淡が二回戦へと駒を進めていた一方、一回戦を順当に勝ち抜けた御影は軽く一息ついていた。
ヌルい、と御影は独り言ちる。所詮白糸台生以外は有象無象の輩だ。牌を触ってきた年数も、卓を囲んだ月日も、御影には到底及ばない。黙聴には振るし、引っ掛けには嵌る。無意味にツッパリ高目を振る。そんな連中に、御影が負ける理由は一切なかった。
だから問題はこの次。一般参加者だけでなく、名門白糸台の一年生が入ってくる次の一戦。無論情報がないため何とも言えないが、白糸台で一年間みっちりと練習してきて弱いという事はないだろう。
次は死線になる。そう覚悟を決めた御影の下に、一人声をかけてきた。
「おうおう、お嬢ちゃんが外城御影やな?」
「…………?」
唐突に告げられた声に、御影は困惑する。告げているその声は全く覚えのない物である。それなのに自らの名前が知られている事を不審に思い、御影は声のした方へと顔を向けた。
そこには御影に微笑みかけながら軽く手を振っている、一人の白糸台生がいた。
純白の白糸台制服と、それに映える色の濃い髪。少し目尻が下がってはいるものの、強い意志を秘めた瞳。
こいつは―――強い。勘ではなく経験から、御影は少女の力量を把握する。隙のない立ち居振る舞い。場慣れした態度。そして自分に対する自信。どれも一朝一夕に身につくものではない。多くの修羅場を潜ってきた者だけが持つ気迫を、目の前の少女は備えていた。
しかしそこで疑問が発生する。御影と少女の間に面識はなかった。ならば何故、この少女は話しかけてきたのだろうか。
「おっと、自己紹介遅れたけど、うちは世古口裕香。白糸台の一年坊やに」
警戒していた顔を不審げな顔と見なしたのか、裕香は自己紹介を始めだした。
しかし、女の名前なんぞに興味はないし、白糸台生という事は制服を見れば一目瞭然だ。問題は、WhoではなくWhy。何故話しかけてきたのかという点だった。
しかしそうは思いつつも、御影は不躾に相手の思惑を尋ねる事はしなかった。仮にも相手は先輩だ。麻雀をやってきた時間に関しては負けていると思わないが、それでも自分より長く生きてきたのだ。その存在には敬意を払わねばなるまい。そう考えて、御影は重々しく口を開く。
「………北府中学三年、外城御影です」
「北府中?なんやえらい遠くから来たんやなぁ」
その服が北府中の制服やな?と、裕香と名乗った女は不遠慮に御影の身体を舐める様に見回した。その視線に些か辟易としつつ、御影は問う。
「………で、何か御用でしょうか」
「なんやなんや、用事がなけりゃあ未来の後輩に声かけちゃあかんのかいな」
まるで初対面とは思えない様な気安さで、裕香は御影と話しだす。面倒臭い奴。それが、目の前の自称先輩に対する御影の印象だった。
「………後輩になるとは限りませんので」
「??なんや、お前さんも宮永先輩に呼ばれたクチやないんか?」
「………ッ」
宮永照。その名前を聞くだけで、思わず御影の歯が軋みを上げる。抑えろ、と御影は自分に言い聞かせた。ただ名前が出ただけで動揺するなんて、あまりにも私らしくない。
相手に情報を与えるな。相手にとって不気味な存在である事を保つ。それこそが御影の勝利への定石だ。
沸騰する感情を一瞬で沈め、御影は冷静な仮面を被る。
「……言いたくありません」
「ふぅん。まあええけど」
まるでどうでもいい事だった、と言わんばかりに、裕香は言う。こいつは自分をからかっているのだろうか。そんな思いさえ滲ませて、御影は裕香を睨む。しかし裕香はそんな視線を真っ向から受け止めて、逆に御影を観察し出す。興味深い物を目の当たりにした子供の様にじろじろと見られ、御影は更に苛立ちを募らせた。
「しかしなぁ、本人を前にこう言うのもなんやけど、イメージとちゃうなぁ。胸も薄いし」
胸が薄いのはお前もだろうが。そう心の中で反駁を加えつつ、しかしもう相手にするのも面倒臭かった御影は、ただむっつりと押し黙る。放っておけばそのうち黙るだろう。
しかしそれはただの楽観だった。
「おいおいそこは何のですか?とかとか突っ込む所やで!」
ケラケラと笑いながら、裕香は御影の肩を叩く。これはもうどうにもならない。話す相手がいる限り、こいつは延々と話し続けるだろう。諦めの気持ちを以って、御影は渋々口を開いた。
「………何のですか?」
「おお、聞いてくれるんかい。案外素直やな」
お前が聞けと言ったのだろうが。御影はそう思い、思わず額に皺が寄る。面倒臭い。唯只管に面倒臭い。関西人とは皆こうなのかと偏見を抱きつつ、御影は顔を歪める。けれど、裕香の顔に反省の色はなかった。
「そうムッとした顔すなや。スマイルスマイル。そっちのが似合うとるで。ほんでなんやったか……ああそうそうイメージとちゃうって事やったな」
そう言い切って、裕香はニヤリと笑う。何故かその笑みに底知れぬ悪寒を覚えて、御影は視線を強めた。
続く言葉は、御影の想像を超えた物だった。
「決まっとるに。淡の恋人にしちゃあ、案外普通やなぁ言う事よ」
―――その言葉に、御影の思考は吹っ飛んだ。
「………。何、を?」
「まあ愛の形は千差万別。同性同士やろうとうちは差別しやんで安心せぇ」
カラカラと笑いながら、裕香は御影にとって何かワケノワカラナイ事を告げる。意味不明な方向に勘違いが進んでいる事は分かるのだが、衝撃のあまり上手く言葉が出てこない。
「いや、だから」
「最近はiPS細胞とかいうんで同性間でも子供が出来るらしいで。まあそら、ちっと気が早いか。あはははは!」
「話を聞け!」
思わず声を荒げてしまった御影に、裕香は茶化した様にほいほいと呟く。あまりの出来事に一杯一杯な御影は、しどろもどろになりながらも精一杯言葉を発する。
「私は淡と、その、なんだ。男女の仲……と言うのはおかしいな……そう!好き合っている間柄ではない!」
「好き合ってる………ああ、恋人とちゃう言うてんのか?」
「こ、恋人などと!」
慌てる御影の姿に、裕香は思わず吹き出してしまう。それは先程までの様にどこか揶揄する様な響きはなく、ただどこか微笑ましい物を見た時の様な朗らかさがあった。
「えらい初心な嬢ちゃんやなぁ。ホント、色んな意味で予想の斜め上を行く奴ちゃに」
「うるさいっ!」
あからさまな茶々に、御影の顔が赤くなる。しかし、それも無理からぬ事である。元来麻雀一筋に生きてきた娘なのだ。色恋の事などに見向きもしないで突っ走ってきた女に、恋人がどうだのという話は些か荷が重かった。それも女性同士の恋人など、完全に思考の埒外である。
からかわれ慣れていない御影に出来たのはただ、必死に否定を重ねる事だけだった。
「新人いびりは良くない……」
「ん?おう、たかみーやないか」
そんな二人の掛け合いを遮る様に、また新たな人が姿を現した。
白糸台の制服を見るからに、恐らく目の前の関西人と同様白糸台の一年生なのだろう。少し低めの背丈と、頬の辺りまで伸びたショートカットの髪。眼鏡の奥にある瞳は眠そうに半開きになっており、まるでやる気は感じられない。しかしその胸部についている脂肪はこの場の誰より多く、何故か御影の神経を大いに逆立てさせた。
またこの関西人と同じレベルの面倒臭さなら、お手洗いへ一時撤退する事も辞さない。御影はそう思い、新たな人影を睨みつける。
「こんにちは……」
「……こんにちは」
一方は警戒から、一方は生来の気質から、どうにも腰の引けた様なやりとりになってしまった二人の間を仲介する様に、裕香は一歩前に出て互いを紹介する。
「こちらたかみーこと渋谷尭深。ちょいと地味やけど、白糸台期待のホープやに」
「地味は余計……」
「まあうちは一回戦でたかみーに勝って一位やったんやけどな!」
「惜しかった……」
まず裕香は新たに入って来た白糸台生の横に立ち、御影に向かって紹介した。惜しかった、などと言いつつも、少女の顔に悔恨の色は見えない。
よろしく、と言う尭深に、御影も静かに頭を下げた。
少し間の抜けた印象ではあるが、白糸台生である以上その実力は本物なのだろう。
「そんでこちら北府中の外城御影。この闘牌大会にはカップルで参加しとるに」
「………?でも、周りに男子なんかいないけど……」
「そりゃお前相手が女だからに―――」
「―――その妄言ばかり吐く口、二度と利けぬ様にしてやろうか」
嫌やなぁ冗談やに。そう巫山戯た顔をして告げる裕香に、尭深はどっちなの?という顔をする。御影が釘を刺さねばそのまま信じていた事は想像に難くないだろう。
碌々考えに耽る暇もないと、怒りと羞恥で肩を震わせる御影であった。
「けどまあ、これでお互い自己紹介も終わった事やし、これで皆友人やな」
「裕香ちゃんに言わせると、自己紹介しあった人は皆友達になっちゃうね……」
「言葉を交わしたいう事は友と成ったいう事。それがうちの今作った家訓やに」
「今作ったんだ……」
呆れた様に言う尭深と、関わり合いになりたくないという様にそっぽを向く御影。そんな二人に笑いかけながら、裕香は思い出した様に尭深へと向き直る。
「せや、そういやこの大会でうちら一年組が集うんはここが始めてやったっけ?」
「うん。確か、今ここは白糸台一年生が唯一二人入ってる卓だったはず……」
「ほぉ。せやったら、次の対局は激戦になるやろなぁ」
しかしそうは言いながらも、裕香の顔には次の半荘勝ち残るのは一年生二人であるのと言わんばかりの自信が込められていた。その態度に、御影は苛立ちを覚える。生来御影に備わっている、傲慢な者に対する反骨心がむくむくと湧き上がった。
その鼻明かしてやる。そう心に定めた御影の視線は、射抜く様に裕香を貫く。鏃の様に鋭いそれを、しかし裕香は意に介さない。ただ、不敵に挑戦者を見つめるのみである。
「あの、D卓はここであっていますか………?」
そんな雰囲気の只中、一人の女子が腰の引けた態度で聞いてきた。その目には、火花を散らす二人に対する怯えの色があった。それを少しでも和らげる様に、裕香はすぐさま笑顔を作り歓迎の意を示す。
「おうおう合っとるで。うちは白糸台一年の世古口裕香や、よろしゅうな」
「は、はい。宜しくお願いします……」
「まあまあそんな硬くならんでええに。そんで、お前さんは来年白糸台来るつもりなんか?」
そして裕香は先に来ていた二人を置いて、新しく来た娘の緊張を解そうと話しかけ出す。その態度はホストである白糸台生としては正しい物なのだろうが、いやに手慣れているせいかまるで女ったらしの様であった。
残された二人は共に自ら話しかける様な気質の持ち主ではなく、必然的に黙り込む。
対局開始時間が来るまで、その卓には一方は多弁、一方は寡黙という不思議な空気が流れていた。
――――――――――――――
南一局三本場 ドラ:{五}(ドラ表示牌:{四})
「ツモ。裏乗らず。一気通貫ドラ1で30符4翻。2000・3900は2300・4200」
和了の声が卓に響く。門前清模和一気通貫ドラ1。場棒も含めれば満貫以上の役であるものの、しかし和了った御影に笑顔はない。むしろ、ようやく和了れたという苛立ちがあった。
原因はただ一つ。自らの上家に座る者―――そう、世古口裕香の存在である。
「あちゃー、遂に和了られてもうたか」
悪びれずそう言いながら点棒を渡してくる裕香に、御影は軽い殺意を覚える。只管妨害していた貴様がそれを言うのか、と。
そう、裕香は御影を徹底的にマークしていた。絶対に鳴かせないばかりか、和了りを阻止するためには他家への差し込みさえ厭わないその対応は余りにも偏執的であり、自らの勝利を投げ捨てているとしか思えない物だった。
御影は和了した分の点棒を加え、南一局での各々の点数を確認する。
東家(裕香):13500
南家(尭深):34600
西家:26700
北家(御影):25200
親っ被りで一人だけ頭一つ分点数の低い裕香の闘牌に、御影は疑問を覚える。一体何を考えているのだ?そんな御影の疑問を、しかし問うたのは別の人物だった。
「どうかしたの……?」
「ん?何がや?」
問うたのは、渋谷尭深。同じ白糸台一年生である彼女でさえ、裕香の行為は不可解極まるものだったのであろう。彼女は不思議そうな顔で裕香に問う。
「いつもと打ち筋が違う……」
「ああ、そん事か。今はこれでええんや」
事もなげにそう言って、裕香は卓へと目を戻す。
新たな牌がせり上がってくる様を見つめながら、御影は考えた。今のやりとりから分かる事はつまり、裕香は未だその力の片鱗さえ見せていないという事に他ならない。ようするに、舐められているのだ。鳴かせないのも、わざと当たりに行くのも、ただのハンデ付けとしか思っていないのだろう。その上で、本来の自分のフォームを出さずとも余裕でぶっちぎる事が出来るのだと、そう驕っているのだ。
―――ああ、果たしてそんな事が許せるだろうか?
(なんや、空気変わったな)
理牌をしつつ、裕香は横目で御影を見る。その双眸には、先程までその隠されていた獲物を狙う狩人の気配があった。
(仕掛けて来る気か?けどそれ、見え見えやで)
心の内でのみ笑いながら、裕香は配牌を見る。
三向聴でまあまずまずといった所。さあてどうしたものかと考えて、裕香は対局へと意識を集中し始めた。
南二局0本場 七巡目 ドラ:{4}(ドラ表示牌:{3})
「立直」
立直の宣言と共に、立直棒が供託へと出される。宣言を行ったのは御影だった。
いきなりの先制立直に、まず裕香はその捨て牌へと目を向ける。
御影捨て牌:{九北2④⑥南横三}
この局は御影に攻めっ気がある。それを考慮するのなら、この捨て牌には意味があるはずだ。
パッと見た感じは索子が高い様に思えるものの、恐らくそれはブラフだろう。それを考えに入れるならば、むしろ待ちは他の色、萬子か筒子に違いない。そして{④⑥}の塔子を落としているのは
けれども、今裕香の手牌には{三}が対子で存在している。そして尭深の河にも{三}が一枚ある事から、{三}は全て使われている事となり、{二三、三四}という牌姿はあり得ない。つまり{二五、一四}の待ちは消え、残る可能性は間{六}の一点のみ。両面などに変わるのを待たないのは、恐らく{三九}の筋引っ掛けで他家から出させる為だろう。
白糸台生である尭深はそう簡単には引っかからないだろうが、南家はの彼女は一般参加である。恐らく掴めば筋を頼りに出してしまう事だろう。
一応オリようと思えばいくらでもオリれる牌姿であるものの、それでは御影に和了られてしまう。しかし、今からどうこうしようにもまだ裕香は聴牌っておらず、差し込もうにもまだ他家も聴牌っていない様子である。
となれば道はただ一つ。
「立直」
{七}を切り、裕香は立直をかけた。
裕香捨て牌:{二西北南⑥2横七}
しかし無論聴牌ってない以上、これは
それはつまり、牽制。
実際話してみた感じからすると、対面の南家は慎重に打つタイプの打ち手。であるならば、二家立直に対して甘い牌は切ってくるまい。裕香の河にある{二七}の裏筋である{三六}、{七}の跨ぎ筋である{五八}、{六九}は聴牌りでもしない限りそうそう押しては来ないだろう。
そしてその裕香の読みに違わず、南家は共通安牌である{⑥}を落とし、見に回った。
これでよし、と裕香は思う。南家を狙った御影の立直はこれで潰した。変則的な打ち回しはツモによる和了り目を減らす。南家がどれ程{六}を抱えているかは分からないが、これで御影の和了の可能性はがくんと減っただろう。そして裕香と御影の和了が消えた以上、この局は―――
「ツモ」
――――尭深の局である。
「平和のみ。700オール」
「って、何や何やしょっぱいなぁ。もっとドカァーン!と行かんかい」
「安目を引いたから、仕方ない……」
そんな二人の掛け合いを見せつけられながら、御影は内心己の取るべき戦略を練り直していた。
先程の尭深の和了が裕香のアシストによる物だという事は分かっていた。本来であれば、裕香の和了は南家からの出和了、立直一発南ドラ1の満貫。それを邪魔したのは、裕香の立直に他ならない。
けれども、裕香の手牌に聴牌った気配は感じられなかった。それなのに立直をかけたというのは、恐らく御影の和了を阻止するためだけの不聴立直。自らの和了を放棄する行為ではあるものの、実際御影の和了を阻止している以上、愚かな行為とまでは言えないだろう。実際、あの立直さえなければ、西家は簡単に{六}を打っていたはずだ。
あくまでも自らの邪魔をして来る裕香に、御影は
今の所、裕香の読みが
まず、捨て牌を作った上で聴牌に持っていく事自体が難しい。捨て牌を作るという事は牌効率から外れた打ち方をするという事であり、それは即ち聴牌への到達が難しくなる事を意味しているからだ。そして仮に聴牌出来るとしても、その速度は必然的に遅くならざるを得ない。
捨て牌を作って出和了りを目指すというやり方が過去の物になってしまった理由がここにある。いくら絶対に引っかかる様な捨て牌を作った所で、聴牌に十数巡かかる様では話にならない。捨て牌を作っている間に和了られては何の意味もないからである。
上記の問題から、御影は最早出和了りを目指す事は諦めた。故に狙うはただ一つ。ツモ和了のみである。ツモであれば、少なくとも先程の様な手妻は使えまい。
誰よりも早く聴牌り、容赦なくツモる。それこそが、世古口裕香に対する最大の攻略方法に他ならない―――
(…………とまあ、そんな風な事考えとるんやろうな)
尭深との掛け合いを続けながらも、裕香は決して慢心していなかった。
相手をつぶさに観察し、その先手を打つ。それが裕香の戦い方である以上、増長は即己の敗北に繋がってしまうだろう。
油断するなよ外城御影、と裕香は思う。私はお前が戦ってきた様な、オカルト頼り一辺倒な輩とは一味違う。いつも通りの戦法を使っていては、痛い目を見るのはお前の方だ。
南二局1本場 十巡目 ドラ:{八}(ドラ表示牌:{七})
「立直」
南一局十巡目にして、またもや御影の立直が入る。切られた牌は{六}。一度流された位どうという事もないという御影の運気に、他家は警戒を強めた。
しかしそんな中、裕香の考えは別の事について思いを馳せていた。
(今の立直……小手返ししとる様に見せかけとったが、間違いなくツモ切りやった)
別段、他家を押さえつける必要があるとも思えない様な状況である。それなのに立直。それもツモ切り立直とは、一体全体何故なのだろうか?
捨て牌に壁が新たに出来たという事もないし、そもそもこの局御影はツモ和了を目指していたはずだ。
となると考え得るのは、何らかの
「ポン」
裕香:{裏裏裏裏裏裏裏裏裏裏} ポン{横六六六}
打{五}
いきなり立直宣言牌を副露した裕香に、上家の尭深は違和感を覚えた。
{六}を鳴いて{五}を切ったという事は、その牌姿は{五六六}だったという事だろう。裕香にしては随分と軽い仕掛けである。
基本的に彼女は鳴かずに慎重に事を進めるタイプだ。それが立直直後であろうと鳴くという事は、重要な意味があるに違いない。それは打点のため、或いは向聴数のため、或いは……一発消しのため。
いや、一発消しのためならまだ良い。最悪、今の鳴きで聴牌った可能性がある。それも裕香が鳴いて聴牌ったという事は、少なくとも満貫クラスである公算が大。となれば、今の手牌で突っ張るには少々デメリットの方が大きいか。
そう判断して、尭深は様子見を決意する。親であるから連荘したくはあるものの、満貫を喰らうよりは二人が潰しあってくれればいい。どのみち、スロット数はもう足りているのだから。
そんな尭深の判断とは裏腹に、裕香は今だ聴牌ってはいなかった。それもそのはず、これはただのツモずらしのための鳴きなのだから。本来立直中は余り鳴きを入れるべきではない。捨てる牌が制限され、当てられる可能性が上がるからだ。けれども今この場において、裕香の行った鳴きは正着手だった。これでツモ番が一つずれ、本来御影が一発でツモる筈だった牌は裕香の元へとやってくる。
次巡、裕香のツモった牌は{6}。御影の捨て牌をパッと見た感じでは通りそうではあるものの、しかしこの牌は切れない。同様にこの牌の筋……{39}も切り難い。となると切る牌は……。
打、{北}
自風の字牌である{北}、それもツモ切りではなく手出しである。ドラ表示牌ではあるが、河に一枚もなく安牌として機能するかどうか怪しい{北}を、何故残しておいたのか?そんな風に訝しむ面子を他所に、裕香は次巡とその更に次巡、またもや{北}を切る。
{北}の暗刻落とし。最早立直相手に降りているとしか思えない様な捨て牌に、場は困惑する。本当に降りたのか?それともまさか、今から
誰もが訝る中、その正確な思惑を知っていたのは裕香自身と、そして御影だけである。
―――そして数巡後、転機が舞い降りる。
「お?」
ツモった牌を見て、裕香は一度手を止める。そしてさっと河を見て、牌を晒す。
「うーん。カンや」
迷った末の{六}加槓。
「嶺上牌は……っと」
盲牌で確認しつつ、裕香は卓に牌を出す。その牌は―――{3}。和了の声を上げようとする御影に被せる様に、裕香は和了を宣言した。
「ツモ。断幺嶺上開花三色同刻。2000・4000や」
裕香:{2334666⑥⑥⑥} カン{横六六六六}
嶺上ツモ:{3}
「まさかこんなんが和了出来るとは思わんかったけど、まあ結果オーライやに」
とぼけた顔でそういう裕香に、卓上の皆の想いが一つになる。一体どういう手順でそんな形に?
中ぶくれの間{3}待ち。捨て牌を見れば、もっと良い待ちにする事も出来たはずである。常識的には考えられぬ打ち筋……けれど、ただ一人御影だけはその正確な真意を把握していた。
御影:{八八45789南南南①②③}
両面の{36}待ち。その和了牌の殆どを使い切った上での嶺上ツモ。当たり牌であると読んだ牌は死んでも離さぬその固い意思と、余りにも的確な読み。そして嶺上牌から強引に和了をもぎ取って行く強引さ。
流石は流石。二軍であろうと全国レベルと称される白糸台生は、一年生であろうと一筋縄ではいかぬと――――――そう素直に賞賛するだけの余裕は、既に御影にはなかった。
南三局0本場 十二巡目ドラ:{北}(ドラ表示牌:{西})
南三局は一見静かに進行していた。
しかし、それは表面上だけの事。見る人が見れば、すぐさまそれは嵐の前の静けさでしかない事に気付いただろう。
その原因は、他でもない外城御影にある。今まで被っていた冷静さという仮面が、徐々に剥がれつつあった。そしてそこから見える地の顔は、狂気に満ち満ちている。自身が醜いと断じるその顔を、隠す余裕は既にない。ただただ毅然と勝ちを目指し、ただただ牌を切って行く。
「立直」
そして鬼気迫る気炎を宿しながら、御影は立直を宣言する。それはまさに執念の産物。負けたくないという一心で実った立直に他ならない。しかし、巡目は最早十二を数えている。今更ただの立直如きでは他家を抑える事など出来はしない。
「ポン!」
南場に入ってから一度も和了っていない東家が、ここに来て鳴きを入れる。最後の親番だ、慎重派とはいえここで連荘しておきたいのだろう。
助かった、と裕香は思う。自分が次のステージに進むには、少なくともここで東家を追い抜かなければ話にならない。だからこそ、今の東家の鳴きは好都合。自らの手を崩さずに御影の一発ツモを妨害出来た。
そこまで考えて、しかし裕香はふと思う。果たして御影が、あの敏い娘が、後二局しかないという場面で何の工夫もないただの立直をかけるだろうか、と。
そう気付いた時には遅かった。既に御影は牌に触れている。鳴きを入れるには些か遅きに失した。最早裕香には、指を咥えて見ている事しか出来ない。
牌をツモり、御影は卓に牌を出す。
その目には、極限まで濁り切った汚泥の様な執念があった。
「ツモ」
和了の声と共に、おぞましい念が周囲を汚す。勝ちに全てを求めた者の成れの果てがそこにあった。
「立直一気通貫……ドラドラ。30符6翻は3000・6000」
御影が行った事は、言葉にすれば単純だ。下家にワザと鳴かせ、ツモ番をずらして和了する。しかし、それを現実で行うのは至難の技だ。下家の必要牌を読み切り、立直宣言牌を鳴かせ、更には本来上家のツモる牌が自分の和了牌である事を見抜く。そんな事、他の誰に出来るだろう。
もし和了ったのが裕香ならば、ガン牌を疑われてもおかしくない所である。しかし、今日来たばかりの裕香にそんなイカサマが出来るとは思えない。という事はつまり、今の和了は完全に御影の執念による物なのだ。
この跳満和了で、御影は暫定一位に躍り出る。
裕香はそっと視線を御影に移す。牌を中央に落とすその姿には既に理性の色はない。ただ勝ちたいという欲に全てを委ねた姿がそこにある。
それはなんと醜く、しかし共感を呼ぶのだろう。雀士であるなら誰もが思う、例え狂気に身を堕としてでも勝ちたいと願う意思。その究極が今の御影だ。勝つために、ただ勝つために。その渇望を、その想いを、一体誰が否定出来ようか。
込み上がってくる感嘆の想いを、裕香は必死に噛み殺す。どこをどう間違えば、人はこの様になってしまうのだろうか。そんな感傷を打ち捨てて、裕香は思う。
―――けれどもう、全て遅い。
そして、御影のラス親、オーラスが回ってくる。
南四局0本場 ドラ:{④}(ドラ表示牌:{③})
東家(御影):32500
南家(裕香):17800
西家(尭深):31700
北家:18000
御影と尭深はこの局、一翻でも和了れば勝ち抜け確定である。対して御影と北家はトップ、もしくは二位から満貫出和了、もしくは跳満をツモらなければ勝機はない。
「あー、惜しかったなぁ」
理牌をする事もなく、裕香はそうボヤく。その目には明確な諦めの色があった。
腑抜けめ。御影の瞳に侮蔑の色が宿る。確かに跳ツモ条件というのは厳しい。そうそう簡単に出来る事ではない。けれどそれは、闘う前から諦める理由にはなり得ない。
確かに裕香には大いに苦しめられた。あれ程思う様にいかなかった闘牌は小さい頃まで遡ってもそうあるものではない。けれど、それもこれまでだ。御影にとって世古口裕香の名前は、そこそこ面倒臭かった程度の敵として記憶されるだろう。跳満をツモられた程度で諦める程度の、器の小さい敵として。
「残念やけどここまでやな、
裕香の言葉は、完全に御影に対して向けている言葉だった。その言葉を、御影は負け犬の遠吠えとしか見なさない。敗北を目前にした者が錯乱している、ただそれだけの事なのだろうと。
けれどこの時、御影は何も気付いてはいなかった。裕香の言葉の意味も、今まさに卓上で花開かんとする彼女の息吹も。
確かに、前局の御影は神がかっていた。相手の必要牌を完全に読み切った上での跳満和了。そんな事、誰にだって出来る事じゃない。その場の幸運だけでなく、長年の修練、積もり積もった執念、そういった物がなければ、あの和了はあり得ない。
成る程、確かに外城御影には見込みがある。今の段階で白糸台一年生二人をここまで追い詰める事が出来る中学生は、全国広しと雖もかなり限られてくる事だろう。けれど――――その健闘もここまでだ。
ここまで試合を長引かせた時点で、既に勝負は決している。
丹念に育てた作物が長い成長期間を経て実を成す様に、彼女の手牌は半荘を通して実を結ぶ。
経験?執念?そんなものは、彼女の前では意味をなさない。ただただ無慈悲なまでに、彼女は終焉を告げるだろう。種撒かれし生命達が
そう――――
「ツモ……」
――――――
「地和。国士無双………16000・32000」
誰にも止められない早さで、渋谷尭深は
そしてここに、白糸台麻雀大会D卓二回戦は終わりを告げる。
外城御影の大会は、ここで終わったのだ。
この糞忙しい中何やってんだろう俺。
今週中には投稿したかったので投稿しますが、推敲が足りないので多分また改訂します。大筋は多分変わらない予定です。
後、牌変換ツールの説明を読んでも加槓の表記の仕方がいまいちわかりません。親切かつお時間のある方は教えて頂けると非常に助かります。