鶏が先か、卵が先か   作:楊枝

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三章が終わるまであと一話です



大団円

 

 

 一人耐久水中ゲームもやり尽くして飽きたところで、ようやく陸に上がる。タオルである程度体の水気を取ると、ジャージに着替えにテントに戻る。

 

 テントに戻る最中、なにやらクラスが騒がしくなっているのには否が応でも気づいたのだが、まだタオルの下が水着だったので一旦スルーさせてもらった。どうして騒がしいのかもある程度……否、確信を持って理解していたためだ。

 

 

 

 着替え終わって騒ぎの中心となっている場所に向かえば、呆然とマニュアルが燃やされた跡を見下ろしている平田くん、その後ろに伊吹さん、清隆くんと堀北さんがいる。

 

「マニュアルが燃やされたの?」

 

 堀北さんもどこか呆然とした様子で、ポツリと呟くように声を落とした。平田くんが暗い顔で頷く。

 

「……僕の責任だよ。マニュアルは鞄の中に保管していたんだ。テントの前に積んであったし、昼間だから誰かに盗られたりするなんて思いもしなかったんだ……」

 

 どこか危なっかしい足取りで、「まずはきちんと消火しないと……」と言いながら平田くんが川に向かう。その後ろをついていく清隆くんに、私も続いた。

 気配を感じたのか、清隆くんが振り返る。正体が私だと気づき、その目が少し丸くなった。私が腕に抱えるようにして持っている物も目を丸める要因となっているだろう。

 

「空のペットボトルだよ。この中に水入れて火を消そうと思って、ちょっと多めに持ってきたんだ」

「ああ……ありがとな、葵」

 

 特にそれ以上会話することなく、二人で平田くんの後を追う。

 

 平田くんも空のペットボトルを手に川の前でしゃがんでおり、一人黙々と水を汲んでいた。私たちもその隣に並び、水汲みを手伝う。

 

「手伝ってくれてありがとう、綾小路くん、水元さん」

「気にするな。有事なんだ、手伝うのは当然だ」

「右に同じく。気にしないで、平田くん」

 

 普段通りを装って、無理やり口角を上げて私たちに微笑みかけてくる平田くんには、どことなく痛々しいものを感じる。

 

 平田くんは常にDクラスのリーダーとして、クラスをまとめて動いている。今回のボヤ騒ぎも含め、平田くんの心身には、この特別試験中もうずっと大きな負荷がかかり続けていると言える。

 

「……どうして……皆、仲良くできないんだ……」

 

 いよいよ負荷に耐えきれなくなってきたのか、平田くんがボソボソと暗い顔で呟いた。彼の持っていたペットボトルがぐしゃりと音を立てて潰れると、ハッとしたように目の焦点を取り戻す。

 

 清隆くんが、それをただ無言で見つめている。

 

 

「………?」

 

 

 違和感。何か、どこか、おかしい気がした。

 

 しかしちょうどペットボトルに水を汲み終わり、そっちに意識がいったことで、確かに感じていたはずの違和感が薄れてしまう。

 

 とりあえずと、余分に水を汲んでいたペットボトルの一本を平田くんに差し出した。

 

「こっち使っていいよ、平田くん」

「あ……うん。ごめんね、ありがとう」

「気にしなくていいよ」

 

 三人で水の入ったペットボトルを手に火元に戻る。その途中、軽井沢さんを筆頭に男子と女子が対峙し、睨み合っている現場に差し掛かった。

 

 

「ねえ、誰がこんなことしたわけ? うちらのクラスに裏切り者が居るってこと?」

「何で俺らを疑うんだよ。下着の件とこれとは別問題だろ?」

「わかんないじゃない。それを誤魔化すために燃やしたりしたんじゃないの?」

「ふざけろよ、んなことするわけないだろ」

「ちょっと待ってみんな。落ち着いて話し合おう」

 

 

 平田くんがさっそく仲裁に入った。本当に平田くんの負担大きくて笑……笑えないな。Dクラスのママといっても限度があると思う。しかし平田くんレベルじゃないと、Dクラスをまとめられないのも事実だ。

 

 平田くんに渡したペットボトルが結局私のもとに返ってきたところで、清隆くんと二人で残り火を消しに向かう。

 

 昨日下着泥棒事件があったばかりで、双方共にヒートアップしており、しばらく言い合いは収まりそうにない気配だ。

 犯人探しをしているクラスの言い争いをBGMに、清隆くんと二人黙々とペットボトルを逆さにして、中の水をじゃんじゃん火元に流していく。

 

 ペットボトルをすべて空にし、水浸しになったマニュアルだったモノを見下ろして、ようやく一息ついた。

 

「とりあえず、これで燃え広がる心配は無いか」

「うん。お疲れ様、清隆くん」

「ああ」

 

 お疲れ様に込められた意味を正確に理解できる人は、この場に私たちだけしかいないだろう。

 

 足元に水滴が散る。それがペットボトルの水じゃないことは、頭に雫が落ちてきたことですぐに察することができた。

 

 

「雨、か」

 

 

 見上げた空は今朝よりもさらに黒ずんでいる。本格的に雨が降るまで、秒読みといったところだろうか。

 

 視線を未だに対立し合っている男女に向けて、それから平田くんに向ける。

 

「もう無理。まじで最悪。このクラスに下着泥棒と放火魔がいるなんて最低よね」

「だから俺らじゃねえって。いつまで疑ってんだよ!」

 

 平田くんは呆然としているようで、その場で立ち尽くして動かない。俯き加減に、どことも言えぬ虚空を見ている。

 

 

「つか寛治、伊吹ちゃんの姿みえなくね……?」

 

 

 山内が伊吹さんの不在に気づいて、声を上げた。よく見れば彼女の荷物も無くなっている。他の生徒も山内の発言を聞き、伊吹さんの不在を自身の目で確認すれば、口々に伊吹さんを疑う声が出てくる。

 

「もしかして、この火事の犯人って……」

「怪しい、よな。火事なんて起こすとしたら、それってやっぱり……」

 

 男子が伊吹さんを疑うにつれ、女子も伊吹さんの不審な行動に疑問の声を上げ始める。

 

 犯人探しに一旦解決の兆しが見えたが、雨が次第に強く降り始めてすぐにそれどころではなくなってしまった。

 

「やば。とりあえず話し合いは後にしようぜ。いろいろ濡れると大変だ!」

 

 膠着していた男女も各々で慌ただしく動き始める。池たちは食料や外に出していた荷物をテントの中にしまい始め、一人立ち尽くしたままの平田くんに指示を仰ぐ。

 

 

「平田、指示をくれ!」

 

 

 クラスメイトの声などまるで聞こえていないように、平田くんは微動だにしない。その間も容赦なく雨は勢いを強くしていく。この雨音じゃ近くに行って声をかけないと、簡単に声が掻き消されてしまうだろう。

 

 隣にいる清隆くんは、微動だにしない平田くんをただ見ている。

 

 

「……? 清隆くん……?」

 

 

 どうしたんだろう。声をかけにいくんじゃなかったか?

 

 チラと隣を見やる。清隆くんは目を細め、淡々とした眼差しで平田くんを見ていた。

 

 

 まただ。どうなっている?

 

 

「……清隆くん、平田くんの様子……」

「ああ」

「………声、かけにいかないの?」

「なぜ?」

 

 清隆くんの視線が平田くんから私に移る。私は清隆くんと目が合う前に、平田くんが気になって前を向いていた。

 

 雨音で平田くんの声が聞こえない。小さく唇が動いているから何か言っているのはわかるが、この距離じゃ聞こえそうにない。

 池が遠くから声を張り上げ、平田くんを呼んでいる。平田くんの尋常じゃない様子に気づいているのは、私と清隆くんしかいない。そして清隆くんに動く気配は、ない。

 

 これじゃあ埒があかない、と、平田くんのもとに向かおうとする。

 

 

 手を掴まれ、前に進めない。

 

 

 

「葵。葵は、好んでいる人が今とは別人のような性格になったら、どう思う?」

 

「……?」

 

 

 急になんだ?

 

 

「その場合以前の人格を好むのか? 以前の人格を好んでいるから、好意的だったのか? じゃあもし過去の人格……性格に戻ったとしよう。それが今とは真逆の性格だったとして、今抱いてる好意は持続するのか? それとも失望して興味をなくすのか?」

「ぇ、え? なに? 急にどうし」

「答えてくれ。答えてくれたら、手を離すかどうか考える」

 

 

 目が合う。鈍い光を宿す目が私を見つめ、口を開くのを待っている。

 すでに勢いで負けそうなのに、手だって振り解けそうにない強さで握り込まれており、完全に押し負けている。

 

 こんなクラス単位で緊迫した状況で、状況に不釣り合いな、空気が読めていないともとれる質問を呑気にする意図が読めない。

 

 とりあえず質問に答えないことには、何気に頑固な清隆くんだ。宣言通り離してくれないだろうことは容易に想像できたので、頭の中で改めて先ほどされた質問の意味を咀嚼し、口を開いた。

 

 

「私は……失望しないよ。その人にはその人の過去があるわけで、だから今に繋がると思ってる。過去なくして、今になり得ない。どっちも大切なもので……だから、私は失望しないし……一度好意を抱いたんなら、ずっと変わらないと思うよ」

 

「…………」

 

 

 清隆くんが私の答えを受けて、より一層目を細める。無言で見下ろされ、なんとなく居心地の悪さを感じる。

 雨が凌げる場所にいなかったから、お互いとっくにびしょびしょだ。そういう意味でも、もうそろそろ解放してくれると嬉しいんだが……。

 

 

 

「───なるほど、な。じゃあ意味はないな」

 

 

 

 ようやく手を離してくれる。結構強く握られていたので、手首が赤くなっていた。痛みはなかったが、なんとなくもう片方の手で握られていた手首を摩る。

 

 手を離してくれたのはよかったが、清隆くんの言葉には引っかかるものがある。訝しげに眉を寄せ、清隆くんを見上げた。

 

「ええ……? 結局何だったの? 『意味はない』ってどういうこと?」

「実験みたいなもの……だな。でももう意味がなくなったから、葵は気にしなくていい」

「なんだそれ……」

 

 よくわからない清隆くんだ。微妙な顔で、空気が緩んだ反動で腑抜けた笑みを浮かべたところで、ハッと正気に返った。

 

 慌てて平田くんの方に振り返り、駆け寄ろうとする。それより先に清隆くんが私の肩を掴み、その場から動けないようにしたところで、「オレが行ってくる」と宣言してさっさと一人で平田くんのもとに向かってしまった。

 

 結局清隆くんが行くんなら、もっと早く行ってくれてもよかったんじゃないかな……そうは思いつつも、清隆くんに声をかけられ平田くんが再起動し始めたのを見ると、知っている通りの流れなので安心感が勝ってくる。終わりよければすべてよし、だ。

 

 実際にはまだ終わっていないわけだが、あとは時間の問題であることに違いはない。タイミングも重要なため、見逃さないようにしなければ。

 

 

 

 クラスメイトに交じって片付けを手伝いながら、周囲に視線を巡らせる。

 堀北さんの姿はいつの間にかなくなっている。彼女が伊吹さんの後を追ったのは確実だ。

 

 同じくクラスメイトに交じって動いていた清隆くんだったが、集団からそっと抜け出ると、森の中に一人で踏み入ろうとしている。

 一人より二人の方が動きやすいかと思って、すぐに後を追おうとするものの、振り返った清隆くんが来なくていいと首を振ってきた。強めの視線付きだったため、大人しく頷いてもう一度クラスメイトに交じる。

 

 清隆くんと堀北さんがいなくなったクラスだったが、慌ただしさが勝って誰も彼らの不在に気づいた様子はない。

 せめて午後8時の点呼までは、誰も気づかないように誘導しておこうと考える。

 

 ……いや、平田くんくらいには先に触りだけでも話をしておいて、負担を減らしておくべきか。この場合の負担とは、両者含む。

 

 思い直し、片付けが終わった段階で、平田くんが一人になったタイミングを狙って彼のもとに向かった。

 

「平田くん。ちょっと話しておきたいことが」

「うん? どうかしたかな、水元さん」

 

 つい先ほど不安定だったのが嘘みたいだ。いつも通りの穏やかな顔を見て、内心でホッと息を吐く。

 

 改めて口を開いた。

 

 

「実はこれは、堀北さんの作戦なんだけど───」

 

 

 

 

 夜になって帰ってきた清隆くんを出迎える。清隆くんは私に気づいて、強張っていた顔を密かに緩めた。

 すぐに清隆くんの隣に並び、乾いたタオルを彼の頭に載せて、丁寧に水気を取っていく。雨に濡れて冷え切っている体を温めるため、今からシャワーを浴びるだろうから無駄な行為だとは思うが、こういうのは気持ちが肝心なのだ。

 

 清隆くんが頭を拭きやすいように屈んでくれるので、手早く、かつ丁寧に手を動かし迅速に拭いていく。その間、清隆くんと至近距離でひそひそ会話をする。

 

「堀北さんは?」

「リタイアだ。今はオレがキーカード保持者になってる」

「だよね……全部予定通り、か。じゃあ残るは」

「ああ。オレから平田にはすべては堀北の作戦だったと話しておく。どこで話すかはタイミングによるが」

「それだけど、先に私から触りだけ話はしておいたよ。平田くん、清隆くんが点呼にいない時や、堀北さんがリタイアしたことがわかったときも庇ってくれてね。私も援護したけど、やっぱり平田くんの求心力はすごかったよ」

「……クラスメイトには漏らさないよう口止めはしたか?」

「ちゃんとしたよ。明日までまだ作戦は続いてるって言ったから、大丈夫。ここまできてどこからか漏れたら、さすがの私でも笑えない」

「本当に笑えないぞ……でも、そうか。詳しくはまだ説明してないんだよな。オレからもう一度話しておく」

「うん。平田くんも、実際に清隆くんの口から話を聞きたがってると思う」

 

 ある程度拭き終わり、テントのところまで戻ってくれば、清隆くんの帰りを待っていたのだろう平田くんが二人分の足音に気づいて顔を上げた。

 平田くんは清隆くんからより詳しく話を伺おうとしたんだろうが、頭を拭いて多少マシになったとはいえ未だびしょ濡れのままの清隆くんを見て、慌ててシャワーに行くよう促した。

 

 平田くんに背中を押される形でシャワーに向かった清隆くんを見送り、その場には平田くんと私だけになる。特に話すこともないので、手を振って別れようとして、後ろから呼び止められた。

 

 平田くんはどこか改まった様子だった。不思議に思いながら足を止め、振り返って正面から向き合う。

 

「ごめんね。すぐに終わるから」

「全然いいよ。後はテントに戻るだけだから」

 

 申し訳なさそうな顔をして私に謝る平田くんに、こっちも慌てて首を振る。律儀すぎるのも考えものだ。平田くんはもっと傲慢になってもいいと思う。

 

「それで、どうしたの? 何か私に用事?」

「いや……えっと、少し気になることがあって」

 

 歯切れが悪い言い方だ。首を傾げる。そんなに言いにくいことなんだろうか? ……私に?

 

 眉を寄せ、平田くんを見る。平田くんは視線を彷徨わせ、それからどこか覚悟を決めたように私を真っ直ぐ見つめてきた。

 

「綾小路くんと水元さんは、付き合ってない……んだよね? ……本当に?」

「付き合ってないよ。平田くんには言ってなかったっけ?」

「その言い方は付き合ってる人の言い方だと思うんだけど……」

 

 私の返答に困ったように乾いた笑みを浮かべる平田くんだったが、またすぐに真剣な目つきに変わった。

 

「……少し、心配なんだ。綾小路くん……いや。綾小路くんだけじゃなくて……」

 

 しかし歯切れの悪さは変わっていない。その様子にはなんとなく既視感があった。ただ言いにくいわけじゃないのだ。

 

 

 『おかしいことはわかっているのに、その違和感を口にできない』感覚。

 

 

「……私たち、おかしいのかな」

「……! あ、いや……そうじゃなくて……!」

「いいよ。なんとなくわかってる。……わかってたんだ」

 

 他人から指摘されたことで、改めて突きつけられるようだ。

 

 気落ちして肩を下げ、俯き加減に頭を下げる私に、平田くんが慌てる。一度顔を上げさせようとでもしたのか、私の肩に手が伸びるが、直前で止まって結局触れてくることはなかった。

 結果的に平田くんのその不自然な動きが気になって顔を上げたので、無駄にはならなかったのだが。

 

 顔を上げたものの、平田くんとは視線が合わない。今度は平田くんが俯き加減になっている。

 

「本当に……おかしいなんて、思っていないよ。ただ、そう……君たちは、不安定というか……まるで」

 

 言葉が区切られる。首を傾げて、続きを待つ。

 

 

「まるで───お互いを」

 

 

 

「葵」

 

 

 

 清隆くんの声だ。意識がそっちにいく。

 

 足元の水溜りが跳ねているのも気にせず、清隆くんがこっちにやってくる。

 

「なんか早くない?」

「シャワーだけなんだから、こんなもんだろ」

「シャンプーとかは?」

「ちゃんと全身洗った。ほら」

「全然拭けてないのもしかしてわざと?」

「拭いてくれるのか?」

「タオル差し出しながら言うことじゃないと思う」

 

 タオルを受け取り、とりあえず清隆くんの頭に手を伸ばす。と、平田くんを思い出して振り返った。

 

 平田くんは苦笑をこぼしながら、私たちを見ている。

 

 

「二人の邪魔をしたいわけじゃないんだけど……よかったら、片手間に今日の成り行きを教えてもらってもいいかな」

「構わない。オレもそのつもりだったんだ」

 

 清隆くんが体を私に傾けた状態という決まらない格好で話を始める。

 

 掻い摘んで今日を含む、堀北さんの壮大かつ完璧な作戦・計画を清隆くんが訥々と話しているのを、平田くんはうんうん頷いて聞いていた。たまに疑問に思ったところを質問しては、きっちり内容の理解に努めている。

 二人が話しているのを、清隆くんの頭を拭きながら聞く。

 

 これで試験は終わりだ。だいたいの流れは変わらず。

 

 

 タオルを持つ手に、自然と力が籠った。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 8月7日。長いようで短かった無人島での生活がついに終わる。

 終了時刻である正午を軽く過ぎたが、未だ先生たちの姿は見えない。

 

 と、ここでアナウンスが聞こえてきた。

 

 

『ただいま試験結果の集計をしております。暫くお待ち下さい。既に試験は終了しているため、各自飲み物やお手洗いを希望する場合は休憩所をご利用下さい』

 

 

 アナウンス後に、生徒たちが一斉に休憩所へと集まっていく。清隆くんと二人で大群の移動を遠目に眺め、「あの中入れる?」「いや入れない。踏み潰されると思う」という会話をしていると、平田くんが私たちのもとにやってきた。

 彼の片手にはそれぞれ紙コップが握られている。まさかの大群からの帰還を果たした勇者登場だった。持っている紙コップにはなみなみと水が注がれており、アイテムも取得しているようだ。文句なしの勇者だった。

 

「すごいね、平田くん……」

「ああ……さすが平田だ……」

「何に対してそんなに感心しているのかわからないんだけど……」

 

 私たちの反応に困惑しつつもどうぞ、と差し出された紙コップを、お礼を言いながら受け取る。紙コップ越しに水の冷たい感触が伝わってきて気持ちいい。これは一息で飲んだらさぞ気持ちいいことだろう。

 

 さっそく紙コップを傾けてごっくごっく飲み始めた私の隣で、清隆くんと平田くんが会話している。

 

「お疲れ様。この一週間いろいろありがとう、本当に助かったよ」

「お礼を言うのはこっちだぞ。平田はクラスをよくまとめてくれていると思う。それに、堀北がリタイアしたことや、オレが点呼に遅れた時に庇ってくれたんだろ」

「先に水元さんから理由を聞いていたし、綾小路くんの口からも詳しく話を聞けたからね……それを知ったら責められないよ。むしろ堀北さんには、これからのことを考えると感謝しないといけない。当然リスクはあるけど……体を張った堀北さんのためにも、僕だって動かなきゃね」

「……ッぷはー! いやぁ、水ってこんなに美味しいんだ。清隆くんも冷たいうちに早く飲んだ方がいいよ。あ、改めてありがとう平田くん!」

「いいよ、気にしないで。水元さんも一週間いろいろありがとう」

「いやいや、それこそお礼を言うのはこっちだよ。平田くんはクラスをよくまとめてくれているし、清隆くんが点呼に遅れた時や、堀北さんがリタイアしたことがわかった時も庇ってくれた。私だけだったら絶対収拾つかなかったよ」

「二人ってよく似たこと言うよね……」

 

 平田くんが苦笑している。そんなに似たようなこと……確かに言ってるな。でも普段から似たことを言っているわけではないと思う。

 

 首を傾げている私たちにもう一度苦笑をこぼしてから、平田くんの視線が移る。その先は───Cクラスだ。

 

 

「それにしてもCクラスは異常だね……別次元だ」

 

 

 平田くんのそのセリフと動作で、あ……と思い出した。そうだった。ここもある意味イベントなのでは?

 

 堪らずじりじり後退りする私に、清隆くんが不思議そうな顔をして手を握り直した。まずい。いや……まずくない? まずくなくする……? そんなこと……できる?

 

 Cクラスは生徒の大半がリタイアしており、砂浜には一人の生徒しか見当たらない。その一人は頻りにDクラスを見ており、今さらこの場から逃げてもチェック済みのような気がしてきた。

 

 

「どうして彼は……こんなことをしたんだろう。彼だけリタイアしなかったのは、どうしてなんだろう?」

 

 

 平田くんが不安そうにCクラスを見ている。清隆くんも遠目に様子を窺っており、私だけが必死に視線を逸らしているのもそれはそれで目をつけられそうなため、右に倣えの姿勢で同じように視線を向ける。

 

 となれば、やはり気付かれるのは時間の問題だったようだ。この場合は、隣にいるのが清隆くんという理由も……ありそうだが。

 

 

 視線に気づいた───否、清隆くんを振り返って見た彼が、そのまま獲物を嬲るみたいにゆっくりと私たちの元へ近づいてくる。私たちの間で緊張が走った。なお一人だけ緊張の種類が違うことは先に言っておく。

 

 彼が───なんとなくずっと避けていたし絶妙に避けさせられていたCクラスの暴君・龍園翔が、私たちに近づいて開口一番に言った。

 

 

 

「おい腰巾着。鈴音はどうした?」

 

 

 

 ……う、うおおおお……りゅ、りゅうえん……りゅうえんかけるだ……ほんものだ……。

 

 

 無意識に手が震えた。歓喜というか武者振るいというか、いろいろ込みの震えだ。もちろん手を握っているため、清隆くんにも私の震えは伝わっているだろう。

 

 清隆くんは一度私の手を握り直し、淡々と答えている。

 

「オレに聞かれても困る」

「おまえが鈴音のケツを追い掛け回してるのは知ってんだよ。この前も一緒にいたろ」

 

 龍園の視線が移動する。清隆くん、手、私といった具合だ。平田くんには見向きもしない。

 

「ああ、ケツ追い掛け回してんのはもう一人いたんだったな。ようやく姿が見れたなぁ? なぁ、お前どっちが本命なんだよ」

 

 ニタニタと嘲るように、馬鹿にするように龍園が嗤う。こんな笑い方似合う人いる?

 

「教えろよ。まあ見た感じ、本命はこっちっぽいがな」

 

 龍園は持っていた紙コップの中身を飲み干すと、軽く握り潰して清隆くんの足元に放り投げてきた。ウワッ……痺れるな……。

 

 

「代わりに捨てとけ」

 

 

 私はもともと清隆くんのと重ねて空の紙コップを二つ持ってるし、今さら一つ増えたところで変わらない。特に文句を言うことなく屈んで拾い上げ、一緒のゴミにする。

 

 怪訝な顔つきをした龍園が、私と距離を詰めてくる。

 

「……あ? なんだ、面白みのねぇ女だな。そこの腰巾着とよく似てんな」

 

 無精髭が生え、上下のジャージとも泥で汚れてワイルドさが増している龍園が近くまで迫っている。鋭く尖り、細まった目が私を見下ろす。

 彼には光が反射してわからないだろうが、今確実に、私の瞳孔は大きくなっていることだろう。

 

 

「なんだったか……腰巾着のついでで、一回テメェの名前も聞いたはずなんだよなぁ……特徴なくて忘れちまったな」

 

 確か、男でも通じそうな名前───そこまで言いかけたところで、清隆くんが口を開いた。

 

 

 

「リタイアしなかったんだな。龍園」

 

 

 

 清隆くんが声をかけたことにより、龍園の意識が私から逸れる。

 思い出そうとしてくれているのでなんか悪いし、名前くらいならいいかな……と自己紹介しようか悩んでいたのだが、意識が逸れたならもういいだろう。自分から声をかけてまで自己紹介する必要性は感じていない。

 

 龍園は声をかけられたことによりこの場に来た目的を思い出したようで、再び堀北さんの名前を出してくる。

 

「鈴音はどこだ。ケツでも撫でてやろうと思ったんだが」

 

 本当に息をするようにセクハラ発言をするんだな……。

 

 それにしてもこの数分間で、龍園は堀北さんの名前を三度も呼んでいる。やはり気になるのだろう。

 

 ジロジロと辺りを見回す龍園に、今まで黙っていた平田くんが口を開く。

 

「堀北さんなら昨日の段階でリタイアしたよ。ここにはいない」

「……リタイア? 鈴音が? あいつはリタイアするような女じゃないだろ」

「それは───」

 

 キィン、と拡声器のスイッチが入る音が砂浜に響き渡る。それからすぐに真嶋先生が姿を現した。自然とみんなの視線が集まっていく。

 

 緊張する生徒たちに楽にしているようにと言うが、無理な話だ。雑談は瞬時に消え去り、沈黙が満ちる。拡声器越しに真嶋先生の呼吸音まで聞こえてきそうなほどの静寂だった。

 

「ではこれより、端的にではあるが特別試験の結果を発表したいと思う」

 

 龍園はニタニタと笑っている。余裕ありげな顔は、しかし、真嶋先生が次に放った言葉で凍りついた。

 

 

 

「最下位はCクラス。0ポイント」

 

 

 

 事態が理解できない。そんな顔だ。動かなくなった龍園を置いて、真嶋先生は次々と結果を発表していく。

 

 

「続いて同率二位。Aクラス、Bクラスともに120ポイント」

 

 

 生徒たちの間でどよめきが広がる。誰も想定していなかった順位、そしてポイントだ。自分たちの計算していた数値との誤差に戸惑いを隠せないのだろう。

 かくいう私も動揺から目を見開いていた。予想はしていたが、それはDクラスに関してだ。……いや、そうか……Dクラスが変わったならば、他クラスも影響されないわけがない。ならばコレは、起こるべくして起こったこと、か。

 

 真嶋先生が一瞬だけ硬直したのが見えた。私も硬直している。

 

 

 

「そして、Dクラス───253ポイントで一位」

 

 

 ………心臓が痛い。なんというか、いろんな意味で。

 

 

 

 

 

 興奮と混乱が冷めやらぬ様子で、Dクラスがワーワー盛り上がっているのを横目で見る。顔は若干青ざめているかもしれない。

 清隆くんは隣で安堵したように息を吐いて、それから目尻を緩めて私を見た。

 

「やったな、葵」

「………」

 

 

 ………清隆くんのその顔を見たら、なんか急に全部どうでもよくなってきたな……。

 

 

 一度繋いでいた手を離し、無言のまま清隆くんの腕をガッシと掴んだ。突然変貌した私の雰囲気に、清隆くんは無防備に目を丸めながら私を見ている。

 

 そして私はそんなの全く関係なしで、予備動作なく駆け出した。

 

 

「やったーーー!!!」

 

「うわっ!? 急に引っ張るな葵!」

 

 

 半ばヤケクソで叫びながら、盛り上がるDクラスに清隆くんを連れて突っ込み中に紛れ込む。

 

 後先考えず騒ぎの中心に突撃しに行ったため、すぐにもみくちゃにされる。肩を組んで喜び合い、手を叩いてはしゃぎ合い、抱き合って狂喜乱舞する。

 

 

 その場のノリと流れで、清隆くんが私の腰を掴んで体を持ち上げて、漫画みたいにその場でクルクルと回った。

 いつもと逆で見下ろした清隆くんの表情は、おかしそうに笑っていた。

 

 

 めちゃくちゃだけど、このめちゃくちゃさが楽しいのだ。

 

 悩んでいたことを今だけはとさっぱり忘れ、私も声を上げて笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 




今話のMVP:実はまだ綾小路の射程範囲内にいた平田
誰が平田はもう安全だと言った?



・原作とのポイント変動詳細
一応説明。ほとんど原作通りの流れですが、主人公が暗躍というか実力行使で辺り一帯の食料根こそぎ収穫していたのでDクラスは足りない食料をポイントで補う必要がなくなり、またBクラスは食料が見つからなくて自動的に本来あったDクラスの損失を被る結果となりました。女子生徒の無駄遣いも主人公が人(櫛田さん)を動かして抑えていたため、Dクラスはポイントが増えています。
AクラスはCクラスから譲り受けた食料があるので、原作通りポイントの損失はありませんでした。

ちなみに龍園氏は本文で描写がなかっただけで、ワイルドなだけでなく頰が若干こけていたりしました。誰が島の食料を根こそぎ採っていったというんだ……。

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