鶏が先か、卵が先か   作:楊枝

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櫛田さんと綾小路くんの屋上に続く階段でのひととき



劇的アイロニー

 

 

「今ここで、あんたにレイプされそうになったって言いふらしてやる」

「冤罪だぞ、それ」

「大丈夫よ、冤罪じゃないから」

 

 櫛田は壁に追い詰めた男に手を伸ばす。先の発言を事実にするためだった。

 

 

「───やめろ」

 

「ッ……!」

 

 

 掴もうとした手はしかし、いつのまにか雑に跳ね除けられていた。痛くはない、が、乾いた音とともに衝撃が走ったのは言うまでもない。

 

 弾かれた手を胸の前で抱えるように持つ。淡々とした瞳でこちらをただ見下ろしているだけの彼に、一瞬恐怖を覚えた。

 その恐怖を覆い隠すように怒りに塗り替えて目を吊り上げ、キツく睨みつける。

 

「なにするの」

「それはオレのセリフだ。今、オレに何させようとしたんだ」

「別になんでもいいでしょ」

「レイプ、冤罪じゃない………考えられるのは大方、オレにお前への身体的な接触をさせようとした、か。胸でも触らせようとしたのか?」

「へえ……よくわかるね。だから?」

 

 お互いに無言で見つめ合う。片方は殺人でも犯したかのような暗く鋭い目なのに対し、もう片方は人への興味を極限まで失っているかのような無気質な目だ。冷酷とも違う、ただ本当に目の前の事象に興味がないだけだとわかるからなおさら、櫛田はその薄気味悪さに口を歪めた。

 

「ハッ……ほんと、きっしょくわるい男。他人に無関心なくせに、一人だけ異常に視界に入れたがる。側に置きたがる」

「……突然何を言ってる」

「自覚もないときた。最高ね」

 

 最大限に嘲りを込めて不遜に笑ってやる。目の前の男の表情が先ほどとは異なり、どこか困惑した様子を見せるのが少しだけ愉快だった。

 

 笑うだけでそれ以上櫛田は何も告げるつもりがないとわかり、男が───綾小路が話を戻す。

 

「お前はオレが今見たことを話すかもしれないと警戒して、もしもの場合を考えてこっちを脅す物証を求めている。そうだな」

「そうよ。じゃないと安心できない」

「じゃあ脱げ」

「…………は? いきなり何。頭いってんの? 脱ぐわけないでしょこのド変態野郎」

「……間違えた。違う、上着だけでいい。言葉が足りなかったな、悪い」

「きっも」

 

 訝しみながら上着だけを脱ぎ、櫛田が再度綾小路を睨み上げる。綾小路はその視線を意に介さず上着を受け取り、数秒観察してから胸元付近を握り込んだ。

 その行動に意表を突かれたのは櫛田だ。呆気に取られた顔をして、呆然と綾小路の珍行動を見ている。

 

「……なにしてんのよ」

「お前がお望みの証拠を快く提供しようとしてるだけだ」

 

 櫛田は差し出された上着を引ったくりたい気持ちを抑え、ゆっくりと受け取る。慎重に上着を羽織り、落ち着けばまた綾小路を睨みつけた。

 

「……一体どういうつもり? 自分から脅される材料を作るなんて」

「今のお前は何をしでかすかわからない。最悪オレに飛びかかりでもしそうだ。階段という不安定な場所で襲い掛かられたら、二人揃って大怪我だぞ。それを未然に防ぐため行動しただけだ」

 

 櫛田もこんな不安定な場所で襲い掛かるほど後先を考えない馬鹿ではない。遠回しに馬鹿にされているように感じ、綾小路を見る目に憎悪に近い嫌悪感が滲む。

 その目を見て櫛田が何を思ったのか気づいた様子で、綾小路は慌てたように手を振って否定の意を示した。

 

「ち、違うぞ。櫛田を馬鹿にしたわけじゃない。ただ、今のお前は焦っているように見える。オレに胸を触らせようとしたのだって、衝動的だったんじゃないか?」

「……まあ……少し慌てていたのは本当かな。でも、なら、そんな風に私が胸を触らせるってわかってたなら大人しく受け入れてもよかったんじゃない? せっかくの機会じゃん」

「つまり櫛田は男に平気で胸を触らせるビッチ認定ってことでよろしいか?」

 

 突如綾小路の太腿に衝撃が走った。体がふらつき、慌てて手すりに捕まる。

 

「危なっ! 落ちたら怪我するぞ!」

「バカ言うからだよ!」

 

 櫛田は怒りで顔を赤くし、噛みつく勢いで綾小路を怒鳴りつける。体勢を整えた綾小路が居心地悪そうに頭を軽く掻いた。

 

「……あまり……触られたくないんだよ。本当にお前を馬鹿にしたわけじゃないんだ。ちょっと誤魔化そうとしたけど……」

「わかってる。あんた、潔癖症のきらいもあるよね。というより、他人から触れられるのが嫌なタイプ? ことごとく私との接触避けてくれちゃって」

「……潔癖症なのか。オレ」

「………まさか、その自覚もなかったわけ?」

 

 櫛田は一瞬唖然として、すぐに呆れた顔をした。首を軽く振って面倒くさそうにため息をつく。そして「薮はつつきたくないんだよね」と小さくぼやいた。

 

「……? 薮……?」

「こっちの話。あんたには全然関係ないから」

 

 バッサリ切り捨てる。綾小路は詳しく話を聞きたそうにしていたが、櫛田は視線を外していていくら見ていても目が合いそうにないのがわかった。加えて彼女自身も綾小路を拒絶している空気を前面に醸し出している。

 譲ってくれそうにない雰囲気にそれ以上の追及を諦め、綾小路が改まったように尋ねる。

 

「なあ櫛田。どっちが本当のお前なんだ?」

 

 ……至極面倒くさい質問だ、と櫛田は内心で舌打ちをした。いやたぶん表にも出ていた。綾小路が一瞬肩をビクつかせたのが見えたからだ。

 櫛田からしたらどっちを聞かれても面倒くさいことに変わりはないが、しつこく尋ねられるならこちらの方が幾ばくかマシだろうか、と冷静に判断する。

 

 まあ、だからといって素直にその質問に答えましょうなんて一言は絶対に口にしないが。

 

「そんなこと、あんたには関係ない」

「そうだな……。ただ、今のお前を見てどうしても気になった。堀北のことが嫌いなら自分から関わる必要はないだろ」

「誰からも好かれるよう努力することが悪いこと? それがどれだけ難しくて大変なことか、あんたに分かる? 分かるわけないよね?」

 

 嫌いな女の名前が出ても、不愉快になるだけでそれ以上もそれ以下もない。ただ腹立つことには変わりはないので、憂さ晴らしも兼ねて会話の途中で吐き捨てるように言ってやる。

 

「この際だから言っておくけど、あんたみたいな暗くて地味な男、凄く嫌い」

「そうか。残念だな」

 

 残念だと本当に思っているなら多少は態度に出るだろ。

 

 ぶっちゃけトークをしてやったというのにこんな薄い反応が返ってくるのだから、櫛田は余計に気が立った。気に食わない。さすがMr.無関心男、なんていつも内心で呼んでいた渾名を今日も頭の中で思い浮かべる。

 しかし同時に、その誰にも向かない代わりに唯一人に集中している執着を考えると、まあ妥当というか、少し胸がすく心地がする。これは馬鹿にしているという意味で。

 

 会話は続く。堀北堀北と煩くて、櫛田は次第に苛つきが増していく。綾小路の追及、それに基づく疑問があながち外れていないどころか、極めて正確に的を射ているからだ。

 さっさとこの時間を終わらせたくて、強引に話を端折る。

 

「もういい、黙って。これ以上綾小路くんと話してるとイライラしてくるから。私が言いたいのは一つだけ。今ここで知ったことを、誰にも話さないって誓えるかどうか」

「約束する。それに、もしオレがお前のことを話しても誰も信じないさ。だろ?」

「……水元さんは、わかんないよ」

「葵にも言わない」

 

 櫛田がじっと真っ暗な瞳で綾小路を見つめる。しばらく経って、低い声で言った。

 

 

「……わかった。綾小路くんを信じる」

 

 

 一度目を閉じる。ゆっくりと息を吐いて、心臓を、煮えた頭を落ち着ける。

 

「オレを信じられる要素なんてあるのか?」

「………綾小路くんってさ、余計なこと言わないと生きていけないタイプの人?」

「すまん、つい……」

 

 櫛田がギロッと綾小路を睨みつけるも、それで引き下がるようならそもそも聞いてこないだろう。

 逡巡して、ゆっくりと口を開く。堀北の性格上、誰彼構わず心を許さないこと。綾小路からは即座に「心は絶対許してない。絶対にだ」と返ってきたが、この際そこはどうでもいい。

 櫛田にとって嫌いな女の名前を出してまでこの話をしたのは、あくまで蛇足に過ぎない。綾小路が聞きたいのは、どうして己が信用に値したのか、その理由だ。先にした話はカモフラージュのようなものだった。さて、どうしてカモフラージュをする必要があるのか。

 

「私、人を見る目はあるつもりなんだよ」

 

 櫛田には綾小路を絶対的に信用できる材料は確実に一つある。しかしそれもまた、諸刃の剣であることには違いはないだろう。

 

 つまり、藪をつつかないに越したことはないということだ。

 

 

 

 

 聞きたいことを聞き終え、綾小路は満足したのか櫛田へのそれ以上の追及の手をようやく止めた。櫛田も会話しているうちに普段の自分と遜色ないくらいにまで落ち着き、「ちょっと待ってて」と言えば階段を上がって鞄を取りに戻る。

 綾小路のもとまで再度やってくると、いつものように、まるで天使のような裏表のない満面の笑みで言う。

 

「一緒に帰ろっか」

「あ、ああ」

 

 綾小路は櫛田の早変わりに少し面食らったように返事を詰まらせたものの、素直に二人で並んで帰路についた。

 

 二人で並んで帰っているその道中、櫛田はふと魔が差した。悪戯心とは違う。私に散々嫌な質問責めをしたんだから、それなら綾小路も同様に何か悩み苦しめばいいと思った。いや……悩み苦しむのではなく、少し路線を変えてみて……。

 薮をつつくのは本意ではない。だから、あくまで抽象的に、本人が勝手にぐるぐるとどん詰まりになるように。

 

 

「可哀想だね」

 

 

 会話の流れを一旦ぶった切る。綾小路が眉をひそめてこっちを見る。

 

「急になんだ?」

「あんたたち、たぶん碌なことにならない」

「……? たち、か? オレだけじゃなく?」

「私、さっきも言ったけど。人を見る目は確かなんだよ?」

 

 綾小路の疑問には一切答えない。櫛田は口元だけで痛ぶるように笑ってみせて、一片の笑みも滲まない鋭い目で綾小路を見た。

 しかし、それも一瞬のことで、先の表情はすべて幻だったみたいに弾けるような明るい笑顔に塗り替わっている。

 

 

「じゃあね、綾小路くん。また明日っ!」

 

 

 可愛らしく手を振って寮で別れる。後ろから視線を感じていたが、振り向くわけがない。

 櫛田は早々に頭の中から先程の会話を、そこで巡らせた考えを切り捨て、明日の予定について思いを馳せた。

 

 

 そうだ、明日はみーちゃんたちとお出かけする予定があったんだ。着ていく服を今日の夜のうちにちゃんと選んでおかないとっ!

 

 

 

 

 

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