Return to race 作:はるりん
「それは私の差し金ではないぞ?」
コテン、と首を傾げて一言。
テイオーの言動に困惑しているのか、エアグルーヴがいるにも関わらずルナっぽい一面が滲み出ている。
「悪い、ルドルフの入れ知恵だと思ってた」
「君がトレーナーだった頃を知っているウマ娘なんて数えるくらいしかいない。疑うのも無理はないさ」
「私は何も聞いていなかった事にしておこう。だがな、それほどの実力があってトレーナーを務めていないのが変な話だ。テイオーと同じ疑問を抱くウマ娘がもっといてもおかしくない」
「エアグルーヴの言う通り、そんなウマ娘は沢山いるだろうな」
「沢山いた、と言うべきだろう。彼の知識量の前では、そんな事を考えるのも無駄だと思えるくらいには充実してしまうからね」
「だが、テイオーはそれでも満足していなかった。たった3ヶ月で医学の基礎知識を全部吸収した上で、コーチへの疑問を失うことは無かった。どこか他人行儀なスタンスも災いしただろうな」
エアグルーヴの視線が痛い。返す言葉もない。
「貴様の過去なんて何も知らないからこそ、無責任な事を言ってやる。貴様の手でウマ娘がレースに復帰するように、貴様自身も誰かの手を借りてトレーナーに復帰するべきだ」
「く、くくっ。おいおい、無責任にも程があるぜ。そこまで言うからには裏に何かあるんだろ」
「勿論あるさ。それにしても、ようやく表情を崩したか。タキオンから聞いた話ではもっと表情豊かな男だと聞いていたからな」
「交友関係の広い問題児ほど厄介なものはないな。さて、少し席を外してくれるか。その話を聞く前にルドルフと話しておきたい事がある」
返事をするまでもなく、エアグルーヴは会長室を出た。
「タキオンから『いい茶葉』を貰ったんだ。飲むか?」
「ああ、『とっておき』を頼むよ」
ティーカップが置かれたテーブルを挟んで、ソファーに座る。
エアグルーヴがいないからといってふざける事はなし。年齢や立場が違うからといって遠慮することもなし。
『いい茶葉』『とっておき』
その言葉は、本気かつ対等に話し合うためのサイン。
「エアグルーヴの頼みを断ろうと思う」
「英断だ。どちらにせよ私は全力で止めるつもりだった。今の君はトレーナーになるべきでは無い。コーチであり続けるべきだ」
「知識を蓄えても、実力を上げ続けても、肝心のメンタルが追いついてこないからな」
「君はただ怖がっているだけさ。だが、その臆病さのおかげで助かったウマ娘達がどれだけいると思っている」
彼女はティーカップを口に傾け、意を決したかのように短く息を吐いた。
「ウマ娘が怪我で引退することは今まで数え切れないほどあった。突発的な怪我もあれば、予期できた怪我もあっただろう。後者はトレーナーが原因であることが殆どだが、前者はウマ娘自身で引き起こすことが多い」
ルドルフの言葉が、否応なく思い出させる。
心が軋む。心が、歪む。
「君は『●●●●●●』の突発的な怪我による引退がトラウマになっているのだろう。だが私から言わせてみれば、予期できた怪我の延長線上にあったものだと思っている。つまり、脚部不安はウマ娘自身からも申告しておくべきだった事項だ。素人でも予め分かっている地雷を踏みに行くことは無いだろう」
やめてくれ。●●●●●●の怪我は。
俺が。僕だけが悪いんだ。彼女は、何も。
「むしろ、その1回の失敗だけでここまで漕ぎ着けたのが恐ろしい。ウマ娘の本能を理性で抑え込むことはベテラントレーナーでも一苦労するものだ。それをたった3ヶ月で、しかも不特定多数のウマ娘に対して成功させている。実際にトレーナー達からだけでなく、ウマ娘自身から検査を申請することが急増している」
僕を認めないでくれ。
俺が俺で、居られなくなる。
「君の歩んできた道が如何に険しく正しいものだったか、何よりも今の現状が証明してくれているよ。ありがとう、コーチ」
「ルド、ルフ……」
「鬼の目にも涙。落ち着いたらエアグルーヴと話をしてくれ」
ハンカチを置き、部屋を出る。テイオーが撒いた種ではあるが、悪気は無いのだろう。何も責めることは無い。彼女が走る理由の1つとしてコーチの存在が出てくるのならば、私としては本望だ。
「暫く話せそうにない。時間をおいてから入ってくれ」
「まーた泣かせたのか」
「『皇帝』として、ウマ娘の将来を導く存在として、やるべき事をしたまでだ」
「ふん。そう言われると何も言えないことを知っている癖に」
「イタズラ心はいつまでも持っておくべきだよ。エアグルーヴ」
「何のアドバイスだ、全く」
◼️
「落ち着いたか、コーチ」
「ああ。情けない所はあまり見せたくなかったがな」
「たわけが。完璧な存在などいるはずがなかろう」
「完璧、か……」
「話を戻すぞ。トレーナーとして復帰する気は無いのだな?」
「無い」
へにょん、と耳と尻尾が垂れた。
「……いや、ある」
ぴょこん、と耳と尻尾が元気を取り戻した。
「ない」
へにょん。
「ある」
ぴょこん。
へにょん。ぴょこん。へにょん。ぴょこん。あー楽し。
「たわけが!」
「いってぇ!! 殴りやがったなお前!!」
「当然だ! 私で遊ぶな!!」
ストレートを額で受け止め、改めてトレーナーに復帰する気は無いと伝えた。
「そうか、ならばいい。あるウマ娘の臨時トレーナーを探していたんだが……」
「サイレンススズカ、か」
「ご名答だ」
エアグルーヴと仲が良く、かつ現時点でレースを走れるような状態でないウマ娘なんて1人しか居ない。
『異次元の逃亡者』とも呼ばれる程の豪脚を持ち、毎日王冠ではエルコンドルパサーやグラスワンダーから逃げ切って勝利するほどの実力の持ち主。
だが、次レースの天皇賞・秋において彼女は左足を骨折した。1歩間違えば大事故に繋がりかねない、恐ろしい出来事だった。
「沖野はどう言っているんだ」
「コーチになら任せられると」
「アイツ自ら行けば……あぁ、そうか。そういう事か」
「そう。スズカは今アメリカにいる」
ウマ娘に対する医療技術がトップクラスの医者がいたんだったか。あれ、そういやタキオンが時折連絡を取っているのも彼だったような。
「チームを抱えるトレーナーは遠征には行けない。そこで貴様に白羽の矢が立った」
「俺は、もう怪我をさせたくない。悲しむ顔を見たくないんだ」
「チッ、ええいまどろっこしい! ウマ娘達の事は考えるな!」
机に拳を叩きつけ、感情をむき出しにするエアグルーヴ。
分かりやすい挑発ではあるが、今の俺には有効すぎた。
「貴様自身はどう思っているんだ? かつてトレーナーだった頃のように、ウマ娘と共に歩むのか! トラウマを抱えたままコーチとして生きていくのか! 答えろ!」
「なあ。いい加減にしろよ、お前。何も知らねえ奴にそんな口叩かれたく、は……おい。なんで笑ってんだ」
「なに、いい顔をしていると思っただけだ。何一つ諦めていない、強い存在だと感心したよ」
「……俺の負けだ。力では勝てるはずもないが、ここまで乗せられたら何も敵うものは無いな」
「勝ち負けなどではない。私の親友を助けてくれるかどうか、確かめたかっただけだ」
「やってやるよ。サイレンススズカの、臨時トレーナーを」
逃げるのは、もう終わりだ。いずれ向き合わなくてはならない時が、今来ただけのことだ。
「そう言ってくれると信じていたぞ。絶好の機会だったからな。断られては困る」
「絶好の機会? 待て、まさか」
「そのまさかだ。会長の言う通り、イタズラ心は持っておくものだな」
◼️
「えーっ! コーチが私の臨時トレーナーっ!?」
ワケワカンナイヨー!