わせでもしてるのか? 堀北」

「ええ。あなたたちを……綾小路くんを待っていたの」

 

 堀北さんが手すりから離れる。私たちを観察するように見た。

 

「……あなたたちは相変わらず暑さに弱いのね」

「違うよ。極端な気候に弱いんだよ」

「そうだ。勘違いするなよ」

「一体何が違うのかしら?」

 

 三人で並んで歩き出す。

 その途中、堀北さんが静かに言った。

 

「今日ですべてが決まるわ」

「そうだな」

「もしかしたら、私は選択を間違ってしまったんじゃないか……そんな風に考えたわ」

「妥協しておけば良かったと?」

 

 余計な口は挟まない。私がすることは静かに話を聞いているだけだ。

 

 二人が話しているのを聞きながら、木漏れ日に手をかざして、輪郭以外真っ黒になった手を見ている。

 

「これで須藤くんに重い処罰が下されたら、私の責任よ」

「お前がそんな風に弱音吐くこともあるんだな」

「賭けに出たのは事実だから。それがどう出るかは多少不安ね。そっちは大丈夫?」

「昨日説明された作戦だな。一之瀬もいるし何とかなるだろう」

 

 堀北さんが何か言い淀む気配がする。

 

「ねえ───」

「ん?」

「……いえ。この件が無事片付いてからにするわ」

 

 結局何も言わないまま、堀北さんは静かに口を閉じた。

 

 

 

 

 教室に足を踏み入れて、清隆くんと堀北さんがある一点に気づくと驚いたように僅かに目を見張った。

 

 視線の先には佐倉さんがいる。驚くのも無理はないだろう。いつもならもっとギリギリの時間で登校してくるはずだからだ。

 そしてさらには、佐倉さんの方から挨拶の声をかけてきたのだから。

 

「えと……おはよう。水元さん、綾小路くん。……堀北さん」

「お、おはよう……」

「おはよう、佐倉さん……」

 

 清隆くんの途中まで緩く上げた手が見事に固まっている。

 

 私の席は清隆くん堀北さんペアからも佐倉さんからも離れている。なので一人さっさと自分の席に行き、荷物を置いた。

 チラと振り返れば、清隆くんと堀北さんが何か話している。

 

 会話に入る気はなかったので、私は冷房の効いた校内を一人探索に出た。

 

 

 ……ちょっとカッコよく言ってみたが、いつもの聖地巡りである。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 放課後になり、二回目の話し合いが始まるまで後少しとなった。

 

 今日は部活行くからと言って清隆くんと別れ、宣言通り弓道場に行く。しばらく経ってもうそろそろいいかなと判断すると、荷物を置いて携帯だけを持ち、画面を見ながら歩き出す。

 

 位置情報サービスを利用するのは初めてだった。もちろん検索しているのは、佐倉さんの位置情報だ。

 なんだかこう、友達とはいえプライバシーを侵害している気がして見る気になれなかったサービスである。普通こういうの、良心が痛まないだろうか? ……いや、だから痛まない奴が見るのか……池とか山内とか池とか山内とか……コレがリアル犯罪の温床である。みんな気をつけて。

 

 画面には佐倉さんを指すのであろう赤い丸が、ゆっくりと移動しているのが見えていた。移動先を推測するに……いや、推測するまでもない。知っている通りだ。

 赤い丸が動いているだけで安心できる。まだ彼女に危険は差し迫っていない。

 

 少し安心したのもあって、佐倉さんを追うように目的地に向かって歩きながら、ついでにこの機会だからと清隆くんの位置情報も検索してみることにした。本人から聞いていたし、やっぱり特別棟にいるようだ。

 清隆くんを指す赤い丸が微動だにしていないところを見るに、現在進行形で事態は進んでいるんだろうか? その場にいないので、少し不思議な感じがする。

 

 微動だにしない赤い丸を、意味なく指でタッチする。そのままなんとなく、意味なく指でそっと撫でた。

 

 

 ……なんだろう。急にこの、ただの赤い丸が、その。…………可愛く見えてきたんだが。うそでしょ?

 

 

 現在進行形で清隆くんは可愛くないことをしているというのに、それをわかっているはずなのに、なんだろうこの気持ち。

 あまりに呑気すぎる。状況を把握できていない呑気さだ。自分で自分のどうしようもなさに呆れてしまう。し、ちょっと落ち込んだ。

 こんな風に清隆くんを指す赤い丸を見て、ほっこりしている場合じゃないだろう。

 

 もうそろそろ気を引き締めないといけない。

 

 緩んだ気を引き締めるように、一思いに清隆くんの位置情報を消す。

 再度佐倉さんの位置情報を画面に映すと、私は本格的に彼女の後を追うことに意識を集中させるのだった。

 

 

 

 

 

「葵、本当に、ふざけるなよ」

 

 

 ───まさか消した後に高速で追ってきている赤い丸があるなんて、気づくわけもない。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 物陰に隠れていた私は背後から拘束され口を押さえられ、さらにはド低音ボイスで「声を出すなよ」と恫喝されていた。なぜ私はこんな目に遭っているのか? その謎を解明すべく、私はアマゾンの奥地まで向かうことにした。

 

 と、ふざけるのも大概にして。

 

 顔をしかめて『なんで此処にいるの?』と目で問えば、瞬間鋭い眼光で睨まれた。やっぱりアマゾンの奥地に向かわなくてはならないらしい。

 

 なんとか自由な手である方向を指差す。指が差す先は家電量販店の搬入口……ではなくお店のある方角だ。清隆くんも私が指を差した先にあるもの───その意味に気づいているのだろう。スッと目が細まる。

 手を離せ、と背後から抱き込まれて碌に動けない体勢なりにジェスチャーする。その上でなんとか持っていた携帯、その画面を見せる。

 画面に映されているのは赤い丸だ。誰かはもはや言うまでもない。赤い丸は、今はお店の奥にいる。

 

 清隆くんは数秒微動だにしなかったものの、観念するように私を拘束していた手を徐々に緩めていった。

 

 自由になった口をさっそく開く。

 

「今はこっちの方が大事でしょ」

「……後で、ちゃんと話は聞くからな」

「いいよ」

 

 軽快に頷けば胡乱げな眼差しを向けられた。どんだけ疑われてんだ。葵ちゃんは嘘をつかない子だぞ。

 

 そして今気づいたのだが、清隆くんは荒く息を吐いて肩を上下していた。どうやら相当急いでこっちに来ていたらしい。

 まあ推理して佐倉さんの身に危険が迫っていることに気づいたのだ、仕方ないことだろう。私だって何も知らず、その上で推理して佐倉さんに迫る危険に気づいたのなら、急いで彼女を追いかけたことは容易に想像できる。

 

 見下ろした携帯の画面に映る赤い丸がこちらに向かってきていることに気づくと、改めて気を引き締めた。

 

「もうすぐこっち来るよ、清隆くん」

「ああ。葵、もっとそっち寄れ」

 

 携帯で決定的現場を押さえるべく、搬入口に数点ある障害物や壁、シャッターとの位置関係を考えて、私はベストな位置に隠れていた。

 

 清隆くんがそんな私を壁際に押す。そして私も押し返す。……? という顔を向けてきた清隆くんに、親指で出口の方を指差した。

 

「定員オーバーだ。清隆くんはあっち」

「うそだろ……」

 

 押せばいけるって、と無理に距離を詰めてくる清隆くんに頑として譲らず、「私は此処でバッチリ撮影してるから、佐倉さんが危なくなったら出て行って助けてあげてよ」と頼む。

 

「それとも私が出て行こうか? 役割反対になるけど」

「……わかった。その代わり葵は絶対出てくるなよ」

 

 うだうだしているうちに佐倉さんたちが迫ってきている。

 早く行けと背中を押し出し、清隆くんが戻って曲がり角に身を隠したのを確認してから、より見やすい位置を探りつつ携帯をセットした。

 

 ───それから数秒と経たないうちに、満を持してホシが現る。

 

 私は静かに画面にある録画ボタンを押した。

 

「佐倉、嬉しいよ。ようやく僕の想いをわかってくれたんだね。ずっと待ち焦がれていた、でもようやくわかってくれた。やっぱり僕たちは特別な絆で、特別な縁で結ばれているんだ。嬉しいなぁ」

「…………」

 

 見覚えのある店員がペラペラと喋っている。下卑た目で佐倉さんを舐め回すように見ながら、壁際に追い詰めるように距離を詰めていた。佐倉さんは何も言わず俯いて震えている。

 

「そうだ、これ僕の連絡先だよ。僕だけ佐倉の連絡先を知ってるなんて不公平だもんね? わかってるよ、これでお互いに知り合って相思相愛だ。佐倉もいつでも連絡してくれていいからね、僕はずっと待ってるよ」

「…………」

 

 差し出された紙には、おそらく店員の連絡先が書かれているのであろう。佐倉さんの肩がビクッと震えた。

 

 ……紙はいつまでたっても受け取られない。店員が気味悪く首を傾げた。

 

「……? 佐倉、どうしたの? もしかして照れてるのかい?」

 

 見当違いにもほどがある。もし本当に言葉の通りに思っているのだとしたら、あいつの頭は狂っているに違いない。

 

「………も………」

 

 小さく上がった声が掠れている。佐倉さんが尋常じゃないくらい震えていた。

 俯いたままだから、その表情は見えない。今彼女が震えているのは、果たしてそこにどんな感情があるからなのか。

 

 ……上がった顔は、とてもカッコいいと言える表情をしているわけではない。でも、わかる。

 

 今彼女の中にあるのは、決して怯えだけじゃなかった。

 

 

「……もう、私に連絡してくるのはやめてください……!」

 

 

 佐倉さんから聞く、初めて誰かを糾弾する声だった。怒りが一時でも怯えを覆うくらいに込められていて、正真正銘、怒っていることがわかる声。

 

 店員がその声を受けた上で、薄っぺらい笑みを浮かべる。叫んで肩を上下している佐倉さんににじり寄るように迫っていき、さらに壁際へと追い詰めていく。

 

「どうしてそんなこと言うんだい? 僕は君のことが本当に大切なんだ……。雑誌で君を初めて見た時から好きだった。ここで再会した時には運命だと感じたよ。好きなんだ……君を想う気持ちは止められない!」

「やめて……やめてください!」

 

 耳障りな声で紡がれる耳障りな言葉の羅列はもはや理解する気にもなれない。目の前で聞かされている佐倉さんからしたら、余計にだろう。

 

 佐倉さんは鞄から何かの束を取り出す。それは手紙だった。百にも届きそうなほどの量の手紙。きっとその手紙は、この店員から寄越されたものだ。考えるまでもない。

 

「どうして私の部屋を知ってるんですか! どうしてこんなもの、送ってくるんですか!」

「決まってるじゃないか。僕たちは心で繋がってるからなんだよ」

 

 本当に心で繋がっているなら、そうも相互不理解にはならない。やっぱりあの店員頭おかしいな。

 

「もうやめてください……迷惑なんです!」

 

 そう叫ぶのと同時くらいに佐倉さんが手紙の束を持っていた手を掲げ、地面へと叩きつけた。それは佐倉さんの覚悟を、決別を表すかのような力強さを感じるものだった。

 

 

 ───ついに、というべきか。ようやくというべきか。

 

 店員の顔色が、明らかに変わった。

 

 

 佐倉さんがそれに気づくと、怯えたように後ろに下がる。彼女の背中はすぐにシャッターに当たり、逃げ場がないことを嫌でも理解する。

 ……覚悟を決めて来たとはいえ、一時の感情の昂りでしかないのだ。佐倉さんは勇気を出しすぎた。

 

 自分の限界は、自分で把握しなければならない。

 

「どうして……どうしてこんなことするんだよ……! 君を思って書いたのに!」

「こ、来ないで……!」

 

 理不尽な憤怒に満ちた醜い顔で、店員が佐倉さんとの距離を詰める。今にも彼女に襲い掛かりそうな勢いだ。そして実際にその認識は間違っていないだろう。

 

 佐倉さんの腕が配慮の欠片もない力で乱暴に掴まれて、倉庫のシャッターに全身ごと叩きつけるようにして押し付けられる。

 携帯の画面には、痛みに、恐怖に怯えて真っ青な顔をした佐倉さんが映っている。

 

「今から僕の本当の愛を教えてあげるよ……そうすれば佐倉も、わかってくれる」

「いや、離してください!」

 

 店員の手が佐倉さんの体を這った。悲鳴が上がる。か細い悲鳴だった。

 

 制服の上着の前ボタンを外し、着ていたシャツのボタンが外されていく。店員の興奮で荒れた息が此処にいても聞こえてくる。

 最初こそ「いや、いやです……いやぁ……!」とか細く悲鳴を上げ続けていた佐倉さんだったが、その声も徐々に小さくなっていき、ついにはなんにも言わなくなった。今ではどこか力を失ったように目を瞑り、ときどき痛々しい様子でしゃくり上げながら静かに涙を流している。

 

 目の前で佐倉さんがボロボロ泣いている姿を見ているというのに、店員は良心が痛む素振りを一切見せない。むしろ余計に興奮したのか、明らかに先ほどよりも息が荒くなっている。

 佐倉さんの着ている制服を乱す手はさらに早くなって、動きに乱雑さが増す。あの店員、人間として終わっているな。

 

 

 ………これ以上は佐倉さんが限界だろう。決定的な場面も押さえられたし、早く助けに行かなくては。

 

 清隆くんも同じ判断をしたのだろう。タイミング良く曲がり角から姿を現す。なお制服は着崩されており、いかにも〜な出で立ちであった。

 加えてこれでもかとパシャパシャと音を立てて、カメラで佐倉さんたちを連写している。

 

 私もその間に110番に電話をすることにする。

 

「あー見ちゃったッスよ。なんか偉いことしてんなぁオッサン」

 

 小声で状況を説明しつつ、清隆くんたちの様子を見守る。

 

「大人が女子高生に乱暴。明日はテレビで大々的にニュースっすね~」

「ちょ、ち、違う。これは違うっ!」

 

 何が違うんだか。この状況で言い逃れできると思っているのに呆れてしまう。まあ店員がしているのは、言い逃れも何もない、ただの自己主張に過ぎないが。

 

 店員が佐倉さんから慌てて手を離す。清隆くんは些細な一挙一動さえ逃さないと言っているかのように、その間も何度もカメラのシャッターを切っている。

 なお佐倉さんは清隆くんのなんとも言えないチャラ男口調に驚いて涙も引っ込んだのか、目を丸めており、唖然として目の前の摩訶不思議な光景を見ていた。清隆くんのチャラ男口調にはこういう効果もあるという証左である。

 

「違う? 違わないと思うッスけど。うわー何この手紙、キモ。ストーカー?」

 

 他人の靴下を掴み上げるみたいに、清隆くんが鼻を摘まみながら手紙の角を人差し指と親指だけで挟み持ち上げている。うーん、煽りよる。

 

 店員はダラダラと気持ち悪い汗を流して、すっかり血の気の失せた顔でしどろもどろになんとか言葉を捻り出している。

 

「ち、違うんだ。ただ、そう。この子がデジカメの使い方を教えて欲しいっていうから、個別に教えてたって言うか。それだけなんだよ~」

 

 ……通報を終える。直に警察が此処へやってくるだろう。

 

 私もそこで物陰から姿を現した。清隆くんが一瞬だけ鋭く私を見た。

 

「よく言うよ。これなーんだ?」

 

 顔の横に携帯を持っていき、撮れたばかりの映像を画面に流す。

 男がまたサッと顔色を変えた。先ほどよりもさらに悪い顔色になっている。

 

「な、なにして……なんだよそれ……!」

「残念でした〜証拠ゲット〜。ばーかばーか」

 

 携帯を持つ手も持っていない手も顔の横くらいまで上げ、ひらひらと振る。こういう時舌を出すのは様式美だろう。……ヤ、ヤンキー口調って難しいな。こんなんでいいの? なんか普段と変わらなくない……? あれ?

 一瞬スペキャになるも、しかし店員が真っ赤になって激怒して、こっちに掴み掛かろうとドタドタ走ってきたので、まあ間違ってはいないはずだ。ちゃんと煽れていたのが確認できた。

 

 こっちも対応しようと軽く構えるが、その前に清隆くんが前に出て店員の服の裾を取り、軽快に投げ技を決める。脇がガラッガラだったので私もしようとしていたことだ。

 明らかに素人で、受け身なんか取れているわけがない。店員は路地裏の汚い地面に倒れ伏し、痛みに呻いて動けないでいる。

 その間に縛ってしまおうと用意していたロープを取り出し店員に近づいて、そのロープが清隆くんに取られた。なんか全部先手に回られてない?

 

 

 清隆くんが手早く絶対解けない縛り方で店員の手足をギチギチに縛っているのを見ながら、これで一安心だと判断する。

 シャッターに背中を預け、地面にお尻をつけてへたり込んでいる佐倉さんの方へと向かった。

 

「よく頑張ったね、佐倉さん」

「………ぁ、……」

 

 目の前に立つ私を佐倉さんが呆然と見上げている。ぽろ、と目の端で留まっていた涙がこぼれ、新たに頰に跡を残した。

 

 すぐにしゃがんで、佐倉さんの乱れた制服を勝手に直していく。シャツの前を合わせて、ボタンを留める。いつもの彼女を思い出して、上着のボタンも上から下まできっちり留めた。佐倉さんはその間されるがままで、終始無言で私の挙動を見ている。

 制服を整え終えるも、佐倉さんからは一向に反応が返ってこない。声をかけても一緒だった。困り果てて眉を下げる。 

 

 清隆くんに助けを求めようと振り返れば、ちょうどこっちを見ていて目が合った。手を挙げこっちに来るよう合図する。彼の目の奥で揺らめいている感情に気づきつつも、今は相手をしないこととする。

 

 今大事なのは佐倉さんだよ。後のことは後で考える。未来の私に任せた。

 

「佐倉。どうした?」

 

 清隆くんも私と同じように、佐倉さんの前で膝をついてしゃがんだ。……やっぱり反応が返ってこない。

 清隆くんと目を合わせ、どうしよう、どうする、と会話する。

 

「……ぅ……」

 

 ここでようやく佐倉さんが声を出した。顔を向ける。

 

 佐倉さんは、さっきまで止まっていたはずの涙を再びボロボロとこぼしていた。ひっひっと痛々しいまでに呼吸を引き攣らせて泣いている。

 あ、と思ったときには佐倉さんの腕が私たちに伸びていて、首が締まりそうなほど思い切り抱きつかれている。いや、正確には縋り付かれていると言った方がいいだろう。

 

 すぐ耳元にある佐倉さんの口から紡がれた言葉に、私はやっと“正しく”状況を理解した。

 

 

「う、ぁ、あ……こわかったよぉ〜〜……!」

 

 

 …………良心が痛んだ。

 

「よしよし。えらいえらい。佐倉さんはすごいな〜」

「すごかったぞ、佐倉。手紙を叩きつけたところなんて圧巻だった。格好良かったぞ」

 

 二人がかりで背中を撫でたりポンポン叩いたりして慰める。ひっくひっくと嗚咽をこぼし、佐倉さんは私たちにしがみついて離れない。

 佐倉さんがこうなった責任は、私たちにもある。

 

 警察が来るまでという短い間ではあったが、彼女が泣き止むまで、私たちは大人しく抱き枕になっていた。

 

 

 

 ───一之瀬さんは来なかった。

 

 頭の奥で、もはや惰性のように鈍い痛みが走るのを、凪いだ思考で冷静に感じていた。

 

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 警察に男を引き渡し、証拠である映像と写真を提出して、後日詳しく話を聞くということでその場は一旦解散となった。学校に連絡したりと、諸々複雑かつ面倒な事情があるのであろう。お勤めご苦労様です。

 

 佐倉さんに付き添って彼女を寮まで送って帰ると、今度は清隆くんと二人で学校に向かう。そして武道館前で別れた。清隆くんは私を学校に連れて行こうとしていたのだが、対する私には弓道場に荷物を置いて来たため取りに戻るという立派な理由がある。

 

 ちなみに胸を張って理由を述べている間、ずっと白い目を向けられていた。

 

「じゃ、そういうことで……私は今から荷物取りに戻って、それから寮に帰るから。清隆くんの予定は?」

「まだ時間があるからな……何か一之瀬が言いかけていたのも気になるし、先にそっちの話を聞いて、その後結果を待つ感じだな」

「了解。ということは、今日は私の部屋だね」

「わかった」

 

 じとっと見ている視線を気にせず振り切り、荷物を取りに向かう。この場では何も言われなかったが、清隆くんがいろいろ忘れてるわけがないので、帰ったら普通に追及・説教コースとなるだろう。

 一応ご飯を食べた後から始まるのが良心的だと思っている。腹が減っては戦ができぬと言うし。なおこの場合お互いにである。

 

 私が部活に行き出してからは、なんとなく私たちの間で先に寮に帰った方の部屋に帰るという習慣が出来上がっていた。

 今日は私が先に帰るため、清隆くんが私の部屋に帰ってくる番だ。なんだか逆になるのは随分久しぶりな気がする。

 部活に本格的に行き出してから始まった習慣で、かつ部活で帰りが遅くなる私はもっぱら清隆くんの部屋に帰ってばかりだった。そして清隆くんの部屋に帰ると、そのまま泊まっていくことも多い。

 まあ清隆くんは人気者だから、部屋に先客がいれば自分の部屋に帰るようにしている私としては、自分の寮に帰ること自体に久しぶり感はないが。

 

 夜ご飯は一緒に作るから、材料だけ用意して……いや、遅くなるようなら先に作っておくか。いつ頃帰ってくるのかわからないから、こちらも適当に動こう。

 

 結果を聞いて、見届けて。すぐに帰ってくるならば一緒にご飯を作ることができるだろうが、さて。

 

 

 

 

 ───玄関の開く音が聞こえた。

 

 火にかけていた鍋から顔を上げ、時計を見ながら、随分長かったなぁと思う。

 

 冷蔵庫の中にあった材料で簡単に作っていた味噌汁は、ちょうど出来上がったところだった。今日は全体的に和テイストを意識している。この後フライパンで魚も焼く予定だ。

 ちょうど味噌汁を作り終えたのもあって、一旦火を止めると、清隆くんを出迎えに玄関に向かった。

 

 清隆くんはドアを開けて私を見ていた。まだ玄関には入っていない。開いたドアの向こうには夜が広がっていた。時間も時間だし、外が暗くなっているのも当然のことだ。

 

 それはそれとして。

 一向に玄関に入らず、ぼーっと私を見ている清隆くんに首を傾げる。

 

「……清隆くん?」

 

 玄関から部屋に上がる際にある段差で、私たちの身長差は縮まっている。それでも同等にならないところに悔しさを感じたりもする。男女差というのは、なぜこうも理不尽で不公平なものなんだろうか。

 ……と、思考が逸れた。そんなどうしようもないことを考えたって現状は変わらないのだ。それならもっと別のことを考えて、時間を有効的に使うべきだろう。

 

 それになにより、今は清隆くんだ。

 

 

 部屋から漏れ出る光が、玄関外に立っている清隆くんの瞳に映っている。そこに逆光を背負った私も紛れて映り込んでいた。

 

 最近だと言われてばかりだった言葉を、いつもと反対だと思って、ちょっとおかしくなって笑いながら口にする。

 

「おかえり、清隆くん」

 

 清隆くんが私を見つめている。その口元が、ゆっくりと緩んでいく。

 

 一度だけほうと小さく息を吐けば、それに合わせて清隆くんの肩が僅かに下がった。あまり気に留めるほどじゃない、何気ない行動だ。

 

 

「ただいま、葵」

 

 

 

 今度こそ清隆くんが玄関に上がってくる。

 

 ふざけて笑いながらパッと開いた両腕に、さっきまで外にいたからか冷たい温度をした清隆くんが入ってくる。

 慣れた体温になるのも、きっとすぐのことだ。

 

 

 

 

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