入学式を経て学校生活二日目の今日、授業初日ということもあり授業の大半は勉強方針等の説明だけだった。確かにそんな感じだった気がする。
私は今世のことは事細かく記憶を有しているが、原作を知っている前世については部分部分あやふやだったりするのだ。そりゃ意識の仕方も違うしそもそも元の能力値からして違うのだ、当然のことだろうと思う。
前の方の席というのもあり、変な態度は取れない。これは後ろの席だったら授業を真面目に受けないという意味ではなく、背後からの視線が少なくなるから気を緩めて授業を受けられるという意味である。私は元来コミュ症なのだ。そういう意味では早く席替えがしたいものだ。
ぼーっと話を聞いている間に午前の授業を終え、時刻は昼を指している。昼食の時間だ。生徒たちが思い思いに教室を出て行く。私も大好きな小説の中の世界、聖地巡り気分で学校探検をしたいのもあり、教室を出て行く生徒たちを追うようにして立ち上がった。
教室を数歩進んだすぐ後に後ろから声をかけられる。
「葵」
「ん?」
パタパタとこっちに向かってくる清隆くんが、追いついて、自然に私の手を取った。
「昼ごはん食べに行くんだろう? オレも行く」
「え……あ、うん。いいけど……」
完全にお一人様気分だったため、出鼻を挫かれて変な返事になってしまう。清隆くんは気にせず私を見ていた。
「どこに行くんだ?」
「あ、うん。とりあえず食堂行ってみようか?」
「わかった」
本当はコンビニでおにぎりでも買って、あとは校内を見て回る予定だったのだが、それはまた別の機会でも構わない。清隆くんも楽しみにしている“普通の”学校生活だ、私の勝手な聖地巡りに付き合わせるのは申し訳ない気持ちがある。
二人で歩き出して廊下を曲がってすぐ、後ろから「あの!」と可憐な声がかかった。コミュ症二人、自分たちが声をかけられたなんて微塵も思わずのんびり食堂に向かっていく。と、私たちの腕が同じく可憐な手に掴まれた。
「あの、無視しないでくれないかな……?」
えっ。桔梗氏? 私の腕を掴んでいるのは櫛田桔梗氏?
大きな愛らしい瞳を若干潤ませて、眉を下げて怒ったような困ったような顔をした櫛田さんが私たちを上目遣いに見ている。「はわ……」という謎の言語が口から出た。可愛い。ヒロインってこんなに可愛くていいの……?
清隆くんが謎に固まっている私をチラと見てから、櫛田さんに視線を移す。知っている無気力な声で「なんだ?」と端的に用件を尋ねた。
櫛田さんは歩くのを止めた私たちを確認してから掴んでいた手を離す。背中で手を組んで少し俯き加減になって、前髪の隙間から覗くように私たちを見つめた。そのあざとさに百点満点を与えたい。
「えっとね……あ、えと、綾小路くんと、水元さん……だよね?」
「おう」
清隆くんが沈黙している私の脇腹あたりを軽く肘でつついた。ハッと意識を取り戻して清隆くんと同じように返事をする。
「うん、そうだよ。どうかした?」
「私、同じクラスの櫛田だよ。覚えてくれてるかな?」
もちろんです。
「もちろんだよ。こんな可愛い子、忘れられないって」
「そんな、可愛いなんて……えへへ、ありがとう。水元さんの方こそ可愛いよ」
今、私、あの櫛田さんと女子トークしてる……! 女子特有の褒め褒め女子トークしてる! テンション上がってしまう。
別に本心からそう言われているわけではないことは分かっているのだが、どうしても照れくさくなってしまう。にゃは……と変な顔をして笑った。
照れて使い物にならなくなった私に代わって清隆くんが再度用件を尋ねる。
「オレたちに何か用か?」
「あ、うん。実は相談があって……」
言葉が尻すぼみになっていく。櫛田さんの視線は下にあった。ジーッと見つめてから、細い指先がある箇所を指す。
「……二人って、随分仲が良いんだね?」
「え?」
指先を追うように視線を下げる。指差されている箇所を確認し、「……あ、あ〜〜」と納得の声をあげた。納得の声をあげながら、指と指の隙間を埋めて繋いでいた手を軽く振ってその反動で離した。清隆くんがチラと私を見て、大人しく離されたままになってくれる。
ヤベェ。ナチュラルにされすぎてナチュラルに受け入れていたな。
穴があったら入りたい。むしろ自分から掘って入りたい。今から穴掘りに中庭にでも行こうかな……中庭あるかな……。
微妙に現実逃避し始めた私と清隆くんの顔を交互に見比べて、櫛田さんが一度うんと頷いた。パチンと可愛らしくウインクしてくれる。
「わかった。秘密、だね?」
「違う違う違う違う」
とんでもない勘違いの予感に慌てて弁明の声を上げる。
「私と清隆くんは……幼馴染なんだよ。だから櫛田さんが思ってるような関係じゃないから」
「? そうなの……?」
「そうなの」
力強く肯定する。訝しんでいる櫛田さんにこれ以上つつかれてボロを出さないよう、今度は私から用件を尋ねる。
「それで、なんだっけ。相談があるんだよね?」
「あ、うん! 聞いてくれる?」
「うん、いいよ」
櫛田さんもようやく本当の目的を思い出して、私たちの方にずいと体を寄せてきた。
「少し聞きたいことがあって……その、ちょっとしたことなんだけど綾小路くんって、もしかして堀北さんと仲がいいの? ……あ、ごめんね水元さん。これはそういう意味じゃなくて」
「あ、あ〜〜大丈夫大丈夫。全然私のことは気にしないで。あと私たちは櫛田さんが思ってるような関係じゃないから」
会話をしながらだんだん思い出してきた。それは堀北さんの苗字を聞いて完全に思い出すことになる。そうだ、これはイベントだ。
原作ってこんなに早くから櫛田さんから声をかけに来ていたんだな…。
私に関係ない話であることは間違いないので、ボーッとして時が経ち悩み事相談が終わるのを待つことにする。その間目の前の美少女をぼんやり見つめて人知れず内心でテンションをあげていた。
清隆くんと櫛田さんが握手をする。ここでようやく会話が終盤を迎えていることに気づく。
今度は私に差し出された手を、スカートの裾で手を拭いてから握った。
「二人とも、おんなじことしてるよ……別に気にしなくてもいいのに」
櫛田さんが困ったように、そしておかしそうに笑う。そりゃ可愛い子を前にしたら手を拭くでしょうよ、と思いつつ口にしたら引かれるので口にしない。
「改めてよろしくね、水元さん」
「よろしくね、櫛田さん」
可愛らしく手を振って櫛田さんが私たちの元から離れて行く。
同じように振り返していた手を下ろせば、その手がその後またナチュラルに取られる。さっきと同じ要領で軽く振って離す。
「手はもう繋がないよ。ほら、食堂行こう!」
清隆くんがジッと私を見ていることには気づいていたが、構わず先を行く。歩幅の違いかすぐに隣に並ばれて、その後は二人でのんびり食堂に向かった。
やっぱり聖地巡りをするならそれ相応の食事もしないとね! と私は初っ端から生き急いで山菜定食を頼んだ。なるほど、確かに……山菜だな。
そのまんまの感想を思い浮かべて仏の顔をしている横でチキン南蛮定食を食べている清隆くんが私のお皿から一つ山菜を取り、その代わり一切れチキン南蛮をくれた。大変美味でした。
チキン南蛮の美味しさに感動している私の横で山菜を口にしうっという顔でゆっくり咀嚼している清隆くんというちぐはぐコンビで食事を終えて人心地ついていると、食堂に設置されているスピーカーから音楽が流れてきた。
『本日、午後5時より、第一体育館の方にて、部活動の説明会を開催いたします。部活動に興味のある生徒は、第一体育館の方に集合してください。繰り返します、本日───』
部活動。その言葉にある部活が頭の中に過ぎって、少しの間逡巡する。
清隆くんが私を見て、尋ねてくる。
「葵は部活に入るのか?」
「んっと……う〜ん……」
どうしよう。悩むな。
別に入らなくてもいいけど、入ってもいい。このどっちつかずな感情をどっちかにすることから始めたい。
「正直、悩んでるかな……」
頭を掻き、困った顔をして笑う。清隆くんはジッと私を見ている。
机の下で繋いでいた手に時々力を入れながら悩む。無意識の行動だ。思考をしている間指弄りをしてしまう私は、どうやら手を繋いでいる場合は相手の手を握っては緩めるという行動を取るらしい。
机の下でそんなことになっているとは一ミリも気づかない私に、清隆くんが隣で声をかける。
「葵のしたいことをすればいい。オレは応援する」
「うん……ありがとう、清隆くん」
背中を押された気分だ。少しだけやる気が出る。
……そうだ。一度きりの高校生活。したいことをしたってバチは当たらないし、なんなら今まで頑張ってきた分好きなことをして気持ちを昇華すればいい。
俄然やる気が出てきた。今度は力強く頷いた。
「……入るよ。私、入りたい部活がある」
「そうか。頑張れ、葵」
勇ましく宣言する私に清隆くんが早速応援の声をかけてくれる。優しく握ってくれる手がありがたかった。……でもあれ、もう私手を握らないって直前で言わなかったっけ?
振り解こうとするも、思い直して握ったままにする。手のひらから伝わる温もりを離れがたく思った。私がこう思うのを見越して繋いでいるとしたら、清隆くんはとんだ策士だ。
しかし私の話ばかりで、清隆くんの話は聞いていない。それに気づき、顔を上げて今度はこっちから尋ねる。
「清隆くんは? 何か部活入るの?」
「いや、オレは……」
逡巡するように視線を下げ、私を見て、緩く首を振った。
「オレは別にいい。たまに葵が入っている部活を見に行くさ」
「え〜。清隆くんも何か入ったらいいのに。もったいない」
「あまり興味がないしな。こんな奴が入ってきても困るだろうし、申し訳ないだろ」
そういう考えもあるか。それなら無理強いはできない。
あと私が部活している姿を見に来たって、何も楽しくないと思うが…。
と、ここで名案が浮かぶ。
「じゃあ、私と一緒に同じ部活入ればいいのでは!?」
「……いや。オレは葵の姿を見ているだけでいい」
「アレ!? なんで!?」
部活見に来るくらいは興味あるんじゃないの!?
即座にお断りされて思わず素っ頓狂な声を上げる。清隆くんに遠慮している様子が見られないからなおさらだ。
最終的には清隆くんがそれでいいならいいけど……と渋々提案を取り下げることになった。名案だと思ったのにな。いや……原作でも彼は帰宅部だったか。なら、良いのかなぁ……。
「じゃあ、部活動説明会にも行かないの?」
「そうだな……一応、見に行くだけしておくか」
「私も行く! 一緒に行こう!」
「ああ」
放課後の予定が決まった。二人で顔を合わせ、楽しみだなぁと笑う。清隆くんも私を見つめて口角を緩めている。
清隆くんの笑う顔は見ていてとても嬉しい。だからそれだけで嬉しくなって私はより一層笑みを深めてしまう。
もうずっと、数年もの間見ていなかった表情だ。忘れるわけがない。変わらない、花が小さく綻ぶような笑い方が愛おしくて、繋いだ手が確かにあの頃から変わらない私たちを表しているようで、私はまた意味もなく笑っていた。
§
放課後になり、教室から一緒に並んで第一体育館に向かう。私たちと同じ目的地を目指し同じ方向に向かっている生徒は見た限りではかなりいるように感じた。
その流れに沿って生徒たちの後をついていくように歩き、体育館に到着。時計を見て、所定の時刻まであと5分弱であることを確認する。
しばらく待っていると、上級生らしき人が舞台上に上がるのが見えた。
「一年生の皆さんお待たせしました。これより部活代表による入部説明会を始めます。私はこの説明会の司会を務めます、生徒会書記の橘と言います。よろしくお願いします」
舞台で挨拶した……橘先輩? の横にズラッと部の代表者らしき人が並び出す。みんなそれぞれ部活動のユニフォームを着ているから、なんとも見がいのある光景だ。
目的の部活動の説明が来るのを待っていると、なんと初めに挨拶した人がその目的の部活動の主将だった。少し身を乗り出す。
ふんふん話を聞いている分に、そんなに予定を詰め込んで練習をするほど厳しくなく、わりかしみんな思い思いに緩くやっている部活っぽかった。その緩い部活感で心が決まる。
「私、あの部活に入るよ」
「あの部活って、弓道部か?」
「そう。私、ずっと弓道したかったんだ」
弓を引く。離す。的に当たり、パンと空気を裂く音。あの爽快感をこの世界でも味わいたい。
記憶にある弓道部での思い出を振り返って、少ししみじみとする。
「そうか。頑張れよ、葵。応援してる」
「うん!」
温かい声援に気前よく返事をする。説明会が終わったら、さっそく入部受付に行かないと。
目的を早々に終えてしまい、少し暇になってしまった。チラと隣を見れば清隆くんは静かに舞台上の説明を聞いている。あ、いや……視線が動いた? 誰か見ているみたいだ。
どうしたんだろうと視線の先を追って誰がいるのか確認した後、なるほどと納得した。生徒に混じって堀北さんがいる。肝心の堀北さんはある一点をジッと見つめて固まっているみたいだ。さらに堀北さんの視線を追って……ビンゴ。堀北(兄)生徒会長が舞台袖でチラ見えしている。一方的ではあるが、兄妹感動の対面に違いない。
そしてこの様子を見る感じ、原作通り清隆くんと堀北さんは仲を深めているようだ。よきかなよきかな。
かの堀北(兄)生徒会長の有名な演説も聞き終え、部活動説明会はお開きとなった。清隆くんに一言断りを入れ、一人さっさと入部受付に行く。
受付を経て弓道部に無事入部することができ、満足感とともに清隆くんのいる場所に戻る。と、清隆くんの近くには生徒が3人……まだこう呼ぶのは早いが、通称3バカが集まっていた。
足を止め、しれっと方向転換をする。私、あの3人見る分には好きなんだけど、関わりを持つのはちょっとこう……遠慮願いたい。それも初期3バカだ。初期3バカはキツい。
ごめんね、清隆くん……お先に……!
心の中で親指を立て調子良くサムズアップをしておいた。もちろん涙を呑んで、だ。まさか満面の笑みだなんてそんな。
そのあと普通にスーパーで捕まった。なんでこんなにピンポイントで見つけられたのか聞くと、どうやら相手の連絡先を知っているとGPSで相手の居場所を確認できるらしい。いや早いよそれに気づくのが。まだ先のことでしょうが。
別に居場所を確認される程度気にすることじゃないので、あっさりと追及をやめて本来の買い物に戻る。
今日私がスーパーにいるのは、今晩のご飯を作るためだ。それを聞いて清隆くんが「オレも食べたい」と言ってきたので、二人で買った材料を折半することになった。あとなんか作ってもらう気満々みたいだけど、私も今世一度も料理したことないからね。共同作業に決まってるでしょ??
なおその後、二人でせっせと拵えたカレーは苦労した分とても美味しく感じました。
次回は私がサラダ作るから、清隆くんは肉焼いて味付けするってことで話はついた。この場合どっちが楽なんだろうな。料理って奥が深いよね……。