IS〈インフィニット・ストラトス〉-IaI   作:SDデバイス

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 ▼▼▼

 

 ――空が青い。

 

 そんな事はこの世界に生まれ落ちたその日から知っているし、何故そう見えるのかも幻想の欠片も入り込めない長々とした真実を語ることも出来る。

 ただ空が青いという、当たり前である筈のその事実が心に染み渡った。消えた天井から覗く青空を観ているだけで涙が溢れて止まらなかった。

 何故かといえばこの青空を観ていることは、観れるということは、それ即ちわたしが今もこの生命を存続させている証であるからに他ならない。

 

「どーよ」

 

 室内の中で天井が落ちればどうなるか。内部に存在するその総てが下敷きになる。物が上から下へ落ちるなんて、それはわたしでなくても問題ですら無い。その位に当たり前の事象。

 雨露から内部のモノを守る役目を放棄して、内部を侵す瓦礫と化した”それ”は、眼下に在ったわたしを挽肉にするはずだった。

 崩落の具合、瓦礫の大きさ、脱出経路までの距離――といった要素の総てがその結果(挽肉)を示していた。他の有象無象は知らないが、わたしには刹那の間もあればそれを導きだすことができた。

 けれどもわたしは潰れなかった。

 真ん中の辺りでぱっくり二つに()たれたそれは、中心に在ったわたしを左右に避けて降った。世のあらゆるものを正しく紐解いてきたわたしの計算は――それによって導き出された絶対であるはずの結果(運命)は、今ここに覆された。

 

「生きてるってのは、それだけで嬉しいんだからさ」

 

 一体どうすればそこまで負荷をかける事が出来たのか。わたし同様瓦礫の直撃を避けた筈なのに、眼前に在る身体は全身余す所無く壊れている。走り抜けた衝撃が吹き飛ばしたのか、衣服はあちこちが内側から弾ける様に破れていて、またそこから決して少なくない量の血液が流れ落ちていた。

 中でも両腕の壊れ方は群を抜いていた。両腕ともあらぬ方向にねじれ(・・・)曲がったからか、白い骨が露出してしまっている。血液は流れ落ちるというよりも噴き出しているというべきだ。特に鉄骨をガムテープでぐるぐる巻きに縛り付けた右腕は、その重みで今にも半ばから千切れ落ちそうだ。

 医学の知識は特に興味も無かったので最低限度しか齧っていないが、その両腕がもう一生使いものにならない事は明らかだった。

 腕は露出しているから直ぐに判断できただけで、目を向ければ衣服で隠れたシルエットの各所が人体として異常な線を描いている。ただ見えないだけで、全身がもう直せないほどに壊れているのかもしれない。

 

「――――人生ってのも、そう捨てたもんじゃねーだろ?」

 

 物理的な意味で一生を費やして、わたしに降りる筈だった運命を文字通り左右に切り分けたそいつは、ぼろ切れ同然の身体を引き摺りながら笑ってみせた。

 子供の頃と変わらない悪ガキの如き笑顔。

 これまで忌忌忌忌しくしか感じ無かった笑顔。

 

 けれども今は、その笑顔がどうしようもなく輝いて見えた。

 

 向けられた笑顔と対照的に、わたしは言葉も無く涙を流し続ける。

 心の奥底に点いて、全身を焦がすように駆け巡るその感情がどういうものなか、その時のわたしには未だ理解できなかった。

 

 ▽▽▽

 

 清潔感のある室内に、突如変化が訪れた。ひょこっ、なんて擬音が似合いそうな様子で、物陰から誰かが顔を出す。

「うふふふふふふふふふふふふふ」

 不審者である。

 灯りの落ちた深夜の病室に、音もなくその身を滑り込ませたその女性は軽やかなステップで室内にあるベッドへと歩み寄る。

 一転しておっかなびっくりおそるおそるといった様子で、女性は指先を伸ばす。ベッドの上で眠る少年は傍らに不審者が居る事等露知らず穏やかな寝息を立てている。

 少年の頬をつんつんと壊れ物を扱うように突っつきながら、女性――篠ノ之束はその顔をにへらあ~とだらしなく緩ませた。一方つつかれた少年は何の反応も返さない。数日前に運び込まれて以来、少年はこんな風に意識不明のまま眠り続けていた。

 

「――――――はっ!?」

 

 頬をつついては笑顔になるという行動を繰り返し、一時間が過ぎた所で束は驚愕の声を上げた。何という魔性……! と呟きながら後退る(変質者)。しかし時間帯的に彼女の挙動に指摘を入れる者は存在しない。

「さあさあ出番だよ。ようやくほんとうの出番だよ」

 彼女が何処からとも無く取り出したのは、球形立体のクリスタルが一つ。その挙動と同時に無数の機材が光の粒子を散らして出現。病室はすっかり無数の機材で埋め尽くされ、足の踏み場どころか床が露出している部分すら無かった。

 とん、と軽い音を立ててクリスタルがベッドの上――眠る少年の胸にそっと置かれた。瞬間クリスタルがぼうと光を宿し、周囲の機材が呼応するかのように鳴動を開始する。

 

【”登録搭乗者との物理的な接続を確認しました。最適化処理(フィッティング)初期段階(ゼロ・フェイズ)を開始します”】

 

 その声ではない音声を切欠とし、機材は本格的にその機能を開始した。無数のケーブルが這うように伸びて中心にある肉体に群がっていく。あるタイプは張り付いて少年と機材を接続させる。またあるタイプは皮を破って肉体を潜り少年と機材を接続させる。

「ふんふんーふーんふん。大体思った通りかなあ~?」

 虚空に現れた無数のウインドウが膨大な情報を表示し、そして高速で更新していく。それらを総てきっちり認識しながら、指先は出現した空中投影型のキーボードの上を滑っている。

「はーい、赤上げてー、白上げてー、白下げないで赤下げなーい」

【赤と白の定義が設定されていません】

「ありゃりゃ、束さんうっかり。赤は右手で白は左手にしよう。気を取り直してれっつとらい! 赤上げてー、白上げてー、白下げないで赤下げて~」

 大雑把に言うと人間の身体は脳から送られた信号に従ってその身体を稼動させる。極端な話だが、信号があれば肉体は動く。その発信源が脳でなくとも。

 束の命じた『赤上げて、白上げて、白下げないで、赤下げて』とはつまり『右腕を上げろ、左腕を上げろ、左腕を下げない、右腕を下げて』――その通りに、肉体を可動させろという事である。

 

「――――だろうと思ったよどちくしょうめ」

 

 左足が動いて、首が傾いて、右手が変な方向に行って、胴が捻れた。

 『命令』である信号に対し正常な人間ではあり得ない『反応』をした少年を見て、束は満面の笑みで言葉を吐き捨てる。

【ラインの構築が終了しました】

「うーんよくできました。さすが束さんの愛し子ちゃん。じゃあ後はとにかく情報を逐一送って送って送ってね! それと学習も忘れちゃ駄目だよ?」

【はい】

 ずるずるとケーブルが機材に巻き戻されていき、一つ、また一つと機材が光と共に姿を消していく。そしてクリスタルもまた姿を消していた。束が回収したのか――それとも何処かへ身を隠したのかは、にこにこと笑う束のみ知る事だ。機械で埋まっていた部屋が、元の清潔感を感じさせる病室に戻るまで一分もかからなかった。

「うーんうんうんうーん。敵は文字ばけ、世界規模~」

 エンターキーの一叩きを合図として、無数に出現していた空中投影型キーボードも総て姿を消した。完全に元の病室に戻った部屋の中で、束は再び眠る少年の顔を覗き込んだ。

 そこに先程までの安らかな寝顔は無く、少年は苦しそうに呻いている。額には無数の汗が浮かんで流れ落ち、呼吸も見るからに荒い。

 第三者がこの場に居れば、悪夢を見ていると思い揺り起こすか、もしくは体調を崩していると判断して人を呼ぶだろう。

 しかし束はどちらもしなかった。起こしてもまだ(・・)起きないし、普通の医者ではどうしようもない。それを知っている故に。では何をしたかといえば、とりゃーと間の抜けた掛け声と共にベッドにダイブした。そうして自分よりいくらか小さい少年の身体を抱き枕のように抱え込む。

 何のためにそうしたかといえば――束がそうしたかったから。

 それが総て、それオンリー。

 

「追い付いたよ」

 

 深夜の病室には他に居るのは束と少年ふたりだけ。だから耳元で囁いたその言葉は少年以外には誰にも届かない。元々他の誰かに届ける気もない。

 

 

「――――今度は、絶対逃がさないからね。ふふふ、うふふふふふ」

 

 

 ▼▼▼

 

 伸ばした指先が小刻みにぶるぶると震えている。ああ、どうやらわたしはこんなにも勇気というものを持ち合わせていなかったようだ。これでは今後に響く事は間違いない。ここも改善すべき点だろうか。

 特に何の変哲も無い民家のインターホンを一押しする。ただそれだけのために、わたしは一時間近く時間を要した。

 

 ピンポン、と音が鳴る。

 

 胸の奥にある心臓(ポンプ)がいつもより活発に活動している。まだ肌寒い時期なのに酷く暑い。喉が乾いて仕方がなかった。このままでは発声に支障が出かねないので、唾液を飲み込んだ。

 あの日から、持てる総てを費やして罪滅しのために生きてきた。本当はもっと速くにここに来れる筈だったのに、世の中というのはわたしが思っていたよりも面倒だった。というか馬鹿が多過ぎる。お陰で無駄な寄り道を何度もしなければいけなかった。

 しかし野望は成就された。

 そして、今日それをわたしは届けに来た。この想いと共に。

 

 ――はーい、と屋内から声。

 

 声が望んでいた相手でない事に、嬉しさ半分悲しさ半分。直ぐにでも――ドアをぶち破ってでも会いたい、けれども顔を合わせる事が怖い。拒絶されるという可能性だってある。そうなったらどうなってしまうかわからない。

 しかし、既に賽は投げられた。

 パタパタと足音の後に、ガチャリとドアが開いた。顔を覗かせたのは長い黒髪を適当に後ろ手束ねている少女。名前は『■■(まどか)』、あの人の妹だ。わたしを見て驚いた様な顔になった少女に無難な挨拶を交わし、直ぐに本題を切り出した。

 

「そんな人、我が家にはおりませんが」

 

 眼前の一個体が何を言っているのか、理解できなかった。そしてわたしにしては珍しく、心底焦った。心のままに眼前の相手にまくし立てる。わたしはこんなに大きな声が出せたのだと、その日初めて知ったくらいだ。

 兄の事を覚えていないなんて、そんな事ありえない。キャラがとびきり濃い訳ではなかったが、それでも関わった相手の心に思うところを残していくような人だった。

 

「いや。私は一人娘です。兄どころか姉妹も居ません」

 

 きっとこれは何か双方の意思の行き違いだ。そうに違いない。今この家に不在というだけで、住処を移しているのかもしれない。しかし現実はわたしの希望を容赦なく叩き壊す。

 

『…………………………え?』

 

 掠れた声が、口から漏れた。膝から崩れ落ちたわたしに、少女が心配したのか駆け寄ってくる。声をかけられ軽く揺すぶられながらわたしは首を上に向ける。

 

 見上げた空は、あの日の様に綺麗な青。

 でもあの時は確かに居た、あの人は居ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 総てが終わっていたその瞬間が、わたしの旅路の始まりだった。

 

 

 


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