鶏が先か、卵が先か   作:楊枝

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シック・ジョーク

 茂みの前で二人で座り込み、果実を物色する。手のひらには、ぷちぷちともぎ取った小さな果実が載せられていた。

 船で島を旋回したときに不審に思ったところを、二人で記憶を照らし合わせつつバーッと見て回ったのもあって、私たちは結構な重労働をしていた。崖だって何度か上り下りしている。

 

 つまり何が言いたいのかというと、ちょっとくらいつまみ食いしてもよくない? ということである。

 

 

 お腹空いたな〜、ね〜とか会話しているうちに運良く見つけたのは、池から教えてもらった果実の一つであるクロマメノキだ。甘さ控えめの素朴な味は、なかなかどうして美味しいものだった。また食べたいと思っていたので、見つけられてとても嬉しい。

 

 それぞれお好みの量を取って、近くの川を探す。

 

「葵、こっちに川がある」

「よし! でかした清隆くん!」

 

 振り返って、清隆くんのもとに小走りで向かう。手招きされるまま隣に並んでしゃがみ込み、果実を乗せた手のひらごと川に浸す。

 

「あー……冷たくて気持ちいい……」

「ずっとこうしてたいな……」

「手がふやける……」

「そういう問題か?」

 

 綺麗に洗ったクロマメノキを、一個一個口に運ぶ。やっぱり美味しい。

 

 先に食べ終わった清隆くんが、私を見ながらなんとなーく緩んだ雰囲気になっている。美味しいものは世界を救うという証左であった。

 仕方ないので、最後の一つは清隆くんの唇に押し付けて与えてやる。存分に美味しさを味わって欲しいし分かち合いたい。

 

 お互い小腹が満たされたところで、再び行動を開始する。

 

「Cクラスの様子を見に行こう」

「一昨日は私に来なくていいって言ってたくない?」

「だから、遠目から見るだけだ。それに、もうほとんどの生徒が船に帰っているんじゃないかと思って」

「まあいいんだけどね……」

 

 Cクラスが拠点にしていたという浜辺に着く。見渡した先は、すっかり閑散とした光景が広がっている。極少数の生徒が海で遊んでいるのが見えるが、それも時間の問題だろう。

 

 わかりきっていた光景を見ていても何も思わない。強いて言うならトマトのことしか考えていない。

 

 島を探索している道中、効率よくいこうと食料も探していたのだが、その尽くが残念なことに収穫済みというものが多かった。どのクラスも食料探しに奔走しているということだ。見た感じ私自身が収穫した場所も多かったため、根絶やしにしているのは私かもしれないが。

 この島にいるのがDクラスだけじゃないことは重々承知しているのだが、やはり収穫済みの跡を見ると不安になる。だって、だって……!

 

 

 ───私はまだ、トマトを収穫していない……!

 

 

 すでに他クラスで収穫済みであることは考えない。トマトの痕跡を見ていない。それだけで希望の光を絶やさない理由となる。絶望するにはまだ早いのだ。

 

「トマト早く見つからないかな〜……」

「トマトも夏野菜だからな。きゅうりと同じで、この島にある可能性がないわけじゃない」

「川で冷やして食べたい」

「映画のやつな。美味しそうに食べてたよな、あの姉妹。実際きゅうりは美味しかった」

「おばあちゃんの知恵ってやつなのかな。私あのシリーズで出てくる料理、全部網羅してみたいんだよね」

「わかる」

 

 大きいベーコンと卵を一緒に焼いて食べるだとか、目玉焼きを清隆くんと半分こしてパンに載せて食べるだとか、簡単にできるものはすでにチャレンジ済みだ。特別試験から帰ったら、またいろいろチャレンジせねばならない。

 夏休みの前半、私たちは某シリーズを全部見ようとDVDをレンタルしてきて、映画鑑賞会をやっていたのだ。そのため、まだまだお互い記憶に新しい。

 

 あれがよかったこれもよかったと呑気に話を咲かせていると、後ろからとんでもなく可憐な声が聞こえてきた。同時に体に稲妻が落ちてきたような衝撃が走る。

 

 

「なになに、なんだか楽しそうな話してるね!」

 

「一之瀬、急に話しかけたら相手が驚くだろう。ほら、水元が固まってるじゃないか」

 

 

 いいい一之瀬さんだ……今日も光り輝いている……そして明日も光り輝いている……ッ!

 

 いつまでも顔を合わせず固まったままでいるのは失礼に当たると、振り向いた瞬間に真っ向からの光の量が凄まじく目が潰れた。

 

 

 目を押さえてよろめく私に「え!? 急にどうしたの!? 大丈夫!?」と純然たる何の混じり気のない心の底からの心配をしてくれて、一之瀬さんが駆け寄ってくれる。

 一之瀬さんの手が私の体に触れる前に「大丈夫だ」と返して清隆くんが私を腕で囲い、体を支えてくれた。感謝しかない。一之瀬さんに触れられたらそのまま心臓爆発するところだった。

 

 久しぶりの一之瀬さんだからか、破壊力がすごい。これは定期的に摂取して耐性をつける必要が……あるかもしれない。

 

「一之瀬たちはどうしたんだ? こんなところで」

「え……? いやいやいや、そんなことより水元さんだよ。本当に大丈夫なの?」

「大丈夫だ」

「なんだか妙に既視感ある気がするね、この会話……」

 

 一之瀬さんがしきりに首を傾げまくっている。そんな姿も可愛い。幼い仕草がとてもよく似合っている。可愛い! 可愛い!

 

「一之瀬さん本当に可愛い!」

「にゃっ!? え! 突然だね!? ……な、なんだかこの会話も既視感ある気がするな!」

 

 真っ赤になりながら「揶揄ってるよね!?」と精一杯怒ってますアピールをする一之瀬さんも可愛い。

 

「お前たちは食料探索か?」

「ああ。見ての通りの結果だ」

 

 神崎くんと清隆くんが騒ぐ一之瀬さんの横で、いつもの感じで会話を繰り広げている。

 清隆くんが自身のリュックを軽く手で押す。途端に萎んで潰れた様子は、中に何も入っておらず成果が芳しくないことがよくわかるだろう。

 

 私はといえば、可愛く怒っている一之瀬さんにうんうん菩薩の顔をして頷いていた。何をしていても一之瀬さんは可愛いのである。

 

 

 浮かれた生返事しかしない暖簾に腕押しな私に、一之瀬さんもツッコミ疲れたのか肩で息をしている。

 

「うう……まだ納得いってないんだけど……」

「水元っていつもこんな感じなのか? 綾小路」

「そうだ。だから気にするな」

「神崎くん、こんにちは!」

「直前まで俺のこと忘れてなかったか?」

 

 忘れてはいない。神崎くんもイケメンでいいと思う。目の保養だ。まあ私は平田くん派なんですが……。

 

 だんだん耐性ができてきたので、異常なテンションも徐々に落ち着いていく。

 もう一人で立ってられると、清隆くんに腕を離すよう彼の体を軽く叩いて合図する。離されないまま会話が続行する。

 

「一之瀬たちは?」

「俺たちは……偵察だな。Cクラスの様子を見に来たんだ」

「せっかく来たけど、こんなに人がいないんじゃね……Cクラスのリーダーくらい当てたかったんだけど、これじゃ難しいね。神崎くんの言った通り、Cクラスはリタイア作戦かな」

 

 一之瀬さんと神崎くんがほとんど無人となった浜辺を軽く見渡す。どこか哀れんだような視線を向けている。

 

「Cクラスはポイントを使い切ってるわけだよね? 私たちがリーダーを見抜いたとして、ペナルティってあるのかな」

「2学期への悪影響はないと言っていた以上、0以下になることはないだろう」

「ポイントを使い切る作戦、か……褒められたことじゃないけど、やっぱり凄いよね」

「考えついても実行しないようなことだ。この試験はプラスを積み重ねるための試験だ。それを放棄した時点で龍園は負けている」

「そう考えると、誰がリーダーかを当てるなんて無茶苦茶難易度が高いよね。無理無理」

「今回は大人しく見送り、手堅く試験を送るのが良さそうだな」

「うんうん。私たちには地道な戦略が一番だよ」

 

 赤裸々といってもいいくらい、二人は自分たちの方針を隠すことなく聞かせてくる。真偽の程は定かじゃないが。

 

 一之瀬さんたちは取り越し苦労と判断し、興味を失ったようにCクラスの浜辺から視線を外す。そこでちょうどいいと思ったらしい清隆くんが、気になっていたことを二人に聞き出している。

 

「ちょっと小耳に挟んだが、Aクラスは葛城と坂柳のグループで対立しているのか?」

「仲が悪いって話は事実だね、結構激しくやりあってるみたい。それがどうかしたの?」

「いや。堀北に時間があれば探って来いって命令を受けてただけだ。Aクラスを切り崩すチャンスはそこにあるとかどうとか」

 

 さらっと堀北さんの存在をアピールしつつ、気になることを確実に聞き出していく。

 

 しばらく会話した後、手に入れたい情報をある程度揃えられたらしく、清隆くんは満足したようだ。二人に向かって一度頷いてみせた。

 

「なるほどな……後で堀北に伝えておく。ったく、自分で調べろと思うが、人使いが荒いからな。おっと……今のは聞かなかったことにしてくれ。後で怒られるのはしんどい」

 

 よくそうぺらぺらと嘘八百を……いや、巧妙に事実も織り交ぜているからこそ見抜けない嘘……恐ろしいモノを見てしまった。

 

 知ってはいるけど清隆くん、恐ろしい子……! 私にその恐ろしさは向けてこないでほしいものだ。

 

 

 

 いろいろ話し込んでいるうちに、結構時間が経っていたらしい。

 神崎くんが腕時計を見て時刻を確認し、一之瀬さんにそろそろ戻るべきだと声をかける。一之瀬さんも指摘されて時刻を確認し、慌てた様子になる。

 

 私たちも頃合いだと目を合わせた。

 

「オレたちもそろそろ食料を探しに戻るよ。手ぶらで帰ったら怒られる」

 

 大きく手を振って別れを告げる一之瀬さんに、こちらも大きく手を振り返す。清隆くんはコクリと頷くだけだった。せっかく一之瀬さんが手を振ってくれているというのに、相変わらず清隆くんはもったいないことをしている。

 

 改めて二人きりになり、さっき言った通り私たちも動こうと声をかけようとして、なんだか妙な雰囲気になっていることに気づく。

 

 清隆くんが私をじっと見下ろし、口を開いた。

 

 

「葵は一之瀬のこと、どう思ってるんだ?」

 

 

 急に何を言っているのか。心底質問の意味がわからなくて、首を傾げまくった。

 

 

「そりゃ好きだよ。あんな天使この世に二人と存在しない」

 

「………」

 

 

 深々とため息をつかれた。体を折り曲げた清隆くんが、私の耳元辺りに頭を押し付けてくる。腰に回った腕が締まる。

 私としては子どもが力加減をミスりつつ抱きついているような感覚だ。つまり普通に痛い。

 

 なんだか夏休み前にも、経緯は違えど似たようなことあったなと思い出した。

 

「それよりトマト探しに行こうよ。トマトが私を待ってる」

「…………」

 

 無言で腕を締めないでほしい。でも清隆くんもトマト欲しいって言ってたよね?

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 無人島での特別試験が始まる少し前のことだ。一学期終業式の節目の日、私はついに迎える夏休みにワクワクしていたのだが、あえなくそのワクワクはボードを持った悪魔に奪い去られることとなる。

 

 

「綾小路、水元。帰る前に少し話がある。指導室に顔を出すように」

 

 

 それ、本当に私いる……? 加えてホームルーム終了直前に言うという意地の悪さ。おかげで視線が私に集中する。後方座席にいる清隆くんより、前方座席にいる私の方に視線が集まるのは自然の摂理であった。

 せめて個別に呼び出して知らせるとかの配慮はなかったのだろうか。先生、私と清隆くんをセットだとか勘違いしてない? 困るよ。巻き込まれ体質の人と一緒にしてもらっちゃ。

 

 

 

 先生が教室を去ってからも居心地の悪い空気に晒されつつ、手早く荷物をまとめる。こうなったらさっさと指導室に行ってこの空気から逃れようと、清隆くんの方を振り向いて見た。

 ……なにやら須藤に絡まれている。堀北さんも口が開閉しているのを見ると、彼らの会話に入っているようだ。

 

 先に行っても仕方ないので、荷物を持って清隆くんの席に向かう。

 

「なあ堀北。その、夏休み……暇か? ちょっと出かけようぜ」

 

 聞こえてきたところによると、どうやらちょうど須藤が堀北さんを遊びに誘おうとしているらしい。清隆くんが私に気づき、手招いてくる。

 手招かれるまま清隆くんの隣に立ち、須藤の懸命な頑張りをすぐ近くで聞く。

 

「どうして?」

「そりゃ、夏休みだからだっつーか。楽しまないと損だろ。映画観たり服買ったりよ」

「くだらないわね。夏休みとの関係性もないし。そもそもどうして私を誘うの?」

「ど、どうしてって。なんでそこだけ鈍いんだよ……」

 

 秒で敗色濃厚となっている。哀れ、須藤。

 

 本心から誘われている理由がわかっていなさそうな堀北さんに、須藤がもどかしげに頭を掻き毟る。しかし切り替えたのか、勢いよく顔を上げた。

 

「だからアレだよ。その、な? 男が休みに女を誘うってことはだ……」

 

 須藤が堀北さんに話しかけている間に荷物をまとめていたらしい。清隆くんが私の手を取り、指導室に向かおうとする。当然心細くなった須藤に引き止められる。

 

「おいどこ行くんだよ」

「どこって先生に呼ばれてるんだから仕方ないだろ」

「少しくらい良いだろ? 傍にいてくれたって」

 

 『あとなんか、お前らがいたらうまくいきそうな感じする。ごりやく? みたいな……』『『何だそれ……』』とかなんとか清隆くんと私と須藤の三人でコソコソ話している間に、堀北さんは堀北さんで荷物をまとめていたらしい。

 淡々と「さよなら」とだけ言い放ち、堀北さんは颯爽とその場を去っていった。無言で去っていかないだけ私たちよりもマシに思える。

 

 須藤は隙のない堀北さんの後ろ姿を呆然と見た後、また頭を掻き毟った。

 

「……くそ。全然ダメだな。部活行くか」

 

 ふむ。顎に手を当てて、須藤に声をかける。

 

「最初から単体で誘うんじゃなくて、団体とかだと警戒心が薄れるかも? あと誘う内容も、堀北さんが興味のあるものにするとか」

「そッ……それ、本当か水元!?」

 

 言った途端、掴みかかる勢いで須藤が私のもとに近寄ってくる。目を輝かせて近寄ってくる様子は、動物を思わせなくもない。大型犬かな……。

 

「本当本当」

 

 まあそもそも、堀北さんが誘いに応じる気がなければ最初から成立しない話だが……そこまで伝える必要はない。結局のところ、須藤の頑張りであることに変わりはないのだから。

 

 なんかこう、須藤は手を差し伸べたくなる一所懸命さというか……健気って言うのかな。そういうのがある。思わず胸を打たれてしまうのだ。

 

「そ、そうか……なるほど。わかった! ありがとな、水元! 助かるぜ!」

「うん。頑張れ〜」

 

 ゆるーく激励の声をかける私に片手をあげてみせて、須藤が明るくなった顔で部活に行くため教室を出て行く。

 

 今度こそ私たちも指導室に向かおうと、顔を上げて清隆くんを見た。なんとも言えない顔をして私を見ている。

 

「なに? どうしたの、清隆くん」

「いや……葵も残酷なことをするなと思って」

 

 堀北さんの鉄壁を知っているが故に、変な期待を与えるなというあたりだろうか?

 

 あんまりな言い草に軽く笑って、清隆くんの手を引いて歩いた。

 

 

「希望は大事だよ。そうじゃないと、浮かばれない」

 

 

 

 

 指導室前まで行くと、扉の前に人影が見えた。茶柱先生だ。どうやら扉の前でわざわざずっと待っていてくれたらしい。

 私たちに気づいて、俯いていた顔を上げる。

 

「入れ」

 

 端的にそう言って、中に入るよう指示する。

 

「呼ばれた理由が全くわからないんですけど」

「中で話す」

 

 繋いでいた手が一瞬強く握られる。来たのは一度だけとはいえ、指導室にはあまり良い思い出がないのは本当だ。

 

 渋々中に入り、茶柱先生が席につくまでを二人で立ったまま見る。

 

「指導室と聞くと嫌なイメージがあると思うが、ここは存外に悪くない場所だ。何故なら監視の目がない。個人のプライバシーに多くかかわる話をすることが多い故の配慮だ」

 

 警戒しているのがわかっているのだろう。だが、その言葉に「はあそうですか」と素直に頷けないのも、彼女自身の今までの行動を思い返してほしいものだ。

 

「それで話ってなんです? 今から夏休みの計画を立てるんで忙しいんですけど」

「そうだな。早く終わらせるには、お前たちの協力も必要だな」

 

 何かしらの意図を含ませた言い方だ。いつもの茶柱節というには、いつもより不穏さが増している気がするのは間違いじゃないだろう。

 

「今日は少し、私の身の上話を聞いてもらいたいと思ってお前たちを呼んだんだ。教師になってから、今まで誰にも話したことがない話だ。戯言と思って聞け」

「その前にお茶でも淹れましょうか。喉も渇くでしょ。葵、コップとか用意してくれないか」

「了解」

 

 給湯室の扉を開ける。

 

「この話を他の人間に聞かせるつもりはない。納得できたなら席に戻れ」

「……そうですね」

「でもせっかくだしお茶淹れようよ。茶柱先生も緑茶でいいですよね?」

「それもそうか。一回茶柱立ててみたかったんだよな」

「いいから座れ」

「「はい」」

 

 圧がすごかったので、余計なことはせず大人しく席につく。茶柱先生に対面する形で二人並んだ。

 

「お前たちDクラスには、担任の私はどんな風に映っている?」

「また抽象的な質問ですね。美人だとは思ってま……」

 

 これ以上茶化したら殺されそうな視線を向けられた。清隆くんは引き際をわかっていないのだ。……いや、茶柱先生にはわざとかもしれない。

 

「……他所の先生と比較して構わないなら、Dクラスの行く末などどうでもいいと感じている、生徒に興味のない冷たい担任。といったところでしょうかね」

「水元はどうだ?」

「清隆くんと同じ感じですね」

 

 両方の意見を聞いて、茶柱先生が口端をくっと持ち上げた。皮肉っぽい笑い方だ。

 

「間違ってます?」

「いや、その通りだ。否定するものは何もない。だが、それは真実とは違う」

 

 回りくどい言い方をする。早くハッキリ言ってしまえばいいのに。

 

 

「私は以前この学校の生徒だった。お前たちと同じDクラスだった」

 

 

 過去を悔いているような話し方だ。話を聞けば、茶柱先生の所属するDクラスはあと一歩のところでミスをして、Aクラスになるという目標も夢も崩れ去ったという。それも、茶柱先生の犯した罪によって、とのことだった。

 

 しかし私たちからすれば、だからなんだという話でしかない。

 

「話が飲み込めませんね。その身の上話とオレたちに何の関係があると言うんです?」

「お前の……お前たちの存在は、Aクラスに上がるために必要不可欠だと私は感じている」

「何を言い出すかと思えば。冗談でしょ」

 

 

「数日前。ある男が学校に接触してきた」

 

 

 綾小路清隆と水元葵を退学にさせろ、と。

 

 

 

 空気が一変する。茶柱先生が醸し出している気配だけではない。

 

 机の下で未だ離さずにいた手に、爪が突き刺さる。すぐに気がついたようで緩められるも、動きが固い。

 

 

「退学させろって、そりゃまた意味不明ですね。それが誰だか知りませんが、本人の意思を無視して退学なんてさせられませんよ。ですよね?」

「もちろんだ。第三者が何を言っても退学になど出来ない。この学校の生徒である限り、お前たちはルールによって守られている。しかし……問題行動を起こしたら話は別だ」

 

 

 茶柱先生の口から問題行動の一例として、喫煙、苛め、盗み、カンニングなどが挙げられる。それを聞いた清隆くんが淡々と答える。

 

「残念ですけど、どれもするつもりはないんで」

「お前たちの意思は関係ない。私がそうだと判断すれば全てが現実になるということだ」

 

 

 

「───もしかして、脅してるのか?」

 

 

 

 ………び……ビックリした……。

 

 

 清隆くんが身を乗り出し、茶柱先生の胸倉を掴み上げている。手出すの早くない?

 

 

 呆気に取られて清隆くんと茶柱先生を交互に見やる。清隆くんは感情を削ぎ落としたような無表情をしているし、茶柱先生は容赦なく胸倉を掴み上げられて苦しいのか、顔を歪めている。

 

 い、いやいや……ダメだよ。女性には紳士的にいかないとだな……。

 

 清隆くんを宥めすかして、なんとか茶柱先生から手を離させる。しかし一度身を乗り出し中途半端に立ち上がっていたのもあるのか、促しても座る気配はない。

 

 茶柱先生に掴みかかった拍子に離れた清隆くんの手は、横目で見ると拳を作って握り込まれている。この握りようだと、手のひらに爪が突き刺さっているだろう。

 

 

「……これは取引だ、綾小路。お前は私のためにAクラスを目指す。そして私はお前たちを守るために全面的にフォローする。良い話だとは思わないか?」

 

 

 なりふり構ってられなくなったとしても、茶柱先生の度胸には素直に感心する。それとも、清隆くんの様子に気づくほどの余裕が今はないのか。

 なんにせよ、覚悟が決まっていないとできない芸当だ。今の清隆くんには、私だって動くのを躊躇するほどの圧を感じる。

 

 少し経って、ふっと緩んだ清隆くんの手が私に伸びる。再び手を取られて、席から立ち上がるよう引っ張られた。

 

「帰ります。この話をこれ以上聞くつもりはないんで」

「残念だ綾小路。お前たちは退学になり、DクラスはまたもAクラスには辿り着けない」

 

 立ち上がらない私に清隆くんが焦れている。

 

「もう一度だけ聞こう。Aクラスを目指すか退学するか。好きな方を選べ」

「……あんた、どうかしてる。土足で人の家を踏み荒らしているようなもんだ。堀北があんたに不快感を表したときの気分がよくわかったよ」

「……そうだな」

 

 ここで茶柱先生が自嘲気味な笑みをこぼした。今まで強気だったのがまるで嘘みたいに弱々しい雰囲気だ。瞳はわずかに潤んでいる。

 

 

「私は私自身に驚いている。まだAクラスを諦めきれていないことに気づかされてな」

 

 

 しかし一瞬にして元通りの雰囲気となる。鋭い眼光で、睨みつけるように立ったままの清隆くんを見上げた。

 

「お前が自発的にDクラスを導いてくれればと思っていたが、これ以上猶予を与える余裕はない。今ここで決断しろ。私に手を貸すのか貸さないのか」

 

 時間にすると数秒。両手の指で数えられる程度の時間。

 私たち三人しかいないこの部屋では、誰かが何かを言えばよく聞こえる。

 

 清隆くんの口がゆっくりと開く。

 

 

 

「これが殺意なら、間違いなく、今オレはあんたを殺してる」

 

 

 

 ………こ……怖……。

 

 怖い。シンプルに怖いよ。殺意じゃなくて良かったよ。

 

 

 話の最中ぐいぐい引っ張ってくる手に抵抗して、こちらもぐいぐい引っ張り返す。私はまだ彼女に用事があるのだ。

 

「葵、」

「私はまだ此処にいる」

「………」

 

 譲る様子のない私を見て、清隆くんの顔が歪む。ゆっくりと手が離れていき、その緩徐とした動作とは真反対に素早い動作で踵を返した。この場にこれ以上居たくないのだろう。

 

「待て、返事は」

「オレを利用してAクラスになったところで、それはあんたがAクラスになったわけじゃない。自己投影も随分悲惨なことだ」

 

 吐き捨てるようにそれだけ言って、今度こそ清隆くんが部屋を出て行く。頭を冷やす時間は必要だ。今の清隆くんは感情を表に出しすぎている。

 

 

 

 茶柱先生は部屋を出て行った清隆くんを追うように視線を扉に向けていたが、ゆっくりと、対面にいる私に視線を戻す。

 

 さっきまで強気な様子だったのに、また弱々しくなっている。取り繕っているのはわかるが、視線のブレが隠し切れていない。呼吸も少し早くなっている。

 

 私が此処に残った理由に大したものはない。特に話したいこともあるわけじゃなかった。

 ただ、そう。少し雑談がしたくなったのだ。本当にそれだけの理由で留まった。……いや、多少私情も混ざっているだろうか。

 なんにせよ、気まぐれであることに違いはない。

 

 

「茶柱先生」

 

 

 対面にいる彼女を呼ぶ。

 

 

 さて、今からする話に彼女はどんな反応をしてくれるんだろう。

 

 

 

 

 

 

 ───そんな感じで茶柱先生を揶揄っていたら、清隆くんが乱入してきて途中で話は終わってしまったのだが。

 

 

 指導室を出て、しばらく歩いてのことだ。今の感じで、廊下のど真ん中で抱き締められたのである。終業式のおかげで人通りがなかったのが幸いレベルの抱きつき方だった。

 

 今みたいに体を折り曲げて、私の耳元辺りに頭を押し付ける。腰に腕を回し、二本の腕で拘束する。

 

 違いがあるとするならば、あのときは終始無言だったが、今は話す余裕があるということ。なら、今の方がわかりやすくて良い。

 

 

「私の一番は清隆くんだよ。どうしてそんなに不安になってるの」

 

 

 ポンポン優しく背中を叩いて撫でてやる。私の言葉を聞いて、なぜか体に回る腕がさらに締まった。

 

 自分でも恥ずかしいと思うことを言ったというのに、返事がない。私ばかり恥ずかしい思いをしているというのは割に合わないので、清隆くんに顔を上げるよう促して返事を催促する。

 

 

「清隆くんは?」

 

「………」

 

 

 

 小さく開いた口から紡がれた名に、私は嬉しくなって頰を染めて笑った。

 

 

 

 

 

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