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バカンスの開幕
茶柱先生、と。
先に指導室を出て行った生徒とは異なり、最初から変わらない淡々とした瞳でこちらを見ながら、自身を呼ぶ生徒に視線を移す。
思えばこの生徒は一体何なのか。特別な生徒であることに間違いはないはずだが、それにしても必ずどこかしらにあるはずの異常性を感じない。
成績は際立ったものはなく、平均。運動能力についても特に何か不足しているわけでもなく、こちらも平均的といえる。性格だって、良くも悪くも善良と言えるものだ。突出したものは何もない。極めて平均的・一般的な生徒だ。
前提知識が頭を鈍らせる。明確な異常を結果として形に残しているもう一人の生徒に意識がいきがちで、この生徒には疎かになりがちだ。
指導室に彼女を呼んだのは、緩衝材となる可能性を見越してのことだった。あまり意味は……なかったようだが。
視線を離す。冷淡に返事をする。
「なんだ、水元。綾小路を先に行かせて、後は追わなくていいのか?」
「いえ。清隆くんは待っているので。後で行きます」
口端をくっと持ち上げた。もはや一体誰に向けているのかわからない不快感。後悔。焦燥が、自身ですら把握不可能なほど胸に蟠っている。
「お前たちは本当に仲が良いな。少し心配になるくらいだ」
「幼馴染ですから」
「体のいい言い訳だ。水元はまだ理解していると思っていたんだが」
「……嫌なこと言いますね」
少しだけ感情が滲むが、誤差程度だ。この生徒は取り繕うのがひどく上手だ。
口調が抜け切らない。綾小路と応酬していると、普段装っている冷淡さが剥がれて、代わりに嫌味な口調が増す。あの人を食ったようでいて、心底どうでもいいと隠しもしない態度が茶柱の鼻につくのだ。
今回はどうでもいいとはならなかったようで、結果、己の服に皺が寄ることになったが。
こうなることを見越して、覚悟して話を切り出したのだが、やはり肝が冷える。想像以上。いや、想定外なほどぶつけられた一瞬の激情は、いまだ鮮明に頭の中で思い起こせた。呑まれる、なんて思ったのは初めてだった。
あの一瞬、瞳の奥で轟々と姿を現した闇は、見間違いだと断じるにはあまりに深すぎる。過った。私は確かに誤ったのだろう、と思う。
だが今さらだ。茶柱の人生は後悔ばかりだ。一つ二つ増えたところで大差はない。
「イカロスの翼。知っていますか?」
息を止める。
知っているも何も、茶柱はつい直前にその話を思い出していた。綾小路とイカロスを重ねて、その最後を勝手に想像した。
数あるギリシャ神話の中でも、彼女がその話を選択するのは状況と即してあまりに薄気味悪い。背筋が汗ばむのがわかった。
「ギリシャ神話の一つです。かつてギリシャには───」
淡々と紡がれる彼女の声が頭の中で残響する。先ほど頭の中で思い起こしていた話だ。自分の声と彼女の声が重なる。不協和音を奏でる。
その音が不愉快で、しかし彼女を止めるために開いた口からは何も出ない。声が喉に張り付いている。
無機質な機械がまるで歌を奏でるように。矛盾しているのに、これ以上当て嵌まる言葉が思いつかない。
不協和音は止まない。
───かつてギリシャには、ダイダロスと言う偉大な発明家がいた。
ダイダロスはミノス王に命じられ、怪物ミノタウロスを閉じ込める迷宮を作り上げた。しかし後にミノス王に見放されることになり、息子のイカロスと共に塔へと閉じ込められてしまう。
ダイダロスたちはその幽閉された塔から逃げ出すため、鳥の羽を集めて大きな翼を作り上げた。大きな羽を糸でとめ、小さな羽は蝋でとめた。
やがて翼は完成し自由を求め飛び立とうとしたとき、父であるダイダロスは息子へとこんな忠告をする。
『あまり高く飛ぶと、蝋で固めた翼が太陽に焼かれ溶けてしまう。気をつけろ』……と。
そう忠告を受けたイカロスは、父と共に塔から飛び立った。
そしてイカロスは、自由を得た。
だが自由とは、時として己を見失ってしまう危険なものだ。
眼前に広がる自由を手にし、イカロスは調子に乗ってしまった。それは必然だったのかも知れない。束縛された苦しい状況からの打破。自由に魅入られ、父の忠告を忘れ高く高く飛んでしまったのだ。
作り上げた偽りの天使の翼は、太陽に焼かれ瞬く間に蝋が溶け出してしまう。
やがて偽りの翼は全て焼き尽くされ、イカロスは大海へと落ち死んでしまった………
「……それがどうした。唐突だな、話の脈絡がない」
乾いた喉から、不自然にならないよう声を出す。離していた視線は再び水元に戻っていた。
水元とは一定の距離を保ったままだ。テーブル越しに二つ並べたパイプ椅子は、今は一つ空いている。先ほどまで人が座っていたという温もりは、きっともう無くなっている。
最初から変わらない、一本芯が通ったように伸びた姿勢は、崩れる様子はない。
こちらを真っ直ぐ見上げる目には、何もない。
「私はイカロスを死なせる気はありません。鳥の羽など使わない。鳥を、天使を基にするから駄目なんですよ。天使が駄目ならば、その対となるモノを基にすればいい」
天使の対。
「まさか、悪魔とでもいうのか?」
思わずハッと笑う。馬鹿げたことを言う。
水元は変わらないあの目で、視線を真っ直ぐ前に向けている。どこを見ているのかわからない。
「悪魔の羽はコウモリの翼を基にしているそうです。コウモリの翼を形成しているモノって知ってますか? 皮膜なんですよ。人間にして言うと皮膚。こんなに簡単な材料無いでしょう?」
馬鹿げている。
剣呑な眼差しで水元を睨みつけた。
「現実的じゃない。死ぬ気か?」
「天使の翼を作ること自体現実的じゃないですよ。そもそもコレは神話です。だからその反論は相応しくありません」
「……ダイダロスはどうなる。それだと、共に空には飛び立てないだろう」
ここで初めて水元の表情が変わった。
きょとんと目を丸め、茶柱を見上げる。首を傾ける仕草は、無垢な子どもを連想させた。
まるで、こちらが間違ったことを言ったような錯覚。
「それでこそ、親でしょう?」
───この子は危ない。
咄嗟に口を開いたのは、茶柱の教師としての責務か。
とにかく何か言わなければと思った。彼女の考えを改めさせなければと思った。
「水元、」
───唐突に指導室のドアが開く。そこから遠慮の欠片もない様子で綾小路が中に入ってくる。
綾小路はそのままつかつかと水元のところまで歩いてくると、彼女の手を取ってパイプ椅子から立ち上がらせた。
茶柱が水元に呼びかけた言葉は宙ぶらりんとなり、水元の意識は完全に綾小路に向く。
「いつまで話してるんだ、葵」
「清隆くん」
「待ちくたびれた。早く帰ろう」
綾小路に手を引っ張られ、水元も指導室を後にする。水元は部屋を出て行く際一度茶柱の方を向いて、ぺこりと会釈をする。模範的な、こう在るべきという生徒の像を体現している。
綾小路に関しては先ほどノックなしで部屋に入ってきたことから、出て行く態度など言うまでもない。
……己以外誰もいなくなった指導室で、ふと見下ろした視界にテーブルの上で組んだ両手が映る。
小刻みに震えている。
強く握り込めば、手の甲に爪が刺さった。
後悔はいつだって後からするから、後悔なのだ。
彼女を先に部屋から出し、振り向き様にチラとこちらを見た彼の瞳。振り向き加減だけが理由じゃない、鋭く細まった瞳は、呑み込まれそうなほどの深い闇を孕んで茶柱を見ていた。もはや隠す気もない激情を込めて、明確に茶柱を見ていた。
忘れられそうもない。あの深い闇を宿した瞳は、果たして茶柱から目を離した瞬間どうなったのか。前を向いた彼の前にいたのは誰か。
頭にこびりついて離れない。
「厄介な生徒たちを受け持ったものだ……」
力なくこぼした一言を、一体どんな立場で言えたというのだろう。
わらうしかなかった。
§
夏だ! 海だ!
「バカンスだー!」
ワーッと盛り上がる。隣では清隆くんが私と同じように海原を見下ろして、眩しそうに目を細めていた。
「すごいな。良い景色だ」
「人工島から見える海とはやっぱり違うね!」
「ああ。風も冷たくて気持ちいい」
「ねー」
デッキから身を乗り出して海を見下ろす。豪華客船だから、見える海面が遠い。しかしこんなに遠くからでも透けて見えるのがわかった。
じっと海を見下ろしていれば、危ないぞとお腹に腕が回ってデッキの方に引き戻される。まあ確かに海面を見るのに少しばかり夢中になって、身を乗り出しすぎていたのは否めない。
大人しく言うことを聞き、数歩下がる。ついでに手に持っていたジュース、そこに差さっているストローを口に咥えて、パイナップル味の果実水を口に含んだ。
「カーッ! やはりバカンスといえばパイナップルに限る」
「おっさんか」
呆れた顔をした清隆くんが、ほら、と私の口元に差し出してきたのは彼が持っていたジュースだ。味変にちょうどいいと遠慮なく目の前のストローを咥える。
清隆くんはメロンソーダを頼んでいたので、口に含んだジュースはメロンソーダの味がした。美味しい。
なお清隆くんはつい先ほどまでメロンソーダの入っているカップを目前に掲げ、「これが……メロンなのか……?」とか言いながら携帯でポチポチ調べ物をしていた。このスッキリした様子を見るに、どうやら疑問は無事解決したらしい。相変わらず好奇心の塊をしている。わかるよ、メロンソーダって不思議だよね。私も調べた覚えがある。
そっちの飲み物もくれ、と指を差されたので同じように清隆くんの口元に差し出した。ストローを咥えて、黄色い果実水が吸い上げられていくのを見る。数度彼の喉仏が動き、満足したのか口を離した。
「南国気分ってやつだな。確かにバカンスといえばパイナップルかもしれない」
「でしょー?」
同意を得られて鼻高になる。清隆くんもわかってくれたようでなによりだ。バカンスといえばパイナップル、これ、共通認識。
「じゃあ次は何味のジュースにしようかな」
「オレはマンゴーにする」
「ハッ……! それは盲点だった……ナイスバカンスチョイスだよ清隆くん! 私もマンゴー欲しい」
「Lサイズ頼んでくるか」
清隆くんが飲み終えたジュースの空カップを二人分まとめて捨てに行き、ついでに新しくジュースを頼みに行ってくれる。
ついて行ってもよかったのだが、海の景色があまりに綺麗なので、もう少しこの場に留まって満喫することにした。
少し遠くから池の興奮した雄叫びが聞こえてくる。だんだん話し声が近づいてきているから、こっちに向かって来ているんだろう。
振り向いてみると、案の定いつもの3バカがいる。3バカの声が大きくて気づかなかったが、櫛田さんや軽井沢さん率いるイケイケ女子グループもいた。
ぼーっと見ていると、櫛田さんと目が合った。あっという顔をしたかと思えば可愛らしく微笑まれ、これまた可愛らしくこちらに駆け寄ってくれる。
「水元さんっ! こんにちは!」
太陽の下で見ているからか、天使スマイルが余計に輝いて見える。浄化されそう。
仏の顔で目を閉じ、この世の生きとし生けるものが幸せでありますようにと悟りを開いていると、お腹付近につんつん刺激を与えられた。
目を開ければダイレクトに天使がいる。私を上目遣いに見上げ、不思議そうに目を瞬いて首を傾げる。
「あれ? そういえば綾小路くんがいないね? 堀北さんも、一緒じゃないの?」
「清隆くんはジュース取りに行ってるよ。堀北さんは……わからないな。確か朝食のときはいたよね?」
堀北さん関連は私よりも断然清隆くんの方が詳しいと思う。私は堀北さんとそんなに一緒にいるわけではない。だから私に聞くのは間違いだ。
「もうすぐ清隆くん帰ってくると思うから、堀北さんのこと聞いてみようか」
「ううん、そこまでしなくていいよ。ちょっと気になっただけだから。水元さん、よくあの二人と一緒にいるでしょ?」
「堀北さんとはそんなに一緒にいないと思うけど……」
眉を寄せて首を傾げる。一体櫛田さんは私に対してどういうイメージを持っているんだろうか。
櫛田さんがニコニコしながら、「そうだっ」と声を上げて話題を変える。
「お昼は、島のプライベートビーチで自由に泳げるんだったよね。楽しみだなあ」
「これぞバカンスって感じだよね。トロピカルジュース頼まないと」
「あはは、いいね! 私も頼もうっと」
トロピカルジュースに花の飾りはいるかどうかについて、うんうんタイミングよく相槌を打って聞いてくれる櫛田さんに熱く語る。
ちょうどそのときガガッという電子音の後、船内のスピーカーからアナウンスが流れてくる。
『生徒の皆様にお知らせします。お時間がありましたら、是非デッキにお集まり下さい。間もなく島が見えて参ります。暫くの間、非常に意義ある景色をご覧頂けるでしょう』
アナウンスが終われば、続々と生徒がデッキに集まってきた。生徒たちはみんな一様に明るい表情をしている。いよいよ無人島にあるペンションに行けると思っているのか。そのワクワクとした表情を見ていると、なんともいえない気持ちになってしまう。
私や櫛田さん、イケイケ女子グループとついでに3バカは最初からデッキにいたため、ベストポジションを取っていた。生徒が集まるにつれどんどん前に押し出されて窮屈な体勢にはなっていたのだが、それでもベストポジションであることに変わりはない。
しかしそれが気に食わなかったらしい男子生徒の一人が、唐突に3バカの中で一番小柄な池の肩を突き飛ばした。突然のことで耐え切れるわけがなく、池が転倒する。
櫛田さんが慌てて池のもとに駆け寄って行く。池は男子生徒への怒りよりも、櫛田さんが心配して駆け寄ってきてくれたことの方が嬉しいようで、男子生徒なんかすでに目にない様子だった。顔がデレデレしまくっている。羨ましい。私も櫛田さんに支えられて抱き起こされたかった。
須藤は友達のピンチにすかさず「テメェ何しやがる!」と声を上げて威圧していた。池は呑気にデレデレしているというのに、なんて友情に熱い男なのだ。須藤、池なんか庇う必要ないです。
男子生徒は鼻で笑って、蔑んだ様子を隠しもせずに言った。
「お前らもこの学校の仕組みは理解してるだろ。ここは実力主義の学校だ。Dクラスに人権なんてない。不良品は不良品らしく大人しくしてろ。こっちはAクラス様なんだよ」
あまりに横暴な態度とセリフだ。しかし此処に表立ってまでDクラスの味方をしてくれる生徒はおらず、結局すごすごと船首から離れることになってしまった。
須藤は終始不満そうにしていたが、喧嘩に発展することはなかった。着実に綺麗な須藤に近づきつつあることを再確認する。感動の思いでいっぱいだ。堀北さん……あなたやりましたよ……!
Dクラスメンバーがデッキの隅に追いやられたところで、ジュースを手にした清隆くんが帰ってくる。場所を変えた私たち、ひいては私を見て、目を瞬いた。
「何かあったのか?」
差し出されたジュースをお礼を述べながら受け取り、ストローを咥える。一通りマンゴー味を楽しんだところで口を離す。
「世の中は弱肉強食なんだなって改めて実感してきたところだよ」
「Dクラスは負けてきたか」
「Dクラスを負け犬って言うのやめなよ!」
「葵が今言ったんだろ」
視界の端で偶然鉢合わせた平田くんが3バカに絡まれていたのだが、電話がかかってきたため、一言断りを入れて慌ただしげに去っていく。人気者はいつも大変そうだ。
そういえば平田くんと清隆くんは同室だったなと、隣を見上げた。
「平田くんどう?」
「……どう?」
「仲良くしてるのかなって」
「別に。普通だ」
口元にジュースが差し出される。ありがたく頂戴しながら、清隆くん照れてるのかな……とぼんやり考える。イケメンの前だと急に喋れなくなる現象ってあるよね。わかるよ。
池が怪しく櫛田さんに近寄って行っている。どうやら下の名前で呼び合いたいらしい。櫛田さんは快い返事をして、さっそく池を「寛治くん」と呼んだ。またも上がる雄叫び。
天に向かって「桔梗ちゃあああああん!」と吠える姿は、最近清隆くんと見た映画プラトーンを彷彿とさせた。池がしたら途端にギャグに様変わりするの面白いな。
「下の名前か……そういや堀北の下の名前って、なんだっけか。なあ?」
興奮している池をよそに、須藤が私たちに近づいて不自然に尋ねてくる。私は自信満々に答えた。
「花子だよ。可愛い名前だよね」
「葵……嘘は良くない。卑弥呼だ、須藤。堀北卑弥呼」
「清隆くん……天才か?」
「卑弥呼か……俺の予想通りだぜ。フィーリングばっちりだな」
もちろん卑弥呼案採用されたら、清隆くんが全責任を負うってことでいいよね? 私何も悪くない。
「っし、この夏休みの間に俺も下の名前で呼ぶぞ。卑弥呼、卑弥呼っ」
無事に清隆くん案が採用された。今からは清隆くんが全責任を負うってことでよろしく。
……なんか遠目に櫛田さんの肩が震えているのが見えるな……夏であっても長時間海風に晒されたら寒くなるのは仕方ないことだ。あとでジャージの上着でも持って行ってあげよう。
須藤がどこか熱い目で清隆くんを見つめる。
「そうだ、なあ試しに練習させてくれよ綾小路。卑弥呼って呼ぶ練習をよ」
「練習って何だ、練習って……。普通ないぞそんなもの」
「構わない。今から私が卑弥呼だ」
気乗りしない清隆くんに代わって自ら名乗り出る。隣から「葵……」と呆れたように名前を呼ばれたので、「違うわよ、私は卑弥呼。間違えないでくださる?」と宣った。ため息をつかれた。
役作り万全の私に、須藤が雰囲気に呑まれてかどこか緊張した様子を醸し出している。真剣な眼差しを向けてきたので、私も真剣な眼差しを返した。
「なあ堀北、ちょっといいか? 少し話があるんだけどよ……」
「3回まわってワンよ。話はそれからね」
「オレは何を見せられているんだ……」
須藤と卑弥呼の感動すべき友情深め合いシーンに決まっている。これは清隆くんが始めた物語だろ!
「ほ……堀北。いつまでも他人行儀って、変じゃねえか? 俺らも知り合ってだいぶ経つしよ。他の連中は結構下の名前で呼び合ってるみたいだし。俺たちもそろそろどうだ?」
「話題の切り出し方としては及第点ね。須藤にしてはやるじゃない」
「須藤くんだ、葵」
「須藤くんにしてはやるじゃない」
須藤が私の発言を聞き、パッと顔を明るくした。
「そ、それじゃ! そろそろ下の名前で呼びたいんだがいいか?」
「ウェイトよ。結論を急ぎすぎてはダメ。まずは私の意見を伺うのが先じゃないかしら?」
「葵は堀北になり切っているのか個人的にアドバイスをしているのか、どっちなんだ?」
「シャラップよ。清隆くん」
「綾小路くんだ、葵」
「シャラップよ。綾小路くん」
「やっぱり清隆くん呼びだった気がする」
清隆くんが合間合間に口を挟むせいで、会話が混沌としている。
須藤は私の言葉の意味を必死に考えているみたいだ。口を挟む清隆くんに何か文句を言う様子は見られない。
恐る恐る私を見て、「どういうことだ……?」と素直に尋ねてくるので、こちらも素直に答えることとする。
「そうね……私が下の名前で呼ばれたいか否か。あなたが呼びたいかどうかじゃなくて、私が、あなただけじゃなく誰かに名前で呼ばれたいと思っているかどうか。まずはその確認を取ってみるのはどうかしら?」
「もしそれを聞いたら……?」
「受け入れてもらえるかは別として、どちらにしても須藤くんの気遣い力はアピールできると思うわよ」
「おおお……!!」
須藤の顔がパァァッと明るくなる。私のアドバイスで将来に対する展望が見えたならば、何よりだ。期待しているぞ、須藤。
その一方でたぶんどう足掻いても無理だとも思っているけど、希望を見せることくらい良いじゃないか! 人は希望無くして生きていけないのだ。
「な、なんかいけそうな気がしてきたぜ……! いろいろとサンキューな水元!」
「堀北よ」
「おお、そうだな! サンキューな水元!」
「だから堀北だってば」
「葵、まだジュースいるか?」
「堀北さんだよ私は!」
なおジュースはありがたく頂戴する。
清隆くんが呆れたように「もういいだろその設定……」とか言っているが、今私の中には完全に堀北さんが降りてきていたのだ。イマジナリー堀北さんだ。私だけは彼女を否定してはならない……!
私の中のイマジナリー堀北さんを守ろうと立ち上がる。清隆くんがいけしゃあしゃあと「そもそも全然うまくなかったぞ」とか辛辣なことを言ってくるので、それに対抗してだ。
反論しようと口を開いたタイミングで、ちょうど周囲が騒がしくなる。
清隆くんから視線を外し、海の方を見た。いつのまにか肉眼で確認できるほど、島が近づいている。
船はぐるりと島の周りを回り始めた。それに合わせて生徒のボルテージは上がっていく。
「凄く神秘的な光景だね……! 感動するなぁ。ねえ、水元さんもそう思わない?」
「え!? あ、うん!?」
櫛田さんが接近していることに気づきつつも、まさか声をかけられるとは思っていなかった。素で動揺する。
私の挙動不審っぷりにクスクスと笑い、その後声を潜めて「そうだ。堀北さんの名前、訂正しておいたよ。あんまりああいう意地悪はしちゃダメだよ?」と言う。そこに怒った様子は見られない。めっ! と軽く注意する感じだ。
いや、櫛田さんが『意地悪』って言うときの破壊力すごくない? 『意地悪』というか『いぢわる』って感じだな。
思考が逸れかけたが、名前を訂正するのを忘れていたのは事実なので、先に清隆くんと二人で櫛田さんにごめんなさいをする。櫛田さんはいいよいいよと再度笑ってくれた。
「それに私も、須藤くんが堀北さんのことを卑弥呼呼びするのは、ちょっと見てみたかったかも……なんてねっ」
舌をちろっと出して悪戯っ子みたいに笑う櫛田さんの破壊力、本当にシャレにならない。
『これより、当学校が所有する孤島に上陸いたします』
アナウンスのおかげでトリップしかけていた意識が戻ってくる。あともう少しで櫛田さんに怪しまれるところだった。すでにいろいろバレてる気はしている。
アナウンスの内容を聞くに、今からジャージに着替えて所定の鞄と荷物を確認した後、携帯を忘れず持ってデッキに集合しなければいけないようだ。
みんな部屋がバラバラなので、その場は手を振って別れて、それぞれ自分の準備をしに行く。
準備を終えて再びデッキに戻ってくれば、先に清隆くんは着いていたようで、隣には堀北さんがいた。
それを近づくことなく離れて見てから、視線を島に移す。
島を目の前にした生徒たちは興奮と熱気に包まれている。
ここが天国と地獄の境目だと気づいている生徒は、果たしてどのくらいいるんだろうか。
なんにせよ、私の行動はずっと一貫している。
ようやく皆さんお待ちかねのラブコメ回(?)が始まりましたね。
ちなみに池が「堀北の下の名前って卑弥呼だったんだな〜」とか彼女の前で言わなかったら卑弥呼案は採用されていました。
それとこちら、見た瞬間作者の体に稲妻が落ちてきた主人公のイメージ画です。
イメージドンピシャでした。ホワイトルーム時代の主人公です。
【挿絵表示】
この感じのまま成長したのが本編主人公です。特に何も変わっていません。
あくまで作者のイメージなので、すでに確固たるものがある方は見なくても問題ないです。
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