バレットと沙耶の二人はフェリエット邸を出立した後、バレットが先導する形で昨日彼女が話をした情報屋のいる小部屋に向かっていた。
……向かったところで今日もそこに目的の情報屋がいるとは限らないのだが、その場合はヴィアナに教えてもらった彼の隠れ家候補を虱潰しに巡る予定になっている。
人との会話による情報収集も確かに重要だが、バレットは自身の脚を使った調査もそれなりに経験があった。
「サヤ、まだ体力には問題ありませんか?」
「はい、全然平気です。これでもそこそこ体力はありますから。……あ、けど人の治療とかしちゃうとすぐバテちゃうんですけどね」
「そうですか。なら良いのですが」
バレットは沙耶の体力を気遣いつつ、彼女の様子から嘘は言っていないと判断して同じペースで歩を進めていく。
二人は既に人目の届かない路地裏の細道に踏み入っていた。
「……情報屋さんって、やっぱりこういう如何にもな場所に拠点作るんですね」
「まぁ、大手を振ってできる商売ではないでしょうからね。……ハイレンジア家が規制する前の情報も持っているとなれば、何かしらの裏事情に通じていても不思議はありませんから。」
「裏の事情……。それこそさっきヴィアナちゃんが言ってた『裏の流通ルート』とかですね?」
路地裏の暗がりを自身の後に続いて歩く沙耶の言葉に、バレットは短い相槌を返す。
そう上手い話もないだろうが、今回こそは進展するための情報を得たいとバレットは考えていた。
初日に自身を襲った者の死、異能薬と呼ばれる過去の亡霊の置き土産とも呼ぶべき薬品が関わっている可能性、そしてその過去を知る人物とは連絡がつかないときた。
バレットは既に昨日の時点で、この件は長引くだろうなと確信に似たものを感じていた。
「そういえば、もう一つヴィアナちゃんが言ってた『紫陽の花』っていったい何なんでしょう?」
「それは彼に直接聞くのが早いでしょうね。私達ではどうあれ知り得ない情報ですから……っと、ここですね」
バレットはとある廃屋の前でピタリと足を止めた。
沙耶もバレットに続いてその小部屋の前で立ち止まり、彼女の後ろから覗き込むようにして様子を伺った。
見た限りだと薄暗く、人が住んでいる雰囲気は感じられない小部屋だ。退廃的な雰囲気を醸し出しているし、好んで住む人がいるとはとてもではないが思えない。……それになによりドアが歪んでしまっている。
本当にここに情報屋が?沙耶はそう思いながらバレットの表情を伺うも、彼女の顔は真剣そのものだった。
そんな沙耶に気付かず、バレットは大真面目に昨日と同様の独特なノックをした。
『……誰か知らんが入って良いぞ』
中から籠った返事が聞こえた。……どうやら運よくここに居たらしい。
そのことに少し安堵して、バレットは沙耶を引き連れて情報屋の滞在する小部屋に入っていった。
「……何だ、またアンタか。」
バレットの顔を見るなり、情報屋のシークは面倒くさそうにそう言い放った。
「いきなり随分な物言いですね。何か貴方の気に障ることでもしましたか?」
「……そりゃあ家の扉蹴り壊されたら、こういう態度にもなるだろ普通。……で?そっちのそいつは何者だ?」
当り前のことを言うようにシークはバレットの問いに応えつつ、彼女と共に部屋に入ってきた沙耶に視線を向ける。
「いろいろあってバレットさんの助手をしてる者です。」
「助手?狩人の……?……どんな物好きだよ。」
シークは沙耶の返答に対して値踏みするような視線を向ける。対する沙耶はその視線を真っ向から受け止めた。
そのあまりに真っ当な対応に、シークは肩を竦めて自分から視線を逸らした。
「話があるならさっさと座れ。あと悪いが、今日のところは茶も珈琲も無しだ。まだ寝起きで体調が悪くてな」
「……もう昼間ですが」
「見ての通り不摂生な夜型生活してるからな。元々ここには眠りに帰ってるだけなんだよ」
言いながら彼はフードをさらに目深にかぶり直し、少々傷みが目立ちつつあるソファに座った。
それに倣ってバレットと沙耶が更に室内へ踏み込もうとしたとき、シークは不意に声を上げる。
「あー……悪いが、ドアはきちんと嵌め込んどいてくれ。……こう明るいと寝起きにはキツい」
「あ、わかりました。……え、重」
「私も手伝いましょう」
「その扉を昨日蹴り壊したのはアンタだけどな」
昨日扉を蹴り壊した時は、バレット自身気が付いていなかったことだが……この部屋の扉は鉄製だったようだ。
二人はゆっくりと慎重に、且つなるべく綺麗に扉を嵌め込んでからシークと対面する形で腰を下ろしたのだった。
「……それで、昨日の今日でお前はなにが聞きたい。」
薄暗い室内で向かい合い、シークは無駄な前振りは不要だと言わんばかりにバレットを見て言い捨てる。
「こちらも単刀直入に聞きましょう。……今日ここを訪れたのは、この街の流通に関する『裏ルート』の情報と、『紫陽の花』と呼ばれる組織の件についてです。」
「……へぇ?」
「……」
バレットの言葉を受けて情報屋は興味深そうに笑みを浮かべる。目元はフードによって隠れているのでわからないが、口角が小さく吊り上がったので恐らく笑みだ。
……そんなシークの反応を横で注視していた沙耶には、彼がこの展開を楽しんでいるように感じられた。
「……そこの東洋人が滞在してるのは確かフェリエットのとこだったか。ってことは、あの成り金女の入れ知恵だな?」
「私のこと御存知だったんですね」
シークが独り言のように呟いた言葉に、沙耶は直感的に疑問をぶつけた。
「あぁ、情報としてはな。当然顔は知らなかったし、正直言うと興味もなかった。」
シークは沙耶の疑問に答えながら彼女を一瞥し、その後すぐにバレットへと視線を戻した。
今現在バレットが身を置いて居るのはフェリエット邸だが、彼女を直接助けたのはヴィアナではなく沙耶だ。
その時点で、沙耶に関する何らかの情報は出回っていたのだろうとバレットは推測した。
「それで、本題についてあなたは何を知っているのですか?」
「……その前に一つこちらから聞きたい。他所から来た"狩人"が、そんなことを聞いてどうする気だ?」
「私は私の職務に則り、一連の事件を終わらせるだけだ。それ以上の思惑はありません」
「事務的だな、呆れるほど……」
シークはバレットの返答に辟易した様子で肩を竦めた。……それから数秒の間をおいて、改めて彼は口を開く。
「まず第一にアンタらが聞きたいその二つ、『流通の裏ルート』と『紫陽の花』は密接に関係してる。……勘だが、あの成り金女が俺に情報の出し渋りをさせないために持たせた情報だろ?」
「……」
「……」
話の流れからして彼の言う成り金女がヴィアナの事だと察しはついたが、シークの問いに二人は応えなかった。ヴィアナの思惑など二人は知る由もないので、当然といえば当然の反応だ。
もちろんシークも相手が余程の傍若無人でなければ情報を出し渋りはしない。適切な報酬と適切な対応をする相手を、無碍にすることを彼は好まない。
そう……例えば、ドアを蹴り破ったりしない限りは。
「実を言うと、昨日はアンタを門前払いするつもり満々だったんだが……アイツの紹介じゃ無碍にできなかったからな」
バレットはそこで自身の失態に気付いた。昨日の会談で自分はこの情報屋に、中途半端な情報しか与えられていなかったのだと。
「……では」
「勘違いされても困るが、与えた情報に関しては正確だぞ?核心に迫れるだけの情報を与えなかっただけで。これでも信用商売だから情報の正否には厳しくてな」
「うわぁ……」
悪びれもせずに言い放つシークに沙耶は思わず呆れた声を出してしまった。……すぐ気付いて口元を抑えはしたが、シークは特に気に留めた様子はない。
繰り返しになるがシークは適切な報酬と対応には正しく応じる。善悪抜きにして、それが彼のスタンスだった。
「……報酬は言い値で支払いましょう」
「いや、この件に関して金は要らん。代わりにそっちの、あー……川崎沙耶、アンタに聞きたいことがある」
「え、私ですか?」
不意にシークから話を振られて沙耶は驚いた。先程自分には興味がないと言っていた人物から、一転して聞きたいことがあると言われたのだから無理もない反応だった。
「別に良いけど、なんだその反応」
「いや、私に話振られるとは思ってなかったので」
「……あぁ、興味ないって話か?あれは過去形だからな、気にするな」
沙耶は独特な会話テンポのシークに対して、これはこれで我が強いタイプの人なのかもしれないと感じた。なるべく努力して良い感じに言うと、自分に正直だとかそんな感じだった。
「でだ、聞きたいことだが……お前、なんで狩人なんぞに協力してんだ?元々は一般人、ならこの件に関しても見て見ぬ振りを通せばいい。なのに何でそうしなかった?」
「……」
その口ぶりから、彼が狩人に良い印象を持っていないことを二人は感じ取った。
そして同時に沙耶は思い出す。
『助けた命に責任も持てないような人間が、軽率に人の命を救うべきではないわ。』
そう言ったイリスの目に宿っていた憐みの色を。
態度も口調も雰囲気も何もかも違うけれど、この目の前の情報屋にはイリス=ハイレンジアと同質の何かがあると沙耶は感じた。
「……私は」
沙耶はシークに正面から向かい合った。イリスに問われた時と違って揺れることはなかった。
「バレットさんやヴィアナちゃん……私の手の届く範囲だけでも手助けしたいと思った。だから協力を申し出たんです。責任をもって、見届けたいっていうのもあります。……だけどやっぱり、私の根幹は助けたいって気持ちなんです。」
「……。」
シークは何も言わない。ただじっと沙耶の言葉を聞いて、沙耶の様子を確認するように見つめているだけだった。
そうして数秒が経過した後、シークは溜息を吐いてから口角を歪めた。
「うん、なんとなく分かったが……。まぁなんというか、アレだ。バカだなお前」
「うぇ!?バカ!?」
「そりゃバカだろ。そんな理由で人助けする奴とか普通いねぇよ」
愉快そうに肩を揺らして、笑いながらシークは言う。それは先程までの不機嫌そうな様子ではなく、見た目よりも幾分か幼い印象を沙耶とバレットに与えた。
「……ただ面白い理由ではあった。だから、お前らが聞きたいことにも応えてやるよ」
「性格悪いってよく言われませんか、シークさん」
「いけませんサヤ。本当のことでも言ってはいけないことがあります」
「……追い出しても良いんだぞお前ら」
二人の会話に一転して苛立ちを顕わにしつつも、シークは言葉だけで追い出そうとはしない。
沙耶とバレットは、とりあえず情報提供のスタートラインには到達できたようだった。