鶏が先か、卵が先か   作:楊枝

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ヒールはだーれだ

 授業中にも関わらずガヤガヤ煩い生徒たちを一切相手にせず、滞りなく先生は講義をしていく。この光景もここ数週間……もう3週間か。すっかり見慣れてしまった。今じゃ真面目にしている方が少数派だ。

 かく言う私もその少数派には入っている。後で責められる理由を作らないことに越したことはない。

 授業中平気で会話するキャピキャピ女子グループに、堂々と遅刻してくる須藤くん、に話しかける池山内。問題はこれだけではない。

 私語は当然として、居眠り、スマホ弄りなど、まあそれはひどいものだ。知っていたが実際目にすると普通に引く。高円寺くんが真面目に授業受けているのがバカみたいだろ!

 

 3時間目。茶柱先生が小テストを行うことを宣言し、ついにこの時が来たかと内心で覚悟を決めた。

 小テストの内容は遥かに簡単で、そして最後の3問はとんでもなくえげつない。もちろんスルーし、簡単な問題だけ解答欄を埋めた。

 あとは座して待つのみ。後にこの教室を包むであろう阿鼻叫喚も同じく、だ。

 

 

 

 朝から清隆くんと二人で作ったお弁当を食べ終え、私たちは何か飲み物が欲しくなり自販機に来ていた。其処にいたのは3バカである。

 並んでやってきた私たちを見て、なんというか、複雑な顔をした。代表して池が声をかけてくる。

 

「なあ、綾小路……お前、水元さんとは本当に付き合ってないんだよな?」

「なんだ急に。前にも言っただろ、付き合ってないぞ」

「そうだよ。付き合ってないよ」

「じゃあなんで手繋いでんの!?」

 

 あ。指摘されて手を軽く振って離した。

 

「ほら、手繋いでないでしょ」

「離すのが遅いわ!! 疑惑深めてる理由わかってんの!?」

 

 池のテンションがおかしくなってる。目を剥き出しにして掴みかかる勢いで清隆くんに迫っているのが面白くて、つい声をあげて笑った。

 ハッとした顔をし私を見れば、その顔にパッと赤が散る。そしてすぐに青くなった。清隆くんに向かって全力で首を振っている。

 

「違う違う違うからなッ! 何も思ってない! 何も!」

 

 清隆くんが挙動不審な池を見やってため息をついた。

 

「別に、何かしようとか思っていない。それより自販機に用事があるんだ。通してくれ」

「お、おう! 水元さんもごめんね!」

「全然。気にしなくていいよ」

 

 女子耐性のない池くんは女子を前にしたらすぐに顔を赤くするから、私を前にしてもよく赤くなっている。そして隣の清隆くんを見て顔を青くするまでがセットだ。何か脅されでもしているんだろうか。脅すことある?

 

 道を避けてくれた池の横を通り、自販機の前に立つ。順に見ていって、『弾ける炭酸ゼリー飲料! 上下に振って飲めるようになる不思議な飲み物』というのを見つけた。清隆くんにこれでいい? と確認し、首肯が返ってきたのでさっそく買う。

 ブンブン上下に振り回しながら頃合いを見てプルタブを持ち上げる。小気味のいい音がして蓋が開いた。

 ぷるぷるしたゼリーの食感……確かに炭酸が効いていてシュワッとする。味はブドウ味だ。なるほど、悪くないな。

 半分ほど飲んでから、清隆くんに缶を手渡した。受け取って清隆くんも口をつける。口に含んで一発目にくる炭酸に一瞬肩をビクつかせたが、その後は落ち着いたのか美味しそうにコクコク飲んでいた。

 

「悪くないな」

「ねー」

 

 3バカがすんごい目をして私たちを見てきていた。なんだなんだ、何かおかしなところでもあっただろうか。

 山内がどこか疲れたようにため息を吐いて、ボソボソ言った。

 

「俺、綾小路と水元さんに関してはもう何も言わねーわ……」

「それが正解だな……」

 

 池と山内がお互いの肩を慰め合うようにポンポンと叩いている。須藤も同情的な目線だ。

 私と清隆くんは揃って目を合わせ、不思議そうに首を傾げ合った。

 

 

 

 今日は部活がないため、まっすぐ帰路に着いた。清隆くんは池と山内に誘われて、放課後遊びに行くようだ。

 私も誘われたが、丁重に断って「やっぱりオレも行くのやめる」と手のひらクルーして言い出しかねない清隆くんの背を押しておいた。大方場の賑やかし要員として呼ばれたんだろう。清隆くんが賑やかせるかどうかは謎だが、友達付き合いは大事だ。私に合わせて帰る必要はない。

 

 一人部屋で落ち着いて、若草色のラグマットの上に座る。白いミニテーブルの上には作ったばかりのミルクティーがマグカップに入れて置いてあった。

 甘い飲み物を口に含み、ほうと息をつく。視線を流し、小さな窓枠から見えるまだ明るい空に目を細めた。

 鳥が飛んでいる。窓枠から見える範囲でしか存在を確認できないため、鳥はすぐに見えなくなってしまった。

 何もない空は綺麗で、少し、寂しいなと思った。

 

 

 

 

§

 

 

 

 

 5月最初の学校開始を告げる始業チャイムが鳴った。程なくして、手にポスターの筒を持った茶柱先生がやって来る。その顔はいつもより険しい。

 ついに来た、と内心でぼやいた。

 

「せんせー、ひょっとして生理でも止まりましたー?」

「これより朝のホームルームを始める。が、その前に何か質問はあるか? 気になることがあるなら今聞いておいた方がいいぞ?」

 

 池のセクハラ発言をさらっと無視して茶柱先生が話を進める。

 みんな戸惑いながらも、今月のポイントが振り込まれていない点についてザワザワと声を上げ始めた。今朝清隆くんと話したばかりだし、そもそも最初から事情を知っているので驚きはない。

 

 騒めく生徒たちを無言のうちに見渡し、茶柱先生がゆっくり口を開く。

 

「……お前らは本当に愚かな生徒たちだな」

 

 その後はトントン拍子で事態は進んだ。茶柱先生の嘲り混じりの説明、生徒たちの阿鼻叫喚、残された暗く重い沈黙。

 ポイントの説明を終えれば、今度は黒板に一枚の紙が張り出される。並ぶ数字がこの間したばかりの小テストの点数だとすぐにわかる者は何人いるのか。

 えーっと、私の点数と順位は……おっ60点ジャスト。順位はちょうど真ん中あたりに位置している。予想を外していなかったのでちょっと嬉しい。

 清隆くんは50点で私よりちょっと下にいた。今回も点数で遊んでいるみたいだ。

 

 茶柱先生と平田くんの応答、高円寺くんの演説を終えて、再び教室が重い沈黙に包まれる。その沈黙を破り、最後にまた茶柱先生が冷酷に言い放った。

 

「浮かれていた気分は払拭されたようだな。お前らの置かれた状況の過酷さを理解できたのなら、この長ったるいHRにも意味はあったかもな」

 

 話は続く。

 

「中間テストまでは後3週間、まぁじっくりと熟考し、退学を回避してくれ。お前らが赤点を取らずに乗り切れる方法はあると確信している。出来ることなら、実力者に相応しい振る舞いをもって挑んでくれ」

 

 ちょっと強めに扉を閉めると、茶柱先生は今度こそ教室を後にした。

 がっくりと項垂れる赤点組たち。チラと後ろを見れば、相変わらずの無気力な顔をした清隆くんがいる。その横で顔を青くして表情を強張らせている堀北さん。

 

 なるほど。前途多難だ。他人事のようにそう思った。

 

 

 

 平田くんが代表して話を進め、紆余曲折ありながらも一旦の落ち着きを見せたクラスメイトたち。

 時間は有限だ。今は朝のHRであり、もう少しすれば1限目が始まる。落ち着かざるを得なかったのもあるだろう。

 平田くんがひとりひとりの席を回っていて、私の席にもやってくる。

 

「放課後、ポイントを増やすためにどうしていくべきか話し合いたいんだ。水元さんも参加してくれるかな」

 

 ひひひ平田くんが私の名前を呼んでくれてる……! いややっぱりどうしてもテンション上がっちゃうな。平田くん好きだから仕方ない。

 テンションは上がったけれど、だからといって返事は難しいところだ。参加してもいいけど、でも清隆くんたち参加してなくなかっただろうか? それなら私も合わせて参加しない方がいいのかな、とか頭を悩ませる。

 う〜んと渋る様子を見せた私に、へなりと平田くんの形の良い眉が下がった。

 

「だめ、かな……?」

「全然行けます」

 

 ハッッ! 口が罪悪感とかときめきとかいろいろもろもろで勝手に!

 口を押さえる私の前で平田くんがパッと笑顔になった。

 

「ありがとう、水元さん! そんなに時間はかけないから、安心してほしい」

「はわ……はい……」

 

 返事じゃなくて意味不明言語が先に出ていることに私の機能停止っぷりを見てほしい。なんか目がハートマークになっている気がする。

 後頭部にはグサグサと視線が刺さっていた。平田くんが離れて行ってから、後ろを振り向いてその視線の主を確認する。

 清隆くんが半目になって私を見ていた。その瞳の奥、ぐらりと呑み込まれそうな闇が揺れて、目が合って離散する。……見間違い、だろうか……?

 すぐに目を逸らして前を向くのもあれなので、軽く手を振って笑っておいた。清隆くんがふっと口角を緩めて、同じように軽く手を挙げて振り返してくれる。

 いや〜やっぱり私は清隆くん派だな!

 

 

 

 

 時は経ち、放課後。平田くんは教壇に立ち、黒板を使って対策会議の準備を進めている。

 教室はほぼ満席だ。数名の男女を除きそのほとんどが参加して席を埋めている。改めて平田くんの凄さを窺える結果だ。

 

 ぼけーっとした顔で会議の準備が進められていくのを見守る。教室の後方では清隆くんが山内に絡まれ、その後櫛田さんと会話しているのが聞こえてきた。

 

「大変そうだね、ポイントを使い切っちゃった人たち」

「櫛田の方こそ、ポイントは大丈夫なのか? 女の子は色々必要なものがあるだろ」

「うーん、まぁ、今のところは、かな。半分くらいは使っちゃった。この一ヶ月自由に使い過ぎて来たから、ちょっと我慢するのは大変だけどね。綾小路くんは大丈夫?」

「交友関係が広いだけに、全く金を使わないって生活も難しいよな。……オレもいろいろ料理したり、部屋のインテリアを買ったりしていたから、そんなに多く残っているわけじゃないんだ。櫛田と同じか、それより少し多いくらいか?」

「へ〜! すごいね、男の子なのに料理って! インテリアとかも良いね、残る物だから」

「ああ。葵と一緒に料理したり、インテリアを買ったりしていたらいつのまにか部屋に物が増えていたな」

「へ〜……すごいね……」

 

 明らかに櫛田さんの声のトーンが変わった。引いてるよ。なんで?

 

 なおお互いの部屋に行き来しまくっているので、私たちはお互いが過ごしやすいように部屋をデザインしていたりする。私の部屋には若草色のラグマット、清隆くんの部屋には深青色のラグマットだったりと、色違いで揃えている物も多い。

 私たちの部屋に両方行くような生徒しか気づかない仕掛けだ。仕掛けも何も仕掛けたつもりは微塵もないが。

 でもインテリアを買うのも控えないとな……無駄遣いしたつもりはないが、入ったばかりの寮は必要最低限の物しか置いていなく簡素で、ついつい物を買ってしまった。しばらくポイントの支給はないし、あっても微々たるものだから使わないに越したことはない。

 

 今後のぼんやりした予定を考えていると、私の前に軽井沢さんがやってきた。へらっとした顔で軽く両手を合わせてポイントの譲渡を頼んでくるので、私も軽い態度で了承の返事をしてさっそく教えられた番号に振り込んであげる。可愛い子の頼み事は断れない。

 軽井沢さんが感謝もそこそこに次に譲渡を頼む相手の席へと向かった。それを見送ったところで、穏やかな効果音が校内放送で流れる。

 

『一年Dクラスの綾小路くん、水元さん。担任の茶柱先生がお呼びです。職員室まで来てください』

 

 お? ……そうか、やっぱりか。

 覚悟はしていたが、本当に私の名前も呼ばれるとちょっとドキッとしてしまう。校内放送は良くない。これで全校生徒に私の名前が広まってしまった。自意識過剰でも辛いものがある。

 

 清隆くんが私のところにやってきて、手を取った。

 

「呼び出しだ。行こう、葵」

「いややっぱりなんで私も呼ばれ……はい」

 

 渋々立ち上がって手を引かれるまま歩く。背中にクラスの重いような、生温かいような視線を感じながら、教室を抜ける。

 背後で「アイツら、フジュンイセーコーユー? していたから呼び出されたんじゃね?」という失礼な言葉が聞こえた。山内、アウトー! 退学!

 

 笑えない冗談を内心で繰り広げる。並んで歩きながら、清隆くんが首を傾げて私を見た。

 

「葵、呼び出された理由ってわかるか?」

「え〜……私たち、もしかしてお互いの部屋を行き来しすぎて呼ばれた……?」

「そんなの普通だろ。何も悪いことはしていないぞ」

「そりゃ悪いことはしてないけど……」

 

 なんか本当にそれで呼ばれた気がしてきた。時間は守っていたし、お泊まりダメとかマニュアルに書いてなかったよね……?

 二人で頭を悩ませている間に職員室に到着する。扉を開けて中に茶柱先生がいないのを確認すると、手っ取り早く清隆くんが扉から一番近い位置にいた先生に声をかけた。

 

「あの、茶柱先生居ます?」

「え? サエちゃん? えーっとね、さっきまでいたんだけど」

 

 星之宮先生だ! おお! 胸でかい。可愛い。お酒好きそう(?)

 一言二言交わし、私たちは廊下で茶柱先生を待つことになった。壁際に立ち大人しくしていると、ひょっこりと星之宮先生が廊下に出てくる。そして人懐っこく話しかけてくる。

 

「私はBクラス担任の星之宮知恵って言うの。佐枝とは、高校の時からの親友でね。サエちゃんチエちゃんって呼び合う仲なのよ〜」

 

 お〜! ぜひ茶柱先生がチエちゃんって呼んでるの聞いてみたいな。たぶん笑う。

 

「ねぇ、サエちゃんにはどういう理由で呼び出されたの? ねえねえ、どうして?」

「さあ。それはオレにもさっぱり……」

 

 私たちを観察するように上から下までジロジロと見ようとして、ある箇所に視線を定め、その顔がニヨ〜と笑みの形に歪んだ。

 

「手なんか繋いじゃって、二人はもしかしてカレカノなのかな?」

 

 おっと。慣れたように軽く手を振って繋いでいた手を離した。

 

「何言ってるんですか?」

「え……? 君が何言ってるの……? それで誤魔化してるつもりだったら私心配だよ……?」

 

 ガチトーンで心配された。ちょっと傷つく。

 星之宮先生が調子を取り戻すようにコホンと一度咳をし、改めて絡んできた。

 

「そ、れ、で! 君たちの名前は?」

「綾小路、ですけど」

「水元です」

「そっかそっか。綾小路くんに、水元さんね。二人とも初々しいカップルね〜可愛い〜」

「カップルじゃありません」

 

 即座に否定するが、信じてくれたかどうか怪しい。というか、十中八九信じていない。そういう目だ。面白がっているから余計にタチが悪い。

 

「え〜? じゃあ手を繋いでいたのはどうして? ねえねえ、どうして?」

 

 全く嫌な先生に当たったものだ。可愛いのにしつこいとは、プラマイゼロだぞ! もっと別のことで絡んできなさい!

 ため息を吐きつつ、こういう時に決まって言うセリフを今日も今日とて口にする。

 

「私たち、幼馴染なんです。これくらいの距離感でいたから、つい癖でやっちゃうんですよ」

「ほんとかな〜?」

「本当です」

 

 顔を覗き込まれる。ニヨニヨと楽しそうに笑っているところ悪いが、背後にクリップボードを掲げた鬼がいるぞ。

 タイミング良く凶器は振り落とされ、スパンッと響きの良い音が鳴り目の前で星之宮先生の頭がしばかれた。星之宮先生がその場で蹲る。

 

「何やってるんだ、星之宮」

「チエちゃんって呼ばないんですか?」

「コイツらに何を言った、星之宮」

 

 額に青筋が浮かんでいる。星之宮先生が涙目になりながら声を上げた。

 

「いったぁ。何するの!」

「うちの生徒に絡むな。あと変なことを言うな」

「サエちゃんに会いに来たって言ったから、不在の間相手してただけじゃない」

「放っておけばいいだろ。待たせたな、綾小路、水元。ここじゃ何だ、生活指導室まで来て貰おうか」

「いえ、別に大丈夫ですけど。それより指導室って……オレたち何かしました? これでも一応目立たないよう学校生活を送ってきたつもりなんですけど」

「ほぉ……お前たちの噂は職員室にまで届いているぞ? あれで目立っていなかったつもりか?」

「え、やっぱり私たちそれで呼び出されたんですか!?」

「……今はその話はいい。とにかく、ついてこい」

 

 茶柱先生が先を行く。仕方ないのでついて行こうとして、星之宮先生がニコニコしながら後をついてきていた。それに気づいて、茶柱先生が鬼の形相で振り返る。

 

「お前はついてくるな」

「冷たいこと言わないでよ〜。聞いても減るものじゃないでしょ?」

 

 私たちを挟んで喧嘩するのやめてほしい。

 星之宮先生は背後に立っているから、浮かべている表情は見えない。それでもビリビリとした空気が伝わってきて、一触即発なことはわかった。

 聞こえた単語にため息を吐きたくなる。下克上、か。

 しつこく食い下がってついてこようとする星之宮先生だったが、それも一人の女子生徒が現れたことで流れが変わる。そして私の心臓も跳ね上がった。動悸が怒涛の勢いでドキドキし始める。

 

「星之宮先生。少しお時間よろしいでしょうか? 生徒会の件でお話があります」

 

 ……かッ……可愛い……。

 

 茫然と女子生徒を見つめる私の前で手をかざし、軽く振って見せて、反応がないことを確認してから清隆くんが私の手を取る。

 

「行きましょう、茶柱先生」

「お、おう……大丈夫か、水元は?」

「大丈夫だと思います」

「ならいいんだが……おい、お前にも客だ。さっさと行け」

 

 茶柱先生が星之宮先生のお尻を雑にクリップボードで叩いた。頰を膨らませ、けれど客がいるのは本当なので大人しく引き下がった。

 

「も〜! これ以上からかってると怒られそうだから、またね、綾小路くん、水元さんっ。じゃあ職員室にでも行きましょうか、一之瀬さん」

 

 びゅーてぃふぉー……一之瀬さん……。

 

 良いものを見れた、と輝くような満面の笑みになる。清隆くんが私をジッと見て、手を引いて歩いた。

 茶柱先生の後に続き、程なくして指導室に着く。中に入って椅子に座らせてくれるわけでもなく、すぐに給湯室に清隆くんと揃って押し込められる。

 

「お茶でも沸かせばいいですかね。ほうじ茶でいいすか?」

「ばっか、日本人は黙って緑茶だよ! 茶柱も立つし! ですよね先生」

「今すぐ黙れ。余計なことはしなくていい。黙ってここに入ってろ。いいか、私が出てきて良いと言うまでここで物音を立てずに静かにしてるんだ。破ったら退学にする」

「え、めっちゃ理不尽……」

「聖職者としての態度かアレ?」

「黙れ。それ以上口を開くな」

 

 思い切り給湯室のドアが閉められる。明かりもついていない部屋の中で清隆くんと目を合わせた。

 

「嫌な予感がするな」

「私は校内放送の時点で帰りたかったよ」

 

 腕を広げられてため息を吐きながら中に入る。今後のことを思うと頭が痛い。ため息をつかないとやってられない。

 慣れた体温の中で人心地つきつつ、グルグル頭を悩ませていると、程なくして指導室のドアが開く音がした。

 その人物は決まっている。

 

「まあ入ってくれ。それで、私に話とは何だ? 堀北」

 

 まあ堀北さんに決まってますよね…。

 知っている会話が扉の向こう側で繰り広げられる。舌戦にもならない、この場合どこまでも正当で正義なのは茶柱先生の方だ。堀北さんの圧倒的不利は変わらない。それでも噛み付くのは堀北さんのすごいところだ。

 茶柱先生が堀北さんとの応答の中で、意味深なセリフを言う。

 

「Dクラスにもいると思うがな。低いレベルのクラスに割り当てられて喜んでいる変わり者の生徒たちが」

 

 完ッ全に私たちのこと言ってんだよな。

 

 応答は終盤を迎え、堀北さんが怒りもそこそこに指導室を出て行こうとする。そうだそうだ、そのまま出て行ってしまえ。それで三人で今度こそちゃんと話しましょう、茶柱先生。茶柱先生?

 

「出て来い綾小路、水元」

 

 神はいなかった。

 

「………だって、清隆くん。呼ばれてるよ?」

「奇遇だな。葵も呼ばれてるぞ」

「出てこないと退学にするぞ」

「「はい」」

 

 すごすごと給湯室の扉を開ける。堀北さんが私たちの姿を目に留めて、当然驚き戸惑っていた。

 

「私の話を……聞いていたの?」

「清隆くん、話聞こえてた?」

「聞こえなかったよな。壁厚いし」

「だよね〜」

「そんなことはない。給湯室はこの部屋の声が良く通るぞ」

 

 逃がしてくれる気は毛頭ないらしい。堀北さんの顔が歪んでいく。

 

「……先生、何故このようなことを?」

「必要なことと判断したからだ。さて綾小路、水元。お前たちを指導室に呼んだワケを話そう」

 

 自分の疑問が流され、堀北さんが首を軽く振って部屋を出て行こうとする。すかさず茶柱先生が声をかけた。

 

「待て堀北。最後まで聞いておいた方がお前のためにもなる。それがAクラスに上がるためのヒントになるかもしれないぞ」

 

 当然堀北さんは出て行くのをやめ、もう一度椅子に座り直した。

 私からしたらすべて茶番でしかない。

 

「手短にお願いします」

 

 茶柱先生がニヤニヤと笑っている。クリップボードと、清隆くんと、私。意味深にゆっくりと交互に視線を移す。

 

「お前たちは面白い生徒だな、綾小路、水元」

「清隆くんは面白いとしても、私はそんなことありません。誤解しないでください」

「待て葵、オレを売る奴があるか。先生オレは面白くありません、面白いのは先生の茶柱という苗字の方です」

「全国の茶柱さんに土下座してみるか? んん?」

 

 面白いのなすりつけ合いである。なんて醜い争いなんだ。

 自分から始めたことは棚にあげ、なんとか活路を見出そうとする。茶柱先生は容赦なくその路を塞いだ。

 

「入試の結果を元に、個別の指導方法を思案していたんだが、綾小路のテスト結果を見て興味深いことに気がついたんだ」

「やっぱり私関係なくないですか?」

「水元は少し待て」

 

 さらっと流される。ダメだ、逃がしてくれる気配がない。だって私は本当に目立ったところがない生徒だぞ。

 茶柱先生が見覚えのある入試問題の解答用紙をゆっくりと並べていく。

 

「国語50点、数学50点、英語50点、社会50点、理科50点……おまけに今回の小テストの結果も50点。これが意味するものが分かるか?」

「偶然って怖いっスね」

 

 その言い訳は無理がある。やっぱり私関係なくないですか? 私は真面目にちゃんとバラけた平均点取ったはずだよ? 清隆くんみたいに遊んでないよ?

 堀北さんが食い入るようにテスト用紙を見て、清隆くんに視線を向ける。茶柱先生はおかしそうに目を細めた。

 

「ほう? あくまでも偶然全ての結果が50点になったと? 意図的にやっただろ」

「私帰っていいですか?」

「オレを置いて帰るな。……偶然です。証拠はありません。そもそも試験の点数を操作してオレにどんな得があると? 高得点を取れる頭があるなら、全科目満点狙ってますよ」

 

 ぐっと手を掴まれて逃げられなくされる。敵は二人いた。

 茶柱先生が呆れたようにため息をついた。どの点に関してため息をついたのかわからない。

 

「水元。お前はあくまで自分は特別なことをしていない、と言うんだな」

「当たり前ですよ。私ほど平凡な人間はいません。神に誓えます」

「なら、今からお前の解答用紙も並べよう」

 

 今度は私の解答用紙が並べられていく。……よく見たけれど、何もおかしなところはない。点数だってうまくバラけている。清隆くんみたいにわかりやすく変な点数を取っていない。

 

「ここで入試問題の平均点を挙げよう。国語60点、数学54点、英語58点、社会68点、理科61点。そして、今回の小テストの平均点は60点。……意味がわかるか?」

「……マジで?」

「…………まさか、狙ったわけじゃないのか?」

 

 冤罪だ。これは立派な冤罪だ! 勝訴! 勝訴!

 

「こんなバラバラで狙って取れるわけないでしょ! 私は予知者か何かですか?」

 

 ひどい言いがかりだ。私は真面目に平均点を狙っただけだ。そんなジャストで当てる気なんてさらさらなかった。これこそただの偶然という言い訳が使える事象である。

 

 茶柱先生が顎に手を当て、しばらくした後に「……ふむ」と一度頷いた。あ、流したな。と直感した。

 

「お前は実に憎たらしい生徒のようだな。いいか? この数学の問5、この問題の正答率は学年で3%だった。が、お前は前の複雑な証明式も含め完璧に解いている」

「見て! 見てください! 解けてない! 私それ解けてないですよ!」

「一方、こっちの問10は正答率76%。それを間違うか? 普通」

「間違えてない! 私間違えてないです! ちゃんと正解してますほらぁ!」

「世間の普通なんて知りませんよ。偶然です、偶然」

「なんでみんなそんな話聞いてくれないの?」

 

 唯一は堀北さんが同情的な視線を寄越してくれることだけか。救いはここにしかない。

 堀北さんが清隆くんの解答用紙を見下ろす。

 

「あなたは……どうしてこんなわけのわからないことをしたの?」

「ほんとそれ」

「葵はオレの味方をしろ。いや、だから偶然だっての。隠れた天才とか、そんな設定はないぞ」

 

 茶柱先生がニヤニヤ笑っている。

 

「どうだかなぁ。ひょっとしたらお前よりも頭脳明晰かも知れないぞ堀北」

 

 こっちに関しては私のことはフル無視することにしたらしいな。自分のミスを認めないとか幼稚園児ですか? 幼稚園児でも認めるよ。茶柱先生は赤ちゃんかな?

 

「勉強好きじゃないですし、頑張るつもりもないですし。だからこんな点なんですよ」

「この学校を選んだ生徒が言うことじゃないな。もっとも、お前たちの場合、高円寺のように、DでもAでも良いと思えるような、他の生徒とは異なる理由があるのかもしれないが」

 

 ここで急に私も含められてビクッとしてしまった。清隆くんも繋いだ手に一瞬力を込める。

 あくまでも自然に真っ直ぐ茶柱先生を見据え、清隆くんが問いかける。

 

「何ですか。その異なる理由って」

「詳しく聞きたいか?」

 

 誘導されている。……わかっていたことだが、実際耳にすると驚いてしまうものだな。

 彼女は詳しいことは知らないとはいえ、今、パンドラの箱を覗いている。その箱は決して開けてはならないものだ。

 

 清隆くんがふうと息をついた。やれやれ、なんて風に体裁を取り繕う。

 

「やめておきます。聞くと突然発狂して、部屋の備品という備品を破壊しそうだ」

「その時は私も手伝うよ、清隆くん」

「ありがとな葵」

「そうなればお前たちはEクラスへ降格だな」

 

 マジで手伝わせてくれ。なんなら今から暴れる? それで今の会話の流れぐだぐだにしちゃう?

 

 

「Eクラスってのは、イコールExpelled。退学ってことだ」

 

 

 降ってくる容赦のない言葉に、今ほどニヤニヤ笑いが憎らしいと思うことはないんだろう。

 

「私はもう行く。そろそろ職員会議の始まる時間だ。ここは閉めるから三人とも出ろ」

 

 言いたいことだけ言われ無遠慮に暴かれて、私たちは満身創痍だ。背中を押され廊下に放り出されて傷心にもなる。

 

 とりあえず、話が終わったことに変わりはない。ゴリゴリに精神を削られたが、イベントは過ぎ去った。帰ってすぐ精神療養に努めよう。

 

「帰ろう、清隆くん……」

「お、おう……おつかれ……」

「待って」

 

 並んで帰ろうとする私たちの背中に堀北さんの声がかかる。チラと振り返り、私には関係ないことだと先に帰ろうとして、繋がれたままの手が離されないことに気づく。どうやら敵はまだ潜伏していたらしい。

 

「さっきの点数……本当に偶然なの?」

「私は偶然だよ。マジで」

「オレもだわ。それに意図的だって根拠もない」

「清隆くんは黙っててくれる? 私の偶然だって主張の信憑性薄れるでしょ」

「ひどい言われようだ……」

「……根拠はないけれど……綾小路くん、少しわからないところがあるし。事なかれ主義って言ってるから、Aクラスにも興味なさそうだし」

 

 私を置いて話は進むわ進むわ。私の出る幕などないし、出るつもりももとよりない。

 とりあえず、私が取った奇跡の平均点ジャスト解答用紙は、ちゃんと偶然だって信じてもらえたと見ていいか。実際本当に偶然だし、本当勘弁してほしい。

 ポケーッとしながら二人の会話が終わるのを待つ。先に帰りたいが、手を掴まれている以上そうは問屋が卸さない。いつものように軽く振って離せる程度の力だったらよかったのに、どれだけ私と離れたくないんだよ。赤ちゃんかな?

 

 堀北さんが清隆くんに協力をお願いしている。清隆くんは嫌そうだ。

 でも私は知っている。彼は堀北さんに協力するし、強力な駒に仕立て上げる。……はっ、今すごい綺麗なダジャレ言えてたんじゃね?

 

 私がダジャレの出来に人知れず感動している間に会話は終盤を迎えたようだった。

 

「悪いが、やっぱり協力はできない。オレ向きじゃないよ」

「じゃあ、考えがまとまったら連絡するから。その時はよろしく」

 

 見事にスルーされている。哀れ清隆くん。

 プププと笑っていると、堀北さんがこっちに顔を向けた。

 

「水元さんもよろしく」

「ゑっ?」

 

 急に矛先を向けられた私は一言も何か反論する間がなかった。

 

 ……二人で堀北さんが颯爽と去って行く背中を見つめる。ついに背中も見えなくなり、廊下に私たち以外の存在がいなくなったとき。

 

「……葵」

「……なぁに、清隆くん」

 

 

「どう思う」

 

 

 動きを止める。彼の背後に広がる空は落陽に差し掛かり、青と赤と宵、三つの境界線を曖昧にしている。

 

 果たして今、彼から見た私の瞳は何色を宿しているのだろうか。

 

 

「まだ確信には至っていない。なら、手出しはできないよ。違う?」

「……ああ。そうだな」

「そんなことより、帰ろう。清隆くん」

 

 

 踵を返す。繋いだ手はお互いに離さない。

 

 

 記憶を上書きするほどの鮮烈な衝動が本来のものであるなら、ならば今目の前の彼は。

 

 

 

 

 ………なるほど、確かに。これはとんだヒールの役割だと、苦い顔をした。

 

 

 

 

 

 

 


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