【輪舞】①
微睡みの中に揺蕩う男は夢を見る。
それは自身の記憶、未だに彼がこの地に留まり続ける理由の話。
『まぁ!■■■■■■!実在したのね!良いじゃないファンタジックだわ!』
『……』
『■■■様、素が出てます。お控えください』
男の記憶の中で女は無邪気に笑っていて、その傍らに佇んでいる付き人も今現在とさして変わらぬ冷静さで己が主の言動を窘めている。
あぁ、懐かしい夢だ。男は心からそう思った。
……これまでに長い長い時間を生きてきて、初めて見惚れる程に美しいと思ったその生き物とのやり取りを、男は久しぶりに夢に見た。
その姿を、声を、何より瞳を忘れたことなど一度もない。自分が今もまだこの街に存在しているのは、あの生き物との約束があったからこそだ。
「……あぁ。俺もアイツも、アンタ達を忘れてなんてやるものか」
一人吐き捨てるように呟いて、男は書物の山の中から這い出るように起き上がった。
それから男は今後の自身の行動予定を再確認して、中天に掛かる月が見えなくなるほどに濃い霧に包まれた街の中へと消えて行ったのだった。
『ねぇ貴方は知ってる?……私ね、あと1週間もしないうちに殺されちゃうみたいなの』
そんな夢に見た彼女の言葉を思い出し、男は普段よりも一層険しい表情を隠すこともなく霧の都を見て回るのだった。
……その夜も、数度獣のような声が街に響いていた。
@ @ @
「……なるほど、話は分かりました。」
バレットは『紫陽の花』の長がアルエだという話を、改めて沙耶から聞き出した。
そして自身の中で整理していた情報と照らし合わせたことによって、奇妙な違和感を感じていた。
……果たして単なる使用人に過ぎないであろうアルエに、そこまでのことが出来るだろうか?
そもそも地位を得たところで、私達を狙った理由はなんだ?
……その疑問を一端頭の片隅に追いやったバレットは、改めて沙耶に向き直った。
そもそもの話、こんな夜更けにバレットが沙耶の部屋を訪れた理由は何もいつでもできる情報共有をするためではない。
彼女は沙耶と、他ならぬ自分たちのことを話し合いに来たのだ。
「……サヤ、私から貴女に伝えなければならないことがあります。」
「え?はい、なんですか?」
沙耶はバレットの意図に気付いていないようで、疑問符を浮かべながら小首を傾げてバレットを見返している。
そんな沙耶に対してバレットは、半ば一方的に自身のこれまでの人生を語った。
家族も故郷も全て失ったこと、助けてくれた恩人のように自身もまた誰かを助けられるように『狩人』を目指したこと、自分自身が故障しているであろうこと。
バレットは思い出せる限りの全てを、沙耶に語って聞かせる。
沙耶はそのバレットの姿を、ただ黙って見据えていた。
「……これが私の生きてきた人生です。狩人を続けるにしろ辞めるにしろ、私にはどうあれ立ち止まる選択肢はない。あの日の炎と悲鳴の地獄から生還した唯一の者として、私は役目を果たさなければいけないのですから。」
バレットは何一つ迷うことはなく、淡々と沙耶にそう宣言する。
そして僅かに数瞬の間を開け、沙耶の言葉を待つこともなく更に言葉を続ける。
「ですが貴女は違う。過去に何があったのかは知りません、しかし貴女は私のように狩人ではない。身を挺してまで危険に飛び込み人を護る必要はないのです。」
言い聞かせるようにバレットは更に言葉を続ける。目の前の少女の身を案じているからこそ、その言葉は重かった。
「……サヤの歪さは、いずれ貴女自身を滅ぼす類のモノです。そうなる前に、貴女には立ち止まって欲しい。……だからサヤ、貴女はもう身を引くべきです。」
……沙耶の真っ直ぐな視線にも躊躇することなく、バレットは自身の考えを彼女に伝えた。
そもそもの間違い、川崎沙耶という一般人が捜査に極力している。まずはそれを止めさせる。
加えて彼女の歪さを指摘し、糺すことさえ出来れば彼女は立ち止まることができる。
彼女の過去を知らないバレットは、そう考えていた。
「バレットさんが何を言いたいのかは、なんとなくですけど私にも理解できたと思います。」
「……では」
了承してもらえますね?
そう続けようとしたバレットの言葉を遮るように、沙耶はこれまで見せたことの無いほど強い意志を滲ませる瞳でバレットを射抜いた。
「次は、私の番ですよね?」
そして沙耶はバレットに、短くそう告げたのだった。
沙耶がバレットに語ったのは、先程のバレットと同様に自身の過去の話だった。
ヒーローのような女の子に絶望の中から救われたこと、助けて欲しいと願って叶えられた時に感じた幸福感、自身もまた彼女達のようになりたいという想い。
バレットが語ったことを彼女自身の人生と表現するなら、沙耶が伝えたのは彼女のこれからの展望だった。
「バレットさんが私のことを歪だって思うのはきっと正しいです。私も自己犠牲の上で人を助けたって意味ないことくらいわかってますから」
「それなら……」
「だけど、バレットさん?私が今までに一度だって『犠牲』になったことってありますか?」
「……それは」
そう笑顔で問いかけられて、バレットは反論を返すことが出来なかった。
何故ならば、沙耶は事実として誰かを助けるという行為の上で何かを捧げてなどいないのだ。
彼女は彼女に可能な手段を用いて、人を助けているにすぎない。
最初に街に訪れた時のバレットの負傷に関していうのであれば、代償は軽い疲労程度だった。
狙撃への囮として自らを差し出した時は、確かに危険を伴っていた。
『私なら、大丈夫です』
しかし、今にして思えば沙耶には自分が死なないという確信があったように感じる。
「……ね?だから、私は大丈夫なんです。あのくらいじゃ絶対に死なないって、もう私は理解してるんです」
「……ッ!」
バレットは目の前で微笑む少女の歪さを図り間違えていたことを今更ながらに痛感した。
彼女は自身の命を勘定に入れていないのではない。むしろ逆だ。
彼女は自身の命が他の誰よりも喪われ難いことをこれ以上なく理解していて、だからこそ献身的なまでに他の命を助けることに執着しているのだ。
「自分の力を誰のためにどう使うのか、何のために行動するのか……それを私はきちんと決めています。自分の周囲に私の力で助けられる人が居るなら助けたい。そうやって、みんなを助けて笑顔にできれば……」
本当の お父さんとお母さんを 助けてあげられなかった
こんな私だって 生きてても良かったんだって
そう思って良いかもしれないじゃないですか
沙耶はさくら以外の誰にも言ったことのない自身のトラウマを、口に出しそうになっていたことに気付いて咄嗟に踏みとどまった。
「……サヤ?」
「あ、いえ、なんでもありません。」
沙耶はバレットの境遇がほんの少し自信と似ていたから、変に感情的になってしまっていたかもしれないと反省した。
「とにかく、私は平気です。ちゃんと自分で決めたうえで私はこの道を歩いてるんです。」
だから心配しないでください。
そう言って普段通りに、沙耶はバレットに笑いかけた。
しかし傍から見た沙耶の表情は、普段とは全く違う悲壮の滲んだ笑顔だった。
「……。今の貴女を見て確信しました。」
「え?」
「私はどうやら、貴女のことを放って置けないようです。」
バレットは言葉と同時に沙耶へ歩み寄り、彼女の前に膝をついてその手を取った。
その姿はまるで、主人の前に跪く従者のようだった。
「あの、バレットさん……?」
「貴女の歪さを捨て置いてしまっては、私は過去の私を見殺しにすることになる。」
沙耶がバレットの境遇を自身と僅かに重ねたように、バレットもまた沙耶の苦難を自らと重ねていた。
その類似点は決して多くはない、しかし二人には決定的に同じ点が1つだけ存在していた。
それは自身よりも他者を優先しようとする危うさだ。
「貴女が先程何を口籠ったのかは解りませんが、私には貴女の願いを否定することはできない。」
バレットも沙耶も、方法は違えど人を救いたいという方向性は同じだった。
「……けれど沙耶。他者を救いたいというのであれば、どうかわたしを頼っては貰えませんか?」
ならば自分が彼女を護ってしまえば彼女の問題は解消されるはずだと、バレットは考えた。
「……えっと?」
「解り難かったでしょうか……。」
あまり慣れないことをするものではありませんね、と小さく呟きながらバレットは苦笑する。
そして跪いた体制のまま、沙耶に教え諭すように語り掛ける。
「要するに……私が傷を負えば貴女が治し、貴女が危機に瀕すれば私が守る。……ということです」
「……えっと、それって今までと同じってことですか?」
沙耶の言葉にバレットは少し考えてから、小さく首を横に振る。
一人一人が単に同じ方を向いているだけならば、それは孤独な旅路だ。
しかし共に手を取り歩く者がいれば、それは二人になって孤独ではなくなる。
バレットの言葉にはそういう意味合いも含まれていた。
そして後もう1つ。伝わっていないだろう言葉の意味を、バレットは捕捉するように沙耶に伝えた。
「できるなら、この街を出てからも私は貴女を護りたい……っと、思っているのですが」
「……。」
そのバレットの言葉に、沙耶はしばらく間の抜けた表情のまま硬直していた。
そして数分後、我に返ったように沙耶はバレットと視線を合わせ
「……えっと、しばらく考えさせてください。」
……と、微妙にずれた言葉を返したのだった。
一向に晴れぬ霧の中で、表と裏で思惑はこうして廻り始めた。
自らの願いを果たせるように、一歩ずつ未来に歩みを進めながら。