大会が近い弓道部は、今日も部員一同練習に明け暮れている。
日付が近づくごとに残って練習する者も多くなり、団体戦は上級生がメンバーを占める中で、私と三宅くんは個人戦で出場することが決まっていた。これはまだ入学したての一年生ながらも狭き門を突破したということで、それなりの偉業である。
大会出場メンバーに選出されていない部員は、少しでも弓道場の敷地を広くするために部活後すぐに帰るのが暗黙の了解となっている。もちろん残っている生徒はいるし、その場合は練習用の巻藁を使っている。
兎にも角にも、私と三宅くんは顧問のひしひしと感じる期待を背負いつつ、上級生に交じりながら今日も並んで練習に明け暮れているということだ。
「今日も良い運動したぁ〜」
「今日も疲れたな……」
正反対の感想を述べながら、三宅くんと二人で帰路に就く。
部活終わりのシャワー後、待ち合わせしたわけじゃないが三宅くんとバッチリタイミングが重なったとき、なんとはなしに二人並んで一緒に帰るのが習慣となっていた。つまり今日はバッチリタイミングが重なった日ということだ。
運動で火照った体はシャワーで冷めて、そして今炎天下で燃やし尽くされようとしている。頭上から燦々と照りつける太陽を翳した手のひら越しに見て、思わず目を細めた。
「にしても、毎日あっついね……弓道場もそうだけど、なんでか暑さ忘れるんだよね」
「それだけ集中してるってことだろ。水元は今日も皆中してたんじゃなかったか」
「おかげさまで……」
「……本当すごいよな。水元なら団体戦メンバーだって選ばれただろうに……」
私よりなんだか悔しそうにしている三宅くんに、苦笑をこぼす。
「まぁ、仕方ないよ。三年生にとっては最後の大会だもん。実力至上主義を謳っているとはいえ、三年間苦楽を共にしてきた仲間を団体戦のメンバーに入れるなんてよくある話でしょ。部長の特権だよ」
「納得いかねえ……」
「これが現実! ってやつだよ」
茶化すように言えば、三宅くんの不満はさらに増したようだが、当の本人である私が文句を言わないのでそれ以上言葉を連ねることはなかった。
肩をひょうきんに下げて、一応弁明しておく。三宅くんの溜飲もこれで下がってくれるといいんだが。
「本番でも練習みたいにうまくできるかわからないし、私は個人戦だけでよかったと思ったよ。三年生の命運がかかる団体戦で失敗したら目も当てられない」
「その練習で水元より的中率が低い先輩がメンバーに選ばれてるが?」
「これが現実!」
「それ言えばいいと思ってないか? 水元」
別にそんなことはない。適当にお茶を濁せるし便利な言葉だとは思っているが。
ということでこれ以上三宅くんの目線が冷たくなる前に、さっさと戦略的撤退ならぬ話題を変えることとする。
「それより、前おすすめしたスーパーのアイス見てくれた?」
「ああ、あの……うどんアイスだっけか。あれマジで食べたのか?」
「うん。清隆くんも巻き込んだ」
「可哀想に……綾小路……水元の相手するのは大変だな……」
「いやそれが絶妙に美味しいんだって! そこはかとない出汁の味にちゃんとバニラの味がマッチしてて、おお! ってなるんだよ。感動する。清隆くんもなんやかんや言いながら完食してたし、つまり不味くないってことなんだよ。ぜひ食べてほしい」
「ええ……まあ、機会があれば」
「それ絶対食べない人の言い方」
うどんとアイスの奇跡のコラボレーションについて熱く語っていれば、いつのまにか寮についている。
エレベーターまで一緒に乗り、三宅くんの降りる階で手を振って別れた。
それから今日も昼食を作ってくれているだろう清隆くんの部屋に向かう。確か今日は焼きそばを作ってくれる風に言っていた気がする。
ワクワクしながら、合鍵を使ってドアを開ける。
「……?」
一足靴が多い。清隆くんのものより大きいそれは、靴の持ち主の体格が良いということを指す。
そういえば清隆くん、葛城くん関連で連日動いていたな……と思い出す。話はご飯を食べている時だったり、普段の会話でも聞いていた。
じゃあ今清隆くんは部屋に葛城くんを招いて、お話し中ということだろうか。
だとすると邪魔になってはいけないか、と音を立てないよう踵を返そうとする。
「……あお……だ」
「だが……もと……」
名前を呼ばれた気がする。振り返って、足音を立てないよう死角から忍び寄る。
清隆くんと、やっぱりもう一人は葛城くんだ。二人がテーブルを挟んで、向かい合って話している。
ただ話しているだけなら去っていたのだが、どうにも清隆くんの声に嫌悪が混じっているのが気にかかる。
「……だから、葵はダメだ。須藤が適任だ」
「だが、須藤だと確実性がない。水元ならば」
「ダメだ。慣れていないし、第一初めての大会なんだぞ。そんな余裕はない」
……なるほど。葛城くんの妹さんに渡すプレゼントを学校の外へ運び出す役割で、私に白羽の矢が立っているというわけか。
だとすると、私が今から取る行動は退散一択だ。
清隆くんはおそらく最初に立てた僅かなドアの音で私の存在に気づいているだろうが、葛城くんはまだ気づいていない。気づかれないうちに音を立てないよう殊更注意して、部屋を後にする。
葛城くんには申し訳ないが、私ではその役目は不適任だ。最悪のことを考えたら、どの生徒よりも一番といえる。
私は大会へ出場して良い結果を残すことより、もっと別のところに重きを置いている。
大会は合法的に高校の外に出られる唯一の手段だ。私はそこでいくつか確認したいことがあった。そして起こした行動で、葛城くん、ひいては葛城くんの妹さんまで巻き込みたくない。すべてを自分一人で完結させる意思だ。
己の部屋を目指してコンクリートの廊下を歩きながら、ひとまず彼らの会話が終わるまでお昼はお預けだな……と切なく鳴いているお腹を撫でた。
夕方。清隆くんから連絡が入り、ようやく昼食……時間帯的には夕食を食べに再度清隆くんの部屋に向かう。
すでにテーブルに用意された具沢山の焼きそばを前にして、目がキラキラと輝く。諸手を挙げて喜び、挙げた手はしっかり洗い、いただきますと言い合ってから箸を取る。
「葵」
「ん?」
清隆くんはふわふわ湯気をあげる焼きそばに手をつけないまま、視線を落とし気味に私を見つめている。
「……何か、するつもりなのか?」
「……? 何って、なに?」
「大会のことだ。葛城からの指名も、葵が話を理解しながら部屋を立ち去ったことで葵本人にもする意思がないことはわかった。だが……」
合点がいって、ああ、と頷く。
「それなら、清隆くんもわかってるでしょ。高校の外では何があるかわからない。学校側の監視があるから、そう変なことも起こらないと思うけど……もしものことがあったら、葛城くんたちを巻き込むわけにはいかないよ」
「………」
黙り込む清隆くんに、それが心配から来ているとわかるから安心させるよう笑いかける。
「大丈夫だよ。私の方でも気をつける。それに人目があるし、何にも無い可能性の方が高いんだ。清隆くんは安心して待っててよ」
「……葵に何かあったら」
「たとえ死んでも帰ってくるって」
「…………そういう冗談は、オレは嫌いだ」
言われて瞬きする。……確かに不謹慎な内容、だろうか。あまり意識していなかったから、そこを指摘されると変な気分だ。だが清隆くんを不愉快な気にさせるつもりはないので、これからは覚えておこう。
俯き気味でよく顔が見えない清隆くんを前にして、ぽりぽり頰を掻くと、申し訳のなさの滲む顔を作って軽く謝る。
「ごめん、不謹慎だったね。こんな平和なご時世で死んだりなんかしないよ。普通なら問題になるでしょ。でも、これからは言わないようにする」
だから機嫌直して、と上目遣いにお伺いを立てる。清隆くんはしばらく目を合わさないままだったが、めげずに視線を送る私に根負けしたかのように、一度深くため息をついてから渋々の体で頷いた。
「……ひとまず、外で変な行動起こすんじゃないぞ。それからむやみやたらと人の後をつけないこと。学校から提供された食事以外口をつけないこと。何かおかしい、危ないと思ったらすぐに逃げろ。近くに人がいれば助けを求めるんだ。いいな?」
「いかのおすし?」
「いか……?」
意識して言ったことではないらしい。まあちょっとズレてるしな……と一人納得する。
「わかった! 気をつけるよ!」
「返事だけはいつもいいんだよな……」
私の元気のいい返事に呆れながら、けれどどこか気を抜いたようにも見える。ようやく焼きそばに手をつけた清隆くんを見守り、私も再び箸を動かし始めた。
しかし焼きそばに口をつけてすぐ、名前を呼ばれて顔を上げる。
「葵」
「ん?」
清隆くんは少し逡巡して、眉を下げた。
「大会。……楽しんでこいよ」
大会に向けてずっと練習を頑張っていた私を見ていたから、そして普段の楽しげな練習風景を話で聞いていたからこそ出てきた応援の言葉だとわかる。だから清隆くんは不安でも、私が大会に、外に出て行くことを止めることはない。
初心に返るような温かで優しい言葉に、緊張が解れていくような心地がする。
うん、と頷いた。柔和に微笑み、言葉を返す。
「もちろん。ベストを尽くしてくるよ」
§
個人戦で表彰されるのは8位まで。脱落する形で少しずつ人数を減らしていった高度育成高等学校、略して高育は、女子の部では今は私と3年生の生徒二人が残っている。
男子の部は人数が女子より二人多く、構成は3年生と2年生で半々ほどだったはずだ。三宅くんはどうやら脱落してしまったらしい。先ほどまでは私と同じで弓道場に向かっていたから、直近で脱落したのだろうか。
つい先ほど放送で私の名前も先輩たちと並んで呼ばれ、先輩たちについていきながら弓道場へ向かっている途中で三宅くんと会い、「頑張ってこいよ」と平時と変わらない感じで声をかけられたところだ。もちろん調子良くサムズアップを返しておいた。
大会も後半に近づくにつれて、場に緊張感が増していった。ここまで残ると表彰されるか否かを明確に意識するようになる。寄せられる期待やら後輩たちからは尊敬の眼差しに、誰しも緊張を伴ってもおかしくない状況だ。ちなみに私に後輩はまだいない。来年が楽しみである。
後輩の話はさておき、大会本会場である弓道場では、矢が的を突き抜けるパンッという乾いた音以外ではほとんどシンと静まり返っている。それも人々に緊張を与える要因となっていることだろう。
唾を飲み込む音ですらそこかしこから聞こえてきそうだ。そんなことを思いながら、フゥ、と軽く息を吐く。
前の列にいる生徒たちが射場に向かうのに倣って、私たちも動き始める。先輩の後に続き座っていたパイプ椅子から立ち上がると、執り弓の姿勢を取り、移動を始める。
進むたびに足を床と擦りながら、足裏を見せないよう歩く。上座に礼をして、射場に入る。
左足、右足と順番を守りながら丁寧に動く。前の組にいる最後尾・落の生徒の弦音を合図にして同組揃って揖をする。
跪坐で待ち、弦音を待つ。
私は、的を一点に見つめるこの瞬間が好きだ。
研ぎ澄ました意識は他の何もかもを忘れて、外へ追いやって、今この瞬間、的以外何も見えなくなる。何も考えないでいられる。
前から風が吹き抜けて、土の匂いを運んでくる。さらりと前髪が揺れた。
弓を引いて、離す。
と同時に鳴り響いた音は、射場に、弓道場に余韻を残しながら響き渡って、静かに消える。
楽しいな。心の底からそう思う。
目元だけで笑う。
§
貰った賞状は7位。ラッキーセブンで良い感じだ。
先輩や顧問、同輩の生徒から口々におめでとうと声をかけられ、私もそれに対して先輩もしくは顧問相手ならば「ありがとうございます、先輩(先生)の指導のおかげです」と謙虚に応えつつ、同輩にはサムズアップをして応えた。サムズアップの安売りをしている。
今は顧問からもらったオレンジジュースをありがたく頂戴して、用意された椅子に座り何をするでもなく道ゆく人を眺めている。
……知らない知らない知らない知らない……
「入賞おめでとう、水元」
「お、ありがとう三宅くん」
後ろから声をかけられ、その声の持ち主にすぐ気づいて笑顔を浮かべた。
三宅くんはそのまま私の横までやってくる。
「それにしても7位か……水元ならもっと上でもいけたんじゃないか?」
「練習と本番じゃ違うってことだよ。魔物がいたね、魔物が」
少しふざけたようにそう言えば、どこか訝しげに私を見ていた三宅くんも納得したように頷いた。
……知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない……
「魔物は言えてるな……俺も中学から何度か大会経験があるけど、まだ全然慣れる気がしねぇ」
「三宅くんも惜しかったんだって? 顧問が言ってたよ。オレンジジュースもらえなくて残念だったね」
「別にそれは羨ましくないけどな」
「またまた〜」
「いやマジで」
果汁100%なのに……。まあとは言っても濃縮還元の方だから、厳密に言えば本当の果汁100%ではないのだが、この辺を言い出すと止まらなくなるので割愛する。
結論、体に悪いものほど美味しいのだ。世の真理である。
話はポイントに移る。
……知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない……
「入賞したらポイントもらえるんだっけか?」
「そうそう。プライベートもだけど、クラスポイントももらえると思うよ〜。どちらにせよ7位だから微々たるものだろうけど……」
「Dクラスなら泣いて喜ぶだろ」
「……ひ、否定できないのが悲しい……」
Dクラスの業が深い……8月いっぱいはまだ倹約生活が続きそうだ。
三宅くんと話しながら、私の視線は固定されたままだ。時折不自然にならないよう頭を動かして、しかし視線は前を向いたまま。
話の流れで笑ったり笑わせたりしながら、ジッと前だけを見つめている。
………知らない………
………知らない知らない知らない知らない知らない………
………知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない………
……….知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない………
知ってる。
やっぱりいるんだな。それを確認して、視線を逸らした。
今日はそれだけ確認できたら十分だ。ならばあとは時期を、タイミングを見計らうだけ。
そうだ。せっかくだし、もっと良い手土産を持って行ってあげてもいいかもな。
§
大会で予定されていたイベントもすべて終わり、寮に帰ってきたのはすっかり日の暮れた19時だ。夏の夜は明るいといっても、さすがにこの時間帯となると空は暗くなっている。
大会に出場していた弓道部員一同、顧問と職員数名を乗せたバスは一旦武道館に行き、全員で矢や弓を所定の位置へ戻す。それからまたバスに乗って寮前まで送られ、生徒はぞろぞろバスを降りていく。
私も流れに逆らわずバスを降りて、その足で清隆くんの部屋に直帰する。
合鍵を使い玄関を開け放って早々、「たっだいまー!」とテンション高く帰宅の挨拶をかました。清隆くんが部屋の向こうからひょこりと顔を出す。
「おかえり、葵」
「聞いて清隆くん、7位! ラッキーセブン! これからいいことあるよ!」
玄関まで出迎えてくれた清隆くんが、肩にかけていた道着等が入った荷物を持ってくれる。その最中に、私の発言を聞いて目を丸めた。
「7位? 本当か?」
「本当本当、マジの大マジだよ。これがベストを尽くしてきた証!」
バッグから賞状を取り出し、胸の前に配置をして、鼻高々に勝利のVサインを決める。清隆くんは「お〜」と緩い歓声を上げながら手を揃えて拍手してくれた。それに手を挙げて芸能人もかくやといった様子で応える。
靴を脱いで部屋に上がる。一度荷物を置いて洗面所で手を洗うところまで、清隆くんがひょこひょことその後をついてくる。
「すごいな、弓道だと初大会だろ? よく頑張ったな」
「もっと褒めてくれてもいいよ」
「すごいすごい。えらいぞ、葵。そんな頑張った葵にご褒美としてアイスを買ってある。しかもただのアイスじゃない」
「えっなになに?」
「期間限定」
「お」
「果肉たっぷり」
「おお……!」
「通常アイス3個分以上の値段に値する」
「おおお……!!」
清隆くんがもったいぶったゆっくりした動きで冷凍庫を開けて、中から手に収まるほどの小さなアイスのカップを取り出す。
真っ先に目に飛び込んでくるのは瑞々しい桃のプリントだ。一緒にジェラートのプリントもあって、その時点でただのアイスでないことが如実に表れている。
そして同時に目に入る文字。高級感溢れるオシャレなフォント字体が示す、そのブランド名は───
「これは……かの有名なちょっぴり高級アイス……!!」
「期間限定に加え新発売とあって、なかなか見つから」
「清隆くんッ!!」
「うわっ!」
言い終わる前に抱きつく。勢いを殺さず飛びつくようにして抱きついたので、清隆くんの体が一瞬傾いた。しかしそこは体幹の鬼、すぐに体勢を整えて、むしろ不安定さを補うように幼子みたく容易に抱き上げられる。
そのままの体勢で、清隆くんの頭を力いっぱい抱きしめた。
「嬉しいよ、ありがとう! この種類のアイス、一度食べてみたかったんだ。さっそくいいことあった!」
清隆くんがモゴモゴ何か言っている。耳を澄ませるも聞こえない。
この状況で口籠もることなくない? と体勢のせいでいつもと違って清隆くんを見下ろし、「あ」と間抜けた声を出した。
「ごめんごめん、そりゃ話しにくいよね。今離れるよ」
「ぷはっ……はぁ、どうしようかと思った」
「大袈裟だなぁ。そんな埋もれるほどないでしょ」
事実を述べてあっけらかんと笑えば、清隆くんが半目になる。
「………黙秘を貫きたいところだが、今後のためにしっかり言っておく。オレ以外に絶対するなよ」
ガチめに言われたので、ちょっと体を引きつつ無言でコクコク素直に頷いた。
清隆くんはしばらく胡乱に私を見上げて、浅くないため息をつく。それから視線を不自然に彷徨わせた。
「……葵は、その……魅力的な体を、している……と思う。だから、……自信を持って欲しい」
「……どういう説得?」
「オレは真面目に言ってるぞ」
茶化そうとした気配を察してか、頬を薄く染めながらも睨むように見上げられて、再び無言でコクコク素直に頷いた。なんだか伝染したみたいに私の顔も熱くなっていっている気がする。
眉を下げた情けない顔になりながら、これ以上ソウイウ話をしたくないため自然と小声になる。
「わかった。わかったよ……」
「いいや、わかってない。前々から思っていたが、葵は自己肯定感が低い……というより、己を必要以上に卑下する癖がある。何がそんなに自信を失くすことに繋がってるんだ? ……今目が動いたな。どこを見て……なんだ? オレがどうかしたのか」
「あーー清隆くん!! アイスアイス溶けるアイス溶ける! 溶けるよアイス!」
「え? ……あっ」
危機一髪だ。なんというか、あらゆる意味で。
大振りに動いて、清隆くんの拘束から逃れる。地面に無事着地すると、サッと彼の手からアイスを抜き取り、結露が原因で水滴の滴るカップを適度に拭いて再び冷凍庫に戻す。
「いや〜手遅れになる前に気づけてよかったよ。凍らし直せば全然美味しく食べられるし、また夜に一緒に食べよう!」
「……そうだな。すまない、アイスの存在を忘れていた。ところで話は戻るが」
まだ続ける気か。
清隆くんに向き合っていたのから一変して、顔のみならず体ごと向きを変えてこれ以上話をする気がないことを暗黙で示す。部屋へと歩きながら「さぁご飯ご飯」と弾んだ声を出せば完成だ。
「そうだな。久しぶりに正座で話し合うか。議題は『葵の魅力とは』だ。性格から体格まですべてにわたって語り明かす。腹が減っては戦はできぬ、だ。ご飯を食べてから始めよう」
「な、なんて恥ずかしい議題名なんだ……正気とは思えない……」
「そうだ、正気ではやってられない。だが日和って現状維持をしているようだと葵の認識はいつまで経っても変わらないし、いつかどこかで……瓦解するのは目に見えている。ならオレは恥を捨てて挑むことにする」
「なんか小難しく言ってるけど、別にそれ恥捨ててまでやるようなことじゃなくない!?」
マジの顔をしてマジのトーンで言っている。戦慄した。暑さで頭がやられたとしか思えない。
アイスを買いに出かけた際の短い時間で、いまだ暑すぎる気温に不慣れな彼は軽率にバカになってしまったのだろう。私はいくらか部活で暑さ耐性ができたため、こんな風にバカにはならない。
謎のやる気に満ちている清隆くんに思わず怯むも、しかし怯んでばかりいられない。対抗せねば。いや、せめてもの正気に返ってもらわねばならない。それが仁義というものだ。
テキパキと夕食の準備をしている清隆くんに向かって、声を張り上げる。
「じゃあ私は『清隆くんの魅力とは』でプレゼン資料作ってくるけどいいの!?」
「なんだその恥ずかしいプレゼン資料名は……正気で言ってるのか……?」
「直前の自分の発言思い出してくれる!?」
夏の暑さで頭が沸いたとしか思えない。今完全に確信へと変わった。
売り言葉に買い言葉だ。お互い容赦なく睨み合う。
「……決戦は後日にしよう。準備が必要だからな」
「そうだね。やるならとことんだ。あとこういうのは振り切れば恥ずかしくない」
「同意する」
一旦揃って喧嘩腰を解除し、私はようやく腰を落ち着けカーペットの上に座る。清隆くんは清隆くんでキッチンの方へ行き、テキパキと食事の準備を始める。
今日の戦利品である賞状や水筒、タオルに道着が入った袋など、バッグの中身を逐一確認していく。何か忘れ物でもあったりしたらいけない。
キッチンから、おかずが盛り付けられたお皿を両手にして清隆くんが戻ってくる。
昨夜はゲン担ぎだとカツ丼を作ってくれた清隆くんだが、今夜は豚肉の余りを使ってシンプルにパン粉をはたき、油で揚げたトンカツのようだ。トンカツをメインにしてトマトや千切りにしたキャベツ、キュウリが添えられており、彩りも豊かなものだった。
目を輝かせて「わぁっ!」と歓喜の声を上げる。
「美味しそう〜! すごい清隆くん、お店みたいだよ! トンカツが黄金色に輝いてるのとか、初めて見た……!」
「本当は出来立てを作ってやりたかったんだが、帰ってくる時間がわからなかったからな……一応まだ作ってそんなに時間は経っていないから、温かいと思う。冷めないうちに食べてくれ」
目を輝かせるのもそこそこに、慌ててカバンを片付けて、私も食器の準備をしようと立ち上がる。お茶碗二つを持ってきた清隆くんにお礼を言いつつ、同じく箸やらコップやらを纏めて持って行く。
机の上でそれぞれを定位置に配置していると、お茶の水出しポットを持った清隆くんが部屋に戻って来て、コップに注いでいく。
二人で落ち着いて対面に座り、揃って手を合わせると、ようやく食事につく。
さっそくメインのトンカツを箸でつまんで齧り付く。サクサクの衣と、噛んだ端からじゅわりと染み出るしっかり味付けのされた肉の旨みに感動する。
「美味しい……」
ゆっくり咀嚼し、味わって飲み込む。
「野菜から食べた方がいいぞ。血糖値の上昇が抑えられて」
「本当に美味しいよ清隆くんッ! 衣はサクサクしてるしカツは噛んだら肉汁が溢れてくるし、それにこのタレって清隆くん作でしょ? 味噌が効いてて、その中で甘味や酸味が調和してる……天才だよ清隆くん! すごい! タレだけでご飯もいけそうなくらい美味しい! こんな美味しい料理食べられて私は本当に幸せ者だ、清隆くんはいいお嫁さんになれる、私が保証する」
改めて熱く感想を語る。さらっと言葉を遮ったのは事故であり、決して故意ではない。遮った自覚がありながらそのまま話し続けているのは、別に前も同じこと聞いたしいっかとか思ったからでもない。ないったらない。
後半では少々話がズレたものの、すべて間違いなく私の本音であり掛け値なしの褒め言葉だ。
言い終えたと同時に再度意気揚々トンカツに齧り付く。幸せいっぱいの顔をして味わいながら咀嚼する。
清隆くんが蕩けるような表情をして、喜色に瞳を彩りながら私を見ている。
「葵がいつも美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐があるんだ。これからも幸せにできるよう頑張る」
「もちろん私も頑張るよ! 出稼ぎは私に任せて」
実際プライベートポイントもクラスポイントも今日稼いできたので言葉の説得力が違う。
確かな実績があることで胸を張って自信満々にそう宣言すれば、清隆くんはおかしそうに、楽しそうにふにゃりと顔を綻ばせていた。
薄々お察しかもしれないですが、主人公は無類の麺好きだったりします(なお適度に制限されている模様)
番外編
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茶柱センセ
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佐倉
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一之瀬
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堀北
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櫛田
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伊吹
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平田
-
龍園