Return to race   作:はるりん

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トキノミノル。
またの名をパーフエクト。


●●●●●●

 私はのどかな場所で生まれました。

 幼い頃はわんぱくで気性の荒い一面もありました。ですが同じウマ娘と遊んだり、時に全力で走ったりと、とても充実していました。

 物心がつく頃には、身体に宿った魂が別格であることを自覚したんです。誰に教えられた訳でもなく、誰よりも速く走れた。そんな私に、トレセン学園への誘いが来ることはそう遅くありませんでした。

 

 都会のどこに走れる場所があるのかな、と思っていましたが、さすがは都会と言うべきでしょうか。広大な土地が丸々開拓されており、芝やダートの競技場は勿論、トレーニングルームも沢山ありました。レースで沢山走れると思うと、これ以上にない楽しみで満たされましたが……それが終わりの始まりでした。

 

 入学後はトレーナーたちの前で模擬レースを行い、その後スカウトを受けるという大まかな流れがありました。ウマ娘だけでなく、トレーナーも必死でした。少しでも這い上がりたい。もっと上を目指したい。彼女たちの気持ちは分かりますが、トレーナー達の目から欲望が見え隠れしているのが、少し不気味でした。

 レースは8頭立てで行われることとなり、距離は1500mでした。スタート前に少し気が立ってしまい、出遅れてしまいましたが……2番手から8バ身差をつけて勝利しました。芝を駆ける喜びに浸っていた中、トレーナー達が私の元に押し寄せてきました。

 

「き、君! 我がチームに入らないか!?」

「抜け駆けするな! 私のチームなら必ずGIレースで勝利できるぞ!」

 

 模擬レース後、不気味に感じていたものが露わとなったとき、私はとてつもなく不快感を覚えました。

 レースには必ず賞金が発生し、配分はそれぞれ決まっていますが、重賞レース……特にGIとなると膨大な賞金が頂けます。自らの名誉と賞金のためにウマ娘達を育てているのかと思ってしまうと、スカウトされた喜びよりも苛立ちが勝ってしまいました。

 あと、脚を執拗に触って褒めてくる人もいたので蹴り飛ばしちゃいましたが……無事なのでしょうか。

 

 結局その日のスカウトは全部断り、次の模擬レースでもスカウトを断り続け……気づけば、模擬レースすら参加しないようになりました。トレーナーはスカウトに来ることすら諦め、チーム参加前のウマ娘すら、私と勝負することを避けるようになったからです。

 

『あいつはトレーナーを選り好みするからやめておけ』

『どうせスカウトを蹴るならレースに出ないでよ』

 

 陰口も言われることなんてありましたが……そんなことさえも気にならないほど失望していました。

 もうトレセン学園を辞めて、実家に帰ろうかと迷った時でした。私が初めて模擬レースを勝利した時から、ずっとスカウトに来ていた方が声をかけてくれました。

 

「やっと話すことが出来た……! トキノミノル、僕と一緒にGIウマ娘の称号を勝ち取らないか?」

 

 欲望なんて一切見えない真っ直ぐな瞳に、私は心を奪われました。

 考える間もなく、私は答えていました。

 

「はい……!」

「……チームは組んでないけどね」

「えっ」

 

 当時の理事長は4、5人のチームを組まなければレースには参加出来ないというルールを設けていました。理由は分かりませんが、とにかくチームを作らなければレースどころの話ではありません。

 

「ま、何とかなるだろ!」

「全く……しっかりしてくださいね? トレーナーさん」

「……お、おう」

 

 トレーナーと呼ばれ慣れていなかった貴方も、もう随分と前ですね。今となっては、皆に慕われる存在ですから。

 

 私がトレーナーさんの元で指導を受けることになった翌日、正式にレース出場が認められた。トレーナーさんいわく、トレセン学園にいるトレーナーの数自体が少ない事を理由にルールが作られていたとのこと。それにしても……新米トレーナーに例外が認められるケースは稀なはず。私が問題児だったから、でしょうか? 

 

 練習自体は厳しいわけではありませんでしたが、とても考えられた練習内容でした。目標をしっかり立てて、それに向かって練習するというオーソドックスなものでしたが、トレーナーさんが必死に考えている場面を何度も見ていた私は、とにかく嬉しい気持ちになりました。

 私の事を一生懸命に考えてくれている。それだけで私は頑張ることが出来ました。

 

「来週はメイクデビュー戦だ。体調はバッチリか?」

「はい! これもトレーナーさんのおかげです!」

「よせよ、ミノルの自己管理がいいんだって」

「ふふ、照れちゃいます」

 

 私はトレーナーさんから『ミノル』と呼ばれるようになりました。

 練習内容を全て完璧にこなすことから『パーフェクト』と呼ばれた時もありましたが、流石に荷が重いと思い指でバッテンを作って断りました。その翌日にはミノルと呼ばれるようになり、私はとても嬉しかったです。

 

 レース当日。

 出走するウマ娘達から白い目で見られていることは自覚していました。バ群に飲まれると良からぬ事が起きるかもしれない。そんな時でした。

 

「ミノル、このレースはとびっきり逃げよう。影すら踏ませずに、圧倒的な力を見せてやれ」

 

 その提案に、思わず呆気を取られました。心の中でも読んだかのように、あるいは全く同じことを考えていたかのように。これ以上にない魅力的なお誘いでした。

 

「分かりました。しっかりと見ていてくださいね、トレーナーさん」

 

 誰に何を言われようとも、私にはトレーナーさんがいました。不安なんて何も無かったんです。

 貴方が背中を押してくださったから、今の私があるんです。

 

『さあ間もなく始まります、メイクデビュー戦。コースは右回りの芝1800m、平坦なコースと緩やかなコーナーが特徴です。ゼッケン3番はトキノミノル。圧倒的な評価を受けていますが、ゲートに難アリか。ゼッケン5番は……』

 

 7頭立てのレースですが、観客はかなり集まっていました。ヤジも少なからずありましたが、何も気にする事はありませんでした。

 静かにゲートインし、目をつぶって深呼吸を2回。ゲートから第2コーナーまでの道筋を立てる。何度も練習したルーティーンは、私の気持ちを全てレースだけに集中させてくれました。

 

 後ろのゲートが閉じる。目を開けた時には、雑音なんて何も聞こえませんでした。

 

『ゲートイン完了……スタートです! 好スタートを切りましたトキノミノル、おおっと、逃げる逃げる! あっという間に先頭に立った! 後続をみるみる突き放していきます!』

 

 コースが平坦な分、スピードに乗りやすい。コーナーで膨らむこともなく、向こう正面の直線に入る。2番手は……7バ身ほど後ろ。少し、休憩しましょうか。

 

『第4コーナー手前でトキノミノルが失速! やはりスタミナが持たなかったか、これを好機と見たブラックローグが追い込んでくる! 5バ身、4バ身、みるみる差が縮まって最後の直線!』

 

 ここまで息を入れれば十分。大きく脚を踏み出し、ラストスパートをかける。

 

『トキノミノルが来た! ここまで息を入れていたのか、再び差が開く! 8バ身、9バ身、さらに開いて大差でゴールイン! 最後の最後まで逃げ切りましたトキノミノル! 圧倒的!』

 

 やっと歓声が聞こえるようになった。レースに集中していた証拠ですね。

 

「ミノルー! やったなーっ!」

「トレーナーさーん! やりましたよーっ!」

 

 ぶんぶんと手を振るトレーナーさんへ、私も全力で手を振りました。

 嬉しさを全面に出したその表情が、私は大好きでした。

 

 続くオープン戦でも危なげなく勝利し、札幌ステークスを迎えました。

 舞台はダート1200m。ここまで3戦3勝の好成績だったケイトクイーンが1番人気でしたが、このレースでもトレーナーの指示通り逃げ続け、大差で勝利しました。

 レコードタイムを出したことにより、次走から注目を浴びるようになり、普段の練習でもウマ娘やトレーナー達の視線を感じるようになりました。そして……違和感を覚えていた膝が、ついに悲鳴を上げ始めました。

 

 レース一戦一戦を勝つ度に、骨の軋むような感覚は大きくなり、さらには足部への負担も大きくなった事により、足先の爪も割れ始めました。それでも、痛みを表に出す訳にはいかない。

 ……トレーナーさんの喜ぶ顔が見たかったから。私は愚かにも、身体の不調を隠し続けました。

 

『ここでもトキノミノルが勝った! 朝日盃三歳ステークス、ゼッセイに4バ身差! 誰も止められないのか、トキノミノル!』

 

 実況も、観客も、皆が興奮していました。1年で最後の重賞だけあって、注目はより一層されていた。マークも厳しかった。

 それでも、勝つことが出来た。この脚でも、勝つことが出来てしまった。

 

 ここで、私自身が、止まっていれば。

 

 

 

 翌年のレースでも負けることはありませんでした。ケイトクイーンやゼッセイを再度打ち負かし、初めての左回りのレースでも余裕を持って勝つことが出来ました。

 

 そして、皐月賞。

 7割を超える観客からの支持があったと、レース後に聞きました。スタート直後から逃げ続け、全力を出し切らずとも2バ身差で勝利しました。

 ウイニングライブ後にトレーナーが心配そうな顔で駆け寄ってきました。

 

「ミノル、今日は調子が悪かったのか?」

「はい……ですが問題なく勝ちましたよ、トレーナーさん」

「ならいいんだけどな。より一層コンディション調整に気を配らないと……いや、今は素直に喜ぶべきだな! おめでとう、ミノル!」

 

 レースを重ねても変わることの無い満面の笑み。私がレースに勝った時にしか見せないその表情を崩したくない。

 そんな重圧を、知らず知らずの内に自分自身にかけ続けていました。そして、このレースも全力を出せなかっただけなのです。

 次は日本ダービー。ここを勝ち切れば、次は自ずと菊花賞が目標となるはず。期間が開けば体調も整えられる。

 

 ……そんな思惑も、簡単に崩れました。

 ついに日常生活に支障をきたし始め、爪の割れた右脚を庇い続けた結果、左脚のアキレス腱にも痛みが生じるようになりました。

 騙し騙し過ごしながら、トレーナーさんの心配を受けながら、日本ダービー前日を迎えました。

 

「ついに日本ダービーだな。ここもゼッセイが出走するからマークは相当厳しくなるものと思っててくれ」

 

「……でも、僕は日本ダービーに執着心がある訳じゃない」

 

「ミノルが無事にレースを走って、喜ぶ姿が見たいだけなんだ」

 

「まだ間に合う。日本ダービーを回避しよう。その両脚は休ませないといけない」

 

 最後の最後に伸ばされた救いの手。トレーナーさんの、暖かい手。

 私はそれを、愚かにも。

 

「……いえ、トレーナーさん。日本ダービーは出ます。2冠目を取りましょう」

「ミノル……」

「見ていてください」

 

 不安そうに見つめるその視線を振りほどくように、私はターフを駆けました。2400mなんていつでも走れるんだ、と安心させるように。いつも以上のスピードで駆け抜けました。

 

「私は大丈夫です。日本ダービーも勝って、トレーナーさんと一緒に喜びたいんです」

「……決して無茶はしないこと。これだけ、約束して欲しい」

「絶対に、約束は破りません」

 

 指切りげんまん。嘘ついたら。針千本。

 

 

 

 トキノミノルが出遅れた。それだけで観客がどよめく。

 逃げようとしない。それだけで観客がざわつく。

 

 心の中で、いつもどこかで、君は僕達トレーナーにとって高嶺の花だと感じていた。

 

 こんな僕がトレーナーで良かったのか。そう思う日も多かった。

 こんな奴がトレーナーで良いのか。そうやって後ろ指を指されることも多かった。

 

 それらを全て、ミノルが吹き飛ばしてくれた。

 だからこの不安も、いつもと変わらない笑顔で、吹き飛ばしてくれる。

 

 そう、信じていた。

 

 

 

 レースで初めて、出遅れた。ルーティーンも崩れた。

 痛い。痛い。いたい。足が軋む。視界が滲む。

 でも、それでも。この位置なら。

 

「全部、見える……!」

 

 痛みを堪える為の大きな吐息は、私を冷静にさせた。

 もうバ群に包まれる心配もない。第2コーナーを回るまでは抑える。向正面の直線から、徐々にスパートをかける……! 

 

『1番人気のトキノミノル、徐々に順位を上げていく! 逃げるだけではない! このレースも私のものと言わんばかりに順位を上げていく! 第4コーナーを回って最後の直線! さあゼッセイとの一騎打ちだ!』

 

 ここでもやはりゼッセイさんとの勝負になった。私がもし走れなくなったとしても、ずっと関わりを持つかもしれない。そんな事を思ってしまうくらいには、勝手な親近感を抱いていた。

 

 それでも、今は私が主役。トレーナーさんの前では負けられない。

 

『ゼッセイの影を捉えた! 息付く間もなく並ぶ! 追い抜いた! 差が開く! 1バ身差を付けてゴールイン! この時代の主役はトキノミノルだ! 間違いなく! トキノミノルだー!!』

 

 割れんばかりの歓声に包まれて、私は勝った。

 不思議と痛みは感じなかった。観客に手を振る余裕すらあった。

 

「ミノルーッ!」

「わっ、とと……もう、こんな時に恥ずかしいですよ?」

「いいんだよ、そんなのはっ……! おめでとう……っ!!」

 

 トレーナーさんが駆け寄ってくるなり、思いきり頭を撫でてきました。こんな時くらいいいかな、と思っていると延々と撫で続けられたので流石にやんわりと離れました。

 

「ライブもありますからっ、待っててくださいねっ」

「……おう」

 

 お互いに顔を真っ赤にして離れていく場面にすら、観客は盛り上がっていました。正直、恥ずかしくてライブどころではありませんでした。

 

 

 

 

 インタビューが終わり、トレセン学園に着いた頃。運命の時は、不意に訪れました。

 寮に入る直前、意識が遠のく感覚と同時に、トレーナーさんにもたれるように倒れ込みました。

 

「……ミノル?」

 

「おい、ミノル! だ、誰か来てくれ! ミノルが、ミノルがっ……!」

 

 神様は、針千本なんて生温い罰では済ませてくれませんでした。何度もトレーナーさんに、自分自身に嘘をついてきたのですから。

 あの約束は口に出した瞬間から私自身の手で破られていたのです。

 

「熱が酷いんだ! すぐに病院に運んでくれ!」

 

 トレーナーさんの必死な声がぼんやりと聞こえる。

 やっぱり私は大事にされていたんだ。今になって深い後悔に襲われましたが、涙を出すほどの余裕もありませんでした。

 救急車に乗せられ、ベッドに寝かされた時には意識を失っていました。

 

 それから、3日後。

 私を呼ぶ声が聞こえた気がして、ようやく目を覚ましました。

 

「……ミノル?」

「トレーナー、さん」

「良かった……どうなるかと思ったぞ、ミノル……っ」

 

 既に目元は真っ赤に染まっており、クマも酷い。恐らく、最低限の生活以外はずっと私のそばにいてくれたんだ。微かに動く腕で、トレーナーさんの手を握った。

 

「ご迷惑を、かけました」

「謝らなくていい、無事で、何より……」

 

 トレーナーさんは私の手を力強く握りしめながら、静かに泣いていました。

 気づけば私も、涙が止まらなくなっていました。

 これは私が招いた事。その後悔がまた押し寄せ、さらに涙が溢れ出てきました。

 

 トレーナーさんが泣き疲れ、ベッドに伏せて眠った頃。待ち伏せていたかのようにドアがノックされました。

 

 本当の地獄は、ここから。

 

「どうぞ、主治医さん」

「目を覚ましてすぐに申し訳ない。念の為バイタルチェックをしておく」

 

 慣れた手つきで体温、血圧を測定し、カルテに打ち込んでいく。

 

「問題ないようだ。食欲はどうかな?」

「お、お腹が減って仕方がないです……」

「無理もない、食事はすぐに持ってこさせる」

「ありがとうございます」

「……さて、早速本題に入ろうか。君が高熱を出した原因は、足部の傷口から侵入した細菌の増殖だった。結果的には一命を取り留めたが……危篤状態に陥った事には変わりない。ここまで自分自身を追い込んだ……いや、追い詰めた理由を聞きたい」

「トレーナーさんは、何も悪くありません」

 

 度を過ぎたトレーニングによるケガは後を絶たない。

 故に、医療の世界ではそうさせたトレーナーは最も憎むべき相手ということも知っている。そのうえで、ハッキリと否定した。

 

「私が……全て悪いんです」

「ここまでのケガを負ったウマ娘は珍しいが、それに似たセリフはよく聞いてきた。場合によっては、私からトレセン学園に告発する必要がある」

「信じてください。いくら治療してもらったとはいえ、トレーナーさんを侮辱することは許せません」

 

 布団を握る手に汗が滲む。こうなることも分かっていたのに。

 睨み合うこと数秒。主治医さんの表情が微かに緩んだ。

 

「君を試してしまったことを謝罪する。生まれつきの脚部不安は検査で分かっているが、彼のような新米トレーナーがこれを見抜くのは難しい。どうか彼を、君自身を責めないで欲しい」

 

「そして、脚部不安を隠してまで走る理由も彼にある……回りくどくなってしまった。私はこうなった要因を彼に話す必要がある。席を外した方がいいかね?」

「……いえ、私が出来る限り説明します」

「分かりました。彼が目を覚ましたらナースコールを。その間に往診してきますので」

 

 主治医さんが部屋を出てすぐ食事が届いた。質素ではありますが、今の私には十分な量でした。

 あっという間に平らげて一息ついた頃。トレーナーさんが目を覚ましました。

 

「しまった、寝すぎたか?」

「大丈夫ですよ、トレーナーさん」

 

 このボタンを押せば、この関係はどうなるのだろうか。

 一瞬躊躇ったが、どちらにせよ逃げられない。ナースコールを押し、主治医さんを呼んだ。

 

「これから、主治医さんから大事な話があるんです。一緒に聞いて頂けませんか」

「……ああ」

 

 トレーナーさんも、ある程度は分かっていたのだと思います。

 それでも何も言わずに主治医さんを待っていました。

 

「おまたせしました。君がトキノミノル君のトレーナーだね?」

「はい。ミノルを治療していただき、ありがとうございました。大事な話、というのは……」

「トキノミノル君はずっと脚部不安を抱えていた。それは把握していたかね?」

 

「それを隠して、走り続けた結果が今回の高熱を引き起こした。隠した理由も、隠し通せた原因も私には分からないが……何故、気づいてやれなかった? 彼女は紛うことなき天才だった。本来ならば! もっと実力のあるトレーナーに教えを受けるべきだった!」

「主治医さん!」

「……すまない、取り乱してしまった。話は彼女から聞いてくれ。今は事実をまともに話せそうにない」

 

 主治医さんは顔をしかめたまま部屋を出る。

 トレーナーさんは今にも泣き出しそうな表情でこちらを向いている。

 

 ……話さないと。

 

「……主治医さんのおっしゃる通り、脚部不安は生まれつきありました。ですが、私がそれを自覚したのはメイクデビュー戦を終えてから暫く経った頃です。膝も痛め、庇った足部も痛め、それでも私は、勝つことが出来たんです」

 

「トレーナーさんの喜ぶ姿が、何よりも大好きだったから頑張れたんです。私自身、こうなることは薄々分かっていました。日本ダービーが終わったら沢山休める、また菊花賞で走ることが出来る、そんな甘い考えを持ってたんです」

 

「だから……自分を責めないでください。もし責めるならば、私から責めてください。トレーナーさんは……何も……」

 

 もう、耐えられなかった。

 涙が止まらなかった。言葉すら出てこなくなった。

 トレーナーさんは、ただひたすらに、「ごめん」と謝るだけだった。

 

 

 

 

 

 

 主治医の言葉を聞いて、まず初めに感じたことは。

 ミノルの言葉を聞いて、感じたことは。

 

 怒りだった。

 もし自分自身が目の前に居たのならば、問答無用で殴り倒していることだろう。

 

 何故ミノルの異変にもっと早く気づいてやれなかったのか。

 皐月賞が終わった時点で、何故日本ダービーの出走を見送ることが出来なかったのか。

 

 答えは単純。

 自分の経験が浅かったからだ。知識が足りなかったからだ。観察眼が無かったからだ。

 主治医からの言葉に、何一つ反論が思い浮かばなかった。ミノルのような存在には、()が担当すべきじゃなかったんだ。

 

 自分を責め続けると同時に、ミノルに対する罪悪感が一気に俺を蝕んだ。

 ただ謝ることしか出来なかった。そんな自分にまた怒り、そして罪悪感に押しつぶされる。

 何分、何時間経ったか分からない。そんな事すらどうでも良くなっていた。

 流す涙も無くなって、言葉すらも絞り出せなくなって。ようやく主治医が傍に立っている事に気づいた。

 

「少し話がある。席を外せるか?」

「……ああ」

 

 泣き腫らした顔に驚いたのか、主治医は少し目を見開いたが、何事もなく部屋を出た。

 

「入院費の件だが」

 

 なんだそんな事か、と急に現実に引き戻された。いくらでも出す、と口を開こうとした時。

 

「費用は要らない。ミノルが苦しんでいた原因は人間にとっても厄介なウイルスだった。それが今回、ようやく治療法が確立できた。汚い話だが、この治療法は入院費とは比べ物にならないほどの価値がある」

 

「だが、何も受け取らないのは筋が通らない。だから君には頼みたいことがある」

 

「日本……いや、世界一のトレーナーとして君臨出来るよう努力して欲しい。厳しくは言ったが、君のポテンシャルは私も買っているつもりだ。私は近いうちにメジロ家の専属医として働くこととなる。つまり、人間に対する医療を完全に捨て、ウマ娘たちの健康を確保するための人生を歩むこととなる」

 

「まだまだ発展途上のウマ娘に対する医療には、トレーナーの意見が必須となってくる。君には、それを担う存在となって欲しい」

 

 怒り、悲しみ。負の感情がエネルギーとなって駆け巡る。

 この提案を受けなければ、今後絶対にトレーナーとしてウマ娘と向き合うことは出来ないだろう。

 もう二度と、ウマ娘たちにミノルのような結末を迎えさせない。周囲からどう思われようが構わない。やるしかないんだ。

 

「分かった。少し、ミノルと話をしてくる」

「ここからはイバラの道だ。覚悟して進んでくれ」

 

 

 

 

「ミノル、遅くなってすまない」

「いえ、それより主治医さんからの話って……」

「訳あって俺はトレーナー業から離れることになった」

「……え?」

 

 嫌な予感が的中した。

 しかし、それはすぐ裏切られる事となる。

 

「ミノルが怪我をしたのも俺のせいだ。ただ悦に浸って、足元を見なかった俺のせいなんだ。今の俺にトレーナーの資格は無い」

 

「もし引退式をするのなら出席する。その時に、俺の未熟さを全てさらけ出すつもりだ」

 

「次にトレーナーとしてミノルに会う時は、堂々としていられるように実力をつける。それまで、待っていて欲しい」

 

 頭を下げるトレーナーさんに、何も言葉が出なかった。

 自分の弱さを受け入れて、もう次を見据えている。決して、悲観していないんだ。

 

「返事は、まだかな?」

「ふふ、私はいつでも待っていますよ。トレーナーさん」

 

 ならば私は、もっと頼もしくなった彼を受け入れる準備をしなければならない。

 元のように走れなくなったとしても、道はある。私のような結末を迎えるウマ娘がもう二度と現れないように、進むべき道を示せる存在にならなければ。

 

 

 

 決意を固めてからは、入院期間がとても短く感じられました。

 引退式もあっという間に終わり、トレーナーさんは姿を消しました。

 とても寂しかったですが……その翌日、新たに就任したトレセン学園の理事長から、秘書として迎え入れたいとの連絡が入った。何故このタイミングなのか、というのは敢えて考えませんでした。

 その理事長こそが、秋川やよい……ノーザンテーストさんでした。フランスでGIレースなどの勝利を挙げ、日本に帰ってからはウマ娘達の環境を整えるべく東奔西走していたとか。噂程度には聞いていましたが、目の当たりにすると圧倒されました。

 ……時々暴走する時があるのでストップをかける時もありましたが。

 

 

 

 秘書としての仕事もすっかり板に付いた頃。

『天眼』の2つ名を引っ提げて、貴方は戻ってきてくださいました。

 

 

 

 

 

「ん、ううん……あっ」

 

 いつの間にか理事長室のソファーで寝ていました。

 布団までかけてくださって、置き手紙まで。

 

『ご苦労! 明日はゆっくりと休みたまえ!』

 

 達筆な手紙に思わず頬が緩みましたが、いつまでもここにいる訳にはいきません。

 耳を隠すように帽子を被り、部屋を出る。思えば、随分と懐かしい夢を見ていました。

 

 

 

 

 トウカイテイオーさんを、必ず復活させましょうね。トレーナーさん。

 

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