「……ここですか」
「ここ、ですね」
バレットと沙耶の二人は、とある廃屋の前で立ち尽くしていた。
フェリエット邸を出発して目的地に到着した二人だったが、そこは既に老朽化が進み打ち捨てられてかなりの時間が経過していると一目で見て取れるような場所だった。
「10年少々でここまで荒廃しますか」
「聞いた感じだと結構酷い事件だったみたいですし、誰も近付こうとしなかったんじゃないですかね。……けど、これだけ荒れてると床抜けたりしないのかな」
「さらりと不穏なことを呟かないでください。」
バレットは沙耶が小さく呟いた不安に苦笑交じりで言葉を返した。
しかし、これだけの状態になっているというのに未だに放置されているのはどういうことか。
……いっそ取り壊してしまえば、この場も有効活用できるだろうに。
そこまで考えてバレットは無視できない程の違和感を覚えた。……この建物に対してではなく、今のこの状況についてだ。
……この場に来たのはハイレンジア家当主のイリス嬢からの情報提供が発端だ。
いや、そこではない……そもそも彼女の家の担う役割は、情報統制だったのではなかったか?
それはつまり、都合の良い状況を作り出すのも思いのままだということでは……。
「……バレットさん?」
「あ、あぁ……問題ありません。少々猜疑心に苛まれていただけですので。」
「なるほど?……私にできることなら協力は惜しみませんから、何でも言ってくださいね?」
「ありがとう、サヤ」
沙耶はバレットが何について疑いをもったのか深く追及することはせず、改めて診療所跡地である廃屋に向き直った。
「……バレットさん、一つだけ気付いたかもしれないことがあるんですけど」
「なんでしょう?」
沙耶は屋敷を出る前にヴィアナと交わした会話を思い返しながら、バレットに自身の推測を話し始めた。
「最初に断ってしまうと、これは単なる私の推測です。……あのイリスちゃんからの手紙、たぶんアレは私達二人だけに宛てて送られたものだったんだと思います。」
「……ふむ。根拠を聞いても?」
バレットの問いに、沙耶は努めて冷静にそう考えた根拠を上げる。
「最初は宛名が他人行儀過ぎだったのがちょっと違和感に感じたくらいだったんです。内容が完全に業務連絡だったのも違和感を感じた理由でした。」
「……それは根拠というには少し弱いのでは?連盟盟主の立場での話であれば、そういう書き方にもなるでしょう。」
沙耶はバレットの指摘を聞いて、もっともな返答だと頷いた。しかし、頷きながらも返したのは反論だった。
「私もそう思います。けど、最初にそれを知りたがったのは私達です。ヴィアナちゃんは知るきっかけを私達にくれただけ。……そう考えると、あの手紙の宛先にヴィアナちゃんが含まれていないのは自然だと思うんです。」
知るきっかけというのは、言うまでもなくハイレンジア家を紹介したことだ。
あの時ハイレンジア家に向かわなければ、今こうしてこの場に立っていたかも怪しい。
……まぁ、あの時のヴィアナはこんな展開になるなど予想していなかっただろうが。
「それから、違和感が確信に変わったのはヴィアナちゃんとの会話です。」
「会話?」
沙耶は自身の感じたことがなるべく伝わるように言葉を探しながら、真っ直ぐにバレットの目を見て話す。
「ヴィアナちゃんに聞いたんです、残り2枚に何が書いてあったのか。……ヴィアナちゃんからの返答は、個人的な仕事の手紙だったって言葉でした。あの時のヴィアナちゃん、何かを伝えたそうな感じだったんです……けど。」
沙耶は自身の言葉に結局のところ感覚的な根拠しかないことに気付き、困ったように笑った。
「あはは、すみません。確証もなくこんなこと言っちゃって……。」
「いえ、気にすることではありません。ヴィアナ嬢とは私よりも貴女の方が付き合いが長い。……であれば、私が見落としてしまったものを沙耶なら取り落とさないこともあるでしょう。」
バレットは先程の沙耶の言葉を整理し、情報として刻み込んだ。
……どうあれ、ヴィアナの親友であるサヤがそう感じたのであれば一考する価値はある。
なにより『私達には見せられない個人的な仕事の手紙』というのは重要な情報だ。
バレットは情報の整理を行いながら、そう直感した。
「さて、ではそろそろ中に入りましょうか。」
「……。はい。」
そして二人は診療所跡に侵入した。
「うわ、埃すご……」
「……」
中に入るのとほぼ同時に沙耶はそんな言葉を漏らした。
荒廃の進んだ外観とは違い、中は思いの外まともな状態を維持されていた。しかしそれでも長期間誰も訪れていなかったのだろう、眼に見えて埃が積もっていた。
埃が溜まっている以外はそれほど問題はなく、二人は注意深く探索しながら奥へ奥へと進んでいく。
そして最終的に行き着いたのは、執務室という表札が掲げられた部屋だった。
二人はその中も捜査することにした。
空の薬品瓶が置かれたままの棚。以前誰かが使用していたと思わしきデスクと、書類が抜き取られて捨てられたのだろうファイル群。
室内にあるのはその程度のもので、あとは仮眠用と思わしき簡易ベッドのみだった。
思いつく範囲を全て調べ終えた二人は、困ったように互いの表情を伺った。
「……何もない、ですね。」
「恐らく当時の捜査で疑わしい物品は粗方押収されたのでしょう。しかしこれは……」
……こんな場所をいくら探したところで、手掛かりなど存在しないのではないだろうか。
バレットと沙耶は、互いに口には出さないがそんなことを考えていた。
無理もない話だ。ここには目ぼしい物が何もないのだ。捜査をしようにも調べようがなかった。
「……けど、なんかここって診療所っていうよりは研究所って感じですよね。」
「サヤ、それはどういう?」
バレットは沙耶が半ば無意識に呟いた言葉を聞いて、彼女に問い掛けた。
沙耶は埃の積もったデスクの表面を指でなぞりながら、思い返すように返答する。
「私の知り合いっていうか、医療知識の先生がこんな感じのところで研究してるんですよね。……先生も研究以外に簡単な問診とか怪我の手当てくらいはしてるみたいで、設備も必要最低限しか揃えてなくて……それがなんか、此処と似てるなぁって思って。」
「それは昨夜話に聞いたクロブチ氏のことですね?……しかし、研究所ですか。」
バレットはそれで認識を改めることにした。
過去の事件と関わりがあるとはいえ、これまで彼女はここを診療所跡くらいに考えていた。しかし……もしここの役割が、診療所としてよりも研究所としての側面が大きいのであれば、それなりの調査の仕方がある。
「サヤ、申し訳ありませんがもう一度初めから見て回っても構いませんか?」
「え?……はい、私は大丈夫ですけど何か分かったんですか?」
「それを確かめるための再調査です。」
言いながらバレットは執務室を後にして、入口の方に向かって歩いて行った。
「……。」
「……。」
二人は無言で室内を見て回る。バレットはじっくりと時間をかけて注意深く何かを探しているようだが、沙耶にはそれが何をしているのかが分からなかった。
「……あった。」
そうやってバレットが建物内を練り歩き初めてからしばらく経過した頃、治療室と銘打たれた部屋の中で彼女は唐突にそう言った。
「?」
その間も沙耶はバレットの後ろに付いて回っていたのだが、目新しい手掛かりは発見できずにいた。
「えっと……何か見つけたんですか?」
「えぇ、此処を見てください。」
バレットは沙耶の問いかけに対して、スッと部屋に置かれた棚を指差した。……正確に言うと棚の周辺の床を指差しているようだが。
「……棚?」
「正確にはこの棚の周囲の床です。……ここだけ埃の積もり具合が周囲と僅かに違う。加えて何かを引きずったような跡が薄っすらとですが視認できる。」
「え……?んー……?私には差があるようには見えないんですけど……引き摺った跡もこれだけ埃が酷いと隠れててよく分かりませんし……」
バレットの説明を聞いた沙耶はジッと指差された一角を凝視しながら、やはり見分けがつかないようで小首を傾げた。
その様子にバレットは小さく笑みを浮かべてから、ゆっくりと踏み出す。
「まぁ、実際に見た方が手っ取り早いでしょう」
バレットは件の棚に軽く揺らすようにして何度か手で触れる。
……そして棚の周囲の空きスペースを確かめるように見回してから、唐突に棚を持ち上げた。
「よ、っと……。」
「え!?バレットさん何を!?」
突然のバレットの行動に沙耶は驚きの声を上げる。しかし彼女は特に気にした様子もなく、棚を持ったまま数歩移動して、慎重に床に降ろしてから沙耶に返答した。
「ん?邪魔だったので棚を除けただけですが」
「あ、はい……そうなんですね。……じゃなくて!手伝いますから言ってくださいよ!」
「?……いえ、埃で汚れるので大丈夫です。それにまぁ、この程度の重量であれば一人でも問題なく運べますので」
「いや、そういうことではなく……」
沙耶はバレットの返答に困惑を露わにしながら苦笑した。
バレットは自分にできることをしただけなので、沙耶が取り乱している理由がいまいち理解できていなかった。
「そんなことよりも、やはり当たりでしたね。」
「当たり?……あ」
沙耶は元々棚の置かれていた場所を見て、バレットの言葉の意味を理解した。
……穴が開いていた。
明らかに人工的に作られているそれは、階段のような構造になっており下へ下へと続いている。
「……地下室?」
「そういうことです。……ただの診療所跡であれば私も疑いませんでしたが、沙耶の言葉で研究所という認識に切り替えて思いつく限りの可能性を潰していたのです。」
「お、お役に立てたようで何よりです。」
沙耶は自身の発言が思わぬ事態に発展したことに驚きつつ、改めて中を覗く。
穴の中も埃が酷いとはいえ、一人ずつであれば問題なく通れるだけのスペースは確保されているようだ。
……衣服に埃が付着するだろうことを考慮しなければ、何の問題もなく通れるように感じた。
「2人で中に入る必要はありませんし、沙耶は外で……」
「お気遣いありがとうございます。けど大丈夫です。行けます。」
バレットの気遣いの言葉を押し退け、沙耶はグッと覚悟を決める。
そもそも沙耶もここまで建物内を散策した時点で、汚れなんて既に気にしていない。地下に入ろうがこの場に待機しようが誤差の範囲だ。
ほんのちょっと衛生面が気になるくらいなので、何の問題もない。
そんな風に微妙にずれた懸念を抱きながら、沙耶はバレットを追いかけるように地下へ続く穴の中に入っていった。