咲-Saki- 人と星が交わる時   作:saitou1

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邂逅、一

日本の首都、東京のとある街。その片隅にある、いかにも場末にありがちな、古く小さな雀荘の一軒。うらびれたその店の片隅で、今し方一つの対局があった。いや、それは対局と呼ぶには些か以上に一方的であった。

 

「ツモ。メンタンピン三色―――裏が一つ乗って6000オール」

 

部屋中が紫煙に曇った雀荘に相応しいとはとても思えない、若い女の声。それなりに歳を取った男ばかりが集うその雀荘において、少女の存在は異質だった。

それは何も若さと性別のせいだけではない。若年層にとって寂れた雀荘という物は些か受けが悪いとは言え、近年の麻雀ブームの影響によってこの雀荘もまたその恩恵を蒙っていた。上は大会を間近に控えた高校生、下は小学生までもがこの雀荘に訪れ調整や力試しを行っている。若い女性は常にいる訳ではないが、滅多にいない訳ではない。精々が少し珍しい程度の感覚であろう。けれども、少女は雀荘中の目を引いた。無論その容貌が驚く程醜いという訳ではない。むしろ可愛い顔立ちに分類されるであろう。傾国傾城と呼ばれる程ではないが、十分に美少女と目される顔付きである。本人の生来の明るさを持ってすれば、いずれこの雀荘にも違和感なく溶け込めただろうし、果ては看板娘にさえなれたか もしれない。

けれども、そんな可能性(みらい)は那由他の果てにさえありはしない。そう、彼女の最も異質にして異常、彼女を彼女足らしめている原因。それは、彼女の異様なまでの闘牌にあった。

ただでさえ雀荘では勝ち過ぎる者は疎まれる。ましてそれが常軌を逸した打ち方であれば、嫌悪の域にまで達するだろう。そう、彼女の麻雀はまさに異常だった。異常としか言い様のないものだった。

少女がこの雀荘に入ってから行った麻雀は凡そ半荘三回。そのいずれの対局も、少女は他家を飛ばして終わらせたのである。

傍から見ていた者は、何たる豪運だろうとただ感嘆するだけであろう。けれども、少女と卓を共にした者たちの感想は、それとはまた違ったものであった。

何故だか息苦しいのである。配牌が悪い、手牌の進みが遅い、上手く欲しい牌が来ない。麻雀をやっていれば誰でも起こりうる不合理が、何故か毎局起こるのである。無論聴牌はするが、どうにもクズ手にしかなりはしない。そうして他家がもたついている間に少女は悠々と和了を掻っ攫って行く。卓を囲む者たちのレベルがそう高くない事を踏まえても、やはりそれは異常だと言えた。一半荘を終えた段階では朧げにしか感じ取れなかったその異常は、三半荘が終わる頃には誰の目にも明らかな程際立っていた。

そろり、と下家が少女の顔を覗き込む。圧倒的なまでの強さを見せつけたこの少女は、一体今どのような顔をしているのだろうと気になって。そして、自らの選択を後悔した。

そう、少女の顔には不遜なまでの微笑が、そして瞳には隠しきれない嘲笑があった。

 

「弱っ」

 

思わず漏れてしまった、といった態で少女は呟いた。その声は小さいものではあったものの、しかし他家の耳にしっかりと届いた。だがその声に対して反論出来る者がいよう筈もない。厳然たる事実として、彼らは少女に手も足も出なかったのだから。

 

「この雀荘にも私に匹敵するような奴はいないか。やっぱり、白糸台へ行くしか――――」

 

―――不意に、嘲笑に満ちた声が止まる。

それは何も死体に鞭打つような行為に躊躇いを覚えたというような、人道的な理由では断じてなかった。少女は五感以外の名状し難い感覚で、確かに感じ取ったのだ。己に比する者の存在を。己が探し求めていた存在を。次いで対局で過敏になった彼女の耳に聞こえたのは、革靴の固い足音。その姿を見るまでもなく、少女は確信した。この靴音の主こそが、自らの敵手たり得るのだと。

 

「へぇ」

 

そして少女は、嗤った。深めた笑みはさながら獣の行う威嚇のよう。けれどもその態度の裏には、隠し切ろうにも隠し切れない喜びがあった。

 

「ようやく出会えた――――“お仲間”に」

 

少女は首だけを回して足音の主を見る。その姿は仄暗い照明と煙に隠され、朧げな影しか映らない。しかし、その逍遥とした足取りに翳りはなく、見る者に否応なく強者の気迫を感じさせる何かがあった。同格の者に逢えた喜び、自らの力を存分に引き出せるという昂ぶり、これから始まるであろう闘牌に対する期待。それらが入り混じった歓喜が少女の胸中に木霊する。

 

「“お仲間”?」

 

茫洋とした影から声が発せられる。訝しげ、と言うには余りにも感情の薄いそれは、存外に低いものだった。男か女かの判別もつかぬ、嗄れた声。その事が、また一層影の底知れなさを助長させる。不気味という言葉がこれ程似合う者もそうはいないだろう。

少女は心の内の警戒レベルを数段上に上げた。軽んじていた訳では断じてない。けれどもこの影は更にその上をいく危険さであると、少女の本能は警告していた。

しかし、少女の中に生まれつつあった諸々の感情は次の一言で粉微塵に吹き飛んだ。

 

「失笑物だな。自分が何か、特別なモノになった気にでもなっているのか?」

 

―――それは、少女の想いを根底から揺さぶる言葉であった。

少女には自負があった。誰にも到達していない場所に辿り着いたのだという自負が。そう、少女は至ったのだ。麻雀という物の真理、その一端に。それを、こいつは―――

 

「それはただの錯覚だよ。小さな子供にありがちな、根拠のない万能感だ」

 

さして面白くもなさそうに、自明の理であるかのように否定した。

 

「へぇ……」

 

その言葉は万の言葉より的確に少女の自尊心を傷つけた。見も知らぬ凡夫になら、そう言われる事も構わなかった。所詮暗愚な輩の負け惜しみ。そう思って聴き流す事も容易であっただろう。けれども、影はそうではなかった。自らの直感が、こいつは強いと判断した敵手が、事もあろうか自らの力を否定する。自らが踏み入れた領域が、手に入れた絶対が、ただの下らぬ妄想だと影は告げたのだ。早く夢から醒めるといい。紫煙の隙間から覗く影の瞳は、そうはっきりと少女に告げていた。

 

「……気に食わない」

 

ポツリ、と少女は呟く。

 

「気に食わない、気に食わない、気に食わない気に食わない気に食わない気に食わない!」

 

癇癪を上げるように、少女は足を踏み鳴らす。その様はまさに幼児のそれで、しかし瞳だけが爛々と狂気にも似た色合いに染まっていた。ああ、許せない。許せるはずがない。少女は特別なのだ。特別でなくてはならないのだ。

気が付けば渦巻いていた歓喜は失せ、残るのは煮えたぎった憎悪のみ。

 

「叩き潰す」

 

その瞬間、言いようのない感覚が場を覆った。少女の周囲にいた人間だけでなく、雀荘中の人間が唐突に息苦しさを覚える。そうまるで、唐突に酸素が薄れてしまったかのように。

 

「叩き潰す前に聞いておいてあげる。私の名前は大星淡。アンタは?」

 

絶対たる王者の気風さえ纏わせて、少女は―――大星淡はその名を告げた。

餓鬼の妄想だと?よくぞ吠えた。ならば知るがいい。その妄想によって、今から貴様は敗れ去るのだ。

 

「―――外城御影(としろみかげ)。特別でも何でもない、ただの人間さ」

 

紫煙を掻き分けそう名乗ったのは、まだ淡と同じ年頃の少女であった。

肩の辺りまで無造作に伸ばした黒髪に、何の感情も映し出さない黒曜の瞳。どこかの制服なのか、黒を基調とした服は瀟洒であり、それが彼女の雰囲気によく似合っていた。

影の正体がうら若い少女であった事に対して、大星淡に驚きはない。どのような出で立ちであろうとも、強者という者は厳然として存在する。黒髪黒目という凡庸さも、その性根を隠すには至らない。彼女もまた、人の理に在らざる者。麻雀に潜みし魔物―――。

 

 

東一局0本場 ドラ:{一}(ドラ表示牌:{九})

 

 

起家は淡の上家であり、誰も入りたがらなかったため渋々卓についた雀荘のマスターである。さして強くはないものの、置物よりは上等だ。彼は口をへの字に曲げながら、自らの手牌を見て唸っている。そしてそれは敢えてこの卓に入ってきた奇特な下家も同じである。ただ、対面の御影だけが何の表情も見せず理牌を行っている。全員の理牌が終わり、親であるマスターがツモる。少し思案した後、マスターは字牌を切った。

その一連の動作を見つめて、大星淡は心中密かにほくそ笑んだ。

対する自分の配牌は―――

 

{一四2223345678白白}

 

索子がいい具合に寄ってきて、これからのツモによっては一通はおろか清一さえ狙えるような配牌である。

これが持つ者とそうでない者の差。持たざる者はただ頭を垂れて傅いていればいい。

 

(とりあえず、こいつの腕前がどの位のものか確かめるためにも、この一局は様子見――――)

 

―――打、{一}。

 

(――――そんな風に考えるのは、凡夫のする事。私は違う。この配牌で、このツモで、ドラを抱えて様子見?あり得ない)

 

王者としての自負のようなものが、淡にドラを切らせた。牌効率?期待値?知らぬ、存ぜぬ、興味もない。誰より高く和了る。それ以外は全て些事。取るに足りない有象無象に過ぎないのだ。

 

「強い牌だな」

 

対面の御影が淡の打牌に目を細める。大星淡という存在の底を見定めるような鋭い目付き。けれども淡は気にならなかった。見定められるものなら見定めてみればいい。しかしそうして立ち止まっている間に私は勝つ。

 

「端牌を切っただけで強いはないでしょ?」

 

「……ふふっ。違いない」

 

御影は苦笑するように顔を緩めた。出会って初めて見せる感情の色。けれどもそれは愚図る幼子に対するもので、淡は更に自らが苛立つのを感じた。

 

 

東一局0本場 三巡目 ドラ:{一}(ドラ表示牌:{九})

 

 

「立直」

 

そんな中。初めに仕掛けたのは、やはり淡であった。

 

捨て牌:{一四横③}

 

ほぼまるで無駄ツモのない、鬼の様な引き。これこそが私の麻雀であると言う様に、淡は立直棒を卓に置いた。

早い立直に対抗するには分が悪いと考えたのであろう、淡の下家は早々に降り気配。上家は親であるから簡単に諦めはしないだろうが、相当不利である事は否めない。そして対面の御影は―――

 

―――打、{③}。

 

現物打ちによる降り気配に、ニヤり、と淡は笑う。この局は貰った。そんな確信が胸に灯る。

そしてその確信に違わず、淡は三巡後にツモ和了った。

 

 

東二局0本場 4巡目ドラ:{發} (ドラ表示牌:{白}) 親番 大星淡

 

 

 

「この戦いに、東三局はない」

 

淡の言葉に、その場にいる者全てが彼女の正気を疑った。

確かに彼女は強い。類稀なる運でもって強引に和了を持っていく様は恐ろしい程である。けれども、だからと言ってそれが即ち勝ちに繋がらないのが麻雀なのだ。どれだけ好調であっても唐突にツモが悪くなる。どれだけ不調であっても唐突に好配牌に恵まれる。良くも悪くも調子は続かず、潮の目の如く読み難い。それが麻雀であり、勝負事における真理なのだ。

実際、それまでの彼女の闘牌も、彼女の親番で全員を飛ばす事は出来なかった。他家が邪魔をし、連携して、彼女の親番を流したのである。今回も恐らくそうなるであろう。周囲の観客はそう考えていた。

けれども、淡はそうは思わなかった。他家の邪魔があろうとも、他家の調子が良くなろうとも、今の自分が勝てない訳がない。

高みへ、更なる高みへ!そんな愚かしいまでの妄念が淡を貫いた。周囲の息苦しさが、また一段と激しくなる。蒼い顔をして足掻こうとする彼らは、まるで空を漂う風船のよう。拠り所を失った彼らは何処までも軽薄で、何処までも流されていく。淡にとって彼らは最初から敵ですらない。

しかし、けれども。彼女だけは―――御影だけは、違った。物理的な圧力さえ感じさせる淡の気迫を前に、眉一つ動かす事なく平然と、彼女は大星淡を見た。その黒い眼差しは、何よりも雄弁に淡へと語りかける。

―――御託はいい。早く切れ。

怒りが淡の脳裏を灼いた。憤怒の猛るがまま、彼女は発声する。

 

「立直!」

 

牌が横に曲げられ、立直棒が卓に出された。淡の絶対に和了るという怨念にも似た想いが現実をも捻じ曲げる。一発ツモ以外、今の彼女にはあり得ない。そんな予感にも似た確信を、この雀荘にいる誰もが抱かされた。ああ。これが、これこそが、牌に愛されし者。これこそが、麻雀に潜みし魔物。凡夫たる我々は、ただ黙して高みを見上げるより他はない。絶対たる存在に、敵う術などあるはずが―――

 

「―――この世に、魔物などいない」

 

―――卓に蔓延る諦念を吹き飛ばし、外城御影は声を上げた。

卓にいる誰もが御影を見る。その声には一切の諦念も、焦りもない。けれども一つだけ、とてもはっきりとした感情が、一つだけあった。それは――――嫌悪。腐肉に集る蛆を見るように、御影は小さなその目に淡を映した。

 

「―――カン」

 

御影は暗槓で{九}を副露する。これにより淡の一発が消え、ドラが一つ増える。新ドラは{7}。通常ならば愚策としか言い様のない立直直後の槓。一発という役は消えたものの、ドラが増える事を鑑みれば意味がない所か害悪ですらあるだろう。けれども淡は嫌な予感を抑えきれなかった。何もさせずに和了りきる、それが淡の理想であった。それが今、彼女の手により崩されたのだ。余りにも不気味な感触に、淡の額に汗が流れた。

 

己自身(かがみ)をよく見てみるがいい。今のお前は、とても醜い」

 

御影はそう言いつつ嶺上牌を手牌へと入れ、迷う素振りもなく{⑤}を叩き切る。その底知れぬ目は冷徹なまでに輝き、淡を見つめていた。

 

「チ、チィッ!」

 

戦慄する淡を余所に、淡の上家であるマスターが手出しの{⑤}を食い取った。絶好の牌を鳴かせてくれたと言う様に、マスターは{横⑤④⑥}を副露する。これでツモ番がずれ、本来の淡のツモは下家に流れた。

 

(ああ――――)

 

そして淡のツモ番、彼女のツモった牌は―――いや、ツモらされた牌は、{西}。本来、上家のマスターがツモる筈だった牌。それは、淡の和了り牌ではなかった。そして和了り牌でない以上、立直中ツモった牌は捨てなければならない。極限状態にあった淡は、その牌が半ば和了り牌であると悟っていた。平場では例え面子を崩してでも手の内に抱え込んだだろう。しかし神ならぬ身である淡には、牌をツモ切る以外に術はなかった。

そして淡が牌を捨てるのと同じくして、対面の御影が声を上げた。

 

「―――――ロン。全帯のみ。70符2翻は6800」

 

淡にとって半ば以上予期していた声に、場の空気が乱れる。この雀荘に淡が入ってから始めての直撃。それも、彼女の力が最高潮といってもいい位に高まっていた時にである。誰もが衝撃を受けた。それは半ばこの事を予期していた淡ですら例外ではない。まさか本当に、直撃される様な事があろうとは。けれどもしかし、淡にとっての真の衝撃は、次の瞬間訪れた。

 

「お、俺もロンッ!三色のみッ!30符1翻は1500!」

 

マスターによる鳴きの三色同順単騎西待ち。この雀荘では頭跳ねを採用していないためダブロンである。

雀荘内は沸き上がった。絶対という二文字を体現するかの如く思えた大星淡が、まさかのダブロン。高々合計8300点ではあるが、精神的な面でその和了はとてつもなく大きな物だった。諦めかけていた卓の面子が勢いを取り戻す。そうだ、麻雀に魔物なんて存在しない。いるのはただ、運に全てを左右される矮小な人間だけなのだ。

 

しかし、沸騰する場の熱狂に対し、淡の心は冷静であった。

 

(そしてあの{⑤}は、手牌から切り出していた……)

 

淡は先程の和了を思い返す。御影は淡の立直直後にツモった{九}をそのまま槓し、一発を消した。そしてから嶺上牌を手牌へと入れ、{⑤}を打った。それによりマスターは{⑤}を鳴き、聴牌して淡は振り込んだ。

これら一連の事柄が偶然(・・)の産物であると、雀荘中の人間はそう感じているらしい。偶々(・・)捨てた牌が偶々(・・)下家の必要牌で、ズレた牌が偶々(・・)当たり牌であったと。だがそれでは疑問の残る部分があるのである。

彼女は暗槓をする前に一向聴であった事は、嶺上牌を手牌に入れて{⑤}を手出しで出した事から容易に知れるだろう。しかし、それならば何故彼女は最後まで{⑤}を絞っていたのだ?

御影の和了形は{西}単騎の全帯のみ。{⑤}は和了に必要ないし安牌という訳でもない。それをわざわざ立直後、それも槓をしてドラが増えた状況で捨てるなど、肝が太いなどという言葉では表せまい。

捨て牌や今までの局を鑑みるに、淡の立直は両面待ち以上の断幺が濃厚。であれば真ん中の牌である{⑤}は通しにくい。そう思って黙聴を警戒していたのであれば問題ない。立直をかけられたが、槓したら聴牌ったので一か八か{⑤}を通した。成程全く考えられない打ち筋ではない。しかし、果たして彼女はその程度の打ち手なのか?聴牌したから勢いに任せて危険牌を出す程度の、凡庸な打ち手なのか?本当にその程度の打ち手であるならば、何も警戒には値しない。まぐれで調子に乗った所を食い破るだけの話である。

―――けれども。そうではないと、淡の直感は警告していた。

何の根拠もない話ではあるが、淡は自らの直感を信じていた。特別である自分の勘が告げている。それだけで、先人の築き上げた定石は全ての意味を失うのだ。直感が告げるのであれば、彼女は例えそれが完全には正しくなかろうと疑いなく従った。故にこそ彼女は強いのだ(・・・・・・・・・・・)

その勘が凡庸な打ち手ではないと囁いている以上、彼女は何らかの能力、異能(オカルト)があるのは間違いない、と淡は考えた。そこから先程の和了を逆算すれば、見えてくることが幾つかあった。

一つ、彼女はまず槓する事によって自らが聴牌する事が分かっていた。二つ、彼女はマスターが四五六の三色で、尚且つ{⑤}を欲しがっていた事を察していた。三つ、本来マスターがツモる牌が{西}である事を知っていた。

一体何の能力があれば、一度に三つの事が察せられるのか。それはまだ分からない。けれども、その能力の一端は掴んだ。それは未だ朧げな輪郭にしか過ぎないが、それでも確信出来る事が一つあった。やはり彼女―――外城御影もまた、淡と “同じ”側の住人であり、尋常の世界には在らぬという事。

 

「へぇ、成る程」

 

淡は湧き上がる深い怒りの中に幾ばくかの納得の気持ちを覗かせて呟いた。御影は怒りで曇った目で勝てるような、今まで淡の前に立ってきた弱者とは確かに趣を異にする輩である事は間違いない。待ち望んでいた様な強者であるかは未知数ではあるものの、少なくとも余裕で構えていられる相手ではない。

 

「確かにその異様な異能(オカルト)があれば、他の奴がつまらなく見えるだろうね。自分以外(・・・・)に魔物はいないと、そう嘯きたくなる気持ちも分からない訳じゃない。でも――」

 

淡は瞳を爛々と輝かせ、神の宣告を告げる教祖の如く、厳かに、はっきりと告げた。

 

 

「その思い上がり、今から正してあげる」

 

 

―――瞬間、雀荘中の者は淡の周囲に無限に広がる宇宙を幻視した。

 

湧き上がる気迫は最早神々しささえ滲み出し、淡の髪をたなびかせる。それまで盛り上がっていた雀荘内が、水を打ったように静まり返った。いや、静まり返らされた。息苦しいどころではない、完全なる無酸素空間。まるで高山病にかかったかのように、雀荘中の人間が青い顔をして胸を抑える。そう、今現在卓上はおろか雀荘全ては大星淡の支配領域。魔物など存在しない?いいや違う。()()()()()()()()()()!そう高らかに謳い上げる様に、淡は己の力を見せつける。

今まさに、雀荘内は重力にさえ置いてけぼりにされた、暗い暗い闇の底。そこには何一つとして存在出来ない。ただ遠い遠い彼方の先に、大いなる星々が淡く瞬くのみ。そこでは人など宙に浮かぶ塵ですらない。震え慄け凡愚共。これこそが、お前達の世界の涯てだ。

 

「―――愚かな」

 

覇者としての威風を纏う淡を前に、けれども御影は躊躇わない。ただ一欠片の惑いもなく、毅然と淡に立ち向かう。卓に着く面子は、彼女のその姿に宇宙を駆ける一筋の流星を垣間見た。

 

「お前は幾つか、馬鹿馬鹿しい勘違いを犯している」

 

中央に牌を落としながら、御影は話しかける。その声は小さく、掠れ切り、男か女かも分からぬような物ではあったものの、それでも雀荘中に響き渡った。

 

「この世に魔物など一人として存在しない。誰であろうと、人は人でしかない」

 

 

 

東三局0本場 一巡目 ドラ:{南}(ドラ表示牌:{東})

 

 

ボタンを押し、新たな牌がせり上がる。しかし淡の心中には、御影の言葉が棘のように突き刺さっていた。絶対的な自負心によって己以外に魔物はいないと言うのであれば、まだ淡にも理解が出来た。弱き者は魔物に非ずという単純明快な摂理を掲げるのであれば、自らの圧倒的強さを見せつけて屈服させれば良い。けれども彼女はそうではないと言う。全く持って理解不能であった。よもや本当に魔物など存在しないなどという戯言を告げている訳ではあるまいし、一体どういう寓意が込められているのか、淡には皆目見当がつかなかった。

そして理解不能であるという事実が、より一層御影を不気味なものに見せた。そんな不気味な彼女が、あんな奇態な手を打った彼女が、魔物でなくて何なのか。

 

「じゃあ私達みたいな存在は、一体何だって言うの?相手の向聴数を下げる私の絶対安全圏は、単なる幻だとでも言うつもり?」

 

牌を切る親を横目に、淡は御影へ問いかけた。思えばこの時、大星淡は油断していたのだろう。且つてない程に膨れ上がる自らの力に増長していたのだ。そして心のどこかで思っていた。幾ら不気味な存在であろうとも、自分の力を信じていない者などに負けるはずがないと。その間隙こそ、付け入る隙であるとは考えもせず。

淡のその問いに対し、御影は俯いたまま応えない。よもや答えに窮したか?そんな考えを抱くと同時に、淡は見た。俯いた御影の口の端が、いびつに歪んでいるのを。そして確かに聞いたのだ。地の底から唸るような、低く重い声を。そして遂に悟った。自らが今、虎口の前に立っているという事を。

 

「余り笑わせてくれるな」

 

それは紛れもなく、御影の嗤い声だった。

 

「相手の向聴数を下げる?私の絶対安全圏?何だそれは。何なのだ。高々その程度の事が出来るというだけで、どうしてそう得意気な顔をしていられる?」

 

薄暗い影に埋れていた御影の気迫が、今この瞬間に溢れ出す。

そう、彼女は淡の卓上支配が緩むこの刹那をこそ狙っていたのだ。影を渡る暗殺者の様に気配を殺し、他家をアシストして和了させ、相手の異能(オカルト)をいなしつつ、ただ機会が訪れるのを待った。耐えに耐え、忍びに忍んだ気迫は怒涛の勢いで以って光を払う。膠着は一瞬だった。無限に続くかに思われた星々の輝きは、汚濁の海へと押し流される。この瞬間、卓上の支配は完全に御影の元へと移ったのだ。

 

通常、外城御影と大星淡の能力を純粋な強度で比べたのならば、大星淡に分がある事は間違いない。未だ完成してはいないとはいえ淡の『絶対安全圏』は強力であるし、いざという時の爆発力には目を見張るものがある。対して、御影にはこれ以上先がない(・・・・)。普通に戦ったのであれば、淡の勝利は揺るぎのないものだっただろう。

ならば何故この様な結果になったのか?その理由は一つ。経験の有無である。

淡は未だ自らに匹敵し得る異能(オカルト)持ちに出会った事がなかった。異能(オカルト)に目覚めてから数ヶ月という若さ(・・)から言えばある意味当然なのだろうが、それ故どれだけ警戒しようとも他者を下に見る傾向があったのは事実である。

対して御影は異能(オカルト)に目覚めて優に十年は経っている。無論その間に異能(オカルト)持ちと出会った事は数知れない。自ら以上の異能(オカルト)に叩き伏せられた事さえままある。それ故御影の闘牌は、必然的に強者の足元を掬う方法に特化していった。

相手が強いから勝てない?勝てないから諦める?違うだろうそうじゃない。勝てないのならば、勝てる様にやればいい。強度で勝てなかろうと、知恵で勝つのが人間である。罠を仕掛け網を張り、誘い込んで囲い込む。隙を突き不意を打ち、急所を狙って叩き潰す。そして証明するのだ。どれだけ強い能力だろうが、倒せない者など存在しないのだと。

ーーーそう、麻雀に魔物はいないのだと。

 

「純粋に自らの技量が低い事を棚に上げ、格下相手に粋がって、振り込めば相手の能力がどうだのと。滑稽を通り越してみっともない事この上ない」

 

お前はその程度(・・・・)で魔物を気取っていたのかと、御影は淡の無様を嗤う。そして昏い喜びが御影を包みこんだ。本来自分など及びもつかない可能性を秘めた大星淡を、自らの手で食い破る。ああ、それは何たる甘美で高尚な事だろうか!己以外は全て無価値であると驕る強者の鼻っ柱を叩き折る。これに勝る闘い等どこにもない!そしていつか魔物を称する者は消え、弱者だけが残るのだ。その日だけを、外城御影は待ち望でいるのだ!

歓喜に打ち震える御影の嗤い声は止まらない。誰にだって止められない。

御影は嗤いながらツモった牌を手牌に入れ、{南}を打つ。それはまるで事前に自らのツモる牌が分かっていたかのように無駄のない動きだった。

 

お前達(・・・)はいつもそうだ。己だけは特別なのだと妄信し、矮小な意地と、幼稚な願望だけを拠り所に叫ぶのだ、己は絶対(まもの)であると。そうしなければ耐えられないのだろう?弱く醜い自分自身に」

 

誰もが御影から目を離せない。見れば眩むと分かっていても、どうしても目が向いてしまう。しかしそれは決して良い意味ではない。道端に鳥の死骸が朽ちている時の様な、醜悪であるからこそ目が引き付けられる感覚。殊更特別でも何でもない、弱く醜い自分こそがお前を倒すのだと、御影は全身でそう告げていた。

まるで夢遊病にでもなったかのように、マスターは覚束なさ気に牌を切り………そして、淡のツモ番が回ってくる。ツモは{①}。けれどもその時、淡は自らがまだ理牌さえ終えていない事に気付かされた。

 

「だが、決意の剣は必ず折れる。入日が西に堕ちるのを止められぬように、どんな強者もいずれは地に臥す。誰かにだけ都合の良い対局(たたかい)など、現実には存在しない。そうだ、魔物など何処にもいない。お前たちは、そんな当たり前の現実に、一体いつになれば気付くというのだ」

 

ーーーだからお前も、弱者の側(こちら)へ来いと、濁った目がそう告げている。

 

徐々に周囲を圧迫して行く気迫。新たに顕現した自称人間(・・)に、誰もが怖気を隠せない。これが、こんなモノが人間だと言うのならば、人間とは何と恐ろしいものなのだろうか。おぞましいまでの執念。偏執的までの気概。どこをどう拗らせたらこの様な人間が出来てしまうのだろう。そんな御影を前に、淡はーーーー

 

 

「ーーー楽しくなってきた」

 

 

そう独り言ち、笑みを零す。

それは御影と対峙するには余りにも似つかわしくない、何の邪気も感じられない、穏やかな笑み。醜悪な気概を物ともしないその態度に、周囲の人々は思わず淡を見つめた。

 

「あんたの話は長過ぎて、何が言いたいのかさっぱりだけど……一つだけ、私にも分かる事がある」

 

そこで言葉を切り、淡は御影と視線を合わせる。その澄んだ湖の様な瞳に映った御影の姿は、何故か微かに身じろぎした様に見えた。

 

「それはあんたが、今までで一番の強敵だって事!」

 

清々しいまでに清涼な気配が淡を包む。それは闇夜を晴らす月の様に、周囲に満ちた邪悪な気配を一時薄れさせる。

清々しいまでの高揚感が淡の中に渦巻いた。御影のよく分からない持論も、周囲の喧騒も、今の淡にとっては瑣末事だった。悠々と自分を追い詰めた相手。もしかしたら、万に一つ、自分が敵わないかもしれない相手。その出現を、淡は喜んでいた。

そして事ここに至って、淡は自らの力の素質を悟っていた。それは相手が強ければ強い程、追い詰められれば追い詰められる程に力を増す、天与の才。今まで自らを追い詰める者がいなかったが故に気付く事もなかった資質。それに気づかせてくれた宿敵(みかげ)の存在に、淡は感謝さえ覚えていた。

 

対して御影は、淡に対してある種の忌避感を覚えていた。

それは徐々に復活しいていく淡の異能(オカルト)のせいではない(・・・・)。確かに淡の異能(オカルト)強度は異様にして異常。天与の者にしかなし得ないであろう強者である。しかし、その程度ならば他にも無数に存在する(・・・・・・・)。事実、御影は今の淡以上の異能(オカルト)を持つ者さえ見てきた。現状、淡は愚か御影でさえもまず間違いなく勝ち目のない、御影の最終目標でもある真なる化生。それと比べれば淡など障害にすらなりはしないだろう。

けれど、ソレ(・・)と比べてもなお、淡は異質であった。そう、まるで住んでいる世界が違うのだと言わんばかりに、淡は御影が今まで相手にして来たどんな相手とも異なっている。それこそ、天に愛されているかの様なーーーそこまで考えて、御影は己の考えに戦慄した。

天に愛される?バカな、そんな事はあり得ない。あり得てはいけない!それを否定し、貶めるために、私は自ら望んでこう(・・)なったのだから!天に愛されていると驕る強者を降す弱者!それこそが外城御影!そう、皆須らく弱者(わたし)の下まで落ちるがいい!

 

ーーー両者共に複雑な思惑を携えながらも、滾る気迫は止まる所を知らずに燃え上がる。

ここに、第二幕が幕を上げたーー。

 




6/6改訂
7/19修正
5/16修正
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