異能薬の影響を受けた追跡者たちとの戦闘から一夜が明けた。
朝を迎えた沙耶たちは知り得た情報を精査し、各々の見解を共有し合った。
その結果として、彼女たちは一つの仮説に行き着いた。
その仮説の内容が正しくとも誤っていようとも、それは翌日には明らかになる。
彼女らはそう結論付け、その日は英気を養う為に穏やかな時間を過ごすことになった。
バレットは割り当てられた自室に籠り、自身の名の由来にもしている武装を入念に手入れをしていた。
ヴィアナは普段と変わら無い様子で日常業務に取り組みながら、時間を見つけては沙耶やバレットとの会話を楽しんでいた。
沙耶は自分だけ特にやることもなく手持無沙汰なのが落ち着かない様子だったが、ヴィアナやバレットと談笑している時はいつもと変わらない普段通りの彼女だった。
その日も当たり前のように日が沈み、当たり前のように夜がやってきた。
薄霧の掛かる街は、変わらぬ営みを続けている。
沙耶は灯りの消えたフェリエット家の廊下を歩きながら、外の景色を眺めて小さくため息を吐いた。
「明日、か……」
「おや、サヤですか?」
自身が発した小さな呟きに反応があったことに驚きながら、沙耶は声の主へと振り向いた。
「バレットさん」
「はい、私です。……どうかしましたか?こんな時間に」
「明日のことを考えると、ちょっと緊張しちゃって」
苦笑気味に笑う沙耶を見て、バレットは彼女の横に並び立って同じように外の景色を眺めた。
「バレットさん?」
「……少し話をしましょうか。私も寝付けそうにありませんから、助け合いましょう」
「……。あはは、なんですかそれ?」
珍しく冗談めかして言うバレットの発言に、沙耶は先程までの不安感を忘れた。
心なしか気分の良くなった沙耶は、肩を揺らして笑いながらバレットを見上げる。
「どんなお話をしましょうか?」
「そうですねぇ……」
そうして誰にとっても平等に時間は過ぎ、いつもと何も変わらずに平凡な一日がやってきたのだった。
時刻は夕刻を過ぎ、日は既に彼方へと沈みつつあった。
徐々に夜の闇に染まりつつある霧の都には、今日もまたうっすらと霧が掛かり始めている。
そんな街の中を、1台の馬車が進んでいた。
フェリエット家使用人の長であるオーキスが操る馬車の中には、2人の女性と1人の使用人の姿があった。馬車に乗っているのはフェリエット家の当主であるヴィアナ=フェリエットと、同家の使用人の一人であるゴルド、そしてヴィアナの友人として街に滞在している東洋人の川崎沙耶だった。
馬車の行き先はハイレンジア別邸。
彼女たちはイリス=ハイレンジアから招待を受けた舞踏会の会場へと、今まさに向かっている最中だった。
ヴィアナとゴルドの様子は普段と何も変わりはないが、沙耶は傍目からも判る程度には緊張してしまっていた。
「沙耶、大丈夫ですの?顔色があまり優れないようですが」
「いや、ちょっと緊張してなかなか眠れなくって……。舞踏会とか初めてだし……それにこんな高そうな服まで借してもらっちゃってさ?」
沙耶は普段着なれない高級そうな材質と装飾の施されている服の裾を見つめながら、恐々とヴィアナに事情を説明する。
ヴィアナは沙耶の説明を受けて、苦笑気味に納得してから沙耶の緊張を解すべく言葉を返した。
「あぁ、そういう……安心なさいな。イリスからの手紙には確かに舞踏会と書かれてはいましたが、実際はただの食事会に近い物ですから。」
「え、そうなの?私てっきりダンスとか踊るのかと思ってたんだけど。」
「確かに稀にそういった催しもありますが、今回の主催はイリスですからね。恐らく……いいえ、十中八九呼ばれているのは多くても4組程度。いえ、今回に限って言えば私たち以外誰も招待していないという可能性もありますわ。」
「えぇ……。そういうものなの?」
「なんとなく察しているかもしれませんけれど、イリスはあの性格なのであまり交友関係は広くありませんの。」
困った風に、けれどどこか楽し気に友人のことをヴィアナは語る。そんな彼女の様子に、沙耶は何故か姉である神守さくらの姿を重ねてしまったのだった。
「……。前から思ってたけど、二人ってやっぱりちょっと似てるよね。」
「誰と誰がです?」
「……内緒、かなぁ。」
「?」
無意識に口を突いて出た言葉の意味をヴィアナに問われた沙耶は、冷静に判断して彼女には詳細を隠すことにした。
変なことを口走ってしまった自分も悪いけれど、こんなタイミングでヴィアナの機嫌を損ねてしまうのは良くない。なにより馬鹿正直に説明した場合、ヴィアナに怒られるのは目に見えているのだ。そんな選択肢を選ぶ必要はない。
沙耶はそんな極めて個人的な都合により、自己保身を選択したのだった。
一向を乗せた馬車は、徐々に夜霧が濃くなりつつある街をひた走る。
会話が一区切りついた頃、沙耶は馬車の中から外を見た。街を染めていた夕焼けの赤はすっかり消え去り、街はいつのまにか夜の黒へと様変わりしていた。
「……。」
沙耶はそんな街の様子に、ひとりだけで別行動をとっているバレットのことが気に掛かった。
そしてそんな沙耶の変化は傍目からも判るものだったらしく、ゴルドは沙耶に声をかけた。
「……沙耶様は、やはりバレット様が心配ですか?」
「……正直心配はしてます。バレットさんは私なんかが心配するのも烏滸がましいくらい強いです。けど、あの獣人擬きがまた出てこないとも限りませんし」
沙耶の懸念は心配し過ぎと安易に切り捨てられる類のものではなく、彼女なりにここ数日の街の状況を分析して導き出した『あり得る可能性』の一つだった。
ゴルドも獣人擬きの姿を確認しているがために、その可能性を否定しきれない。そのせいで沙耶の返答を聞いて黙り込んでしまった。
ヴィアナは会話が止まった二人を数瞬眺めた後、少しだけ呆れた様子で口を開く。
「街の状況はともかくとして、バレットに関しては沙耶が心配するまでもありませんわ。彼女が招待されている『紫陽の花』の長との会合場所は、私達が今向かっているハイレンジア別邸とそう離れていませんもの。」
「……あ、そっか。じゃあ何かあってもすぐ合流できるんだね」
事実として舞踏会に向かう沙耶たちと、長との会合に向かうバレットの目的地は意外と近かった。
バレットの脚があれば長く見積もっても10分少々有れば走り抜けられる程度の距離だ。
「そもそも襲撃されないのが一番ですけれど、完全な不意打ちでもされない限り彼女は心配いりませんわ。」
「んー……確かにそうかも?」
「そうですわよ。……まったく、沙耶は心配性が過ぎますわね」
沙耶はヴィアナに半ば言い聞かされるような形で納得し、親友の言葉を信じることにした。
まだバレットの身を案じる気持ちを割り切れてはいないけれど、自分には他に気を回しながら目的を達成するなんて器用なことはできない。もとよりそんな余力はないのだから、できることを精一杯しなければ。
沙耶は努めて前向きにそう考えを改めて、気を持ち直したのだった。
「……。」
……ゴルドはそんな二人のやり取りをただ黙して傍観していた。
バレットほどの実力であれば、昨日のような意思が在るかどうかも怪しい存在など何体居ても敵にすらならないだろう。
事実としてゴルドにはバレットに追われた経験がある。その彼がヴィアナの言葉に異を唱えなかったのは、彼も先程のヴィアナの言葉は正しいと判断したからに他ならなかった。
しかし先程のヴィアナには、意図的に沙耶には語らなかったことがある。……少なくともゴルドはそう感じていた。
そしてその所感は的を射ていた。
『狩人』は往々にして人並み外れた戦闘技能を有している。
身体能力、武装、戦闘時の状況判断、そして極稀に存在する異能を保有する者。それら全て、もしくはいずれかが人間の規格から逸脱している者がほとんどだ。
昨日の獣人擬きがいかに頑強な肉体を持ち、鋭利な爪や牙を有しているとしても、『狩人』を相手にするというのであれば思考能力に欠陥がある時点で話にすらならないのが現実だ。
ただ、今日バレット=ガットレイが向かっているのは獣人擬きとは直接の関係が薄い『紫陽の花』の長との会合である。
あの組織の中に異能者や獣人擬きのような特異な存在は居ないとゴルドは認識しているが、それでも統率された集団が運用する銃火器は狩人にとっても脅威になりうるだろうと感じていた。
……とはいえ、それも敵対した場合の話だ。杞憂に終わるのであればそれに越したことはない。
「そろそろ着きそうですわね。沙耶、覚悟はよろしくて?」
「……うん、大丈夫。イリスちゃんに会って、話をするだけだから」
「そう。……なら、私がとやかく言うことではありませんわね。」
ヴィアナは意を決したように言う親友の表情に笑みを返した。
沙耶もすっかり気を持ち直したようで、バレットを案じていた時の陰りは全く感じられない。
実際、事ここに至ってゴルドにできることは見守ることだけなのだ。
ハイレンジアの当主が舞踏会を開いた目的が何であれ、『紫陽の花』の長がバレットを呼び出した思惑がどうであれ、既に賽は高く投げられた後なのだから。
……ゴルドは徐々に減速する馬車の揺れを感じながら、自身も二人に負けじと改めて気を引き締めたのだった。
@ @
バレットは廃屋に到着すると、前で待機していた『紫陽の花』の構成員と思われる人物に中へ案内された。
傷みの目立つ簡素なソファとテーブルが置かれているだけの質素な部屋に通されると、バレットはここでしばらく待機するように指示を受けた。
彼女は自分より先に部屋で待機していた2人の構成員を一瞥しつつ、言われた通りにソファへ腰かけた。
「……。」
構成員の二人の様子から、彼らが極度の緊張状態を維持していることが感じ取れる。
ゴルドの様に場慣れしている様子は見られないことから、彼らを警戒する必要性は薄いとバレットは判断した。
自身まで彼らの緊張に引き摺られる必要はないと結論を出し、バレットは来るべきタイミングまで気を休めるべく目を閉じた。
それがだいたい10分前のことだ。
バレットは依然として瞳を閉じて微動だにしないまま、『紫陽の花』の長がやってくるのを待っていた。
「……ッ」
バレットは平静を保ちベストコンディションを維持している。
対照的に息を詰まらせているのは構成員の方だった。
数日前に『狩人』と数度交戦したという話は彼らの組織でも広まっているはずだ。
彼らのような『紫陽の花』の一介の構成員からすれば、狭い部屋の中で彼女を監視するというこの時間は恐怖でしかなかった。
伝え聞いた情報でしか彼らは『狩人』のことを知らない。そんな彼らからすれば、今の状況は猛獣の檻の中に入ってその動向を監視するのと何ら変わらないのだ。
そう考えれば、彼らの緊張と萎縮も無理のない話だろう。
「お待たせしました。」
「!」
安堵の息を吐いたのは二人のどちらだったのか。彼らはほぼ同時に、遅れて入室してきた人物へ縋る様な視線を向けた。
「……。」
入室者に反応してバレットは閉じていた目を開ける。そして扉の方へ視線を向けると、仮面を着けた一人の女性が佇んでいた。
「貴方達もご苦労様でした。あとは私に任せて撤収してください。……周囲の警戒をしている者達にも、同様の伝達をお願いします。」
女性は柔らかな物言いとは裏腹に、有無を言わせぬ雰囲気で2人に指令を下す。
それを受けた二人は我先にと部屋から脱出し、長の指令を完遂するべく走り出した。
「……。」
「……。」
遠退いて行く足音を聞きながら、仮面の女性は開け放たれたままの扉を閉じて鍵をかける。それからゆっくりと、落ち着いた歩調でバレットの正面のソファーに腰を下ろした。
「随分と警戒しているのですね。なんですか、その仮面は」
「敵が多い身の上ですので、素性を明かすのは最上位の幹部だけに決めているのです。」
……何やらとんでもない情報が、とある人物に繋がったような気がする。けれど、今は気にするだけ無駄な話だ。
そんなことよりも今の私には……否、私達には優先するべき確認事項がある。
「ともあれ、詳しく説明してもらいましょうか。『紫陽の花』の長。」
「ふふ、ずいぶんと急いでいらっしゃるようで」
仮面の下で笑みを浮かべながら、彼女は自身の素顔をバレットに晒した。
「改めて、数日振りの対面となりますね。バレット=ガットレイ様」
「……全くその通りです。酷い回り道もあったものだ。そう思いませんか?アルエ」
「それを言われると耳が痛いのですが、こちらとしても貴方達の動向に注意を払う必要がありました。……なので、ここは仕方がなかったと諦めていただけると助かります。」
数日前の初対面時と同様の雰囲気で、アルエはバレットへ穏やかに対応する。
思えばその時も、彼女からは何一つ本音というものを感じなかった。
バレットは昨日のうちに沙耶やヴィアナ達と出した結論を、いきなりアルエに突き付けることにした
「回りくどい問答をする気はないので、単刀直入に聞きましょう。」
「拝聴しましょう。」
バレットはそう短く告げると、少しだけ間をおいて真正面からアルエを見据えた。
「私は、貴女はあくまで『紫陽の花』の長役だと思っています。……いるのでしょう?貴女に指示を出している人物が」
「さて、誰のことを言っているのか、私には判りかねます。」
「……イリス=ハイレンジア。私たちは彼女こそが『紫陽の花』の長を操っている人物だと考えています。」
「……。」
誤魔化しを許さないバレットの追及は、アルエに認めるか否定するかの二択を強制的に突き付けた。
……しかし、この場で単純に否定するだけでは意味がない。
アルエの公の立場はハイレンジア家の使用人、その代表だ。
その彼女が『紫陽の花』の長をしていると明言している以上、イリスを無関係だと主張するなら誰の眼からも決定的な根拠を提示する必要がある。
今のアルエは逃げの選択肢を封じられ、事実上の詰みの状態だった。
「……どこから話したものでしょうか。」
しかし、アルエはそんなことは微塵も感じさせない平常通りの対応をバレットへ返す。その声色には少しの焦りも動揺も感じられない。
「バレット様は『紫陽の花』とハイレンジア家の関係性についてはご存知でしょうか?」
「……。詳しいことは何も。」
「そうですか、ではまずそこからお話しすることにしましょう。」
不意の質問に虚を突かれたバレットは、正直にそのまま返答を返した。アルエはその返答を予想していたようで、一度だけ小さく頷いてから再び口を開いた。
「今から何十年あるいは百年以上も昔の話になり、私も人伝に聞いただけで確たる証拠の無い話になってしまいます。……その点について先に断った上でお伝えしますが、『紫陽の花』は元を辿ればハイレンジア家が管理する自警団でした。」
「……。」
町の治安維持という名目での組織ならば、それはヴィアナ達フェリエット家の領分ではなかったか?バレットは言葉を返さないながらも、思考だけは回し続けていた。
アルエはそんなバレットの疑問に気付いているのか、さらに詳しい説明を始める。
「当時から『霧の都』に住んでいた幾つかの大家の当主達は、自分たちの家の特権性を護るために幾度も協議を重ねていました。度重なる話し合いの末に、それぞれの家の役割を決めたそうです。……そしてそれは同時に、外部の介入を許さない強固な同盟関係の構築に繋がりました。」
「……それが、現代で言うフェリエット、ウォルロード、ベリエード、ハイレンジアの4家からなる『貴族連盟』の成り立ちですね?」
バレットの推測交じりの問いに、アルエは首肯で返答する。
そして彼女は数度深呼吸をして、自身の持つ情報をバレットに伝えるべく言葉を続ける。
「4家はそれぞれの特色を活かして街のために協力したそうです。……その中で街の治安維持といった荒事をフェリエット家に一任したウォルロードとベリエード両家の当主は、所有していた自警団を放棄しました。」
「……自警団は4家全てが保有していたのですか?」
「今でこそ治安維持のための自警団を保有しているのはフェリエット家のみですが、『貴族連盟』が機能し始めるまではそれぞれが自衛をしていたという情報が残っています。」
よく考えれば当然の帰結だとバレットは感じた。
大きな力を持つ4家それぞれが武力を保有してしまえば、いずれ争いの火種になるだろうことは目に見えている。
恐らくは当時の貴族連盟の盟主達も、それを危惧したのだろう。
「ですが……武力を放棄した2家と違い、任された役職の関係で放棄することが難しい家があったのです。」
「それが今のハイレンジア家というわけですか……。確かに……情報の統制を行う以上、その立場は公平でなければならない。加えて、力に屈するわけにもいかないとなれば自営手段も必要になる。」
アルエは再び頷き、バレットの推測を肯定する。
権力には抗争が付き物だ。表立った戦火はないにしろ、水面下での争いはいつ起こっても不思議はない。
情報統制という役割を担っている以上、万一の場合に備えて抗うためのカードは必要だったのだろう。
「……自警団という形は残せない、だからこそ『紫陽の花』という形に再編し運用した。……だが、やはり疑問は残る。」
「なぜ『裏ルート』などというものを作る必要があったのか、ですね?」
次はバレットが首肯で答える番だった。
武力による圧力に対して抗うために、自警団を『紫陽の花』に再編した。
では『裏ルート』は何のために必要だったのか、その問いへの答えは本質的には同じだった。
「自警団は形を変えて残っている。けれど、彼らに支給するための武装がないのでは話にならない。……つまりはそういうことです。」
確定した過去の情報を開示するアルエに対し、バレットは努めて冷静にその情報を吟味する。そして、受けた説明に矛盾がないことを理解して深く息を吐く。
アルエはそんな彼女の様子を観察するように眺めながら、補足するように言葉を加える。
「もっとも、武器弾薬までをも扱いだしたのは先代当主……イリスお嬢様の母だったクレイ様がお亡くなりになる1週間程前からになります。それまでは本当に、少し珍しい物が流れてくる程度のものでしたから。」
「……。」
バレットはアルエの言葉を飲み込む。そして居住まいを正してから、改めて最初の質問を投げ渡した。
「大筋は理解しました。……それで、どうなのです?結局のところ、イリス嬢は今の『紫陽の花』と関りがあるのですか?」
「おや、意外と無粋な質問をするのですね?あれだけ丁寧にお伝えしたのですから、ある程度察してくれても良いのではないですか?」
そう……アルエはバレットから投げられた最初の質問に対し、未だ明確な返答を返してはいなかったのだった。
バレットは身動きの一つすら見逃さないようにアルエを見据える。
一方のアルエは、ただ黙して正面から『狩人』の視線を見つめ返していた。
「……!」
2人が数分そうして睨み合ったまま硬直していると、脆くなった壁の隙間から1匹の蝙蝠が室内に侵入してきた。
蝙蝠は小さな羽音を立てながら2人の間を飛び回り、やがて何事もなかったかのように入ってきた時と同じ隙間を通って部屋の外に出て行った。
「バレット様。」
「……!」
バレットが怪訝な表情で蝙蝠が通った穴に視線を向けていると、先程まで黙っていたアルエが口を開いた。
その声からは一切の遊びも感じられず、ただ事実のみを淡々と告げるような冷淡さを感じた。
「先程の問いにお答えしましょう」
「……!」
「イリス様お嬢様は、確かに私を通して『紫陽の花』を操っていました。……しかし、それは全て悲願を達成するための行為に過ぎません。私も彼も、その一助となる為にイリス様お嬢様に従っているのです。」
唐突に発せられた悲願という単語と、先程と明らかに雰囲気が変わったアルエ。
その突然の変化に少しだけ驚きながらも、バレットは推測を立てる。そして何やら奇妙な胸騒ぎを感じて、ソファーから立ち上がった。
そしてそのまま外へつながる扉へ向かっていく。
「どちらへ?」
「……」
「……。お急ぎになるのでしたらどうぞご自由に。……導かれる結果がどうであれ、私は既に主命を果たしましたので。」
無言で背を向けて部屋の扉に手を掛けていたバレットは、足を止めて改めてアルエを視界に捉える。そして威圧感を強めながら彼女に向き直る。
「貴女の役割とは何です?……答えに大方の見当は付きますが、確定しているのといないのではこれからの行動に大きく影響が出る。」
バレットは今まで押し殺していた威圧感を全開にして、アルエに向かって最後の問いを投げ渡した。
アルエは変わらず落ち着いた雰囲気で、ソファーに座ったままバレットの問いに応じた。
彼女の手には、最初に外した仮面が握られていた。
「……簡単な話です。我が主の命で貴女をここに呼び出した理由は、単なる時間稼ぎ。……肝心要の瞬間に、『狩人』に横槍を入れられると困りますので」
アルエの言葉を聞くが早いか、バレットは扉も窓も全て蹴り破りながら最短経路で廃屋から飛び出した。
彼女は満月が輝く夜の下で、自身の出せる最高速度で舞踏会の会場であるハイレンジア別邸に急ぐのだった。
@ @
馬車がハイレンジア別邸に到着すると、ヴィアナを先頭に沙耶たちも馬車から降りた。
扉の前に出迎えの人間は居ないが、ヴィアナは慣れたことだとでも言うようにオーキスに指示を飛ばす。
ヴィアナに命じられたオーキスは馬車を止めると、一向の先導を始めるべく彼女の前に立った。
「勝手に入っても良いの?」
「あら、私たちを呼び付けたのは向こうですのよ?ゲストに対して出迎えの一つも寄越さないということは、勝手に入って来いと言っているようなものですわ」
「そういうものなんだ……」
無論、ヴィアナとて他の連盟盟主の招待であれば迎えが来るまで待機する。
この対応は謂わば、ヴィアナとイリスの間でのみ適用される特殊ケースといえた。
「……ゴルド、貴方は私達の後ろから着いてらっしゃい」
「イエス、マイロード」
ヴィアナは沙耶の横に並ぶと、オーキスの時と同様にゴルドに向けて指示を飛ばす。
ゴルドもオーキスと同様に、彼女の言葉に従って迅速に移動した。
「……さぁ、行くとしましょうか。」
「うん。」
先頭を歩くオーキスに続き、ヴィアナと沙耶は屋敷の中へと足を踏み入れる。
最後尾を歩くゴルドもまた、対照的な雰囲気の二人に続いて舞踏会の会場に入っていった。
「分かってたけど、別邸って言ってもやっぱり凄く広いんだね。」
「そうかしら?精々沙耶の……神守の屋敷より少し広いくらいでしょう?」
「……ヴィアナちゃんには家がどう見えてたの?少なくとも舞踏会なんて開けるようなスペースは無かったよ?」
「そうだったかしら」
屋敷の中を歩きながら、ヴィアナと沙耶は控えめな声量で談笑する。
沙耶はヴィアナの脳内フィルターが掛かったイメージを聞かされて少し驚いていたが、ふと疑問が浮かんだ。
「そういえばどんどん進んでるけど、何回か来たことあるの?」
「えぇ、数年に1度程度の頻度ですけれど、会合を開くときに稀にこの別邸を借りていましたからね。……その時の交渉役は私ではなくお父様でしたが。」
ヴィアナの返答に沙耶は少し意外な印象を受けた。
フェリエット家ほどの広さがあれば、舞踏会や会合といったものを開催するだけの余裕はあると思っていたからだ。
そんな沙耶の考えを表情から読み取ったのか、ヴィアナは苦笑気味に沙耶に訂正を入れた。
「一応言っておきますけれど、私の屋敷でこう言った催しを開かないのは理由があるからですのよ?」
「……理由って?」
「簡単な話ですわ。貴族連盟に連なる4家はそれぞれ街の運営に欠かせない仕事を取り仕切っています。……そんな場所で他所の人間が簡単に出入りできるような催しを開催すると、どういう危険性があると思います?」
「え?どうって……。……あー、もしかして」
沙耶はヴィアナの言わんとすることが何となく予想できた。
つまるところ無関係の人間が簡単に出入りできる機会を作ってしまえば、どれだけ警備を厳重にしたところで情報漏洩の危険性は無くならない。
そういったセキュリティの観点から、連盟4家を舞台にした舞踏会や会合は控えることになっていたのだろう。
そんな沙耶の気付きを肯定するようにヴィアナは頷く。
「そう、つまりこのハイレンジア別邸はそういった催しのためにある場所なのです。……表向きの所有者はハイレンジア家当主になってますけれど、維持費の捻出や管理自体は連盟盟主が毎年持ち回りで行っています。なので実際は4家の共有スペースのような扱いになっていますわね」
「へぇ~」
沙耶は感心したようにヴィアナの話を聞いている。
彼女もさくらの妹として名家である神守家に住んでいるが、価値観自体は一般的だ。
そんな彼女からすれば、貴族連盟のそういった事情は困惑より物珍しさが先行していた。
「ヴィアナ様、沙耶様。到着しました。」
「!」
そんな会話をしていると、不意にオーキスが立ち止まってヴィアナたちの方へと振り返った。
どうやらこの扉の先が会場なのだろう。
沙耶は目を閉じ、耳を澄ませて中の音を聞き取るべく全神経を集中する。
……部屋の中から物音は何も聞こえない。……もしかすると馬車の中でヴィアナが言っていたように、本当に自分たち以外の誰も呼ばれていないのかもしれない。
そんなことを考えていた沙耶に、ヴィアナは言葉を掛ける。
「行きますわよ沙耶、覚悟はよろしいかしら?」
「……。うん、いけるよヴィアナちゃん。」
確認するようなニュアンスのヴィアナの言葉は、沙耶がどう返答するか理解した上でのものだった。
沙耶もそれを理解しつつ、いつも通りに返答する。
そして一行は舞踏会の会場へと足を踏み入れたのだった。
「……誰も居ないね?」
入室した沙耶は、広い室内を見回しながらヴィアナに同意を求めるように言葉を投げた。
「やっぱりこう来ましたか……オーキス。」
「承知いたしました、ヴィアナ様」
対するヴィアナは、片手で自身の顔を覆うようにして今にも出そうになる溜息を噛み潰した。
……そしてヴィアナに名を呼ばれたオーキスは、懐から封の切られた封筒を取り出した。
「沙耶様、こちらをご覧ください。」
「?……あれ、これって……」
オーキスから封筒を渡された沙耶は、その中身を確認する。
中には4枚の封書が入っており、そのうちの2枚には以前沙耶とバレットが調査に向かった『廃棄された診療所』への情報が記載されていた。
「……」
……そうなってくると気になるのは4枚目の紙に記載されている内容だ。
3枚目には『舞踏会への招待状』のような内容が記載されていた。では4枚目にはいったい何が記されていたのか?
沙耶は何かに急かされるようにその紙を抜き取り、内容に目を通した。
「……え?なにこれ」
沙耶は最後の紙に記載されていたその内容に愕然とし、硬直するようにそこに記載されている文面を凝視した。
そこには、驚くべき内容が記載されていた。
【舞踏会参加に際して
下記要求にお応えいただければ、当家には後述する対価をヴィアナ=フェリエットに譲渡する用意があります。
要求事項。
・舞踏会開始前のバレット=ガットレイの不在。途中参加に関してはその限りではない。
・舞踏会開始前のフェリエット家の使用人の同席は2名まで許可。
・ヴィアナ=フェリエット、川崎沙耶に関しては必ず出席するように。
・上記の条件を舞踏会の会場に到着するまで、オーキス以外に伝えてはならない。
以上4点を厳守していただけるのであれば
当家が保有する貴族連盟としての地位と権利
その全てをフェリエット家の当主に譲渡し、
以後一切の異議申し立てを行いません。
どうぞ存分に熟考の後、色良い返事を頂ければと思います。】
「……ヴィアナちゃんは、これ……知ってたんだよね?」
「えぇ。」
思わず当たり前のことを聞いてしまう沙耶に、ヴィアナは短く端的に返答する。沙耶は混乱する頭で必死に思考を回すが、疑問を口にすることすら儘ならない。
沙耶は知っている。
こういう対応をする時のヴィアナやさくらが……なにより沙耶自身も……何かを決めていて、その決定が揺らぐことなどないということを事実として知っている。
沙耶は思わず握りしめてしまっていた手紙を、慌てたように封筒の中に戻してから再びオーキスに返却した。
「沙耶、混乱と動揺は理解できます。そして今まで黙っていたことは謝罪します。……ですが、全てはこの瞬間を作り出すためです。私も今回の件に関しては、イリスに聞きたいこがありますから」
「……わかった。たぶん私もヴィアナちゃんと同じ対応すると思うから」
ヴィアナの言葉を聞き、沙耶は数秒思案するように視線を下げる。やがて吹っ切れたように顔をあげ、困ったように笑いかけた。
「ふふふ、美しい友情といったところかしらね」
2人がやり取りを終えたタイミングで扉が開き、面白い見世物を見た後のような笑みを浮かべながら彼女は現れた。
白い髪に金の瞳、そして病的なまでに白い肌。それらを純白のドレスの端から露わにし、彼女は堂々とした立ち振る舞いでゆっくりと歩を進める。
「……イリス」
彼女こそがハイレンジア家の現当主であるイリス=ハイレンジアであり、この状況を作り上げた張本人だ。
「……さて、本日は当家の招待に応じてくださり心より感謝いたします。今宵は心行くまで語り合うとしましょう」
「やはり舞踏会というのは建前でしたのね。」
「あら、貴方達にとってもこの展開は都合が良いのではないかしら?……なにせ、私は貴女達がまだ知りえない情報を持っているのだし。」
広い部屋の中央付近でヴィアナとイリスは言葉を交わす。イリスの言葉には何かを包み隠そうとするような意図は全く感じられない。
沙耶は二人のやり取りを見つめながら、そんなことを考えていた。
「貴女達が聞きたいことは大体見当がつくわ。『紫陽の花』との関係について、私が何をしようとしているかについて、そして何より『異能薬』との関りについて。……こんなところでしょう?」
ヒラリと白いドレスを翻しながらヴィアナと沙耶に背を向けて、イリスはゆったりとした足取りで2人との距離を開ける。
沙耶にはそのイリスの様子が、どこか上機嫌なように感じられた。
「それから川崎沙耶、貴女や『狩人』に襲撃を仕掛けるように、アルエを通じて『紫陽の花』に指示を出したのは私よ。……その点に関しては謝罪しておくわ。」
「うん、まあ……大した怪我もしなかったし大丈夫だよ?」
「あら、そうなの?寛大な対応に感謝の言葉も無いわね。」
「……。」
イリスは背を向けたままで沙耶に謝罪し、それに対する彼女の対応に愉快そうに肩を揺らしていた。
ヴィアナはそんな二人のやり取りに思わず苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
ヴィアナと沙耶はイリスの言葉を聞きながら、彼女が平然と自分と『紫陽の花』の関係を認めたことに内心驚いていた。
「イリス、貴女何を舞い上がっていますの?」
「そう見える?」
そんなイリスの対応に若干の不信感を感じながら、ヴィアナは努めて冷静に問いを投げかける。
イリスはヴィアナからの問いを受け流しながら、二人に振り返った。
そんなイリスの姿に、ヴィアナは彼女から感じる違和感を無視しきれなくなっていた。
ここ数年の彼女は立ち上がることも難しいほどに衰弱していたはずだ。
生まれつき病弱なイリスの様子にヴィアナは常々心を痛めていた。だが、それでも彼女はイリスを自身と対等な友人だと思っていた。
そんなヴィアナから見ても、今日のイリスは異例中の異例なのだ。
「えぇ見えます。それに先程の軽率に『紫陽の花』と自身の関係を明かした発言に関してもそうです。今までの貴女なら」
「今までの私なら煙に巻くような言い回しで誤魔化していたと、そう言いたいわけよね?」
「……。」
自身の言葉を先に言われてしまい、ヴィアナは二の句が継げなくなってしまった。
ヴィアナが口を閉ざしたのを確認すると、イリスは真剣な表情で二人に向かい合った。
その顔には心底から愉快そうな、酷薄な笑みが浮かんでいた。
「だって、もう隠す必要がないんだもの」
イリスが小さく呟いた言葉の意味を二人が理解するよりも早く、猛烈な勢いでヴィアナたちの背後の扉が開いた。
「沙耶様!!」
「ヴィアナ様!!」
沙耶とヴィアナがそのことに反応を示すより早く、駆けだしたゴルドとオーキスはそれぞれ一人ずつ抱え上げてその直線上から退避した。
「なに?!」
「何事ですの!?」
遅れて驚愕の声をあげる二人を無視して、乱入してきた人物は真正面からイリスと向かい合う。
黒み掛かった金髪に、内向的な印象を受ける目元。年の頃はゴルドとそうは変わらないその人物は、手に握られている凶器の矛先を、一人で部屋の中央付近に佇む純白の少女に向けていた。
「ヴィアナちゃん、あの人」
「貴方、今までどこに!」
沙耶とヴィアナは驚愕の声をあげる。その人物は沙耶にとっては顔を見知っている程度の相手だが、ヴィアナにとっては数日前に失踪した使用人だった。
「そうなのね。……ようやく見つけたわ、貴方が」
イリスが口角をあげて口を開き、言葉を発する。
その言葉にはこれまでに感じられなかった言い知れない感情がありありと浮かんでいた。
しかし、彼女がその言葉を全て吐き出すよりも早く……酷く乾いた音が6度、屋敷の中に響いたのだった。
「そん、な……なんで……」
絞り出したように発せられた言葉は沙耶のものだった。彼女の顔は驚愕の色に染まっている。
白いドレスも髪も身体も……全てを自身から噴き出した鮮血の赤で染め上げていく。
そのイリスの姿を、目に焼き付くほどに見つめていた。
幾重にも折り重なるように咲き乱れるその血溜まりは、沙耶の脳裏に彼岸花を想起させる。
その花束の上に身体を横たえる少女の姿から、沙耶は視線を逸らせなかった。
彼女すらもその光景は信じられない物だった。
「何故です……どうしてこんなことをしたのです!答えなさいミハイル!」
ヴィアナは自身から滲みだす怒りを隠そうともせず、手にしていた凶器を投げ捨てたその男に怒声を浴びせた。
そんなことを聞いても意味はないと心では理解しているけれど、感情と行動を切り離せない。こんな激流のような感情はヴィアナにとって初めての体験だった。
極東において沙耶の姉といがみ合っていた時すら感じなかった、身体が言うことを聞かないような感情の奔流。そんな感覚をヴィアナは感じていた。
「何故、ですか……。彼女こそが全ての元凶だからですよ、ヴィアナ様」
その男……数日前に失踪したはずのフェリエット家使用人のミハイルは、赤の中に溺れるように倒れ伏した白い少女を指差しながらそんな言葉を言い放った。
ヴィアナはそのミハイルの指先に誘導されるように緩慢な動きで、既に絶命してしまった友人の方に視線を向けた。
「約10年……ようやく会えたわね、『ダリア』」
ヴィアナは信じられない物を見たように、顔から血の気が引いてしまっていた。
沙耶は最初と変わらずに驚愕の表情でそちらを凝視していた。
死ぬ前に完治したのであれば、沙耶だって似たようなことはできる。なにも驚くようなことはなかった。
けれど、いま目にしているコレは違う。あんなことは不可能だ、死人を生き返らせる方がまだ容易い。
沙耶は保有する異能故か、直感的にそう感じた。
「バカな!何故……銃で6発も撃たれて、病弱な貴女がどうして生きている!」
「随分と……おめでたい目をしているようね、まるで節穴よ貴方。……これが生きているように見えるのかしら」
彼女の着用していた白いドレスは、滴り落ちる血を吸ってすっかりと赤に染まっていた。
イリスの身体にはあちこち穴が開き、今も血が溢れている。
……それはどう見ても生きてはいなかった。沙耶の眼からしても、誰の目から見ても彼女は死んでいなければおかしかった。
「……さぁ、待ちに待った開演よ。舞踏会を始めましょうか、ダリア=グリムランド。主催は私、主演は貴方、そして相手をするのは私の吸血鬼よ。」
感極まったように歌い上げる彼女の周囲に、何匹もの蝙蝠がどこからともなく集まってくる。
その蝙蝠の群れはやがて人の形になり、黒衣に身を包んだ怪物の姿を作り上げた。
そうして現れたのは、沙耶もヴィアナも見知った相手……情報屋のシークだった。
……こうして10年以上の時をかけ、死人の少女は過去の亡霊とも言うべき因縁の相手と対面した。
舞台に役者が揃って数日……盤面は少女の思惑通りに進行し、ついに死人は亡霊の首に手を掛けたのだった。
__後章・輪舞
異能『同調』
保有者:イリス=ハイレンジア
概要:
自身で定めた相手と同調する。一度に3人まで適応可能。
同調対象は感情、体調、記憶、生死まで多岐にわたる。
距離が近い程より深く同調することが可能。
同調するための条件は直接対峙すること。
シーク
肩書:情報屋
主な戦闘方法:徒手空拳
備考:吸血鬼
異能『???』
保有者:ダリア=グリムランド
概要:
条件を満たした相手から●●を●●●る。
能力を適用するかどうかは自身で決められる。
●●を完全に●●た相手に●●●●ることができる。
適用するための条件は●●●●●こと