Return to race 作:はるりん
重厚な扉を三回叩く。そして名乗る。
社会人としては当然のマナーではあるが、トレセン学園に必要なものかどうかは疑問に残るものがある。しかし。
俺がこれから目の当たりにするウマ娘は、生物としての存在が上位である。
そう思わせるほどに。そう思ってしまうほどに。彼女が纏うオーラは桁違いである。
「入りたまえ。そう畏まる必要もあるまい」
「ならその威厳を鎮めてくれないかな、ルドルフ」
「ルナ」
「……ルドルフ」
「ルーナ」
「……………………」
さっきの仰々しい7行、返してくれねぇかな。エアグルーヴはこの時間いるはずだろうが。
「エアグルーヴは少し席を離していてね。今は2人きりだぞ、コーチ」
「テイオーをここに呼んでくれないか?」
「……ルナ」
「はぁ……はぁーあ。ルナ、テイオーをここに呼んでほしい。テイオーの復活にはルナの力が必要なんだ」
このままではルナしか言わなくなってしまうため、仕方なく愛称で呼ぶことにした。
「いいだろう。実際、テイオーの表情は浮かない日が続いている。あと数日遅ければ私から連絡をしようと思っていた所だ」
「テイオーの今後については、既にプランは練ってある。明日には紙媒体に出来るはずだ」
「プランに乗るかどうかは、コーチが考えるテイオーの理想像を聞いてからだ。トレーナーの頼みなら兎も角、貴方はあくまでコーチだからな」
「それくらいどっしり構えていてくれた方が、こちらとしては助かる。俺が考えているのは……」
静寂が部屋を包む。ルドルフは目を瞑っている。
考えを伝えて数秒、静まり返った空気が拍手の音で掻き消えた。
「コーチらしい、現実と理想を見据えた考えだな。分かった、私も全面的に協力するとしよう」
「ありがとう、ルナ。放課後すぐにテイオーと話そうと思っているが、大丈夫か?」
「構わないよ。急な仕事も少しならエアグルーヴに任せられるからね」
「分かった。今からテイオーの様子を見に行くが、ルナも来るか?」
「私も行くよ。今日はまだテイオーの姿を見てないからね」
今の時間は運動場……もとい、芝のコースでの授業のはず。俺たちでいう体育みたいなもんだ。
ある程度制約はあるが、各々で自分の課題を見つけ、お互いに共有し合って高め合う……という名目だが、GI級のウマ娘がいるとクラスメイト全員が挑戦状を叩きつけてしまうのが玉に瑕である。
ターフに向かうと、松葉杖を突くテイオーがいた。
笑顔はあるが、作り笑顔だ。いっぱいいっぱいの愛想を振り撒いており、はっきり言って心が痛む。
だが、目を逸らすわけにはいかない。主治医から頼まれた以上は向き合わなくてはならない。
「……どう思う、ルドルフ」
「見ていて辛くなる、というのが正直な感想だ。しかし」
「目は死んじゃいない。レースを見て、どう展開するかをずっと考えているな」
「思いの外、リハビリは上手くいきそうじゃないか?」
「リハビリ自体はすんなりと始められるはずだが、問題は……やり遂げられるかどうか、だな」
レース自体はテイオーの頑張り次第では復帰できるだろう。しかし、ただ復帰させるだけではダメだ。リハビリに必要なものは、何よりもモチベーションが必要である。
何度失敗しようとも、何度躓こうとも、決して折れない意志が無ければ復活とは呼べない。
「……少し、見ていくか」
「おや、他に気になるウマ娘でもいたかい?」
「スピカのメンバーを見ておきたくてね」
テイオーの復活には、スピカのメンバーも協力してもらう必要がある。もちろん、タダで協力してもらおうとは思っていない。
「本番のような緊張感がない時こそ、怪我の予兆が見られるんだ。ほんの僅かな気の緩みで、脚に負担のかかるフォームをとってしまうウマ娘も実際にいるからな」
「あの2人はいつも競い合っているが……問題は無さそうだな」
「フォームに絶対の自信があるんだろうな。あれだけいがみ合ってても軸はブレちゃいない」
ウオッカとダイワスカーレットがいつも通り競り合っており、スペシャルウィークはエルコンドルパサーとグラスワンダー、セイウンスカイやキングヘイローと模擬レースを行っている。インスタント宝塚記念かよ。
ゴールドシップは、うん。見なかったことにしよう。あのウマ娘は何があっても、何をしてても大丈夫だろう。
メジロマックイーンは……あそこか。今週のレース展開を整理しているのか、そこまで走る様子は見られないが、表情が硬すぎる。
「マックイーンが気になるようだな」
「今週末に宝塚記念を控えてるからな。フォームだけでも見ておきかったんだ」
宝塚記念はファンたちの投票で出場が決まる。当然、プレッシャーは大きい。このレースで真価を発揮するウマ娘もいるが、重圧に打ち勝てる者はそうはいない。
マックイーンが走り始めた。始めは先頭からやや後ろにつけて、様子を見ている。
その足運びは美しさすら見出してしまう。力感など全く感じさせず、常にレース全体を意識しながらのレース。頭のいいウマ娘はまず掛からないし、集中力も段違いだ。そういった点では、座学も侮ってはいけない。
「負けるビジョンが浮かばないな。ルドルフのレースを見ているようだ」
「ああ、あのペースで先行気味ならまず負けないだろうな」
第3コーナーからジワジワと先頭に詰め寄り、直線で一気に千切る。逃げ気味の先行はマックイーンにピッタリだな。
「順当に1着、か。宝塚記念もいい結果が見込めそうだ」
「まだまだ懸念材料はあるがな。少しスピカのトレーナーとも掛け合ってみる」
「マックイーンにも肩入れするのかい?」
「ケガだけはして欲しくないんだよ」
コーチの顔が曇る。
時折見せる表情だが、誰を思い出しているのだろうか。
「そろそろ授業も終わる頃だ。私はテイオーを呼んでくるよ」
「俺は少し出かけてくる。直ぐに戻る」
◼️
「はちみーだ! しかもいつも頼んでるやつ!」
「固め濃いめダブルマシマシだ。俺も初めて飲むが、コレは美味い」
「でしょ〜? こうやってズゴゴゴーッて吸うのがいいんだ!」
得意げにはちみーを吸うテイオー。
カロリーの暴力だが、蜂蜜は身体にいい。週に2回なら許せる。
「怪我についてはどう言われている?」
「安静にしていれば問題ないとは言われたよ。でも、それだけでいいのかなって思っちゃうんだ。ボクの身体は凄く柔らかいけど、その分怪我も多くなるって言われちゃって」
「ウマ娘の関節構造は人間に近い。テイオーの柔軟性をフルに活用すると骨に異常をきたす。改善というよりは、怪我をしないフォームを習得すべきだと俺は思っている」
「……うん。でも、今までの走り方を丸々捨てるってことだよね? ボクに出来るかなぁ?」
「時間はとてつもなくかかる。だが、必ずテイオーは習得出来る。怪我を極端に減らし、尚且つ今までの走りよりも速いフォームを」
テイオーの目つきが変わった。
疑い、不安、それと……僅かな希望を乗せた視線が、俺を刺す。
「コーチは、ボクが復帰するまで見捨てない?」
「見捨てないさ。復帰ではなく、必ず復活させてやる。無敵のテイオー様をな」
「……!」
「だが、もちろん厳しいぞ。ここからはイバラの道だ。どれだけ練習しても2回は大きく挫折するだろう。怪我は無くとも、レースに勝てなくなる日々が続くこともある。それに耐えられるかどうかはテイオー次第だ」
テイオーの顔が曇る。ここからが正念場、か。
「ボクはさ、カイチョーのようなウマ娘を目指してたんだ。GIレースにいっぱい勝って、ウイニングライブはいつもセンター……そんなカイチョーに憧れてレースに挑んでた。こうなったボクは、何を目標にリハビリすればいいの? 何を目指してレースに挑めばいいの? 怪我をしてから、ずっと分かんないんだ」
「……ルドルフは、何を目標にして走ってきた?」
「最初は、とにかくレースに真摯に向き合っていくことを心掛けていたよ。真剣勝負の場に立つ以上は、全力を尽くすことが他のウマ娘に対する何よりものリスペクトだと思っていたからね。レースを勝ち続けていくにつれて、全てのウマ娘の模範となれるようなウマ娘になるべく精進していたよ」
「じゃあ、もう1つ。テイオーは復活できると思うか?」
「絶対に出来ると信じているよ。目標なんてものは、達成出来なくても次がある。自分が納得出来る結果を追い求めることも大切な事だ」
「カイチョー……」
テイオーの目から涙がこぼれ落ちる。ルドルフからハンカチを受け取ると、ますます涙が止まらなくなっていた。
「みんな、テイオーが戻ってくることを待っているんだ。三冠ウマ娘としてのテイオーではなく、究極無敵の、テイオーをな」
「……あはは、自分で言ってて、恥ずかしがってるじゃん」
「元はテイオーのセリフだぞ? 大の大人が言うセリフじゃないのは分かってるだろう」
「分かった。ボク、頑張るよ。カイチョーだってずっと努力してきたんだ。やれることをやらなきゃ、カイチョーには近づけないもんね!」
「ああ、その意気だ。だが主治医の許可が出るまでは練習は当然禁止だ。安静期間は座学を中心にスケジュールを組む」
「えー! 勉強はやだよー!」
「いいのか? ルドルフはとんでもなく賢いぞ?」
「むむむ〜! 卑怯だぞ!」
「賢くなければ、勝てないレースだって出てくるんだ。しっかり勉強してくるんだぞ」
「分かった! カイチョーが言うなら間違いないね!」
「俺が言ったら間違いになるのか……」
これはまた、癖の強いウマ娘を任されたものだ。
しかし良いスタートが切れた。ルドルフの助けが無ければ、ここまでしっかり立ち直る事は無かっただろう。また機会のある時に手伝ってもらいたいな。
まずは、今週末の宝塚記念だ。もちろんテイオーやスピカのメンバー達と見るつもりだ。レースから学べることは山ほどあるからな。
◼️
リハビリ開始初週を終え、宝塚記念が始まった。
メジロマックイーンは……2着だった。