IS〈インフィニット・ストラトス〉-IaI   作:SDデバイス

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 ▽▽▽

 

織斑一夏(おりむらいちか)

 

 「世界で唯一ISを動かせる男子」。

 家族に姉である『織斑千冬(おりむらちふゆ)』が居る。両親は不在。

 小学校五年生の時に事故に巻き込まれ頭部に強い衝撃を受ける。

 それが原因で一時昏睡状態に陥り、回復後も記憶の混乱が見受けられた。

 

 ――とある人物の手記より抜粋。

 

 

 ▽▽▽

 

 俺の名前は『織斑一夏』。

 戸籍にもそう記されているだろうし、俺のことを知っている人間に俺は誰かと問うたら大抵『織斑一夏』だと返されるだろう。

 例外としては質問に素直に答えられない底意地の悪い相手や、愛称を用いる習性を持つ相手が挙げられる。でもその例外も俺を『織斑一夏』だと認識しているという前提がある。

 俺の事を知らない相手は勿論俺を『織斑一夏』とは認識しないだろうが、それでも俺を俺として認識した後に用いるのは『織斑一夏』という名前なんだろう。だってこの世界には俺を『織斑一夏』だと証明するものが満ち溢れているのだから。

 でも、『俺』は『織斑一夏』じゃない。

 それを示すもの――『織斑一夏』ではない、俺が『俺』として『俺』の人生を過ごした記憶――が俺の中には確かにある。とはいえ俺が『俺』であると示すのはその記憶しかないとも言える。

 だって俺の名前は『織斑一夏』で、俺の外見(身体)も『織斑一夏』で、そして歩んだ人生も当然『織斑一夏』なのだから。

 うんもうわっけわっかんなくなってきた。

 相変わらず何度考えてもこんがらがるったらない。

 

 ある日『俺』は死んだ。

 次に目が覚めた時、俺は『俺』でなく、『織斑一夏』だった。

 

 結局、わかっているというかハッキリしているのはこれだけしかない。

 俺は確かに『俺』として生きていた。けれどある日死亡した。これはいい――いや自分が死ぬのはすげえ良くないんだが今は置いておこう。こればっかりは事実だから仕方ない。

 問題はこの後から始まる。

 目が覚めたら別の場所で別人で、俺は『俺』じゃなくなっていた。聞いたこともない地名に建つこれまた聞いたことのない名前の病院、その一室のベッドの枕元には、まるで知らない誰かの名前(織斑一夏)が貼ってあった。

 そして鏡を見れば見たこともない顔が映っている。おまけに年齢がぐっと巻き戻っているときたもんだ。

 医者が言うには、この男の子は事故に遭って頭を強く打ったらしい。そして今まで意識不明だった。でも今は違う。だって目を覚ましていなけりゃ話は聞けない。

 けれども、その中身がすっかり入れ替わっている状況で、その子は果たして本当に目覚めたと言えるのだろうか。

 無数の検査と質問攻めから解放されたのは夜になってからだった。ちなみにひたすら「?」って感じで対応していたせいか、記憶障害と診断されていたらしい。

 灯りの消えた病室で、とにかく考えた。

 目が覚めたら他人になっていたなんて、非常識な現象についてとか、俺はこれからどうすべきなのか考えて考えて考え続けた。

 

 そして翌日、俺は高熱を出した。

 

 知恵熱本当尋常じゃねえ。寝こんでる間夢の中で何か誰かと談笑する幻覚まで見ちまった。回復するまで三日もかかったし。

 さておいて、考えた果てに思いついたのは転生とかその手の単語だった。

 でも本当に転生なんて現象が本当に起こりうるのだとしても、その際に『俺』の記憶は消えている筈だ。

 次に思い当たったのは、事故で頭を打ったショックで『前世の記憶』なるものが呼び戻されたのではないかという考え。

 でもこの考えにも素直に頷けない要素が幾つかある。今の俺には『俺』以外の記憶がない。『今』である『織斑一夏』の記憶はどこへ行ってしまったのか。

 一体どれだけ器用な頭のぶつけ方をすれば『織斑一夏』の記憶を綺麗に消去し、『俺』の記憶だけを呼び戻すなんて真似ができるというのだ。

 そしてもう一つ。

 

 俺は、自分が何故死んだのか覚えていない。

 

 確かに死んだ事は、心に刻み込まれている様に確信できる。でも何時何処でどんな風に死んだのかを俺はまるで覚えていない。記憶の方は特に何も無い日常の途中でブッツリと途切れている。

 もしや死を自覚出来ない規模の災厄にでも巻き込まれたのだろうか。平日の日本の街のド真ん中でそんなもん起こってたまるか。よりにもよってミステリーの犯人暴露の途中だったんだぞ。

 それに死の原因は覚えていないが、感触は残っていた。一瞬で死んだのならば、そんな感触を感じる暇はなかったはずだ。

 何度も自分の最後の瞬間を思い出そうとして、俺はその度に言いようのない恐怖を想起する羽目になった。どんな恐怖かといえば――形容できない。

『わけがわからないがとにかくこわい』

 俺の感性ではこれ以上うまく言いようがない。ともかく形容しがたいまでに強烈な死の確信が俺の中には刻み付けられるように残っていた。

 そう、本当に怖かったんだ。

 想い出すまでもないくらい、気を抜けば――考えるという行為に夢中になっていなければ――直ぐにでも心の奥底から這い出てくるくらいに圧倒的な、『俺』の根本を揺さぶるような恐怖だった。

 だから、『今』の方で目覚めた瞬間に、俺は驚きを忘れてまず最初に歓喜した。

 心の底から生きている事を喜んだ。ただ、生きているというその事実が嬉しくて嬉しくてしょうがなかった。

 

 ――この生は織斑一夏(見知らぬ誰か)の人生を横取りしたものではないのかと、心で確かに感じた罪悪感の予兆を押し流してしまう程に。

 

 生きている事が、本当に嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

「ちょっといいか」

 休み時間に入ると、一人の女の子が俺の席へとやって来た。

 彼女の名前は『篠ノ之箒』。小学校四年の終わりまでの時を共に過ごした『織斑一夏』の幼馴染の女の子。

 

 『俺』が、今日”初めて会った”女の子。

 

 

 ▽▽▽

 

 教室や廊下に展開する見物人の群れを抜け、屋外へと出る。それでも建物と屋外の境目辺りに人の気配を感じるので、誰かが聞き耳でも立てているんだろう。

 教室からここまでの短い移動でも、数多の女子生徒が逐一こちらの様子をうかがっていたのだからもう言葉も無い。男がよほど珍しいと見えるが、そのせいでこちらに致命的な居心地の悪さをもたらしてくれる。とはいえ時間が解決してくれるまでは耐えるか慣れるかしかないのだろう。

 しかし男が一人とはいえ別に星に一人とかでなく、学園の生徒で一人ってだけだ。彼女達だって親含め今まである程度は男と接してきたはずだ。なのにまあどうしてこうも騒げるのかちょっと疑問だ。ていうかぶっちゃけ何か怖い。皆よくわからないモノに駆り立てられている気がするんだよ。上手く言えないけどさ。

 

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

 

 いや。

 いやいやいやいや。何か用があるから俺呼び出されたんじゃないの。なんなのこの沈黙。

そろそろ辛くなってきたんですけど。何、俺が何したの。

 ともかく、さっき呼び出された時点でこの娘が――篠ノ之箒が織斑一夏の事をはっきり覚えているのは確認できた。

 微かに記憶にあるくらいなら、こうして休み時間にわざわざ呼び出して話そうとは思わないだろう。だから少なくとも『顔を見たら言いたい事が直ぐに浮かぶ』位には彼女は織斑一夏の事を気にしているということだ。

 

 けれど俺は彼女の事をこれっぽっちも知らない。

 

 彼女と一緒に過ごしたのは『俺』じゃなくて『織斑一夏』の方である。彼女と織斑一夏が別れたのは、丁度俺の中身がすげ変わった頃であるから。

 俺が彼女を『篠ノ之箒』と認識できたのは、アルバムに残っていた彼女の写真を見て外見に関してある程度の予備知識を得ていたからに過ぎない。

 それは当然六年前のものなのだが、実際彼女に会ったら一目でそうだと解った。何かこう雰囲気が変わっていないのだ。背丈とかの外見は当然相応に変わっているが、もっと根本的なところが変わっていないというか。写真や伝聞でしか彼女を知らない俺がこんな事を言うのも、少し変かもしれないが。

 さてそろそろ黙って向かい合ったまま数分経ってるんだけどこれもしかして休み時間終わるまで続くの? 俺の精神現在進行形でカンナがけされてるんですけど。カツオブシじゃねんだからもう。

 こうなったらこっちが口を開くしかない。元々俺にも言う事はあるのだ。すげ変わった当初も散々周りに言ってきた事だ。

『記憶喪失になったから君のこと綺麗サッパリ覚えてない』

 これ。

 でも正直すんごい言い辛い。

 向こうがこっちを大して覚えていなかったならわざわざ言うまでもなかったんだろうけど、覚えているんだからこれは言っとかないといけない。

 

 

 君の前に居るのは確かに織斑一夏だけど、それは君の知る『織斑一夏』ではないという事を。

 

 俺は今織斑一夏として生きている。でも『俺』は『織斑一夏』じゃない。

 よし言おう、うん言うぞ、よしせーのっ

「あ、「何だっ!?」――いえー何でもありませんよー」

 俺のこの馬鹿へたれやろう。

 ていうか今気付いたけど、何でこの娘はこんな余裕の無さそうな表情してるんだろう。雰囲気的に凛としてて何事にも動じない感じに見えたんだが。彼女も久しぶりに話すとかで緊張してるんだったら、ちょっち親近感。

「…………一夏。久しぶりに会った相手に、何か言う事はないのか」

「あんま変わってないね特にその目付きのわ――いや髪型が! ポニーテールが!!」

 あっぶねえ思いっきり本音(目付き悪い)出かけた。

 幸い前半の方は彼女に聞こえていなかったようである。こちらの言葉を受けた彼女は長いポニーテールの先端をいじくり始めていた。

「よくも、覚えているものだな……」

「いや覚えているというか最近覚えなおしたというか?」

「……どういう事だ?」

 篠ノ之さんが髪をいじるのを止め、一気に怪訝そうな顔になる。

 この娘、真面目な顔してると何か迫力有ってちょっと怖い。

「いや去年。剣道の全国大会で優勝してたでしょ。それで知ってた名前見かけたからちょっとアルバム引っ張り出してたりしたからさ」

「なんでそんなことを知ってるんだっ」

「俺に新聞を読むなというか君は。まあ普段はTV欄と四コマしか見てないけど。たまたま眼に入ったんだからしょうがないだろが」

 への字になった口、温度が上がったのか赤くなる顔。

 何もそこまで怒る事だろうか。あ、わかった。

「悪い。先にこっちを言うべきだった、優勝おめでとう」

 『俺』も『前』で剣道を少しとはいえやっていたせいか、その功績がどれだけ凄いものかは解る。だから『俺』の現状とか彼女との関係とか、そういうのを一切合切抜きにして、ただ純粋に彼女の偉業に向けて賞賛の言葉を贈る。

「~~~っ」

 かあーとか聞こえてきそうなくらい。瞬く間にその顔が赤くなっていく。照れるその様子は素直に可愛いらしかった。褒め言葉には素直に喜ぶべきだと思う。

 馴染みのツインテはどうにもその辺ひねくれてやがったからなあ。今みたいに俺が笑顔で言ったら絶対思いっきり引きやがるに決まってる。

 

 ――キーンコーンカーンコーン

 

「じ、授業が始まる! 早く戻るぞ!!」

 二時間目の授業を告げるチャイムが鳴り響くなり、篠ノ之さんは踵を返して歩きだ――うっわ速ッ!! 走ってないのに何であんなに速いんだ!?

 後ろからでも見える耳が真っ赤なところを見るに、よほど褒められたのが恥ずかしかったということか。もう少し胸をはって誇ってもいいと思うんだけど。

「………………って、結局言えてねーし」

 篠ノ之さんの姿が見えなくなってから、肝心な事を何も言ってない事に気がついた。最初の沈黙が響いて結局時間切れである。

「あー……ったくもー」

 これから先同じ学校で過ごすのだから言う機会はいくらでもあるだろうが、あんまり長引かせたくない。今度はこっちからコンタクトすべきだろうか。しかし以降彼女が接触してこないならわざわざ告げる必要があるのか。いやしかし――

 

「どーしてこう、人生ってやつは壁に事欠かないんだか」

 

 手すりに身体を預けて、仰ぎみた空はどこまでも青く澄み渡っている。

 暗鬱な俺の心の中と見事に正反対だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、織斑。遅刻の理由は何だ?」

「空があんまり青いので、いい感じに黄昏てました」

 

 パァンッ!!

 


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