舞踏会に彼岸花は咲く   作:春4号機

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【輪舞】⑨

「……。」

 

バレットは隙を突いて逃走した男を追っていた。

あの錯乱状態ではどこかに隠れるといった発想すら浮かばないだろうと理解している。しかし、だからこそ何をしてくるかわからないという緊張があった。

今の彼は手負いの獣と変わらない。追い詰めれば追い詰めるほど自棄を起こす危険性は高まっていく。

危険性。……そう、可能性ではなく危険性だ。

異能薬を所持していると分かっている以上、もしその所持数が1つや2つ出なかった場合、民間人を人質に取って、薬を使われたくなければ……などと交渉を仕掛けてくるパターンも考えられる。

それはつまり『無差別な犠牲者が増えてしまう』という、可能性などという生易しい言葉では片づけられない明確な危険性を逃走した男が抱えているということに他ならない。

 

【……】

「……。」

 

しかし路地の出口が近づいた時、バレットは自身のそんな思考が杞憂に過ぎなかったと安堵の息を吐いた。

眼前には蹲り、身体を歪に変貌させていく男の姿があったからだ。

服装などの特徴が自分の前から逃走した男と合致していることを確認し、バレットは油断なく銃を構える。

……貴重な情報源ではあったけれど、こうなってしまっては仕方がない。少なくとも、私達を探っている者が存在すると確定したことだけでも収穫としなければ、犠牲になった彼らが浮かばれない。

バレットは思考を回しながら、恐らくは自分自身に『異能薬』を投与して変貌したソレが動き出すのを待った。

 

【……】

 

程なくしてソレは立ち上がる。

そして自身の背後にある気配に気が付いたのか、緩慢な動きでバレットの方へ体を向けていく。

……バレットはその動きを注意深く見つめながらも、照準は決してソレの頭部から外さなかった。

相手の動きがスローモーションのように感じる程の集中状態で、ソレが完全に自身の方を向いた瞬間を狙って引き金に掛けた指へ力を籠める。

 

「……なに?」

 

しかし二人が完全に向き合った状態になっても、彼女の弾丸は射出されなかった。

代わりに放たれたのはバレットの意表を突かれたような声だった。

バレットは想定外の光景に僅か数瞬動揺する。その様子を窺うように、完全に変貌したソレはバレットを見ていた。

 

「……ッ」

 

バレットは苦々し気に歯噛みしつつ、眼前のソレを注視する。

身体の変貌など些細な問題だ。真の問題は彼の喉元から胸を汚している血にあった。

……切り取られている。方法など知らない。しかし、何か鋭利な刃物で正確に彼の喉の一部分だけが切除されている。

そしてその切り口の鋭利さは、彼らのような変貌した者の爪では再現不可能なものだと、バレットは素直にそう思った。

 

しかし、そうなると……次の思考がバレットの脳裏を過ることになる。

 

「……誰が」

 

そう、誰がコレを施したのか。それがこの場における最も重要な問題だ。

身体を自身の血液でべったりと汚しながら、ソレは一歩また一歩とバレットとの距離を詰めてくる。

バレットはすっかり変わり果ててしまったソレの目元に、涙の流れた痕跡を見つけた。

 

「……。」

 

その痕跡を見つけた瞬間、バレットの意識は再び狩る側へとシフトする。

もう直ぐ近くまで接近を許したソレに対して、バレットは再び油断なく銃口を向ける。

 

彼は自身の仲間を手に掛けた加害者だが、同時に利用された被害者でもある。

今更、彼らの行動に善悪を問うつもりはバレットにはない。そもそも彼女自身、自分にそんな資格がないことなど重々承知している。

バレットは自分のやりたいことをやっている。

それが『師に追いつきたい』という気持ちであれ、『人を助けたい』という思いであれ、その心に偽りはない。

 

「……おやすみなさい。」

 

だから、バレットは今回も変わらずに自分のやりたいことを貫いた。

バレットは自身が引き金を引くのと同時に響いた乾いた破裂音を、彼女はどこか他人事のように聞いていた。

 

 

 @ @

 

 

「あ、居た!」

 

慌ただしく店を飛び出した二人は、一刻も早くバレットとゴルドに合流するべく沙耶が聞いた発砲音の出所を探しはじめた。

幸運なことに捜索開始数分で二人はゴルドの姿を発見することができた。

彼は路地裏の様子を窺うようにして佇んでおり、まだ沙耶とヴィアナには気が付いていないようだった。

 

「ゴルド!状況を説明なさい!」

「ヴィアナ様!?どうしてこちらへ!?」

 

ゴルドの様子などお構いなしに、ヴィアナはゴルドへ歩み寄り状況の説明を求める。

そんなヴィアナの様子に気圧されるように、ゴルドは掻い摘んで事情を説明し始めた。

尾行されていたこと、知人に声をかけて出口を塞ぐように人員を配置したこと、そしてバレットが単身で中に入って行ったこと。

ゴルドからそれらの説明を受けたヴィアナは、口元に手を当てて状況を整理する。

 

……結論として、状況は悪くない。

尾行者は袋の鼠も同然で、追って行ったのは『狩人』であるバレット。

彼女に追われて逃げ切ろうとするならば、バレットの思考の外からの不意打ちか、相当な実力と幸運が必要になるはずだ。

 

ヴィアナは思考を一度まとめる。

 

「あ、ゴルドさん。ゴルドさんって今日は拳銃とか持ってたりしますか?」

 

不意に、沙耶がゴルドに何事か問い掛けている声がヴィアナの耳に届く。

どうやら沙耶も自分のやり方で情報を集めようとしているらしい。

 

「え?……いえ、今日は最低限の物品しか持ち合わせていませんね。そもそも仮に持っていたとしても街中での発砲は……あぁ、いえ……すみません。」

「あ!いや違うんです!その、そういう意味じゃなくてですね?」

「……解っています。どうやら、先程の銃声はお二人にも聞こえていたようですね。」

 

訂正しようとする沙耶に、ゴルドは普段とは明らかに雰囲気を変えて対応する。

そして真剣な面持ちで沙耶とヴィアナに確認する。

 

「ゴルド、確認しますがバレットはこの中に進んだのですね?」

「はい。……ですが、彼女が銃を使ったということは」

「わかっていますわ。徒手空拳だけでは対応しきれない状況になっているということですわよね?」

 

沙耶はヴィアナの言葉に思わず息をのんだ。

バレットの実力を近くで見た沙耶からすれば、それは緊張感を持つには充分な情報だった。

何人相手でも完封勝利しそうなバレットに武器を使わせたとなれば、相手は昨夜のような手合いの可能性が否定しきれない。

 

「……全く、こうなることが分かっていれば他の使用人を先に帰すような下手は打ちませんでしたのに」

 

ヴィアナは自分が無意識に弱音を吐いたことに気付き、内心で自分を叱咤する。

 

「ゴルド、沙耶。」

 

これから私達も中に入ります。付いて来なさい。

ヴィアナは、二人にそう伝えようとした。

しかしそれは二人に言葉として伝わることはなく、突如として響いた甲高い悲鳴に掻き消されてしまったのだった。

 

「何事ですの!」

 

突然響いた悲鳴に対して、いち早く反応して声をあげたのはヴィアナだった。

ヴィアナの声で我に返ったゴルドは、状況を確認するべく急いで周囲の様子を窺う。

そして周囲の人間が一様に同じ方向を見ていることに気付き、そのことを共有する。

 

「悲鳴のようでしたが……どうやら声はあちらの方向からのようです。」

「そう。だったら、まずは……」

 

ヴィアナはゴルドからの伝達を受けて、即座に自身の取るべき行動を思案する。

路地裏を調べるべきだと直感的に感じるが、先程の悲鳴も捨ておけない。

その2択が数秒ではあるが、ヴィアナに決断を躊躇わせた。

沙耶はそんな二人の会話を聞き流しながら、ヴィアナからのブーストが自身に掛かったままであることを確認する。

それから耳に意識を集中して周囲の状況把握に勤めていた。

 

『何だ?今の声、うるせぇなぁ……』

 

沙耶の耳には次々と周囲の騒音染みた声が殺到する。その内容の大半は、ヴィアナたちと同じく状況の把握が出来ていない声ばかりだった。

 

『何かトラブル?』

 

その声を1つずつ冷静に聞き分け、次第に状況を掴んでいく。普段の沙耶ではとてもではないが処理しきれない情報の波。それを捌けたのはヴィアナの異能の効力を受けた結果、沙耶の聴力だけでなく判断能力も底上げされていたからこそだった。

 

『いや!誰か助けて!』

 

その結果、一つの状況が確定した。

 

「襲われてる人がいる!」

 

最後の声が聞こえた瞬間、沙耶の脚は彼女の意思とはほとんど関係なく動き出していた。

ヴィアナやゴルドが反応するよりも早く、彼女は駆け出す。人を避けながら一直線に声の元へ。

そして沙耶が駆け出してから数瞬遅く、ヴィアナは沙耶が駆け出したことに気付く。

 

「は!?ちょっと待ちなさい沙耶!!」

 

そして慌てて彼女への異能によるブーストを解除し、即座にゴルドへ指示を飛ばす。

 

「あーもう!ゴルド!沙耶を追いかけなさい!貴方なら追いつけるはずですわ!」

「わ、わかりました!」

 

ゴルドはヴィアナの指示を受け、沙耶を追いかけるために駆け出した。

今の沙耶はヴィアナからのブーストを切られているとはいえ、ゴルドと沙耶で走り出すまでに2秒程度の差が生じてしまっていた。

この差は大きい。沙耶が悲鳴の元に到着するまでに、自分が彼女に追い付くのは難しいかもしれない。そう感じながらも、彼は動かす脚を止めなかった。

 

「恐らくは考えるより先に動いてしまったといったところなのでしょうが……沙耶の性分にも困ったものですわね。」

 

駆けて行った2人を眺めながら、ヴィアナはひとり呟いた。

迂闊といえば迂闊な話だ。このパターンを想定していなかったとはいえ、沙耶に対するブーストはゴルドと合流した時点で解除しておくべきだった。

ヴィアナは誰に悔いるでもなく、自分の判断を客観的に評した。

 

「……さて、おそらくバレットの方も先程の悲鳴に反応してそちらに向かったことでしょう。」

 

彼女はこの場に居ないバレットの取るであろう行動も考慮して、冷静に状況を分析する。

悲鳴の元へは沙耶とゴルドを向かわせて、バレットもそこへ合流するだろうことは想像に難くない。

 

「そうなると、やはり私が取るべき行動は……」

 

ヴィアナは思考を数秒で打ち切って、徐々に霧が出始めた街の中を一度ぐるりと見渡す。

多少のトラブルを享受しながらも、街に暮らす大多数の人々は今日という平和な日を過ごしている。

その様子を見渡して……やはりコレは自分にとって誇らしい事なのだと、ヴィアナは誰にともなく頷いた。

 

「……行くとしましょうか」

 

ヴィアナは先程までゴルドが佇んでいた通路から侵入し、中を単身で進んでいく。

……心細いといえばそうだ。

いつもヴィアナの周囲にはオーキスを始めとしたフェリエット家の使用人の誰かが控えていた。

だが、今のヴィアナは完全な単独行動。つまりは丸腰の状態だ。

無論ヴィアナもそれは自覚していたが、彼女は「自分一人では何もできない」などという醜態を晒すような人物ではない。

彼女がその程度の人物であれば、この『霧の都』で若輩ながらも他の連盟の盟主達と対等な立場を築くことなど不可能だ。

 

「これは……」

 

ヴィアナはとある地点で足を止めた。

薄暗い通路の中、そこだけが異常に荒れていた。まるで生き物を何度も叩きつけたかのように、壁や地面のいたるところに血痕が飛び散っている。

さらに地面に無造作に置かれている誰の物とも知れない荷物の一部は、無惨にも破壊されており元々の形も判然としないような状況だ。

……間違いなく、ここで何かがあった。

恐らくは、生き物が殺された。……ヴィアナの眼から読み取れる情報は、その程度だった。

では何故、恐らくなどという枕詞が付くのかといわれれば……。

 

「……ない、ですわね。」

 

ヴィアナ自身、自分の発した言葉でその違和感をハッキリと認識した。

そう、ココには有るはずのモノがないのだ。

壁や床に叩きつけられ、荷物を破壊したでろうモノ……つまりこの場で殺害されたであろう生き物の成れの果てが、この場のどこにも存在しなかったのである。

 

「……。」

 

ヴィアナはより注意深く周囲を観察する。

痕跡一つ見落とすことの無いように、一つ一つの破損個所や物品に違和感がないかを精査していく。

 

彼女は全神経を調査に回していた。

だからだろう……普段は気付くような靴音にも気が付かず、より暗がりへ逃げるように歩いてきたその男の接近を許したのは。

 

「……お前、わざわざこんなとこで何やってんだ」

 

情報屋はヴィアナが確認しようとしていた生き物の成れの果てを担いだ状態で、誰に憚ることもなく堂々と真正面からヴィアナに声をかけたのだった。

 

 

  @ @

 

 

「は……ッ、はッ」

 

沙耶は走り出してすぐに身体が急激に重くなったのを実感した。

恐らくヴィアナの異能の効力圏から外れたか、彼女が意図的に異能による底上げを解除したのだろう。

 

助けを求める声を聞いた。

それは沙耶個人に向けられた声ではなかった。それでも身体は思考するよりも早く動き出していた。

動かない選択肢など、そもそも沙耶には在りえない。

聞いてしまっては、見てしまっては、認識してしまっては彼女は動くしかなくなる。

それは意識や思考の介在するような余地はなく、もはや反射といっても差し支えない反応だった。

沙耶が幼少期に負ったこの上ないトラウマと、それを払拭するに値する奇跡のような出会い。

それらの経験全てが川崎沙耶という一人の少女を突き動かしていく。

助けを求める人を救いたい。

結局のところ、それこそが変えようのない彼女の根幹だった。

 

「ッ!」

 

鉛のように重くなっていく脚で、力の限り地面を蹴り進む。

人のざわつきが大きくなっているのを感じる。人々が徐々に自分とは逆方向に流れ始めている。

目的地は近い、もう目と鼻の先だ。

沙耶は他人事のようにその事実を認識し、尚も自身の持てる全力でもって進み続ける。

 

『助けた命に責任も持てないような人間が、軽率に人の命を救うべきではないわ。』

『誰かを見殺しにする覚悟は、貴女にありますか?』

「……ッ」

 

不意に、いつか聞いた言葉が沙耶の脳裏を過り、息が止まりそうになった。

それが引き金となって沙耶の冷静な部分が今の行動の危険性を提言し、全力で警鐘を鳴らし始める。

 

イリスの言うことは正しい。間違えているのはきっと自分なのだろうと沙耶は思った。

行動には責任が伴ってこそ、責任の伴わない善行などただの自己満足に他ならない。

ヴィアナの問いもまた、沙耶が無意識に目を逸らしていた現実を認識させるには充分だった

人を助けるには、大前提として自身の安全を確保していることが絶対だ。

しかし、客観的に見れば沙耶は自身の安全など完全に度外視している。だからこそ、その言葉は沙耶の深いところに食い込んでいる。

 

沙耶は尚も人の波に逆らって足を動かし、街を掛けながら自問する。

本当にこの行動は正しいのか、このまま衝動任せに行動しても良いのか?

そんな問いは、人の波を抜けた瞬間に霧散した。

 

【■■■■!!】

「お願い誰かっ、助けて!」

 

沙耶が目にしたのは獣と人間の特徴を併せ持つ獣人擬きが、転倒しながらも逃げようとしている女性へ雄叫びをあげながら襲いかかっている瞬間だった。

転倒した女性に向けて、獣人擬きは容赦なくその歪に伸びた爪を振り上げる。

もう数秒もしないうちに、獣人擬きの前で倒れて動けない女性は爪で引き裂かれるだろう。

 

「うぁああああああッ!!」

【■■!!」

 

沙耶は自身の脳裏に浮かんだそのイメージを振り払うように絶叫する。

幸運にもそれは功を奏した。

女性へ向けて爪を振り下ろそうとしていた獣人擬きは、沙耶の声に不意を突かれたように動きを止めた。

沙耶はその隙を突いて勢いを維持したままで、獣人擬きに向けて全力の体当たりを繰り出した。

 

【■!?、■■!!】

 

沙耶の全力のタックルを正面から受けた獣人は、弾かれたように地面を転がった。

 

「く、こんのッ!力強いなッ!」

 

沙耶は地面に倒れ伏す獣人擬きに対してマウントを取るようにして覆いかぶさり、すこしでも獣人擬きを押さえつけようと全力を尽くした。

 

「え、え?何が起きて?」

 

沙耶の行動によって窮地を脱した女性は、突然のことに何が起きたのか理解できていないように周囲を見回している。

そして必死の形相で獣人擬きを押さえつけている沙耶を見つけると、ようやく事態を正確に把握したように怯え切った声をあげた。

 

「だ、大丈夫ですか……?」

「私は大丈夫だから貴女は早く逃げてッ!」

 

女性からの不安そうな声に、沙耶は早くここから離れるようにと返答する。

獣人擬きは上体を起こしつつあり、抑えておくのも限界が近いことが見てとれた。

女性もそのことを察したようで、すこし躊躇しながらも最終的にはその場からの離脱を選択した。

 

背後から聞こえた靴の音が遠ざかっているのを聞き、沙耶はほんの僅かに安堵の息を溢す。

そして自身が組み伏せている相手の存在に、全神経を注いで集中する。

ここまではなんとかなった。けれど、むしろ問題はここからだ。

 

【■■!!■■■■!!】

「痛ッ!」

 

獣人擬きが拘束から逃れようと乱雑に腕を振り回す。たったそれだけのことで沙耶の拘束は容易く振り解かれてしまった。

さっきまでこの獣人擬きを押さえつけて、女性が逃げるための時間を稼げたのは奇跡に等しい。火事場の馬鹿力というやつだ。

勢いよく振り解かれた沙耶は、尻餅を付くようにして倒れ込んでしまっていた。全力以上の全力を出していたのだから、直ぐには立ち上がれそうもない。

 

【■、■■■!!】

 

獣人擬きはへたり込む沙耶の姿を見つけると、怒りを滲ませた咆哮のような声をあげる。

そして目前の獲物を品定めするかのように観察しつつ、距離を詰めていく。

やがて沙耶が獣人擬きを見上げるように睨みつけていることに気が付くと、獣人擬きはその口角をニタリと歪ませて腕を振り上げる。

 

大丈夫だと、沙耶は自分に言い聞かせる。

痛いのは一瞬だ。だから怖いことなんて何もない。大丈夫、私は大丈夫。

周りの動きが嫌にゆっくりに感じる。振り上げられた腕が、緩慢な動きで迫ってくる。瞬きを一度でもすれば、この腕はきっと直ぐにでも自分を打ちのめすのだろう。

 

沙耶はその光景をぼんやりと眺めながら、ゆっくり眼を閉じていった。

 

「サヤから離れなさいッ!」

【■■!?】

 

突然聞こえたすっかり耳に馴染んだ声に、沙耶は思わず眼を開けていた。

まず目についたのは、何かに吹き飛ばされたように地面を転がる獣人擬き。腕が不自然な方向に折れていて痛々しい。

次に目に入ったのは、自分の前に立って獣人擬きと対峙する彼女の姿。スーツと赤い髪の女性は、考えるまでもなくこの街に来てから行動を共にしていた相手。

 

「バレットさん!」

「遅くなりました。サヤ、怪我はありませんか?」

 

沙耶はバレットの姿を認識した瞬間、自分が明らかに安心したのを感じて困ったように苦笑した。

 

「む、やはりどこか怪我を?」

「あ、振り解かれた時の擦り傷程度なので大丈夫です。もう治ってますから」

 

強がりを言う沙耶。そんな彼女にバレットは労わる様にぎこちない手付きで頭を撫でながら、努めて優しく言葉を掛ける。

 

「無理はいけない、傷は治るといっても痛いものは痛いでしょう?」

「……ん。」

 

沙耶は自身の胸の内を見透かされたように感じながらも、何故か感じるくすぐったい様な嬉しさ。沙耶はそれを、頭を撫でられたからだと自分を誤魔化した。

 

【■、■■】

「……。さて、後は私に任せて沙耶は休んでいてください。」

 

起き上がってきた獣人擬きに油断なく対峙するバレットの姿を見つめながら、沙耶は守られるだけではいけないと自分を奮い立たせて立ち上がったのだった。

 

 

  @ @

 

 

(あの距離を一息で詰めるのか。驚異的な身体能力だ。……あれで異能を保有していないというのだから、恐ろしいものがある。)

 

男はざわつく人々など意に介さないかのように、一点をひたすらに注視していた。

男は狩人の発揮した身体能力に驚愕し値踏みするような視線を向けたが、すぐに興味を無くしたように溜息をついた。

 

(だが、あれは個人の研鑽の到達点に過ぎない。目を見張るものがあるのは事実だが、私の求める物には程遠い。……そうなるとやはり、興味深いのは狩人よりも……)

 

男は絡みつくような視線を、狩人の傍らに佇む少女に向けた。

 

「こんなところに居たんですか」

「!」

 

男は自分が声をかけられたことに一瞬驚き、声の方へ視線を向ける。

声の主を認識した男は既に自分自身のものとなった記憶を読み込んで、努めて普段通りに彼に返答した。

 

「ああ、ゴルドか。いや、流石に命懸けで働くほどの金額じゃなかったからな。悲鳴が聞こえた時点で退避させてもらっただけだ」

「全く……。まあ、協力してもらってる手前、強制は出来ませんが」

 

記憶にある通りの人柄の男を、内心で嘲笑しつつ彼は再び2人の方へ視線を向けた。

 

「だが、俺に構ってて良いのか?」

「バレット様が沙耶様の方へ向かうのが見えましたから、問題はないでしょう。彼女がいるなら私程度の出る幕はない」

「……。」

 

狩人やあの少女ともそれなりに友好的な関係性のようだし…… コイツの方が都合が良いかもしれない。

狩人の実力を把握しているように語るゴルドを一瞥し、男は吊り上がりそうになる口角を意識的に抑えつつ口を開こうとした。

 

「ゴルド、沙耶はどうしたのです?」

 

しかし男が口を開くより早く、ゴルドの主人である女性が合流してきた。

 

「沙耶様の元には既にバレット様が付いていました。」

 

ゴルドは主人へ端的な状況説明を済ませて、彼女の最大の懸念を払拭する。

それから一呼吸置いてから、ゴルドは更に詳しい事情を説明する。

 

「私は沙耶様の無事を確認しましたので、ひとまず協力してくれた方々に解散するように伝えて回っているところです。」

「そう。……でしたら私もそちらに同行するとしましょうか。」

 

ゴルドの説明を聞いた女性は少し思案した後、そんなことを言い出した。

 

「不測の事態の連続だったとはいえ、危険に巻き込んだのは事実なのです。であれば、私が頭を下げるのが筋というものでしょう?」

「わ、わかりました。」

 

女主人とゴルドの会話を聞きながら、男は内心で舌打ちする。それから視界の端にゴルドを捕らえながら、運の良い奴だと彼を評した。

 

「そこの貴方も、こんなことに巻き込んでしまって申し訳ありませんでした。フェリエット家の当主として、後日改めて」

「いえ、友人の頼みでしたから。そういうのは結構です。」

「あら、そうですの?」

 

自身の返答に愉快そうな声色で返す女に胸の内では悪態を吐きながら、男は普段通りの彼を装って踵を返した。

 

そうやって今日の騒動の元凶は、貴族連盟盟主の1人から逃げ果せたのだった。

 

 

  @ @

 

 

【■!!】

「……。サヤ、もう2歩程下がってください。」

「はい」

 

地面を爪で搔き抉りながら、獣人擬きは怒りの滲む声をあげる。

バレットは相手の様子に、戦意が未だに折れていないことを確認すると沙耶に下がるよう言葉を投げた。

油断はなく、慢心もなく。バレットはただ狩人として十善にその性能発揮する。

 

【■■!!】

 

敵は咆哮をあげながらバレットに突き進む。愚直なまでに真っ直ぐに獲物へと猛進する獣人擬きには、駆け引きをするような知性など感じられない。

ソレはもう文字通りの獣だった。本能のままに暴力をまき散らすという単一機能以外、全てを削ぎ落とされた存在だ。

 

「遅い」

 

並みの相手であればそれでも通用するだろう。しかしバレットを……狩人を相手にして、ただの勢い任せの猛攻など意味を為さない。

 

バレットは自身に向けて突き出された爪をこともなげに叩き折り、相手の胴体に蹴りを入れて吹き飛ばした。

 

【■!!】

「やはり、素手だけで止めるのは時間がかかりすぎるようですね」

 

吹き飛ばされた獣人擬きは尚も立ち上がる。これで5度目の再起だった。

打たれ強いにも限度がある、とバレットはため息混じりに相手を見た。

ここまで殴打して未だに立ち上がれるということは、獣人擬きを仕留めるには殺す以外の選択肢はないということになる。

 

「全く、度し難い」

 

バレットは切り札を意識しつつ、再び自身へ向けて動き始めた獣を見据える。

まずは場を整える必要がある。いくらなんでもこんな場所で銃を撃つわけにもいかない。

そのための工程は、すでに組み立てが終わっている。

 

「私がここを離れたら、サヤはヴィアナ嬢たちと合流してください。」

「……。……わかりました。」

 

サヤはバレットが何をするつもりかは理解していない。しかし、戦闘面では力になれないことは自覚している。だからこそ、言葉を飲み込んでバレットの指示に従うことに決めた。

 

【■■■!】

 

相も変わらず直線軌道で繰り出される刺突に合わせて、バレットは獣人の腕を掴み取る。

 

「せーっ、のッ!!」

 

そして相手の勢いを利用しながらも自身の力を上乗せして、バレットは力の限り獣人擬きを投げ飛ばした。

 

【■■!?】

 

投げ飛ばされた獣人擬きは姿勢制御もままならないまま、建物と建物の隙間へ吸い込まれるように吹っ飛んでいく。

そして、バレットもまた全速力で自分が投げ飛ばした相手を追っていく。目指すは路地裏、周囲の目が届かない空間だ。

 

「……、いくらなんでも凄すぎない……?」

 

その光景を誰よりも近くで見ていた沙耶は、流石に動揺を隠しきれない様子で一言溢すのが精一杯の反応だった。沙耶はそれからすぐに気を取り直し、バレットの指示に従ってヴィアナたちと合流するべく駆け足で移動を開始した。

 

【……、■】

 

騒音を立てながら、獣人擬きは投げられた勢いのままで路地裏に墜落した。

呻き声をあげながら立ち上がろうとするが、墜落時の衝撃で四肢の機能が失われているようだった。

驚くべきはこれほどの損傷を負ってもなお、意識を失っていないという点だろう。

 

「……。終わりにしましょう。」

【!!】

 

自身の上から掛けられた声に、獣人は僅かに反応を示す。しかし、その意図は攻撃から退避へ移り変わりつつあった。

獣人はまともに動かない四肢をそれでも動かし、必死に狩人の銃口から逃れようと足掻いた。

 

「……。」

 

狩人が引き金を引くと同時に乾いた音が周囲に響き、生きようともがいていた獣人の命の灯はあっさりと消え去った。

 

「……。」

 

バレットは獣人擬きがもう動かないことを確認し、ヴィアナたちと合流するために遺体に背を向けた。

 

「なんだ、持ち帰らないのか。」

「!」

 

バレットは突然背後に現れた気配と掛けられた声に、反射的に反応して銃口を突き付けた。

……そこには顔見知り程度に接点のある男が、つまらなさそうに佇んでいた。

 

「……シーク、何の用です。」

「これだけの騒がしさだ。気になって見に来ただでも問題はないだろ。」

 

バレットは目の前の情報屋は最大限に警戒するべき相手だという自信の直観を信じ、銃の照準を逸らすことはしなかった。

 

「見世物ではありません。そもそも、貴方が見て面白いモノなど。」

「さてな、どう言おうがお前の勝手だ。だが忠告ぐらいは聞いとくべきだろ」

「……忠告?」

 

尚も油断なく銃を構えたままで、バレットはシークに問いを返す。

シークはそのバレットの対応を楽しみながら、至極まじめな表情で彼女に視線を合わせた。

 

「さっきここに来たフェリエットにも同じことを伝えたが……例え見知った相手であろうと信用するな。一度でも消息を絶った相手は疑ってかかれ。……言いたいことはそれだけだ。」

「どういう意味です。」

「そこまで教えてやるほどお人好しじゃない。……まぁ、俺はそもそも人間じゃないんだが」

 

シークの言葉にバレットは反応する。

……沙耶から聞いてはいたけれど、この男は本当に人間ではないというのだろうか?

外見はどう見ても人間と変わらない。そこで息絶えている獣人擬きの方が、見た目だけならば余程化け物だとバレットは感じていた。

 

「答えなさい、先程の言葉の意味は」

「そう焦るな人間。親切に忠告してやってるのに銃突きつけるのが狩人のやり方か?」

 

シークは愉快そうにバレットの様子を観察し、やがて唐突に彼女に背を向けて暗がりの方へと歩き出した。

 

「……止まりなさい。」

「断る。」

 

バレットの声に淀みなく返答しながら、シークは徐々に霧散していく。

小さな小さな羽音が聞こえる。シークの身体が消えて行く度に、聞こえる羽音は増えていく。

やがて彼の身体の8割が消えた頃、バレットは声を荒げてシークに最後の問いを投げかけた。

 

「イリス嬢と貴方の目的は何です!」

「それこそ本当に、お前らには関係ないことだ」

 

その言葉を最後にシークは彼女の前から霧散した。

バレットは眼前の男が消えた段階で、銃を下ろして息を吐く。

最後の返答に込められていた彼の言い表しようない感情に、バレットは思わず銃を握る手に力を込めていた。

 

「……。」

 

恐怖と震え……確かに身近にあって抑えていたそれを、たった一言で抑えが効かない程に認識させられた事実。

バレットはそれをただ事実として認め、情報屋の消えた方向を見た。

そこには既に情報屋の姿はなく、ただ数匹の蝙蝠が戯れているだけだった。

 

「……。戻りましょう、彼女の元へ」

 

彼女は誰にでもなく一言そう呟いた後、沙耶たちに合流するために来た道を引き返して外を目指す。

……バレットが路地から外に出た時、すっかり日は暮れて町は霧に包まれつつあった。

 

「あ、バレットさん!」

 

沙耶からの声が耳に届き、バレットはそちらを確認する。

そこにはヴィアナたちと共に沙耶が居り、手を高く掲げてバレットに向かって呼びかけている。

……不思議なことに、それを見ただけで先程までの殺伐とした気分はすっかり晴れていた。

 

「ただいま戻りました、サヤ。」

「はい」

 

あぁ、やはり彼女の笑顔は素晴らしい。

 

バレットは戦闘を終えた直後とは思えない穏やかな気持ちで、彼女たちと合流したのだった。

 

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