舞踏会に彼岸花は咲く   作:春4号機

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【輪舞】⑤

 

 

バレットと沙耶は屋外に広がる光景に呆気に取られていた。

辺りは既に薄暗く、街灯の灯りがぼんやりと滲んでいる。

しかしそれは、二人の視界を支配する白い壁によってはっきりと視認できなくなっていた。

 

周囲数メートル程度の距離までしか視認できなくなるほどの濃霧。

他所者からすれば異常とも感じる頻度と濃度でこの街の夜を包み込むこの濃霧こそ、ここが『霧の都』などと呼ばれている原因だ。

 

「話には聞いていましたが、ここまでとは……」

「……」

 

ここ数日の滞在で多少の土地勘を得られたとはいえ、こんな濃霧の中に足を踏み入れても良いものか?

今までに経験した数度の襲撃を考えれば、霧が晴れるまで屋内で待機するのが得策ではないか?

そんな風に思案していたバレットは、不意に軽く引っ張られるような感覚を覚えた。

 

「サヤ?」

「……ッ」

 

横に佇んでいる沙耶に視線を向けたバレットは、彼女が服の裾を掴んでジッと外を見据えていることに気が付いた。普段の様子とは違う沙耶の態度に、バレットは思わず彼女の名前を呼ぶ。

 

「何か、居ます……。」

「……。」

 

沙耶の言葉の意図を正確にくみ取り、バレットは即座に意識を戦闘へと切り替えた。

バレットは深く集中し、注意深く周囲の異変を感じ取る。

それで気が付いた、確かに屋外で複数の足音が聞こえることに。……数は3つ程だろうか。

 

バレットはこれまで以上に危険な状況だと判断した。

こんな状況で、打ち捨てられ人の立ち寄らない建物を訪れる者など普通はいない。

そもそも二人が建物内の探索を終えたこのタイミングで、その普通ではありえないような存在がやってくるなど、どう考えても偶然ではない。

ではその存在にどう対処するべきか……バレットは数秒の思考の後に自身が取るべき行動を選択する。

 

「サヤ、私が周囲の安全を確保するまで貴女は中に隠れていてください。」

「待ってくださいバレットさん!コレは前の襲撃と明らかに違います!」

「……」

 

思い掛けない沙耶の言葉に、バレットは少し動揺した。

沙耶が恐怖心や不安から引き留めているわけではないと、彼女の表情でバレットは察する。

なにか沙耶がそう感じる理由があるのだろうと考え、バレットはそれを聞き出すことにした。

 

「サヤ、貴女がそう感じる理由を教えてもらえますか?わかる範囲で構いませんので」

 

沙耶はバレットの問いに、少し躊躇しつつも慎重に言葉を選んで答える。

 

「えっと……足音が全然違うんです。」

「足音?……それなら私にも聞こえましたが」

「その、変なこと言ってすみません。けど、靴音の中に混じって別の音も聞こえたっていうか……なんていうか、音の感覚が変で、いくつも足があるみたいな……。人間の歩き方で出せる音じゃない気がするんです」

「ふむ……。」

 

沙耶の言葉を聞き、バレットはある程度の推測を立てる。

そして沙耶と目線を合わせてから、もう一度先程と同じ意味の言葉を投げかけた。

 

「ありがとうサヤ。貴方の言葉は参考になった。……やはり、貴女はココで待機を。私の推測が正しければ、貴女を護りながらの逃走は至難だ」

「……ごめんなさい。」

 

沙耶は自身がバレットの足枷になってしまっていると感じて、気を落としながらも掴んでいた彼女の服を手放した。

その様子を見て沙耶の心境を察したのか、バレットは沙耶の頭に軽く手を置いてから笑顔を向けた。

 

「大丈夫です、サヤのことは頼りにしています。だからこそ、ここは私に任せてください。これが適材適所……失礼、チームワークというものです」

「……あはは、なんですか?それ」

 

苦笑気味に笑った沙耶を見てから、バレットは背を向けて白い世界の中へと飛び込んでいった。

 

 

  @ @ 

 

 

「……」

 

視界が尋常でなく悪い。

これだけの濃霧だ、視認できるのは精々5メートル程度。視界に頼りすぎない方が良い。

そう判断して意識を切り替える。

足音一つ、衣擦れの音一つを聞き逃さないように意識を集中して濃霧の中を疾走する。

 

「そこですか」

 

濃霧の中で耳に届く獣のような呻き声。その発声位置を把握し、急速に距離を詰める。

瞬きの後に私はその存在と正面から対峙した。

一言で言い表すのであれば、それは獣の成り損ないだった。

骨格事態は人間の物と大差はない。しかし四肢はその一部が野犬を思わせるような体毛に覆われ、手先と口元には異常に伸びた爪と牙があった。

 

「見つけました」

 

その存在を認めた時、私の口から漏れ出たのはそんな言葉。

初日に不意を突かれた雪辱を晴らすとか、そんな些細なことはどうでも良くなるくらいに文字通り漸く尻尾を掴んだという想いだけがあった。

 

「ハァッ!」

【■■■■■ーッ!】

 

疾走する勢いを全て乗せ、私は相手の全身を蹴り砕くつもりで渾身の一撃を叩き込んだ。

グシャリッと何かが潰れたような感触が靴越しに伝わったかと思うと、一撃を受けた相手は弾き飛ばされるように地面を転がっていく。

……霧の向こうに消えて行った相手を用心深く見据え、私は慎重に距離を詰めていく。

油断はしない、不意を打たれたとはいえ一度は窮地に追い込まれた相手だ。

私は深く息を吸い、集中を途切れさせないまま一歩ずつ歩を進める。

 

「!」

 

倒れた標的まであと数歩というところで、背後で何かの息遣いのようなものを感じた。

悪寒を感じ、私はその場を飛び退いた。距離をとる瞬間に、自身の身体があった場所を霧中から伸びてきた鋭い爪が通過したのを視認する。

 

「……確かに、複数でしたね」

【■■】

【■……ッ】

 

2体の歪な獣が互いの状態を確認し合うように視線と呻き声を交わしている。

……どうやら、彼らの間ではコミュニケーションが成立しているようだ。

 

ともあれ、あの状態では情報源としては期待できないだろう。

研究所の中にあったノートの記載に誤りや変更がないのであれば、あそこまで変容してしまってはもう長くはないはずだ。

……彼らが何故あんな姿になってまでここに現れたかはわからない。しかし……。

 

「なるべく早く終わらせるとしましょう。」

 

私は自身の武装を確認しつつ、眼前の敵を見据えて拳を握り締める。

 

「……む」

 

ふと、そこで違和感に気が付いた。

……建物の中で聞いた足音と、数が合わない?

 

「しまったッ!」

 

目の前の2体の思惑か、それとも裏で糸を引いている何者かの思惑かはわからない。しかし今確実にわかることは、どうやら私は綺麗に彼らの策に乗ってしまったという事実だ。

その事実を認識した私は、自身の全力でもって敵対者の排除を実行する。

 

もしも彼らの標的が私ではなく、研究所の中に隠れているサヤだったなら……私はそんな思考が脳裏を過る度に焦る内心を押し殺しながら、確実に敵対者を排除することに集中する。

協力者である少女の無事を一心に願いながら。

 

 

  @ @ 

 

 

「大丈夫かな、バレットさん」

 

私はバレットさんに言われた通り、研究所の中で彼女の帰りを待っていた。

……実際、バレットさんの判断は正しいと思う。

この濃霧の中に一緒に突撃したところで、私は彼女の足枷になるのが関の山だ。

逆にこの建物の中で霧が晴れるのを待ったとしても、それまで屋外の気配が大人しく待ってくれるとは考えられない。

その場合、この逃げ場のない室内で複数人を相手に私を気にしながら立ち回るのは流石のバレットさんでも難しいと思う。

……だから、きっとこれで正しい。

 

「……どうか無事で」

 

私は入口から一番遠い壁際の物陰に隠れるように座り込み、何度目かになるかもわからない独り言を零した。

 

「!」

 

……そんなことを数回繰り返したとき、唐突にそれはやってきた。

ギィッっと軋むような物音を立てて、建物の正面入り口が開かれる。しかし、その向こうから室内に侵入してきたのは私の待っている相手ではなかった。

 

【■■■……】

「……っ」

 

霧の向こうから現れたのは、人間と獣を組み合わせたようなアンバランスな構造の何かだった。その姿を視認した私は、見つからないように物陰のさらに奥へと慎重に移動した。

アレをどう呼び表せばいいのかなんて、私には皆目見当がつかない。

けれど、それでも確実に言えることがある。

アレは私でも治しようがない。なぜかは解らないけれど、直感としてそれだけは理解できた。

元々の形が人間なのか獣だったのかは判然としないけれど、どちらにしても原型から離れすぎたあの姿は異常としか言いようがない。

大きな爪と牙や、皮膚の一部から生えていると思わしき体毛、焦点の合わない虚ろな瞳とそれでいて敵意だけは感じさせる獣のような呻き声。……それらの情報全てが、私の生き物としての本能に警鐘を鳴らさせている。

 

生きたければすぐに逃げろ、と。

 

【■■】

「っ」

 

私は脳裏に鳴り響く警鐘を聞き流すことしかできない。

逃げるにしてもまずは物陰から出なければならないし、そんなことをしている間に発見されるのは想像に難くない。

それならば、変に動くよりもここで息を殺して耐えていた方がマシなはずだ。

 

私は必死に息を潜めながら、アレが出ていくことを祈るように手を合わせる。

足音は建物の入り口から移動して、部屋の中を練り歩くように徘徊している。稀にピタリと音がやみ、数秒後にはまた足音が聞こえ始める。

そんな単調な繰り返し。

しかしその繰り返しは少しずつ少しずつ、私の隠れている場所に近づいてきていた。

けれど私は緊迫した状況に呼応するように大きくなる心臓の鼓動を抑えるのに必死で、そのことに気が付いていなかった。

 

【■!】

 

不意打ちのような声が室内に響く。

それは今までの敵意だけを伝えていた呻き声とは違い、何か明確な意図をもって発せられていた。

そう思った瞬間、一気に足音が激しくなる。そして足音はすぐに私の隠れている近くまでやってきた。

その足音が至近距離で発せられたものだと理解できてしまった私は、焦りによって自身を抑えられずに思わず物陰から這い出てしまった。

 

【■■■ーッ!】

「あ……」

 

無様に這い出た私に雄叫びと共に凶刃が迫る。

何倍にも引き延ばされた体感時間の中で、私はぼんやりとそれを認識した。

失敗しちゃった……と、そんなことを思った。

次いで思ったのは、心配させるのは嫌だなぁ……なんて他人事みたいな感想だった。

 

普通なら死ぬような怪我を負っても死なない身体が嫌だった、恩恵だけを求めて擦り寄ってくる大人も嫌だった。

まぁ、それでも……単に痛いだけなら、私はいくらでもへっちゃらなんだけど……それでもやっぱり嫌なものは嫌だ。

私はいつものように/幼い日のように、迫り来る痛みに目を閉ざした。

 

「……?」

 

……おかしい、いつまで経っても眼前まで迫っていた痛みが襲ってこない。

 

「……いくら何でも危なっかしくて見るに堪えん。」

「え?」

 

不愛想な声が頭上から聞こえる。その声に、私は閉ざしていた瞼を上げた。

……目の前には振り下ろされる直前だったはずの鋭利な爪を、相手の手首を掴んで押し止めている男の姿があった。

その人物には見覚えがあった。

黒を基調にした服装に身を包み、生気の感じられない……というかやる気すらも感じられない気怠そうな声と眼付き。

 

「死にたいなら他所で死ね、迷惑だ」

 

以前にバレットさんに同行した先で会った時と全く同じ印象のままで、その男は平然と敵対者の手首を圧し折りながら私にそんな言葉を投げかけていた。

 

「し、シークさん!?なんでこんなところに」

「……。」

 

シークさんは何も答えないまま、呆れたような表情で私を一瞥した。

 

「この状況で開口一番に出てくる言葉がそれか?」

「え?あ、あー……助けてくれてありがとうございます?」

「オーケー、もうわかったから喋るな?気が抜ける」

 

何故だろう、素直に礼を言っただけなのに彼から向けられる呆れがより一層大きくなったような気がする。

困惑気味にそんなことを考えていると、掴まれている方とは逆の腕を大きく振り上げている敵の姿が見えた。

 

「あ」

「……」

 

苦し紛れの抵抗だということは感じ取れるけれど、それでも私は彼に、危ないと呼びかけようとした。

しかし私の声掛けなんかよりもずっと早く、シークさんは敵の顔面を思いっきり殴り飛ばしていた。

それはもう、素人の私ですらも清々しく感じるくらい綺麗にキマっていて……その一撃をまともに受けた相手は壁に激突してから、跳ね返るように床に墜落した。

 

【……■ッ】

「へぇ?この獣人擬き共、前より頑丈になってるな」

「獣人擬き?」

「こいつ等のことだ。獣と人間の混ぜ合わせみたいな見た目だから獣人、解りやすいだろ」

 

シークさんは床に落ちて苦しげにもがく獣人を、興味深気に眺めながら端的に教えてくれた。

……私はなるほどとその名付けに納得しつつ、繰り返しなる質問を再度シークさんにぶつけることにした。

 

「あの、ところで……なんでこんなところに?」

「さてな。答えて欲しいなら相応の報酬を寄越して貰おうか」

「……。じゃあ良いです。」

 

何となくではあるけれど、彼がここにいる理由は想像が着く。

『紫陽の花』の長がアルエさんでも他の誰かでも、大差はないのだ。

重要なのは2つ。今日の私たちはハイレンジア家からの手紙に従って此処に来ているということ、そしてシークさんとハイレンジア家には明確に繋がりがあるということ。

……だとすれば。

 

「シークさんがここにいたのは、私達を囮にして獣人擬きの様子を見るのが目的だったんじゃないですか?」

「……半分ってところだな。」

 

シークさんは言いながら、倒れ伏した獣人擬きに背を向けて私の方に向き直る。

 

「そもそも、俺はコイツらのことは前から知ってる。今更様子を見るまでもない。」

「え?知ってるんですか?アレを?」

「……お前も話だけなら聞いてるはずだぞ。あの狩人がやられかけた奴、アレは獣人擬き共の関係者だ。」

 

確かに彼らの持つ爪と、連盟盟主の件やバレットさんが受けた傷はイメージが合致する。

 

「あ、だったらあの人を捕まえれば」

「捕まえても2日以内に死ぬし、そもそもあの様子じゃ会話なんてできないだろ。」

「……むむぅ。」

 

こんな時にクロブチ先生が居てくれればなぁ……なんて考えが脳裏を過った。

そして直ぐに、先生の力は相手と言葉を交わさなければ十善に発揮されないことを思い出してその考えを放棄した。

……いや、そもそも先生は力をあまり使いたがらないから、居てくれたとしても無暗に協力は仰げないんだけどね。

 

【■■■ッ!】

「あ?」

「え?」

 

……気を抜いてしまっていたんだと思う。

気付いた時には床に倒れ伏していた獣人は起き上がり、叫び声と共にシークさんに襲い掛かっていた。

そして、そのまま……その鋭利な爪をシークさんの身体に深々と突き刺していた。

 

 

  @ @ 

 

 

「シークさんッ!!」

【■■■ーッ!】

 

沙耶の悲痛な叫びと獣人の雄叫びが重なる。

二人の間には胸元を獣人の爪で貫かれた情報屋の姿があった。

男の口元からは逆流した血液が大量に溢れ出し、床を赤く染めている。獣人の爪によって穴が開いた胴体からも血が滴っている。

その眼には生気が感じられず、誰がどう見ても即死だった。

 

【■、■……?】

 

仕留めた獲物から爪を引き抜こうとした獣人は、困惑した。

突き刺した爪に添えられた手……それが自身の爪を掴み、動かすことすら許さないほど強固に留められていることに気付いたからだ。

 

「え?」

 

次に困惑を露わにしたのは沙耶だった。

彼女は自分の目の前で胸に風穴を開けられている人物を、信じられない物を見るかのように見開いた眼で見つめていた。

その視線では……

 

「いきなり人様の胴体抉るとか何考えてんだテメェ……」

 

本来死んでいなければならないはずの人物が、平然と口を開いて自身を刺した相手に対して悪態を吐いていた。

 

「い、痛くないんですか?」

 

沙耶は思わず間の抜けた質問を投げかけてしまう。おそらく気が動転していたのだろう。

 

「痛いに決まってんだろ。だが、この程度で俺が死ぬかよ。」

 

シークは沙耶の問いかけに当たり前のように返答し、口から流れ出している血を乱雑に拭う。

その様子を見せつけられて、困惑が最高潮に達したのは沙耶か獣人か……あるいは両者か。ともあれ、今この場を支配している存在がシークであることは、誰の目からも明らかだった。

 

「……。」

 

シークは自身の身体に突き刺さっている爪を引き抜き、ゆらりと緩慢な動きで獣人に向かい合った。

シークがその一連の動作を行っている最中、沙耶はただただ驚愕していた。

服には胸元に穴が開いている。しかし、そこから見えるのは爪によって開けられたはずの傷口ではなく、普通の人間と何ら変わらない肌の色だった。

 

「傷が、塞がって……」

「そこに驚くか?お前にしたら普通だろ、傷が直ぐに塞がるくらい」

 

その言葉に、沙耶は何も返さない。シークもその反応は予想していたようで、それ以上軽口は叩かなかった。

 

シークは、ゆっくりと眼前の敵へと歩み寄っていく。その眼には剣呑な色が宿っていた。

 

【■■■ッ!】

 

威圧感に耐え切れなかった為か、獣人は文字通り獣染みた瞬発力でシークとの距離を詰めて爪を振るう。

その一撃は、彼の身体を再び貫いたように沙耶には見えた。

しかし実際、振るわれた爪は彼の身体があった場所を空振りしただけだった。

沙耶にわかったのは、シークが爪が振るわれる直前に霧散するように散り散りになっていたということくらいだった。

 

【!?】

「いちいち驚くな、化け物が自分達だけだとでも思っていたか?」

 

声だけが聞こえるその場所に、小さな生き物が人の形に集まっていく。集まってくるのは蝙蝠のように見えた。やがてただ人の形を作っていたものが、ハッキリとした個人を形作った。

……いうまでもなくその姿はシークだった。

今度こそ異常だった。そこにいるのは異能を生まれ持った異能者のようでありながら、しかし人間という枠組みに収めるにはあまりにも異常な、文字通りの化け物だった。

 

【■■ッ!】

「暴れるなよ、これで貸し借りは無しだ」

 

怪物は抵抗する獣人の頭を鷲掴みにして持ち上げると、空いたもう一方の拳で獣人の身体を貫いた。

鮮血が飛散し、貫かれた獣人は身体を痙攣させる。

相手が意識を失ったことを確認したシークは相手の胴体から拳を引き抜く。その拳には血がベットリと付着していた。

 

「……流石にコレは、趣味じゃないな」

 

シークは自身の手を赤く染め上げている血をを数秒眺めてから小さく呟いて、動かなくなった敵対者の身体を壁に向けて投げ捨てた。

 

「……」

 

遠くで乾いた破裂音のようなものが聞こえた……。

沙耶がそんなことを思いながら半ば放心状態で状況の理解に努めていると、コツコツと靴音が近づいてきた。

 

「平気か?」

「え、あー……一応は」

 

ホントに大丈夫か?とシークは血で濡れていないほうの手を沙耶の前でひらひらと揺らす。

その様子にようやく沙耶は現状を正確に理解し、慌てて我に返った。

 

「あ、あの!」

「ん?」

「あ、えっと……」

 

勢いで口を開いた沙耶だったが、続く言葉が出ずに口籠ってしまった。

聞いても良いことなのだろうか?という迷いもあったのだが、そもそも何を聞くべきかという思いもあった。

……今、目の前で起きたことはすべて事実なのだ。それ以上に確かな情報はない、はずだ。

 

「……貴方は」

 

沙耶は最後まで逡巡しつつ、最終的にはやはりその質問を投げかけることにした。

 

「貴方は、何なんですか?」

「……。あははは!」

 

シークは沙耶の質問を受けて一瞬呆気にとられたような表情になり、堪え切れないといった様子で声をあげて笑い始めた。

……その様子から先程までの異常さは見受けられず、見た目相応の青年のように見えた。

 

「ったく、あの狩人と言い……面白いなお前ら」

「えっと、ありがとうございます?」

「褒めてはないな」

 

沙耶の礼をピシャリと遮ってから、シークは数秒思案して言葉を続けた。

 

「さて……俺が何なのか、か。それに対する答えは明確だ。」

「……」

 

沙耶は底意地の悪そうな笑みを浮かべて言葉を遮るシークに何も返さず、続く言葉を待った。

 

「俺は、ただの人でなしの化け物だよ。……答えはこれで充分か、人間?」

「人でなし……」

 

……沙耶は今までの出来事と、それを何でもないことのように認める彼の様子を見て、それが比喩でも何でもない正真正銘の真実なのだろうと実感した。

 

「サヤ!無事ですか!」

「バレットさん」

 

沙耶がシークの返答を効いたタイミングで、息を切らせたバレットが霧の向こうから戻ってきた。

 

「すみません、貴女を危険に晒してしまいました。何か……」

「……。」

 

そこでようやくバレットはシークの存在に気が付いたようだった。焦って視野が狭くなっていたようだ。

 

「何故、貴方がここに?」

「野暮用でな」

「……その手についた血は」

「……見ればわかるだろ、そこに転がってる奴を止めるのに必要だった。」

 

バレットはシークの言葉に誘導されるように、床に転がっている獣人を一瞥する。

それで状況が呑み込めたようで、バレットはこの場でシークを警戒する必要がないと理解した。

 

「どうやら貴方がサヤを守ってくれたようですね。……深く感謝します。」

「要らねぇよ。……それよりお前、外の2匹はどうした?」

「どう、とは?」

 

シークの問いかけにバレットは疑問で返した。単純に彼の質問の意図が分からなかったからだ。

 

「こいつらは経戦能力だけなら一級品だ。骨を圧し折った程度なら直ぐに復帰する。」

「確かにそうでしたね。」

 

シークの言葉にバレットは同意する。

彼の言葉は正しい、事実としてバレットが戻ってくるのが遅くなった原因は獣人たちの異様なタフさが原因だった。

 

「……なら、どうやって抑えた?殺すにしても生半可な方法じゃ死なないはずだが」

「えぇ、ですので……奥の手を使いました」

 

……バレットは静かにそう返答した。

その言葉でシークは苦虫を噛み潰したような表情を一瞬浮かべ、やがて確認するように呟いた。

 

「一部の『狩人』が持ってる異能殺しの武装か……。その気になれば相手の異能だけを殺せるって代物だろ?それ」

「必要であれば私は使いますよ。」

「そうかい」

 

シークとバレットのやり取りは簡潔に要点だけを確かめるような会話だった。

しかし沙耶はそんな二人のやり取りを聞いていて、少しだけ胸に引っかかりを覚えた。

沙耶自身、一体何が引っ掛かったのか明確に説明はできないのだが……それでも何かは感じていた。

 

「……さて、俺はもう帰らせてもらうぞ。仕事は終わったからな」

「待ちなさい、貴方には今までの情報諸々含めて確認しておきたいことが」

「やめとけ。お前が何をしてもしなくても、どうせもうすぐこの件は終わるんだ。多少の差異があるにせよ、概ね筋書き通りに進んでる。」

 

制止するバレットの言葉を遮り、シークは自身が仕留めた獣人の身体を担ぎ上げながら拒絶の言葉を口にする。

自身の身体が汚れることにも、その姿に気圧される沙耶とバレットの様子にもお構いなしといった様子だった。

 

「……もうちょっと息を抜くことを覚えろよ、人間」

 

血に塗れることを厭うことなく、怪物は獣人の遺体を抱えたまま霧の中へと消えて行った。

 

「……」

「……」

 

残された沙耶とバレットは立ち尽くしたままで、互いに何を言葉にするべきかを決めかねていた。

 

「私達も戻りましょう、今は先程よりも霧が薄くなっていますから」

「はい」

 

沙耶はバレットの提案に素直に従うことにした。

……先程バレットとシークの会話を聞いてから、胸中で燻っている言葉を口に出すのは憚られた。

なによりも、そんなことを彼女に頼むは酷だと沙耶は誰に言われるまでもなく理解していた。

 

曰く、異能だけを殺せる武装。

……それを使ってもらえばもしかしたら、自分はようやく普通の人間になれるかもしれない。

 

そんな脳裏にチラつく悪魔のような思考を振り払いながら、沙耶はバレットと共に霧の中を歩いて行った。

……霧が晴れて、朝が来るのはまだしばらく先のようだった。

 

 

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