サイパン島で彼女が水着に着替えたら―彼女のゾイドと荷電粒子砲・番外編 作:城元太
「昨日はごめんなさい」
朝起きて顔を合わせて一番の言葉だった。
「私のわがままで明君を困らせてしまったこと、反省しています。本当にごめんなさい」
ホテルの廊下の小さな窓から朝日が差し込み、艶やかな黒髪に“天使のリング”が光っている。
「私は明君が好きです。気持ちは変わりません。まだ好きでいることを、許してくれますか」
と微笑む。
何かを振り切った眩しい笑顔だった。
その時僕は誓った。全力でこの女性を、僕の彼女を守っていこうと。
時系列は昨日に戻る。
あの出来事があっての夜、母親が僕たちの部屋に戻ってきたのは九時(現地時間)をちょっと過ぎたくらいだった。
「彩香ちゃんはもう大丈夫だって。落ち着いたようだし」
不安ながらも何も言えず、ただ黙って母親の説明を聞くしかない。
「あきらちゃんも大変だったわね。でも、あの年頃の女の子だったらいろいろあるのもわかってあげてね」
「ありがとう、母さん」
とても素直に出た言葉だった。
「でも、大丈夫って……本当に大丈夫なの? いまさら僕が言える立場じゃないけど」
「あなたは自信を持ちなさい」
母親が静かに、しかし力強く言い放つ。
「立場とかどうとか言ってる場合じゃなくて、いま目の前の女の子を大切にできるかできないかって話でしょ?
好きだからこそわがままにもなる、若いならなおさらに。
母さんはね、自分の息子をそれだけ好きになってくれるひとがいるっていうのが嬉しいの。悪いと思うなら自分がモテることを恨みなさい!」
そして微笑む。
「女の子の気持ちは数学の公式じゃ解けないんだから、いろいろあって当たり前なの。今回はたまたま旅行中だったから母親として知ることになったけど、親が口出しするなんて変なことで、本当なら勝手に悩んで勝手に解決するものよ」
何も返せなかった。だが母親なりの思いやりが感じられ、本当に心強かった。
「明日朝になって、アヤちゃんに別れを切り出されたらそれっきりでいいじゃない。もしまだおつき合いをしたいというなら、今度は全力でおつき合いしなさい。でしょ?」
「うん」
確かにそうだ。やっぱり大人はこんな時に頼りになると、改めて感じる。
「別れたら思う存分絵梨ちゃんと遊べばいいでしょ。彩香ちゃんとは母さんが一緒にいてあげるから。もともとあきらちゃんが好きだったのは絵梨ちゃんだったんだしね」
「そんなあっさりはできないよ」
「じゃあ、男ひとりでビーチ遊びすることね、砂山作ってトンネル掘って」
それは絶対イヤだ。
「さあ、荷物整理をしておきなさい。大きな荷物も増えたようだし」
と言って、無造作に積まれた箱を眺める。確かにトランクに詰め込むのには苦労しそうだ。
「明日も泳ぐでしょ。楽しめるときには楽しめるだけ楽しんで、後で悩みなさい。今日はもうおしまい。さっさと寝ちゃいなさい」
部屋の灯りが落とされ、母親は浴室に入っていく。僕も枕元の灯りを消し、ベッドに横になる。
男と女の関係は数学の公式じゃ解けない。
アヤちゃんが言ったのは「ロジック」で、文系理系の違いはあれど、二人の示した意味は同じだった。脳みそに血が昇ってとても眠れそうもないと思っていたのに、昼間の海水浴と買い物の疲れが押し寄せたのか、母が浴室から出たことも気付かず眠りに落ちていたのだった。
眠りが深かったせいか、朝は六時に目が覚めた。といってもそれほど早起きという感覚はない。隣では母親がまだ気持ちよさそうに眠っている。カーテンの隙間から光の筋が白線を描いている。
僕はハーフパンツとポロシャツに着替え、ビーチを散歩することにした。
潮が退いていて今まで見えなかった岩礁やサンゴの鮮やかさも目にすることができる。相変わらず青空は広がっているが、遙か遠くの水平線ギリギリの場所に雲が澱んでいるのも見えた。もしかするとあの方向が日本だろうか。
海は昼間以上に透き通り、観光客がいない分波打ち際まで熱帯魚が近づき泳いでいる。この美しい海と景色とも今日でお別れなのだと思うと、急に勿体なくなってくる。
また来てみたい。それと父親が言っていたように、他にも地球の素晴らしさを実感できる場所にも旅をしてみたい。ひとり旅なのか、誰か一緒に来てくれる人との旅なのかはわからないけれど。
5cmほどの陸棲のヤドカリを見つけたあと、ホテルに戻る。
エレベーターに乗り、部屋の廊下に到着した時、小柄な女性の姿を目にしたのだった。そして――。
「私は明君が好きです。気持ちは変わりません。まだ好きでいることを、許してくれますか」
と微笑む。
何かを振り切った眩しい笑顔だった。
朝日に天使の輪を輝かせる彼女――泊彩香――さんを、全力で守っていこうと決心した直後だ。
「それは僕が決めることじゃない」
彼女は少し驚いた表情をした。
「誰かが誰かを好きでいることって、自由でいいんじゃない? でも好きでいてくれるならば、全力で好きをお返しするだけだよ」
回りくどい言い方だったけど、言語表現に親しんでいる彼女なら理解してくれると信じていた。
「これは頂いておきます。宝物ですから」
彼女の手には、昨日買った、凱龍輝をイメージさせるネックレスが載っている。
「このあと、デートしよう」
彼女は頷いた。
「おはようあきらちゃん、どこに行っていたのよ」
「ビーチの散歩。もうこの島ともお別れだからね」
「……来て、良かったでしょ」
「うん、来て良かった」
母親がカーテンを開けた。
さっきまで朝日の下を歩いていたのに、部屋に戻って暗さに慣れてしまい、外の明るさに一瞬幻惑される。
「今日もいい天気ねえ。それにしても、あなたその箱どうするの? 絶対入らないんじゃないの」
母親の指さす先、例の箱がトランクの上に積まれたままになっていた。
「どうしようかと思っているのだけど……」
「いっそのこと中身出して、箱も畳んで入れればいいんじゃない?」
僕の頭の上に浮かんだ電球が光るイメージ。
なるほど、その手があった。圧縮袋に詰めた衣類で包めば充分緩衝材になる。飛行機のカーゴルームに乱雑に放り投げられても大丈夫だろう。
早速荷物を整理し、箱を畳んで詰め込む。あっさりと悩みは解決した。
まだ食事の時間まで間がある。
「ちょっと、また散歩してくる」
「ひとりで?」
僕は言った。
「そのうち教えるよ」
ドアの外で待っていた彼女と一緒に再びエレベーターに乗り、僕たちは30分ほどビーチの散歩を楽しんだのだった。
朝食を終え、食後休憩を終えてのイレギュラーな自由時間。ツアー会社の空港へのバスは12時半に来ることになっている。最後のサイパン島を思いっきり遊ぶため、僕とアヤちゃん、そしてエリさんと母親と、みんなでビーチに繰り出した。
魚がいた。カニがいた。ナマコもいた。とびきりの笑顔で、僕たちは美しい海を満喫するつもりだった。
いつになくエリさんはやる気だった。
「最終日だから泳ぐんだ」
両肩のストレッチをしながら海面を見つめる。母親にクロックスを預け、上着を脱いで白ビキニのみの素肌を晒す。
「少しの間お兄ちゃんと一緒にスイミングスクールに通ってたんだ。だから久しぶりに遠泳してみる。マニャガハ島ではパラセーリングを選んだけど、実はスキューバもやってみたかったの。明君のお母さんが見ていてくれるから大丈夫だから」
素足になったエリさんは、プライベートビーチの防護ネットが貼られているブイの方向に向かって泳いでいく。そしてごく自然に「お兄ちゃん」との思い出が語られ、彼女のなかのわだかまりも解消したようだった。穏やかな海面をしなやかなフォームで泳ぐエリさんの姿に不安は感じられなかった。
比べて僕たち二人はのんびりと海水浴を楽しむ。浮き輪の縁には飾りのひもがついていて、それを引っ張りながら遊んでいた。
背が立つ深さの場所で浮き輪に身体を預け、ぷかぷか浮かんでいるアヤちゃんの浮き輪の端につかまりながら聞いてみた。
「タンクトップもヘソ出しも、もしかして僕のためにがんばってくれたの?」
「恥ずかしいです……そうですけど」
ちょっとだけ俯き、いきなり水をかけてきた。
「絵梨には身長もスタイルも敵わないから。でも、本当に似合ってた?」
「似合ってた」
僕は、浮き輪を押しながらバタ足で沖に向かう。やだやだコワい、と笑うアヤちゃんを無視して、遠くにアメリカ軍の補給艦が浮かぶ水平線へ泳いでいった。
20分くらい過ぎただろうか。はしゃぎ疲れて砂浜に戻る。水から上がると途端に地上の重力を感じ、一休みしようと二人肩を寄せてホテルのテラスに向かう。
パラソルの下で母親が手を振る。
(なにをいまさら?)
僕たちも手を振り返す。しかし。
様子がおかしい。母親はパラソルの下から駆け出して、しきりと海の方を指さしている。異変を感じて振り向いた。
母親の叫びが聞こえた。
「絵梨ちゃんが溺れてる!」
目を凝らすと、ブイの付近で不規則に浮き沈みしている手足が見えた。
シンクロナイズドスイミングをするなんて聞いていない。
日本の海水浴場なら監視員が見張っているが、ここにはいない。事は一刻を争う。
「アヤちゃん、浮き輪借りるよ」
はい、と受け取った浮き輪を手に、僕はクロックスを脱ぎ捨て走り出した。
直線距離で約30~50m、海面なので距離感がつかめない。そのまま泳げばすぐ到達するようにも見える。
だがすぐ思い直す。このまま最短距離で海に入ったら、陸を走るよりも時間がかかる。光の屈折のように密度の高い物質の中は極力短距離で移動するのがベストだ。となると、できるだけ近くまで陸上を走ってそこから海に入った方がいい。僕は刺すような砂浜の足裏の痛みも忘れ、目視可能な最短距離まで渚を走った。
エリさんの細い手がまっすぐ沈んでいく。最良の進入角を見据えると、浮き輪のひもを足首にがっちりと結び付け、バタ足とクロールと平泳ぎをミックスした無様な泳ぎでアヤさんが消えた辺りに到着した。
透き通った海の中、エリさんはすぐに見つかった。片足を抱え沈んでいる。水深は2mあるかないか。決して深い場所ではないが、身体が沈むには充分な深さである。
少しだけ潜って身体を引っ張り上げる。意識が遠のいていたのか、最初だらりとしていた腕が突然信じられない力でしがみ付いてきた。
「落ち着いて」なんて言葉は通じない。呼吸の苦しさからくる必死の無条件反射なのだ。
ごめん、エリさん。
僕は彼女の頬を、可能な限り力を抑えひっぱたいた。
「これ捉まって!」
足首にひもで結んだ浮き輪をたぐり寄せ、エリさんの目の前に差し出す。正気に戻った彼女は、最初浮き輪に捉まり、そして輪の中に身を委ね、水面に半身を出して激しく咳き込んだ。少し水を吐いたあと、目を腫らして、わっ と泣き出した。
「恐かった。本当に、死ぬかと思った……」
「もう大丈夫だよ。ほっぺた、痛かったよね。ごめんよ、どうしようもなくて」
「ううん、大丈夫。……ありがとう助けてくれて」
安心したからこそに恐怖感が溢れたのだろう。しばらく海の上で泣いていた。
「……落ち着いた」
「うん」
渚にはアヤちゃんと母親、そしてホテルの従業員が数人駆け付けている。時間にして数分に過ぎない出来事だった。
片手を浮き輪に乗せ、僕は手を振る。
「戻るよ」
「うん」
さっきまでアヤちゃんと遊んでいたのと同じように、エリさんを抱えた浮き輪を引っ張りながら、僕は渚に戻っていく。
足が立つ深さになった。
何か、母親とアヤちゃんが盛んに叫んでいる。
大丈夫だよ、心配ないから。
「水着、水着!」
え?
「あのね、さっき上の方、なくしちゃったみたい」
海水から半身を起こすと、彼女の胸が露わになっていた(以下略)。
「いいよ、見られて減るものでもないし。サイパンだし」
問題そこですか!
泣き笑いをする彼女の元に、アヤちゃんが夢中で駆け寄りパーカーを羽織らせる。なんかすごく睨まれた。
※
海から上がった直後、エリさんは足がもつれて歩けない状況だった。母親と僕とに支えられホテルに戻る時、泣き笑いの途切れ途切れであの時起こったことを教えてくれた。
「右足がつって、ちょっとバランスを崩したと思ったら今度は左足も痛くなって。両足動かなくなって焦って筋を伸ばそうとしたら急に沈み始めて」
フー、と深く溜息をつく。
「幻覚だってわかってるんだけど……見ちゃったんです。海底に沈んでいるゼロ戦や軍艦が私を吸い込もうとしていたのを。気持ち悪いとかじゃなくて、むしろ優しく迎え入れるように。
でも今考えると、とても恐い。あのままあっちの世界に吸い寄せられていたら……」
大脳への血流が減り酸素供給量が抑制されると、記憶と経験が混濁した大脳皮質が様々な幻想を見せるという。状況なんてその場で変わる。つまりは足がつってパニックになったということだ。
「だから明君が来てくれたとき、夢中でしがみついちゃった。こっちの世界に残っていたかったから」
弱々しく笑うが、笑顔に血の気が戻っていた。時折噎せ返って鼻をかんでいたりしたが、ホテルの部屋に戻る頃には両足のつりも収まり、気持ちも安定したようだった。
母親の話では、そのあと部屋の浴室の湯船にお湯を張って身体を温め、髪の毛に残っていた砂粒などを洗い落とし(※本当はビーチ備え付けのシャワーを利用する)、人肌に温めたミネラルウォーターで何度かうがいをしたという。
ホテル側がツアー会社へ連絡したらしく、フロントに救急医療を希望するかどうかの日本語の電話があった。母が言うには緊急時の海外旅行保険にも加入していたそうだが、実質的に国民健康保険制度のないアメリカ合衆国自治領のサイパンでは、一時金として膨大な治療費が請求されるのと、なによりエリさん本人の元気が回復していたので、結局、病院にかからずに済むことができた。
それでも他のツアー客と一緒に空港送迎バスのステップを登ろうとしたとき、彼女がフッとよろめいた。丁度後ろにいた僕は慌てて背中を受け止めることができたけれど。
「またやっちゃった。ありがと」
なんだか顔が赤い。熱でもあるのだろうか。彼女の前にいた母親が手を引き椅子に座ったあと、今度は僕の後ろにいたアヤちゃんがものすごく不機嫌な顔をしていた。
柔らかくて温かくて、意外ときゃしゃな彼女の背中を支えたとき、一部に硬いものの感触があった。
(もしかして、ブラの留め具? うわ~)
「明君のエッチ」
二人掛けのバスの席に座ってすぐだ。
「絵梨の背中を触ってニヤニヤして。全部顔に出てますから」
「えっ、えっ……ごめんなさい」
言い訳したって誤魔化し切れないから、謝った。つまり背中を触って感激していたことを認めたのであった。
サイパン国際空港に着いて、カウンターで搭乗チケットを提示し、トランクを預ける。ツアーガイドさんと別れ搭乗手続きを済まし、免税店などのショップを巡りつつ搭乗口に向かった。
僕の気のせいか自惚れなのか、どうもエリさんがやたら近づいてくるように感じる。そしてその回避行動の如く、アヤちゃんは反対側に僕を引っ張る。
「あれ見よう」「あっちのお店いってみよう」と、ときには全然興味の無さそうなお土産コーナーにまで引っ張られた。
そのうちに帰国便の搭乗口に到着し、成田の出国の時と同じように心地のよい待合のソファーにどっかと座り込む。女性三人揃って〝お花摘み〟にいってしまい、僕一人荷物番になった。
「疲れたな――でも、楽しかった」
最後の最後でエリさんの(中略)も見れたし。リアルな(中略)って、グラビアなんかに掲載されている巨(中略)アイドルと違って、慎ましいモノなんだな。でも白くって、柔らかいんだよな。実際しがみ付かれた時に(中略)を掴んだ感触を覚えていたりして。だってあれは【未必の故意】(※)だから免罪だよね。柔らかいんだよなぁ。それに先っちょの(略)もコリコリッとしていた感覚が……。
「何考えてたの」
「うわっ ごめん……な……さい?」
ソファーに仰向けになって空港の天井を見上げていた視界上に、前屈みになったエリさんが覗き込んでいた。てっきりアヤちゃんだと思って、咄嗟に謝っていた自分が情けない。
逆転する視線の先、開き気味の彼女の肩出しシャツの隙間から、(中略)の谷間が見えてドキッとした。
「サイパン楽しかったな、って思い出していたところだよ」
エリさんなら多少誤魔化しも効くだろうと、(中略)には触れない。いや、触れたけど。
「母さんたちは」
「意外と混んでいて。私だけ偶然早く出られたんだ」
まあ、女子ってその点大変だよね。
「ところで明君、ちょっと言っておきたいんだけど」
頭を正面に戻した僕の隣に座ったエリさんが、急に耳元に顔を近づけてくる。
右手のひらを添えて囁いた。
「あのね、私も好きになっちゃたみたい。あなたのことが」
※ この場合、【不可抗力】を使うべきですが、明君は意図せずして真意を吐露してしまっております。用語の使用法は、どうかお間違いないように(笑)。