三日目。目が覚めて起き上がり、周囲を観察する。みんなリラックスした様子ですやすや眠っていた。かく言う私も、痛みのない体に人知れず感動している。
昨日よりも断然快適に眠れ、気分は爽快であった。素晴らしい朝が来た。間違いなく希望の朝だった。
ちなみになぜこんなに快適に眠れたかというと、昨日櫛田さん考案『トイレ用に支給されたビニールを使って、クッションを作ろう!』作戦が決行されたからだ。
本人は「元々はBクラスの案だから、お礼とかいいよ」と苦笑して言っていたが、櫛田さん相手だからすんなり案を譲ることを了承してもらえたのだと思う。
Bクラスの人は基本的にみんな優しいとして、それでもやっぱり自分たちで考えて編み出した案なのだ。それを他クラスに教えて、まして利用してもいいよなんて、いくら優しくてもさすがに言えないと思う。リーダーがどんなに優しくても、必ずどこかに反発者はいるはずだ。口では言わなかったとしても、内心でというのはあり得る話だ。
しかしこうもスムーズに事を成せたのは、櫛田さんの人望のおかげと言って良いだろう。さすがDクラスの天使・櫛田さんだ。私たちに出来ないことをさらっとやってのける。
昼前になって、今日も今日とてトマト探しに燃えながら空のリュックを背負った私のもとに、清隆くんがやってくる。
「ちょっといいか」
「よくない。見てわかるでしょ、今忙しい」
「今は何もしてないだろ。いいから」
手を引かれる。後をついてくるよう言われるが、手を引かれているのに後をついていくも何もないと思う。強制で間違いない。
トマト探しに燃えてはいるが、時間ならまだまだたっぷりあるのだ。櫛田さんにジェスチャーで今日は行けないことを伝え、了解という合図が返ってきたのを確認し、素直に清隆くんの隣について歩き出す。
「何するの?」
「高円寺が気になることを言っていてな。それの確認をしたい」
「オッケー」
軽快に返事をしたところで、ふと違和感を覚えた。
───あれ……確かココは……?
「葵?」
突然足を止めた私を、手を繋いでいたため清隆くんも同様に足を止めながら見てくる。緩く首を振って、なんでもないと返した。
ハッキリと覚えていないなら、大したことじゃないんだろう。
サクサクと土を踏んで進みながら、目印だという木に括り付けられたハンカチを探す。
下ろすのを忘れてリュックを背負ったまま来てしまったのだが、中身はなく空っぽなので不便はない。清隆くんが代わりに背負おうとしたのだが、空っぽのリュックを背負えないほど脆弱ではないと断ったのがついさっきのことだ。
「ハンカチ見つからないねー」
「まだ大分先だ。近づいてきたらまた言うよ」
歩いているうちに、段々と木々が生い茂った場所に入り込んでいく。本当に行き先合ってるのか? と訝しげに清隆くんを見るが、目が合えば頷くので間違っていないらしい。
木々が生い茂っていくごとに先導するようになった清隆くんに、ありがたくその後をついていく。こういう場合だと体の大きい方が先に行く方が、何かと都合が良いものだ。小さい体で頑張っても、小さいが故に障害物の全てを退けることができない。結果的にどっちも怪我をするとかあり得る。
別に私自身小柄なわけじゃないが、男子と比べたら当然小さい方になる。女の子同士だったらもちろん私が前に行くんだが。
この学校の子、平均と比べたら小さい子が多いような気がする。だからみんな可愛いんだろうか?
しばらく歩いて、前方もどんどん険しくなっていき、お互いに疲労を感じ始める。清隆くんの提案で少し休憩を取る運びになり、休む場所として最適な影ができる大きな木を見つける。
その木の下に二人で座って一息ついていれば、虫が清隆くんの肩に落ちてきてお互い声なき声で騒ぐといった多少の紆余曲折があったものの、なんとか無事にハンカチの地点まで辿り着くことができた。
汗の滲んだ額を腕で拭う。ふう、と達成感から息をついた。
「いやぁ、長い道のりだったね」
「こんなに疲れたと思うのは久しぶりだ……」
「虫はドンマイとしか言えない」
「葵がミスってとんでもないところに虫を飛ばしたからだぞ」
「頑張って助けたのにそんなこと言う!?」
清隆くんの肩に乗った虫に気付き瞬時に木の棒を取りに行ったのまではよかったのだが、震える木先で虫を弾き飛ばしたら、力加減をミスり虫は肩から転がり落ちて今度は清隆くんのズボンについたという。終始固まっていた清隆くんはなかなかの見物であった。
私も虫に必死になっていなければ、大笑いして清隆くんを見ていたというのに……至極残念だ。
邪な考えがうっすら漏れたのか、じとっとした目つきで見られたので、普通にうまい口笛を吹いてその場を誤魔化した。
「それより、ほら。ここに何かあるんでしょ? 見つけないと!」
清隆くんによると、高円寺くんはこの地点で意味深に「君たちにはこの場所がどんな風に見えているのかね?」とかなんとか言ったらしい。何か意味があると思ったらしく、その正体を突き止めたいというのが清隆くんの言だ。
注意深く周囲を確認する。今まで歩いてきた森の中と何が違うのか、分析しようとするものの、一見しただけでは違いは見つかりそうになかった。
ふむ、と近くの木に触る。そのまま裏に回ったり、近くの茂みを軽く左右に割ってみたりを移動しながら繰り返す。
「あんまり遠くには行くなよ。見失ったら大変だ」
「私が清隆くんを見失うわけない」
「オレも……って違う。そういう問題じゃない。とにかく、あまり離れすぎないように」
りょーかい、と軽く返事をしつつ、周囲を探る手は止めない。後方でガサゴソ聞こえるので、清隆くんも探っているんだろう。
『どんな風に見えているか』……か。高円寺くん、いろいろ規格外だからな……。
何も見つけられないまま場所を移動すること、片手の指の本数をそろそろ超える頃。何度目かの移動後、ある茂みを視界に入れて、ここでようやく明らかな変化を見つけた。
こちとら食料探索組で鍛えられた観察力と知恵がある。まだ経験数でいえば浅いものの、そんじょそこらの生徒にこの分野で負ける気はない。この分野が今後人生で役立つことがあるかどうかは謎なところではあるが。
「メーデー、メーデー、メーデー!」
「何か見つかったのか」
声を上げれば、すぐに清隆くんがこっちに向かってくる。茂みを指差し、「たぶんここだよ」と言いながら清隆くんを置いて先に茂みの中に入っていく。
ついてくる気配を感じながら、茂みを抜け切った先に広がる光景に目を細めた。
「……これは……トウモロコシ、か?」
「うーん、たぶんそう」
同じく茂みを抜けてきた清隆くんが、隣に並ぶ。清隆くんは手を伸ばして実った果実を一本もぎ取り、本当にトウモロコシかどうかを調べている。
確認はすぐに終わったようで、今は顔を上げて改めて周囲を観察していた。
「なるほど……高円寺が思わせぶりなことを言っていたのは、これだったのか」
そして教えない意地の悪さ。さすが高円寺くんであった。
「とりあえずよかったね。また新しく食料が見つかった」
「ああ。微々たるものであっても、積もり積もればポイントの節約に繋がる」
と、清隆くんが私を見て怪訝な顔になる。
「言葉の割に微妙な顔してるな?」
「私が探してるのはトマトなんだよ……」
「ああ……」
そういえばずっとトマトトマト言ってたな、と呆れた顔をして言われる。私はこんなにトマトを求めているというのに、トマトがそれに応えてくれないのだ。魚と一緒である。
落ち込んでいてもしょうがないので、トウモロコシの収穫を始める。ざっと数えた感じ、50本あるかないかくらいだ。
置き忘れてきただけで、別に持ってくる意味なかったな〜と思っていたリュックが役立つときが来た。
「清隆くん、リュック入れて持って帰ろう。入らない分は手で持っていけばいけるかな」
「ギリギリいけるか」
収穫したばかりのトウモロコシをリュックに詰めながら、区画内を移動する。新しく人が来てはいけないので、できるだけはやく収穫できるよう努めるが、この作業が結構難しい。
なんとかリュックにパンパンになるまで詰め終わり、今度は手で持って帰る分を収穫していく。
そうやって二人で四苦八苦しているときだった。
「見てください、葛城さん! 凄い量の食料ですよ!」
聞こえた声に、一旦収穫をしていた作業を止める。二人で振り向いて、新たな来客の姿を確認する。
別に初めて見るわけではないが、こんなに間近で見たこともなかったので、思わず目を丸めてしまった。葛城……くん? さん? うーん、どっちもしっくり来ないけど……どっちかというと葛城くんだろうか。
あっちも急に顔も名前も知らないだろう私から葛城さん呼びされたら、驚くより先に引く可能性がある。よし、彼のことは無難に葛城くん呼びでいこう。
なお戸塚弥彦は戸塚弥彦だ。それ以上もそれ以下もない。呼びやすくまた語呂も良くて、大変良い名前をしていると思う。
全然関係ないことを考えながら彼らを眺めていた私だったが、清隆くんが私の前に出たことで現状を思い出す。
戸塚弥彦は清隆くんの顔を見て、あっと声を上げた。
「おまえ、昨日スパイに来てた奴か!」
いきなり怒鳴るのは良くないと思うな……。
清隆くんの背後にいる形になっているため、うわぁ、という顔をした私は見えていないだろうが、葛城くんは怒鳴る戸塚弥彦をすぐに窘めて落ち着かせていた。
それから顔を上げて、軽い自己紹介をする。
「俺はAクラスの葛城。こっちは弥彦だ。二度目だから自己紹介くらいいいだろう」
「オレはDクラスの綾小路だ」
「水元です」
ひょこっと清隆くんの背中から顔を出して挨拶する。葛城くんは私の姿を確認して、軽く頷いた。
短く挨拶を交わし合うと、葛城くんは戸塚弥彦を連れて回れ右をし、その場を後にしようとする。トウモロコシの存在を確認した上で、だ。
「それは君たちが見つけたものだ。無理やり横取りするつもりはないから安心しろ。しかしここを他の誰かに見つかれば持ち去られてしまう可能性は高いだろう」
「心配には及ばない。リュックがあるんだ。余りは手で持って帰ろうと思っている」
「しかし、手で持って帰るにも限度があるのではないか? ここからキャンプ地まで戻らなければならないだろう」
「あー……」
清隆くんは葛城くんに言われて、今その考えに及びましたみたいな顔をしている。ぼけーっとした顔なら清隆くんは他の追随を許さない。
対して私はといえば、言うてそんなに無理があるだろうか? と首を傾げていた。
葛城くんが足を止めて私たちを見る。
「良ければ、我々も手伝おう」
「な、本気ですか葛城さんッ!? 二人いるんだから、どっちか片方が残って見張っていれば済む問題じゃないですか!」
「森の中を単独で動き回る危険性を軽視するな、弥彦。男だけならともかく、男女で行動しているのならどうしても行動に制限は付く」
「でも、Dクラスのために協力するなんて!」
キャンキャン吠え立てて、当然と言えば当然の文句を言っていた戸塚弥彦だったが、葛城くんから鋭い眼光を浴びせられぐっと口を噤んだ。
清隆くんはその一部始終を見ながら、少し考え込んだ様子を見せる。かと思えば、唐突に着ていたシャツを脱ぎ始めた。サービスショットかな?
「違う」
「急に何?」
「今失礼なことを考えなかったか?」
「別に」
何も失礼なことなど考えていない。女性のサービスショットって需要あるけど、清隆くんはまた別枠として需要あると思うなーって考えたくらいだ。特に失礼には当たらない。
訝しげに私を見ていた清隆くんだったが、改めて葛城くんに向き直る。
「シャツの口を結べば袋の代わりになる。これで一回で運べる量を多くできると思う」
「見たところによると、最低二往復は避けられないだろう。そもそも、男が持てる量と同量のものを女性が持てるとは思えない」
清隆くんと二人であっという顔をする。第三者視点で考えることを忘れていた。
いや、それにしても葛城くん紳士すぎるな……モテる。これはモテるぞ。だからこそ惜しい。本当に惜しいよ……。
葛城くんの頭部を失礼のない範囲で見る。病気のため仕方ないこととはいえ、やはり惜しい。
再び全然関係ないことを考え始めた私と違い、清隆くんは真面目に葛城くんに言われたことを考え、少し逡巡してから首を振った。
「ありがたい申し出だけど、うちのクラスから注意するように言われてるんだ。Aクラスに頼ったと知られたら後で怒られる。悪いけど辞退させてくれ」
それを聞いて葛城くんがふむ、と彼らしい仰々しさで頷いた。
「なるほど。そうであるなら無理にとは言えないな。だが、こちらの言っていることを信用できるのか? おまえたちが立ち去った後すべて持っていく可能性もあるだろう」
「その場合は、今手に持ってる分で諦めるしかないな」
葛城くんはそこまで聞き終えて、後は何も言うことなく静かに私達が通れる分の道を空けた。
違和感を抱かれないように、リュックに無理やり詰めていた分を清隆くんの即成シャツ袋に投入する。手で持って帰る分として集めていたトウモロコシを追加すると、すぐに袋はいっぱいになった。
行こう、と声をかけられ清隆くんについて歩く。
十分葛城くんたちと距離を取った頃に、清隆くんが口を開いた。
「葛城たち、どうするだろうな」
「さぁ……でも、葛城くんの性質から考えると持って行かないと思うよ」
「どうしてそう思う?」
「男女の違いとか、そういう普遍のことを考えた上での発言をしたから。私的な指摘をすることもなかった……あれ? 今私ダジャレ言った?」
「言ってない」
「もっかい聞く?」
「いらん」
最初の怜悧な雰囲気からすっかり遠ざかり、最終的には駄弁りながらキャンプ地まで帰ってくると、クラスメイトたちが私たちの姿を見て生温かい目を向けてきた。トウモロコシを確保してきたというのに、同じ熱量で喜びを分かち合ってくれる人がいない。
清隆くんと目を合わせてなんだこの空気? と首を傾げ合いつつ、荷物を下ろしに行く。途中で清隆くんが池を捕まえて、残りのトウモロコシを取りに行くよう頼む際に、池まで生温かい目を向けてきていることに気づいた。
理由を聞けばなんでもないと言われる。あからさまになんでもなくない態度なのに、怪しすぎる。
何度か清隆くんと私でしつこく聞いていれば、疲れたようにため息を吐いた後、げんなりした様子で池が言った。
「片方上だけとはいえ裸なんだからさ、ちょっとは離れるくらいしたらどうなんだよ。普通どっちかは恥ずかしがるもんだろ? ……え? 俺が間違ってる……?」
「……清隆くん」
「待て、急に顔を青ざめるな。自分の体を抱きしめてすごいスピードで離れて行くな」
すかさずガシィッと腕を掴まれる。赤くなって顔を両手で隠しながら逃げる方がよかっただろうか?
両腕を掴まれ、強制的に向かい合わせになりつつやいのやいの言い合う。今からでも遅くない、普通を装うんだ派閥の私ともう手遅れだ、諦めろ派閥の清隆くんで熾烈な口合戦を繰り広げている間に、気づけば池は消えていた。ついでに周囲にいる人たちも各々自由に動いている。こっちを一切見てくる様子はない。
とにかくさっきの空気はどこかに行ったらしい。ああいう雰囲気はどうしても居心地の悪い気分になるので、助かった。
ホッと息を吐く。清隆くんに腕を離すように言って、しっかりシャツを着させた。
§
無人島生活もついに四日目となった。折り返しを迎えれば、先行きが見えなかった生活にもいよいよ終わりが近づいてきたのだという実感が芽生えてくる。クラスメイトたちの顔色も明るい。
ポイントも予定より多く節約できている。今では全員……とまではいかないが、大半の生徒が川の水を飲むことにも抵抗が無くなったようだ。
野菜、果実、魚などの食料も豊富に見つけ、また捕まえることだってできている。無人島生活は極めて順調であると言えよう。
そしてこれは大事なことだが、変なものを買って無駄遣いしていない。そう、していな……。
「…………」
私が過ごしているテントとは別に、もう一方の女子テントの中にいつのまにかあった扇風機は見て見ぬフリをした。世界の強制力というものをひしひしと感じた。沈黙は金。
釣りの練習を終えて、実際チャレンジして今日は三匹釣り上げることができ、満足な結果に終わる。やはり落ち着いてすることが大事なのだ。
ついつい一匹釣り上げるごとに興奮してしまってなんか倍近く魚を逃した気はするが、釣り上げた数がゼロじゃないから結果オーライである。
気分良く、今度はトマト探しに行くかと空のリュックを背負った私だったが、昨日と同じく背後から近寄ってくる足音の後、全く昨日と同じセリフで「ちょっといいか」と声をかけられた。同じ手口にはかからない。
「じゃ、そゆことで」
「まだ何も言ってないだろ。いいから」
手を引かれる。デジャヴであった。
しかしまあ、無人島生活はまだまだあるのだ。焦る必要はない。
切り替えて、清隆くんの隣について歩き始める。今日はなんと清隆くんも空のリュックを背負っていた。昨日の反省を活かしてだろう。
「今日はどこ行くの?」
「船で島の周囲を旋回していたとき、葵にも不自然な箇所が見えただろ。何があるのか確認しに行きたい」
これは確か……記憶が間違っていなければ、清隆くん単独行動だったはずだ。そこでは大きな出来事も起こらなかったはず。それならば、私一人加わっても支障はないだろうか。
わかった、と頷いて二人で森の中を進む。
「清隆くん、さっき私魚三匹釣れた」
「一昨日より調子良かったってことか?」
「断然調子良い。これは清隆くんにも勝つる」
「……探索から帰ってきたら勝負するか」
「吠え面かかせてやるよ」
「鼻を明かされるのはどっちだろうな」
駄弁りつつ歩いていると、Aクラスのエリアにあっという間に着く。そのまま洞窟に向かうというわけでもなく森の中を進んで行き、微かに聞こえてきた波の音を頼りに木々を掻き分けて海岸を目指す。
「ストップ」
「はーい」
森を抜けてすぐ、数歩先が崖になっている。このまま進んでいれば危なかった。
「確かこの下だったはず……」
崖から下を覗き込む。洞窟からそう離れていないこの場所には、複数の施設が覗いていたが……ビンゴだ。
どうにか下に降りられないものかと崖に沿って歩く。死角にハシゴが作られていることに目敏く気づき、頑丈さを確認した上で清隆くんに続いて降りていく。
島に上陸する前に存在に気づけなければ、まず辿り着けない場所であることに間違いない。
しばらく歩いて小屋を見つけ、二人で中を覗く。釣り道具がいっぱいだ。素直に羨ましい。
小屋の出入り口にはスポットである証の装置が取り付けられており、予想通りAクラスの文字があった。葛城くんで間違いない。さすがAクラスといったところか。
清隆くんがポケットから紙を取り出し、小屋の場所を書き記している。地図代わりだ。私と同じでマニュアルから破り取ったものであろう。
しかしこれ以上好き勝手破っていると、平田くんが泣いてしまうかもしれないな……えっ平田くんの泣き顔!? …………。
「葵、この周辺はもう何もなさそうだし、上に戻って───なんだその顔は」
「罪悪感に満ちた顔だよ」
「それにしては目が輝いてるぞ……」
それは清隆くんの錯覚だ。イケメンは泣き顔もイケメンなんだろうなとか別に考えていない。
来た道を戻って、もう一度ハシゴを使って崖の上を目指す。先に上がらされたため、最後は清隆くんに手を差し伸べて彼の体を引き上げた。
シャツについた汚れを払いつつ、「次は向こうの塔に行くの?」と聞く。首肯が返ってくる。
島を旋回していたときに見えた景色と島、塔の位置と方向を照らし合わせ、「こっちかなぁ」とぼやきつつ再び森に入る。
しばらく歩いて道が踏みならされていることに気づくと、清隆くんと揃って目を合わせた。
「Aかな」
「Aだろうな」
ぼやぼや思い出してくる。なんだかこの後、あんまり楽しくない出来事があったような……いや。それを言い出したらキリがないことは事実だ。
本当にAなのか確認するためにも、先に進まないことには話も進まない。
前提知識があると言っても、詳細を覚えていないんじゃ役に立たない。重いため息を吐きたくなった。
物語の根幹を揺るがすようなことや、印象に残ったことならば自信を持って覚えていると言えるのだが、果たしてこの先記憶がハッキリしなくてもやもやすることは一体何度あるのか。もしかしたら最初から覚えていない出来事もこれから出てくるだろうか。……そうだ、昨日だって。
いや、すでにこれまでに……現時点で……?
………ドツボに嵌りそうだ。緩く首を振って、終わりのない思考から抜け出そうとする。
自然と俯いていたので、なんでもないような表情を取り繕って顔を上げた。
握った手から伝わる熱さを感じながら、大丈夫だと、暑さでうまく頭が回らない今は根拠なく信じることしかできない。
「そこで何やってる。ここは俺たちAクラスが利用している場所だぞ」
楽しくない出来事ってこれ? 本当碌なことじゃなかったな。
清隆くんと私を取り囲むようにして、Aクラスの男子が集ってくる。二対二だ。同じ数なのであまり圧迫感がないことは幸いだろうか。
私たちが塔の端末から離れたのを見て、スポットを占有したかどうかを確認しに来たんだろう。
「お前たちは? 見ない顔だな」
Aクラスの一人が持っている木の枝を、清隆くんの喉元に突き出した。脅迫まがいにもほどがある。
枝折ってやろうかと思わないでもないが、どうせ実際にはこちらに手を出せないことも事実だ。ここは大人しく変に目立たないようにしておく方が良いだろう。
清隆くんは脅迫に屈したように、すぐに名乗りを上げた。
「Dクラスの綾小路だ」
「聞いたことないな。そっちは?」
「水元です」
「こっちも聞いたことない名前……いや待て。有名なバカップルが確かお前たちみたいな名前だった気が……?」
「人違いじゃないですか?」
どうやら私たちと似た名前をした、傍迷惑なバカップルがこの学校には存在するらしい。勘違いも甚だしい。Dクラスの日陰者である私たちには関係ない話である。
眉を寄せて怪訝そうにしていたものの、今はそんな悠長にしている場合ではないと判断したのか、Aクラスの男子が再び威圧的な態度に戻って「怪しいものを持っていないか調べろ」と指示を出す。その言葉を聞いてすぐに私たちに手が伸びてきた。……いや待って、私一応女子だぞ。嘘だよね?
とか思っていたら、私が何か言う前に清隆くんが黙っていられなくなったのか口を開いた。
「リュックはそっちに渡すから、好きに調べればいい。体はどうせズボンのポケットくらいしか調べる場所がないんだ、ポケットの生地を表に出せば確認できるだろ」
「……本当に他に隠してないんだろうな?」
「隠していない。あまり無理やり触ってくるようだと、教師に報告する。オレはいいかもしれないが、こっちは女の子なんだ。話を聞けば、教師だってそれ相応の対処をするはずだ」
数秒睨み合いのようなものがあったが、折れたのは向こうだった。不確かな要素でポイントを減らされたくはないだろう。それもたぶん罪状はセクハラになると思う。あまりに不名誉であった。
苛立たしげな舌打ちの後に、リュックを寄越せとつっけんどんに手を出される。
一人の手に私たち二人分のリュックが渡って、隈なく中が確認されている。その横で私たちはズボンのポケットをひっくり返して、表に出して見せる。
結局見つかったのは、清隆くんがポケットに入れていた紙とボールペンだけだった。それ以外は何もなく、最初から空っぽだったリュックが手元に戻ってくる。
紙に書かれてある地図を確認して、Aクラスの男子が訝しげに目を細めた。
「何を狙ってる。お前たちだけの行動か?」
「……それは言えない」
少し溜めての返事だ。清隆くんの言葉を聞き、嗜虐げに歪んで吊り上がっていく口が見える。
「なるほど。言えないということは、後ろで糸を引いてるヤツがいるってことだな? Dクラス全体で何か企んでいるのか? それとも一部の人間か?」
リュックが戻ってきてからは、清隆くんに背中に隠されてしまっていた。今は前に出るなということだろう。こう隠されてしまっては後ろから私が答えるのもおかしな状況であるため、大人しくしておく。
……それにしても、今さらな気はするが私の背中に隠され率高くないだろうか? 自ら隠れる時もあるとはいえ、そろそろ違和感も感じなくなってきたな。いや、出る時は私も前に出るんだが。
………私だって清隆くんを隠せるぞ。謎の対抗心が湧いてきた。
「言えない。言ったら……オレたちはクラスに戻れなくなる」
「下っ端は辛そうだな綾小路。まあいいだろう。だが、何を頼まれたか知らないがこれ以上余計な行動はしないことだ。ベースキャンプで大人しくしておくんだな」
ボールペンだけが足元に放り投げられて返ってくる。対面している清隆くんが動かないので、私が代わりにボールペンを拾って自分のポケットに仕舞った。
この人たちも同じく下っ端だろうに、どうしてこうも態度に違いが表れるのか……やはりAクラスとDクラスという意識の差だろうか。
そのまま高圧的な態度で「クラスを売れば報酬をやる」と提案されるも、同じ下っ端の言うことなんて信用ならないに決まっている。
清隆くんが話を引き伸ばし、「信用できる人が取り計らってくれるのか?」と言いながら、Aクラスのリーダーである二人の名前を出した。
瞬間、Aクラスの男子たちの顔色が変わる。
「何でそこで葛城の名前が出る」
もう行っていい、とさっきまでの詰問はなんだったのかというくらい雑に放置され、清隆くんと二人その場でポツーンと立ち尽くす。
振り向いた清隆くんと目が合って、お互いなんともいえない顔をした。
ここにずっといても仕方ないので、また二人で歩き出す。
しばらく歩いてAクラスの生徒たちがいる場所から十分離れたくらいになると、立ち止まった清隆くんが私の方に振り向く。
「どこも触られてないよな?」
「清隆くんが未然に防いでくれたからね。清隆くんも大丈夫だった? 喉とか怪我してない?」
手を伸ばして清隆くんの首に触れる。見た感じも触った感じも擦り傷一つなさそうだ。改めて怪我がないのを確認すると、思わず安堵の息をついた。
最後にそっと一撫でしてから手を離す。
「ひとまず何もされなくてよかったね」
「ああ。……だが、気分は悪かったな」
「そりゃそうだよ。なんでああ高圧的になれるのかわからない」
驕り高ぶっているだけであそこまではならない。私たちがDクラスだから、あの態度だったのだ。それだけは確かに言えたことだった。
そう思えばAクラスも随分混沌としているものだ。たとえどのクラスであろうと、代表に立ってクラスメイトをまとめる人は大変だなと改めて思う。
さっき出会った、高圧的な態度で他所に敵を作るタイプの彼らも問題児であることに違いはないが、私と清隆くんみたいに単独行動をする輩もどこにだっているわけなのだから。
露呈する主人公の記憶の不確かさ
一体何度あるんでしょうね