【会談】①
「……はぁ、随分なトラブルに巻き込まれたものですわね」
ヴィアナが仕事を終えて自分の屋敷に帰り着いたのは、日付が変わろうとしている深夜のことだった。
帰宅した彼女は、自身を出迎えたゴルドから沙耶と彼が遭遇した出来事の説明を受けて深々とため息を吐いた。
「私が気付くよりも早く沙耶様が彼女を見つけ、すぐさま治療に取り掛かったのです。お恥ずかしい話ですが、私は彼女の指示に従って屋敷に連絡を入れることしかできませんでした。」
「それは仕方ありませんわ。不足の事態というのは誰しも対応が遅れてしまうものです。」
ゴルドの話を最後まで聞いて、ヴィアナは仕方がないことだと労いの言葉を掛ける。
「それよりも……」
そして今までの話はさして重要ではなく、むしろこれからが本題だというように、ヴィアナは語気を強めてゴルドに問いかける。
「彼女の行った治療について、誰にも見られることはありませんでしたね?」
「はい、それは問題ありません。……ただ、沙耶様の治療を受けた彼女は知っていますので……ヴィアナ様が戻られるまで部屋の中で待機していただいています。」
「……そう。下がってよくってよ。あとは私たちで話し合います。」
「イエス、マイロード」
ゴルドが下がったのを確認し、ヴィアナは扉を開けて部屋の中に入った。
「……。」
部屋の中央に置かれた椅子に座ったまま、微動だにしない見慣れない女性がそこにいた。
ヴィアナが彼女から最初に感じた印象は、ただの民間人ではないという酷くチープなものだった。そしてそれは正確な情報だった。
ヴィアナは彼女の胸元を見る。
赤みを帯びたスーツのような彼女の服。その胸元に何かの紋様を象ったバッジが鈍く輝いている。
その事実をヴィアナが飲み込んでいるとき、不意に微動だにしていなかった彼女が瞳を上げてヴィアナを見た。
そして立ち上がり、一礼の後に口を開く。
「お初にお目にかかります、ヴィアナ=フェリエット。お噂は聞き及んでいました。私の名前はバレットと言います。先刻は貴女のご友人に命を救われました。その点に関しては心からの感謝を。」
自己紹介と同時に自身の言いたいことを言い尽くす勢いで言葉を投げかけるバレットに対し、ヴィアナは小さく苦笑した。
ふと、バレットの座っている椅子の正面を見ると沙耶が眠っていた。ヴィアナは治療で疲れたのだろうとある程度の当たりをつけて、もう一度バレットを視界に収めた。
「……」
「座って話しませんこと?あまりそう大きな声を出すと、沙耶も起きてしまいますし」
「……。それもそうですね。」
身体の芯を一切ぶれさせることなく立っていたバレットはヴィアナの言葉に素直に同意すると、スッと椅子に腰を下ろした。
ヴィアナもバレットの正面、つまり沙耶の隣に移動すると腰を下ろして小さく息を吐いた。
「先ほどは自己紹介を返さずに申し訳ありませんわね。お客人を立たせたままで込み入った会話をしては、家の沽券に関わろうというものですので」
「……。」
少しばかり探りを入れようと発したヴィアナの言葉に、バレットは何も返さずただ真っ直ぐ視線を返してくるだけ。
「改めて、自己紹介から始めさせていただきますわね。私はヴィアナ、ヴィアナ=フェリエット。若輩の身ではありますが、このフェリエット家の長を務めさせて頂いております。」
「……バレット=ガットレイです。こちらの自己紹介はもう済んでいますので、これ以上のことは言う必要も無いでしょう」
二人はほとんど同時に小さく微笑む。……それからしばらくの沈黙。
……もしもこの場に第三者が居たのなら、窒息していたに違いない。それほどにこの二人の間に漂う空気は重かった。
そんな物理的な重量感すら感じさせるような重苦しい沈黙を、先に破ったのはヴィアナだった。
「それで貴女はこの街に……いいえ、言い直しましょう。貴女は私の街に一体何をしに来たのです?”狩人”さん?」
「……狩人?」
「あら、惚けるつもりですの?わざわざ狩人の身分証であるバッジまで身に着けているというのに?」
「……なるほど。失礼を詫びましょう、ミス・ヴィアナ。どうやらこの街の上層部には我々のことも知られているようだ。」
そう言いながらバレットは、自身の胸元についていたバッジを取り外してポケットの中にしまい込んだ。
その一連の動作を終えてから、今度は逆にバレットから話を切り出した。
「しかし、我々のことを知っているということは……やはりこの街は『そういうこと』なのですね?」
「仮に貴女の言う『そういうこと』だったとしても、他所の介入は御免被りますわね。あれは私を始めとしたこの町に住む者たちの問題です。」
「そういうわけにはいきません。」
ヴィアナの指摘した”狩人”という言葉は、ある組織の一員であることを指す。
その組織は、吸血鬼や狼男などを代表とする所謂怪異を駆逐または捕獲するために存在すると言われている。ある種の怪談染みた噂話の延長戦に位置する組織である。
しかし、一般大衆には知られていないことではあるが……その組織は実在している。
極一部の者達のみが実在を認識するその組織は、噂に語られるように怪異の打倒と捕獲が最大の活動目的だった。
その組織の構成員は人間外の異能の力をもった者から、何の力もない真っ当な人間まで多岐にわたるという。
そして逆説的に言ってしまうと……その組織が実在する以上は彼らが標的とする怪異存在や人間外の力を行使する人間もまた、極少数ではあるが確かに存在するのである。
「ミス・ヴィアナ。貴女もわかっているでしょう。先日この街で起きた事件、あの殺しは真っ当な人間には不可能だ。そして殺害されたのは街の重鎮の一人、貴女と同じく連盟に連なる家の当主だった老人です。」
そこでバレットは一度、慎重にヴィアナの顔色を窺うように言葉を溜めた。
「私がこの街に派遣されたのは、先の事件の首謀者である異能者を駆除または捕獲するためです。それ以外でこの街に干渉するつもりは私にも、我々にもありません。」
「……。」
ヴィアナは何も返さない。ただジッと正面に座るバレットを見据える。
数分間の沈黙の後、彼女はバレットがこれ以上自分から発言する意思がないことを悟って言葉を返すことにした。
「あなた方の方針について、一つ確認を」
「……なにか?」
「先ほど、駆除または捕獲と仰いましたが……その対象になるのは街の治安に影響を与え得る全ての異能者か、それとも先の事件の犯人か。いったいどちらになるのかしら?」
ヴィアナの問いかけに、バレットは瞼を降ろして沈黙する。ヴィアナの質問の意図を探るべく思考を巡らせ、数秒の後にバレットはなるほどと小さく呟いた。
「つまり貴女は、この町に住む異能者達全てを対象にした所謂異能狩りが行われるのではないかと言っている訳ですね」
「……物騒ですわね。そこまでの話はしておりませんわ。そもそも……そうなった場合、他の土地ならいざ知らず、この街から無事に出られるとお思いかしら?」
バレットはヴィアナの何気ない問いかけに対しては何も答えを返さなかった。
「我々の上層部からも事は穏便に済ませるようにとの指令です。貴女が危惧しているような事態にはなりません。……仮に事態が悪い方に転んだとしても、事件の関係者数名の身柄を拘束させていただく程度で終わるでしょう」
その代わりにバレットは異能者に対する対応をどうする気かという根本的な質問に、明確な答えを口にしたのだった。
ヴィアナはその返答をもって納得したようで、小さくうなずいてから立ち上がった。
そして、扉の前に待機していたのだろう老執事に声をかけて彼を部屋に招き入れた。
「お呼びでしょうかヴィアナ様」
「オーキス、この方には今日からしばらく私の客人として当家に滞在していただきます。急な客人ですが、くれぐれも失礼のないように。使用人全員に伝達しておいてくださいな」
老執事オーキスを招き入れたヴィアナは、彼の問いかけに対して前もって決まっていたようなセリフを朗々と響く声で伝えたのだった。
「は?」
何とも急な話だった。急遽フェリエット家に滞在することになった本人ですら間の抜けた声を出すだけで、事態の成り行きを見守るしかなくなっている。
「承知しました。客間は沙耶様の隣が使用可能ですが」
「……ん、それは少々気にかかりますが……背に腹は代えられませんわね。それで構いませんわ。」
「では諸々の作業に取り掛かりますので、1時間ほどお時間を頂きます。」
「えぇ、オーキスはいつも通り仕事が早くて助かりますわ。」
「それでは後程」
余人が口をはさむことすらできないスムーズさで様々なことを取り決めて、オーキスは退室していった。そこでようやく呆気にとられていたバレットが、ハッとしたように声を上げる。
「な、なぜ私がここに滞在することになっているのですか!?」
「あら、今更ですの?……街の不祥事のために遠方からわざわざお越しいただいているのですから、街の代表である連盟の当主がもてなすのは当然でしょうに。」
「そういうことではなく……。」
「それにこれは貴女にとっても有益なことでしてよ?」
尚も抗議を続けるバレットに対して、ヴィアナは僅かに口角を上げて挑発するように言葉をかける。
バレットもその些細な変化を感じ取り、どういうことかヴィアナに先を促すように閉口した。
「よろしくて?我がフェリエット家は仮にも街の心臓の一端である連盟の筆頭家。ここに滞在し些末程度の監視とあと一つの条件を飲んでいただけるのであれば……私たちが持ち得ている情報をあなたに開示しましょう。」
「……」
提示された条件に応じるのであれば、自分たちの持つ情報を開示する。
そんな話はバレットからしてみれば渡りに船だった。旨い話にも程がある。
だからこそヴィアナがあえて伏せたであろう、もう一つの条件が何なのかがバレットは気にかかった。
「もう一つの条件、それを教えてもらわなければ判断できない。」
「……もう一つの条件は、彼女についてです」
バレットはヴィアナの視線の先にいる人物を見る。
先刻、不意打ちに会い倒れ伏していたバレットを助けた東洋人と思しき風貌の少女。
あれだけの深い傷を負っていたバレットを治して見せたところから、彼女がかなり力の強い異能を保有しているだろうことはバレットも予想していた。それも自身ではなく、他人の傷を治して見せるほどの癒す力であれば……。
そこまで考えて、バレットは納得がいった。
「つまり、彼女について一切を口外しない。また、危害を与えないことを約束しろと……そういうわけですね?」
「話が早くて助かりますわ。」
ヴィアナが肩を少しだけすくめながらそう呟くのを見て、バレットはなんとなく彼女の本来の性質を感じ取れたような気がした。
「いいでしょう、条件を飲みましょう。私も、彼女には恩を返さなければ座りが悪いので。」
「感謝しますわ。」
どうにもこの若い当主は、前もって聞かされていた情報程悪い人間ではないらしい。バレットは、ヴィアナに対しての評価をそんな風に改めたのだった。
話も一段落着いたところで、ヴィアナは背もたれに身体を預けて尚も眠ったままの友人を起こしにかかる。
「……さて、と」
人の傷を治した時は凄く眠くなるのだと、彼女と初めて会った極東の地で教えてくれた。
ヴィアナはそんな懐かしい思い出に浸りながら、なかなか起きない沙耶の体を揺らし続けた。
「ほら沙耶、早く起きなさいな」
「んー、つかれてるのにぃ……」
「懲りもせず軽率に人を治したりするからですわ。だいたい、貴女が起きないと私も彼女も移動できませんのよ?」
「……かのじょ?」
起こそうと体を揺すってくるヴィアナに抵抗しながらも、沙耶はヴィアナの言う”彼女”という心当たりのない存在が気にかかってまだ重たい瞼を強引にこじ開けるのだった。
沙耶がぼやけた視界でとらえたのはワインレッドの髪、その鮮やかさには見覚えがあった。暗がりの中だった気がするけれど、あの髪色はなかなか忘れられるものではなかった。
「……あ、さっきの。良かったぁ、ちゃんと治ったんですね」
「はい。おかげさまで、支障はありません。貴女にはいくら感謝しても足りないほどです。」
「……はい。」
まだ眠たいためか、沙耶はバレットからの感謝の言葉に小さく微笑んで返すにとどまった。
どうやら他人を治すという行為は、彼女に相当の負担をかけるようだとバレットは解釈した。
「さ、二人とも。募る話もあるでしょうが、今日はもう眠りましょう。お互いに今日は疲れているでしょう?」
「……えぇ、そうさせていただきます」
「うん、私も流石に眠たいや……」
ヴィアナに誘導されるように、二人は彼女の後に続いて部屋を後にする。
そして、沙耶とバレットは互いに割り当てられた寝室に入り体を休めるために眠りにつくのだった。
……こうして川崎沙耶とバレットという、異物と言って差し支えのない二人がこの街に訪れて最初の夜が過ぎていった。