「クロブチ先生、この場合ってどうすればいいんですか?」
「……この場合は前に教えた処置を行ってからだね。あとの流れは沙耶ちゃんならすぐにわかると思うよ。……あと、いい加減クロブチ先生ってのはやめてね?もう知ってるでしょ僕の名前」
「えぇ?だって初対面の時にそう自称してたのは先生じゃないですか。」
「無意味に偽名を名乗った過去の自分を消したい……」
あれから約3年間、沙耶は月にだいたい3回ほどのペースで自称クロブチ(本名を賽瓦永良)がいる
『超常能力研究所』に通っていた。
当初はカウンセリングも兼ねた接触だったが、いつの頃からか沙耶が医療関係の知識をクロブチに教えてもらう時間になっていた。
クロブチとしては単純な診察だから楽な仕事だという認識だったので、こういう展開は完全に予想外だった。……しかしクロブチにとって沙耶は唯一と言ってもいい友人の娘の一人だ。
そしてその過去を少なからず観て知っているクロブチは、彼女の頼みを無碍にすることも出来なかった。故に彼は早々に拒絶することを諦め、沙耶との共存路線に切り替えたのだった。
「……それにしても、どうして医療の知識なんか聞きたいんだい?沙耶ちゃんなら、それこそ知識なんてなくてもなんだって治せるでしょ。」
クロブチは言ってから、それがどれだけ無神経な発言だったか気付いた。そして軽く死にたくなり、沙耶に向けていた視線を床に落とした。
「んー、そうなんですよね……。」
意外なことに沙耶はクロブチの言葉を肯定した。
事実として沙耶にとって治せない病気や怪我などほとんど存在しない。
治す相手のどこに傷があるのか?それさえわかれば治す時間に多少差異があるとはいえ、ほぼ全快させることができるのだ。
それは知識としてではなく、事実として幼いあの日に嫌というほど確認したことだ。今更否定する気は、沙耶にはなかった。
「けど、やっぱり治すにしても知識と資格があるに越したことはないと思うので。」
「……まさかとは思うけど、医者にでもなりたいのかい?」
クロブチの問いかけに、沙耶は小さく笑って返答する。自分でも理解しきっていない考えをまとめるため、慎重に言葉を選んでいる様子だった。
「まだそこまでは。……けど、どうせならこの力をさくらちゃんやクロブチ先生みたいに、人のために使いたいなって……そう思ってます。」
「……そうかい。」
クロブチは沙耶の言葉に否定も肯定も返さなかった。
さくらちゃんはともかく、自分は彼女が思うほど出来た人間じゃない。だから彼女の考えに口を挟む資格はない。
言葉に出したことで少し考えがまとまった様子の沙耶を、クロブチは目を細めて見つめた。
そもそも、この『超常能力研究所』は彼自身が自分の疾患である『解析』の異能を治療するために研究を繰り返すための場所だった。
この異能がある限り、自分は他人と本当の意味で分かり“合う”ことができない。クロブチはそう思っていたからだ。
……それがいつの間にか、こんなことになっている。
普通に気遣い合いながら、極自然な会話をしている。そのこと自体がクロブチにとって予定外の事態だった。あるいはこれもあのお人好し……さくらと沙耶の父親にとっては予想通りの展開なのかもしれない。
……そこまで考えてクロブチは、すっかり冷めきった珈琲を飲み干して立ち上がった。
「ごめんね、沙耶ちゃん。これから少し用事があってね。今日はもうお開きにしてもらえないかな」
「あ、はい。わかりました。長々とお邪魔してしまってすみません」
クロブチは自分のあからさまな嘘を疑いもせずに信じ、さっさと帰り支度を始めた沙耶に苦笑をもって返事をした。
……時刻は15時を少し回ったころだった。
沙耶はクロブチの迷惑になってはいけないと思い、そそくさと『超常能力研究所』を後にして家への道をゆっくりと歩いていた。
予定ではもう少し遅くなるはずだったけれど、クロブチにはクロブチの都合があるのだから仕方がない。
「……?」
家まであと半分くらいというところで、沙耶は不意に耳慣れない言葉を聞いた。恐らくは異国の言葉だ、少なくともこの国の言葉ではなかった。そう思って沙耶は足を止めて視線を声の方へと向ける。
そこには目の覚めるような明るい髪色をした女の子がいた。少女は案内の看板を睨みながら何事か呟いている。
見たところ少女が何やら困っている様子だったので、沙耶は声をかけることにした。
「あの、何かお困りですか?」
「……」
沙耶が声をかけると少女は不審なモノを見るような目つきになり、無言で沙耶を見返してきた。
沙耶はそこで初めて『彼女の言葉が解らない』という初歩にして致命的な問題に気が付いた。
「えっとその……お手伝い、しますか?」
沙耶は身振り手振りを交えながら、なんとか自分が言いたいことを相手に伝えようと奮闘する。
我ながら何ともマヌケだ……。少なくともさくらちゃんならこんなことになってないよね……。
沙耶はそんな風に出来の良すぎる姉のような友人に、改めて尊敬の念を覚えた。
「……あぁ、なるほど。お気遣いありがとうございます。」
「……」
意外なことに帰ってきたのは沙耶と同じ国の言語だった。少女は長い金髪を靡かせて、沙耶に向き直って一礼する。
沙耶はその少女の所作と雰囲気に、どこかさくらと近いものを感じていた。
「手伝いをしてくださるとのことですが、質問に答えてくださるだけで結構ですわ。」
「質問、ですか?」
「えぇ、そうです。……先に言っておきますが、これは見ず知らずの異国人である私に恐れることなく話しかけてきた貴女の親切心を立てる為ということをお忘れなきように。決して、好奇心のままに護衛を撒いたせいで道に迷ったなどという事実はないのですからね?そこのところ、きちんと理解してください」
聞いてもないことを矢継ぎ早に捲し立てる少女に、沙耶はなるほどと納得した。
……確かに見ず知らずの街で迷ってしまっては心細くもなるのだろう。
沙耶は少女の言葉を自分なりにそう解釈して、改めて少女に向き直った。
「わかったよ。……それで、質問っていうのは?」
「え、本当にわかったんですの?」
沙耶の返答に少女は驚いて目を白黒させてから、平静を取り繕うために一度咳払いをした。
そして充分に間をおいてから、少女は沙耶に対して毅然とした振る舞いでもって問いを投げかけた。
「……。まぁいいでしょう。貴女にお聞きしたいことは一つです。……『神守』という屋敷がどこにあるか知っていて?」
「え?ウチに用事だったんですか?」
「そうあなたの家に……って、はい?」
少女の問いかけに対して沙耶がノータイムで返した答えは、少女に再び驚きの声を上げさせるには充分なものだった。
「なるほど、貴女が話に聞いていた神守家の一人娘だったのですね。」
5分ほどかけて軽い混乱状態から落ち着いた少女は、そんな一部誤解の混じった言葉を沙耶に言い放った。
「え、いや……」
「それにしても、これからお伺いする予定の屋敷の方と早々に出会えるだなんて思ってもない幸運でしたわね。改めて感謝いたします。」
少女は訂正しようとする沙耶の言葉が聞こえないほど有頂天気味になっていた。分かりやすいといえばそうだが、少し人の話を聞かないところが少女にはあった。
「だ、だから違わないけどそうじゃなくて……」
「あぁ、そういえば自己紹介がまだでしたわね。私はヴィアナ。ヴィアナ=フェリエットです。以後、お見知りおきくださいな」
ヴィアナと名乗った少女は、沙耶に手を差し出した。自分の話をなかなか聞いてもらえていない沙耶ではあるが、目の前の少女が言わんとしていることをなんとなく理解する。そして差し出されているヴィアナの手に、自身の手をそっと重ねた。
とりあえず友好的な関係を結んでくれる気はあるらしい。
沙耶はヴィアナの行動をそう解釈すると、彼女が再び話し始めるよりも早く口を開いた。
「うん、こちらこそよろしくね。あと私の名前は神守……ううん、川崎沙耶です。」
「えぇ、よろし……カワサキ?」
そこでヴィアナは沙耶が名乗った名前に疑問を覚えたようだった。その様子を確認して、沙耶はようやくヴィアナがしている誤解を解くことができると思った。
「沙耶?貴女こんなところで何してんのよ」
「あ、さくらちゃん」
「……どちらさまで?」
しかしなんともタイミングの悪いことに、沙耶の死角である真後ろから唐突に誰かが声をかけてきた。
そこには立っていたのは、最近父の仕事を手伝い始めて休日も多忙気味なさくらだった。
「……なるほど、だいたいわかったわ。」
さくらに事情を話し終えるまで、5分程度しか時間はかかっていなかった。沙耶がある程度話をしたあたりで、さくらは訳知り顔で頷いて見せたからだ。
……どうやら今日来客があることは、沙耶が起きる前に事前に聞かされていたらしかった。
両親は沙耶にも伝えるつもりだったようだが、沙耶が起きて間もなく外出したためタイミングを逃したとさくらが言っていた。
「つまり沙耶は単なる同居人で、そちらの貴女が本物の神守家の一人娘だと……そういうことですのね。」
そしてそんな二人の会話を聞きながら、ヴィアナの方も自身の誤解に気付き、自力で正解に辿り着いたらしかった。
沙耶はそんなヴィアナの言葉に申し訳なさそうな表情で返事をした。
「ごめんねヴィアナちゃん。訂正しようとは思ってたんだけど、タイミングが無くって」
「……いえ、よくよく考えれば貴女の話をきちんと聞いていなかった節が私にもありました。ですので、ここはお相子ということにしておきましょう。どうあれ、貴女が私を助けようとしてくれたことは事実なのですからね」
沙耶の言葉に、ヴィアナは優しく笑いかけながらもう一度改めて彼女に手を差し出す。今度は誤解のない状態で、本当の意味での挨拶だった。
「沙耶、改めてよろしくお願いしますわね」
「うん、よろしくね。……ていうか言葉凄く上手いよね?」
「これくらいは当然の嗜みですわよ」
「……なんか貴女たち妙に仲良くなってない?あと念のため言っとくけど、沙耶は単なる同居人じゃなくて歴とした私の家族よ。そこは認識を改めてもらえないかしら。」
さくらは改めて握手を交わしあう二人を眺めながら、先ほどヴィアナが口にした言葉に訂正を入れる。傍から見れば些細な違いではあるけれど、さくらからしてみればそこは譲れない一線のようだった。
「仲が良いかと言われれば、道に迷っていた私を助けようと話しかけてもらった程度の仲ではあります。……けれど、感謝はしておりますのよ?受けた恩は返すのが私の流儀です。」
ヴィアナは沙耶との握手を交わし終え、改めてさくらと向き合った。それからしばらく二人は無言で睨みあうようにして相対していた。
「……というか貴女の方こそなんです神守さくら。突然出てきたと思ったらゲストに対してその物言いは?貴女よりも沙耶の方が神守の次期当主に相応しいのではなくって?」
「え、ちょっとヴィアナちゃん?」
睨み合い同様の沈黙の後に口を開いたヴィアナは、どうやら先ほどのさくらの物言いが癪に触っていたようで完全に喧嘩腰になっていた。
「はぁ?私が沙耶にそんな重荷背負わせるわけないでしょ。だいたいゲストがどうこう言ってるけど、自分の護衛撒いてまで見ず知らずの土地を散策するとか貴女の方が自覚足りてないんじゃないの?」
「さくらちゃんまでなんで喧嘩腰になってるの!?」
まさに売り言葉に買い言葉である。沙耶の驚きの声は二人には届いていないようで、二人は互いに1歩ずつ距離を詰めて尚も睨み合いを続けていた。
「やっぱこうなるわよねぇ……。沙耶が仲良さそうにしてたからとりあえず話は聞いてあげたけど、私って昔から自分と相性が悪い相手は一目見たらわかるのよね。」
「ふ、ふふふ……えぇ、まったく気に入らない奇遇ですけれど。そこに関しては私も恐らく貴女と同じ気持ちだと思いますわよ」
さくらとヴィアナは互いに笑顔を浮かべて対峙する。
その笑顔は朗らかなものではなく、明らかに敵対者に向けて送られる感情がこれでもかというほどに詰め込まれた攻撃的な笑みだった。
笑顔とは本来威嚇のための表情だったという話があるが、さくらとヴィアナの二人が浮かべているソレは間違いなく攻撃的な意味での笑顔だった。
「一目見た時から本能的に気に入らないのよアンタ!」
「一目見た時から本能的に気に入りませんのよアナタは!」
互いに互いが気に食わない二人だったが、次に放った言葉は不思議なことにタイミングも意味もほぼ同じだった。
さくらもヴィアナも、互いに生まれながらにして人の上に立つ者としての才覚をこれ以上ないほど持ち合わせていた。それ故の同族嫌悪も多少はあったのだろうが、ここまで初対面でいがみ合う理由にはならないはずだった。
『対の特性を持つ異能同士は、その保有者の間に軋轢を生む可能性がある。』……というのは、後に二人のいがみ合いを見たクロブチが沙耶に吹き込んだ仮説なのだが、今の沙耶はそんなことは知る由もない。
沙耶はただ呆然と、目の前で行われる友人たちのいがみ合いを見ながら少なからぬ苛立ちを感じていた。
「もう二人ともいい加減にして!」
「……ッ」
「……。」
見るに堪えないと言われても仕方のない二人の急な喧嘩に、とうとう沙耶は怒鳴り声にも似た仲裁の言葉を投げかけた。沙耶からしてみれば、初対面のはずの二人の突発的な口喧嘩に巻き込まれて堪ったものではなかったのだろう。
延々といがみ合いを続けていたさくらとヴィアナは沙耶の言葉で渋々と口喧嘩を中断し、その気まずい雰囲気のまま一旦神守邸に向かうことにした。
無事に神守邸に着いた三人を待っていたのは、さくらと沙耶の父だった。
「紹介しよう、こちらはフェリエット氏。彼らには今日から2週間ほどウチに滞在していただくことになった。」
そうして帰ってきた3人に対して彼は、フェリエット家の当主でヴィアナの父だという男性を紹介した後……そんなとんでもない言葉を吐いたのだった。
「嘘でしょ……」
「どういうことですのお父様!?」
さくらは天を仰いで現実逃避の呟きを溢す。対してヴィアナは自身の父親にこれはどういうことかと詰め寄っていた。
「大丈夫かな、これ……」
そんな二人の反応を見ていた沙耶は明日からの2週間に微かな、しかし確かな不安を覚えたのだった……。
その日の出会いは彼女に新たな気付きを与えることになった。沙耶の中で「我を通すのも程々にしなきゃいけないなぁ」という、少しの疲労と実感を伴った忘れがたい教訓が刻まれたのだった。
後から沙耶が父から聞いた話だけれど、フェリエット家の当主が極東の神守家を訪れたのは『代替わり前に自身とは関係のない外部との繋がりを、ヴィアナに作ってあげたかった。』というヴィアナの父の親心が理由だったそうだ。
それは沙耶が、ヴィアナの招待で『霧の都』を訪れる1年と少し前の出来事だった。
__間章・極東