先程バレットに対して啖呵を切りはしたが、ヴィアナ自身は決して戦う人間ではない。
彼女はどこまでも人の上に立つ人間だ。人格、思想、知識や技能のどれをとっても他を寄せ付けないほどのスペックを保有している。
自身の持てる力の全てを十善に使い、人を使うことこそヴィアナの本領だった。
「オーキス、6割与えます。彼女を制圧しなさい。」
「承知いたしましたヴィアナ様。」
ヴィアナは椅子に深く腰掛けたままで、自らの従者に端的な指示を告げる。オーキスはその声に応えつつ、待機していた場所からゆったりとした緩慢な動きで一歩を踏み出した。
「ッ!沙耶!」
「!」
その動作を見たバレットは瞬時に沙耶を抱きかかえて、オーキスが先ほどまで待機していた場所から可能な限り距離を取るようにして壁際まで退避した。
「まぁ、そのくらいのことはやってもらわなくては困るというものですが……少々反応が大げさではなくて?」
弾かれるように距離を取ったバレットを見やり、ヴィアナはいつもと同じ様子で言葉を掛ける。その彼女の前方、先ほどまでバレット達が座っていた椅子の付近にはいつの間にかオーキスが佇んでいた。
「……私にはあなた方と戦う理由はありません。」
バレットは努めて平和的に現状を打破するべく、慎重に言葉を選んでヴィアナに語り掛ける。
バレットからすれば無用な争いは避けたかった。それになにより何故急にこういう展開になっているのかが理解できなかったからだ。
「貴女に戦う理由がないというのは、私が貴女の力量を試さない理由になるのですか?」
それに対するヴィアナの返答は酷く淡白だった。
ヴィアナからしてみれば、ただでさえ自身の来客であり大切な親友の沙耶が今回の事件に関わることに、本心では賛同しかねているのだ。
沙耶本人の意思を尊重してそれ自体を止めはしないが、それはそれとしてバレットの力量が信用に足るものでないのなら、彼女以外にもう一人護衛をつける算段をヴィアナは立てていた。
つまるところ、この諍いはヴィアナがバレットの力量を測るためだけに行われているのである。
少なくとも6割、半分より少し上程度の出力の異能による『ブースト』を掛けたオーキスに対応できないようなら、沙耶を完全に任せることはできない。
少々過保護気味ではあるがヴィアナなりに友人の安全を考慮した結果、彼女はそう結論を下していたのだった。
「……バレットさん、私のことは気にせずに思いっきりやっちゃってください。」
「いえ、ですが……」
二人の言い合いを見ていた沙耶は、重々しい雰囲気でバレットを見上げながら口を開いた。沙耶の口から出た言葉に少し驚きつつ、バレットは躊躇する。
「大丈夫です。万が一怪我させちゃっても今回は私が治しますから。……それに、これは流石にヴィアナちゃんがやりすぎですから。」
次いで沙耶は今回のことはヴィアナに非があると断言した。
沙耶もヴィアナが自身の身を案じてくれていることは判っている。しかし、時にヴィアナは今回のように傲慢な判断を下すことがあることも、沙耶は既に体験して知っているのだ。
……そういう時は決まって沙耶の姉が正面からヴィアナを止めていたのだが、いま彼女はここにいない。だから、ヴィアナを質せるのは自分たちだけだと沙耶は理解していた。
「バレットさん、これから私が知っている限りのヴィアナちゃんの異能を説明します。」
「……異能。やはり彼女も異能持ちなのですね。」
沙耶もヴィアナと同様に戦う人間ではない。だからこそ自分にできる手助けに全力を尽くす。今回でいうならば、自身の持ちえるヴィアナの情報の開示がそれに該当した。
「ヴィアナちゃんは『自分を信頼してくれる人の力を底上げ』することができます。このお屋敷の中くらいなら全域カバーできるみたいです。オーキスさん自身の素の力に加えて、ヴィアナちゃんからの支援がありますから絶対に油断だけはしないでください。」
「なるほど、ブーストというわけですか。……底上げとは具体的にどのような?」
バレットは沙耶のもたらした情報を吟味、自分なりに解釈して更に問いを返す。
「少なくとも反射神経とかの身体能力は飛躍的に上昇します。私も一度だけ経験がありますけど、その時は普段よりかなりいろんなモノが見えたし理解できました。」
「……上昇するのは単に身体能力だけではない、と。ありがとうサヤ、充分な情報でした。」
沙耶は自身の知っている限りのヴィアナの異能の情報を端的にバレットに伝えた。
知っているからと言って対策出来る類のモノではないが、知識があるのとないのとでは圧倒的に差が出るのもまた事実だった。
「お喋りはもう充分ですの?もう良い加減、待ちくたびれましてよ?」
沙耶とバレットの会話が一区切りついたタイミングで、ヴィアナは挑発するような声色で語り掛ける。
「えぇ、随分と優しい敵対者でありがたい。」
バレットはヴィアナの挑発に、不敵に笑みを浮かべながら同じように挑発でもって返礼する。
両者の視線がぶつかり合う。その瞬間、オーキスがそれを遮るように二人の間に割って入った。
「さて、それでは改めて見せていただきましょうか。狩人の力がどの程度のものか。……オーキス」
「承知しました、ヴィアナ様。」
ヴィアナは椅子に深く腰掛けたまま、老執事オーキスに主命を下した。
オーキスもまた主からの信頼に応えるべく、与えられた力を全身に行き渡らせる。
「バレットさん」
「えぇ。街を出るまで、貴女は私が守りましょう。」
ヴィアナとは対照的に、立ち上がり壁に背を預けた状態で沙耶はバレットの背中に向かって声をかける。
バレットはその声に、当り前のことを言うように極自然な返答をした。
そしてオーキスとバレットの両者がほぼ同時に一歩を踏み出した瞬間、甲高い金属音が室内に響く。
その音から一瞬遅れて、バレットはいつの間にか蹴り上げていた右足を降ろす。彼女は自分とオーキスの中間付近に転がっている刃物を視界に収めた。。
「……テーブルナイフ、ですか。それを執事が武器として扱うのはどうなのです?」
「御心配なく。これは私が個人的に所有している品ですので、皆様がお食事の際に使用する物とは保管場所も素材もすべて異なっております。混入することはありません。」
「そういうことを言っているのではないのですが……。」
オーキスの本気か冗談かもわからない発言をバレットは渋い顔で受け流しつつ、地につけた右足に力を籠める。
そしてそれを敵対している老執事に気取られる前に開放し、爆発的な瞬発力でもって床を蹴り一息にオーキスとの距離を詰める。
「流石に狩人をしているだけのことはありますわね。」
オーキスですら一瞬反応が遅れたバレットの急加速による接近を、客観的な視点でヴィアナは高く評価した。
最高出力の6割程度の力しか付与していないとはいえ、オーキスが一瞬反応が遅れるなど幼い頃から彼を知っているヴィアナからすれば驚くべきことだった。
バレットはそんなヴィアナの驚愕など全く気に掛けず、オーキスに拳を振るう。
バレットの戦闘法は、彼女自身の類稀な運動能力と磨き上げた戦闘技能の掛け合わせによるものだ。
その大部分は純粋な徒手空拳による力押しではあるが、それだけでは足りないと考えた彼女は靴に鉄部分を仕込んだり、特別素材の薄手のグローブを着用する等の一撃の威力を上げる為の創意工夫を凝らしていた。
「ですが、その程度でオーキスを倒せると思ってもらっては困りますわね」
バレットの振り抜いた拳は、一瞬反応が遅れていたオーキスの腹部を確実に捉えたはずだった。
「なっ!?」
しかし、彼女の拳は空を切った。確かに今までそこにあったはずのオーキスの上体がバレットの視界から掻き消えた。
先程まで眼前にあった標的が消えたことによりバレットは動揺する。そして、オーキスはその一瞬を逃すほど甘くはない。
「バレットさん下ですッ!」
「ッ!」
バレットの拳が直撃するよりコンマ数秒の差で地に付すように体勢を低くしていたオーキスは、カウンターとして体制を戻す勢いを利用した蹴り上げをバレットに繰り出した。
オーキスの放った蹴りはバレットに当たりはしたものの、沙耶の声に咄嗟に反応したバレットに防がれていた。
「今のを防ぎますか。……ですが」
バレットは蹴りを確かに防いだ。しかし、オーキスの放った攻撃はバレットの身体を浮かすほどの威力があった。
オーキスはバレットが着地した瞬間に生じるであろう無防備な状態を狙い、再びナイフを投擲する。
「ッ!」
容赦の無いオーキスの追撃を、バレットは投擲された得物が自身に突き刺さる前に強引に掴み取ることで対処した。
「……今可能な全力の投擲だったのですが、そうも容易く掴み取られてはコチラも立つ瀬がありませんね」
オーキスは不安定な体制から飛来するナイフを掴み取ることを選択したバレットに、ほんの少しの驚愕を覚えた。
「そう思うなら、貴方もヴィアナ嬢も少しは加減を覚えるべきだ。」
バレットは自身が先ほど掴み取ったナイフを乱雑に床に放り投げながら、高みの見物を決め込んでいるヴィアナとその従者に苦言を呈した。
バレットとしては無暗に街の人間に危害を及ぼすわけにはいかないのだが、ヴィアナはそんな狩人の世知辛い事情は知ったことではないようだ。
「加減ならきちんとしているではありませんの。」
「ヴィアナちゃん……」
「……。」
なんの罪悪感もなくそう断言するヴィアナの言葉に、沙耶ですら少し呆れているのが見て取れる程だ。そして、流石のオーキスも彼女に見えない角度で苦笑した。
「なるほど……。心労をお察しします。」
その彼の対応で、戦闘中だというのにバレットはなんとなくオーキスに同情してしまった。
「お心遣い痛み入りますが、私のことはお気になさらず。慣れておりますので」
「……オーキス?」
ヴィアナはオーキスの言葉に引っかかりを覚えたのか、怪訝な顔をした。
そしてその瞬間、再びオーキスが動いた。彼は次に投擲ではなく、先程のバレットと同様に間合いを詰めての近接戦闘を選択した。
投擲したナイフを掴み取られたことで、現状で可能な遠距離攻撃が有効打にならないと判断したようだった。
その動きを認識したバレットも、同様にオーキスと距離を詰める。
そしてバレットはオーキスの繰り出した初撃を往なし、そのまま彼の背後に回り込む。
「ッ、まだです!」
「いいえ」
オーキスは自身の背後に回り込んだバレットに追撃を加えるべく振り向き、渾身の力を込めて拳を振るう。
「終わりです」
バレットはその腕を掴み、振るわれた拳の勢いを利用するようにして彼を投げた。
「ガ、ぁッ!?」
鈍い音を響かせてオーキスはほぼ背中から床に叩きつけらた。
「せ、背負い投げ……」
沙耶が驚きと共に言葉を溢す。つい口をついて出たようで、沙耶はハッとした様子で口元を抑えた。それほどまでに綺麗に決まったのだ。
オーキスはそれでも立ち上がるべく床に手を着き、這い蹲るような体制で何とか身体を起こそうとする。
そんな彼の頭上では、バレットが漸く抜き放った自身の武器を構えていた。
「……まだ、私はッ」
「オーキス。」
彼ではなく、彼の主であるヴィアナに向けて。バレットは武器を構えていた。
抜き放たれたソレは、オートマチック式の拳銃だ。
バレットはそれを投降しない怪異存在に対する止めの手段として用いていた為、その銃はもはや対人仕様ではない。外見は一般的な拳銃だが、全てが文字通りの対化物特化の仕様に改造されていた。
そして、バレットが立っている場所は、倒れ伏したオーキスとヴィアナが綺麗に一直線上に並んで見える位置。
これ以上の無いチェックメイトだった。
「もう充分です、無理をさせてしまったわね」
「ヴィアナ様……。もったいないお言葉です……。」
オーキスはヴィアナの言葉を聞き届けた後、ゆっくりと身体を床に沈ませた。
「……やれやれ。随分と物騒なものを隠し持っていたものですわね、バレット?」
「どれだけ鍛えようとも、生身だけでは心許ないのは変わりませんので」
バレットは尚も構えた銃を下げないままで、ヴィアナと言葉を交わしている。
ヴィアナもその理由が解っているようで、軽くため息を吐いてから両手を上げて諦めたように頭を横に振った。
「良いでしょう、貴女と沙耶が共に調査することを認めましょう。」
その言葉を聞いたバレットは、すんなりと銃を下げて沙耶の元に歩み寄った。
「とりあえずは、オーダー完遂です。」
「お、お疲れさまでした?」
「……ふふ。えぇ、ありがとうございます。」
バレットと沙耶は戦闘において初めての勝利を収めた。
異能『従者』
保有者:ヴィアナ=フェリエット
概要:
自分を信頼してくれる相手の能力を底上げする。
向けられる信頼が大きいほど出力が上昇する。微調整可能。
一度に大勢に行使出来るが結果として総合値が下がる。
自分自身へは一切還元できない。