IS〈インフィニット・ストラトス〉-IaI   作:SDデバイス

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 ▽▽▽

 

 『IS学園』

 

 ISの操縦者育成を目的とした教育機関であり、その運営および資金調達には原則として日本国が行う義務を負う。ただし、当機関で得られた技術などは協定参加国の共有財産として公開する義務があり、また黙秘、隠匿を行う権利は日本国にはない。また当機関内におけるいかなる問題にも日本国は公正に介入し、協定参加国全体が理解できる解決をすることを義務づける。また入学に際しては協定参加国の国籍を持つ者には無条件に門戸を開き、また日本国での生活を保障すること。

 

 ――IS運用協定『IS操縦者育成機関について』の項より抜粋。

 

 ▽▽▽

 

 

 ここから消えてなくなりたい。今直ぐに。早急に。

 

 教壇の上では現在進行形で眼鏡をかけた小柄な副担任が何か話をしている。が、さっきから話がまるで頭に入ってこない。というか聞いている余裕が無い。

 教室はしんと静まり返っていて、副担任の先生の声以外一切音がない。それがまた苦痛だ。否が応にも自分が置かれている状況を思い知ってしまう。

 もし今までの人生で一番辛い日は何時かと聞かれたら、俺はこの先何があっても今日だと答えるだろう。

 

 今日は高校の入学式。

 クラスメートが全員女子――というか、学校で男子は俺だけ。

 そんな、入学式。

 

(――――――――――きつい)

 俺の席の位置は中央の前列。教室の誰からも見える位置。だがこの視線の束は位置でなく、唯一の『男』という俺の存在そのものが引き起こしているのだろう。

 背中に突き刺さる無数の視線視線視線視線視線視線視線――度を超えた視姦は下手な暴力を超える。俺はそれを今日身を以て理解した。こんなの死ぬまで知りたくなかったよちくしょうめ。

 現在の状況は酷く混沌としているが、ここに到るまでの経緯は酷く単純だ。俺はISを動かせるから、専門の教育機関であるIS学園に入学した。それだけ。

 問題なのはISは原則として女性にしか扱えないという事。そしてここはISを扱う学園なのだから、その生徒は全員女子。

 

 ――はい、地獄の様な状況の出来上がり。

 

 震えそうになる身体とカチカチと鳴りそうな歯を気合で押さえ込みながら、俺はただ耐える。この時間が一刻も早く過ぎ去ってくれることを祈りながら。

 そうそう、もしも過去に行けるのならば今とてもやりたいことがある。女の子いっぱいの学園生活を想像し、実は浮かれていた過去の己を全力で殴り飛ばしてくれる。

 女の子いっぱいの空間がこんなにも居辛いものだなんて知らなかった。更に男が俺一人なせいか、肌で感じ取れる程にクラスメートの意識が俺へと注がれている。まあ女の子に囲まれるなんて一部の人以外まずありえないのだから解らなくて当然とも思うが。

(……別に俺の人生が寂しいわけじゃない解らないほうが普通なんだようん)

 いかん、違う方向に折れそうになった。

 ともかく『今』も『前』も囲まれるどころか交流経験が殆ど無い。こんな状況で平気で居られる訳がない。

 あ、仲の良い女子は居たがそいつとは悪友と呼ぶべき関係……いやあ、下僕と主人の関係だったかもしれんなあ。言うまでもなく俺が下僕の方で。

 しばらくは自分が置かれている状況も忘れて蘇る記憶(トラウマ)に浸っていたが、ふいに感じた違和感に従って顔を横に向ける。

 違和感の正体は一つの視線だった。いや視線自体は近所に配って回りたいくらい浴びているのだが、その中でも異質というか、ともかく他とは違うその視線。

 一人の女の子と――まあ女子しか居ないから女子なのは必然なんだけど――目が合った。

 篠ノ之箒(しのののほうき)

 彼女がこのクラスに居ることはクラス名簿で名前を見つけて初めて知った。

 一応、このクラスの中で唯一俺――いや、『織斑一夏』と面識のある人間だ。彼女と『織斑一夏』はいわゆる幼馴染という間柄に値する。

(彼女が……篠ノ之箒、さん)

 目が合った途端、篠ノ之箒はふいと視線を逸らしてしまった。確か彼女と『織斑一夏』の交流が途絶えてからは既に六年近く経過している筈だ。もしかしたらこちらの事を覚えていないのかもしれない。

 そうであるとこちらも少しは気が楽なのだが。

「――くん、織斑一夏くんっ!」

「はい゛っ!?」

 篠ノ之箒に傾いていた注意が強引に声の方向へと引っ張られる。反射的に返事をしたら思いっきり舌を噛んだ。

 俺の醜態に対し、教室のあちこちからクスクスと小さな笑いが聞こえてくる。穴があったら入りたいというか、穴を掘ってもいいですか。

「だ、大丈夫? び、びっくりさせてごめんね。お、怒ってる? 怒ってるかな? ゴメンね、ゴメンね! でもね、あのね自己紹介、『あ』から始まって今『お』なんだよね。だからね、ご、ゴメンね? 自己紹介してくれるかな?」

 口内で発生した激痛に悶える俺に対し、とても申し訳なさそうに頭を下げながら話しかけてくる副担任の先生もまた女性。今気付いたが、黒板の前に浮遊するウインドウに『山田真耶』と表示されている。恐らくそれがこの先生の名前であろう。

 今は教壇の上に立っているのでわかりにくいが、かなり小柄な女性だ。加えて容姿も幼さが強い。教師なのだから当然こちらより年上なのだろうが、同年代――下手をすればもっと下にも見える。

 普段ならこんなにも可愛い女性が自分達のクラスを受け持つと聞かされれば雄叫びと共にガッツポーズの七つもするのだが、その余力は残っていなかった。

 そういえばこの山田先生は副担任らしいが、ならば担任は誰なのだろう。いや女性なのはわかるけど、何で担任なのに今居ないんだろうか。

「え、っと……『お』はまだ俺の番じゃ――――じゃなかった。わ、わかりました自己紹介! 自己紹介ですね。や、やります、今直ぐやります!」

 

 久しぶりに、間違えかけた。

 

 迂闊さに焦りつつも、自分の中からそれが消えていない事に少し安堵する。

 山田先生が俺の言葉に疑問を感じる暇を与えぬよう、椅子を鳴らして立ち上がる。そしてくるりと反転して、クラスメートに向き直った。

(――――――、)

 ザー、と音が聞こえる。うん、まあ顔の血の気が引く音ですこれ。

 このクラスは総勢三十名。男は俺一人だから一を引いて、残りである二十九が目の前に居る女性の数。彼女達の持つ五十八の瞳から放たれる視線が容赦なく俺に突き刺さる。後ろから感じる二つは山田先生だろうか。つまりはクラスの全員が一人残らず、俺に注目していた。その強烈な視線は一挙手一投足を見逃さないと語る様だ。

「お、織斑一夏、です…………よ、よろしく、お願いします…………」

 やべえ声おもいっきり引き攣った。

 一礼の後に顔を上げると、期待に満ちた無数の視線が眼に入る。彼女達の目は、明らかにこれから始まるであろう俺の話に期待を寄せている。

(え何このさあ次はってこの空気いやこれ以上何言えっていうのさ大体もう立ってるだけでいっぱいいっぱいなんですけど本当勘弁してくださいお願いします謝りますから)

 だらだらだらと噴き出る冷や汗が流れ落ちて行く。何を言うかはまるで思いつかないが、このまま黙り続けている訳にもいかない。意を決して、俺は息を深く吸い込む。

 

「以上!!」

 

 女子が何人かずっこけた。

 いや本当ごめんなさい無駄に長引かせて。でもほら、終わりは結構凛々しく締められたと自負しております。これで何とかご勘弁を願いたい。

 

 べしんっ

 

 自席にて妙な満足感に浸っていると、突如頭を思いっきり叩かれた。俺の意志とはまるで無関係にあらぬ方向にぐりんと傾く首。遅れてやってくる鈍痛。

 人間という生き物は例えその内容が自分にとって災いであっても、慣れ親しんだものはそれはもう鮮明に記憶する。殴り方や威力で、その相手を特定させる程に。

「まさか――」

 そして、そこには思った通りの人物がいた。黒い髪、黒いスーツ、黒いタイトスカート。長身の身体は鍛え上げてられているのに分厚いというよりもすらりとしたシルエットをしている。何よりも印象的なのは、その釣り上げられた目の放つ獣の如き鋭い眼光だろう。

 彼女は『織斑一夏』の実の姉であり、唯一の家族でもある。

 職業不詳。

 月に一、二回しか家に帰って来ない。

 知る限り最強の姉。

 密かにその内姉の枠を超えて人類最強になるんじゃないかと危惧している。

 

 そして、『俺』がこの世で一番世話になっている女性。

 彼女の名前は『織斑千冬(おりむらちふゆ)』。

 

「ち、」

「学校では織斑先生だ」

「まだ一文字なのに…………」

 千冬さん、と言おうとしたらはたかれた。

 なんということでしょう。右しか向けなかった首が今度は左しか向けないように!!

「あ、織斑先生。もう会議は終わられたんですか?」

「ああ、山田君。クラスへの挨拶を押し付けてすまなかったな」

「い、いえっ。副担任ですから、これくらいはしないと……」

 山田先生には打って変わって優しい声色で応じる実の姉の横で、俺は必死に首の方向の矯正を試みる。くそう、今度は右に行き過ぎた。

「諸君、私が織斑千冬だ。君たち新人を一年で使い物になる操縦者に育てるのが仕事だ。私の言うことはよく聴き、よく理解しろ。出来ない者には出来るまで指導してやる。私の仕事は弱冠一五才を一六才までに鍛え抜くことだ。逆らってもいいが、私の言うことは聞け。いいな」

 有無を言わさぬ断固とした口調。

 流石に俺はもう慣れているし(平気という訳ではない)、むしろ彼女はこうでなければとすら思える。でも他のクラスメートには流石にキツすぎるんじゃないだろうか。

 

「キャ――――――! 千冬様、本物の千冬様よ!」

「ずっとファンでした!」

「私、お姉様に憧れてこの学園に来たんです! 北九州から!!」

「あの千冬様にご指導いただけるなんて嬉しいです!」

「私、お姉様のためなら死ねます!」

 

 何で超受け入れられてるんだよちくしょう俺が間違ってる気になってきた。

 机に突っ伏した俺の真上を通り過ぎた黄色い声が、絶え間なく壇上の千冬さんへと降り注いているのが見ずとも感じられる。

「……毎年、よくもこれだけ馬鹿者が集まるものだ。感心させられる。それとも何か? 私のクラスにだけ馬鹿者を集中させてるのか?」

 騒がしさを増す女子に実の姉は凄まじく鬱陶しそうに顔をしかめた。それはきっと飾り気の無い本音であろう。例えそれで相手との関係が悪化するのだとしても、彼女はこういう時躊躇わずに発言する。

 

「きゃあああああああああっ! お姉様! もっと叱って! 罵って!!」

「でも時には優しくして!」

「そしてつけあがらないように躾をして~!」

 

 もう嫌だこのクラス本当に嫌だ理解出来ないしたくない頭痛い誰か助けて。

「で? 挨拶も満足にできんのか、お前は」

「いやさっき普通にしたんですが。ていうか千冬さんってここで、」

 べしんっ。

「織斑先生と呼べ」

「了解であります、織斑先生」

 『そろそろぱっくり割れそうなんだが』という事を訴えてくる自分の頭を抑えながら何とか返事をした。頭もだがこう何度も左右を行き来している首もそろそろ心配である。

「え……? 織斑くんって、千冬様と知り合い……?」

「親戚とかなのかな……? もしかして姉弟だったりして?」

「それじゃあ世界で唯一男で『IS(アイエス)』を扱えるっていうのもそれが関係して……?」

 教室のあちこちからちらほらそんな声が聞こえてくる。

 どうやら俺――というか『織斑一夏』と『織斑千冬』が姉弟だという事は知られていなかったらしい。割と珍しい苗字だから直ぐわかりそうなもんだが。

「ああっ、いいなぁっ……! 代わって欲しいなぁっ……!!」

(…………『代わる』、かあ。含みはないんだろうけどねー)

 考えてどうにかなるものではないけれど、それでも俺はこれを考えるのをやめてはいけないんだろう。名前も知らないそこの君、自分でない誰かに代わるのは身を削るほど大変だからあまりオススメできないよ。

 視線。

 教室の視線の殆どが織斑千冬に注がれている中、明らかに織斑一夏に向いている視線がある。それは教室を飛び交う熱っぽいそれとは対象的に、どこか冷めた視線だった。

 横目でちらりと確認すると、視線の主は篠ノ之箒だった。先程までは窓の外へと向いていた筈の視線は今はこっちに向いている。

(…………?)

 篠ノ之箒の様子に、どうも妙なひっかかりを覚える。

 が、唐突に鳴り響いたチャイムの音が思考の進行を遮った。

「さあ、SHR(ショートホームルーム)は終わりだ。諸君らにはこれからISの基礎知識を半月で覚えてもらう。その後実習だが、基本動作は半月で体に染み込ませろ。いいか、いいなら返事をしろよ。よくなくても返事をしろ、私の言葉には返事をしろ」

 鬼教官宣言に対し湧き上がるのは歓喜の声。

 俺の他にもう一人くらいこの言葉にため息を吐く感性の持ち主が居る事を切に願う。

(人気があるだろうとは思ってたが、ここまでとは……)

 彼女の知名度の高さは知っていたが流石にここまで熱狂的だとは。

 織斑千冬――日本の元代表IS操縦者であり、公式試合での戦歴は無敗。国際大会での優勝経験もあり。しかしある日突然現役を引退し表舞台から姿を消す――

 現状から察するに引退後はIS学園の教師として後進の育成に当たっていたという事か。というかそんくらい隠さんでも教えてくれてもいいだろうに。俺はてっきり腕っ節を生かした危ない仕事をやってるもんだとばかり。

「何時までくだらん事を考えている。授業を始めるぞ馬鹿者が」

 これが以心伝心ってやつなんだろうか。

 とりあえず折角直したのにまた右向きになった首を直すとしよう。

 


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