サイパン島で彼女が水着に着替えたら―彼女のゾイドと荷電粒子砲・番外編 作:城元太
「おー!」
思わず声が出た。
巨大な旅客機が次々と目の前を横切っていく。
僕たちはいま高速道路を使って、新東京国際空港=成田空港に向かっていた。
「あんなに低く飛ぶんだ」
「ほんとに」
「すごいねー」
高速道の高架から見ると、生い茂る杉林が滑走路を覆い隠し、まるで森林の中の秘密基地から飛び立っていくようにも見える。色とりどりの大型旅客機が発着する光景を前に、ここが海外への玄関口ということをまざまざと実感する。
豊かな自然に囲まれた未来的施設。
成田空港も、あの粒子加速器と同じように、田舎と都会が混在した異空間に存在していた。
※
高校二年の夏休み開始直前、突然母親が僕に予定を聞いてきた。なんでも、格安のパッケージツアーの予約がとれたそうで、久しぶりに海外旅行をしてみたいというのだ。
両親には何度も海外旅行経験があった。兄も卒業旅行と称して韓国に行っている。しかし僕はこれまで、海外どころか飛行機に乗ったこともない。
「どこへ行きたいの?」
「サイパンサイパン」
繰り返す必要がないのに繰り返すくらい、母親は喜びを隠せないでいる。大人げなくもないが、大人だって楽しみたいのだろう。
「サイパン、って、楽しいの?」
「海外旅行って、楽しいものよ。それにほら、こんなにお得。ホテルも五つ星で食事付き、プライベートビーチもあって料理も朝夜全ビュッフェで食べ放題!」
『食事つき』と『ビュッフェ』が被っている。質問に対する適切な返答ではないが、まちがいなく楽しそうだ。
特に予定はなかった。出発は8月末。いわゆるお盆休み明けで、旅行価格が下がる時期になる。
「それでね、パック人数はペアが二つで2×2の四人。ツインが二部屋だからお父さんとお母さん、
「兄貴、行けるの?」
とたんに母親の表情が暗くなる。兄の会社はいわゆるブラック企業で、入社二年目になっても相変わらずの残業、休日出勤続き、お盆休みも有給1日しか取れなかった。そんな状況で果たして家族四人で旅行などできるのだろうか、という素朴な疑問である。
「そうよねぇ、進の休みはムリよねぇ……」
二次関数や三次関数の上凸グラフの頂点が、変曲点でいっきに減少するみたいに、母親のテンションが見ていて痛々しい程にダダ下がる。
「……じゃあじゃあ、アヤちゃん誘いなさいよ。もうおつきあいして一年も経つのに、行ったところって鎌倉だけなんでしょ。もちろん、ツインにはお母さんと女同士でお泊まりするけど。どうぉ?」
どうぉ? って急に聞かれても。ただ、確かに母親の言う通り、あれから一年経つが、まともに旅行したのは二度目の、それもまた大雨の鎌倉だけだった。学校の行き帰りや、ちょっとしたショッピングくらいなら一緒に出かけることもある。しかしおつき合いを始めたこの文学少女は、当初の予測通り純真過ぎて、僕は恋人というより保護者的な立場に甘んじていた。庇護欲求をくすぐらせるのか、僕の両親も息子の恋人というより妹のような感じで接していて、夕食や外出なども泊家公認で行っていたので(外泊は禁止)、アヤちゃん=
まずは兄の予定確認、それに父親だろ、と言って、僕は肯定も否定もせずにリビングを去る。かなりいいかも、という考えを胸に秘めて。
正直、一対一となった二度目の鎌倉旅行は、アヤちゃんの文学談義の暴走だった。終始文学者と作品名が飛び出し、川端だか太宰だか有島だかわけがわからないまま、豪雨のお寺と神社と洋館を巡った記憶が残る。それでも「守ってあげなきゃ」「迷子になっちゃいけない」と、手をつないで歩き回ったことだけは思い出になっている。
サイパンなら文学談義はできまい。それに恋人同士で海外旅行に行けるなんて、まるでマンガみたいなシチュエーションだ。カノジョが水着に着替えたら、ってのもサイコーである。一応確認しておくと、父親の仕事は比較的自由が利いて有給も採りやすい。申し訳ないが、兄の仕事が詰まっていますように、と願わずにはいられなかった。
深夜帰宅した兄に確認が取れたのは、翌日の朝食の食卓。
「ムリ」
残念とか、妬ましいとかの感情さえもすり減っているのか、無表情に否定する。「なんだ、残念だね」と、感情を込めたような感情のない言葉を言って、「じゃあ、アヤちゃんに早速聞いてみるよ」と母親に告げ家を出た。
通学の朝の改札。アヤちゃんと同じ駅。
「ごめん、待った?」「ううん、ぜんぜん」のルーチン化した会話もなく落ち合う。「おはよう」の挨拶をして改札を抜け階段を上り、電車の到着を待つホームで、やっとサイパン旅行の話題を切り出した。
「いいのですか? 家族旅行にお邪魔してしまって」
常識はある娘なのです。それとやっぱり、自分の家族と離れて日本を離れるのも不安なのだろう。ホテルの部屋は母親と一緒になる、ビュッフェ食べ放題、五つ星ホテルなど、母親の受け売りの話題を持ち出し、「アヤちゃんの親には僕の母親から連絡してくれるって。もしそっちの親がダメっていうなら諦めるけど。それと、パスポート持ってないよね。取得には最低でも二週間かかるから、海外に行くとなったらちょっと面倒なんだ」と、正直に海外旅行へのいろいろな手続きを、これまた母親の受け売りで伝えた。大切なのは、旅行代金のこと。さすがに全く無料の全額負担で一緒に行くのも心苦しい筈。ここも正直に一人分の金額を伝える。
「そんなにお安いんですか~!」
どこかの通販番組のコメンテーターのようなセリフを言うくらい、高校生の貯金に若干割り増し料金した程度の金額だった。さすが格安海外旅行のH※S、そしてそれを探し当てた母親の才覚。
「四名、っていう条件があって、ツアー会社も空いたパックツアーを埋めるのが大変なんだって」
「わかりました、今日帰ったら聞いてみます。もしかしたら私のママから先に電話するかもしれない、って伝えておいてください」
一通りの話を終えたのが、降りる駅の車内だった。丁度反対方面から到着した電車から降りてきた乗客の流れと重なる。通勤通学ラッシュをかき分け改札を抜けた。
改札の先、少しだけ茶色味がかった髪の毛。赤いスマホと一緒に軽く手を振ると、鞄につけた塩ビ製のアイアンコングのスウィングが揺れる。
「おはよう、彩香、明君」
「サイパン行くんだ、いいなー」
基本アヤちゃんはエリさんに情報オープンである。
「まだ決まってないことなんだけど」
「大丈夫です、きっとママもパパも許してくれると思います」
「明君、紳士だって、いつも彩香は自慢してるんだものね」
まあそれは、度胸のなさと紙一重なのだけど。取り敢えず信用は獲得しているようだ。
「明君のご両親同伴なら心配ないよね。特にお父さんは楽しい人だし。
きっと海が綺麗だから、たくさん写真撮って見せてくれたら嬉しいな」
「だから、まだ決まってないんだけど」
揃った女子二人の話題に歯止めがかからない。結果的に、アヤちゃんの旅行に行く意志は固まってきているようだ。僕だって健全な高校生男子である。お付き合いしている女の子のプライベートな水着姿に興味が無いわけがない。だんだん現実味を帯びてくるサイパン旅行を妄想し、少し幸せになった時だった。
「おはようございます、柏崎さん、泊さん。相変わらずのリア充だな、オマエだけ爆発しろ」
自転車に跨った悪友が、校門直前で毒づいた。
「なんだ押川か。別にいいだろ、今更だし」
「カノジョ持ちは余裕だな。まあいい、それで今年も行くぞ、文芸部旅行」
「はい!」
押川は僕に聞いたはずだが、代わって小学校低学年生の如く、アヤちゃんが元気よく返事をする。
「今度の旅行は前橋です。朔太郎の世界に嵌って来ます」
ああ、そうだった。今年も行くんだ、文芸部旅行。
「もちろん俺は参加するぜ、それにお盆明けの課外授業も申し込んだ。現代文の講座だけ」
言うまでもないが、旅行引率も現代文課外担当もこいつが憧れている相沢先生である。身の程を知らない、というのは無敵である。
それにしても、なぜうちの高校の文芸部は、夏の真盛りに暑い場所を選ぶのだろう。よりによって内陸の暑さは殺人的である群馬県。だいたい「朔太郎」って誰だよ、とっとこ走るネズミの名前か? 『月に吠える』? グレートサーベル初登場のシーン? そんなイメージしか湧かない。
そして僕らは押川の心の平安を願い、サイパン旅行の件は黙っておくことにした。
「明君が一緒だし、今回私はパス。彩花のことお願いね」
やっぱり保護者的な立ち位置に見做されている気がする。
「それと残念だなあ。今年は荷電粒子砲の見学会、中止なんだよね」
そして深い溜息をつく。しかたないだろう、去年の夏、あんなことがあったのだから。
そんなこんなの話をしていた昇降口で、朝のSHRの予鈴が聞こえた。
夏休み一週間前、テストも終わって若干消化試合気味な授業日の始まりだった。
「その時期は秋の稼働実験に備えて準備作業が建て込んでいて、ちょっと休暇は取れそうもないんだ」
帰宅後、目に見えて落胆している母親と、それを見て更に落胆している父親の姿がリビングにあった。
「成田までの送迎ならできる。荷物運びの煩わしさは解消できるし、時間があれば近くで遊んでいくこともできるぞ。なあ、そんな顔するなよ」
母親は拗ねた子どものように無言になっている。よっぽど楽しみにしていたのだろう。
その時絶妙のタイミングで家の電話が鳴った。先ほどの落胆の様子から一転し、トーン高めに電話に出た母親の声質が、更に上昇する。
「あ、どーも。……いえいえこちらこそ、お世話になっています。……あ、大丈夫ですか。えぇ。……えーえー。……あ、アヤちゃんも楽しみにしているのですか。……いえいえ、こちらも突然でして……」(以下略)
主婦独特の【要点を微妙に逸らすスパイラルで結論に至る会話】。つまりアヤちゃんの旅行の承認の電話であった。一通り会話の後、電話を切った。漸近線に接し極小値方向に振り切れるグラフの如く落ち込んだ声で呟く。
「泊さんの同行、喜んで、って言われちゃた。
ねえ、あきらちゃん、誰か他に行く人いない? 押川君は?」
先述の通り、勉強熱心な悪友は、既にその時期現代文の課外を申し込んでいる。
「柏崎さんはどうだろう」
意外なことに、おもむろに口を開いたのは父親からだった。
「去年の事件からずっと考えていたんだ。彼女の大切なゾイドを奪ってしまったことを。
せめて弁償金だけでも支払おうとしたのに、たった一万円しか受け取ってくれなかった。あきらも知っているだろうが、あのアイアンコングMk-Ⅱ限定版は、ネットオークションでは数十万円で取り引きされている貴重品なのに、だ。
約束した施設見学も今年は無い。だからこそに、何かの形でお礼をしたいと思い続けていた。
どうだろうか」
「そうねそれがいいわ、ねえ、あきらちゃん」
母さん、あんまり話聞いてない。なんでもいいから賛成している気がする。
「ぼくは、別に……」と返答したものの、しかし僕の心中「別に……」どころではなく、リビングの三次元座標空間を走り回りたいほどに興奮していた。
二人の女子と一緒に海外リゾート、それもビーチリゾート! なんだそれ、嬉しいじゃないか。
たぶん僕が提案しても遠慮して同行を避けるかもしれないが、父親の言葉ならば納得してくれるに違いない。
「でもそうなると、柏崎さんのパスポート申請も必要となるわよね。取得しているのかしら」
少し冷静になった母親が、アヤちゃんと同じ問題を提起してきた。これも本人に聞いてみなければ解決できない。格安ツアーだけに、旅行業者への予約者名簿の提出期限が近く、早くしないと申し込みが流れてしまうそうだ。
「あきら、とにかく柏崎さんに電話してくれないか。後は父さんが話すから」
知らない仲でもなく、父親も純粋に素粒子物理学に興味を持つエリさんを気に入っていた。ましてやゾイド好きの女子であれば尚更だろう。
僕ははやる心を抑えつつ、早速携帯を取り出し、その場で電話をかけることにした。
数回コールしてエリさんに繋がった。
〝どうしたの?〟
「今朝話していたサイパン旅行についてなんだけど……」
一通りの経緯を話す。しきりに躊躇している口調のエリさんに対し、満を持して父親が電話口に代わる。エリさんに対して、技術者としてかなりリスペクトしている僕の父親の言葉は効果てきめんである。
「若いうちに海外の文化に触れ合うことも大事だと思いますよ。それに飛行機に慣れていると、後々役に立つと思います。もちろん、ウチの息子が失礼しないか心配なのかもしれませんが」
正直いって、上手い論法だ。表面的には自分の息子=僕をけなしているが、提案を断れば息子の父親に対しても失礼になる。恐らくはこの類の論法を駆使して、粒子加速器の施設整備予算も獲得してきたのだろう。そしてアイアンコングMk-Ⅱ限定版の代償を含めて説得すると、如何に聡明なエリさんとは言え、「はい」か「イエス」しか答えられなかった。携帯を返す時、小声で「感謝しろよ」と僕に囁いた。こんな父親を、僕も尊敬しています。
パスポートの経緯は詳しく話していなかったが、どうやら既に取得済みらしい。
話は早い。母親は早速業者への返信様式に記入を始めている。
女子二人と一緒に旅行!
「あ、あきらちゃんはお母さんと一緒の部屋だからね」
ですよねー。
それでも最高である。
夏休み来い、そして8月末に早くなれ!
こんな気分になったのは、学生生活で始めてだった。