IS〈インフィニット・ストラトス〉-IaI   作:SDデバイス

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 もしかしたら、このまま一生『にせもの』を続けられるんじゃないかって、考えていなかったといえば嘘になる。

 

 まあ何というか俺のじいちゃんは幼心でも容易に判る程に駄目人間だった訳だが、勝負事の駆け引きにおいては天才的に長けていた。本人いわく元から得意だったのを時間かけて磨き上げたとの事だから、それは相当なモンだったんだろう。

 時にはテーブルの上で、時には自分の身体を動かして、時には数多の他人をコマの様に操作して、そんな経験体験をじいちゃんは俺に話して聞かせた。性格ってーか性根が腐ってる人だったけど、話は凄く俺好みだったから夢中で聞いていたのを覚えて、いる。まだ。

 今考えれば仕込んでいたんだろう。勝負事にする心構えというか感覚、理論とか――そういうものを。自他共に認めるほど物覚えが悪い俺が、話に潜む『伝えたかった』事をちゃんと理解して、まだ、うん、まだ憶えている。それが証拠だ。たぶん。

 日頃から息子は『おれに全然似てねー』だの『あれつまんねーまじつまんねー』だのぶちぶち愚痴を漏らしていたから、話に食いついてくる俺(孫)は待望の存在だったんだろう。

 ある日。散々勿体ぶって、最後の最後まで引っ張った人生の大一番の話を話し終えた俺のじいちゃんはこう言った。

 

 ――間に合った。

 

 翌日祖父は死んだ。笑顔のまま二度と動かなくなった祖父を見て気付いた事がある。俺はこの祖父に値する人がどれだけ駄目で腐ってるかちゃんと理解してたけど、決して嫌いじゃなかった。というかぶっちゃけかなり好きだった。

 他者の迷惑など欠片も考えずやりたい放題好き放題するその生き方が、伴って形作られた人生は――それはそれで輝いていたから。なりたいとは決して思わなかったが。

 そんなじいちゃんは俺にとっては最初で最大の『先生』だった。その役職名を持つ人、呼ばれるに値する人には何人も会ってきた。けどやっぱり一番そうだと思えるのは、一番俺に教えてくれたのは、あの駄目人間なのだ。

 

 忘れるわけがないんだよ。

 

 俺にいろんな事教えてくれた、祖父の名前を。言わなかったけど軽蔑するのと同じくらいに尊敬してたおじいちゃんの名前を。どんだけ頭打っても絶対に忘れない。忘れてやるものか――それだけ大事な想い出だった筈なのに。

 でも今の俺はもうその名前が思い出せない。どう足掻いても思い出せない。大切な記憶の一ピースが、俺の魂から零れ落ちてしまった事に気がついて愕然とする。

 どうしてもっと早く気がつかなかったんだと思ったけれど。気付いてもどうしようもない事にも直ぐ気付いた。慌てていろんな事を思い出そうとしたら、色んな事が思い出せなくなっている事に気付いてしまった。

 わからない。普通に忘れただけなのか。消えてしまったのかがわからない。どれが忘れたこと、どれが消えたこと。でも無くなってるんだ、何処を探してもないものがいくつもあるんだ、絶対あるはずのものまで無いんだ、それだけは本当なんだ、それが一番嘘であって欲しいのに。

 どうでもいい事から本当に大事なものまで、法則性なく機械的に、まるで虫に食われたように穴だらけ。俺を俺とするためのおもいでが。記憶が。数多の想い出が。零れ落ちている。零れ落ち始めていた。

 

 そして今この瞬間も、零れ落ち続けている。

 

 

 ――■■■

 

 

 

 ▽▽▽

 

 一旦収まったと思いきや、何故かまた取っ組み合いを再開した篠ノ之箒と凰鈴音を慌てて止めに行った織斑一夏を見送って。そんなセシリアが訪れたのは更衣室である。

 元々選手でなく観客として訪れていたセシリアには着替えなど必要ない。ならば何故ここに居るのか。間違いなくこの後今回の件について教員に呼び出しを食らうであろうから、その前に身だしなみを整えておこうと思ったのだ。

 更衣室は誰も居らず、しんと静まり返っている。数歩進んだ後に、ふと壁際に設置されているベンチが目に入る。

 気が付けば崩れ落ちるように座り込んでいた。深く深く息を吸い込んで、吐き出す。胸に手を当てれば心臓が早鐘を打っている。

 腑に落ちない事、得体の知れない事は多々あれど自体は収束した。それを自覚した事で張り詰めていたものがゆるむ。吊られて、押さえ込んでいたものが込み上げてくる。

 余裕ができたから思い知る。

 先刻までがどれだけ危険な状況であったかを思い知る。

 

 この感情は恐怖という名前をしている。

 

 ISはISにしか倒せない。つまりISならISを倒せる。そして敵はISだった。積んでいる武装は過剰なまでの破壊力を有している。戦闘力も常識を逸している。無人機故の無機質で感情の無い動きは、慈悲や情けという甘えを暗に否定する。

 最初に戦っていた二機の高レベルのコンビネーション、セシリアの実力、最後に参戦したISと、こちらに利する要素はたくさんあった。かなり恵まれていたといえる。

 けれどもだからといって危険だという事実は何も変わらないのだ。あの赤い閃光がセシリアの蒼い機体を、包まれているその肢体を、焼き尽くせるという事実は変わらない。

 実力はある。精神力もある。それらに応える機体も持っている。

 でもセシリア・オルコットはまだ15歳の女の子だ。ああも明確な『命の危険』に耐性なんて持っている訳がない。だから怖いと思うのは何もおかしな事ではない。怖かったと震えるのは何も間違ったことではない。どころか、事が終わるまで冷静であり続けた彼女はとびきり”優秀”だ。

 気が付けば、自分で自分を抱きしめるように身体に両腕を回している。そうやって、無事だということを確認している。ぎゅうと力を強める事でもっと強く確認す、

 

 ――がっしゃああああああん!!

 

 突如響いた騒音にビックゥ! と両肩を跳ね上げて、むしろその身体も跳ね上げて、イスから転げ落ちておでこを痛打して、ずきずきと痛むおでこを押さえて涙目になって、それでもそのまま転げまわったりはせずに、セシリアは直ぐに立ち上がった。

 騒音の発生源はこの部屋ではない。恐らく隣の部屋。部屋を隔てる壁は薄くないが、よほど大きな音であったらしく、こちらまで聞こえてきたようだ。

 万が一に備えてブルー・ティアーズに指示を飛ばそうとして、ふと思い出す。更衣室の隣はまた更衣室であるのだが――確か今は唯一の男子学生用更衣室とされていた筈である。

 もしやと思えばその通り。隣の部屋から白式の反応がある。それはつまりそこに織斑一夏が居るという事だ。

『……織斑一夏、何かありましたの?』

 機体が何も報せないということは、少なくとも先程の様な襲撃の類では無い。しかし一応警戒しつつ、セシリアは壁の向こうにいる『男』に問いかけた。

 

『何か軽く引っ張っただけなのにロッカーぶっ倒れた。あーびっくりしたー……』

 

 よし撃ち抜こう。この馬鹿絶対撃ち抜こう。

 痛むおでこと盛大に晒した(誰にも見られてないとはいえ)醜態を思い出しつつ、セシリアは心の中で決心した。

 顔に浮かぶのは引き攣った笑みである。セシリアが今どれだけ凄惨な笑みを浮かべているか、壁の向こうの織斑一夏は知らない。というかセシリア自身も知らない。

 ガタガタという音は倒れたらしいロッカーを直している音であろうか。座り直したセシリアは背にした壁から伝わってくる音をぼんやりと聞いていた。一際強くバタンと音が響いた後、急に静かになる。

『直りましたの?』

『あー、うん一応…………うん、大丈夫。たぶん。これなら言い逃れでき、る。うん』

『男子用ロッカーを使うのはあなた一人なんですから、無理に決まってるでしょう』

『おっしゃる通りでございます……』

 声からしょぼくれている姿が想像できて、思わずくすりと笑ってしまった。脚を椅子の上にあげて、抱え込む。そこで気が付いたというか思い出した。IS学園の白を基調とした制服の、スカートの端が黒く焦げている。遮断シールドに触れて吹き飛んだ部分だ。

『驚かせて悪かったな』

『――あっ』

 立ち去ろうとしているのだと分かり、それに対して自分の口から出た言葉にセシリアは心底驚いた。ここはまったくですわ、とか次からは気をつけなさいな、とかそういう言葉を発するべきなのだ。

 驚きこそしたが、それが切欠でセシリアは普段通りに少し復帰した。ここで一人になってしまったら、先程まで心を満たしていた感情はきっと戻ってくる。そう無意識に思ったから、身体が意思に反して――ある意味意思に忠実に――引き止めるための声を上げさせた。

 口を塞いでももう遅い。そもそも通信を切っておくべきだったと後悔してももう遅い。気が付けば弱い部分を晒した形になっている。真っ赤に染まった顔を、腕で抱える脚の方へと沈み込ませて俯いた。

 背にした壁から微かな振動が伝わってくる。壁の向こうにいる輩もセシリア同様に壁を背にして座り込んだらしい。

『……………………何をしてますの』

『別に。ただ休憩してるだけ』

 向こうの部屋は、こちらの部屋と設備はそう変わらない。だから休憩するならベンチなりに座ればいいのだ。床に座る必要はない。セシリアと壁を隔てて一番近い場所に座り込む必要なんてある訳が無いのだ。

 相手がこちらの心情を察したことを察して、ただでさえ赤い顔は、きっと更に赤くなっている。一言発すれば壁の向こうの輩は直ぐにでも立ち去るとわかっている。でもどうしてもそれができない。

 

 呼び出されるまでの数十分、壁の向こうの輩は何を言うでもなく、ただそこに居てくれた。

 

 

 ▽▼▽

 

 力の限り伸びをしてベッドにばたんと倒れこんだ。時刻は夕方、寝るにはまだ早い時間である。そして別にもう寝るつもりもない。だから服も制服のまま。ベッドに半端に横たえた身体が酷く重いのは、試合のダメージのせいかそれとも最後の無茶な加速のせいか。

【…………両方】

 だそうです。しかしこういう時だけは男子の大浴場使用禁止が恨めしく思える。広い風呂にゆっくり浸かりたい気分だった。ところでこいつの不機嫌さ何か加速してないか。

『いちかー、いるー』

 何故ノックの音がドガンドガンという打撃音の如きなのだろう。鈴の登場でこの部屋のドアの寿命が数年は縮んだんじゃねーかな。ともかく生返事しつつ上体を起こした。

 入ってきた鈴は――突進してきた。加速度を余すこと無く破壊力に変換し、そのツインテールの髪型をした頭が俺の鳩尾に突き刺さる。肺から空気が強制的にさようなら!

 普段なら、こんな風に酸素を求めて口をぱくぱくさせている俺を見れば鈴は大笑いする筈である。しかし今日は静かである。ぶっちゃけ鈴が静かっていうか大人しいとか気味が悪い。

 鳩尾の鈍痛が何とかおさまってきたので、顔を下に向ける。最初はうつ伏せだったであろう鈴は、くるりとひっくり返って仰向けになっていた。じいっとこちらを見つめる鈴が、口を開く。

「いちか、私の事好き?」

「わざわざ言うまでもねーだろ」

 無表情でない。真剣、つまりは真面目な顔つき。そのまま両腕が伸ばされ、細い指先が俺の頬をぐっと掴む。こちらも頬を掴み返し、ぐにーと引っ張ってや……思ったより伸びる。ちょっと限界に挑みたくなるが止めておいた。報復にこっちの頬を割と本気で千切り取られかねない。

「この『好き』って、何時までもあるのかな」

 同い年の男女が互いの頬を引っ張り合っているという状況にて、鈴は不釣合な程に真面目な表情と声を崩さない。

「離婚しちゃった、ウチの親。何でなんだろう。互いのこと、好きだったから結婚したんだよね。なのに、最後は二人とも互いが嫌いで嫌いでどうしようもなかったみたいなんだ。あんなにあった好きがね、全部嫌いになってるの」

 俺の頬をつまんでいた指から力が抜けて、両腕がぱたんとベッドの上に落ちた。大の字になって寝っ転がった鈴は、相変わらず明日雨なんじゃないかってくらいの真面目極まりない表情をしている。その瞳が少しずつ潤んでいく。水分が水滴になって、流れ落ちる辺りで鈴は再び口を開いた。

「私たちの間にある好きも、いつか嫌いに変わっちゃうのかな」

「…………さあてね。変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。まだ起こってない事はどうとでも派生させられるしなー」

 頬を掴んでいた指を離した。俺の脚と鈴の頭に挟まれてしまっている二房の黒髪を、鈴の頭を少し浮かして外へ流す。なるたけそっと、痛くないように。

「でも、過ぎ去ったものはもう変わらない。これから先の人生で、好きが嫌いに変わっても、お前が俺の事を大っきらいになっても。好きである理由を――想い出を忘れてしまったとしても。俺達が互いに大好きだったって事実はずっとある。その事実は確かに”あった”から。変わらないし、無くならない。そう、考える事は出来るな」

 俺がそう考えたいだけかもわからんが。

 ぱちくりと数回瞬きをして、眼を閉じて、数秒間何かを考えてから、鈴は勢い良く上体を起こした。頭と共に跳ね上がった髪に顔面ぶっ叩かれた件。地味に痛い。

「ならいいや」

 そっぽを向いたまま、鈴はぽつりとそう言った。袖でぐしぐしと目元を拭っている鈴が、今どんな表情をしているのかはわからない。ただ顔は見えないけど、場の空気が緩んだのを何となく感じ取る。

「あ、そうだ。あんたさっき忘れたらとか言ってたけど」

 鈴が起き上がっててよかったと思う。さっきまでの体勢だったら――くっついてたら、俺の身体が少しだけどびくりと震えた事にこいつは気付いていただろうから。言葉の口調から、鈴がその事実に至っているのではないとわかるんだけども。

「最初から、あんたの記憶力なんかに期待してないってのよ。あんたの物覚えの悪さなんて、これでもかって思い知ってるんだから」

 くるりと振り向いた鈴は、ちょっと眼が赤かったが、表情も笑い方もすっかり普段通りに戻っている。ふふんとか聞こえてきそうな様子で、鈴は言うのだ。

 

「あんたが忘れても、ちゃんと私が憶えててあげるから」

 

 子供は、歩くの早いよな本当に。ちょっと前まではあんなにちっさかったくせに。

 なあ、鈴。お前はどんな大人になるんだろうな。見てみたかったよ。

「お前さ、大きくなったよな」

 年長の意地というか何というか。せめて少しでも先輩ぶりたくて、大きさはちっこい、でも中身は随分と成長している鈴の頭をちょっとだけ乱暴に撫で回した。鈴は手を払いのけなかった。くすぐったそうにしつつも、赤くなった目のまま満面の笑みで

 

「気付くのが遅いのよ、ばーか」

 

 

 

 ▽▽▽

 

 なんかいいはなしだなー

 

 実はずっと部屋というか洗面スペースに居たんだけど何か二人が真面目な話を始めてしまい出るに出られず結局ドアの向こうの一部始終を体育座りで聞いてた篠ノ之箒は心の中で呆然と呟いた。

 何だあの自然な『好き』は。箒の抱く好きと、鈴の言う『好き』が異なっていることはこれでもかとわかった。とはいえそれで脅威が去ったといえば、そうではない。むしろ恐れは巨大化した。

 これから先でその性質が変わらないとは言い切れないのだ。盛大に言い合っても取っ組み合っても何故だか箒と向かい合おうとしてくれる鈴に、箒は心を開きかけている。というか、開きたいと思い始めている。

 

『……ところで腹減らねえ?』

『あんた本当食い意地はってんわね。まーでもあたしもお腹空いた』

『じゃあ食堂行こうぜ。なー箒も行く――?』

『箒も行こうよー』

 

 待て。ちょっと待て。冷や汗がぶあわと出る。あの二人は、箒がここに居るとわかった上で、聞かれているなど最初から承知であの会話を、あんな会話をしていたという事なのかそういう事なのか――どういう事だ!?

『ねー箒ー、ねーねーねーったらー!』

「ええい叩くなドアが壊れる!!」

 事実を処理しきれずに盛大に混乱に陥った箒とは対照的に、呑気な声を上げる鈴がバガンバガンとドアを殴打する。心情を整理する時間が切に欲しかったが、事態は箒の気持ちなど考えてはくれない様だった。

 ぬわああああと頭を掻きむしりつつも、すっくと立ち上がってドアノブに手をかける。『友達』と『恋敵』、どちらにもなる可能性を秘めている相手と向きあうために一歩踏み出した。景気付けにと勢い良くそのドアを開ける。

 

「えーい負けるものか――!!」

「うぼあ!」

 

 さてドアの直ぐ向こうには鈴がスタンバっていた訳である。そんな位置関係でドアが勢い良く開けばどうなるか。顔面痛打である。

 流石にこれは箒が悪い。なので謝ったのだが、ヒートアップした鈴はそれでは収まらない。吊られて箒もヒートアップした。

 ドアをぶつけられた事と、箒の胸囲に何の因果関係もない。というか凰鈴音、完全にキレる内容が変わっている。だから箒の怒りも正当だ。

 持たざる者は持つ者を羨むが、持つ者は持つ者なりの悩みがあるのだから。何だかんだで血の気が多い二人は、やがて死闘を開始した。

 

 

 

 

 

 二人はきっと『友達』になる。

 でももう一つの関係になるかどうかは、まだ決まっていない。

 

 総てはこれからの展開と、その時それぞれが何を選ぶか次第だ。

 

 

 ▽▽▽

 

 

「ちょっと目を離したら何で戦い始めてんだお前ら――!?」

 

 寮の廊下を歩いているセシリアの耳に織斑一夏の絶叫が飛び込んできた。何となく何が起きているかは想像がついて、実際その通りだった。廊下のど真ん中で竹刀を構えた篠ノ之箒と拳を構えた凰鈴音が互いに威嚇し合っている。

 この国には『ケンカするほど仲が良い』という言葉があるらしいが、あれがそうなのだろうか。その割に随分と物騒な空気が場を支配しているが。

 溜息に含まれているのは多分の呆れと、少しの安堵。馬鹿らしい光景ではあるが、日常の一場面である。あんな馬鹿をやれる『今』をセシリアは守れたのだ。嬉しく思った故に微かに笑いながらセシリアは進行方向を変える。

 何故か。巻き込まれるのはゴメンだからだ。

 

(それにしても)

 

 今日の戦闘で、セシリアのブルー・ティアーズは予期せぬタイミングでの新武装のお披露目となった。そして使用したのが二丁の拳銃――《スターダスト・ミラージュ》だ。

 これはセシリアが要請を出した事で送られてきた武装の中の”一つ”である。当初の予定では、武装は他にも幾つかも送られてくる筈だった。

 しかし実際にセシリアの手元に届いたのは二丁の拳銃のみ。その理由はいくら問うても曖昧に誤魔化され、明確な答えは返ってこない。

 とはいえ想像はつく。他に要求した武装はBT兵器搭載ISの2号機で試験運用されていた筈だからそっちの方に何かあったのだろう。

 

(………………何か。嫌な感じがしますわね)

 

 

 ▽▽▽

 

 BT兵器搭載ISの2号機。機体名は『サイレント・ゼフィルス』。

 その機体を纏う彼女は本来の操縦者ではない。しかし彼女はロクに自身に合わせていないこの機体を本来の操縦者以上に上手く扱う自身があった。

 そして実際に彼女はこの機体を巧みに操ってみせ――更にはBT兵器との相性において、非公式ながらの最高値を叩き出してみせた。

 銃、という武器には二つの手順が必要である。まず照準。そして発射。それで初めて弾丸が発射され、敵を穿つ。彼女がいくら優秀でもこれは変わらない。

 故にサイレント・ゼフィルスを”奪った”彼女は、愚かにも進行方向に立ち塞がった何かにその銃口を向けた。このISは一号機同様に射撃戦を主体とした機体だから武装のほとんどが射撃武装である。

 

 照準を付ける。その一動作の間に終わっていた。

 

 袈裟に振り下ろされた。

 その一撃はシールドを切り裂き、装甲を切り裂き、ISスーツを切り裂き、皮膚を切り裂き、肉を切り裂き、骨を切り裂き――進行方向にあった、”何もかも”を切り裂いた。音はライフルの長大な銃身が地に落ちたからか、噴き出した鮮血に遮られた視界では確認できない。

 糸の切れた人形の様に地にべちゃりと落ちた彼女を一瞥した”それ”は、照準という一動作よりも速く移動と攻撃総てをやってのけた”それ”は、命の消えかかっている彼女を見下ろした。もう一撃で彼女は確実に絶命する。彼女が何も行動を起こさないのは、理解が事態に追いついていないからだ。

 

 結果として、彼女はこの場では死ななかった。

 

 一撃でなくともいい。踏みつけるだけで彼女を殺せたであろう”それ”は、しかし戦う力を失った彼女に一切の興味を無くしたらしい。赤く光る瞳がそう告げているようだった。

 打ち捨てられた彼女をその場に残したまま、踵を返す。

 それをただ見送るだけしか――視界が掠れてそれすらも困難になって来た彼女の身体が浮き上がる。彼女の身体は同じ組織に所属して同じ性別の他人に抱えられ、その場から高速で飛び上がった。抱える人間が、やたらと罵詈雑言を”それ”に浴びせていたが、朦朧とする意識では音は捉えても言葉までは判別し得ない。

 

 高い丘の様になった場所に佇む”それ”が、飛び去る二人の人間とISに目もくれず空に浮かぶ月を見上げていた。

 

 

 ▽▽▽

 

「……新型のテストに殴りこみをかけに来てみれば、まさかコソ泥にでくわすとは。ついてるのかついてないのか、何とも判断に困るな全く」

 

 悲鳴と怒号と業火の飛び交うイギリスの一施設の端において、東洋人の――しかもまだ学生であろう彼は十二分に場違いである。飛び去る二機のISを眺めながら呟かれた言葉は騒音に掻き消されて誰の耳にも入らない。

 

「さて。神の悪戯か悪魔の気紛れか僕の手札は揃った。本当に何でこんなに早く揃ったのやら。確実に不可解だ。踊らされてる。忌々しい――だが僕を”急かす”理由がどうにも気になる」

 

 『獣王爪牙(アブソリュート)』。

 『翼神領域(フォールダウン)』。

 『竜帝権限(アイスエイジ)』。

 

 内一枚に切札を隠した、彼の手札は全部で三枚。公式の総数467に対してたった三。しかし時期が早くなっただけであって、本来彼はその三しか用意する気は無かった。

 というか単純に『467』を相手取る分には、恐らく『二』で十分なのだろう。多分そういう事になっている筈だ。ならば残り『一』は蛇足かといえば、逆だ。その『一』こそが彼の目的の『1』と戦うために用意した、本命で切札であるのだから。

 彼の傍らに”何か”が降り立った。炎の揺らぎに一瞬だけそのシルエットを顕にしたそれを引き連れて彼は歩き出した。目的地は、

 

 

「――――帰るか、日本に」

 

 


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