まぁ、世代じゃないとは言え、彼の死は衝撃でしたからねぇ……
「ふぅ~……」
マホガニー製の大きな机に、巨体の女がどかりと腰を下ろした。
簡素な部屋だ。あるのは、机と椅子、少しの観葉植物。そして異質なのが、サンドバッグやバーベル等のトレーニング器材が並んでいるところだ。
これが社長室だと言って、一体何人の人間が信じるだろうか。
新春庭プロレスの社長、ニャントニオ・イノキの部屋である。
イノキがため息をついたのは、本日まで行われていた巡業での出来事のせいであった。
────
ウィンターローズ中心街。
身体の芯まで冷えるような寒空の下に、一箇所だけ、人間の熱気で溢れている場所があった。
『新春庭プロレス』と赤い文字で書かれた看板に、老若女が群がる。
武道館で、イノキをメーンエベンターとする興行があるのだ。
その控え室に、花束を持ってやってきた一団があった。
ウィンターローズ所属の騎士団長アクアと、ソヨゴら花騎士である。
アクアがコンコンとドアをノックすると、「どうぞ」と野太い声が聞こえてきた。
「し、失礼します……」
緊張した面持ちのアクア。部屋の中には、真っ赤なローブ姿のプロレスラー、ニャントニオ・イノキの姿があった。
(ほ、本物のイノキさんだ……)
緊張が最高潮に達し、茫然と立ち尽くすアクアに、イノキは優しい笑みを浮かべながら近づいた。
「これはこれは、アクア団長。お目に掛かれて幸栄です」
「こ、こちらこそ!」
差し出された大きな手に、アクアが両手で握手を返す。
整髪料の匂いが鼻を掠めた。嫌な香りではない。
イノキが身に纏っている真っ赤なローブには、龍の模様と共に『闘魂』の文字が大きく刻まれている。肌触りが良さそうだ。
相当な高級品なのだろうが、それが幾らなのか、アクアには全く見当が付かなかった。数百万か、あるいはもっとするのだろうか。
一般人ならば、そんな高級品を身に着けていたら、逆に
(何て『華』ですか……)
決して美形ではない。
身体はかなり大きいが、プロレスラーにはそれ以上の巨体が星の数ほど居る。
それでも、存在するだけで全てを虜にしてしまうような魅力が、イノキにはあった。
それは努力でどうにかなるものではない。天性のものだ。
「そ、それじゃあ頑張って下さい! では!」
足早にその場を後にするアクア一行。
部屋から出ても、アクアの心臓の高鳴りは止まることが無かった。
「団長、何でそんなに緊張してるんスか?」
ヤドリギが、アクアの真っ赤な顔を覗き込みながら言った。
「だ、だってイノキさんですよ! 子供の頃からファンだったんですよ!」
「へぇ~、でも『頑張って下さい』ってのは変じゃないッスか?」
「?」
「だって、プロレスって台本があるッスよね? 勝ち負けが決まってるのに、頑張りようが無いじゃないッスか?」
「や、ヤドリギちゃん! 何てことを!」
「奇譚の無い意見って奴ッス」
アクアが花騎士達の方に顔を向けると、彼女達はソヨゴを除き、皆バツの悪そうな顔をしている。
「まぁ……シナリオがあるわよね……」
「皆さん、身体を張ってて凄いとは思いますが……」
「え? え? そうなんですか?」
ソヨゴのみが困惑の表情を浮かべている。
「そ、そんなことありません! イノキさんはガチなんです! ストロングスタイルです!」
「まぁ……そう言われても仕方ないわな……」
そんないざこざを、イノキも聞いていた。詳しくは聞こえなかったが、プロレスの
花騎士達の言う通り、今日の試合は結果が決まっている。いや、結果だけではなく大まかな過程までも、台本によって決められてしまっている。
仕方ない……そう思うしかなかった。
殴り蹴り、投げ、関節を極める。それを
総合格闘技ならば良い。総合の試合は、大抵3~4ヶ月の期間を空けながら行われる。
だがプロレスの興行は、一年中行われている。一人のプロレスラーが担う試合数は年間百以上……選手によっては二百試合行う選手もいる。
ある程度試合の流れを作っておかねば、選手の身体が持つはずがないのだ。
一般人に「やらせ」だの「八百長」だのと揶揄されることもある。
だからこそイノキは『プロレス最強説』を提唱し、様々な異種格闘技戦を行ってきた。
それでも八百長論は消えなかった。
虚しかった。
春庭のありとあらゆる人間に、プロレスラーの強さを証明したかった。
強さとは一体何なのか……
────
(……ふっ、らしくねぇことを考えちまったな)
イノキは社長室の机の上で脚を組んでいる。
結局試合はイノキの勝利で終わった。と言っても、最初から決められていた結果なのだが……。
イノキは部屋に置いてあるバーベルに近付くと、
「ふっ!」
片手で軽々と持ち上げてしまった。
一枚20kg のプレートが左右3枚ずつ、計120kg。自分の体重を超えるバーベルを、イノキは片手で持ち上げ、まるでラジオ体操をするような涼しい顔で上下し始めた。
右手で10回行うと、左手に持ち替えてまた10回。それを何度も行っていく。
──最初は、この半分も持ち上げられなかったな。
イノキは若かりし頃を想起していた。
17歳の頃、元力士の力豪山にスカウトされたことから、彼女による地獄のしごきが始まった。
いや、しごきなどという言葉で表されるものではない。あれは拷問だ。犯罪行為だ。
スクワットを3000回やらされ、練習部屋を汗の海にした。
金属バットで殴られ、骨が何本折れたか分からない。
身体を作るため、ちゃんこを吐くまで喰わされた。
毎日、血の小便を流した。
それでも私は弱音を吐かなかった。歯を食いしばって耐えた。
何故か。強くなるためじゃなかったのか。
最初、プロレスとは常に真剣勝負をする場なのだと思っていた。20を過ぎたくらいに、先輩からプロレスとは
納得がいかなかった。何故強い者が勝ってはいけないのか。何故実力で這い上がることが出来ないのか。
だが、所詮プロレス団体の一員である私では、そういった不条理を覆すことは出来なかった。それは、社長となった今でも変わらない。
──本気の勝負をしたい。
42歳。肉体の全盛期は当に過ぎている。格闘家として、あと何年持つか……。老いが始まる前に、自分の中にある格闘技術を、思う存分使ってみたかった。
プロレスのリングでは使えないような、危険な技を幾つも学んだ。異種格闘家との戦い方も熟知している。打撃だって、並みのボクサー程度なら引けを取らないと自負している。
負ける気がしない。例えMMA(総合格闘技)のヘヴィ級チャンピオンだろうと、
だが、そんな技術を腐らせ、老いていく。これだけは許せなかった。
イノキの中に、激しい感情が沸々と湧き上がってきた。
────
同じ頃、MMAで大波乱が起こっていた。
オクタゴンの中でうずくまる巨体の黒人選手。ヘヴィ級チャンピオンのボブだ。いや、元チャンピオンか。
一方、涼しい顔をしてオクタゴンから出てきた選手が一人。その選手が、セコンドの少女に右手を上げさせられると、会場からは割れんばかりの歓声が響き渡った。
新チャンピオン、マイクの誕生である。
「はっはっはっ! まさかここまで圧倒的とはな! 流石余の技術力だ!」
控え室で身体を仰け反らせながら高笑いしているのは、先程のセコンドの少女、天才科学者のカマボコ博士だ。
「ご主人、久々の登場だからご機嫌だね」
隣には人造花騎士、アーティの姿もあった。
先程の試合は、僅か一分でマイクのKO勝ちとなった。
相手のストレートをかわしてからの、飛びつき腕十字固め。サンボでよく使われる技だ。
「この世界のありとあらゆる格闘技術をインプットしてあるからな。MMAロボ、マイクに敵う格闘家など存在せんわ!」
「ソノトオリデス、ドクター・カマボコ」
マイクは柔軟体操をしていた。しかし、人間の行う柔軟体操とは全く異なっている。
右腕が背中を通り、腹を通り抜け、右わき腹まで到達してしまうのだ。異常な柔軟性であった。
「良い筋肉だ。流石、余が研究に研究を重ねて造り上げた肉体なだけはある」
「ヘヴィ級ボクサーのパンチ力、ムエタイのキック力、バナナリアン柔術の
「ハイ」
「グフフ……よぉし! これからマイクでガッポリ儲けるぞ~!」
マイクの快進撃は止まることがない。あらゆる格闘技のあらゆる階級のチャンピオンを倒していく。
その常軌を逸した強さは、新聞等でも連日報道された。
「ドクター、ワタシはモットツヨイアイテとタタカイタイ!」
「うむ、当然だ。もっと強い対戦相手を用意しよう」
「グガァァァ!」
マイクの相手は人間を離れ、羆や虎に。
「ギャァァァ!」
大型害虫に。
「ま、参りました……」
果ては花騎士までも倒してしまった。
「モット……モットツヨイアイテがホシイ……!」
「どうだね? 誰かマイクに挑戦しようと言う者はいないかね?」
記者会見にて、ドヤ顔のカマボコがそう言った。
「しかしカマボコ博士、マイク選手はあまりにも強すぎます。最早生物の手に負えるものでは……」
「1000億だ」
その一声に、記者達は静まり返ってしまう。
「マイクに勝てた者には、1000億ゴールドを支払う。どうだ? ここまで言われても何も出来ない腰抜けしかいないのか?」
(アクアよ、この挑戦を受けろ……)
カマボコの瞳は、レンズの先のアクアに向かっていた。元よりマイクは、アクアを倒すために造られた存在なのだ。
しかし、会見場に現れたのは、誰もが予想だにしなかった人物だった。
────
「史上最強のトータルファイターロボ……だと?」
社長室で新聞を読んでいたイノキが、思わず唸った。
マイクの試合を幾つか見てみた。確かに強い。異常な強さだ。
その時、一つの考えが、イノキの中に過った。
──自分がマイクに挑戦出来ないか。
「……まさか」
思わず苦笑いしてしまう。現役のMMAチャンピオンが勝てなかったのだ。自分のような、引退に片足を突っ込んでいるプロレスラーを相手にしてくれるとは思えない。
しかし、もしも、もしも戦うことが出来たのなら。
使えるのではないか。リングで使えないような技が。一歩間違えれば殺人者になり得るような技が。
イノキ、お前は今幾つだ。あと何年戦える。その肉体をいつまで維持出来る。
国民的なスターにはなれた。だがそれで満足か。
お前の本当の夢は何だったのだ。強くなることじゃなかったのか。世界最強になりたかったんじゃないのか。
何のために血の小便を流した。
しかし、マイクと戦えば、最悪死ぬ。
死んでも構わない。死んでもいいじゃないか。
本当の、本当に全力を尽くすことが出来たのなら、本望じゃないか。
イノキの中に、止めることの出来ない熱い思いが、次々と生まれていく。
イノキの眼付きが変わった。『闘魂』のローブを羽織り、社長室を出ていく。
「社長ッ!」
社長室の前に並んでいたのは、新春庭プロレスの選手達だった。
「ご武運をッ!」
「……シャアッ!!!」
イノキは、大きく右拳を突き上げ、記者会見場へ向かうのだった。
────
そして今、カマボコ達の前に、『燃える闘魂』が立っている。
「おやおや、誰かと思えば、国民的スターのニャントニオ・イノキ殿じゃないか。我々に何か用かな?」
カマボコは、挑発的な目でイノキを見上げる。
「言わなくても分かるだろう? アンタらの挑戦、私が買ってやるってことだよ」
「……うん?」
聞こえなかったかのように、カマボコは耳を立てる仕草をした。
「聞き間違いかな? 今、『挑戦を受ける』と言ったようだが……」
「聞き間違いじゃねぇよ」
「……ふふ」
カマボコは嘲笑した。
「イノキ殿、何か勘違いをしていないか? これは真剣勝負なんだ。我々は八百長はぶべらぁぁぁっ!」
カマボコの身体は壁際まで吹っ飛ばされていた。その頬がポンポンに腫れている。イノキのビンタが当たったのだ。
「な、何をするかぁ!?」
「アンタじゃねぇ……こいつに聞いてるんだよ」
そう言ってイノキは、闘志を宿した瞳をマイクに向けた。
「……」
しばらく睨み合う二人。記者達が生唾を飲む程の緊張感。そしてマイクが、その緊張を破った。
「ヤル。イノキサン、アナタとタタカイタイ!」
「ふふっ……」
イノキが笑みを返す。
こうして、世紀のスペシャルマッチが幕を開けたのだった。
イノキ編を終えたら、普通に花騎士SSを書こうと思います。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。