「情報の提供をする前に一つ確認したいことがあります。よろしいでしょうか?」
当主であるイリスとの会談を終えて別室に案内されたバレットは、腰を降ろすのとほぼ同時にアルエに問いを投げられていた。
「なんですか?」
「バレット様は今回の件、どの程度の情報まで把握しているのですか?」
「……。私が聞いているのはこの街の連盟盟主の一人が、帰宅途中の馬車内で何者かに殺害されたという点だけです。それ以外の情報は全て聞かせていただきたい、また前提情報の齟齬があるのならそちらの訂正もお願いします。」
バレットはアルエの問いかけに淀みなく返答した。しかし正直に答えたわけではない。
バレットとて所属している組織の上層部から、事件発生時の大まかな情報などは前もって聞かされていた。しかしその情報に誤りがあってはいけない。
また同時にハイレンジア家が黒であった場合、虚偽の情報をバレットに聞かせる可能性もあった。その二つの可能性を排除するべく、バレットはあえて一部虚偽の混ざった返答をアルエに返していたのである。
「なるほど、承知しました。……それでは、お嬢様のご指示通りに私共の持つ全ての情報をお伝えします」
バレットの返答に数秒瞳を閉じていたアルエは、ゆっくりと瞼を上げてそう答えたのだった。
「まず、前提としての情報ですが事件の被害者は2名。送迎馬車の御者の男と、亡くなったベリエード家の当主の御老人です。そして発生状況ですが……被害者の体感時間で約30分ほどの間、夜道を走る馬車を何者かが追跡していました。」
アルエは手元の資料に目を通しながら、バレットに事件の状況を説明していく。
「その後、一種の極限状態の末に御者と当主の御老人が口論に発展。最終的に御者は馬車を放棄して逃走、取り残された御老人は殺害された。これが公開されている事件の概要です」
一般に公開されている情報を伝え終わったアルエは、そこで一息ついてバレットの返事を待った。
バレットはアルエの視線の意図に気付き、確認するべき内容と問いかけるべき内容を吟味する。
そして、まずはやはり事実確認と情報精度の保証をする必要があると判断した。
「体感時間で30分程度追われていた、と言っていましたが……それはやはり馬車で?」
馬車で移動している者を追跡するのならば、やはり馬車を使用するしかない。
普通の価値観ならば……当たり障りのない返答を返そうと思っているのならば……そう答えるのが妥当だった。
「いいえ、徒歩です。文字通り馬車に追い縋れるほどの速度で、人間のような何かが走って追跡してきたそうです。」
だがアルエはそんな普通ではありえない返答をした。馬車に走って追い縋れる人間など普通は存在しないのは誰が考えてもわかる。そして、その返答はバレットが上層部からあらかじめ聞かされていた情報と全く同じだった。
その返答をもって、バレットは彼女らが本当にありのままの情報を提供していることを確認した。
バレットは次に問いかけるべき内容を投げかける。
「御老人の殺害に使われた凶器は解っているのですか?」
「爪です。」
「爪?」
自身の質問にあまりにも淀みなく返答が返ってきたので、バレットは思わずそのまま聞き返してしまった。
「はい。……正確には爪のような何かですが、御遺体の身体にあった傷跡が引っ掻いたような形状だったためにそう判断したそうです。……ただ傷跡は非情に深くまで至っていたそうで、ほぼ即死だったそうですが」
……あまりにも常軌を逸していた。
人間のような何かが、走って馬車に追いつき、剰え乗客の老人をその爪で惨殺したという。
ここまで聞き、バレットは自分がこの街に送り込まれたのは間違いではなかったと確信した。
今までも充分に本気で任務に当たっていたが、改めて気を引き締めた。
「すみません、今までの話を聞いていくつか質問があるのですが。」
「お答えしましょう。」
バレットは今度は自分から質問を投げかけることにした。もう情報精度の保証確認は済んだ。
答えてくれるというのなら全て聞き出してしまおう、そう風に彼女は考えた。
「体感時間で30分と言っていましたが、目撃者がいたのですか?」
「目撃者ではなく生存者というのが正確です。先程お伝えした通り、殺害されていたのは御老人だけでした。御者の方は翌日の正午を少し過ぎた頃に、酷く怯え切った状態で発見されました。」
バレットはよく生き延びたものだと顔も知らない御者の男を称賛した。
恐らくは馬車を囮にして逃げたのだろうが、それでも逃げ切れる確率の方が低かっただろう。……いや、追跡者の狙いが最初から老人の殺害だけに絞られていたのであれば、逃げ切るのはかなり容易になるだろうが、現状ではまだそこまでの判断は下せない。
「ちなみにこれまでにこの街で似たような事例はありましたか?」
「申し訳ありません……。流石にそこまでは私も把握しておりませんので、今すぐには返答できません。調べれば明日の朝には返答することも可能ですが、どうしましょう」
「……いえ、それなら結構。どうぞお気になさらずに。」
アルエは申し訳なさそうにバレットに頭を下げていた。バレットは本心から言葉を返しつつ、次の質問を投げることにした。
「追跡者は徒歩だと言っていましたが、その根拠になるような情報は?」
「そうですね……これは私が聞いたわけではなく、あくまでも御者の方の証言なのですが……後ろからピッタリと一定の距離間で負ってくる靴音を聞いたと言っていました。」
……靴音?と話を聞いていたバレットは奇妙な既視感を覚えた。
噂で聞いたというたぐいの良くある既視感ではなく、つい最近どこかで自分も同じ経験をしていたような気がするのだ。
「馬車を放棄して一人で逃げるときも、その響く靴音だけが異様に恐ろしく感じたそうです。保護された後も、その音だけが頭から離れないと言っていました。」
……そうして思い出した。
それは昨夜のことだった。この街に着いたばかりのバレットは、街の土地勘を得るために一人で散策をしていたのだ。
そして日も落ち……ある程度の構造を把握した彼女は、自身が宿泊する宿に向かうために夜道を歩いていた時だ。
……背後からしたのだ、確かに。コツリコツリという、硬質な靴音が
そして直後に腹部に熱した鉄を突き込まれたような奇妙な感覚を覚え、バレットの意識は途切れた。
……気付いたときには彼女は沙耶による治療を受けていたのである。
一歩間違えれば間違いなく死んでいたな、そう今更ながらにバレットは考えた。
「……その御者の男性とコンタクトを取ることは可能ですか?」
「それはできません。」
思いもよらず自分自身と繋がった手掛かりに少しだけ驚きながら、バレットは次の手を考案し即実行した。
しかしそれはアルエの一言であえなく断ち切られてしまう。
「何故です?」
バレットとしては自然な問いだった。せっかく繋がりそうな手がかりだ、みすみす逃したくはない。
「彼はもうこの街にはいませんので、私共は手出しできません」
「……。そういうことですか」
言われてみれば、当然の流れかもしれないと思った。
仮にも自分自身の雇い主を、それも街の屈指の権力者を馬車ごと見捨ててしまったのだ。
状況的に見て同情の余地が有るとはいえ、街に居続けるのは難しかったのかもしれない。
「……私共としては、今回の件で御者の方に責を問うつもりはありませんでしたが……本来は責任感の強い方だったようで、自身の厳罰を望まれたのです。」
「……ふむ」
「しかしこちらとしても、制裁を与えるに足る理由もありませんでした。その為、情状酌量と本人の希望ということで追放という形で落ち着いたのです。……ですので、あまり私が強く言えることではないのですが……彼のことはそっとしていただけませんか」
どうにも狩人という肩書の影響かもしれないが、バレットは自身が強引にでも問い詰めるような人間に見られているような気がした。
その誤解を解く意味も込めて、バレットは彼女の申し出を了承する。
……しかし、そうなると今度は彼女の方が手詰まりなのだった。
唯一の手掛かりを持っていそうな御者は既に街の外に居り、接触は控えるように釘を刺されてしまったのだから。
「……。どうしたものか」
「バレット様。」
そう考えこむバレットを見兼ねてか、それとも当初の予定通りだったのか……それは判らないが、アルエはバレットに小さなメモ用紙を手渡した。
「これは?」
「どういう話になるにせよ、聞かれたことには全て答える。そして最後にこのメモ用紙を貴女に渡す。……これが本日、私がイリスお嬢様から承っていたオーダーでした。」
バレットはアルエの言う言葉を聞き届け、手渡された紙に視線を落とす。
そこにはどこかの路地裏にある家屋を差し示した住所が書き込まれていた。
「そこにはお嬢様が懇意にしている情報屋がいらっしゃいます。……彼からなら、もっと踏み込んだ話も聞けるかもしれません。」
……バレットは渡された紙を懐にしまって、どうするべきかを考えた。
そして今までの応答と態度から、彼女らが自分に嘘を伝える可能性が極端に低いことを再認識した。
「……その情報屋の特徴を教えていただけますか?」
「フードを目深にかぶった黒髪の男性です。年はだいたい貴方と同じか少し下くらいだと思います。素性の知れない人物ではありますが、情報屋としての腕は確かです。」
アルエの言葉を聞いてバレットは、ハイレンジア家の持つ高い情報収集能力の理由の一端を見た気がした。
「……最後に、その人物の名前を聞かせていただけますか?」
「私は直接お聞きしたことはありませんが……イリスお嬢様は彼のことをシークと呼んでらっしゃいました。」
シーク……聞いたことのない名前だ。
バレットはその名前を数度反芻し、改めてアルエに情報提供の礼を告げた。
今回の任務は思いのほか長くなりそうだ……と、窓から差し込んでくる夕日を眺めてバレットは小さく息をついたのだった。