あの後ヴィアナと沙耶の2人と合流したバレットは、イリスとアルエに改めて感謝の意を伝えてハイレンジア家を後にした。
フェリエットの屋敷に戻るまでの道中、馬車の中は行きの時と雰囲気が違っておりほとんど会話がなかった。
バレットもヴィアナと2・3言葉を交わした程度で、沙耶とは一言も言葉を交わすことなくフェリエット邸に到着した。……実際のところ、言葉を掛けても沙耶が上の空で会話が成立しなかったというほうが正確だった。
ヴィアナに事情を聴いてはみたものの……。
「貴女が気にするほどのことではありませんわ。これは沙耶自身の問題ですので……まったく、イリスのあの性格だけはどうにかならないものでしょうか」
という返答が返ってきただけだった。
どうやら、ハイレンジア家の当主との談笑で何かあったらしいが……流石に出会って1日と少ししか経っていない人間が、踏み込むべきではないだろうとバレットは判断した。
そんなことがあったのが昨日の夕方の出来事。
そして明けて翌日。
「……」
バレットは昨夜の沙耶の様子が気にかかりながらも、まだ日が昇って間もない早朝にフェリエット邸を出発した。
昨日1日を比較的安静に過ごしたおかげか、はたまた沙耶の異能による治療の賜物かはわからないが、バレットはほとんど本調子に戻っていた。
バレットは屋敷を出る際、不意に背後からオーキスに声を掛けられた。
早朝から私用で外出をする旨は昨夜の内に既に伝えていたので、単に見送りに来たのだろうと当たりをつけたバレットは振り返ってオーキスに軽く礼をした。
「それでは行きます。ヴィアナ嬢とサヤによろしくお伝えください。……帰りはいつになるか分かりませんが、夜には帰り着くかと思いますので」
「承知しました。……コチラをお持ちください。」
オーキスはバレットの言葉を聞くと、どこからか包みを取り出した。
バレットは訝し気にその包みを眺めて、オーキスに問いかける
「……これは?」
「軽食です。朝食のご用意は間に合いませんでしたので、急ぎコチラをご用意しました。移動の合間にでも召し上がってください。」
「……。」
バレットは包みを受け取ってから改めてこの老執事の技能の高さを内心で賞賛した。
滞在初日から思っていたことではあるが、彼は所作にほとんど隙が無い。それこそ8割方回復したバレットをして、今の状態では戦っても勝てないと思わせるほどだった。
そしてバレットは改めてオーキスに一礼し、フェリエット邸を出発した。
目的地は、昨日ハイレンジア家の使用人アルエから渡された紙に記載されている住所が指し示している場所だ。
薄っすらと夜霧の残っている街の中をしばらく歩いていた。時間にして1時間程度だろうか……。
目的地を目指して歩みを進める。途中でオーキスから受け取った軽食を取った。
そして食事を終えて一息吐いたバレットは、再び目的地を目指して歩き始めた。
この頃には完全に夜霧は消え、朝がやってきていた。
しかしあいにく天候は曇天で、いつ雨が振り出してもおかしくないような雰囲気だ。
「傘の一つでも持ってきておくべきでしたか……っと、ここですね」
そんな風に帰りの天気の心配と傘の不携帯に思考を巡らせていた時、バレットはようやく示されている住所にたどり着いた。
路地裏に入ってしばらく歩き、少し入り組んだ道を書き記されている通りに進んでようやくたどり着いたその場所は、廃屋と呼んで差し支えないような退廃的な雰囲気が漂う小部屋の前だった。
「……」
バレットは場所を間違えているかもしれないと思い、与えられたメモを見ながら自分が今まで通ってきた道を反芻。そしてやはり道を間違えてはいないらしい。
その事実を確認したバレットはそのドアを少し強めに4回ノックし、5秒ほど間隔を空けてから再度3回ノックした。
ノックの回数は指定されていて、このやり方でノックしなければ居留守を使われると聞いた。
情報屋という危険に踏み込む仕事をしているからなのか、この中にいる人物は合図を数パターン取り決めているらしかった。
「……」
ノックをしてから1分ほどが経過した。扉の向こうからは物音一つしない。
……もしやノックの方法を間違えただろうか?
そうバレットが少しの不安に駆られていると、不意にメモの端の方に書き込まれている文字に気が付いた。
『その時間にシークがその場所にいることは絶対に確定です。なので、もしもノックの後に数分待っても中から何の反応もない場合は、扉を蹴り破って中に入りなさい。私が許可します。』
その文字の斜め下には、イリス=ハイレンジアという昨日出会ったハイレンジア家の当主の名前が記載されていた。
「……。」
バレットはその記載を見て、とりあえずもう少しだけ待ってみようと考えた。
……それから何も変化がなく、5分ほどが経過した。
そしてバレットは文面の通りに入り口の扉を蹴り破った。
「……後で修理代だけでも払いましょうか。」
バレットは変形してしまった扉を少々強引に元の場所に嵌め込んで、室内に踏み入った。
室内は外観から受ける印象とは違い、それなりに整頓されていた。部屋の中央には簡素なソファとテーブルがあり、恐らく来客対応用なのだろうとわかる。
そして更に部屋の奥に視線を向けると、そこには大量の書物に埋もれるようにして一人の青年が床で眠っていた。
黒髪で東洋人風の顔立ちをしているその人物は、年の頃はだいたい自分と同じか少し下くらいだと思った。
一向に目覚める気配のない青年を上から眺めながら、聞いていた特徴と一致する彼がアルエから聞いたシークなのだろうと思った。
「……む?」
「……。」
不意に、本当に唐突に眠っていた彼がパッと目を開けた。そしていまいち状況を飲め込めていないように辺りを見回しつつ彼は起き上がる。
それからパキパキと体の節々を鳴らし、ようやく完全に目が覚めたらしい彼はバレットに向かって口を開いた。
「……誰だアンタ。」
……どうにも緊張感に欠けた状況だと、バレットは心の底から思った。
「……なるほどな、イリスの紹介か。」
あれからだいたい10分程度経過し、完全に目が覚めたらしいシークは来客用の珈琲を用意しながら苦々しい表情で呟いた。
起き抜けの状態で完全に顕わになっていた彼の素顔は、今では目深にかぶったフードのせいですっかり隠れてしまっていた。
「えぇ、先日のベリエード家当主襲撃殺害の件で。貴方からならば、踏み込んだ話が聞けるのではないかと。」
「……アンタが知ってるのは事件の発生状況と凶器、後は生存者について……で、合ってるか?」
「後は追跡者が馬車ではなく、自らの脚で追ってきていたらしいという話は聞いています。」
シークは用意した珈琲の片方をバレットに差し出し、自分の物には砂糖を多量に投入しながら問いかける。
バレットは大量の砂糖が投入されていく彼の珈琲を視界から外しつつ、問いかけには正直に返答した。
「……。」
シークはバレットの返答を聞き、すっかり甘くなってしまっているであろう珈琲を少し口にする。
何事か思案するように暫く黙り込んだ彼は、更に2回ほど砂糖を足してから口を開いた。
「単刀直入に聞きたいんだが」
「なんでしょう。」
「お前は狩人か?」
「……。はい」
バレットはシークが先ほどまでの弛緩した雰囲気とは一変し、真面目に聞いて来ていることを理解した。そして、彼女もまた居住まいを正してそれに答えた。
動揺はなかった。ハイレンジア家の当主に初対面時点で看破された以上、彼がそれを知らないという方がおかしい。
「……よくもまぁ生きてたもんだ。」
「偶然に助けられました。」
「……そうかい。」
シークはバレットの目を真っ直ぐに見つめた。彼女もそれに応えて見つめ返す。
ここに第三者が居たのなら、見えない火花が散っているような錯覚を覚えるに違いない。
シークはバレットから目をそらし、軽くため息をついてから口を開く。
「『異能薬』って知ってるか?」
「……いえ」
バレットは唐突な問いに反射的に答えた。聞いたこともない名称だった。
「ここから喋る話は極力人に言わない方が良い。そう前置きしたうえで改めて訪ねるが……」
「聞かせてもらえますか」
「……話くらい最後まで聞けよ」
シークはバレットの返答に辟易とした様子で言葉を返し、自身の前にある珈琲を飲み干した。
「まず前提として、異能は生まれつきでしか発現しないってのは知ってるな?」
「えぇ。」
沙耶の持つ癒す力のように、時として普通では考えられないような……それこそ奇跡としか思えない事象を引き起こす者が現れることがあった。
異能の力を持つ者は極少数ではあるものの、その力の発露は多岐に渡っているため未だにその詳細は把握されていない。
ただ一つだけ確かな共通項は、彼らは全員『生まれつき異能を保有していた』という点だけである。
「一説には脳やら身体やらの作りが違うんだとか何とか、まぁ諸説ある上に一般大衆からしてみればお前らの『組織』と同じオカルトや噂話の域を出ない。」
「……。」
シークの掻い摘んだ説明にはバレットは何も言葉を返さず先を促した。
「ここからが本題だが、つい2日前の夜。一人の異能者が捕獲された。まぁ、もちろん表立った逮捕じゃないが。」
……2日前の夜というと、丁度自分が沙耶に助けられたのと同じくらいの時間だろうか?
そう考えた瞬間、バレットは電流でも流されたようにバッと顔を上げた。
「そうだ。アンタを襲った何者か、あいつはその夜のうちに捕まってる。更に言うなら既に死んでる」
「なっ!?」
それはバレットとしては驚愕の事実だった。彼女としては、自分を襲った人物こそが当主の御老人を殺害した犯人だと思っていたからだ。
その相手が既に捕まっていて、剰え死んでいると目の前の情報屋は言った。
「その男なんだが、妙な話でな。そいつは確かに異能を保有していなかったはずなんだが……どういうわけか、捕まった時は半身が獣みたいに変容していたらしい。」
「異能を隠していた、という線は考えられませんか?本人が本気で隠せばそうそうバレるものではないはずだ」
渡された情報があまりに度を越していたため、バレットは思わず反論してしまった。しかし、それすらもシークは平然として言葉を返してくる。
「それはない。死んだ奴は捕まる前は『ある一団』の構成員だったらしいんだが……そこの長が他人が異能を持ってるかどうか判断できるようなヤツでな。……で、その長が言うには」
「それこそ、その長という方のハッタリの可能性があるのでは?」
「この情報に関して嘘はない。万一誤りだったなら詫びに死んでやってもいい。」
「……」
言葉を遮ってまで反論したバレットに、シークは頑として譲らずそう返した。
その目があまりにも真剣な色合いを帯びていたので、バレットはそれ以上言い返すことなく続きを聞く。
「それで、その事件が起きる1ヶ月くらい前から『異能を与える薬』とかいう物の噂が出回ってたんだよ。もちろん俺も調べられる筋は調査して回ったが、事実性はなし。……だから根も葉もないような噂話だと思ってたんだがな」
「その薬が実在し、その使用者が現れたと?……そこまでは判りましたが、ソレと御老人が殺害された事件に何の関わりがあるのですか?」
バレットはこれまでの話を一度頭の中で整理し、改めて本題を持ち出した。
今日ここにバレットがやってきた目的は、あくまでもベリエード家当主殺害の件についてであって彼女自身のことは本題ではないのだから。
「アンタも知ってるだろうが、表には出ないまでも裏じゃ異能の研究ってのは進んでるんだよ。恐らくは『異能薬』もその成果物の一つ。……で、そういうのを研究してるヤツにとって一番研究対象として扱いやすいのは誰だと思う?」
「……。」
バレットは答えない。シークはそれをどう受け取ったのか、特に気にした様子もなくしゃべり続ける。
「答えは、異能者である自分自身だ。」
「……ッ、まさか!」
バレットはそこまで聞いてシークが何を言おうとしているのかを察して、思わず声を上げた。
「凶器の爪等の状況証拠が一致してたってだけの推論だが……まぁ、可能性はあるだろうな。」
……つまりシークの言う通りならば、『異能持ちの何者かが、他人に自身の異能を発現させて利用した』と、こういう説が成り立つのである。
「バカなことを……仮にそれが正しかったとして、そんなことをしては急激な変化に被験者の身体が耐えられる訳がない」
「だから死んだんだろうな。事実、捕まえて拘束してからは何も手を出していなかったらしい。」
そこでふと、バレットにはある疑問が生じた。
先程から彼が話に出している『ある一団』という存在だ。聞いた感じ、貴族連盟ではないらしい。かといって警察のような公的権力機関とも思えない。
その疑問をバレットが口にしようとしたとき、先手を取るようにシークが口を開いた。
「……さて。聞かせられる情報はこれでおしまいだが……何かしらの役には立ったかな?」
「それはこれから私自身の手で調査して決めますので、まだ何とも言えませんね。」
「仕事熱心なのも考え物だな……。」
バレットの返答に、シークは呆れたような表情でため息を吐いた。
そしてバレットは自身の疑問を口にするタイミングを逃してしまい、なんとなく失敗した気分になった。
「それじゃ、もう聞くことがないなら扉の修理代金だけを置いて帰ってくれ。情報料はサービスにしといてやる」
「……む。」
シークは先ほどまでの張り詰めた雰囲気はどこへやら、一気に気が抜けたようにそう言った。
さすがに態度の波が大きすぎではないだろうか、この男。
バレットはそう考えたとき、ある種の意趣返しのような返答を思いついた。
「あのドアを蹴り破る方法はイリス=ハイレンジア嬢の提案です。請求は彼女にお願いします。」
「……」
既に仕事を終えたという風な態度だったシークは、その言葉を聞いてピタリと固まる。そして少しの間小刻みに震えた後、堪えきれないという風に笑いだした。
「……。」
バレットはそんな彼の様子を眺めつつ、そんなに笑われるようなことを言っただろうか?と疑問符を並べた。
「アンタ、そういうことも言えるんだな。いや、笑わせてもらった。すまんな、侮って」
「いえ、特に気にすることは無いかと」
一頻り笑ったシークは、バレットにそんなことを言う。まだ笑いが抜けきってないのか、時折肩が揺れている。
「よし、わかった。弁償代はイリスに請求することにする。」
「分かってもらえたなら良かった」
「また何かあったら来ると良い。多少は手を貸してやる。」
何故かすっかり気を良くしたシークに、わかりましたと返答しながらバレットは壊れた扉が嵌め込んである出入り口に向かう。
そして、そこから一歩足を踏み出す直前に
「……最後に忠告を。霧の濃い夜はなるべく出歩かない方が良い。見なくても良いものを見る羽目になるかもしれないからな」
そんなシークの言葉が、確かにバレットの耳に届いたのだった。
バレットは振り返るが既にシークの姿はなく……そこにはただ無人となった小部屋があり、その中でバレットが手をつけなかった珈琲がテーブルの上に放置されているだけだった。