舞踏会に彼岸花は咲く   作:春4号機

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【輪舞】⑧

少しだけ時間は遡る。

 

ヴィアナと沙耶が喫茶店に入った後、バレットとゴルドは警護を続けていた。

 

「なるほど……私が知らないうちにイリス嬢からそんな誘いが……。」

 

ゴルドから舞踏会の誘いの話を聞いたバレットは、額を軽く押さえながらも努めて平静に呟いた

 

「えぇ。そもそも今日の外出で沙耶様とバレット様に別行動をしていただいた理由は、スムーズに誘いに応じていただく為でしたので。」

「……まぁ、どのみち今回の『紫陽の花』の長からの誘いにサヤは同行させないつもりでしたが。……どう考えてもリスクが高すぎますので。」

「……」

 

ゴルドはバレットが何でもないことのように言った言葉に反応しそうになったが、自分が口を出すことではないと考え直して口を噤んだ。

 

沙耶がバレットに自発的に協力しているのも、バレットが沙耶を気に掛けているのも、自身が踏み入るべきではない2人の問題だ。

なにより、元々自分はこの件を仕組んだであろう組織の人間だった。そんな自分が苦言を呈するのは筋違いだとゴルドは自嘲気味に考えた。

 

「それはそうと良い機会です。私は貴方に直接聞いておかなければならないことがあるのです。」

 

ゴルドを見据えて言うバレットの視線は、誤魔化しを許さない真剣そのものだ。一つでも選択肢を誤れば殺されかねない、そんな威圧感をゴルドは感じ取った。

 

「……怖いですね。なんです?」

「貴女がサヤに語った『紫陽の花の長は、ハイレンジア家使用人のアルエである。』という情報に、嘘はないのですね?」

「今更それを聞きますか?」

 

ゴルドはバレットの視線に気圧されながらも、その眼を正面から見つめ返した。

 

質はともかくとして、潜ってきた修羅場の数だけで言うのであればゴルドもバレットに負けはしない。

それに彼はフェリエット家使用人の中でも、ヴィアナが自らスカウトした選りすぐりの一人だ。圧力に屈するような、惰弱な胆力ではない。

 

「大事なことです。この質問への返答によっては、私もここからの対応を変更する必要がある。ですので、あまりこういう言い方をしたくはありませんが……ヴィアナ嬢の名誉に誓って誠意ある返答をしていただきたい。」

 

バレットとしても苦渋ではあったが、後に響く情報を得るためには致し方ない。

彼女もゴルドの人柄はこの数日で理解している。だからこそ、ゴルドを信じた上での選択だった。

 

ゴルドにとってもバレットの投げた問いが、重いものになることは想像に難くない。

万が一ここで虚偽の言葉を吐けば、自らの意思で選択した主君の名誉に傷をつけることになってしまうのだから。

 

「わかりました、お答えします。」

 

……しかしそれも、返答に嘘があればの話である。

 

「あの日、沙耶様にお伝えした情報に嘘偽りはありません。我が主、ヴィアナ=フェリエット様の名に懸けて誓います。」

 

仮の話ではあるが……ゴルドが沙耶に与えた情報の真偽が偽りの物だったとしても、それを伝えたゴルド自身が本心から真実だと認識している場合に限り、それは嘘を吐いたことにはならない。

一つの事実として、ゴルドはアルエから直に指令を受けた経験が幾度もある。

故に……彼にとってその情報は、疑いようのない真実だった。

ゴルドはあの日、自身が見聞きして知り得た"彼の中の真実"を沙耶に伝えた。

……要は、それだけの話だった。

 

「ふむ……よくわかりました。これで私も……ッ!」

 

数瞬思考を回した後、バレットは納得した様子で言葉を紡いだ。しかし、それを言い終わるよりも早く、バレットは自分たちの背後から複数の足音を聞いた。

 

「……バレット様。」

「えぇ……わかっています。」

 

ゴルドもそれに気付いたようで、小さくバレットへ声をかける。

バレットとゴルドがいるのは路地裏へと続く道だ。沙耶たちが入っている店の様子がぎりぎり窺える位置で、彼女たちは待機していた。

足音は彼女らの背後の路地裏から聞こえた。……普通なら進んで入ろうとは思わないような場所から、どうして足音が聞こえてくるというのか。

バレットは注意深く背後の気配を探る。……こちらの様子を窺っている様子だが、流石に数や目的までは判然としない。

 

「……。」

 

バレットは沙耶たちが入っている店を一瞥し、少しだけ思案してから行動を選択した。

 

「私は足音を追います。貴方はサヤたちを」

 

護ってください、そうバレットは伝えようとした。

 

「いえ、ここは私にお任せを」

 

しかしゴルドはバレットが言い終わるよりも早く、彼女を制した。

そして極めて落ち着いた様子で付近の店舗に入っていき、数秒で4人ほど人を集めて戻ってきた。

 

「彼らは?」

 

バレットは訝し気に質問する。当然の反応だろう。荒事の可能性もあるというのにこれ以上一般人を巻き込むわけにはいかない。

 

「彼らには個人的に貸しがありまして、時折手を借りているのです。多少であれば腕も立ちます。……あ、素性の方は、察してもらえると助かります。」

「……いいでしょう。申し訳ありませんが、力をお借りします」

 

ゴルドは元を辿れば『紫陽の花』のメンバーだ。

件の組織の性質上、彼がフェリエット家に関りの無い独自の伝手を持っていても不思議はない。

それが明るみに出せる類のものかどうかは、一先ず目を瞑るとしよう。

 

「では、お伝えした通りにお願いします。」

 

ゴルドに連れて来られた四人は、それぞれ別の路地の出口で待機するように指示を受けて散り散りに駆け出した。

 

「彼らに危険が及ぶ可能性がありますが、問題はないのですか?」

「え?あー、そうですね……。その時は報酬に多少色を持たせれば大丈夫でしょう。それに自身で対処しきれない様な危険が迫った場合は、即座に逃げるように伝えてあります。」

 

バレットは少し疑問に思ったことを気まぐれに問いかけたのだが、それに対するゴルドの返答に少々驚いた。

もう少し平和的な返答を返してくると思っていたのだが、どうも見かけに囚われ過ぎてはいけないらしい。

 

「ですがそもそもの話として、バレット様が居ればその心配もないと思いますので。」

「そういうことを臆面もなく言われてしまうと……。なんというか、貴方は存外喰えない方ですね。」

 

ゴルドと会話をしていると、沙耶とは違うベクトルで気が抜けてしまって良くない。

もしやヴィアナ嬢は彼のこういう面を買って、フェリエット家に迎え入れたのではないだろうか?

偶然にも数日前の沙耶と似た感想を抱きつつ、バレットは追跡者の潜んでいるであろう路地の中へと踏み入った。

 

 

念のため沙耶達をすぐに護れる位置にいてほしいというバレットからの強い要望で、ゴルドは路地へは入らずにバレットが進んでいった路地の入口で待機している。

そして路地へ侵入したバレットは、敢えて靴音を大きく響かせながら前へ進んでいた。

相手の数は解っていないが、多くとも3人程度とバレットは見積もっていた。この路地の広さを見るに、それ以上の人数が居ても邪魔になるからだ。

もしその程度の判断も出来ない手合いならば、それは荒事に慣れていない素人か、徒党を組まねば何もできない小心者の集まりだろう。

 

「聞こえていますね?」

 

バレットの呼びかけに対して返答はない。当然だろう。

バレットは沈黙など意に介さないように、平然と言葉を続ける。

 

「3秒だけ待ちます。その間に全員姿を見せなさい。」

 

バレットはそう呼びかけながら、ここに入る前にゴルドから受け取った手榴弾の精巧な模型を見せびらかすように掲げる。

 

「3秒経過しても反応が無いようであれば、コレをそちらに投げ込みます。」

 

バレットが言い終わってからも数瞬沈黙が続く。バレットはため息をつきながらも大きく良く通る声でカウントダウンを開始した。

 

「3」

 

相手からの反応はない。しかしバレットは、僅かに焦ったような息遣いを感じた。

 

「2」

 

バレットは再び相手に見せつけるようにしつつ、ピンに指を掛けながらカウントを進める。

その様子を見てハッタリではないと感じたのか、焦ったように相談する声が極小さく聞こえた気がした。

 

「1」

「ま、待ってくれ!頼む!話を聞いてくれ!」

 

そうして最後の一秒を数え終わり、バレットが今まさに模型からピンを引き抜こうとした時、慌てた様子で物陰から男が二人現れた。

 

「……二人ですか。どこの誰か知りませんが、何故私達を探る様な真似を?」

「話す!話すからまずはソレをしまってくれ!じゃないと落ち着いて話も出来ねぇって」

 

酷く狼狽えた様子で叫ぶように懇願する茶髪の男を用心深く観察しつつ、バレットはピンから指を離して懐にしまった。

そもそも本物ではないのだ。いつまでも持っている意味はない。

バレットとしてはこんな物で大きな効果を出せた事こそ嬉しい誤算だった。

バレットが懐に爆弾をしまったことを確認し、男達は緊張が緩んだように口を開いて事情を話し始めた。

 

「俺らはただ仕事で、アンタらの情報を何でもいいから調べて来いって言われただけなんだ……。上手く情報を集めてくれば、言い値で金をくれるって言うから」

「俺は違うぞ!?俺はただこいつが割の良い仕事があるって言うからついてきただけで!こんなヤバいことに巻き込まれるなんて思ってなかったんだ!」

 

片や悲嘆に暮れるように自白する茶髪の男、片やそれに対して食って掛かるように自身の潔白を証言しようとする黒髪の男。

二人の言い分を聞きながら、バレットは小さく溜息を吐いて再び懐から手榴弾の模型を取り出す。

 

「静粛に願います。」

 

バレットは簡潔にそれだけを伝え、模型からピンを引き抜いて2人の眼前に転がした。

 

「はぁ?!」

「うわあ!!」

 

男たちは酷く慌てた様子で尻餅をついたり、慌てて駆け出そうとして転倒する。

それからたっぷり数秒ほど爆発に身構えた後、男達は恐る恐るという様子で体勢を立て直しながら状況の把握に努めていた。

そして、彼らはようやく自分たちが謀られたことに気付いてバレットを見た。

 

「少しは落ち着きましたか?」

「……」

「……」

 

平然とそんなことを聞いてくるバレットの立ち姿に、彼らは自分達との差を本能的に感じ取った。それから間をおかずに、彼らは諦めたように脱力したのだった。

 

 

「ではもう一度聞きます。貴方達は報奨金に釣られて雇われただけで、詳しい事情は把握していない。……そう言うわけですね?」

「あぁ、向こう数年遊んで暮らしても釣りがくる位の金額だったんだ……。そうじゃなきゃ俺達もわざわざフェリエット家にちょっかい出したりしねぇよ……。」

「……ふむ」

 

バレットはすっかり意気消沈した様子で座り込んでいる男たちを眺めながら、その振る舞いから彼らがさほど荒事に慣れていないことを見て取った。

早い話、彼らはただのゴロツキだ。それを彼らの雇い主が金銭で上手く操って、情報収集をさせていたといったところだろう

 

「貴方達が集めていた情報は、フェリエット家に関連することですか」

「……違う。調べるように言われたのは、アンタを含めた『フェリエット家に滞在してる二人』についての情報だ。」

「私達を、ですか」

 

黒髪の男が返してきた返答の内容が少々意外だったため、バレットは思わず聞き返してしまった。

そんなバレットの様子を意に介さず、男たちは言い争いを始めている。

 

「お、おい馬鹿!そこまで教える必要ないだろ!適当に誤魔化してれば」

「お前こそ馬鹿か。さっきのハッタリで甘く見てるのかもしれないが、こいつが本物の爆弾なり銃なりを持ってない保証なんてどこにもないんだぞ」

 

先程まで黙っていた茶髪の男は、仲間の指摘で初めてその可能性に思い至ったようで顔色を青くしてバレットを見上げている。

黒髪の男の方は、開き直ったようにいっそ清々しい程の態度で言葉を続けている。

 

「その可能性を拭い切れない以上、手持ちの情報を吐き出して逆にコイツラに保護してもらった方がまだマシだ。」

 

黒髪の男は淡々と自分の意見を伝えて、仲間の主張を封殺した。

そして仲間が沈黙したことを確認した彼は、更に畳みかけるように口を開く。

 

「俺は今から俺たちが知ってる情報を全部アンタに伝える、だからその見返りとして……え?」

 

黒髪の男が言葉を言い終わるより早く、項垂れていた茶髪の男が言葉を遮るように黒髪の男にぶつかった。

黒髪の男は何が起きたかわからないという表情を浮かべ、それからすぐ苦悶の声を洩らして蹲った。

 

「は、ははは……アイツの言ったとおりだった……。こういう状況になったら真っ先に裏切る奴がいるって……ッ、クソッ!せっかく旨い儲け話を教えてやったのに恩を仇で返しやがって!畜生!」

 

茶髪の男は独り言を洩らしながら、蹲る黒髪の男から距離を取って悪態を吐く。

酷く狼狽している様子で、茶髪の男の手から何かが滑り落ちた。

それは地面に接触するとほぼ同時に割れてしまったが、バレットはその形状を確かに自身の目で確認した。

それは確かに注射器に酷似した形状をしていた。

それを認識した上で、バレットは茶髪の男へ油断なく銃口を向けていた。

 

「何をした。」

「ッ!うるせぇ!元はといえばお前が気付かなきゃこんなことにはならなかったんだ!だから俺は悪くない!お前が悪いんだ!止めろ!近付くなっ!!」

 

バレットは銃を構えたままで茶髪の男との距離を詰めていく。蹲る黒髪の男は無視し、自身を激しく糾弾している標的との距離を測る。

そして尚も狼狽え続ける男との距離が、残り1メートルほどになった時、唐突にソレは起こった。

 

「ガァアアァァァアアァアアァアッ!!」

「!!」

 

その驚愕はどちらの物だったのか、それは恐らく当の本人ですら判然としないだろう。

それほどに、二人が見たモノは異常だった。

バレットは茶髪の男が落とした物が注射器だった時点で、こうなることは予想していた。しかし、それでも戦慄を禁じえなかった。

茶髪の男はこんなことは聞いていないとでも言うように、身体を振るわせて現実を拒否した。次いで彼は、自分は言われた通りにやっただけだと自己を正当化した。

 

そして刺された男は、痙攣を繰り返しながらまるで何かに操られるように起き上がっていた。

その目に既に生気はなく、正気も失われていることが傍目からも見て取れる。

さらに四肢は不自然に歪曲しており、右と左で長さも不揃いになっている。加えて、爪や牙も不自然に伸びていき、嫌悪感すら感じるような不気味な風貌へと変貌を遂げていた。

何よりも異常なのは彼の皮膚だった。先程までは確かに人間のそれだった。だというのに刺されてからの極僅かな時間で、既にそれは分厚い毛皮に覆われた獣染みたものへと成り果てていた。

 

バレットはその姿に見覚えがあった。

嫌でも目に焼き付いていたソレを認識し、彼女は即座に行動を開始する。

 

【■!?】

 

正々堂々と戦っていては、時間がいくらあっても足りない。それほどに頑丈な相手だ。

しかしだからこそ、対応も自ずと絞られる。何もさせずに封殺する。それだけ、簡単な話だ。

バレットは雄叫びを終えた人を辞めた何かへ肉迫し、容赦なく拳や蹴りを叩きこんだ。

拳を撃ち込む度に、骨や内臓が砕け破裂するような手応えを感じる。

バレットの猛攻に耐えかねて、ソレの身体は壁や床を跳ね回る。

それでもバレットは手を止めない、脚も止まらない。ただひたすらに殴り蹴る。

彼らの頑丈さは昨夜の内で、これでもかというほどに経験しているからだ。

バレットには油断も躊躇も一切なかった。僅か数秒で都合30回ほど、元人間のソレに対して渾身の力で攻撃を加え続けた。

 

「……。」

【ッ……■……■……】

 

バレットの猛攻が終わった。

ソレにはまだ息があった。

普通の生き物であれば、ここまで彼女の猛攻の直撃を受けては意識を保つことすら難しい。

……やはり、尋常な生命力ではない。強靭な肉体と身体能力を得る代償として、致命的なまでに知性を失う。……恐らくはソレこそが『異能薬』の本質なのだろう。

バレットは冷静に思考を回しながら息を整え、最後の一撃として異能殺しの力を持った銃を構えなおし、その引き金を引いた。

 

酷く淡白で乾いた音が、周囲に響いた。

 

事を終えたバレットには、哀れみはあれど悲しみはなかった。

こうなってしまっては自分では救いようがない、ならばせめて迅速にその生に幕を引く。

それがせめてもの救いになるはずだ。バレットはそう考えていた。

彼女にとっても想定外だったのは、人体の変貌速度が予想を遥かに上回っていたことだ。

 

「……悪趣味な薬だ」

 

恐らく彼の仲間が落とした注射器、その中身は『異能薬』だったはずだ。そうでなければ可笑しい。

バレットとしても、人をあそこまで悲惨に変貌させるような薬が他にあるとは思いたくはなかった。

 

ゴルドたちが出口を封じているとはいえ、状況は油断を許さない。逃走した彼が、まだ異能薬を隠し持っていないとは限らないのだから。

そうしてバレットは、姿を消したもう一人の当事者を追いかけるためにその場を離れた。

 

 

 @ @

 

 

逃走者は息も絶え絶えの状態で路地を駆けていた。

転倒し、無造作に置かれている荷物にぶつかり、ボロボロになりながらも彼は懸命に足を動かした。

 

『だからその見返りとして……え?』

 

走っている最中、何度も何度も気心の知れた友人を刺したときの感触と彼の表情が脳裏を過った。

その度に彼は必死で自分を正当化した。

 

自分はなんてことをしてしまったのか、高が大金欲しさに友人をあんなにも悍ましい姿にしてしまった。

いいや違う、そもそもあんな風になるだなんて、そんな話は聞いていない。あの注射器の中身は麻酔だとアイツも言ってたじゃないか!

 

『君に頼む仕事に、1人までなら協力者を同行させても構わないよ。無論、その場合は協力者にも同額の報酬を支払おう。』

『……マジ?』

『もちろんさ。……ただ、覚えておいて欲しいんだ。もしも君達が気付かれて、仲間が我が身可愛さで口を割りそうになったなら、そいつは裏切り者だ。君を見捨てて、自分だけは甘い蜜を吸おうとしているはずだ。……だから、その時はコレを使いなさい。』

『これは……注射器?なにが入ってるんです?これ』

『なに、麻酔みたいなものだよ。これを使って、裏切り者を差し出してしまえば良い。そうすれば、仮に彼女らの情報を得られなくても、少なくとも君には約束通りの額を支払おう』

『……』

『大丈夫、安心しなさい。もし万が一そうなったとしても、君は、何も、悪くないんだ』

 

そうだ、あの人だって言っていたじゃないか!俺は悪くない!悪いのは先に裏切ったアイツなんだ!だから、だからだからだからッ!!!

 

逃走者は何度も何度も必死になって責任転嫁と自己肯定を繰り返す。そしてようやく間近に迫った出口に歓喜し、脇目もふらずに飛び込んだ。

 

「ぐぁっ」

「おっと」

 

路地から飛び出す直前に、逃走者は路地へ侵入してきた何者かと衝突して尻餅をついてしまった。

彼は自身の醜態を自覚しながらも、思考は幾分か落ち着きを取り戻しつつあった。

あと少し、ここから出れば後は人混みに紛れて逃げ切るだけだ。大丈夫だ、逃げ切れる、所詮相手は余所者なのだから。

 

「おや、君か。」

「!?」

 

耳に馴染んだ声に、逃走者の思考は一瞬フリーズした。

どうしてここに?とかそんな細かいことは思い付かないくらい、呆然と目の前の人物を見ていた。

それは間違いなく、あの日自分に仕事の依頼をして、あの薬を預けてきた張本人だった。

 

「随分と慌てた様子だけど、大丈夫だったかい?……無理をさせてしまったようだね」

「あ、あんた!そうだ!アンタの言いつけ通り!俺は、俺はッ!」

「……俺は?」

 

男は未だに座り込んでいる逃走者に手を差し伸べながら、落ち着かせるように聞き返した。

 

「俺は……いや、そんなことより!あの薬は一体何なんだよ!アンタただの麻酔だって言ってたじゃないかッ!」

「……。説明にも時間が必要だね。詳しい話は後でしようじゃないか。とりあえず、今はここを離れよう。さぁ、私の手を取りなさい。」

「……ッ」

 

男の返答に、逃走者はグッと言葉に詰まった。

確かにその通りだ。ここで足を止めていてはさっきの女がすぐに追いついてくる。

そうなっては逃げきれない、アイツを犠牲にしてしまった以上はせめて金だけでも手に入れなければ!

 

「後できっちり説明してもらうからな!」

 

逃走者はそう吐き捨てるように言いながら、男の手を掴んで立ち上がった。

 

「うん、そうだね。」

 

男は変わらない優しげな声色で言う。

 

「君に後があれば話してあげても良かったんだけど、残念だよ」

「……。は?」

 

逃走者は首筋に刺すような痛みが走ったのを感じた。

なんだ?何をされた?何か刺されたみたいな……刺す?誰に?

逃走者は困惑の最中、自分の目の前に立つ男を見つめた。相も変わらない柔和な表情だった。

しかし、その瞳の奥に何か得体の知らない悍ましいものを感じ、逃走者は無意識に男から距離を取った。

 

「おや、どうかしたかい?そんなに身体を震わせて」

「ぁ、ぁあ……」

 

逃走者は蹲る。先ほど見た自身の仲間と同じように。

 

「うぁッ、ガッ、ァア」

「ふむ……叫ばれるのは面倒だね。やはり、喉は潰しておくとしよう」

 

男は逃走者の毛髪を掴んで無理矢理に顔を上げさせた。

……逃走者の苦悶に歪む表情など意に介さないというように、男は淡々と作業染みた動作で事を終える。

男に"処理"を施された逃走者は、声をあげることさえも出来なくなってしまった。

 

そうして無言で蹲る逃走者を、男はまるで実験でもするかのように無感情に眺めていた。

 

「……完全に変貌するまでざっくり30秒、ってところかな。じっくり観察したいところだけど、『狩人』に見られては厄介だ。……騙して申し訳ないけれど、騙された方も悪いという言葉もある。」

 

男は心底から残念だとでも言うように、蹲る逃走者に背を向けてのんびりと歩き出す。

 

「ここは是非とも、その『異能薬』を報酬代わりに収めておいてくれるとありがたい。」

「……」

「沈黙は肯定として受け取るよ。じゃ、縁があればまた会おう。」

 

男は自身で喉を潰した逃走者の沈黙を肯定として受け取り、軽い足取りで路地を出る。

そしてそのまま、自身に与えられた任を全うするべく、何食わぬ顔で路地の出口での待機を再開するのだった。

 




((((;゚Д゚)))))))こわい
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