Return to race 作:はるりん
「聞いたよコーチ! ボクの臨時トレーナーが認められたって!」
「ああ、これで堂々とトレセン学園にいられるな」
たづなさんとのやり取りである程度結果は分かっていたが、正式に発表されるまでは少し不安だった。
テイオーは勿論そんな事も知らずにはしゃいでいた。
「ああ、その様子だとまだ知らされてないんだな」
「え、まだ何かあるの?」
「たづなさんが俺たちをサポートしてくれる事になった」
「……ほんと?」
「本当だって。さっきたづなさん本人から連絡が来たんだ」
「理事長の秘書をしてるってことは知ってるけど……ボク達のサポートなんて出来るのかなあ?」
「そこは心配しなくてもいいぞ。理事長が止めなかったことが何よりも信頼出来る要素だ」
本当の理由は別にあるが……説明しなくてもいいだろう。
「今日は早めに練習を切り上げるぞ。早速たづなさんの力を借りよう」
「借りるって、具体的には?」
「具体的には……いや、実際に体験した方が早いな」
「えー! トレーナーのケチー!」
尻尾でバシバシと抗議してから、テイオーは颯爽と芝に駆けていった。
ケチと言われてもなあ……説明しようがないというか、していいものではないというか。
たづなさんに頼んだことは2つ。現在の練習スケジュールとテイオーのランニングフォームの確認だ。
スケジュールを作るにあたってタキオンの協力はあったものの、トレーナーとしての経験の浅さがやはり不安にさせてくる。トレーナーと直接的な関わりは無いにせよ、多くのチームを見てきた彼女なら、より細かく正確にスケジュールを修正してくれるはずだ。
練習後、少し険しい表情でたづなさんが話し始めた。
「今日の練習を見る限りでは、予想よりもハイペースで復帰に向かっていると言えますね。ですが、少しオーバーワーク気味だとも思ってしまいます。テイオーさん、少し焦ってはいませんか?」
「えっ、そんなこと、ないと思うけど……」
「……しまった、そうとも捉えられるのか」
ターフで走れるようになってからは、確かに順調だった。怪我の予兆も無く、新フォームの飲み込みも早かった分、大事なことを見落としていた。
怪我は自覚も無く、不意に現れるもの。浮かれていたな、と唇を噛んだ。
「無理もありません。練習内容は身体状況を考慮して作られたものですから、過度の負担を感じることは決してないでしょう。ですが、万が一のこともあります。ほんの少し、ペースを落としてみるのも一つの手ですよ?」
「……うん。マックイーンのレースを見てから、少し焦ってたのかも。ありがとう、たづなさん」
先日の京都大賞典で、マックイーンはメイショウブレイヴに3馬身半差で勝利した。
ただ勝利したのではない。メジロパーマーの逃げにペースを乱されること無く、自分のレースをしたまで。それだけで勝ってしまった。
誰が見ても分かる、圧倒的な実力。テイオーもそれにあてられていたようだ。
「些細なきっかけ1つでペースは崩されてしまうものです。自分自身で指標を作ることも大事ですが、練習内容の強弱に関してはトレーナーさんのさじ加減で変わりますからね?」
「……おう」
「テイオーさんも。レースのための練習で怪我をしてしまっては元も子もありません。サポート役に選ばれたからには、厳しく見ていきますね?」
「……はい」
「これじゃあ、どちらがトレーナーか分からないな」
「そうだよー! もっとシャキッとしないとボクのトレーナー失格だよ!」
また尻尾でバシバシ叩いてきた。普通に痛い。
やんわりと激励を止めて、練習を切り上げる準備を始めた。
「今日はたづなさんの歓迎会を開こう。鍋でも食うか?」
「食べる!」
鍋というにはまだ少し早い気もするが、バランス良く栄養が取れるし、何よりのんびりと話せる。
明日はオフにするつもりだし、遅くなっても大丈夫だろう。
乾杯を済ませ、買ってきた食材を鍋に放り込んでいく。
タキオンも誘ったから結構な量になったが、今日中には無くなるだろう。
「いやはや、まさか理事長の秘書がチーム入りなんてねえ」
「タキオンさん、ちょっと」
「全力で走るスペシャルウィークに追いつくその脚! 是非触って見たかったん、だ……」
「それは、またの機会に……ね?」
しかし、テイオーは気づかない。このプレッシャーはミノルとタキオンの間にある、ごく僅かな空間に出来たもの。これ程までに正確かつ強烈なプレッシャーをかけられるのは、
……その事実が、
「ふぅン、やはり『幻』は伊達じゃないねえ。全く錆び付いていないじゃないか」
「貴女、一体どこまで」
「ほら、野菜が煮詰まったよ。食感が少し残るくらいが私は好きなんだ。ああもちろん、クタクタになったのも嫌いじゃないがね」
彼女ははぐらかすように鍋を突っつき、満足そうに口を動かした。たづなさんもこれ以上踏み込むのはテイオーに知られると思ったのか、不服そうに鍋を突っつき始めた。
タキオンは元々、好奇心にならば殺されてもいいという性格である。そんな彼女に異次元のプレッシャーを見せることは、まさしく逆効果でしかない。
どこまでミノルの事を知っているのか気になるが、とりあえず飯……ん?
「もう無くなったのかよ」
「ボーッとしてるとボク達が食べちゃうもんね〜」
「元々みんなに食べてもらう気でいたんだ。体力を付けるにはまず食事からだ。ほら、肉もまだまだあるぞ」
値の張る食材だから俺も食べたかったが……仕方ない。最悪どこかで飯は済ませればいいか。
トレーに乗せた野菜を運んでくると、食べたかった野菜やら肉がお椀に入っていた。流石たづなさん。
「ありがとう。助かるよ」
「トレーナーさんも体力は必要ですからね」
ふと視線を移すと、タキオンがニヤニヤしていた。
「……明日の昼飯は作らんからな」
「えーっ!」
さっきの分も含めてお仕置きすることにした。
「やだよー! 作ってくれよー!」
「なら先にたづなさんに謝っておけ。怒ったら本気で怖いぞ」
「むぅ。先程は済まなかった。私の悪い癖が出てしまったようだ」
「構いませんよ。同じ夢を持った方には協力してあげたいですから、研究にお付き合いさせて頂きますね」
「お、おおぉ……」
余程たづなさんが気になっていたのか、タキオンは歓喜に震えていた。
以前よりは感情の起伏が見られるようになったとはいえ、ここまで顕にするのも珍しいな、と感心していた横で。
テイオーの確信めいた視線に気づく事が出来なかった。
「さて、そろそろお開きにするか。俺が片付けておくから、ゆっくりしていてくれ」
「じゃあお言葉に甘えて。どうぞ、テイオーさん、タキオンさん」
「紅茶とは。ふふ、分かってるねぇ」
「なんでだろ、懐かしい香りがする……」
紅茶を啜りながら一息つく彼女らを横目に、俺は部屋を出た。
「ふぅ……ねえ、たづなさん」
「……はい。なんでしょう、テイオーさん」
「コーチは、どんな人だったのかな」
既に色んなことを察しているのでしょう。
それらを全部すっ飛ばして、敢えてトレーナーさんの事だけを聞いてきました。
「いつも真っ直ぐで、誰にでも優しくて、自分に厳しくて」
「いつも誰かのために動く、憧れの人ですよ」
「……そっか。どんな我儘も聞いてくれそうで安心したよ」
「ええ。あの人ならどんな困難も何とかしてくれますから」
「おーい、私もいるんだぞー?」
参ったな。
これからも、気を抜けそうにない。