舞踏会に彼岸花は咲く   作:春4号機

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序章
【来訪】


19世紀・霧の都。

 

そこは権謀術数と欲望渦巻く魔都。様々な思惑が交錯し、事実を歪めながらも密やかに暗躍し続ける街。

ある者は言う、霧が深い夜は家から出るな。

ある者は言う、安息の内に終わりたければあの街に深入りするな。

そしてまたある者は言う。あの街には何かが居る、と。

 

 @ @ @

 

某日・深夜1時頃。

 

既に夜も更けていた。住人たちは営みを終え、石造りの建物の中に灯る明かりも既にまばらになっている。そんな深い深い霧に覆われた石畳の道を、馬車が騒音染みた音と嘶きを響かせながら疾走していた。

手綱を操る男は、何かに追われているかのように半狂乱状態となっている。

事実、その馬車は何者かに追われていた。追う者は馬車ではない、獣でもない……しかし決して人間でもなかった。正体不明の追跡者という恐怖に御者は支配されかかっていた。

それは乗っている老人も変わらないらしい。老人は既に何度目かになるかもわからない怒号を御者に向かって飛ばしている。

 

「オイ!いつになったら辿り着くんだ!早くしないか!できないならさっさとアレを振り切れッ!」

「出来るならどっちもとっくの昔にやってんだよ!ただ乗ってるだけの奴が偉そうに言うな!」

「貴様ッ!誰に向かってそんな口をきいている!ここを生き延びたらお前もアレも牢屋にぶち込んでやるから覚悟しておけ!」

「ッ!」

 

背後から浴びせかけられる大音量の怒号の数々、そしてずっと彼らの乗る馬車を走って追跡してくる存在。それらの要因が重なっていたためか、それとも延々と続く一種の極限状態のためか……御者の精神は限界に達した。

 

「……そうかよ」

「あ?」

 

御者は小さく吐き捨てるように呟いて、先ほどまで荒ぶっていた馬を巧みに操って制止させた。それから御者はひどく落ち着いた様子で大きくゆっくりと息を吸い、吐き出して呼吸を整えている。

……それまでの時間は、ものの数分にも満たなかった。中にいる老人からすれば、急な動から静への移り変わりに何が起こったか一瞬理解できなかっただろう。

 

「おい、何故急に馬車を止めた」

「もうウンザリなんだよ」

「は?」

 

御者は手綱を放棄し馬車を降りた。中の老人は呆然とソレを見守ることしかできない。その様子をちらりと一瞥し、御者は降りて来ようともしない老人に対してため息を吐いてから言葉を吐き捨てる。

 

「このまま逃げ続けたって、どうせ俺もアンタも助からない。……だったら!」

「なっ!待て!!」

「アンタを犠牲にしてでも俺は生き延びてやる!」

 

馬車を降りた男は、単身走って細い路地の中に入っていった。

……残されたのは馬車と、その中で未だに呆然とする老人だけ。

 

そして、ほどなくしてそれは追いついてきた。

獣のような唸り声と、相反する石畳を踏みしめるような硬質な靴音。そして、小さく聞こえる笑い声のような息遣い。

馬車ではない、獣ではない、しかしその眼は人間と呼ぶにはあまりにも狂気に満ちていた。

何も知らぬものが見れば、瞬時に冷静な判断を奪われるような禍々しい瞳。

中の老人は不運にもそれを見た。己の眼でしっかりとそれを認識した。そして、その瞬間に悟ってしまう。

__自分はもう助からないのだと。

 

「や、やめろ!来るな!こっちに来るんじゃない!私を誰だと思っている!この化け物めッ!」

 

人の形をした人ではない何かに、人語が通じる故もなく……老人の叫びは夜霧の中に消えていった。

 

……翌日、”連盟”の一角を担うベリエード家の当主が帰宅途中に何者かに惨殺されたという事件が発覚した。

 

 @ @ @

 

「はぁ……やっと着いた。」

 

少女は街の入り口にたどり着いた。

彼女の名前は川崎沙耶。遥か極東の島国から、とある縁を通じて街へと招待されてきた少女だ。

船旅にして数日、そこから更に陸路を使用して彼女はこの霧の都に辿り着いた。旅の目的はこの街に住んでいるという友人に会うためだ。

 

あらかじめ取り決めていた場所、そこに川崎沙耶を街に招いた人物が立っている。

 

「沙耶、こちらです。ようこそ我が霧の都へ」

 

艶のあるウェーブ掛かったきらめく金の髪に、豪華絢爛を全身で表すかの如き青を基調としたドレス。一目で只者ではないと分かる雰囲気を醸し出し、周囲に数人の付き人を従えて仁王立ちで待ち構えている女性がいた。

この街が自分のモノだとでも主張するような堂々とした立ち姿。貴族特有の気品を漂わせながらも、凛とした気高さを持ち合わせる彼女の名前はヴィアナ。ヴィアナ=フェリエット。

この町を事実上統治し、守護する役割を担う”貴族連盟”。若くして一族の当主を襲名し、その”連盟”の中枢を担う一人となった霧の都における指折りの権力者の一人である。

 

「まったく、待ちくたびれましてよ?予定ではもう2時間ほど早く到着するはずだったのでは?」

「ごめんねヴィアナちゃん。乗ってた列車の中でちょっとした事件が起きちゃって……」

「あぁ……そういうこと。貴女のことですから負傷者の治療でもしていたのでしょう?お人好しも程々にしておかないと厄介ごとに巻き込まれましてよ?」

「うん、ありがとう」

 

ヴィアナは相変わらずな異国の友人の様子に肩をすくめて苦笑した。それは呆れから来る苦笑ではなく、慈愛の感じられる友好的な意味合いのものだった。

ヴィアナと沙耶が知り合ったのは今から約1年前。

この霧の都から遠く離れた極東の地において、ヴィアナとその宿敵ともいえるライバルの諍いに巻き込まれたことがきっかけだった。今となっては互いに笑い話にしているが、当時の沙耶は相当な心労を味わったのである。

 

「それでヴィアナちゃん?私は何をすればいいのかな」

「特に何も。招待するときに言ったでしょう?貴女とは彼女抜きで一度ゆっくり過ごしてみたいと。今回貴女を呼んだのはそういう理由ですわ」

「……。なんていうか、相変わらず強引だよね。」

「あら、嫌い?」

「ううん。そういうヴィアナちゃんも私は好きだよ。」

 

しばらく談笑に花を咲かせ、少女たちは笑みをこぼす。暖かな日の光が降り注ぐ昼下がり。

友人と笑いあいながら沙耶はゆっくりと街の中に進んでいく。今日から約1ヶ月程度ではあるが、ここが彼女が滞在することになる新しい土地である。

 

「これからしばらくよろしくね、ヴィアナちゃん。」

「えぇ、こちらこそ」

 

 @ @ @

 

「ごめんねヴィアナちゃん、わざわざ街の中を案内させちゃって。」

「これくらい問題ありませんわ。貴女を私自ら出迎えると決めた時点で、今日の仕事はオーキスとミハイルに一任していますもの。」

 

あれから彼女らはヴィアナの付き人数名に沙耶の旅荷物を屋敷に運搬させて、買い物をしに街へ繰り出していた。もっとも、付き人に荷物を運搬させたのも買い物をしに街へ出るなら案内をすると言い出したのもヴィアナなので、沙耶は半ば付き合わされているようなものである。

しかし二人は久しぶりの再会を喜んでいるようで、互いにこの時間を楽しんでいるのが傍目からもよくわかる。気心の知れた友人同士の会話に花を咲かせながらヴィアナの案内でゆっくりと街を巡っていた。

時刻は夕刻。そろそろ日が沈み夜がやってくる頃だった。

 

「それにしても沙耶、貴女がこちらに来るにあたって方々との折り合いはつきましたの?」

「うん。それに関しては結構簡単に都合がついたんだけどね。それよりも学校休学する手続きの方が大変だったよ。」

「へぇ?まぁ、あのご両親なら貴女の言葉は無碍にはしないでしょうね。……それにしても、学校ですか。ということはまた彼女がちょっかいを?」

「え、いや違うよ!?私が休学したいって無理を言っちゃったから困らせちゃっただけなんだから。」

「……。そうやって自分を二の次にするのは貴女の美点であると同時に欠点ですわね。やれやれ、相変わらずですわ」

 

苦笑をこぼしながらも沙耶の人の好さを改めて実感していたヴィアナは、何かを思い出したように付き人の一人に声をかけた。

 

「そういえば、例の予定まであとどのくらいですの?」

「予定時刻まで1時間ほどです。そろそろ向かわれた方がよろしいかと」

「そう、ありがとう。」

 

付き人の一人と確認のために少し会話をした後、ヴィアナは心底残念そうにため息を吐いた。その姿を横目に見ながら、沙耶は思ったことをそのまま口に出す。

 

「今日のお仕事ってオーキスさん達に任せてたんじゃないの?」

「そうなのですが、最後の1つの仕事先が『同じ連盟の当主が相手でなければ話にならん』などといっておりますの。肩書でしか話の出来ない御老人方はこれだから困りますわ」

 

心底辟易している様子でヴィアナは愚痴を言っている。付き人はそんな彼女の様子を怖々と見守っている。

沙耶はその様子から、街にくる前にヴィアナから聞いていた街の情勢を思い出した。

 

フェリエット家を含めた4つの名家が中心となり、公的権力からも独立した組織形態をもつ『貴族連盟』と警察を始めとする『公的権力機関』。

その二つが主軸となって表立った街の治安を維持しているが、同時に二つの勢力は水面下での抗争が続いている。

そして、その2つの機関の水面下抗争に乗じて街に根を張る詳細不明の組織が息づいているという話だった。

 

沙耶はヴィアナの話から、あまり自分が深入りしない方が良い話だと判断して深く追求することはしなかった。

 

「そっか。じゃあヴィアナちゃんはもうお仕事行った方が良いのかな?。」

「そういうことになりますわね。……はぁ、折角の滞在初日だというのに、気を使わせて申し訳ないですわ。あなた達、沙耶をきちんと屋敷まで」

「あ!待って!私もうちょっとだけ見てから帰るから、皆さんは先に帰らせてあげて?」

 

言い終わる前に口をはさんできた沙耶に、ヴィアナは心配そうな声色で声をかける。いや、実際心配しているのだろう。

 

「大丈夫ですの?まだ土地勘も掴めていないんじゃありません?」

「大丈夫、お屋敷までなら地図で見て道も暗記してるから。」

「そうは言いますが……」

 

ヴィアナは暫く悩んだ後、指を鳴らして付き人の一人に指示を送る。指示された人物は預かっていた荷物を別の付き人に渡し、沙耶の側に歩み寄った。

 

「いいでしょう、好きに見て回りなさいな。ただし護衛として一人付かせますわよ?客人に万が一があってはいけませんので」

「うん。ありがとう、ヴィアナちゃん」

「礼には及びませんわ、ゲストの安全を保障するのもホストの役割というだけです。……ゴルド、たのみましたわよ」

「はい、かしこまりましたヴィアナ様」

 

ゴルドと呼ばれた付き人は、ヴィアナの言葉によどみなく返答して沙耶の後ろに控えた。ヴィアナはその様子をしばらく見守り、やがて納得したように小さくうなずいて沙耶に視線を向けた。

 

「では沙耶、また後程。あぁ、なんでしたら私が屋敷に戻るのを待たず先に眠ってもかまいませんわよ?」

「あはは。うん、もし眠気に耐えられなかったらそうさせてもらうね。……いってらっしゃい、ヴィアナちゃん」

「ふふ、えぇ行ってきますわね。」

 

ヴィアナは楽しげに沙耶に微笑みかけ、踵を返して付き人の一人が待機させていた馬車に乗り込んだ。

 

ヴィアナの乗った馬車が遠ざかって行く。その後ろ姿が見えなくなってから、沙耶は自身の後ろに控えるゴルドに視線を向けた。少しの間、どう声をかけたものか悩んでから沙耶は結局無難な言葉を選んだ。

 

「……その、よろしくおねがいします。ゴルドさん」

「そうかしこまらなくても大丈夫ですよ沙耶様。ヴィアナ様から貴女の為人は聞き及んでいますので」

「あ、そうなんですか?それはちょっと気恥ずかしいんですが……。えっと、じゃあ行きましょうか。」

「イエス、マイロード。」

「え!?いや、さすがにソレはやめてくださいよ!?」

「あ、申し訳ありません。習慣でして」

 

沙耶はヴィアナが普段彼らをどんな風に従えているのか少しだけ気になったが、好奇心は猫を殺すという諺を思い出したので深くは聞かないことにした。

地図で予習をした上で一日ヴィアナの案内で見て回ったとはいえ、沙耶にとってここは依然として未知の土地である。多少の土地勘は得られたが物珍しさはまだまだ抜けていない。

とりあえずヴィアナの屋敷への道すがら、気ままに観光するくらいは良いだろう。そんなことを思いながら彼女は夜道をのんびりとした足取りで歩いていく。

ゴルドはそんな沙耶の邪魔をせず、あくまでも護衛の任に徹するように景色に紛れて彼女についていく。

 

暫くそんな風に街を見て回りながら歩き続け、そろそろヴィアナの屋敷が見えてくる頃。

不意に沙耶の足がピタリと止まった。

 

「……。」

「いかがしました?」

 

その沙耶の様子にゴルドは何かただならぬものを感じ、沙耶の横に駆け寄った。

 

「その……気のせいかもしれないんですが、何か聞こえませんか?」

「……。」

 

言われてゴルドは耳を澄ます。……そして彼も確かにソレを聞いた。

聞こえてきたのは曲がり角の奥の暗がりからだ。それは低い呻き声のように聞こえる。男性よりは女性の声質に近い。

自身を制止し自らが先に確認しようとするゴルドを押し除け、沙耶は少し駆け足気味で暗がりにうつぶせで倒れている人物に近付いていった。

 

「大丈夫ですか!!」

「……ッ」

 

沙耶の声に反応して、倒れている人物は小さく身動ぎする。沙耶は近づいてその姿をハッキリ視認した。倒れていたのは少し赤みを帯びたスーツのような服を着込んだ、ワインレッドの髪色の女性だった。

 

「血がでてる。……意識は、ある。ゴルドさん!お屋敷に連絡をお願いします。私がここで応急処置をしますので!」

「わ、わかりました!」

 

沙耶の先ほどまでとは違う雰囲気に気圧されるように、ゴルドは即座に指示に従った。

ゴルドの気配が少しだけ離れたことを確認してから、沙耶は女性の応急処置を開始する。

傷ついた臓器、血管の修復を可能な限りで行う。完治させるのではなく、まずは一命を取り留めることに全神経を集中させる。

沙耶はそっと傷口に手をかざして、祈るように瞳を閉じた。

 

「!ッ、貴女は……ッ!なにを」

「動かないでください。私は助けたいだけなんです。」

「……。」

 

自身の身体への異常を感じ取ったのか、倒れていた人物は焦ったように体を起こそうとした。しかし沙耶の言葉を聞き、その目を見て害意はないと判断したように大人しくなった。

 

「こんな怪我、いったいどこで……後で詳しくお話を聞かせてもらいますからね?」

「……。それはコチラとしても願ってもないことです。……貴女、名前は」

 

もう傷の痛みも和らいでいるのか、治療を受けながら女性は沙耶に問いかけた。

 

「あ、私は川崎沙耶です。実は、今日この街に来たばかりなんですよね」

「カワサキ、サヤ……。東洋人ですか。」

「……私も名前を聞いても良いでしょうか?」

「……。バレットです。バレット=ガットレイ、それが私の名前です。」

 

この二人の奇妙な出会いが、この霧の都に渦巻く因縁を加速させることになるのは……まだ誰もしらない未来の話だった。

 

__序章・来訪


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