同日、深夜。フェリエット家当主の自室にて。
そこには3人の人間が集まっていた。
「……。」
一人はヴィアナ。このフェリエット家の現当主にして霧の都の『貴族連盟』の盟主の一角。
彼女はただ悠然と構え、いつも通りの雰囲気のままで席についていた。
「……。」
もう一人はオーキス。長年フェリエット家に仕え、今や使用人の代表でありヴィアナの補佐役だ。
彼は対面している二人に対して紅茶を淹れた後、黙してヴィアナの傍らに控えている。
「……。」
そしてヴィアナの部屋にいる最後の一人はゴルドだった。
ゴルドは慌てることもなく、ただ責を認めて裁定を待つ咎人のような、ある種落ち着いた表情でじっと正面に座す若き当主に視線を向けていた。
「さてゴルド。貴方、私に何か言いたいことがあるのではなくて?」
「……。」
ここで彼女が口にするのは、自分を糾弾する言葉であるはずだとゴルドは考えていた。
ヴィアナ=フェリエット。彼女は決して何も知らない愚かな小娘ではない。
一を聞いて十を知る……どころか、一を聞くまでもなく状況を分析して十を察することのできる聡明な人物だとゴルドは彼女を評していた。
だからこそゴルドはこの席に招かれた時点で、彼女には自身が『紫陽の花』の間者であることなど当たり前のように見抜かれているのだろうと思っていたのだ。
……だというのに、彼女からの言葉は糾弾のそれではなく問い掛けだった。それ自体がゴルドには意外なことだった。
ゴルドは尚も黙考し、誤魔化すだけ無駄だろうと判断して、返す言葉を選択した。
「ヴィアナ様は……何故、私を罰しないのですか?」
「……はい?」
ゴルドの問いかけに対して、ヴィアナは間の抜けた返事を返した。
そして直後に切り替えるように咳払いを1つしてから、ヴィアナはゴルドを改めて見つめ直す。
……10秒にも満たない僅かな時間そうしていたヴィアナは、やがて表情を緩めて苦笑する。
「ねぇゴルド。……私は、一人では当主の役目を全うできない様な半人前なのよ?」
「それは……」
それは違う、とゴルドは反射的に否定の言葉を口にしようとした。しかしヴィアナはそれを遮るように、更に言葉を続けた。
「そもそも去年ゴルドを我が家の使用人として迎え入れた時点で、貴方の素性はオーキスが調べてくれていますのよ?貴方が『紫陽の花』の間者だったからといって、それが今更何だというのです」
当たり前のことであるかのように言ってのける彼女の雰囲気は当主として完璧なものだった。
ゴルドはそんなヴィアナに対して、ただ黙して続く言葉を待っていた。
「……それに、この家の使用人のことは誰よりも私が理解しているつもりですわ。もちろんそれは貴方も例外ではありません。」
「……。」
「そしてこの席に応じてくれたということは、過程はどうであれゴルドは私の元に残る決断をしてくれたということなのでしょう?……だから、私は貴方を許すと決めたのです。」
続くヴィアナの言葉は年相応の少女のもので……ゴルドは今度こそ次の言葉を選べなくなってしまった。
対してヴィアナは何も答えない相手の姿をどう解釈したのか、僅かに苦笑してからゴルドに再び言葉を投げかける。
「……あぁ、安心してよろしくてよ?貴方が『紫陽の花』と関係があったことは私とオーキス……あとは、あの二人しか知らないことですから。」
あの二人、というのは先程深刻な面持ちで帰ってきた沙耶とバレットのことだろう。
「それは願ってもない話ではありますが……よろしいのでしょうか?」
ゴルドは自身にとってあまりに都合の良い話に、思わず間抜けな問いを投げてしまった。
ヴィアナは紅茶に口を付けつつそれを聞き、楽しそうに微笑むのだった。
「他ならぬ私がそれでいいと言っているのです、他に誰の許しが必要だといいますの?……ね、貴方もそう思うわよね?オーキス」
「……強いて言うのであれば先代の当主。ヴィアナ様の御父上の許しが必要かと思います。」
「ちょっとオーキス!?」
唐突に話を振られたオーキスは、そんな言葉を口にする。流石にヴィアナもこれには動揺したようで、思わず声を荒げてしまった。
オーキスはそんなヴィアナの様子に、今まで微塵も変化の無かった表情をわずかに綻ばせて一言呟くように言った。
「冗談です。」
「オーキス、貴方ねぇ……。」
ヴィアナは額に手を当ててオーキスのを突然の行動に呆れたような声を漏らした。
ゴルドはそんな二人のやり取りを見て……あの人冗談とか言うのか、と何とも言えない感想を抱いた。
オーキスは使用人たちを取りまとめているとはいえ、その人柄を正確に把握している者は少なかった。
彼は普段から規律を体現することを自身に課してはいたが、実は意外と茶目っ気のある良い性格をしていたのだった。
……少しして、唐突なオーキスの言動によって若干弛緩した雰囲気を掻き消すようにヴィアナは一つ柏手を打った。
「さて、とは言ったものの明らかな背信行為に何の咎めも無しでは貴方も座りが悪いでしょう。それは私も重々承知していますわ。」
「まぁ……はい」
ヴィアナからの信頼を裏切るような真似をしていたのは純然たる事実だったのだから、ゴルドとしても何か罰を与えられた方が気が楽だった。
「なので貴方には、情報の提供をしてもらいたいのです。」
「……私は何を話せば?」
「簡単ですわ。ゴルド、貴方は私の質問に正直に答えてくだされば良いのです。」
何を聞かれるのだろうか、とゴルドは身構える。
しかしすぐに冷静になり、何を聞かれたとしても素直に知っていることを伝えれば良いだけだとゴルドは考えた。
……どうあれ、自分は彼女に仕えることを選んだのだから。
そうして冷静さを取り戻したゴルドは、ヴィアナからの質問を待った。
「質問はひとつですわ。……沙耶が撃たれて帰ってきたあの日、どうしてバレットではなく沙耶を狙ったのです?」
ヴィアナの言葉から、これまでで一番の圧を感じた。
ゴルドが沙耶を狙撃したのは事実であり、彼女とヴィアナは親友同士。その関係性を考えればヴィアナの憤りも無理のない話だとゴルドは納得する。
……しかし、彼女は誤解している。まずはそこを正さなければならないとゴルドは思考した。
「ヴィアナ様、たしかに私が沙耶様を撃ったことは事実です。……しかし、あれは私にとっても想定外の事態でした。」
「……想定外?」
ヴィアナは集中するように口元に手を当てて、事情を説明していくゴルドの様子を観察する。
……微細な違和感すら見逃すまいとするかのようなその様子にも、ゴルドは変わらず冷静に己が知る確実な事実のみを口する。
「はい。あの日、私が受けていた指令は『外出している狩人を襲撃しろ』という内容でした。その理由を聞くと、彼女は私にこう言いました……『貴方たちは、ただ狩人の眼を私たちへ誘導すればいい』と。」
「……。」
ヴィアナはゴルドから聞いた話を分析していく。
話をしている彼の所作や、当時伝え聞いた状況から考えるにゴルドは嘘を吐いていないのだろう。
そういえば、ゴルドは先程気になることを洩らしていなかっただろうか?
ヴィアナはそう思うのとほぼ同時に、その疑問を口に出した。
「さっき『彼女』と言っていたけれど……もしかして『紫陽の花』のボスが誰か、ゴルドは知ってますの?」
「?……あの、失礼ですが……沙耶様から聞いていないのですか?」
「はい?なぜそこで沙耶が出てきますの?」
その時ゴルドは、自身の犯してしまった最大の失態に気が付いた。
……そういえばこの席に招かれてから今まで、ヴィアナから沙耶の話題は出ていなかった。
それはつまり、沙耶は律義にもゴルドのことを何一つヴィアナに教えていなかったということで……。
「そう、つまり……沙耶はまた一人で抱え込んでいたわけですのね」
顔を青くして何も答えないゴルドの様子に、ヴィアナはどうやらある程度の事情を察してしまったようで表情に僅かな怒りが滲み始めていた。
「……」
ゴルドは自身の迂闊な言動の結果として、本気で怒りだしているヴィアナと真正面から対峙することになってしまったのだった。
「ヴィアナ様、今はどうか冷静に。沙耶様も悪気があったわけではないかと。……おそらくは、伝えることによってヴィアナ様とゴルドさんの関係に亀裂が生じるのではと危惧したものと思われます。」
「そんなことは解ってますわ!ですけど……こういう時にこそ正直に頼って欲しいのが友達というモノでしょう?」
癇癪を起こしたように声をあげるヴィアナに、オーキスは落ち着いた声で語り掛ける。
「えぇ、ですから……どうかヴィアナ様も沙耶様を信じて差し上げてください。……落ち着いて話をすれば、些細な行き違いは解消されるものですので」
「……。貴方がそういうのなら……仕方ないですわね……。」
まだ完全に納得はできていない様子のヴィアナは、渋々と言った様子で僅かに紅茶の残ったティーカップを口元に運んだ。
「……」
ゴルドは内心、オーキスに感謝していた。
対処したのがオーキスだからこの程度で済んだが、ヴィアナが本気で怒ってしまった場合それを宥めるのは簡単ではない。
もっとも当のオーキス自身は、ヴィアナに紅茶のお代わりを淹れてから、直ぐまた素知らぬ顔で彼女の傍に控えているのだが。
「それで?いつ話をしたかは知りませんが、貴方沙耶に何を教えたの」
「……」
ヴィアナはすっかりいつもの上品な雰囲気をかなぐり捨てて、少し拗ね気味に言葉を投げかけてくる。
そんな彼女の様子に思わず苦笑しそうになったゴルドは、舌を軽くかんで密かに耐えていた。
そうして数秒耐えたゴルドは昨夜沙耶に伝えた内容、つまり彼の知る『紫陽の花』のボスの正体をそのままヴィアナに伝えた。
「『紫陽の花』のボスがアルエさん……?」
「はい、少なくとも私達は彼女から指令を受けていましたし、誰もボスの正体を疑ってはいませんでした。」
「……。」
ヴィアナはゴルドの様子を更に深く観察する。
……不自然な挙動はなく、発せられる言葉にも淀みはない。なにより彼の性格からして平然とこんな嘘を言えるような人柄ではない。
そう結論付けたヴィアナは、ならばと次の過程を脳裏で構築する。……そして、その方が”らしい”と感じて自身の推測を肯定した。
「……それにしても、どうして彼女は誘導なんて何の利益も無いことを貴方たちに命じたのかしら。」
ヴィアナからの問いにゴルドは即答することはなく、数秒思考を巡らせてからゆっくりと返答した。
「伝えられた以上の詳細な理由はわかりません。……ですが私には彼女が、今回の騒動に外部の人間や組織が介入することを嫌っているように感じられました。」
「……他所の介入を嫌って、それでどうして自分たちが糸を引いているように見せかける必要がありますの?」
実のところ、ヴィアナはずっとソコが引っかかっていた。
異能薬の売人を『紫陽の花』が庇っているのであれば話は簡単だった。だが実際は逆で、売人と彼らは敵対しているらしい。……わざわざ敵対者を庇うような指令を、『紫陽の花』の長が出す理由がない。
……なぜ?どういう理由で彼女はそんな指令を下したのか?
その疑問だけが、目障りなほどハッキリ存在しているくせに、ヴィアナには答えを見つけ出せないでいた。
「ヴィアナ様」
「え、あぁ……なんです?」
「その、お伝えするのが遅くなって申し訳ありませんが……こちらを」
ゴルドは懐から取り出した封筒を恐る恐るとヴィアナに差し出した。
このやり取りに既視感を感じて怪訝な顔をしつつも、ヴィアナはそれを受け取った。
「これはいつ、誰から受け取ったものですの?」
「今朝この屋敷に戻る途中に……アルエ様から」
「は?」
ゴルドの話を聞いたヴィアナは開封しつつ、さらに表情を険しいものにする。そしてそのままゴルドではなく、オーキスに視線を向けた。
「私が今朝手紙を受け取ったのは、彼女ではありませんでした。」
「……。つまりオーキスが確実に動けない時間を作った上で、二重の仕込みをしたということね」
「ヴィアナ様、それは」
ヴィアナの言葉の意図を正確に汲み取ったオーキスは、すこし躊躇するように言葉を発した。。
ヴィアナはオーキスの言葉を聞き流しつつ、ゴルドから渡された手紙をじっくりと読み込んで今日何度目かになる深いため息を吐いた。
「私にどうしろと……」
「……ヴィアナ様?」
ゴルドはいまだに状況がわかっていない様子で、ヴィアナを気遣うように声をかける。
そんなゴルドに多少は気が紛れたヴィアナは、居住まいを正しながら努めて冷静に、すっかり冷めてしまった紅茶を飲んだ。
「他人を矢面に立たせて自分は安全な位置から指示を出し、その結果を収集する。……これは明らかにあの子のやり口ですわよね……。」
「……?」
ヴィアナの独り言の真意が読み取れず、ゴルドは疑問符を浮かべるだけで言葉を発することはない。
その様子を知ってか知らずか、ヴィアナは更に推測をすすめていく。
「どこまでが仕込みで、どこからが偶然かは解らないけれど……こういう状況になっている以上、私も『彼女』の策に乗るしかないようですわね。」
ヴィアナは何かを決心したように、そう呟いて席を立つ。
そして悠然とした足取りで、窓辺へ近づき濃霧に支配された外界を見つめる。その顔は、普段より少しだけ影が差しているように見えた。
「オーキス。今朝の手紙への返答……イリスからの舞踏会の誘いについてですが、招待を受けることにしましょうか。」
「……承知しました、ヴィアナ様」
ヴィアナは恭しく首を垂れて従う己が従者へ微笑みかけ、最後にゴルドへ視線を向けた。
「ゴルド、貴方も沙耶の付き人として同行なさい。」
「……。お言葉ですがヴィアナ様、その役割は私よりも」
「貴方が何を言いたいかは理解できます。……しかしバレットにはその日、既に他の予定がありますの」
「……。イエス、マイロード」
先程自分が渡した封筒を掲げながらそういうヴィアナに、ゴルドは詳細を理解できないまでも大まかな事情を察して主命に従うことにした。
……刻々と事態は進行し、夜は更に更けていく。
濃霧の中に霞む真実は……もうすぐ手の届くところまで近づいていた。