咲-Saki- 人と星が交わる時   作:saitou1

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白糸台、四

()地和(チーホー)~!?」

 

驚きの声が裕香から上がる。それも当然の事だろう。地和、それは子が最初にツモった時既に和了していた場合に成立する、幾つかある役満の中でも珍しい方に分類される役満である。それに加えて、今回の場合はそれを国士無双の形で和了っている。長い間麻雀をしてきた御影でさえ、こんな和了りは見た事がなかった。御影の下家の少女に至っては、空いた口が塞がらないといった様子で尭深の手を凝視している。

 

「おいおいどないするんやこれ。流石に想定外ってレベルやないに」

 

「何が……?」

 

裕香の言葉に、尭深は不思議そうに首を傾げた。裕香はこの一年を通して尭深の異能(オカルト)を知っている筈。

そう、渋谷尭深の異能(オカルト)―――収穫の時期(ハーヴェストタイム)は、オーラスまでの第一打牌がオーラスの配牌として帰ってくるという脅威の能力である。

つまり、ここまで勝負が長引いた以上、尭深の和了はほぼ必然。そして彼女程の打ち手なら、今までの第一打の傾向から尭深が国士無双を狙っていた事位分かっていて当然だろう。確かに地和を和了した事こそ尭深にとっても予想外の事だったが、それでもスロットが全部揃っている尭深ならば通常よりも出易くなるのは自明の理である。あの冷静な裕香が取り乱す程の事とは思えなかった。

 

「阿呆、よう見てみぃその形」

 

少し呆れた様に言う裕香に釣られて、皆の視線が尭深の手牌へと集まる。

 

尭深:{19①⑨一九東南西北白發} ツモ:{9}

 

尭深の収穫の時期(ハーヴェストタイム)は十全に作用している。少牌も多牌もしていない。何がおかしいのか?そう思う尭深を他所に他の二人はすぐにその形の違和感に気づく。

そう、この形は………。

 

「これは国士無双十三面待ち(・・・・・)。うちらが普段やっとるルールやと十三面待ちもただの役満やけど、確かこの大会のルールはいつものルールとはちゃうやろ。もし十三面待ちが二倍役満やったら……」

 

そう、普段十三面待ちが二倍役満でないルールで打っていた尭深は気付く事が遅れたが、世の中では十三面待ちを二倍役満とするルールとしないルールが並存している。もし十三面待ちが二倍役満ならば、尭深の手は地和国士無双十三面待ちの三倍役満。24000・48000で尭深を除く全員が飛び、その点棒は等しく0となる。そうなると、誰に次戦へ進む権利が与えられるのか?

 

「……確か、弘世先輩が大会の委員やったな。なら呼ばんとしゃあないか。流石にこんな事態想定しとらんし」

 

「そうだね……」

 

「悪いな二人とも。ちぃとばっかし待っててくれんか。今先輩呼んで裁定してもらいに行くから―――」

 

「―――その必要はないのォ」

 

「げ」

 

立ち上がりかけた裕香を制する様に後方から声がかかる。声の出し過ぎで掠れてしまった様な厳つい声。その場にいた誰もが思わず声の出た方へと視線を向ける。

 

「ゲェとは大層な態度じゃのォ裕香。仮にも先輩のわしに対して、いつからそがァに偉うなったんじゃ?ええ?」

 

―――そこにいたのは、ヤクザと見間違うばかりの女だった。

 

「ちゃ、ちゃいますねん部長。今のはその、なんちゅうか……」

 

「もう部長ちゃうわボケェ。ついさっき弘世の奴に引き継いだんじゃ」

 

裕香に乱暴な言葉を返しつつ、謎の女は卓の方へと近づいて行く。

女の外見を一言で表すのならば、本当にヤクザとしか言いようがないものだった。そこには白糸台生に共通しているお嬢様然とした態度など微塵もない。オールバックにまとめた短い髪、着崩した制服に派手な小物、寄らば斬ると言わんばかりのその雰囲気。そして黒く輝くグラサンと、口の端に咥えられた白い棒状の何かが、女をヤクザ以外の何物にも見せなかった。もし服装が女子のものでなければ、男とすら思われたかもしれない。

 

「じゃ、じゃあ広能先輩、今のはですね―――」

 

「ああ、もうええ。おどりゃぁこれ終わったらみっちりシゴいちゃるけェ覚悟しときィ」

 

ムンクの叫びの様な顔をする裕香を捨て置いて、広能先輩と呼ばれた女は御影達の方へ向き直りこう告げた。

 

「誰じゃわれェ言う顔しちょる奴がおるけェ名乗っちゃろ。わしは広能克美(ひろのかつみ)。前部長にして現OGの、歴代白糸台生最強(・・)の雀士じゃ」

 

匂い立つ程暴力的な雰囲気を漂わせつつ、広能克美と名乗った女は見得を切る。身に纏うその威風はあの宮永照と比してもなお猛々しく、自ら白糸台最強を名乗るに相応しいものであった。

 

「………宮永先輩に勝率で負けてる癖に」

 

「聞こえとるでよ裕香ァ。よいよわりゃぁ勤勉家じゃのォ。そがァにわしにシゴかれたいんか。ええでよ、時間取っちゃるけェいっくらでもシゴいちゃる」

 

「 」

 

もはや言葉も出ないという様に項垂れる裕香に、克美は呆れた様に言葉を漏らす。

 

「おどれはすぐ調子に乗るんが良うないのォ。じゃけェ足元掬われるんじゃ」

 

「……さっきの試合、見とったんですか」

 

「おうよ。じゃけェ今この卓が困っちょる理由も把握しちょる。国士無双十三面待ちが二倍役満かどうか。それと二倍役満だった場合全員飛んでまうがどないしようっちゅう話じゃろうがいや」

 

「……全くその通りですわ」

 

「ほいじゃが困ったのォ、残念じゃが地和国士無双十三面待ちの三倍役満で全員飛ぶなんちゅう事ァこっちとしても流石に想定外じゃ。普段通り十三面待ちをただの役満と見なして飛びを一人だけにしてもええんじゃが、後からそれを言うんはちぃと不公平な気もするのォ」

 

全く困っていなさそうな態度で克美はそう言った。

国士無双十三面待ちは出にくいとは言っても重要な役満である。大会を運営する側が想定していない筈がない。けれども、部長の座を退いたとはいえ克美は白糸台麻雀部の中で顧問を除けば最高位の権力者である。何の実績もない一年坊が軽々と口を挟める訳がない。それに余計な事を口にして彼女の不興を買えば、非常にしんどい目に遭うのは目に見えている。結果克美の独断は止められる事なく進められ、事態は更なる混沌の渦へと叩き込まれる。

 

「おお、ほうじゃ。ならこれはどうじゃろか。どのみち尭深は勝ち抜け確定じゃ。じゃけェ尭深を抜いた三人とわしで東一の一局戦、そんで終了時に一番点棒の多かったモンが次戦へ進めるっちゅうんは」

 

「それって、ただ先輩が一局打ちたいってだけなんじゃ……」

 

「裕香、次何か言うたら卒業してもからもシゴく」

 

「すんません黙りますから勘弁して下さい」

 

辛うじて物申そうとした裕香の言葉も無慈悲に潰され、残ったのは薄っすらと笑みを浮かべた一匹の鬼。サングラスで閉ざされた瞳の向こうには、恐らく欣喜雀躍たる喜悦の色があるのだろう。

 

「異論はないか?」

 

それは問いかけの形式を成してはいたものの、まるで拒否は許さないと言わんばかりの言い方であった。

克美の溢れんばかりのカリスマに満ちた言動に、反射的に頷いてしまいそうになる頭を必死に押し留めながら、御影は抗う様に一つの問いを投げかける。

 

「……貴女が和了った場合はどうなるのか」

 

そう、本来一局戦は和了った者が勝ち抜ける完全な出た所勝負である。けれども克美が和了った場合、事態は複雑なものとなる。もし克美がツモで和了った場合、席順の問題で必然的に南家が勝ちを得るだろう。そして克美がロンした場合、ロンされなかった二人の中で東家に近い方が勝ちになる。

 

「そん時ァわしが次戦へ………っちゅうんは冗談じゃ、そがァに睨まんでくれや。わしゃあ小心者やさかい、嬢ちゃんみとォな眼つき悪い人間に睨まれるとブルってまうわ」

 

この闘いの結末が席順で決まる等という気の抜けた決着を迎えるのは避けたい。そんな思いを抱いた御影の問いに、克美はあくまで巫山戯た調子を崩さない。

 

「まあ、その程度の反論は想定済みよ。わしじゃって席順で決まるなんちゅう間抜けな事態は避けたい。そこで、一つ問題じゃ。わしが和了っても点差がつかず、なおかつ試合が終わらん様にするにはどないすりゃええんじゃ?」

 

克美のその言葉に、御影は思わず考え込む。点差をつけずに試合を続行させる。そうする為には………

 

「……貴女が、親の状態で一局戦をする?」

 

「ほうじゃ。まあ頭の回転は鈍ぅない様じゃのォ。わしが和了り止めの権利のない親番になりゃあ例えわしが和了っても試合は続くし、他の奴が和了った瞬間決着がつく。これで文句はなかろォが」

 

その言葉に、御影は渋々頷いた。これでこの試合は最も速く和了った者が勝つという、何とも単純で、それだけに運の要素が強く求められる形式になった。

自ら変則的な一局戦を指定してきたという事は、恐らくこの広能克美という女はよほど一局戦に自信があるのだろう。比べて、標準的な東南戦に慣れている自分は些か不利である事は否めない。しかし、それは他家も同じだし、なにより事聴牌速度の勝負に関して御影は他者に比べて優位な立場にある。例え一局戦に慣れていなかろうが、この勝負、乗らない理由はなかった。

 

「残りの席は各自好きなの選べや。所詮一局戦じゃあ親以外大して変わらんでよ」

 

「けど先輩、それは―――」

 

「裕香は黙っちょれ」

 

「ハイ」

 

何か言おうとした裕香の言葉を強引に黙らせて話を無理矢理纏めた克美は、満面の笑みを湛えながら二人に告げる。

 

「じゃあ意見も纏まった様じゃし、打とか」

 

 

―――こうして、本来あり得なかった延長戦が始まった。

 

 

 

――――――――――――――

 

 

「チー」

 

チー:{横②③④}

 

開始早々親である克美の第一打{②}を迷いなく喰い取り、牌を晒したのは南家の裕香であった。そしてそのまま流れる様な動作で{①}を打ち出し、ツモ番を回す。

初っ端から両面のチー、それも切り出したのが{①}と来れば恐らく喰いタンが本線。翻牌を抱えている可能性もないではないが、相当配牌がよくない限り最高でもドラが二つ絡んで3900の手であろう。しかしこの一局戦、和了れば勝ちである以上点数は必要ない。速い聴牌はそれだけで値百金、通常の卓の倍満以上の価値がある。

 

「ポン」

 

ポン:{六六六}

 

裕香手牌:{裏裏裏裏裏裏裏裏} チー:{横②③④} ポン:{六六横六}

打:{西}

 

しかしそれは同時に諸刃の剣でもあった。鳴けば自由になる牌が少なくなる以上、必然的に振り込む確率は高くなる。もし序盤で和了れなかった場合、後々苦しむのは鳴いた裕香になるだろう。

その程度の理屈が裕香に分からない筈がない。それでも遮二無二聴牌へと急いだ理由は恐らく―――

 

「相変わらずオドレの麻雀は忙しないのォ」

 

―――この、広能克美にある。

 

「そりゃ急ぎますわ。早よ決着付けな止めれやんくなりますから」

 

「ほほう、止める?オドレが?ワイを?クカッ、クカカカカカカカ!吹くのォヒヨッコの分際で!」

 

裕香の早仕掛けを前にして、克美は大いに笑う。彼女にとって裕香の仕掛けなど、所詮小動物(ペット)反抗(そそうを)された程度にしか感じていないのだろう。雑魚が必死に足掻く様こそ面白い。言葉にこそしないが、克美の態度は如実にそう語っていた。

 

「可愛いのォ可愛いのォ―――じゃが、残念じゃの。それでもまだ遅い(・・・・・・・・)

 

一周してツモ番が回って来た克美は静かに山から牌を取る。そして点棒を取り出し高々と宣言した。

 

「―――立直ィ!」

 

「ポン!」

 

裕香手牌:{裏裏裏裏} ポン:{横三三三}チー:{横②③④} ポン:{六六横六}

打:{6}

 

余りにも速い立直宣言に、裕香はすかさず立直宣言牌の{三}を鳴く。これで克美の一発は消え、恐らく裕香も聴牌った。ここから先は捲り合い。どちらが先に和了り牌を掴むかの勝負になってくる。

 

「早さだけでも追いつくたァ、ちったァ成長しちょる様じゃのォ裕香。じゃが―――」

 

この状況を心底楽しんでいるかの様に、克美は微笑む。確かに裕香は強くなった。白糸台に入ったばかりの頃とは雲泥の差である。もし彼女が去年と同じままであるなら、聴牌さえ出来ずにやられていた事だろう。

 

「その程度でワシを止めれる思とるんなら、そりゃ甘い」

 

 

―――けれどまだ、一手遅い。

 

 

「――――ツモ」

 

まるで見えない何者かに山を操作されているかの様に、克美は自然に和了り牌を掴む。

 

「立直平和に裏一丁。安目の上に一発は付かんが、2600オール」

 

{二三八八④⑤⑥⑥⑦⑧567} ツモ:{一}

 

他の追随を許さない速度で、広能克美はツモ和了った。

 

 

 

――――――――――――――

 

 

 

「―――何故、あんな所で広能先輩が打っている」

 

部長就任の手続きを終えて大会の様子を見に来た現部長、弘世菫を待ち構えていたのは、何故か中学生に混じって麻雀を打っている先代部長の姿だった。

 

「あ、弘世先輩。部長就任、おめでとうございます……」

 

「ああ、ありがとう尭深。これからもよろしく頼む―――ってそうじゃない!何であそこで広能先輩が打っているんだ!」

 

後輩である渋谷尭深の天然なノリに思わずノリツッコミなどしてしまいつつ、菫は事の次第を問いかける。

この大会に三年生は参加しない。それはこの大会が始まって以来ずっと続いている不文律である。いくら先代部長とはいえ、何の理由もなくそんな暴挙は許されない。

 

「実は―――」

 

 

 

「―――成る程。事情は把握した」

 

全ての事情を尭深から聞いた後、菫はこう結論づけた。

 

「つまり、また広能先輩の悪ノリが始まった訳だ」

 

国士無双十三面待ちの規定、複数の家が同時に飛んだ場合の規定など、当然の如く定められている。それをさも想定外の様に言い、一局戦などという変則的な戦いをし始めたのは、恐らく裕香が言った通りただ彼女が戦いたかっただけだろう。

つまりは、ただの我儘だった。

 

「広能先輩は言い出したら聞かないからな……。裕香には悪いが、一局だけ付き合って貰おう」

 

言って止まる様な人でない事は、この二年で嫌という程思い知らされている。ああなった克美を止めるためには麻雀を打たせるより他はない。

本人が聞けば泣きながら恨みそうな程あっさりと裕香を人身御供へ捧げつつ、菫は卓へと目を向ける。

 

「って、広能先輩が親か……。それはまた長引きそうだ。で、今何本場なんだ(・・・・・・・)?」

 

「まだ始まったばかりです。えっと、今三本場(・・・)に入った所みたいです……」

 

「波に乗られたな。この分じゃまだ続くか(・・・・・)

 

「ええ。波に乗った広能先輩を止めるのは宮永先輩でさえ難しい(・・・・・・・・・・)ですから……」

 

二人が卓の面子を見る目つきには最早憐れみすら宿っていた。中学生組はもし来年白糸台に来たら、ちょっとは融通を効かせてやる。だから安らかに眠れ。そんな馬鹿な事すら考えつつ、菫は裕香に目を向ける。

別に大物手を和了る必要はない。ただ偶然(・・)何かの拍子に(・・・・・・)ポッと和了ってくれればそれでいいのだ。

しかし、あの広能克美を前にその偶々(・・)を掴めるとしたら、あの卓の中では裕香しかいないだろう。

 

「しかし、その偶然が実るにはどの位かかるんだろうな……」

 

どうかせめて、あの人に負けて心が折れる者が出ない事を祈ろう。

心の中で小さくそう呟いて、菫は対局の観察へと移った。

 

 

――――――――――――――

 

 

通常、一局戦の場合立直をかける意味というのは殆どない。

和了ればいいのだから打点は必要ないのだし、立直をかければ出和了の目が減る。その上、他家に振り込みやすくもなる。立直をかけるべき局面があるとすれば、それは役がないから立直に打って出るしかないという状況位だろう。故に一局戦では役を作って黙聴し、他家からの出和了を待つというのが常識(セオリー)だ。いかに早く聴牌まで持ち込めるか。一位抜けの一局戦とは本来それだけを追い求める物である。

しかし、そんな常識(セオリー)が通用する程、目の前の女は甘くはなかった。

 

「立直ィ!」

 

これで怒涛の三連続立直。

親は和了っても連荘するだけなのだから当たり牌さえ出さなければいい。そんなぬるい考えを持つ段階は、とうの昔に過ぎていた。

彼女にとって他家の出す牌など関係ないのだ。自力でツモれるのだから他家から和了る必要はないとさえ思っている節がある。そしてそれは、今の所正しい考えであった。

二連続先制立直、かつ二連続ツモ。裕香の一発消しが功を奏したのかどちらも安かったものの、じわじわと点棒が削られている状態に変わりはない。

いかに打ち込みが致命的とはいえ、悠長に回し打ちなどしていてはまたツモられるだけである。多少無理矢理してでも攻めねば勝負にならない。

それに……この局、克美は一つミスを犯した。ツモると感じれば即座に立直。成る程、それは下手に策を弄するよりずっと対処がしにくい。けれども、弱点はある。

 

「ポンッ!」

 

それは、薄い待ちで立直した場合サンドバックになってしまう危険があるという事だった。

御影の見た所、現状恐らく克美の待ちは間張か辺張、もしくは単騎待ち。それも裕香の手牌に二つ、山の中程に一つ、そして王牌に一つずつしか存在していない。

通常、まず和了れないだろう立直ではある。このまま普通に勝負を仕掛けた所で十分な勝算が見込めるだろう。普通ならば(・・・・・)。しかし広能克美は普通などでは断じてない。全国の並み居る魔物を薙ぎ倒し、自校を全国優勝へと導いた剛腕は伊達ではないのだ。その事を証明するかの様に、山の当たり牌は当然の様に克美のツモ筋にあった。

恐るべき勝負勘。果敢なまでの闘争心。その恐れを知らないその打ち筋は、手練れであっても降りを選択させるに十分な気迫がある。

恐らくはこれが彼女の必勝法。強烈な和了で他家を怯えさせ、手が縮こまった所をツモ和了る。だが、その方法は御影にだけは通じない。

御影の仕掛けによってツモ筋がズレ、当たり牌のなくなった立直等に恐れる必要はない。後はもう誰も鳴かなければ、克美の和了はあり得ないのだ。

 

「チッ、ここにも忙しない奴がおりよったか」

 

克美は一つ苛立たしげに舌打ちをして牌をツモるも、当然の如くツモ切った。

よし、と御影は思う。これで後は聴牌るだけ。そうすれば、ツモ切るしかない親と合わせて単純計算二倍の効率で和了る事が出来る。

しかしそんな御影の甘い公算を、あの裕香が黙って見過ごす筈がなかった。

 

ツモ番になった裕香は打牌を止め、克美の河を見る。それは僅か数秒程ではあったものの、今まで彼女が一定のテンポで打牌していた事を踏まえれば、嫌でも異常の臭いを感じざるを得なかった。

何をする気だ。裕香がそう思った直後、裕香は一つにやりと笑い、手出しで牌を打つ。

その牌は―――{三}。裕香の手牌に存在する、御影が当たり牌だと睨んだ牌の一つだった。

してやられた、と御影は思う。今のは不要牌がこぼれたのではない。わざと差し込みに行ったのだ。

打牌前の不自然な間、そして直前の笑い。その全てが、彼女が差し込みを行ったのだと物語っていた。

やはり彼女は最初から勝つ気などなかったのだ。尭深がいた時の対局も彼女は執拗に他家のアシストを続けていた。今回もそう。親の立直に御影が仕掛けたという事は、そうする事で親の和了りを遠ざけるためだと察し、御影に和了られる位ならと親に差し込んだのだろう。自分で和了りに向かわなかったのは、恐らくまだ聴牌から遠い形、二向聴か三向聴といった所なのだろうか。

差し込めば点棒は減るものの、自分が勝ち抜くのでなければ関係ない。次局で良い牌を下家に喰わせ、差し込めばそれで終了だ。

 

御影が勝たない様に動いていたのは知っていたが、そこまでやるのか。裕香の執念を侮っていたとしか言いようがない。けれど今更悔やんでも仕方がない。切り替えていくしかないと覚悟を決め―――しかし、いつまでたっても和了の声は上がらなかった。

 

「オラ、われの番じゃぞ。早よォツモれや」

 

かけられたその言葉に、裕香は思わず克美の顔を見る。

見逃し?何故?自分の予想は外れたのか?そんな風に交錯する御影の思考は、克美の目を見た瞬間掻き消えた。

ここで、この立直で、自分がツモれない訳がない。克美のその目には隠す気配もなくそう表れていた。

自分の和了り目が殆どない事も知らずにした愚かしい選択ではあるが、しかしそれ故に御影にチャンスが生まれたのも事実である。

わざわざ当たりに行った裕香は益々和了りから遠ざかったであろうし、これで自らの勝ちは揺るぎないものとなっただろう。

この局で勝負をつける。そんな思いを込めた打牌に、しかし対面から声がかかる。

 

「ポン」

 

そう。高々一度失敗したからといって引き下がる程、世古口裕香という女は甘くなかった。差し込みが不可能ならば自力で和了るのみ。不敵に微笑むその顔からは、差し込み失敗による落胆は見られない。ただ意地でも諦めないという不敵な思いのみが感じられた。

しかし先程の鳴きで一番困った事は、裕香の手牌が進んだ事ではなく、ツモ筋がずれて克美の和了り牌は御影の元へと流れ込んだ事だった。

やりやがったな、と御影は裕香を睨む。これで裕香はただ聴牌るだけではなく、克美の当たり牌を活かす形での聴牌に持っていかなくてはならなくなった。

また鳴いてツモをズラしたいのは山々だが、上手く調整出来るかどうかは分からない。下手をすれば克美の下へと流れる可能性だってある。これを狙ってやったのだとすれば、やはり裕香は油断のならない相手である事に間違いはない。

滾る二人の闘気に場が燃え立つ。この勝負、どちらに勝利が転がり込むか全く予想がつかない。

しかしそんな二人の間を、冷たい一言が切り裂いた。

 

「おいおいわしを無視してくれるなや」

 

放たれる冷たい殺気に、二人は思わずその出処―――克美を見る。その瞳には興醒めの色すら窺えた。

 

「立直かけたら何も出来んと思うたか、阿呆が」

 

しかし、今更何をどうしようが克美に勝機の目は―――とそこまで考えて、御影は気づく。例え立直中であろうが、この状況を打破する方法がただ一つだけ存在する事を。

克美の当たり牌は四つ。裕香の手牌に一つ、その河に一つ、山の中程に一つ、そして―――王牌に一つ。山の中の牌は御影のツモ筋で、他家からはもう和了れない。だとすれば、残る和了りは暗槓による嶺上開花のみ。

けれどそれは奇跡と呼んでも差し支えない程に薄い薄い可能性だ。そんな事が出来るとしたら、御影は愚か裕香にだって勝ち目なんて生まれない。

しかし、そんな不安を現実の物とする様に、克美が動く。

 

「カァンッ!」

 

{裏裏裏裏裏裏裏裏裏裏} カン{裏77裏} 嶺上ツモ{裏}

 

嶺上開花を告げる声は発されなかった。だがしかし、まだそのチャンスは消えていないと、顔が裂ける様な満面の笑みが教えている。

 

「もういっちょ、カァンッ!」

 

{裏裏裏裏裏裏裏} カン{裏77裏} カン{裏22裏} ツモ{裏}

 

そんな馬鹿な、と御影は思う。あり得ない。そんな都合良く、嶺上開花なんて出来る訳がない。そんな思いを他所に、嶺上牌をツモった克美はニヤリと白い歯を見せる。

まさか、本当に?

 

「ツモ」

 

{二四⑤⑥⑦北北} カン{裏77裏} カン{裏22裏} ツモ{三}

 

―――そしてここに奇跡は成る。薄い薄い待ちを乗り越えて、高嶺に花は咲いたのだ。

新たなドラ表示牌は、{6と白}。つまり、新ドラは{7と發}。もろに槓ドラが乗った形である。

 

「裏乗らず、か。ツカんのォ。立直嶺上開花ドラ4―――60符7翻の三本場は6300オールじゃ」

 

和了り目はないと思われた親の、まさかの跳満和了。

槓ドラがもろに乗っておきながら裏ドラが乗っていないだけでツカないと言った傲慢さもさる事ながら、この巡目で手替わりも待たず間張のまま立直をかけたその図々しさには最早言葉も出ない。

しかし、和了ればそれが正着だ。それも跳満和了とくれば文句等つけ様がない。

鳴きでツモ順をズラそうが、場に当たり牌が出ようが、残りの和了牌が王牌にしかなかろうが、全部関係ないとばかりにツモ和了る。何という強引さ。何という強欲さ。そして、何という傲慢さだろうか。

まさに剛腕。歴代白糸台最強と自負するだけの事はある。

 

「さて、次の局じゃ」

 

「その前に、一つ聞きたい事がある」

 

恐らく克美は特定の状況のみ運気が上昇するタイプの異能(オカルト)保持者。その傲慢な打ち筋は、普段の御影ならばすぐさまいきり立ってもおかしくないものである。

しかし、それでも御影がキレて(・・・)いないのには理由があった。

 

「―――何故お前は、私の邪魔をする」

 

御影が睨みつける先には、ふてぶてしくニヤついている裕香の姿があった。

 

「はて、何のこっちゃ?ウチがこん局も何も出来やんかったんは、アンタも見とったやろ?」

 

「では、六巡目の{三}切りはなんだ」

 

言い訳など意味がないとばかりに御影は糾弾する。

 

「自分が勝ち上がるには私が邪魔だ。そう思って私をマークするならまだ分かる。だがさっきの打ち筋は自分の勝利を度外視したものだった。理解不能だ。何故そうまでして私の邪魔をする」

 

半端な言い逃れなど認めない。そう気炎を吐く御影は、裕香から視線を外さない。その不退転の決意に逃れられないと覚悟したのか、裕香はやれやれと首を振り、面倒臭げにこう言った。

 

「……決まっとるに。今のまんま次戦に行った所で、お前は絶対淡に勝てやん(・・・・・・・・・・・)。せやったら、まだ他の奴を次戦に上げた方がええっちゅうだけの話や」

 

「私が淡に勝てない、だと」

 

「せや、自分でも薄々気付いとんのやろ。今のお前程度が勝てる程、大星淡は甘くない」

 

脳が沸騰する。しかしそれはいつもの怒りとは何かが違っていた。

他者に己を決めつけられるという反発、それも勿論ある。けれど、それだけではないのだ。怒りの中に潜む不純な何か。その存在が、御影の心にしこりを残す。結局御影が言えた言葉は、何とも安っぽい一言だった。

 

「そんな事、やってみなくば分からない!」

 

「いや、分かる。今のお前はどう見ても淡より何枚か格下。小細工使うた所でその差は縮まらん。それに何より、今のお前は大星淡を見てへん(・・・・・・・・・・・・・)。そんな奴が卓に着いた所で、淡が可哀想なだけやに」

 

「言わせておけば………」

 

視界さえ歪む様な怒りの中で、御影は何故か胸に痛みを覚えていた。今のお前は大星淡を見ていない(・・・・・・・・・・・・・・)。何故だか今までのどの言葉よりも、それは御影の胸に響いたのだ。

 

「そこまでにしんさいや」

 

互いに手が出る寸前の所で、待ったをかける声がする。

 

「どがァな因縁があるんか知らんが、それ以上は野暮じゃ。自分が正しい言うんなら、卓で相手を負かしゃいい。それが雀士っちゅうもんじゃろ?」

 

克美のその言葉は正論であり、真理でもあった。

御影も裕香も雀士である。共に麻雀という遊戯に魅入られた者同士、己が意を通そうというのならば、膂力や口舌などに意味はない。必要なのはただ、他者を黙らせるだけの雀力(ちから)のみ。

 

「まあ、その為にゃわしっちゅうデッカいデッカい壁乗り越えにゃァいけんがの」

 

「……上等だ」

 

吠え面をかかせてやる。克美(おまえ)も、裕香(おまえ)も、全員纏めて潰してやる。その思いを込めて御影は座る。殺意さえ滾らせた御影を前に、しかし裕香と克美は不敵に笑う。かかって来い。口にせずとも伝わってくるその挑発に闘志を昂ぶらせながら、御影は思う。これでいいのだ。強者との闘牌の中にこそ生きる意味がある。他は全て些事に過ぎない。これでいい。これでいいのだ。しかし、御影は気付かない。その考えは、ただの逃避に過ぎないのだと。逃げる者に、真の勝利は訪れないのだと。

三者三様の思惑を抱きながら、場は進む。この結末の末に何があるのか。それは、勝者にしか分からない。

 

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